episode1 sect7 ”Concerns”
昼寝を始めてから少しして、玄関のドアが開く音がしてようやくうとうとしてきた迅雷は目が覚めた。いや、正確には眠ってはいなかったのだから、目を開けたと言った方がが正しいか。
「ただいまー。あれ、お兄ちゃん帰ってるの?まぁいっか。安歌音ちゃん、咲乎ちゃん、上がって上がって」
直華が友達を連れて帰ってきたようだ。直華の声に続いて2人分の「お邪魔します」が聞こえる。最近の女の子の間では迅雷の睡眠妨害をするのが流行っているのだろうか。しかし、仕方ないので迅雷は急なお客さんではあるがジュースとお菓子でも用意しようと思って起き上がろうとして、・・・?起きようと・・・。
千影が寝ながら迅雷の体をがっちりホールドしていてうまく動けない。
「・・・むー」
「こいつ実は起きてんじゃねえのか?」
そのまま直華がリビングに入ってきた。
「ただいまお兄ちゃん・・・・・・変なこと考えてなかったよね?」
「なんで千影と昼寝してるだけでそんなこと言われなきゃならないんだよ」
リビングの隣の和室にいる迅雷と千影を見て直華が訝しむような顔になる。そりゃ高校生が血縁関係にない小学生(実際は小学校に通っていないから厳密には小学生ではないが)と密着しながら昼寝をしていたら怪しいが。
しかし昨日もおとといも迅雷が不本意ながら千影と一緒に寝ていたのを知っているはずだろう。これ以上文句を言ったってなんにもならない。迅雷は話題を変える。
「ナオの友達も来てるんだろ?今ジュースとか出すから入れてやんな」
「え、いいの?ありがとう。じゃあ2人とも、入って入って」
まだ寝ている千影を起こさないようにそろーりと掴む手を外して迅雷は起き上がり、直華のクラスメイトだという2人に軽く挨拶をしてキッチンに向かう。しかし冷蔵庫を開けてみるとジュースもお茶もない。戸棚を見ても紅茶とかのティーバッグとかは残っていなかった。
「ん、お茶もジュースも切らしてるな。2人ともコーヒーとか飲める?ナオは、・・・無理だったよな」
「あ、私ちょっと苦手です・・・」
咲乎と呼ばれていた子の方はコーヒーは苦手だったようだ。1人だけに飲み物を出すのもアレだったので、
「しゃーない。じゃあみんな水で我慢しとけ」
「え!?ちょ、おにいちゃん!?」
真顔で放り出した兄に驚愕する妹であったが。
「冗談に決まってんだろ。ちょっくらスーパー行ってくるから待ってろ」
迅雷だってそこまでクズではない。生まれたときから自分のことを見てきたはずの直華に本気で返されたことに、実はそんなことをするのもあり得るんじゃないかと思われていたのかと思い、迅雷は内心少しだけ傷付いた。
迅雷がわざわざスーパーに行こうとし始めたので、安歌音という子がそれを聞いて焦ったように声をかけてきた。
「わ、悪いですってわざわざそんな!水でお願いします!」
安歌音ちゃん、ええ子や。千影あたりにもこの謙虚さを見習って欲しいものである。
「いいって。元々おやつにポテチでも買いに行こうかと思ってたところだしさ。ちょうどいいからついでってことでいいだろ?あんま遠慮なんかしなくて大丈夫だから」
そう言うと安歌音も納得してくれたようだ。「じゃあお願いします」と言ってぺこりとお辞儀をした。ほんまええ子や。
しゃべっていると和室の方で物音がした。千影が目を覚ましたのだろうか。
「んー、ふわぁ。あれ、とっしーどこか行くの?ボクもいくー」
よく懐かれたものだ。千影を起こしてしまったので少し悪いことをしたかなとも思った迅雷だったが、1人で出かけるのもつまらなかったので一緒に行くことにした。
●
「・・・・・・おかしい」
たしか迅雷たちは妹たちの分のお菓子やジュース+αを買いに来ていたはずだ。
「どうかしたの、とっしー?」
様子のおかしい迅雷に千影が不思議そうに尋ねる。対する迅雷はというと。
「どうかしてんのは千影だろ!どうしてこんなに+αが多いんだよ!?」
適当に食べたいお菓子を取ってきていいとは言ったが、このガキはカゴ2つ分ものお菓子の山をこしらえて戻ってきた。
「えー。今までこんな風に自分で選んで好きなお菓子買ったことあんまり無かったし・・・」
なぜかいやに悲しそうな顔をする千影。ちょっとばかり変わった環境で過ごしたと言っていたが、これもそこに起因するのだろうか。
「はぁ。しゃーない、今日だけだぞ、大サービスだからな」
「ホント!?やったー、ありがとうとっしー!」
いろいろ考えて少しいたたまれなくなったので、迅雷は今日だけ許してやることにしてレジに向かう。腕に抱きつかれてしまうとなかなか照れくさい。・・・が、
「お会計は2138円になります」
「・・・・・・」
「・・・お客様?」
「・・・2000円しか持ってきてないんスけど」
「・・・・・・」
おっと、これはマズイ。無言が重い。商品を返しに行くのもかなり恥ずかしい。レジのおばちゃんも困っている。こうなったら。
「えーっと、ま
「まけませんよ」
「はい」
詰んだ!いや、ダメだ、なにか他に手は・・・?一回カゴごと預けて金を取りに戻る?いや、商品を棚に戻しに行くより恥ずかしい。却下。・・・あ、そうだ。
「千影、今お前138円持ってるか?」
こうなったら一か八かである。格好が付かないが払えないよりかはましなので迅雷はレジの脇にあるガムとか飴を吟味している千影に話しかけた。
「138円?あるけど、もしかして足りなかったの?・・・プッ」
「テメェ誰のせいで予算オーバーしたのか張り倒して教えてやろうか?」
そもそも千影の無茶を許してやった結果こうなっているのだ。スーパーでお菓子だけで2000円の買い物をするなんて誰が予想している?そうだ、改めて考えればそうじゃないか。焦って忘れていた。少しくらい金を出してもらったってなんの問題も無いではないか。つーか払え。
「押し倒して、ならポイントが高かったねー。んーと138円・・・」
財布を漁りながらいちいち余計なことばかり言う生意気な少女を本当に押し倒してやろうかと煮えくり返る気持ちを理性で抑える。お金を貸してもらうのだ。少しは我慢も大事なはず・・・。
「おい」
迅雷がキレ気味にまた千影に話しかける。
「ん?今度はなに?」
「お前今何円持ってんだ?」
「んーと、一万ちょっと?」
・・・・・・。なめてんのかこいつ。
迅雷はレジの方に向き直って、
「すみません、このカゴ2つはこいつが払います。ホントすいませんでした」
「あ!?お菓子代払ってくれる優しいお兄ちゃんだと思ってたのに!」
千影が本気で信じられないとでも言うかのように大声を出した。近くの客がこちらを見てクスクス笑っているのが目に入り迅雷は結局恥ずかしい気持ちになる。神様なんてのがいるのだとしたら今日は羞恥プレイが過ぎるのではないだろうか。いい加減に頭の中でプッツンという音の聞こえた迅雷は半笑い半おこになって怒鳴った。
「お前がお兄ちゃんって呼ぶな!最初はそのつもりだったわ!少し反省しろ!」
新しくできたうるさい妹に余計なカゴ2つを押しつけて迅雷は会計を済ませたのだった。
●
千影のことを子供だと思ってナメていた。千影はこう見えてもライセンス持ちだ。ライセンスを持っていると、ランク2以上なら、謝礼金、まぁ給料みたいなものが国から支給される。市民を守る義務の対価といったところだ。とどのつまり、この10歳の少女にはすでに収入がある。
「あー、俺も早くライセンス取りてー。なにが悲しくてこんなちんちくりんよりも懐が寂しくなきゃならないんだよ」
先ほどのスーパーでの会計の時に思い知った彼我の解せない経済格差に迅雷は愚痴をこぼす。
「ボクに愚痴られてもなぁ」
確かにそうだ。確かにどうしようもないのだが、釈然としないのも同じなのだ。普通高1なりたてなんて無収入な方が一般的なのに、比較対象が特殊すぎて格好がつかないように見えてしまう。収入に限らず、恐らく腕力に関しても今の迅雷では千影の足下にも及ばないことだろう。
「あーあ、マジで釈然としないなぁ・・・」
もう一度溜息交じりに愚痴ったが、千影の返事がない。
「千影?」
「・・・・・・とっしー、気をつけて」
今の今までケラケラ笑っていたのに、突然に千影が神経を張り詰めた様子になった。迅雷は千影の言ったことの意味が理解できなかった。
「あん?なんだよ、突然・・・・・・」
「来るよ」
何が?と言う前に、千影の持っていた携帯がアラートを発した。このアラート音は耳に憶えがある。ライセンサーがインストールさせられるIAMOの魔法士向けアプリの警告音だ。迅雷は千影の言葉の答えを理解した。
「モンスターか!?」
空間に靄がかかる。魔力の干渉で位相の境界面が曖昧になっている状態だ。その揺らぎの様子からして、見たところあまり強力な個体が出現する気配はないが、明らかに状況の規模が大きい。迅雷が周囲を見渡すとすでに何人かの人が警戒を強め、魔法の準備を始めたり、近くの人を避難を促したりしている。恐らくライセンサーの人たちだろう。迅雷たちの方にもそれらしき女性が近づいてくる。
「君たちも早く避難して!そこが私の家だから、入って!」
「え、あっでも・・・!」
迅雷は千影の方を見る。彼女はどうするのだろうか。
「じゃあ、こっちのだけ避難させてあげて?ほら、ボクもこれ持ってるし」
千影が避難の誘導をしに来た女性に例の黒いライセンスを見せる。しかし、女性は怪訝な顔をした。それもそのはずだった。
「え、でもあなた見るからに小学生じゃないの。それに、そんな黒いライセンスなんて。おもちゃか何かでしょう?ほら、危ないから・・・・・・」
いよいよモンスターも現れ始め、迅雷の視界には戦闘を開始した魔法士の姿が入っている。それは女性も同じようで、いっそう焦りながら千影に避難をさせようと説得を試みようとしている。そんな彼女のすぐ横を何かが閃いた。
「きゃあぁ!?」
刹那の出来事に女性が驚き、悲鳴を上げた。一瞬遅れて裂かれた空気が風となって流れた。
ドシャッという音と共に、目も口もない、角の生えた犬のような生物が縦に真っ二つになった状態で地面に落ちた。
「よそ見は危ないよ?ほら、とっしーは脇に下がってて」
迅雷には辛うじてなにが起きたのか分かっていた。女性の背後から突然現れたモンスターに千影が即座に反応して斬り伏せたのだ。
「・・・・・・速過ぎる」
「どう、見直した?これでもボクは《神速》っていうイケてる二つ名があるんだよ?」
まぁ、今のは『カマセイヌ』って呼ばれてる雑魚なんだけどね、と言って千影は後ろを向いた。増援の魔法士が続々と来ているが千影の向いた方向にはまだ十分な人手が足りていない。
「じゃあ、ちょっと行ってくるよ」
そう言って千影はモンスターの大群に向かって飛び出した。もはや人間の動きとは思えないような、風属性魔法も交えた高速の立体機動で現れるモンスターを次々に葬っていく。ものの数十秒で千影の後ろ姿は遠く離れて行ってしまった。それからまたほんの少しだけ経って、女性が驚きの声を出した。
「いったい・・・なんなの?あの子は・・・。ここら一帯半径200mの範囲でモンスターが出現していたのにあの子の行った方角だけモンスターの反応が急速に無くなってる・・・!?」
携帯に映されたレーダーマップの急激な変化に、女性に限らずその場の多くの魔法士が驚きに思わず動きを止めそうにさえなっている。迅雷は隙を見せている女性を一喝する。動きを止めれば、もろに攻撃を受けかねない。
「気ぃ抜いてる場合じゃないですよ!まだ敵はいます!!」
「・・・!そ、そうね!君は早く家の中に・・・!?」
そうもいかないようだ。溢れ出した小型モンスターがすでに安全圏へのルートを塞ぐほどに群れている。本来なら今日は一回魔力切れを起こしている身なので避けるべきではあったのだが、こうなってはどうしようもない。迅雷は一度深く深呼吸して、魔力を出し始める。
「・・・もう遅いみたいなんで手伝います!『召喚』!」
さすがに響く。迅雷は剣を手に取り、千影の置いていった荷物と一緒に買い物袋を路傍に寄せてからモンスターの群れを向き直り、唾を飲んだ。どこまで保つかは分からないが、周りにはライセンサーが何人もいるし、この程度の小型モンスターであれば魔力を通さなくても刃は通るはずだ。きっとなんとか切り抜けられる。
●
千影はモンスターの群れに突っ込みながらも余裕だった。景色が飛ぶように後ろに流れ、敵は止まって見える。
「ふっ!」
逆手に構えた抜刀術で豆腐のようにモンスターの首を落とす。腰の後ろの鞘に抜いた剣を戻して、直後再び閃かせる。飾らない聖柄の細身な両刃刀はその有り余る速度をもって軽量そうな見た目にまったく似合わない凶悪な威力を発揮している。
斬った敵の体を空中で踏み台にして千影は次の敵に向かって跳躍する。宙で柔軟に体をひねらせて襲い来る攻撃を躱して、いなして、目標の命を確実に刈り取る。後ろから飛びかかってくるモンスターも振り向くことなく急所に剣の切っ先を突き立てて必殺していく。
猛烈な速さでモンスターの中を突っ切ったところ、気づいたらモンスター出現範囲の端まで来てしまったようだ。ここまで来る間にいたモンスターはあらかた狩り尽くしたはずだ。千影は剣を鞘に収め、息を吐いた。
「ふひー、働いた働いたー。うん、戻ろう」
一人納得したように頷いてから元来た道を振り返り、そして、
「いてっ!?」
振り向いた瞬間、倒しそびれたモンスターがいたようで、小型のモンスターが飛びかかってきた。さすがの千影も不意を突かれ、咄嗟に腕で頭を守ったが、腕に噛みつかれた。牙がTシャツを突き破って皮膚に食い込む。じわりじわりと鮮血が染み出してくるのが見えるのだが、当の千影にさしたる焦りはない。
「このっ、はーなーせっ!」
腕をぶんぶん振り回しても噛みついて離れないので仕方なく千影は噛みつかせたままモンスターの体を両断した。返り血がかかるが、すぐにモンスターの血も肉体も黒い粒子になって消えていった。
「あーあ、噛まれるなんて思わなかったなぁ。いてて、とっしーになんか言われないようにしないと」
今度こそ問題ないことを確認して、千影は来た道を引き返す。
●
炎や石礫、高圧水流が周りを飛び交っている。モンスター単体の強さはさほどでもないが数の利なのか、魔法士陣営はやや押され気味な状況にあった。まさに猫の手も借りたい状況というものだ。
「せやぁぁッ!」
迅雷はライセンスを持たないが、巻き込まれたうえに退路も断たれたため、否応なく応戦する羽目になっていた。他にも数人は同じような状況の一般人もいるようである。今は先ほど避難を促しに来てくれた女性とお互い背中を守るようにして戦っている。おかげでそこそこ戦うことが出来ていた。
「思った通り、魔力を使わなくても十分斬れる・・・。これなら!」
前方から同時に突進してきた2体の『カマセイヌ』とかいう角の生えた小型の犬のようなモンスターに逆に突っ込んで行き、切っ先をうなじのあたりから一気に腹に至るまで振り抜き、敵を切り裂く。さらに、勢いそのままに一回転し、剣を前に突き出しながら2体目の『カマセイヌ』に突撃し、串刺しにして倒す。さらに振り向きざまに横から来た敵をまとめて薙ぎ払う。眼前の敵を一掃して、一回呼吸を整えようとしたが、
「・・・ッ!?」
倒した敵が変化した黒い粒子の靄に遮られていた視界に正面から新たな敵が飛び込んできた。しかも二方向から。片方はなけなしの魔力を込めて手で抑えつけたが、もう一方は対処し切れずに迅雷はその突進をもろに食らう。この前の『羽ゴリラ』と比べれば大したことは無いのだが一撃を受けると、今は『羽ゴリラ』の時より遙かにマズイ。なぜなら。少しよろけた迅雷に5,6体のモンスターが襲いかかる。視界いっぱいにモンスターの牙なり角なりが飛び込んでくる。
迅雷が回避できないと分かり目を瞑った、そのとき。
「危ないっ!」
水流のカッターが迅雷の脇を通って曲線軌道を描きながら迅雷に襲いかかるモンスターの群れを吹き飛ばした。迅雷はその隙に体勢を整え、カッターをすり抜けてきたモンスターの攻撃をパリィする。敵が軌道を曲げられて動きを止めた隙に迅雷は急所(っぽい部位)を剣で貫き、なんとかピンチを脱することができた。
「すみません、助かりました!」
女性に礼を言いながら迅雷は次の敵に集中する。
「気にしないで?むしろ私たちの方がお礼を言いたいくらいよ。・・・こっちも余所見はできないかしら。『ウォーターカッター』!」
少しずつだが、形勢が逆転し始めてきた。未だモンスターの数はかなりだが、どうやら位相の歪みが回復したらしく、新しく出てくるモンスターが無くなったようだ。この状況の範囲の外縁部で戦っていた魔法士も次第に中心に集まってきて、モンスターの減りも加速度的に速くなってきている。いける、これなら押し切れる。
●
「これで!最後ォッ!」
後ろから飛びかかってきた敵を、身を引きながら斬りつけてから鬱憤も込めて軽く無理ない程度の威力で『サンダーアロー』をぶち込んでやった。別に最後の1体というわけではないが、迅雷が相手をするのはこの1体が最後だ。視界の端では本当の最後の1体が火に焼かれ、黒い粒子になってほどけた。
「はぁっ、はぁっ。くっそ、マジでなんなんだよ・・・ツラいってのこれは!」
迅雷はやっと一息ついて、アスファルトにへたり込み、溜まっていた不平不満を吐き出した。しかし改めて考えたらよく最後まで戦えたものだ。もしかしたら魔力量は増えていなくても実力は少しは上がったのかもしれない。
「お疲れ様。君、魔剣の扱い上手ね。助かったわ、ありがとう」
女性が労いの言葉をかけに来てくれた。迅雷も先ほど助けてくれたことも兼ねて改めて礼を言い直した。要所要所で彼女がいなかったら危なかった。なんとなく前衛後衛のバランスについても考えさせられたような気がした。少し会話したあと、迅雷は道の脇に寄せておいた荷物を回収しようと思い、荷物の前にしゃがみ込んだところでふと大事なことを思い出した。
「あれ、そういや千影どこ行ったんだ?まさか・・・!?」
千影がまだ戻ってきていないことに気が付き、迅雷は顔に嫌な汗が滲むのを感じた。彼女のことなので、単独でも問題ないと踏んでいた迅雷だったが、冷静になって考えれば、あれだけの数のモンスターに囲まれればいくら千影でも厳しかったはずだ。
「さ、探しに行かないと!」
「誰をだい?とっしー?」
「誰ってお前に決まってんだろ・・・・・・って、うおっ!?」
なんて考えたが、全くの無用な心配だったようだ。焦っているところに突然探そうとしていた当人に話しかけられたので迅雷は意表を突かれて思わず飛び退いた。
「ち、千影!?いつの間に!?」
「えー?ホントはとっしーが荷物取ろうとしゃがんだところで来てたんだけど、話しかけようとしたら突然慌て始めたから面白そうだからうまく背後に回ってたんだけど。それにしても、ふーん?けっこうボクのこと心配してくれるんだね」
人がせっかく心配してやっていたというのに、このクソガキはそれを分かってニマニマしている。
「でも、嬉しいよ。とっしーもお疲れ様!」
イラッとしたところでいきなり屈託無く微笑まれて迅雷は拍子抜けしてしまった。と、あることに気がついた。
「・・・!お前、腕のとこ服破れてるけどなんかあったのか!?」
明らかに噛みつかれたような跡が千影の服の袖には残っていた。赤色も確認できる。が、千影は、そういえば、みたいな顔をした。
「ううん?なんでもないよ、大丈夫」
「なんでもないってことないだろ!ちょっと見せてみろ!」
そう言って迅雷は彼女の腕を取り、袖をまくった。しかし。
「・・・?なにも、ない?」
彼女の腕には傷跡なんて全くなかった。それどころか今の今まで戦闘を行っていた人の腕とは思えないほどの柔肌だ。
「だから言ったでしょ、大丈夫って」
「千影って回復魔法とかも使えるのか?」
先ほどから心配を空回りさせ続けて迅雷はかなり気分を萎えさせながら質問する。恐らくあの跡からして攻撃を食らったのは間違いないだろう。それで傷が無いとすれば回復を自分で行える、と言うのが最適解であろう。
「?・・・あぁ、うん。まぁちょっとなら」
千影は一度不思議そうな顔をしてから、一拍おいて納得したように返事をした。しかしなぜ最初に変な顔をしたのだろうか。回復魔法という言葉を今初めて聞いたとかそんなところなのだろうか。確かに回復魔法を使える魔法士は前線にはあまりいないらしいので千影の今までの環境でその名称を聞いてこなかった可能性もある。そう考えて迅雷は一人納得した。
「さ、とっしー、帰ろ?」
「おう」
先ほどまでの騒動も、収まってしまえばなんともないものだ。規模は違えどモンスター出没などこの町ではさして珍しいことではないからかもしれない。さっき突進を受けたところがまだ少しヒリヒリするが迅雷も千影もなんということはなく家路に就いた。
●
「そういえばさ」
迅雷が歩きながら思いついたように口を開いた。
「1つ気になったんだけど、千影さっきアラートが鳴る前にモンスターの気配を感じてたよな?あれってどういうことだ?普通どんだけ感覚磨いても無理だって専門家とかも言ってるぞ?」
この少女ならこの程度の常識なんてまたまたひょいっと越えてしまいそうな気もしたが、とはいえ実際のところさっきの千影の反応は異常だった。勘が冴えていたと言われればそれで終わってしまうのだが。
迅雷はテレビで聞いた専門家の話の内容を思い返す。人間には出現前のモンスターの気配を察知することはできない。感知できるとして、ぎりぎりで同じ人間の、しかも同じ魔力色であったり近しい波長、または普段からよく感じている魔力などのかなり限定的な範囲に限られる。しかもこの感覚は極めて潜在意識的なもので意識的に感じるには高い感度が必要になってくるというのが通説である。
また、そもそも人間とモンスターでは必ずしもそうとは限らないが、基本的に魔力の”原色”と言える部分が違う。故に、相当巨大な魔力量、それこそ日本列島くらい一発で沈められそうな程の魔力量でもなければ、人はモンスターの魔力に感応しない。
だが、その質問に千影は、少し悩ましげに笑いながら、
「ボクには分かるんだよ、それでもね」
一言、あっさりと答えた。
「さ、そんなことはどうだっていいから早く帰ろーよー!ナオたちも待ってるよ」
「お、おう。・・・そうだな」
この少女はこんなにも親しく接してくるのに、それにも関わらず次々と疑問が沸いてくる。悪いやつではないのは分かるのだが、千影のたまに見せる影の差した顔や、妙に高い戦闘能力に迅雷は一抹の不安を感じていた。
「つっても、考えたってしゃーないしな。よーし、ナオたちに悪いから急いで帰るぞ」
元話 episode1 sect17 ”フトコロ” (2016/5/28)
episode1 sect18 ”Suddenly” (2016/5/31)
episode1 sect19 ”Concerns” (2016/6/2)