episode4 sect1 ”始まるラストスパート”
潮の匂い、波の音、椰子の木。青い空、白い雲、行き交う飛行機。そこら中を人々がせわしなく歩き回っている。中には小さな子供もいるようだった。
さすがは太平洋のど真ん中に浮かぶ絶海の孤島だけあって、素晴らしい眺望である。残念なことがあるとすれば、白い砂浜がないというところか。まぁそれも人工島の運命だし、そもそもここの理念からして、そういう観光資源の需要自体がないのだから仕方ない。
空港の大きな大きな窓に張り付いて、小さな小さな千影は目を輝かせていた。
「うわー!いい景色だなー!そうだ、写真撮ってとっしーにでも送ってあげようかなぁ!」
―――と、広い空港の中で子供がたった1人でウロウロしているので、それを気にしたらしいジェントルマンがやって来た。
「もし、お嬢さん。もしかして、迷子かな?」
スマホで上を下をと写真を撮りまくっているところで不意に背後から話しかけられた千影は少し驚いて振り向いた。
そこにはニコニコと笑っている、ぱりっと糊の利いた高級そうなスーツの男がいて、千影に視線を合わせるように屈んでくれていた。
「えっと、それってボクのこと?」
「ああ、そうだよ?お嬢さん」
ひとまず日本語が通じることでひと安心しつつ、千影はその次に「お嬢さん」と呼ばれて面白い気分になった。普段は女性として扱われることすら稀な千影にとっては「お嬢さん」なんていうのはむず痒い表現である。
「えへへ、ボク、お嬢さんに見える?」
「うん?あ、もしかして・・・!?ご、ごめんね、男の子だったのかな・・・?これは失礼した」
「ガクッ!ちょっと、ボクは正真正銘女の子だよ!一人称が『ボク』なのはキャラだから!」
完全に質問の意図を勘違いされ、千影は大袈裟にずっこけた。本当は『お嬢さん』と言えるような良いところのお嬢様に見えるかどうかと聞いたのに。
千影がいろいろ俗っぽい言葉を連発するうちに優しそうな男の表情にも苦々しさが見えてきた。
周りをもう一度見れば、なるほど、子供も多いな・・・などと思っていたが、そういうことだったらしい。
どの子もなにかと立派な―――さぞかし良いお値段だったろう洋服に身を包み、連れ立つ大人も金の臭いがプンプンとする連中ばかりだ。もちろん、目の前のジェントルマンもそのうちの1人であることは言うまでもない。
「えぇと、じゃあお嬢さん。君のお父さんかお母さんは今どこにいるか分かるかな?」
「あっはは・・・、ゴメンね。ボクそっちじゃなくって。ほら、これ」
千影はそう言って肩にかけたスポーツバックのポケットから1枚のカードを出した。
すると、それを見た瞬間に男の表情からは笑いが消えて、代わりに軽めの嫌悪感を見せてきた。素直でよろしいことだと千影は苦笑する。予想通りと言えばそうなので、元ジェントルマンの男がどんな顔をしようが千影の気にすることではないのだが。
「実験があるから被験者やってってさ」
「あー・・・そうか。分かったよ。すまなかったね、急に。じゃ私はこれで失礼するよ」
口ばかり紳士なまま、唾でも吐くような溜息をして男は足早に立ち去っていくけれど、千影はそれを見送ることをせず、今し方見せた黒いライセンスカードを財布にしまい直した。
これの意味が分かったということは、やはりあの男もそれなりに大きな企業や研究施設の社長とか幹部とか、とかく上層部のなにかだったのだろう。金の流れが可視化されたかのようだ。
さて、改めよう。ここは太平洋のど真ん中、日付変更線上に作られた世界で最も早く夜明けを迎える人工島、海上学術研究都市『ノア』だ。
そして、千影はあらゆる研究分野の最先端が集うこの『ノア』で連日連夜行われる数多の実験の1つの被験者として指名され、やって来た。
だから、千影はそこらで口元に手を当てて上品に笑う大企業の社長令嬢らとは違う。大方施設の見学に連れてきてもらった子らだ。なにが分かったんだ、と聞いてやりたいが。
皮肉はともかく、きっとさっきの男もそういったことを意識して話しかけてきただろう。証拠に、千影の立場を知った途端あの素っ気ない態度だ。利益にならないと分かったらどうでも良いらしい。
恐らく、顔をしかめた理由はそれとはまた違うのだろうけれど。
とりあえず千影は飛行場の屋外に出てバスプールに向かう。ひとまず研究所より先にホテルに行って荷物を降ろしたいところだ。
「さーて、と・・・何回来ても慣れないなー」
目的地に行けるバス停を見つけて並ぶと、他に並んでいる大人たちが変な目で見てくる。それもそのはずだ。『ノア』は子供の来る場所ではないし、1人ならなおさら変だろう。
バスが来て、千影は普通に乗り込んだ。『ノア』の素晴らしいところは、通貨は基本的にドルで統一されているものの、実際の支払いは全て専用の非接触式ICカードのワンタッチで済ませられることにある。『ノア』のデータバンク上にIDを登録されたライセンスカードや研究所のメンバーカード等のカードを使えば、後は口座からの引き落としとなる。
麗らかな日差しにウトウトしながらもなんとか目的地まで意識を保って、ぽわわんとしながらバスから降りる。
「ホテルはここで良かったんだよね。えーっと、502号室・・・だね」
部屋の方は千影を呼んだ研究所の方が先に手を回しておいてくれたので、千影は部屋番号とちょっとした英文の書かれたメモを見ながらホテルに入った。フロントでなんと言うかをまとめたものだ。
ガイドでもなんでも良いから英語の話せる同伴者がいれば楽なものを、千影の扱いが雑すぎる。
フロントで受付のお姉さんが果たしてなにを言っているのかサッパリ分からないのであたふたしながら、千影はとりあえずメモを見せて部屋の鍵を入手することに成功した。
「ここだっておっきなホテルなんだから日本語分かる人くらいいないのかなぁ・・・。日本語勉強するのって魔法士だけ?」
文句をブツブツ言いながら千影はエレベーターに乗る。しかしながら、千影も言い分もこの世界では同意する人は多いかもしれない。
日本は高濃度魔力地帯が2つもあって、それに伴い魔法科専門高等学校が2つある。したがって、優秀な魔法使いをたくさん世界に輩出している魔法大国でもあるから、IAMOの高ランクライセンサーなんかはよく日本語を勉強している。
そして魔法学研究に関しても同様で、東大の魔法学研究科や各魔法科大学を初めとした多くの大学の研究機関から企業の研究チームまで、二本は世界でも五指に入る魔法学の技術がある。もちろん、この『ノア』で行われる研究にもそれなりな人数が参加しているくらいだ。
とどのつまり、今や日本語もそこそこに学ぶ価値のある言語になっていたりするのだ。
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6月1日、午後1時半。マンティオ学園は既に放課していたのだが、校庭には16人の生徒が集められていた。
そんな生徒たちは、つまるところ『高総戦』の全国大会に出場する選手たち(補欠も含む)である。そして彼らの前に立つのは、マンティオ学園の教師陣の中でも特に魔法士として優秀な4人だ。1人は生徒指導部長でランク5のライセンサーでもある西郷大志、もう1人は若手ながら先日ランク4に昇格し、学生のときには『高総戦』で入賞した経験もあるという志田真波。3人目はベテランのランク5である清田一、そして4人目は今日から放課後の強化練習会にコーチとして参加する―――。
「え、桐﨑先生って実はすごい人だったんですか・・・?」
「おい阿本、あんまナメた口利いてると真っ二つにしちゃうぞ」
新学期の2日目で真牙に剣術で完敗したランク4の桐﨑剣だった。いや、だって本当は彼だって魔法アリならとってもお強いのである。
「それでは、強化練習会の3日目を始めよう。まずはアップ!グラウンド10周!」
大志が声を張ると、「はい!」と「えー・・・」が入り乱れた。
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「くっそー、グラウンド10周とか平成人のやることじゃねーよ」
「真牙の平成人の概念は分かんねえけど、これはたるいよなぁ・・・。なんつーか、無駄に疲れるし」
迅雷と真牙が無駄口を叩いていると、後ろから軽快な足音が追い上げてきた。2人はその足音の主である、お団子付きポニーテールと浮き立つ色のヘアピンが新鮮な深青色の髪と、それから健康そうな小麦色の肌の少女を振り返る。いや、今日からは超絶美少女だったか。
「男の子がそんなこと言っててどうすんのよ、カシラ。情けなーい、カシラ」
「ネビアは元気過ぎだろ。もう周回差だぞ」
「にゃっははは!髪型も変わった新生ネビアちゃんは調子がよろしくってよ!カシラ!」
言うなり楽しげに笑いながらネビアは「バビューン」という擬音が聞こえそうな勢いで走り去ってしまった。まさかこのペースのまま10周するつもりなのか、と考えて迅雷も真牙も顔を青くした。あれは調子が良いとか悪いとかの問題というより、ネビアの身体能力が常軌を逸しているのではないだろうか。
「しっかしネビアちゃん、さらに可愛くなったなぁ」
真牙がしみじみとそんなことを言う。
昨日までのネビアは明るく振る舞っていてもどこか外見に陰気さが見えるようだったのだが、前髪を少し横に分けただけでだいぶ明るくなったものだ。
これならワンチャン雪姫の人気を横から奪うかもしれない。いや、2人のキャラからしてジャンルが違うから分からないが。
・・・と、迅雷まで物思いに耽り始めたところで、またスタートラインに戻ってきた。これで3周目が終わったが、あと7周もあると考えると嫌気が差してくる。
「・・・ん?あれって小泉さんじゃね?」
「あ、本当だ・・・・・・って!倒れたぞ今!?」
周回差で迅雷と真牙の2人は1年8組の小泉知子に追いついたのだが、そんな2人の前で不意に知子が倒れた。それもフラっと力なく倒れたものだから、これはマズいと感じて迅雷は急ぎ駆け寄った。
「ちょ、大丈夫か小泉さん!?」
「あばっ、あばばばば・・・」
抱き起こされた知子は今にも死にそうである。体から出る湯気でチャームポイントの眼鏡も曇ってしまっていた。
「真牙、とりあえず水!俺は日陰に連れて行くから!頼んだぞ!」
「あぁ。分かった!ちょい待ってろ!」
走り去る真牙と別れて、迅雷は知子を肩に担ぎ上げた。ここでお姫様だっこをするほど迅雷に主人公補正はかかっていない。駆け足に近くの木陰へ移動して、土の上に知子を直接寝かせて頭に土をつけるのも気が引けたので、自分のジャージの上着を敷いてからその上に寝かせた。
「うぅ・・・す、すみません神代君・・・ぐふっ」
「い、いや良いって・・・。さすがに倒れられたら放っておけないでしょ。―――で、一応聞くけど大丈夫?」
「だいじょ・・・がふっ、ですよ・・・、あはは。わた、ごほっ、私ちょっと普段から運動しなさすぎなもので・・・」
―――死にそうだよね?
加えてそろそろ気温も高くなってくる時期なので、慢性的な運動不足と暑さのダブルパンチをもろに受けたらしい。大丈夫だという時点で知子は全く大丈夫ではない様子である。
そもそも『エグゾー』に乗って移動する彼女に今から体力作りをさせる意味があるのかは分からないので、今知子が倒れているのも可哀想な結果にしか見えない。
とはいえ、確かに知子本人が十分に動ければ勝率は少しくらい上がるのを考えれば妥当でもある。
無茶もあるが、マンティオ学園の『高総戦』全国大会へ向けたラストスパートは始まっているのだ。
例にもよって主要登場人物紹介。
神代迅雷:主人公。異常性癖。剣が得意
千影 :金髪幼女。ぅゎょぅι”ょっょぃ
天田雪姫:クールビューティ。チート強い
阿本真牙:迅雷のライバル。女子さえいればOK
志田真波:迅雷や真牙、雪姫の担任。割と頼れる
ネビア・アネガメント:転校生。明るく無邪気に振る舞うが、しかし未だに怪しさが残るキーパーソン。その実情はよろしくなさげなグループの一員・・・なのはここまで読んでくださった読者の皆さんなら分かるはず
聖護院矢生:いろいろ不運が重なりつつも実力で『高総戦』全国大会に団体戦での出場を掴む。
柊明日葉:マンティオ学園の風紀委員長の3年生。ただし不良少女で口より先に手が出る。生徒会長の萌生とは仲が良い。
清水蓮太朗:マンティオ学園の生徒会副会長。今回は会長より出番がある。やったね。ちなみに萌生に好意を寄せ(崇拝に近いが)ていたり、煌熾とは永遠に(勝てない)ライバルだったり
四川武仁:なぜか団体戦の補欠に選ばれたマンティオ学園の1年生。『二個持ち』であり、その実力自体は確かに評価できるのだが・・・
新キャラ・・・は良いか。その他大勢が顔を出します。