episode3 sect21 ”よく分からないけどムカつく”
『さて、第5試合になりました!・・・って、この音量で聞こえてますかね?』
スピーカーから馬鹿みたいな大音量で流れ出す大地の声がそれでも自信なさげに響いた。
というのも、会場の観客席の状況を見れば彼の気持ちも分かるというもので、2日目のときにも増して凄まじい盛況ぶりであった。
このCブロックにおいて、他の試合ではそれが例え目玉選手であるライセンサーが出る試合でも、どんなに人が集まってもそのざわめきは「ざわめき」の表現で十分なところを、彼女の場合はいっそ爆音とでも表してしまいたいほどだったところを考えればそのすごさも分かる。
実況席の方を見てなんらかの反応を見せてくれた生徒が会場全体にちらほらと見え、一応自分の声が届いていたことが分かった大地は一安心した。
『えー、立ち見客の方も大勢いらっしゃるようで、私もちょっとビビりました。それでは選手の紹介と入場を行いますのである程度にお静かに!ではいきます!』
まず初めに紹介を受けて入場してきたのは、太刀というにもまだ余計に長い刀を片手に携えた妙に背の高い女子生徒だった。猫背を正せば身長は180cm近くまであるのではないのだろうか。目つきが不健康そうで、ギョロリとした大きな目の下には濃い隈が出来ている。
それに加えて黒いコートまで羽織っているので、なおいっそう暗い雰囲気を出している。
『いやぁ、黄泉川選手が入場してきましたが、さすがのおどろおどろしさですね。1回戦で《死神》とまで言われて恐れられたあの圧巻の戦いぶりを今戦でも見せてくれるんでしょうか!』
『あれは正直私も見てて普通に怖かったわ。ホラー的な意味で』
真波の声はマイク越しにも分かるほど震えていた。彼女は怪談話がまるでダメなタイプの人間なので、黄泉川が活躍する限りは、というより黄泉川が蠢いている限りは真波がまともに解説をすることはないだろう。
『さて、みなさんお待ちかねの、あの方の登場です!』
大地が「あの方」と言った途端に、会場は妙な緊張感に支配されて静まった。それは期待であり、興味だ。
『1回戦では史上最速クラスで試合終了させた、最強美少女スーパールーキー、天田雪姫選手ゥ!!』
ゲートから雪姫が姿を現すと、またもや歓声の爆音。
雪姫がうるさそうに顔をしかめたが、騒ぐ方からしたらそんなことは知ったことか、というよりもはや見えていないようなものだ。なにせ、待ちに待った目玉選手の登場なのだから。
特になんのパフォーマンスもなく、雪姫はフィールド中央の標線に合わせて立った。苛立っている彼女は小刻みな貧乏揺すりをして、首の骨を鳴らしている。
早く始めろと言うようなアイコンタクトを受け、大地は雪姫には見えていないだろうけれど、困ったように苦笑した。それから黄泉川の方を見ても、不気味に太刀を揺らしているので試合を始めて良さそうだった。
『それでは、世紀の白黒決戦、試合開始!』
○
「天田雪姫・・・その手の怪我・・・一体なにをしたのかしらねェ・・・?」
見た目に負けないおぞましい声で黄泉川が雪姫に話しかけた。その視線は雪姫の右手に向いている。
雪姫は黄泉川がこの怪我について安い挑発でもしてくるのだろうか、と思って興味のなさそうな顔を向けた。時間の無駄なのでしゃべるのならさっさと終わらせて欲しいものだ。
「あなたすごく強いという話・・・だったはずだけど・・・。怪我してるのなら、勝機はあるのではないかしら・・・。フ、フフフフフフフフ・・・、そうだわ・・・所詮は普通に怪我をする程度の人なのだもの・・・」
「・・・」
心の中で雪姫は「はいはい」と呟く。それは雪姫だって怪我の1つや2つ、しょっちゅうする。というよりむしろ人より多く怪我をしてきた自信がある。
ゆらゆらと気味悪く蠢く黄泉川は本当に勝てるつもりでいるのかもしれないが、まずこの時点で彼女はしゃべっているところに雪姫が魔法をぶち込んでこなかっただけでも感謝しておくべきだった。
抜刀。長大な白刃が光の尾を引いて空間を裂かんばかりに暴れた。
「キエエエエェェェェェェッ!!」
黄泉川はギョロリとした大きな目をさらにカッ!と見開き、奇声を上げて雪姫に向かって走り出した。
走るフォームも滅茶苦茶で、なぜ直進出来ているのかさえ疑問に思うような走り方に振り回される長刀はブレていささか刀らしくなく、なにか別のものにも見えてくる。
あまりにもおぞましい対戦相手の発狂ぶりを見て、さすがの雪姫も生理的な嫌悪感を隠せなかった。肌で感じるような強烈な衝撃に頬の筋肉はピクピクと痙攣し、背中がぞわりと総毛立つ。これは恐いといよりむしろ―――。
「キモいッ」
これはさっさと気絶させないと目にも耳にも毒だと判断した雪姫は、さっそく『アイス』の魔法陣を組んで、なんの躊躇もなく高速の弾丸を撃ち出した。ただし、前回の反省を踏まえて威力はある程度押さえるために氷の密度は小さくしておいた。
当然ながら超高精度の雪姫の照準で突進してくる敵に攻撃を当て損ねるなどありえないので、1秒後には氷弾が黄泉川の腹に直撃。
「グエエェェッ!!」
走り方の乱雑さのせいでベクトルが狂っていたのか、吹き飛ぶ黄泉川は綺麗な放物線を描くこともなく、とにかくグニャグニャとなんか気持ち悪い軌道をきりもみしながら生み出したのだった。
痛々しい粘着質な衝突音と共に、黄泉川は観客席とフィールドを区切る透明な壁にビタッと激突し、正面でその瞬間を見た生徒たちが悲鳴を上げた。
壁に張り付いた黄泉川は上下逆さまで、黒目も不自然に上に回ってしまっており、そんな彼女の顔が目の前に飛んできたら、それは誰だって怖い。
視覚的な粘質さを感じる、やけに遅々とした速度で、既に意識を失った黄泉川はまるで生の死体のように壁をずり落ちていった。
「なによあれ・・・。マジで後味悪い気絶のしかたしやがって―――」
「―――」
「・・・?」
不機嫌に言葉を吐き捨てた雪姫の耳に、かすかに、呻き声のようななにかが滑り込んできた。
直後に、雪姫の勝利を叫ぼうとした大地が声を途中で切ったことで、会場の全員がその異様な事態に気が付いた。
「―――マジ気色悪いんだけど、アンタ」
「ぁぁぁぁぁぁ・・・。私は・・・まだ・・・!」
貞子にも見習ってもらいたいほど不気味に、気絶していたはずの黄泉川はブリッジの姿勢でヒタリヒタリと雪姫に向かって床を這いずっていたのだ。
呪詛の如き掠れた声と血走った双眸が、その異常な執念の力で雪姫を捉え続ける。
いよいよ見ていられなくなって、雪姫は仕方なくもう1つの『アイス』の魔法陣を組んだ。会場が幽霊とか妖怪に向けるような恐怖の悲鳴で沸いているのはかなり耳障りだったので、早めに止めを刺してしまうべきである。
人間の頭部くらい簡単に真っ赤に弾けさせられるだけの速力と質量を与えて、雪姫は適当な大きさの氷塊を撃ち出した。
もちろん、当てはしない。
雪姫の放った氷は地を這う黄泉川の顔のすぐ5cm先に着弾した。
しかし、床に激突しても氷は砕けずにそのまま速度を失って地面を転がった。これは雪姫が砕けた氷の破片に当たって黄泉川が本当の死人にならないよう氷の密度を大きくしておいたからだ。
とにかく、今のをわざと外していたのは誰の目にも明らかだったので、これで勝負はあった。
『試合終了!あぁ・・・怖かった・・・。今日はもう私も夜は1人で寝られないですね・・・』
『・・・・・・・・・・・・』
ぼそぼそと念仏のような音声が聞こえる。
『志田先生?試合終了ですよ?』
『ホ、ホント?もう目を開けても大丈夫?』
解説担当が本当に試合を見てすらいなかったことが発覚。しかし、未だにここまで震え声の真波を責め立てられるほど心の渇いた人もいないだろう。
グダグダの実況、死体のような対戦相手、うるさい観客。
全てにうんざりした雪姫は、不快極まりない様子で舌打ちを1つ残し、まだ開いていないゲートを開けさせてさっさと退場しようかと思い、背を向けた。
ゲートをノックしてやったら、意外とすんなり開けてくれた。
ゲートをくぐってアリーナ内の選手用通路に入ると、青い顔をした女子生徒が雪姫を出迎えた。
「あ、あの・・・お疲れ様でした・・・」
「・・・・・・」
女子生徒には雪姫が一瞬口を開きかけたように見えたのだが、彼女は結局溜息だけついて、横目に自分より背の低い女子生徒を見下ろしながら歩み去ってしまった。
特になにか荷物を持ってきたわけでもない雪姫は、選手控え室の前も通り過ぎて早足にアリーナの外に出た。あと1分もすればクラスの連中が出迎えに来るだろうから、それを避けようとしてのことだった。
しかし、外に面する通路の出口で雪姫は足を止めた。
「・・・なんでもういんのよ」
「やっほー。足止めしてやろうと思って、カシラそれに私ホラ、怖いのムリだから逃げるついでにね、カシラ」
「ついで・・・ね」
そこでは、ネビアが仁王立ちをしていたからだ。
他のクラスメートだったならスルーしていたところなのに、いや、それがネビアだったところで変わらないはずなのに、なぜか雪姫は立ち止まってしまっていた。自分の意志とは別のところに、なにか、ネビアには無視して横を素通り出来ないものが感じられた。
飄々とどこからどこまでが本当でどこからが嘘なのかも分からないことを言うネビアは、あるいは本当に手をこまねいて雪姫を待っていたのかもしれない。
相変わらず美味しそうに爪を噛むネビアを、雪姫は怪訝に思いながら睨む。
「そんな恐い顔しないでってば、カシラ。怖いのはムリって言ったでしょ、カシラ。それとも、だから、かな?カシラ」
「爪噛むかしゃべるか、どっちかにしてくんない?」
恐がる様子なんて見せないネビアに雪姫は舌打ちを浴びせる。まともに取り合うのも面倒だったので、雪姫はつっかえた気分を押してネビアの横を通り過ぎようとした。
しかし、ネビアはしつこく雪姫の前に出てくるので通り抜けられない。
まるで避けて通ることを運命が許さないかのようで、苛立ちだけが募る。
「なんなのよ、アンタ?」
「なにって、みんなのネビアちゃんよ?カシラ」
「チッ」
ネビアはわざとらしくキョトンとした顔をして、雪姫は口の端をいよいよ不快感に任せて思い切り下げる。
「足止めに来たって言ったじゃない、カシラ。大人しーくみんなが来るまで待ってあげたら良いんじゃないの?カシラ」
ネビアはヘラヘラしているだけのように見えて、あの雪姫に華麗に通せんぼうを食わすという地味にすごい仕事を1つ為していた。後ろから忍び寄る人の手すら躱すのに苦労しない雪姫を足止めするのである。それがどれだけ大変かは想像に任せるが、少なくとも並みの神経ではない。
さすがにそろそろ人の集団が近寄ってきたのを感じて、雪姫は歯軋りをした。クラスの連中に声を掛けられる面倒くささというよりも、いい加減ネビア個人のしつこさに。
「・・・鬱陶しいんだよ」
「私を嫌うのは別に良いけどさ、カシラ」
ネビアは肩をすくめてそう言ってから、一拍の間を置いた。それから、はにかむように雪姫へ微笑みかける。
「友達ってさあ、結構大事なものなんじゃないかって思えてきたんだよね、私、カシラ」
直後、雪姫はネビアを蹴り飛ばしていた。彼女は地面に俯せるネビアを見てそのことに遅れて気が付いた。
優に2mくらいは地面を転がったネビアを見て、雪姫は一瞬自分の取った行動が分からず、ただ奥歯が砕けそうなほど顎に力が入っていることだけが今の彼女の心情を本人に教えていた。
別に手を出すつもりなんてなかっただけに、雪姫はこの状況に若干だが動揺していた。もちろん、顔には出さないが。
転がっているネビアを見つけて、クラスメートたちが駆け寄ってきた。
何人かがネビアを抱き起こして、何人かが信じられないようなものを見る目を雪姫に向けた。それは怒りや心配や恐怖や、その他諸々。
ただ、そんなことは今更どうでも良いので、雪姫はすぐに彼らに背を向けた。
「・・・天田さん」
後ろからかけられた声は、東雲慈音のものだ。悲しげなその声に、ほんの数秒だけ雪姫は足を止めることにした。
「なんで、ネビアちゃんにひどいことしたの?雪姫ちゃんが勝ったからみんなでお祝いしようって、それだけだったのに・・・」
「―――コイツにだけは言われたくなかった・・・んだと思う」
慈音はいつも、他のみんなに合わせてか雪姫のことを苗字で呼んでいたのに、今、二言目で名前呼びをした。多分、素が出たのだ。それくらい彼女は自身の感情に真摯だったのだろう。
だから雪姫はそれだけ吐き捨てるように呟いて、歩き出した。なぜそんなことを思ったのかは、雪姫自身にも分からなかったが。
元話 episode3 sect55 “白雪の望んだ闇”(2016/12/31)
episode3 sect56 “よく分からないけど、ムカつく”(2017/1/1)