episode4 sect4 ”悔い残らないように―――”
学校に行ってみれば鼻の怪我をみなに笑われて、迅雷はさっそく肩を落としていた。
しかし、練習が始まっても落ち込んでいるわけにはいかないので、これくらい気にすることではないと自己暗示して気を取り直す。
ただ、今日の練習内容はいつもと少しだけ違った。戦闘演習がメインなのは一緒なのだが、より激しい戦闘状況を再現しようということで、アリーナを使って1対3や2対2、果ては4対4の対戦を行っていくというものだ。
反応速度の向上を目指し、なおかつ団体戦出場メンバーは同時に複数を相手取るというシチュエーションそものもが良い訓練になるという言い分だったが、全国大会6日前だというのにハード過ぎる内容には全員が口の端を引きつらせていたのは言うまでもない。
そもそも「反応速度の向上」自体、一朝一夕で実現できるようなものではないのだ。
3年生で個人戦に出場する選手の1人である神谷七科がボソリと「実は適当に戦闘慣れさせているだけであまり考えてメニューを組んでいないのではないだろうな?」と呟くと、教師陣は揃って口笛を吹き始めた。恐らく彼らも分かっているのだ。
だって、よく考えれば県大会から全国大会までの練習期間は2週間すらないのだし。しかも会場への移動がバスなので、正味の練習期間はその移動分の1日を差し引いてさらに短くなり、そして普通に考えれば遅くとも試合3日前くらいからは調整期間だ。
まさかマンガに出てくるような数日で真の力を解放するような奇想天外摩訶不思議な修行法があるわけでもなし。指導する教員も現状維持しつつ、生徒たちの技能をどれだけ伸ばせるか苦心しているのだった。
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午後5時を過ぎて大乱戦で大連戦な練習から開放された16人の生徒たちは、談笑したりとかで学校に残ったりもせず、みな一斉に各々の家に帰るべく校門を出た。はびこる疲労感のせいで誰も彼もが口数をめっきりと減らし、誰一人として「さよなら」も言わないくらいだ。
異様な光景だが、これもなるべくしてなった結果だろう。昼食等で多少の休憩時間こそあれど、実質8時間ほど戦いっぱなしだったのだから、魔力の使いすぎである。改めて考えると効率的な立ち回りの練習だったのかもしれない―――とさえ思えてくる。
「・・・だとしても疲れたよ」
「おやおや、随分とへばってるね、カシラ」
眠気で目も半分以上開けていられなくなった迅雷をネビアがからかう。
「そういうネビアはなんでそんなに元気なんだよ、チートか貴様」
「長期戦になるなら魔力を使わなけりゃ良いのよ、カシラ。まだまだ君も戦いのセオリーというものを知らんようだのう、カシラ。ふぉっふぉっふぉ」
「あの乱戦を魔法なしでかいくぐんなよ、スーパーマンかお前は」
「それを言うならスーパーウーマンね、カシラ」
「揚げ足とんな」
ところで、なぜネビアが家の方角が全然違うはずの迅雷と一緒に帰っているのかと言うと、迅雷の帰宅ルートから少しズレたところにある商店街に行きたいからだそうだ。
そうして歩き、目的地も近くになってきた辺りで道が分かれる真牙がぐんにゃりと手を振って真っ直ぐ帰ってしまったので、今は迅雷とネビアの2人である。
「あ、そうだ。せっかくだし迅雷も商店街、寄ってかない?カシラ。買い食いしようゼ、カシラ」
「え・・・俺もうヘトヘトで帰りたいんですが・・・」
「えー、せっかく放課後デートに誘ってんのにつれないなぁ、カシラ。あーあ、もしもモンスター出てきたら恐いなー、助けて欲しーなー、カシラ」
ちょっと拗ねた風に唇を尖らせながらネビアはそんなことを言う。完全におちょくられている迅雷は肩を落とした。この間街で集まったときもそうだったし、ネビアがモンスターに襲われることになんの危険性があるのだろうか。
しかし、そう言われてしまうと弱い。
「くぅ・・・分かりましたよ、ちくしょう」
「ホント?やったー、カシラ」
商店街に着いてぶらぶらと歩き、そういえばネビアはなにを買いに来たのかと思い、迅雷がそれを尋ねるとなぜかネビアは首を横に振った。
「いや、特にはなにも?カシラ。ちょっとこの辺のお店覗いてみようかなあ、と、カシラ」
「なんじゃそりゃ」
「だーかーらー、ちょっとぷらーっとさぁ、カシラ」
「なるほど、つまり俺はやっぱり帰るのである」
「あ!?ねぇ待って!カシラ!ヤダヤダヤダ、やーだー!なんでここまで来て平気で帰ろうとすんのよ!カシラ!」
「ええい、やかましい!」
妙に強い力で腕にしがみつかれて迅雷はその場から一歩も動けない。小学生かそれ以下みたいな駄々のごね方をするネビアの顔を手で押し退けながら迅雷は怒鳴り返したが、彼女も引き下がるつもりはないようだ。
「ねぇ、なに!?不満?カシラ。女の子が特に買い物をしなくたってお店を覗いて回るのなんてフツーでしょ!?カシラ!」
「そうかもしんないけどさぁ、なら別に今日じゃなくてもさぁ・・・。例えば全国大会終わって時間あるときとかでも良いと思うんですが」
「・・・それじゃダメなの、カシラ」
迅雷が言ったことのなにが悪かったのか、急にネビアが寂しそうな顔をした。全然想像していなかった反応をされて慌てる迅雷を見て、ネビアはすぐに表情を元に戻した。
「おっといけないいけない、カシラ。んーと、そう、アレよ!カシラ!今日この日この場所で君と散歩したかっただけ、カシラ。だから帰らないで欲しいな―――、カシラ」
・・・と言って、ネビアは口元に手を当てて上目遣いをしてみた。
彼女の悪意半分な取り繕い方には、ものの見事に迅雷の顔が赤くなっていくので面白い。
面白いついでにネビアは立ち止まってジッと迅雷の目を見つめてみた。
「え、え、なにこの状況!?誤解しちゃっても良いんでしょうか?」
「いいんじゃない?カシラ。まぁ、半分はからかっただけなんだけどね、カシラ」
「ですよねー・・・って、あれ?半分?ねぇ今半分って言った?ねぇ、言った?ねぇってば、ネビアさーん、おーい」
今度は前を歩き始めたネビアを追いかけて迅雷は早歩きになる。
「しつこいわねぇ、カシラ。あ、ねね、それより迅雷、なんか美味しいものない?カシラ」
辺りにあるケーキ屋とか精肉店とか、どこか昔懐かしい駄菓子屋とか、雑多な店の群れを見渡すネビアは興味津々な子供のように見える。
うまいことはぐらかされた迅雷は不満に思って頭を掻いた。
「そうだなぁ、一応俺はあそこの肉屋さんのメンチカツが好きなんだけど・・・。いやでも待て考え直せ神代迅雷、女子と一緒ならケーキ屋でシュークリームとかの方が良いのか・・・!?く、くそ、分からん・・・!」
急になにを意識し始めたのか無駄に頭をフル回転させる迅雷をネビアは笑い飛ばした。
「そんな変に意識しなくても良いのに、カシラ。なんかこっちまで照れ臭くなるんだけど、カシラ」
「つってもなぁ・・・。あぁ、でもそういえばネビアって甘いもの好きだったよな?」
「うん、大好き、カシラ。糖分は私の食生活に唯一存在するオアシスなのです、カシラ」
ドヤ顔のネビアに「普段の食事はどんだけ荒んでいるんだ」と迅雷は心の中だけでツッコミを入れつつ、それならと思って彼は洋菓子店に入ってみた。
しかし、もちろんのことながら迅雷もあまりこういう可愛らしい内装の店に入ることはそうそうない。いざ入ってみるとファンシーな店の雰囲気で急に落ち着かなくなってきた。思えばなんで慈音や直華ともこういったところに来なかったのだろうと不思議になる。
でもネビアも一緒なら変でもないはず、と思って後ろを振り返ると。
「・・・・・・・・・・・・」
「あの、ネビアさん?」
「―――へ?ア、アー、ドウシタノカナー?カシラ」
「どうかしたのはネビアだろ。めっちゃ目泳いでんぞ・・・」
「い、いやー、実は私こういうお店慣れてないもんで、カシラ。つか私今まで碌にショッピングとか食べ歩きさせてもらったこともないし、カシラ」
「そのキャラで箱入り娘かよ!?」
「う、うっさい、バカ!カシラ!」
ウブなカップルに見えるのか、カウンターに立っている店員さんやショーケースを覗き込んでケーキを吟味していた主婦たちがワーキャーと騒ぐ2人を見て温かく微笑んでいる。
「お客様、ご注文はなににします?オススメは『ひとくちクリームシュー』ですよ?ちょっとオマケしますから、ぜひ甘い思い出に」
「からかわれた!今店員さんにまでからかわれたんですケド!?カシラ!」
この商店街の良いところはどこの店もアットホームな雰囲気があるところ。
迅雷はとりあえずオススメされた『ひとくちクリームシュー』を2人分で10個ほど買い、恥ずかしさでわななくネビアの手を引いて洋菓子店を出た。
「良い訓練になったな・・・」
「そだね、カシラ。まぁ、これも思い出作りとしては甘くてよろしい、カシラ。あむっ」
シュークリームを1つ口の中に放り込んで、ネビアは満足そうに頬に手を当てた。
「んー、甘ーい、カシラ。値段もお手頃だったし最高ね、カシラ」
「はは、まぁそれなら良かったよ」
迅雷もシュークリームを食べて、2人はまた歩き出す。
しかし、よほどこのシュークリームが気に入ったのか、ネビアがかなりの勢いで5個を平らげてしまった。
袋の中に3つ残った迅雷の分をチラチラと見ているネビアが可笑しくて、迅雷は苦笑した。
「食って良いよ、別に。・・・あ、やっぱ1個は俺の分な」
「え、いいの?カシラ。なんというイケメン対応・・・!ごちそうさまでーす、カシラ」
以前はアメ玉作戦で矢生に怒られたりもしたけれど、迅雷はこんなことで喜んでいるネビアなら怒ってもアメ玉1個を渡しておけば気を鎮めてくれそうだな、と思ってしまう。やっぱりアメ玉、ないしお菓子は最強なのだろう。
口元にクリームをつけているネビアをからかって、迅雷はティッシュを渡してやる。疲れた疲れたとは言っていたけれど、なんにせよ、彼女がこんなに楽しんでくれているなら隣にいても悪い気はしなかった。
大袈裟なくらい幸せそうに笑っているネビアの顔を見ているとくすぐったくなって、迅雷はそれとなく空に目を向けていた。
と、迅雷がどこか達観したような目で雲を眺めていると、急に袖を引かれた。
「ねぇ、せっかくだしメンチカツも食べてみたいんだけど、カシラ。もちろん迅雷の奢りで、カシラ」
「急に厚かましいな・・・。メンチカツっていうと―――」
迅雷は例の精肉店がある方を振り返った。食べ歩きながら通り過ぎたので、店は少し戻ったところの横断歩道を渡って後ろ向こう側だ。
けれど、せっかくネビアがこんなに楽しそうに笑っているのだ。仕方なさそうに小さく息を吐いて、迅雷は踵を返した。疲れて足は重いが、1軒回ればあとは2軒回ったって3軒回ったって、同じだ。
それに、こうしてネビアと2人でいろんな店を回るのも新鮮で楽しい。なんだか貴重な時間に思えた。もちろん迅雷だってそんなことを素直に言ったりはしないけれど。
「しゃーないなぁ。んじゃ、行くか」