episode3 sect20 ”八重水仙”
5月19日、木曜日。一央市のみならず、全国各地の大小様々な高校では、もう『高総戦』に出場する選手も決まり、あるのは本大会に向けた一時の余熱だけ。
しかしながら、そんな中でも未だに選抜戦を実施している学校はある。所謂、魔法科専門高校であるマンティオ学園とオラーニア学園だ。
彼らは、お互いと鎬を削るべく、他の高校の数倍は参加選手のいる選抜戦を催して同胞と鎬を削り続けているのだ。
規模の大きな俯瞰はここまでとしておいて、今はマンティオ学園の1年3組の教室に場面を移す。
教室の戸を勢いよく開け放ち、今日も今日で弱まることを知らない気合いの入った格好の真波が入ってきた。
いい加減もう少し力を弱くしてドアを開けないと、教師である真波が真っ先に教室の扉を破壊してしまいそうである。
真波は出席簿も教卓の上に適当に投げ、教室中を見渡して全席満席であることを確認し、満足げに頷いた。
「さあ、みんな!今日で学内戦もいよいよ4日目、残すところあと2日よ。ラストスパート、一番の踏ん張りどころね。選手のみんなもそうだけど、応援の方も一致団結してて、私も実況席から見てて嬉しかったわ。今日もその調子でいきましょう!」
それっぽいことを言っているところで水を差すようだが、実際はこの期間中真波は毎日同じようなことを言っている。なにか違うとすれば、台詞の中の数字が何日目かによって減ったり増えたりするくらいである。
さて、と真波は一息ついてから、黒板の真ん中に貼り付けられた大きなトーナメント表を見上げた。勝利者の名前の枠からは赤いマーカーペンで次の試合へとラインが辿られている。
特に2回戦を抜けたネビアと迅雷の名前を見て、真波はどこか誇らしげに両手を腰に当てた。そして、今日試合のある生徒の名前を確認する。
「今日は阿本君と天田さん、そして佐藤君、東雲さんの2回戦と、ネビアさんと神代君の3回戦が確定ね。あわよくば今日だけで3組メンバーの試合が8試合・・・いえ、間違いなく8試合あるわ。あーっ、燃えるわね!!」
試合に出るわけでもない真波がなぜそんなに熱くなるのか、などと気にするのはもはや野暮だ。それに、大事な生徒たちの晴れ舞台なのだ。愛ある教師ならば熱くもなるだろう。彼女はやや度が過ぎるが。
「それじゃあみんな、気合いは十分ね?今日も全力でいきましょう!」
『おー!』
●
校庭の賑わいもまた、折り返しを過ぎた4日目の疲れなど欠片ほども感じさせないで、むしろいっそうの熱気すら感じさせる。
「おうおう、こりゃ気合いも入らぁな。いやー、早く愛刀『八重水仙』を唸らせたいですなぁ!」
腕をグルグル回しながら真牙がそんなことを言うのだが、彼のウォーミングアップについてきた迅雷は「げ」と声を漏らした。
というのも、その『八重水仙』というのは阿本家に代々伝わる宝刀―――――というほどのものではないのだが、少なくとも2、3代くらい前の御当主様が仲の良い鍛冶職人に頼んで設計からデザインから、とにかく隅から隅まで一切の妥協を許さずに共同制作したという話で、化物クラスの業物だ。よくある飾り物の小綺麗な日本刀なんかではなく、まさに敵を斬り伏せるために作られたそれは、迅雷の『雷神』を初めとした比較的新しい部類の機能魔剣のように特殊なオプションがあるわけではないが、総合性能は今なお最新鋭の品にも引けを取らない。
今でも希少価値の高い、地属性と最も調和性が高くて超硬質の『アダマント鉱石』を惜しげもなく使っている上に、当時の技術レベルなんて無視したかのようなシンプルかつ高い機能性。
迅雷がそれのせいで真っ二つにされた魔剣の数は、もう両手の指では足りない。彼がその名を聞いて苦い顔をするのも無理はないだろう。
「お前次の相手って別にそんなヤバそうな人じゃないだろ?あんな殺人アイテム出すなよ」
「分かってる分かってる。言ってみただけだから。てかアレって実際殺す用のヤツだし、普通にパンピーにふっかける気はねぇって」
「待って!それいっつも向けられてたの、俺!?」
実は自分の命を狙っていた疑惑の浮上した親友(?)からズザザと後ずさる迅雷。噴き出す脂汗で迅雷の足下にギットギトの水溜まりが出来上がった。
しかし真牙は「いやいや」と手を振る。
「迅雷ならなんだかんだでなんとかなるかなーって思ってたからさ。信頼だよ信頼」
「綺麗な言葉で誤魔化すな!おっかねーからやめてくれよ・・・、その信頼重いよ!」
「ということで、打ち合い付き合えよ!」
迅雷の泣き言には耳もくれずに真牙は『召喚』で刀を取り出した。
その刀の鍔の形状は一見するとただの円盤のように見えるが、しかしよく見ると非常に精緻な花の彫刻になっている。そう、重ねて彫り浮かべられた八輪の水仙の花だ。
真牙が刀を抜いてチラリと刃を覗かせた。鎺はラッパズイセンの花弁を模倣して造られたらしく、一般的な刀の鎺と比べてその長さは倍以上はあった。
「ねぇホント待って。言ったそばからそれ出すのやめてくんない?」
さっそく『八重水仙』を引っ張り出してきた真牙に迅雷は顔を青くして掴みかかった。もしかしたら本当に真牙は迅雷の暗殺でも狙っているのかもしれない。
「なんだよ!お前だって『雷神』使ってんじゃん!オレのと実際あんま変わんねぇからな、あれ!」
「ぐっ!?」
言われてみればその通りである。『雷神』は純粋な切れ味では『八重水仙』にはいくらか劣るだろうけれど、それでもかなりの鋭さと硬度を誇る上に魔力との親和性が圧倒的に高く、おまけにオプションの魔力貯蓄器を最大限に活用すれば使用者の実力以上の戦い方すら可能にするほどであることを踏まえると、あれもまた化物扱いされて当然な魔剣である。言い返せずに迅雷は唸り、諦めたように項垂れた。
むしろ昨日までの2試合は大人げなかったかな、などと思う迅雷。とはいえ、所詮ランク1のライセンサーなんて一般人に毛が生えたようなものなので、道具で有利を確保するくらい許されるのだろうけれど。
それに、少なくとも迅雷だって準決勝までは負けるわけにはいかないのだから、多少のオーバースペックは目を瞑られるべきなのだ。だって、彼が―――――いや迅雷と真牙の2人がこの学内戦を頑張る理由など本当は初めから1つしかないのだから。
●
『さぁ、第2試合になりました!まずは登場選手の紹介をしましょうか!さてさて、まず6組の中村日立選手。雷魔法による遠距離からの鋭い射撃が持ち味でしたね。1回戦では相性もあって接近戦を主体としていた木村選手を圧倒していましたから、今回も期待です!それでは、中村選手の入場!』
1回戦ではなかなかの立ち回りをしていたらしい日立を、大歓声がフィールドへ迎え入れる。
しかし、次に入場する選手の方が歓声は大きい。
『さぁ、そして!実はすごいんじゃないかと囁かれ始めた期待のルーキーライセンサー、阿本真牙選手!剣道の名門阿本流の神童とも言われた彼ですが、遠距離戦法にも対応出来るのでしょうか!入場!』
前回と違ってやけに聞こえの良い紹介だったので、真牙は調子よく手を振ってフィールドに入った。これだけでなんだか大物感が出るのが楽しくて、ついつい癖になってしまいそうだ。
中学を卒業した後は別に学校で剣道部に入ることもせず、家でもたまに道場の方に顔を見せる程度なのだが、真牙は余計なことはカミングアウトしない。神童などともてはやされたのも事実ではあるし。
「さて、と。遠距離戦に対応できるか、ね。いいじゃん、やってやるぜ!」
イモ侍っぽく腰に差した刀の柄に手を乗せて真牙は鼻を鳴らした。相手も男子なので紳士にやる理由もないから、ここらが腕の見せ所だった。
真牙と日立が標線に立ち、試合は開始された。
合図と同時に日立は魔法陣を構築して、真牙に向けかざした。
「『エレキ・フィールド』!」
まずは広範囲にわたって放電を起こし、日立は自分の距離を作るために敢えて逃げ場のない後方の壁際を目指して走った。
一方、真牙もバックステップで日立の牽制攻撃を回避し、同時に抜刀する。
「今のは迅雷の『スパーク』と同じかな。ま、とりあえず様子見だな」
真牙に向けて雷の矢が次々と飛来する。こちらは迅雷のよく使っている『サンダー・アロー』と同じ魔法だ。
放電現象なので当然だが、とてもではないが反応しかねる速度で飛んでくる紫電の矢。魔法の練度的には迅雷にも劣らないか、もしかすると上かもしれない。加えて狙いも比較的正確で、たまにフェイクも混ぜてくる。
しかし、真牙はヒョイヒョイと身を翻してそれらを躱していく。
「ほっ、よっと。ほれどうした、当たんないぞ?」
言う勢いで自分の尻でも叩いて挑発的そうな真牙の挑発で、日立の放つ魔法の連射速度が上がった。
「おっとと、いってぇ!?いいねいいね!」
1発が頬を掠めてちょっと焦りながらも、真牙は速度を日立の攻撃に合わせてシフトしていく。
さすがに躱しきれない雷撃については刀で払い落としつつ、真牙は根気よく様子見に徹していた。
彼が見ているのは飛んでくる雷撃ではなく、日立の顔だった。これも真牙お得意の読心術である。視線や表情といった視覚的情報で狙いやそのパターンを導き出し、後はそこに行かないだけ。たまのフェイクも見ていれば分かる。
ついでに言うと、煽られたことで当てようと躍起になっている日立の攻撃パターンは初めよりむしろ雑になっていたので、解析しやすい。
2分ほど徒然に攻撃をいなされつつ時間が過ぎていくと、若干日立の苛立ちの色が薄まってきた。恐らくこの無為な攻防を続けることには意味がないと分かって冷静に戻ってきたのだろう。
「連射速度を落とせば狙いは上がるけど近付かれるリスクもまた上がる。でも乱射すると当てにくいし燃費も悪い・・・。そろそろスタイルを変えて勝負に出るかな?」
日立の顔色を窺いながら真牙が呟き終えるや否や、今度は大玉転がし用の玉くらいの大きさ電気の球が2つ、真牙の両脇を狙って飛んできた。
そしてそれは、真牙が動かなければまず当たることはないのだが、正面に立った日立は既に真牙に向けて直撃コースの魔法を展開していた。
展開は予想通りだが、対処まで楽だとは真牙も考えてはいない。事実、この攻撃を捌くのは用意ではないだろう。
しかし、いや、こういうときこそ「だからこそ」と言うのだろうか。
「いいじゃんか」
真牙は五感の中から必要な感覚のみに全てを集中し、刀を両手で構え、走り出した。
仕掛けてきた相手には、こちらからも仕掛け返してやらなければ失礼というものだ。
そして、走り出した真牙に向けて雷電は解き放たれる。
「縦3段!」
垂直に刀を振り下ろし、真牙は飛んでくる雷撃をまとめて斬った。
しかし、日立もそれで終わりではない。次々と3つの魔法陣を組み、砲撃を繰り返す。もちろん大型の雷撃弾による真牙の左右への移動を封じたままで、だ。日立の制御能力のキャパシティの問題もあってこれ以上の数の魔法を同時に展開することが出来ないが、それでもこの火線は非常に強力である。
さすがに消耗速度が激しいのか、息の乱れも見える。
だが、狙いは依然として正確だ。
真牙も歯を剥いてギラつく笑みを浮かべる。
「斜め3段、直線3連射、3点交差!」
見る、斬る、見る、斬る。ひたすら雷撃を斬り落とし、真牙は日立に向けてひた走る。
「くの字、縦3段、フェイク、曲線打ち上げ3段!ほら、あと5mだぞ!!」
「―――――ッ!!」
日立が歯軋りするのが見える。
追い込まれた日立は遂に今までよりも3倍は大きい魔法陣を展開した。
恐らくかなり強力な、それこそ必殺攻撃の類いの魔法のはずだ。当たれば一撃で意識を根こそぎ持って行かれるかもしれない。
真牙の緊張感は加速し、体は刀と風に融け合っていく。極度の集中で見える世界が変わるというのは、こういうことだったような気がする。思えばなかなか覚えることのない感覚の中にいる。
いや、それでも真牙の場合はこれでもまだまだ序の口とでも言うのだろう。普段は散漫な彼の本当の集中力と判断力は、知る者こそ知るものだ。
「エレキ・エクスプロ―――――」
「遅ぇ!!」
大技のためのほんの1秒の隙が真牙の突進を許したのだった。
輝度を増した魔法陣は、次の瞬間には斜めに両断され、粉々に砕け散った。
そうと気が付いたときには、眼下で既に真牙の手が器用に刃を翻した後で。
鋒が腹部を冷ややかに撫でる感覚に、日立はまるで死んだかのような悲鳴を上げて後ずさり、足をもつれさせて後ろ向きに転び、壁に頭を打って崩れ落ちるように床にへたり込んだ。
止めの姿勢に入り、刀を振り上げた真牙。
天窓からの日光を遮る真牙の姿は、うずくまって見上げる日立の目には影が差して表情も窺えない斬首人のようにすら映っていた。
「あ・・・ぁ・・・」
必要以上に膨れ上がった圧迫感と緊張とちらつく白刃への恐怖で、日立は頭を抱えて下を向いてしまった。
しかし、俯いた彼は、意地で上を向いていれば気付かずに済んだはずのそれを見る羽目になる。
体の正面でファスナーも無視して大きく裂けたジャージ。いや、上着どころかズボンに至るまで一気に斬り裂かれていた。
中に着ていたTシャツも、さらにその下のアンダーシャツも、そして―――――。
「ぁ・・・っかっっかっか!?」
服がじんわりと赤く染まり、それに気付いた瞬間、裂けた腹から内臓が溢れ出すかのような強烈な不快感を覚え、日立は声にもならない叫びを上げた。
死ぬ。このまま殺される。放っておかれてもいつかは失血死、そうでなくとも断頭即死。もはや涙すら滲んでこない。頭は恐怖でいっぱいだというのに、なぜか口元だけがひとりでに笑ってしまう。
「へ、へへ、へぇへへへ・・・へ」
「―――――」
短い息の音と一緒に、白刃が舞った。
そして、日立の首は無機質な床に転がった。
○
―――などというのは、あくまで日立の脳内ビジョンだ。もちろんそうだ、そりゃそうだ。当たり前の当たり前。なぜただの魔法戦で人が殺されなければならないのだ。
真牙の目の前にはパンツだけ無事なまま白目を剥いてひっくり返っている日立がいる。腹がごくごく浅く斬り裂かれていて微量の出血があるが、唾でもつけとけと言われそうなレベルでしかない。
「―――――またつまらぬものを斬ってしまった・・・」
『試合終了!どこぞの五右衛門かは知りませんが、阿本選手の大勝です!』
アナウンスもあり、真牙の勝利は確定した。
普段からちょくちょく練習していた、なんだかオシャレでスタイリッシュな納刀パフォーマンスをして、真牙は手を高く挙げてガッツポーズをした。
だが、内心真牙もこの試合が無事に終わって安心していた。
なぜなら。
「またお漏らしされなくて良かった―――!!」
―――ということである。ありとあらゆる属性のヒロイン、つまりそれはお漏らし系ヒロインであっても寛容な心で愛する真牙だが、男子の失禁の面倒まで見てやれるほどお人好しではない。
・・・などと言い張るであろう真牙だが、彼も彼とてなんだかんだ言いながら面倒見が良い方なので、結局いろいろしてあげていたことだろう。
外面でも本音でも、そう言った理由で真牙はほっとしていたのだった。
●
「怖がらせすぎ」
「ですよねー」
アリーナの外に出てクラスメートたちと落ち合った真牙を最初に迎えたのは、ジト目の迅雷だった。
いやはや、全くもって迅雷の言う通りである。真牙もちょっと最後は脅しがキツかったかとは感じて反省はしていたのだ。
「実はオレSなのかも」
「器用にSでもMでもこなすんだろうけどな、真牙の場合は。ったく、まぁこれでお前も2勝目だな。このまま次の3回戦の方もいっちまおうぜ」
「おうさ!お前と試合するまでは負けるつもりはねぇよ」
迅雷は自分が真牙にしてもらったように、今度は真牙に拳を突き出した。
拳骨と拳骨とがぶつかって、重くて軽い音がした。
「いやー、真牙クンなら勝つって信じてたよー!」
向日葵が寄ってきて真牙の背中を平手で乱打し始めた。
「ありがとな!迅雷のときも同じこと言ってたような気がするけども!」
「そ、そんなことないって、うん!多分!」
「さぁみんな!オレを胴上げしようぜ!」
「自分で言っちゃうのね・・・」
●
屋上からアリーナのある『ガーデン』を見下ろすと、今し方勝利したとうるさいくらいの音量でアナウンスがあった真牙が胴上げされているのを見つけた。わぁわぁと、なんだか随分と楽しそうだ。
「あと1時間後だっけ」
特に関心もなく地上を見下ろしつつ、雪姫は呟いた。1時間後というのは、彼女の試合が始まる時間のことだ。どうせ数秒で終わる試合のためにいちいち時間を気にしなくてはいけないというのは、いささか面倒臭い。
もうさすがに頬の傷も塞がって、顔に貼ったガーゼは取っているし、他のところも軽傷だったものは全て直っていたが、未だに右手の包帯は存在感が強い。通りすがる人々がいちいち右手を見てくるのが今の雪姫にとって地味に大きなストレスの原因だった。
これでも巻く包帯の量は日を追うごとに少なくはなっているのだが、他の怪我の痕がなくなるにつれてそこばかりが悪目立ちしてしまっているのだ。
適当に右肩を回し、肘を伸ばして、曲げて、手を握って、開いて。
動かす分には特に不具合もないので、もう本当なら包帯も取り払ってしまいたかった雪姫だが、傷痕を晒していると夏姫も必要以上に心配してくるし、学校の連中にもこの醜態は見られたくはなかったところもあり、結局外すに外せなくなっている。
もう一重にしか巻いていない包帯を触る度に苛立って溜息をつく。
「どこぞの中二病患者じゃないんだし、いい加減暑くて鬱陶しいのよね、これ・・・」
腫れ物のように邪魔くさい右腕のそれを、雪姫は屋上の柵に背でもたれかかって外に下ろし、視界の外に追いやった。
いっそ本当に闇の力だろうがなんだろうが、なにかそれっぽい隠された力でもあれば良いのに、とも思えてくる。もちろんそんな都合の良いものなんてないし、さすがにイタいので欲しいとも思わないのだが。今の雪姫の実力は全て彼女自身の才能と努力と研鑽の賜物である。
「―――そうじゃないと、困る」
もともと彼女の魔力量はとある原因で過去のある一時点を境に常人の倍近くまで増えている。
それが今の彼女の実力に深く結びついているのは違いない。けれども、ここまで来られたのは彼女自身がそうなれるように努力してきたからだ。そうでないと、そうあってくれないと、困る。
それにしても、自分の試合までまだあと1時間もあるのか。なんだか今週に入ってからずっとこうして退屈ばかりしているような気がする。かといって、わざわざ律儀にウォーミングアップをするつもりもない。なぜなら、どうせ次の試合も10秒以内に終わるだろうから、一歩も動かなくて良いのだし。
仕方がないので、雪姫は柵に寄りかかって風に当たりながら、BGM代わりに聴こえてくる3つの実況と解説に耳を傾け、目を閉じた。
元話 episode3 sect54 “八重の水仙”(2016/12/29)
episode3 sect55 “白雪の望んだ闇”(2016/12/31)