episode4 sect9 ”全国大会試合会場、リングアリーナ『希』『望』”
ああだこうだと言い合っている2、3年生たちの微笑ましい光景をさらに別のところから見つめる数人の大人たち。教師とサポーターたちのことである。
「結構リラックスしてますね、あの子たち」
真波が隣の桐﨑にそう言うと、桐﨑は当然とでも言うように頷いた。桐﨑もまだまだ若手で、マンティオ学園で勤めて長いわけでもないが、それでも真波よりは幾分長い。初めて引率に来る彼女よりは全国大会の生徒の様子もある程度は知っているから、当然だと思うのだった。
「そりゃそうですよ、俺たちも見てきたでしょう、あいつらの実力を。勝てるから無駄な緊張をしないんですよ、あいつらは」
・・・などと知ったようなことを言う桐﨑にその正面から否定の言葉が投げかけられた。教務主任の清田一だ。
「いやぁ、桐﨑先生、それは半分合ってるとは思いますけど、半分は違いますよ。彼らだってああ見えて内側では相当に緊張しているんです。でなければわざわざ小牛田さんたちを呼びつけてご迷惑をおかけすることもないですよ。我々だけでは手が回せないくらいメンタルのケアが必要なときもあるんです」
「迷惑だなんて、とんでもないですよ。我々も若い世代の活躍をより間近に見られるチャンスをいただいているわけですしね」
優男の竜一も雰囲気通りに謙遜したことを言って、話は次第に路線変更してしまった。全くもって反論し得ないことを言われてしまって桐﨑は項垂れる。
「確かにそうですよねぇ・・・。さすが学園長の息子さんだ、意見のしっかりしてる・・・」
俺みたいなイモ教師とはそもそもの質が違うなぁ、と桐﨑は小声で呟く。意外に彼にもこういうコンプレックスはあったらしいのだが、これは別に気にするほどのことでもないだろう。教師とて人ごとに千差万別、考え方も違うのだから優劣も人に迷惑をかけないうちはないはずだ。
たまには桐﨑の「勝てるから緊張しない」という言葉だって励ましでかけてやれるというものだ。真波は肩を落とす桐﨑に慰めの微笑みを向けた。
「桐﨑先生、元気出してくださいよ。生徒より先にへばってどうするんですか」
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『とーしくん、おはよー!』
「もうこんにちはの時間だぜ、しーちゃん」
『あっはは、それもそうだねー。なんかとしくんには無性におはよーって言いたくなるんだよねー』
なんだそれは、と迅雷は心の中だけでツッコんでおいた。
ちょうど迅雷が昼食を食べ終えた頃に、慈音から電話がかかってきた。どうやら応援コールだったようで、まだ大会当日でもないのに甲斐甲斐しく電話してくれた心遣いは迅雷も素直に嬉しかった。やっぱり慈音は気の利く良き幼馴染みである。
『それでとしくん、今なにしてたところだったのかな?忙しかったりした?』
「いんや、ちょうど休憩中だよ。飯食ったところでさ。出発までは・・・あと20分はあるかな」
腕時計で時間を確認しながら迅雷がそう言うと、それを聞いた慈音が安心したように小さく息を吐くのが分かった気がした。
『ちょっと早いかもしれないけど、頑張ってねーって言いたくて電話しちゃったんだ』
「うん。早くもないさ。なにせ清田先生曰く『戦いはもう始まっている』だかんな」
『あはは、そうなんだー。じゃあ大変だね』
「大変だよ。だからありがとな」
その後も5分ほど話をして通話を切った迅雷のところに矢生と愛貴がやって来た。手に提げたビニール袋には今買ってきたらしいペットボトルが数本入っていた。
「あら、迅雷君。こんなところで。どなたかとお電話をなさっていたのですか?」
「あぁ、しーちゃん・・・じゃなくて慈音とさ」
ついつい、いつもの勢いであだ名呼びしてしまって、案の定分かりかねた矢生も愛貴も首を傾げた。それもそうかと迅雷は慈音を名前で言い直した。
しかしまぁ、久々に慈音を「慈音」と呼ぶとなかなかしっくりこないのが可笑しくて、迅雷はちょっと笑えてきた。
「あぁ、東雲さんでしたか」
「師匠、東雲さんってどんな人でしたっけ?」
「だから師匠では・・・。東雲さんは学内戦であの結界魔法を使いこなしていた方ですわよ」
「結界、結界・・・あ!分かりました!結構強かったですよね。今度お手合わせ願いたいです!」
「それは勘弁してやってくれよ・・・」
なんの血が騒ぐのか急に慈音に対して闘志を燃やし始めた愛貴を苦笑いで宥めた。とてもではないが慈音と愛貴では実力差がありすぎるし、そもそも迅雷としては慈音にあんまりケンカはして欲しくない。
「それにしても迅雷さんと東雲さんって仲良かったんですね。・・・はっ!?もしかして恋人だったりするんですか!?」
興味ありげにアホ毛を揺らしながら目を輝かせる愛貴。このアホ毛も人工物なのかなぁ、などと変な感慨に浸る迅雷は置いておく。ともかく、幼げな容貌の愛貴も年頃の女子高校生というわけだ。
ひょんな質問に迅雷は少し赤くなった。
「い、いや違うって。幼馴染みだってば」
「おー、なるほど、ふむふむ・・・。むしろ萌える展開なのではないでしょうか、それ!」
かえって目の輝きが増した愛貴には迅雷も苦い顔をするほかない。「萌える」とか言い出す辺り、少女マンガというより意外と男性向けのラノベでも読んでいそうな鋭いツッコミだったので迅雷がたじろいでいると、見かねた矢生が愛貴を止めてくれた。
それにしても愛貴の百合っ気はもしかすると昔の愛読書の一部がそんな感じだったからなのかもしれない。
「助かったよ矢生・・・。まぁでもとにかく頑張んないとな。『頑張って』と言われちゃったことだし」
「やっぱりただの幼馴染みの距離感ではない気がしますけどねぇ」
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迅雷たちを乗せたバスが目的地である魔法学芸都市『のぞみ』に到着したのは昼下がりのことだった。全国大会の様子を見ようと集まる人も既に多かったせいで交通状態が芳しくなかったので、予定よりは1時間ほど遅い。
バスを降りてまず最初に飛び込んできたのは、もちろん巨大なドームアリーナだった。
ただし、そうは言っても東京ドームみたいなドーム型ではなく、ここのドームはちょっと変わった天井の形をしている。例えるなら、そう、某大手ドーナツチェーンの看板商品であるアレの真ん中の穴を埋めたような形で、上から見ると6つの球天井が円形に繋がっているのが分かる。つまり、1つの建物内に6つのドームアリーナが入っている、ということだ。
一つ一つのアリーナがマンティオ学園にあったそれと同じ規格のものであるからして、この建築物の大きさがいかに凄いのかは察せるところか。なおのこと凄いのは、これと同じものがもう1つ建っていることだ。
建物の名前は街の名前『のぞみ』を踏まえてそれぞれ『希』『望』だ。
初夏の風物詩にもなっている『高総戦』全国大会の会場ともなるこの施設は、今や知らない日本人などいないだろう。
「おおー、これがあのリング・アリーナか・・・!ホントに全国に来たんだって実感するなぁ」
「なんだ迅雷、感慨に耽ってんのか?ビビってんならアタシが根性注入してやろうか?」
「いっ、いやそれは勘弁してください・・・」
巨大なドーナツ型の試合会場を見上げて迅雷が感動と緊張を噛み締めていると、そんな彼の肩に後ろから明日葉がしなだれかかってきた。
とてもではないが明日葉の気合い入れなんて耐えられたものではないから、迅雷は青ざめながら断った。試合よりも明日葉の方が数段恐い。
「でもまぁ、確かに見ると凄さも全然違うよな。俺も去年初めて来たけど、神代と同じ感じだったぞ?ははは!」
「焔先輩。へぇ、やっぱ先輩でも緊張くらいするもんなんですね」
今でこそこんなに堂々と立ってアリーナを見上げる煌熾が、昨年は自分のように冷や汗を垂らしていたのかと想像すると、迅雷も少しだけ気持ちが落ち着いた。
そう、やってやれないことはないのだ。慣れない場所で知らない相手と何度も試合をする。
だとしても、きっと勝てるはずだ。
「ありがとうございます、焔先輩、柊先輩。なんか自信出てきたました、俺」
ちょっと目つきがしっかりした迅雷を見て、先輩2人は面白そうに笑ったのだった。
そんな暖かなやりとりから少し離れたところでは空を見上げる少女が1人。言外に誰も近寄ってくるなと主張して、同じ学園の仲間たちからも望んではぐれるように、ポツンと独りで青空に文句を垂れるのは雪姫だ。
「少しは楽しませてくれればいいけど―――」
やっとここまで来た。短いはずの道程がなんと長くかかったことか。
オラーニア学園だろうが、その他大勢の学校のどこかの誰かさんだろうが構わない。
4日間を無価値な小旅行にだけはしてくれるなよ、と雪姫は申し訳程度に期待していた。
妹の夏姫はせっかくの姉の晴れ舞台だからと言って応援に来たがっていたが、大会中は雪姫もさすがにずっと面倒を見てやることは難しいので家に置いてきた。
それに、応援の有無で雪姫の能力が上下するわけでもない。夏姫にはテレビの前ででも応援してもらえば十分だろう。
「あら、着いて早々に1人でなにを黄昏れているのかしら、天田さん?」
案の定後ろから声をかけてきた萌生に、雪姫は一瞥もくれてやらずに空を仰いでいた視線を瞼で遮った。それから溜息を1つ。生徒会長という立場の責任感からか個人的な心情でかは知らないが、いちいち気にかけてくる萌生も相当に鬱陶しい相手だ。
それと、今日からはもう1人オマケもいる。なにも言わずに萌生の横を通り過ぎようとすると、肩を掴んで止めようとする手が伸びてくるからそれを躱す。
「んなっ!おい貴様!会長をスルーするとは1年の分際で良い度胸だな!やはり気に入らない!」
「はいはい、清水君もカッカしないの。実際天田さんが良い度胸を持っているのは知ってるでしょ」
「うっ・・・。さすが会長、お上手ですね」
雪姫の言うオマケこと蓮太朗も5月にあった合宿では萌生や煌熾らと一緒にインストラクターとして参加していたので、雪姫の度胸のほどはある程度分かっている。少なくとも例の「不審な男」に立ちすくんだ蓮太朗よりは雪姫の方がずっと胆力がある。
くだらない言葉遊びをしている生徒会のツートップを無視して雪姫はまた少し、彼らから離れたところまで歩いたのだった。