episode1 sect8 ”自己満足でいいから”
「「ただいまー」」
玄関のドアを開けて、迅雷と千影が声をハモらせる。迅雷はまだ家に遊びに来ていた2人の靴が残っているのを見て一安心した。モンスターに襲われた上に帰ってきたらお客さんは帰っちゃいましたとか言われたらここまでやったことが徒労に終わるも同然だったからである。
玄関から聞こえてきた声に反応して直華が玄関にやってきた。
「お兄ちゃん遅いよ、もう!心配したよ!?」
「おう、悪い悪い。ちょっとな?」
そう言う迅雷の少しくったりした格好を見て直華はなんとなくだが、ハプニングでもあったのだろうと察した。しかし迅雷も千影も様子を見る限り、多少疲れているかもしれないが、どこも問題はなさそうなので心配はなさそうだ。
「そっか。・・・さ、お兄ちゃん早く。みんな待ちくたびれてるんだよ!」
一瞬心配そうな顔をした直華はそのまた直後にはテンションを元に戻して迅雷の手を引っ張った。
「全然くたびれてないだろが。むしろこっちのがくたびれてるってのに。ほれ、ジュースとお菓子」
直華の元々くしゃっとした前髪をわしゃわしゃしながら頭を撫でてあしらってからリビングに戻り、買ってきたものをコップや皿に用意してテレビの前のテーブルに出した。
「ありがとうございます。すみません、なんか大変だったみたいですね・・・?」
安歌音が迅雷にお礼を言う。迅雷としても、見て分かる程度には疲労しているらしいのは自分でもなんとなく分かるが、妹の友人にまで心配をかけたのは少し罪悪感があった。
「いやいや、どうってことないからさ。こっちこそ心配かけてゴメンな?」
一応謝りつつ、しかしやはり疲れたので和室の畳に大の字に寝そべった。昨日といい今日といい、実戦続きという高校生にはあり得ないような新生活にはさすがに参ってしまう。
とはいえ、このまま寝てしまったらさすがに安歌音や咲乎に失礼なので眠らずに、仰向けでぼやっとすることにしてリビングから聞こえてくる直華たちの会話に耳を傾けはじめた。千影もその中に混じったようで、いっそう賑やかになっている。
「しっかしなぁ・・・」
千影の笑い声を聞きながら、迅雷は少し考えを巡らせる。こうして声を聞いていれば彼女はどう見てたって年相応な少し元気の有り余るくらいな普通の女の子なのに、そのどう見ても普通の女の子がついさっきまで鬼神の如き戦闘能力を発揮していたとは到底考えつかない。
あれはもしかすると、あの天田雪姫よりも化け物じみているかもしれない。それに、あぁなった経緯にはなにか後ろ暗い過去があるのかもしれない。なにか、迅雷では想像もつかないような過去が。
●
夕方の6時くらいになって、安歌音と咲乎が荷物をまとめ始めた。どうやら帰る時間らしい。外も日が傾いてそれなりに暗い。
「お兄さん、今日はありがとうございました!お邪魔しましたー」
「お邪魔しましたー」
帰り際もきちんと礼儀正しい2人に迅雷は感心する。迅雷はよく考えたら人の家に遊びに行っても帰りにその家の、友人以外の人に挨拶をきちんとしてきたか自信が無くなってきた。まあとにかくいい子たちそうなので、直華の中学生生活も順調なようである。迅雷は2人を玄関で見送った。
「おう、またいつでも来いよー」
―――――さて。お客人もお帰りになったので心置きなく寝かせてもらおう。いろいろあったせい(主に千影のせい)で今日はまだ一睡もしていないのだ。再び畳に寝転がって大きく息を吐き、目を閉じる。そしてそのまま夢の世界へ・・・!
「お兄ちゃん、電話ー。高校の担任の・・・志田?先生から!」
「・・・・・・」
―――――くそ、くそう!今度はそう来たか!なんだ、最近は女性の間で年齢層を問わず俺の睡眠妨害をするのが流行っているのか!?
・・・とかなんとか思いつつも出ないわけにもいかないので、迅雷は心底うんざりはしているが声に出てしまわないようにして直華から受話器を受け取った。しかし学校からの電話と言われると嫌な予感しかしない。
「もしもし、神代です。どうかしたんですか、志田先生?」
『あぁ、神代くん?昨日の話を聞いたんだけど、なんか小学生くらいの女の子を学校に連れ込んできてたって?』
一瞬迅雷の時が止まった。思考を停止させて、そして再起動する。神代迅雷言い訳モード、発進します。
「す、すみません!いや、あれは俺が連れてきたわけじゃなくてアイツが勝手に来てしまっただけでですね!?それにモンスター討伐も手伝ってくれましたから!いや、ほんとすみません!」
『あら、そうだったの?でもまあ、生徒でもない子が勝手に学内に入って来ちゃダメだからね。ちゃんと注意しておいてね?』
案外あっさり納得して終わってくれたので、てっきり怒られるなり呼び出し食らうなりいろいろ良くないことを想像していた迅雷は拍子抜けしたが、同時にほっとした。ここはとにかく謝りまくって話を終わらせにかかることにした。
「はい、もちろんですから!すみませんでした!」
『そんなに謝らなくていいからね!?今度からは気をつけるよーに』
電話越しにでも迅雷がぺこぺこする姿を想像したのか、真波まで焦ったような声を出していた。
受話器を置いて迅雷はソファーに座ってジュース片手にテレビを見ながらケラケラ笑っている千影を見る。さっきまでいろいろ考えたが、今の電話で結論が出た。
マジで一回あの幼女を埋め立てたい。
迅雷は千影の背後から脳天にチョップを入れて、反撃してきた彼女をあしらってから畳に寝転がり直した。今度こそうとうとしてきた。いける、寝られる。
「ただいまー」
玄関から声がした。どうやら真名が仕事から帰ってきたようだ。
「あ、お帰りお母さん」
―――母さんも帰ってきたことだし、あとは夕飯ができるでは安泰だ。
・・・と思っていた時期が迅雷にもありました。
「あ、卵と牛乳買い忘れて来ちゃった。迅雷ー、お使いお願いねー。ハイお金」
「・・・・・・」
手に1000円札を乗せられながら、迅雷は心の中で、卵と牛乳って漫画かよ、とかツッコむ。ここまで来られたらもはや寝るのは諦めるしかないのだろうか。どうせ今夜も千影がベッドに入ってくるのだろうし、今から考えただけでぐったりする。
「なんでそんなに不機嫌なの?」
真名が不思議そうに尋ねたが、迅雷としてもいちいち説明する気も無いので一回溜息をつく。
「もういいわ。こうなりゃとことんだ。卵と牛乳でしょ?行ってくるよ」
本日2回目のスーパーである。しょぼいお買い物をしに行っただけでまた帰りにモンスターに遭遇とかしないだろうな、と、もはやマイナス思考のデフレスパイラルに陥りかけて鬱屈としていたいたそのとき、直華が声をかけてきた。
「お兄ちゃん、私も行こっか?」
「マジ天使」
持つべきものはよくできた妹だ。ホントのところ代わりにいって欲しいとか思う自分もいたが、もう時間も時間なので直華を1人で買い物に行かせるわけにも行かない。それに2人で行くだけでも多分精神的に楽なはずだ。・・・千影と行ったら疲れたけれども。
感涙を目尻に浮かべながらよく分からないことをいう迅雷の反応に、直華は照れたような引いたような微妙な顔をした。モンスターに会わないようにというおまじないのような気分で動きづらいサンダルをつっかけて迅雷は買い物バッグ片手に玄関を出た。さすがに外は夜一色で、吹く風も先ほどとは違いひんやりと冷たいが、心地よい感じもあった。
●
スーパーマーケットへの道すがら、直華が迅雷に苦笑いで話しかける。
「なんかもう死にそうだねお兄ちゃん。大丈夫?」
どうやら気を遣ってくれたようである。疲労困憊した様子の迅雷を無理なくさりげなく労る。迅雷も直華に疲れているのを誤魔化すのはナンセンスだということくらい分かっているので、なんでこんなにへとへとなのか教えることにした。
「いやさ、大丈夫だけどいろいろあったんだよな。学校では真牙と試合して魔力切れ起こすわ、買い物帰りにモンスターの大群に襲われるわで体力的にキツかったんすよ」
このくらいで説明を終えるつもりだった迅雷であったが、一度話し出すと不幸自慢や愚痴は止まらないもので、気がついたら口から次々言葉が漏れ出した。相手が気の知れた妹なのでなおさらだ。
「大体よー、なんで千影のやつ俺のベッドで寝るんだよ!おかげで寝不足も甚だしいわ!さすがにあんなちんちくりんとはいえ目の前で女の子に寝られたら緊張して眠れないだろ!しかもろくに昼寝もできないし」
「あ、あはは、そりゃ大変だね。そっか。じゃあさ、今日は私が千影ちゃんと一緒に寝るからお兄ちゃんはゆっくり休んでよ。ここは俺に任せろ・・・!ってね?」
胸を叩いて直華が提案を持ちかけた。最後に冗談を交えてくるあたりが同情しすぎていない感じがあって迅雷としては無性に嬉しかった。
「ナオ・・・!お前ってやつは・・・!」
妹じゃなかったらもう結婚したい。こんなにさりげなく気の利かせられる妹なんてそうはいないのではないだろうか。危うく路上で妹を抱きしめそうになり迅雷はイカンイカンと我に返る。
文句を垂れ流したり感謝で胸をいっぱいにしていたらいつの間にかスーパーに着いていた。買い物カゴを手にとって店内に入る。天井のスピーカーからは最近よく聞くドラマの主題歌が流れてくる。
「卵と牛乳、卵と牛乳・・・っとあったあった」
まずは牛乳を回収することにしたのだが、棚の奥の方まで見てもすべて賞味期限が一緒だった。どうせ主婦の皆様がおいしくいただいていったのだろう。いつも買っている商品でなかったらもう少し日の長いものもあったが、なんとなくいつもと違うものには手が出ないので仕方なく賞味期限のあまり長くないいつもの牛乳を1つカゴに入れた。
次は卵、と口ずさみながら卵コーナーに向かう途中のことだった。ちょうど正面から見知った人物が歩いてきた。天田雪姫だ。あちらもこちらに気がついたようで、めんどくさそうに目を細めた。なんか話しかけてもスルーされる未来が見えた気がしたが迅雷は礼儀なので(もしかしたら親睦を深められるかもしれないとかも考えてはいたが)挨拶だけでもしておくことにした。
「こ、こんばんゎ・・・?」
「・・・・・・」
しかし、というかやはり、雪姫はふいっと目を逸らしてそのまま行ってしまった。学校の時よりは若干気まずそうな色が見えたが、やはり華麗なスルーであった。彼女の後ろを千影と歳の近そうな、雪姫に似た面影の少女がこちらに若干申し訳なさそうな顔をして、ついて行った。
「・・・・・・ですよねー。あは、あはは」
スルーされると分かっていても虚しいものは虚しくて、迅雷は肩を落とした。直華が今の一連のやりとりとも言えないやりとりを見て迅雷に質問する。
「お、お兄ちゃん、今の人は?知り合いなの?」
「学校が、っていうかクラスも一緒なんだけどな・・・。あんな感じなんだよなぁ」
直華が苦笑いになる。さっきから気を遣わせてばかりで申し訳ない。
「なんか前のお兄ちゃんにちょっと似てたかなぁ・・・?」
「ん?なんか言ったか?」
小声で直華が何か呟いたようだが聞き取れなかったので迅雷が聞き返すと、直華は笑って返した。
「ううん、なんでもないよ?お兄ちゃんが今のお兄ちゃんで良かったかなーって思っただけ。それにしてもさっきの人、すっごい美人さんだったねー」
●
「お姉ちゃん、さっきの人は?」
雪姫をそのまま小さくしたような少女が、カートに乗せた買い物カゴに品物を突っ込みながら雪姫に尋ねる。
「んー?あぁ、確か同じクラスの・・・神代迅雷・・・だったかな」
雪姫は少し記憶を辿って先ほどスルーしたクラスメイトの名前をわりとあっさり出した。こんな時間にスーパーで会うとは思っていなかった。
「ほらやっぱり知り合いじゃん。知り合いスルーするのは良くないっていつも言ってるのにー」
ちっこい方の雪姫が頬を膨らませる。いつもなにかと人付き合いの良くない姉には困っているのである。
「別に挨拶するような間柄じゃないし。っていうかあたしはそういうの必要ないの。これもいつも言ってるでしょ。ほら、ちゃっちゃと買い物済ませて帰るわよ」
言ってる間にぽいぽいと雪姫は食材をカゴに入れていき、ちっこい方の雪姫もそれについていく。
「またそんなこと言って。心配だなぁ、お姉ちゃん」
●
あの後、適当な卵を取って買い物を済ませた迅雷たちは、特に寄り道するようなこともなかったので真っ直ぐ家に帰ってきた。道中迅雷がずっとモンスターが出てこないかと過剰に心配症になっているのを直華は生温かい目で見守っていたが、結局遭遇せずに済み無事に家にたどり着いた。
「「ただいまー」」
「あら、お帰り2人とも。ちょうどいいわね、そろそろごはんができるからねー」
母の声が出迎えた。キッチンからはクリームシチューの匂いが漂ってきている。買ってきたものを冷蔵庫にしまって、いったん迅雷はソファーに腰を下ろして、ほう、と息を吐く。直華はというと、さっそく千影と話をしている。きっと、今夜は一緒に寝るよう持ちかけてくれているのだろう。おかげで今夜はゆっくりと寝られそうだ。快眠のありがたみをしみじみと実感する。一息ついていると、真名がごはんができたので準備を手伝って、と言ってきた。先ほどからシチューの匂いをかぎ続けていて空腹もピークだった。料理を食卓に並べて4人で声をそろえる。
「「「「いただきまーす」」」」
迅雷はシチューを頬張りながら今日の出来事を順々に話していた。魔力切れの件に関しては必要以上にゲラゲラ笑う千影を鉄拳制裁した。千影とスーパーに行った帰りの話をしたときに直華が感想を言った。
「へー、やっぱり千影ちゃんって強いんだねー。私もちょっと見たかったなー、なんて」
直華もそこまで本気で言っていたわけではなかったが、千影が食いついた。
「じゃあ、今度の日曜に試合でもしてみる?今日の昼はギルドに行って登録とかしてきたんだけど、そのときいろいろ見てきてさ。小闘技場が模擬試合用に貸し出しされてたよ」
千影の提案に割と乗り気になった直華がそれじゃあ、と3日後の予定を着々と組んでいく。しかし、千影と試合をしても勝機などなさそうだ、と迅雷は思う。
●
食事を終えて、迅雷は自室に戻った。明日からは通常授業も始まるので忘れないうちに先に荷物の確認をしておこうと思ったからだ。
「えーっと、英語に数学に魔法学に、あとは物理・・・よしっと。大丈夫だな。・・・くぁ・・・。いけね、久々に眠れると思うともう寝そうになっちまうや。風呂にでも入っかねー」
睡眠不足に限らず新しい生活環境やモンスターとの戦闘の疲労もあり、どっとこみ上げる眠気を感じながら迅雷は階段を降りて風呂場に向かった。そして、おもむろに風呂場のドアを開けた。そんでもって、開けたんだがすぐ閉めた。
「・・・今のは夢だ。あれだ、立ちながら寝ぼけてたんだ。俺は分かってるぞ?」
意味の分からないことを自分に言い聞かせて、迅雷はもう一度ドアを開けた。そこには。
「な、なんでまた開けるの!?あぅぅ・・・」
「あー、とっしー惜しかったねー。もうちょい早かったら一緒にお風呂展開だったかもなのに」
ドアの先には、風呂上がりで火照った肌をバスタオルで隠そうとして逆になんかエロく見える直華と、もはや隠す気も毛頭もなさそうな様子でふざけたことを言う千影がいた。さすがに夢ではなかったことを確認した迅雷はそそくさとドアを閉め直してから一言。
「ごちそうさまでした」
中から直華の叫び声が聞こえてきたが、今のは事故だ。そう、事故事故。
―――――今のは俺は悪くない。責めるのであれば、俺を疲れさせて注意力散漫にさせた諸悪の根源であるそこのチビを責めてくれ。
●
ちゃんとパジャマに着替えて出てきた直華と一悶着あり、いちいち持ち合わせのない色気を使おうとする千影をあしらってから、やっとの事で迅雷は風呂に入ることができた。おかげさまで目もパッチリである。湯船につかりながら、迅雷はぼんやりと考え事を始める。ここ最近の、今日までの出来事を、なんとなく回想していく。
「千影・・・あいつは本当にどういう環境で育ってきたんだろう?黒いライセンス、異様な戦闘慣れ、、変なところで普通のことに新鮮な反応もするし、妙なところで悲しそうな顔を見せることもあった・・・」
自然に振る舞っているようで、彼女のそぶりには微妙に一般とずれた、どこか不自然なものを感じる場面が少なからずあったし、1人でいるときにどことなく寂しげな雰囲気を見せるときもあった。迅雷は、そんな千影に対して疑念もあったが、それよりもまず、自分が彼女にしてあげられることが何かあるのだろうか、という風に考えていた。
ただ、迅雷にはあの小さな少女の送ってきた、たったの、しかし恐らく迅雷よりも密だったであろう10年間を知らない。それを知らない彼には彼女がそんな不自然さを見せる理由も原因も分からない。上から目線になにかできないかなどと考えていたが、なにをしてあげられるのかなど分かるはずもないのだから傲慢も甚だしい話である。ひょっとしたら、迅雷が千影の過去を知る機会などこの先一度もないのかもしれないし、そもそもしてあげられること自体が存在しないかもしれない。
少し鬱々とした気分になりながら迅雷は風呂から上がり、そのまま寝ることにした。これ以上考えてもいい方向に頭が回る気配もなかったし、思いつかないのではいくら考えても仕方ないからである。2階に上がり、直華の部屋の前を通りかかったとき、直華と千影の声がドア越しに聞こえてきた。ずいぶんと楽しそうな声で笑っている。直華の部屋の前で立ち止まり、少しの間だけ聞こえてくる笑声を聴いて、それから軽く息を吐く。
「・・・ま、俺があいつのことで勝手にいろいろ気を揉んでもどうしようもないか。現に今こうして笑ってることだし、それに越したことはないだろ」
いろいろ、というかさんざん困らせられもしたが、それでも迅雷は彼女が笑っているのを見るのがそれなりに好きだった。あの無垢な笑顔が、結局は彼女の本質に一番近いものに思えたからである。迅雷は千影の笑う声を聴いていると不思議と安心できた。今はこうして普通に暮らせればいいのだから。そう結論を出して迅雷は奥の自室に戻った。念のために明日の用意を再確認してからベッドに横になり布団をかぶった。心なしか昨日よりベッドが広く、そして軽く感じられた。
●
「ん・・・ふぁ・・・・・・」
チュンチュン、と朝を告げる小鳥のささやかな目覚ましに迅雷は目を覚ました。カーテンの間から一筋の光が入り込み、部屋の中に白いラインを引いている。今日はよく眠れたから昨日はなんとも思わなかった朝の自室の光景がやけに心に映えた。
「くぁ・・・。さて、起きるか・・・?」
もう一度あくびをして迅雷は体を起こそうとしたのだが体が重い。多分、昨日の疲労が祟ったのだろう。・・・というか腹のあたりが特に重い。なにかが乗っかっているような、そんな感じだ。まさか金縛りではなかろうな、などと思いつつ迅雷は掛け布団をめくった。
「・・・・・・ぁ」
そのまさかではなかったが、まさかではあった。こうくるとは夢にも思わなかった。疲れすぎていたのでノンレム睡眠しかしていなかったから、夢は見なかったが。
迅雷の上には昨日確かに直華と一緒に寝たはずの千影がいた。人の寝間着に暢気によだれを垂らし、さも当然の如く腹の上で眠る湯たんぽ少女の頬をペチペチとはたいて目を覚まさせる。
「んぁ?あ、おはよーとっしー・・・・・・ムニャ」
「オイ待て。人の上で二度寝しようとすんな。つーかなんでいるんだよ。俺は千影専用マットレスかなにかか」
二度寝体勢に入った千影の頬を今度はつねりながら尋問を開始する。彼女の頭があったところがよだれでびっしょりである。これは怒ってもいい気がした。
「じゃあそういうことで。”専用”って付くとなんかかっこいいよね・・・ムニャ」
頬をつねられながらも、なめた返事だけしてなお眠ろうとする千影に迅雷はアイアンクローをかけた。
「マットレスの時点でかっこよくないことに気づけ!つか質問に答えろや」
「いででででで!ぎ、ギブギブっ!?」
さすがに頭蓋骨が悲鳴を上げたので千影は迅雷の手を叩いてやめさせる。涙目で頭を抑えながら迅雷の上に乗ったままで姿勢を正して座り直した。
「いやね?ナオと寝るのも悪くはなかったんだけど、やっぱりとっしーのベッドの方がふかふかで寝心地が良かったんだもん。それでね?夜中に目が覚めたからこっちに来てみたらとっしーが大の字で寝てるんだもん。それで仕方ないからとっしーの上で寝てみたらこれが案外・・・」
「解せぬ」
あまりにも理不尽な理由で迅雷はベッド代わりにされていたらしい。まぁしかし、迅雷もなんだかんだで今日はゆっくりと熟睡できたのでこれ以上文句を言うつもりもなかった。千影を下ろして迅雷は今度こそ起き上がって、時計を見る。2本の針は朝の7時を指している。起きる時間としても丁度いいくらいである。部屋を出て、直華を起こしつつ1階に降りた。トーストの匂いと卵の焼ける音がする。真名が朝食を作ってくれているらしい。
●
ちょっとしてから直華と千影も降りてきて、一緒に朝食を摂る。こうして朝から一緒に食卓を囲んでいるとなんだか、あたかも千影は最初からここにいたのではないかとさえ思えてくる。その程度には千影は神代家に馴染んでいた。
「やっぱ心配するだけ損なのかもな」
テレビを見ながらパンにジャムを塗り、案の定失敗して指に付いてしまったジャムを口で舐め取っている千影を見ながら迅雷はぽつりとこぼした。なんとも平和な光景である。どこにも心配の種が見当たらない。
「どうかしたのお兄ちゃん?そんなに千影ちゃんのこと見て」
直華が幼女を見ながら安心したように微笑んでなにかを呟いた兄にジト目で尋ねた。まだ昨日のことを引きずっているのだろうか、それとも今朝方の逆寝取られから関係を疑っているのだろうか?迅雷的にはどちらも冤罪なのだが。直華の言葉に反応して千影が少しワルい顔になって迅雷に畳みかけた。
「むむ?ついにとっしーもボクの魅力に気が付いちゃったのかい?うんうん分かってる分かってる」
「な!?ちげーからな!」
心当たりの有る無しではなく、いきなり考えていたこととまったく違う話をされて迅雷は慌てて否定した。ちなみに心当たりの有る無しについては有るとも無いとも言っていない。
「あはは、なに焦ってんのお兄ちゃん!もしかして、もしかしちゃうの?」
「もしかしちゃってもいいんだよ?」
思いっきり笑い出す直華と千影。謀られた。特に千影の笑い方が頭に来る。ギャグマンガのキャラが人を馬鹿にして笑うあの笑い方そのものだ。
「こんの・・・!やめろ、からかってんじゃねぇ!ちっくしょー。別になんでもないっつーのに」
恥ずかしくなったので一気に残りを口にかき込んで迅雷は椅子から立った。2人の頭をワシャワシャ撫で回してから学校の支度にかかるためにテーブルを離れた。
迅雷が昨晩考えていた、千影にしてやれることはなんとなく分かったような気がした。結局、自己満足な考えではあるが、迅雷にはこの平凡な日常を彼女と一緒に過ごしていくだけでも大事なことなのではないかと思えた。千影が一体どこから来ていようが、何を経験してきていようが、その小さな体に何を宿していようが、自分より遙かに強かろうが、それでも彼女の歳相応に屈託ないあの笑顔を『守って』やることくらいなら、きっと迅雷にもできることだろうから。
元話 episode1 sect20 ”眠れないときってとことん眠れない” (2016/6/4)
episode1 sect21 ”必要なのは気の利いた妹” (2016/6/5)
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