episode3 sect19 ”まずはパンツを脱げ。話はそれからだ”
「じゃあまずその頭に被っているパンツ早く脱げ!カシラ!」
「えー、そんなに怒らなくても良いじゃないか!」
「死ね!!」
ネビアに割とガチめに怒られた一太は、年甲斐もなく唇を尖らせて、頭に被ったネビアの下着を取って、綺麗に畳んでタンスの引き出しの中に―――。
「って、待てぃ!カシラ!」
「こ、今度はなんだ!」
「なんだじゃないわよ!カシラ!なに当然のようにオッサンのフケが着いたパンツを他のと一緒に突っ込もうとしてんのよ!カシラ!」
「えぇ・・・。もうネビアも父親の洗濯物と自分の洗濯物は別々にしてって言い出す年頃なのか・・・」
出会った頃は無邪気で可愛げがあったのになぁ、などと、そうだったのかそうでもなかったのかも分からないようなことを呟きながら一太はそのパンツだけは床に置いて引き出しを閉めた。
「一緒に洗うどころか親父の汚れを塗りたくってからしまおうとしてたし!カシラ!ったく、ありえないわよ、その思考回路は、カシラ」
ネビアは荷物を適当にベッドの上に放って、自分も一緒に寝転んだ。
しかし。
「だー!せっかくベッドメイキングしといたのに!」
「えぁ?」
まるで三途の川のほとりでせっかく重ねた石を脱衣婆に蹴飛ばされた子供のようにがっくりと項垂れる一太を見て、ネビアは面倒臭そうな顔をした。
そう、この部屋がネビアの生活していた部屋ではない、と言っていたのはそういうことだ。
「ねぇ、一応聞くけど、なにしに来たの?カシラ」
「ん、ネビアがちゃんと一人暮らし出来てるか見に来たんだ!まぁ案の定だったから掃除洗濯その他諸々やらせてもらったがな!」
「あーうるさいうるさい、カシラ」
自分から聞いておきながら、ネビアは布団を頭から被って耳を塞いだ。
ピッカピカの床には散らかしてあったマンガ雑誌や部屋着のシャツもなく、バルコニーには初めて使ってもらえた物干し竿が嬉しそうに衣類を垂らしている。
いや、別にそれはネビアが洗濯物をしていなかったというわけではないのだが。ここで彼女の尊厳のために説明しておくと、ネビアは持ち前の水魔法を駆使して水道代ゼロで洗濯をしていたのだが、当然魔法で水を操れば濡れた服から水分だけ引っ張り出せるので、干す必要がなかったのだ。
「まったく!お前だってもう年頃の女の子なんだから、帰ってきてジャージのまま寝るなんてはしたないと思わんのか!」
ネビアが被った布団を力尽くで引き剥がし、一太は彼女をベッドから引きずり下ろす。力比べでは逆立ちしたって一太には勝てないことを知っているネビアは、不機嫌そうながらも言われるがままにジャージを脱ぎ捨て、部屋着兼パジャマのシャツに着替えた。
「これでいい?カシラ」
「ジャージも洗うなら洗う、そうでないなら畳んで置いておきなさい!」
「アンタは私のお袋か、カシラ」
いい加減次から次へと煩わしくまくし立てる一太にネビアは短くツッコんだ。年頃の女の子なネビアはさすがにそろそろ反抗期でも良い頃合いである。
それよりも、と一太が生温かい目でネビアを、というより正確には彼女の下半身を見た。
「俺がいるんだから下もズボンくらい穿いたらどうなんだ!」
「それは提案ではなく命令と取れば良いの?カシラ。でもメンドイからやーよ、カシラ」
先ほどまで自分のパンツを被っていた中年男を前に下半身はパンツ一丁という非常に挑戦的な格好のネビア。さすがの一太もそろそろ色気づいてきた彼女にそんな格好をされると気まずくないわけでもないので、一応の注意だけはしたのだが、イヤだというならそれはそれで、もう割り切って遠慮なく目の保養とするだけである。
「さて、もう8時にもなるし、飯と風呂、どっちにする!それとも―――」
「ん?あぁ、ご飯作ってくれるんだったっけ?カシラ。そうねぇ、じゃあ私は先にシャワー浴びてくるから、ご飯はヨロシク、カシラ」
やってくれるというのなら是非もないので、ネビアは手を振りながらバスルームに向かった。
いつもの癖で歩きながら服なり下着なりを脱いでしまったネビアは、ハッと気付いてキッチンの一太に釘を刺す。
「脱ぎ立てパンツとかに興奮して匂いとか嗅ぐのはナシよ、カシラ」
「なんだ、それはフリか!」
「ガチよ、カシラ」
殺気立ったネビアの声は、風呂場のドアが閉まる音と共に奥まで行ってしまった。シャワーの音が聞こえてきて、一太もやれやれと肩をすくめ、まな板と包丁を確かめた。
○
「で、学校に行ってみて、どうだ!」
「うわ、唐突に父親っぽいこと言うわね、カシラ」
こういうネビアも「父親」というのがどんなものなのかはよく知らないのだが、それだけにこうしてあるときは母のように、そしてまたあるときは父のように、お節介じみてはいるが、世話をしにくる一太が本当の親みたいで悔しくなる。実の両親の顔も微かに覚えてはいるが、いかんせん付き合いはこちらの方が長い。
「なんだ、俺はそのつもりでお前と接しているんだぞ!なんならパパって呼んでくれても―――――」
「キモいからやめて、カシラ」
「今のはほんの冗談だ!気にするな!」
顔の汗の量が尋常ではないので、ネビアは一太が割と本気で今の発言をしていたことを察し、急に飯が不味くなった。
「せっかくのロールキャベツなんてご馳走なんだから不味くなるような話はナシよ、カシラ」
もともと今更やらかさなくても経歴がバレれば即刻牢屋にぶち込まれるような人間ではあるが、それを抜きにしても犯罪臭の漂ってきた一太をネビアはたしなめて、料理を口に運んだ。
肉の味からして使っているのは豚でも牛でもないのだが、割と美味しいので、冷凍庫に突っ込んでいたあの肉でもないと分かり、ネビアは一太の作った料理の方には素直にがっついていた。
「飯は褒めてくれるんだな!嬉しいぞ!それで話は戻すが、学校はどうだ!」
「どうって?カシラ」
「うむ・・・、そうだな!馴染めたか?とかかな!」
今の質問の仕方はネビアには少し難しい訊き方だったか、と反省した一太は、質問を少し具体的にした。
「馴染む、ねぇ。うん、なんかうまーく馴染んじゃったわね、カシラ。これで良いのかは知らないけど、カシラ」
「いや、良いんだ!お前にだって楽しい思い出の1つや2つくらい、作ってもらいたかったからな!」
ぬけぬけとそんなことを言う一太にネビアは重く嘆息した。少しは立場を変えて心中を察して欲しいとも思う彼女ではあったが、すぐにそもそも一太自身がそういったことに慣れきっているのを思い出し、さらに長く息を吐いた。
楽しい思い出の1つや2つなんてとっくにもらったので、ネビアも今の生活は悪くないとは思っている。けれども、今の生活そのものが用意された偽りであるし、それ故に「だからこそ」なところが強くなってしまうのだ。
「なんだ、溜息ばかり!幸せが逃げるぞ!」
「逃げる分の幸せがあったら私はこんなところでこんなことしてないわよ、カシラ」
「それもそうか!ハハハ!」
あっさりと不幸少女認定されて、ネビアはジト目を返した。
そうこうと2人とも飯が不味くならない話をしているうちに、皿は空っぽになっていた。たかだか顔を合わせて近況報告をしていただけなのに、意外にも話し出すと最近だけでいろいろなことがあったらしいことをネビアは感じさせられていた。
「ふぅ、ごちそうさまでした、カシラ」
「お粗末様!」
「・・・それで、改めて聞くけど、今日はいったいなにしに来たの?カシラ。話なら電話でも良かったでしょう?カシラ」
腹も満たして全身に少しばかり活力が戻ってきたところで、ネビアは低いテーブルに肘をついて、手の甲に顎を乗せて、大きなあくびを1つした。
わざわざ不法侵入してまで家にやって来たというのだから、あまりおざなりな電話なりメールなりでやり取りしたくない話でも持ってきたのだろう。
「・・・あぁ、そうだな」
文末のエクスクラメーションマークが取れて、一太の声からは冗談臭いうるささが消えた。いつになく真剣な面持ちは薄く強張っており、柄にもなく緊張しているらしいことが見て取れた。
この期に及んでネビアとの談義の中のなにに対して緊張するのだろうか。ネビアはそんな不自然な一太に訝しげな顔をした。
「・・・実は、すごく大事な話があるんだ。これは、俺だけじゃなく、お前の将来にも関わってくる、すごく大事な話だ―――――」
「いや、ムリムリ!カシラ!!私アンタみたいな中年親父に残りの人生捧げるつもりなんて微塵もないんですケド!カシラ!マジでムリですゴメンナサイ!カシラ!」
なにかと思えば、なんかプロポーズされそうな雰囲気になり、ネビアは本気でゾッとして顔を自分の深青色の髪より青くした。なにが悲しくてうら若き乙女が汗臭い中年男の愛を受けなくてはならないのか。壁に背が当たるまでネビアは後ずさった。
「違う違う、そんな話じゃない」
しかし、一太は依然として真面目な顔をしたままだ。それを見たネビアは、疑わしげに目を細めつつも元の場所に座り直した。こうなってくるとますます話の内容が読めなくなってくる。
「じゃあなによ、カシラ」
「あぁ。言い方が悪かった。俺やお前、そして、俺たち『渋谷警備』の今後がかかってるんだ」
「・・・いきなり大仰な話になったわね、カシラ。まぁいいわ。それなら聞くしかないもの、カシラ」
今後とは表現しているが、つまり元々ハイリスクハイリターンな今回の仕事がさらにハイリスク化でもしたのだろう。一字一句聞き漏らさないよう、ネビアも真剣になって一太の言葉に集中した。
「その顔だともう予想はついてるんだと思うが、あちらさんからの追加オーダーだ。本当はなにがどれほど重要なのかも分からないんだがな。しかし、言っていたことの割に追加の報酬がやけに多いんで、どこか怪しいからこうして直接伝えに来たんだ」
「へぇ、なんかこれまた胡散臭くなってきたわね、カシラ。それで?その言ってたことって?カシラ」
「あぁ。そのまま伝えると、こうだ。『ウチの人間に手を出したり、出させるな。それと、必要以上に一般人を巻き込むな』、だってさ」
なんだそれは、というのがネビアの素直な感想だった。まるで当然でしかない内容だ。
「それってつまり、ガッカリさせるなよって意味じゃないの?カシラ。そんなの、今更1円も足してくれるような内容じゃないわ、カシラ」
意味が分からなかった。いや、言葉の意味は理解出来るのだが、言葉の意図が理解出来ないのだ。まして、それは信用の上に成り立っている商売において当たり前なことを言っているわけで、この言いつけを守って金がもらえる意味も分からない。
「あぁ、そうなんだ。俺も頭を悩ませたんだが、どうにもイマイチでな。当日は人が多いからか・・・とも思ったんだが・・・」
「そんなの今更よ、カシラ」
「だよなぁ」
頭の方は出来が良いとは言いづらい2人が頭を突き合わせたところでどうにかなるとも思えない。小さな部屋で悩む2人に正解を教えてくれる者もいるわけがなく、考える時間も唸るだけで消費されてしまう。
なんだかもう馬鹿らしくなってきたネビアは机を叩いて床に寝転がった。
急に大きな音を立てられて、驚いた一太が目を丸くしてネビアを見る。
「あー、もう!とりあえず慎重にやりゃあそれに引っかかることもないでしょ、カシラ。感情的にならなければ大丈夫よ、カシラ」
一太が呆れたように口元を緩めているのを見て、ネビアもニッと笑った。
そう、全部いつも通りにやれば良いのだ。
難しい話ではない。
元話 episode3 sect53 ”It will " Not " be Difficult ??”(2016/12/27)