episode3 sect15 ”学園都市壊滅事件”
いつになく満席も満席、大満席の大盛況となっているのは第3アリーナだ。試合開始前だというのに、群れた人々のざわめきだけで地響きが起こるようである。
生徒会長や副会長である萌生や蓮太朗、そして現ナンバー3の煌熾、その他高ランクの実力を持ったどの生徒の試合でも、これほどまでに人が集まることはなかった。
まだ1回戦だというのに、まるで準決勝並みの観衆が生むような轟音をさらに上から割って、実況である大地の声が、静かな熱を持って、強く響いた。
『みなさん、時刻は現在午後3時半、これより本日の第16試合です。トーナメント表は見ましたか―――――などと聞くのは野暮のようですね。他の選手の方々への失礼は承知の上で言いますが、これが今日一番のイベントでしょう』
恐らく、もう大地の発言に腹を立てる人物などマンティオ学園にはいないだろう。そうでもなければ、どうしてこんなにも多くの観衆が集まるというのか。第2試合では煌熾の登場で2日目最大イベントと目されていたが、あの程度、この試合には遠く及ばなかった。
誰もが新たな『学園最強』にリーチをかけた超新星を気にして止まないのだ。それは、彼女のファンも、逆に彼女を「感じの悪い人」と言って嫌う人も同じである。
『さあ、入場です。入学からわずか1ヶ月で最強の座に王手をかけた10年に1度の天童、《雪姫》!天田雪姫選手ゥ!!』
雪姫が大会前に怪我をしているという話は既にある程度広まってはいたが、片手で十分だと本人が宣言したという噂も広まっている。無論、その噂は事実だ。そして、その発言は大言壮語では終わらないだろう。
○
騒々しいイントロダクションだ。
決勝戦まで、いや、全高大会の決勝戦までこんなにもうざったくて長ったるい紹介文を本気で読み上げられるのかと思うと、今から既にうんざりする。
ゲートから半歩出ただけで押し潰すような歓声に呑み込まれる。
「クソ鬱陶しいわね、気色悪い」
なにを思って彼らが自分の試合に集まってきたのかなど、特に考えるほどの価値もない。どうせただの興味だ。それは生徒も教師も一般客も、同じ。
見世物にでもされたようで俄に腹が煮えたが、溜息だけで冷静な自分に戻る。
「盛り上がりたいなら勝手にやらせとけば良いんだっての。あたしがその期待に応えてやる義理がないだけ」
首の骨を鳴らして、もう一度短く溜息をつく。
正面向かいのゲートから出てくる大柄な少年。体格だけを見たなら煌熾にも劣らないようにも感じる、いかにも屈強そうな少年。
最初から負けたような顔をしている、相手をしてやるだけの価値もない少年。
第一に雪姫の気分がこれっぽっちも盛り上がらないのだ。それで会場をもりあげようなど、どだい不可能なのである。初めから逃げ腰の、試合が始まれば本当に逃げ出しそうな少年なんて、いるだけで盛り上がりに欠ける。
『それでは両選手!アーユーレディー?』
ただの習慣なのか、形だけはファイティングポーズをとった男子生徒と、体重を片足に乗せてつまらなそうに突っ立つ雪姫。
それだけで十分。大地は息を大きく吸った。
『それでは、試合開始―――――ぃ?』
マイクの音が響き終える前に、男子生徒の体がブレた。
直後、断末魔の如き絶叫が轟く。
『し、試合終了!?』
試合時間、わずか2秒。
それだけあれば、雪姫が人間1人をあしらうには十分過ぎた。
一切の容赦もなく放たれた氷の砲弾は、相対した男子生徒の人一倍大きな体に当たっても少しも、本当に少しも減速せず、むしろ加速するかの如く彼の体を吹き飛ばしたのだった。
それを見ながら雪姫は一瞬固まった。
「・・・やり過ぎた」
電車並みの速度で壁に叩きつけられた男子生徒だったが、さすがに頑丈だったのと、臆病さ故に最初からやられること前提で魔力を使って全身を強化していたらしかったので、苦痛でのたうち回る程度で済んでいる。さすがに軽傷ではないのだろうけれど、まぁそれはそもそもマンティオ学園の学内戦では珍しいことでもないので問題なし。
雪姫は発射直後に内心相手を木っ端微塵にしてしまうのではと思い直して肝を冷やしていたのだが、途中で威力を減衰させたのと相手の頑丈さのおかげで大事には至らずに済んだようだったから、彼女も人知れず息を吐いた。
とはいえ、別にこれ以上対戦相手を気にするような人物でもないので、雪姫は未だに悶え苦しむ彼を横目に流してスタスタとフィールドから出て行った。
『な、なんか一瞬過ぎて全然盛り上がらなかったわね・・・』
『そうですねー・・・』
Cブロックの解説担当である真波も、解説する時間すら得られずに試合が終了し、呆けた声を出した。
いや、朝には確かに怪我があっても楽勝だと本人も言っていたし、真波も1回戦2回戦・・・と進むうちはそれも間違いないだろうとは信じていたのだが、なるほど、と感じざるを得ない結果だった。
我が生徒ながらなかなか空気を読まないというか、規格外過ぎる、と真波は嘆息してしまう。
『そもそも1歩も1挙動も取らなかったら怪我もクソもないわよねー、そうよねー、なるほどねー』
『そうですね。それにしても、これは記録に残りそうなほど早い試合でしたね。さすがは天田選手です。これ以降の彼女の快進撃にも期待が高まります!』
●
雪姫の試合の後は、迅雷と慈音が翌日に試合を控えているため帰宅し、他数名も用事で帰宅、放課後の試合を見るために残ったのは結局半数ほどとなった。
なぜあまり残っていないのかというと、もう2日目の見所があまり残っていないから、というのもあったのだろう。
「「ただいまー」」
迅雷と千影が声を揃えて帰宅の挨拶をすると、リビングから直華がひょっこりと顔を出した。そういえば今日は部活もないとか言っていたような。
「あれ、お兄ちゃん、千影ちゃん。今日は早かったんだね。お帰りなさい」
「明日は試合だから、一応な。ナオも今帰ってきた感じか?」
まだ制服を着ている直華を見て記憶と照らし合わせながら適当に予想しつつ、頷く彼女を横目に迅雷は2階に上がった。
特に置くほど荷物もない千影は、ソファーにどっかりと贅沢に座って、さっそくテレビの電源を点けた。
すると、最初に映ったのはちょうど始まったばかりの夕方のニュースだった。そうなのだが、画面の左上に『速報』の2文字があった。
「ん?なんだろうね、千影ちゃん?」
その2文字を見た直華がソファーの後ろから千影に話しかけた。とはいえ、疑問を持ったときの決まり文句のようなもので、別に千影に返答を求めたものではなかった。
・・・なかったのだが、千影はそんな速報の内容には大体予想がついていた。
そういえば、ちょうど頃合いであったか。
「多分だけど、ギリシャでのゴタゴタがひとまず一件落着したってことなんじゃないかな?」
○
ギリシャでのゴタゴタ、というのは、4月の中旬にギリシャのエクソシア大学のキャンパスが突如として半壊した例の大災害に端を発した一連の戦闘状態のことである。
建物の半壊の原因は、超大型の位相のズレが発生した余波―――――と説明されているが、詳細は未だ不明である。というのも、そもそもその程度のことで容易く崩壊するほどエクソシア大学のキャンパスの建築は脆くないため、辻褄が合わないのである。大体、《高濃度魔力地帯》にある建築物すべてがそうである。
そうなってくると、なにを疑うべきなのか、怪しさばかりが増すのみで不快なものがある。
そして、その半壊の瞬間を遠目に見ていた人間は多くとも、その原因を見たという証言は少ない上にまとまりがなく、吹き飛んだ建物内や現場付近にいた人間の大半が死亡、または重傷ということで、碌に情報が得られないのだ。
そんな、まさに未曾有の大災害である。当然ながらそれに対応するIAMOや国連もそれ相応の物資の搬入や人員の投入を行ったわけだが、特に問題となったのが、やはり空に浮かんだ町1つ覆うほどの巨大な門だった。 ここで「門」と表現したのは、既にそれが位相の歪曲などという不安定な状態ではなく、ギルドなどで管理されている異世界への門と同様の安定性があったためだ。このことが、非常に稀なケースであったために、かなりの大騒ぎになったことは多くに知られるところだった。
今頃は塞がれて破壊作業が始まっているであろうが、大事件だったことはこの先の歴史にも濃く残ることだろう。
そうして、その門から現れて現地に溢れかえった無尽蔵にすら思えるモンスターの制圧、及び門の向こうの調査を任されたのが、神代疾風率いるIAMOの特務中隊を戦力の中心としたランク5以上の魔法士のみで編成される大隊だった。
この派遣の目的は、名目上は「視察」と「対応」だったが、いずれにせよ門の向こうが荒れているのは予想できていたことであり、完全に鎮圧を目論んでいたものだったのだろう。現にIAMOに正規所属しているわけでもない疾風をまたまた使い回して仕事に当たったのだから。
ちなみに、米空軍が機に乗じて現在開発中の新型兵器『ESS-PA』とやらの試験運用が為されたとの情報もあったようだが、成果は不明である。
○
千影はとりあえず、今話せる、以上のことを直華に簡潔にまとめて説明した。
一応短くまとめたつもりだったのだが、それなりに長い話になったので、途中から部屋着に着替えて降りてきた迅雷も聴衆に加わっていた。
「な、なんかすっごい大ごとだったんだね、あれって」
水平線の向こうの国の話なので、直華がギリシャでの出来事について急に詳しく話されて目を白黒させるのも無理はなかった。
そもそも、今の千影の話には少しだけオフレコの内容もあったため、それを知らなければ専門家でも食いつくような情報である。一中学生にべらべらと説明してすんなり受け入れてもらえるとは誰も思っていない。
「それで父さんも全然帰って来れないってわけだな。さすがと言ってあげるべきなのか、ただのブラック企業の社畜なのか・・・」
疾風の働き方はあからさまに連続しすぎで、労働基準法なんて初めからなかったんだなぁ、となってしまうほどの過重労働である。
迅雷の苦々しい声には千影もつられて苦笑いした。ランクが高くなればそれだけ仕事もハードになる。自明なようで、実はただのオーバーワークをそうと錯覚させられているだけなのかもしれない。
「でも、結論から言ってはやチンという現状の最大戦力なくして話が進むってこともなかったってことだよね。その点で言えば、やっぱりさすがって方が合ってると思うよ」
「ふーん・・・」
テレビでは遂に記者会見の席に数人の男女がやってきて、フラッシュが隙間なく閃き始めた。
しかし、日本人らしき人物はいない。それを見て直華がつまらなそうな目をした。
「やっぱりお父さんいないんだね」
「いつものことだろ」
テレビに新聞に雑誌に、今どきならネットニュースにだって、名前だけならIAMO公式の最強魔法士として知られているのに、公の場には絶対に顔を出さない疾風。今日も今日とて記者会見にはきっちり欠席のようだ。どうせ見えないところで控えてはいるのだろうけれど。
時折、モンスターの恐怖や異世界との折り合いに不安を感じる人々を安心させるためでっち上げられたに架空の英雄とさえ噂されるほどの彼は、しかしちゃんと迅雷と直華の父親であり、真名の夫である。
「あ、ジョンとエミリアだ。また会見丸投げされたんだ、あの2人」
「ん?千影、あの人たちと知り合いなのか?」
カメラのフラッシュを浴びながら、さっきまで千影が説明していたような話を述べ上げていく男女。そんな彼らを見て懐かしそうな顔をする千影に、迅雷は尋ねた。まさか画面の中の人の知り合いが自分の家にいるなどとは、なかなか想像すまい。
「まぁね。だってボク、ちょっと前まではやチンの下について行動していたわけだし。ほぼほぼあの2人もはやチンの直属の部下みたいなもんだよ?」
「なるほど、そりゃ知り合いで普通か。ってか父さんの所属ってホントにどこなのか分からなくなってくるなぁ。一応日本警察だったはずなのに・・・」
ランクが上がれば不自由さも強まるということなのかもしれない。いや、間違いなくそうなのだろう。疾風自身、ランク3,4あたりが一番幸せなランクだとかなんとか言っていた気がする。
「それにしても、やっぱり千影ちゃんってホントにIAMOの人だったんだね。私たちよりお父さんの行動を知ってるし」
「これでもボクは情報を制限されている方なんだけどね。それに、はやチンもあんまり家族に仕事の話を持ち込むような人じゃないし」
あそこまで上り詰めておきながらなお公私混同をここまで徹底的に回避する人物も、そうはいないだろう、と千影は考えた。彼女にはなかなか出来ないことだ。
「あ、こっからは新しい話みたいだね」
●
門の向こうではなにが起きていたのか―――――。
記者の質問に、ジョンとエミリアはなんと答えるべきか困っていた。あの状況をどう伝えれば良いのか、彼らには判別がつかないのだ。
事実をそのまま伝えるのは、もしかせずとも世に混乱をもたらすだろう。
カメラのフラッシュが瞬いて視界が断続的に真っ白になる。
記者が早く答えろと言わんばかりの視線を投げかけてくる。
「あー、それは・・・」
もちろん英語で、ジョンは唸った。彼もあまり嘘の得意なタイプの人間ではない。
戦争が起きていて、その反動によるものだ―――――という説明。だが、実はこれはこれで説明不足だ。「どことどこが?」と聞かれれば、また口をつむぐ羽目になる。
それに、それがまさか、さらなる異世界からの侵攻を受けていたなどと、公表するのも躊躇われる。
3分ほど悩ましげに黙り続け、いよいよ記者陣のマイクを持っているジョンとエミリアの2人に対する苛立ちが強まってきた頃だった。
そんな彼らに、小さな紙切れが回されてきた。それは助け船・・・だったのだろうか。
紙切れには短い英文。
『Disclose truth!』
「「・・・・・・」」
あまり綺麗とは言えないこのアルファベットが、間違いなく神代疾風のものだった。
会見には出てこないくせに、とも思ったジョンとエミリアだったが、紙切れに文句を言っても始まらない。彼が良いというのならもうそれで間違いないのだろうけれど、しかし、本当に良いのだろうか。顔を見合わせるジョンとエミリアではあったものの、決心して頷き合った。
「門の先で起きていたことについてですが―――――」
●
受話器を握る力は、これから話そうとする相手が父親だというのに、強めずにはいられなかった。真実を確かめることが、恐い。
しかし、そんな不安も知らない回線はすぐに繋がった。
「もしもし・・・父さん?」
『おう、迅雷か。どうしたんだ?』
事の重大さにも関わらず、あっけらかんとした声が迅雷を迎えた。緊張感がないのは、家族に余計な気遣いをさせないための配慮なのか、それとも単に実力の高さ故にこの程度の事態には恐れを抱くことすらないからなのか。
いいや、恐らくは前者である。もし後者であったなら、疾風はランク7に到達する前に自らの傲慢によって命を落としているはずだ。
あの強さは、必要不可欠の緊張と恐怖なくしてはあり得ないのだ。
いろいろと考えながら、結局は父の声に安心してしまう迅雷。彼にとって、疾風の存在はこの不安定な世界を安心して生きていくための1つの心の支えであり、また、目指す頂でもあるのだ。
「さっきさ、会見、見たよ」
『そうか。その感じだと、千影からも話を聞いたってことで良いんだろうなぁ。あいつも口が意外と軽いんだな・・・』
会見の話で自分に電話がかかってきたということは、と想像する疾風。
今回の件は世間に、というより全世界に動揺をもたらすものだったはずだ。その中にはもちろん疾風の家族だって含まれる。迅雷が、直華が、真名が、事態を恐れて彼と話をしようとするのだって、当然だ。
「あぁ、聞いたよ。ギリシャのあれから、大変だったみたいだね」
『まぁまぁな』
「・・・それで、さ」
尋ねるのを怖がって開くことを拒む口を、迅雷は無理矢理に力を込めて動かした。
「魔界が他の世界に侵攻していたって、本当だったのか?」
『・・・・・・』
押し黙る疾風。迅雷は彼の答えを待つようで、しかしむしろなにも言わずこの話が初めからなかったことになってしまえば良いとさえ感じていた。もっと望むなら、否定の言葉。そんな疾風の返事を戦々兢々としながら待った。恐れずとも、変わらないのに。
『・・・あぁ。嘘では、ないな』
くぐもった疾風の声は、迅雷の言葉を肯定してしまった。
魔界が他の世界を侵攻し始めたという事実。これが意味するのは、単なる世界間での国際関係的事項の悪化などという抽象的なものなどではなく、もっと直接的かつ非常な事態、つまり、魔界の人間世界への攻撃もすぐさまあり得る、ということである。
元々人間族と魔族の関係は良好と言えず、互いに貿易などを行うことも、本当に必要最低限にしかないほどの間柄だ。端的に言って、両者は互いに互いを、好悪抜きに物質的な需要という論理的な視点で見ても必要としていない。一方が滅んだところで実質なにも損をすることがないどころか、むしろ消えて欲しいという風潮も一部にはあるらしい。
そして、魔族といえば遙か昔からの話ではあるが、既に2,3個の世界を滅ぼして掌握しているという前例と、それによる強大な国力、戦力がある。
魔族個人ですらランク2、3程度の魔法士からすれば喧嘩して勝てるか危ういような、高い戦闘能力を持った者がざらにいるというのだから、この事態を不安に思わない人間などいないのだ。
『でもな、迅雷』
しかし、どんどん不安の底に沈みゆく迅雷に疾風は否定を投げた。
「・・・?」
『あちらさんも、資源の獲得のためにいろいろ持ちかけた末に交渉がうまくいかなかったから、それで暴力に頼ったようだったからな。まぁ、そんな侵略戦争というわけでもなかったのさ。人もよく国家間でやってきたことだろう』
「いや、それは規模が違いすぎるでしょ・・・」
例えは合っているのだろうけれど、スケールが明らかに大きすぎたため、迅雷は苦い顔をした。世界そのものを滅ぼすわけでなく資源目的だったとして、いずれにせよ、あちらはそういうレベルの軍事力があるというわけである。
『ま、まあそうだな、うん。でもつまり、魔界も今はこっちを攻めてくる理由がないんだよ、「あいつ嫌い」以外には。だから大丈夫だ。心配はしなくて良いぞ。他のみんなにも言ってやれ』
「・・・でも」
いくら父親の言葉が迅雷の安心感を増すとはいえ、現実がねじ曲がるわけではない。いくら心配ないといわれようが、どんなに拭いてもとれない油汚れのように漠然とした懸念は彼の中にこびり付いてしまった。
例え99パーセントの安全が疾風の言葉で確約されていても、残りの1パーセントに彼の保証はなく、そして彼に限らず誰一人としてそこを保証してくれる者もいない。
疾風が言っていた『あいつ嫌い』という理由で今まで戦争を仕掛けられたことは確かになかったようだが、しかしこれからもそうだと安心することもできない。例えるなら地震のようなものだろう。ここ数年なかったからといって備えを怠って痛い目を見た人間が日本中にいくらいたことだろう。
『なんだ、まだ不安か?』
「当たり前だろ」
いくらみんなを『守れ』る強さを求め頑張る迅雷でも、今既にそれだけの強さがあるというわけではない。不安なものはいくらでも不安なのだ。
『・・・、まぁ、そうか。そうだな。でも、この世界には父さんもいるし、教皇様やフレッドもいるからな。それに父さんの部下やってくれてる人も本当なら部隊長の看板を持ってるべき人たちだし、ちょっとルールに厳しいけど頼りになるIAMOの実動部の総司令官様もいる。米軍もなんか面白いものを作ってたし・・・いや、あれはまだ頼りになるか怪しいけど・・・とにかく、人間も無防備じゃないんだ。いつまでもひ弱な人間族じゃないんだよ。だから、安心しとけ』
「・・・なるほど、ね。残り1パーセントがギッシリだ。・・・うん、じゃあ少しは安心しとこうかな」
『1パーセント?あぁ、うん。まぁそういうことだ』
一瞬迅雷がなんのことを言っているのかとも思ったし疾風だったが、なんとなく察しがついて小さく笑った。最後の1パーセントはきっとこの世界を守り抜くだけの保証になり得る。
その後は、短いながらに他愛ない話をして、これでも一応忙しい疾風は惜しみつつも息子が通話を切るのを待ったのだった。
●
平淡な電子音が3回鳴って、疾風はスマートフォンをポケットにしまった。
自分もそのようになれたらどんなにやりやすいかと、ついついありもしないことを思ってしまう。
「それにしても、いつまでもひ弱な人間じゃない、か。皮肉なもんだよ・・・」
迅雷とした話の内容は完全に嘘というわけでもないが、本当かと言われると全くそうでない。敵方が求めるのは資源は資源でも、人的資源が主だったのだから。それは結局、侵略だ。
●
日が明けて、翌日5月18日水曜日。
当然だが、世間は前日のニュースの話題で持ちきりであった。
新聞の朝刊も、開くまでもなく一面に大きく「魔界が晶界に侵攻か」という大見出しが叩きつけるような会見の写真と共にあった。
テレビを点ければ、ニュースに緊急特番に、いたるところにこれ見よがしに訳知り顔の専門家たちが席をもらっている。
家から一歩出て通学路を歩くだけでも、通りすがる会社員らしき大人たちは、惰性でどこかせわしなくしつつも、鼻先のスマホの画面を見て本当の心はどこか別の場所にあるように見える。
しかし、こうして不安と懸念で足が地面から浮いてしまっているような日本だが、それはどこの国も同じことである。中には暴動が起きたり、どこに逃げるつもりなのか物の買い占めがあったりした国もあると思えば、日本はそこそこ落ち着いている方だと言えるのかもしれない。
問題の発端がギリシャということで、遠い場所にあるのもその1つの理由なのかもしれないが。
「この調子だと学校も学内戦どころじゃなくなってるかもしれないよな」
早朝から既にピリピリした緊張が漂う空気に、迅雷は重たげな表情でそう言った。実際、学内戦の中止はあり得ないが、みなどこか気もそぞろになっていることだろう。
そして、彼の両隣を歩く慈音と千影も彼の呟きに首を捻り、唸った。慈音も迅雷から、疾風のしていた話に内容は噛み砕いて聞かされていたところなので、そこらの一般人よりかは幾分冷静であった。
「やっぱりそうなっちゃうかなぁ。しのも今日は試合があるし、盛り下がっちゃってたらちょっと寂しいかなぁ・・・」
「でも無理ないよ。悪魔の軍勢が攻め込んでくるかも、なんて考え始めたら、試合どころじゃないもん」
事実がそうなろうがなるまいが、想像だけでも十分に恐怖を感じるような状況は、今や多くの人々が共有するところである。
魔族と戦争するとなれば実力的に不利という自覚の強い人間たちは、そのせいで弱気のデフレスパイラルに落ち込んでいくわけだ。道行く人々はみな、近くに迫っているのかもしれない終末を想像して、薄ら寒い沈黙を続けている。
ただ、あまり後ろ向きな話ばかりしていたって面白くないので、迅雷は少し論点をずらすことにした。
「ちなみにさ、千影」
「ん?どうしたの、とっしー?」
「思ったんだけど、お前と魔族がやり合ったらどっちが勝つ?」
迅雷は千影の人並み外れたその強さに期待を込めてそう尋ねた。
そしてもちろん、千影も自信満々な笑顔を浮かべる。・・・のだが。
「なんだ、そんなこと聞くまでもないでしょ―――と、言いたいところだけど、その質問は答えにくいなー」
意外にも、否定ではないにしろ曖昧な答えが返ってきた。
声が軽い分、千影は事をあまり重大には取っていないようだが、迅雷は彼女の答えが予想と違ったことにそれなりに驚いていた。ここはまさに「聞くまでもない」と言い切って欲しかった。
千影は続けて語る。
「みんな魔族を一概に悪魔悪魔って言うけど、あっちだってれっきとした亜人種だからね。人間と同じで人種もあるし、その中には今は魔界に住んでる昔滅ぼされた世界から来た異種族の亜人種たちも含まれてるんだし。それに、個々人の実力も人と同じで上から下までいろいろだもん。ボクが勝てないヤツがいても不思議じゃないよ」
「ふーん、確かにそうだねー」
慈音も言われてみれば当たり前のことに頷いている。
この世界の人々はみな魔界の住人たちのことをまとめて悪魔と呼称しがちだが、しかし千影の言ったように人種の違いもあれば、魔法士のランクが7段階あるように、個々人の実力にも特徴やばらつきはある。
「そう言われると参るなぁ。いや、でもさ。とりあえずで良いから、ちょい強いくらいの悪魔とやり合ったとしてさ、どうだよ?」
迅雷は、今一度条件を変えて千影に問い直した。ここで人が彼らに勝てる可能性を示せる話をすれば、少なくとも周囲の人たちくらいには明るさが伝播するはずなので、迅雷もこうして粘るのだ。
それを察したのか、千影も腕を組んで考えるように空を見上げた。生憎の曇り空が今の世界中の人たちの心とシンクロしているようだったが、その中の一筋の光明となれるのなら、まぁ、それは面白い話だ。
「うんうん、そうだね。じゃあ例を挙げるとしたら、そうだね、サキュバス族とかリリス族とかだったら、ボクが本気でやったら10秒で100人はいけるよ」
「ごめん、想像を絶してたわ」
そうなると、逆に千影にやられる側のみなさんが可哀想になってくる。
もはや冗談にしか聞こえないような彼女の発言には、道行く人々も冷めた反応しかしなかった。小学生の調子の良い、ありもしない空想の自慢話だと思われたのだろう。
「ちなみに千影ちゃん。そのサキュバスとかリリスってどんな人たちなの?」
「えっとね、サキュバスは絵に描いたような悪魔だよね。背は人と同じかちょっと小さいくらいだけど、羽があって、細長い尻尾があるの。身体能力はそこそこで、強さ的にはレートCとか良くてBくらいかな」
レートとは、異世界の生物の危険度を示すための指標のようなもので、SS、S、AA、A、B、C、D、E、F、Gの10段階で評価されるのだが、実際はメジャーには使われていないやや専門味がかったオシャレな表現になりかかっている。
それでも一応、これはIAMOが公式で定めている基準のため、彼らのデータバンクではきっちりとこのレートが用いられているし、今の千影のように使う人は使っている。
ちなみにではあるが、SSで表しきれないものは全てSS+と表記されるのだが、大抵のモンスターはまずそんなことはなく、E~Cの間に留まる。よって、一部のレートCを含めつつ、レートBやAが『危険種』、AAが『特定危険種』、それ以上が『ゲゲイ・ゼラ』のような『特定指定危険種』となるわけだ。
とはいえ、知能の低い生物種であれば、きちんと訓練している魔法士たちは危険種とも渡り合える。これは獣に筋力で劣る人間が武器や集団を使って勝ってきたのと同じことだ。
だから問題はやはり、知能の高い亜人たちだろう。元より、今のところ確認されている人型種の中では人間が最も論理的思考力や科学的・魔法学的な知能で優れていると言われているが、正直に言って一部の種とはほぼ差がない。
確かに多くの世界の亜人種たちと比較してみても人間が魔力というものを知ったのは非常に新しい、というより最も新参で日も浅い種族であり、それ故に人間は科学という非魔法の技術を発展させてきた種だ。それはつまり、他を圧倒するほどの精緻な思考能力と進歩へのストイックさとを育んできたことになる。だが、それでも魔族や、そして人同様科学を知る種たちと比べれば、その思考能力のアドバンテージも微々たるものになる。
そして、喧嘩をするとなると、生身の頑丈さで言えば人間は極めて脆弱だ。
本来人型種にレート尺度を用いるのは失礼なのだが、敵対する場合にはそうすることが多いので、千影もそれに則ってレートを使ってサキュバスの強さを表現した。
「うはぁ、レートって言われても実感ないよー・・・」
もちろん、一般人の中の一般人である慈音は「レート」と言われてもしっくりこないので、拗ねた顔をするのだった。
「えっと・・・そう、あの『羽ゴリラ』くらいの強さで、頭良くなったバージョンくらいだよ、うん」
「はねごりら・・・?うーん、あっ、あのときのだね!・・・って、えぇ!?やだよ、怖いよー!」
2階から叩き落とされた苦い思い出が蘇り、慈音は顔を青くした。
迅雷も『羽ゴリラ』にはあまり良い思い出がない。慈音同様2階から落とされたり、決して安くない魔剣を刃こぼれさせられたり、殴られたり、助けに来た千影に笑われたり。
ザコの名前だけでうんざりした顔をする2人は放って、千影は話を進めてしまう。
「リリスもレートはCくらいだよ。それにしても、サキュバスとかリリスっていっても男女があるのが面白いよね」
「おもしろがってられないってばー!」
●
「・・・杞憂だったな」
マンティオ学園は、世間を騒がす魔界の他世界への侵略騒動などまるでなかったかのように熱気が立ち込めていた。
校門の時点で、校庭からは「せやァ」とか「でやぁ」とか「どわぁ」とか、なにか暑苦しい格闘技マンガじみた叫び声が聞こえてくるほどで、魔法使いという頭の良さげな響きの欠片もなかった。魔法科専門高等学校とはなんだったのか。
これならもしかすれば悪魔の軍勢が攻めてきても、学生軍団の気合いで乗り切れてしまうのではなかろうか。迅雷はもう、例の事件について考えることすら馬鹿らしくなってきた。恐らく、これまでにこれからに登校してくる生徒たち全員がそうなるのだろう。
今日も席取りのためにアリーナに向かった千影と別れて、迅雷は教室に向かう。
「あ、慈音っち、迅雷クン!おっはー」
「おはようございます」
「おはよー、向日葵ちゃんに友香ちゃん」
「よっす」
教室の入り口近くにいた向日葵と友香が2人に声をかけた。
「さぁ、慈音っち!今日は試合だよ?気合い入ってるかー!?」
タチの悪い酔っ払いみたいに、向日葵は慈音にしなだれかかって頬同士がくっつく距離で声を張る。
耳元で元気たっぷりな声を出されて頭をクラクラさせる慈音。
「うわぇ・・・、バ、バッチリ?だよー」
「気が抜けてるぞー!」
「わーっ!?大丈夫だよ!大丈夫だから、耳元で叫ばないでよー!?」
迅雷と友香がそんなやりとりを眺めて苦笑していると、そこにはさらにネビアまでやってきた。
「やぁ諸君!元気がよろしいじゃないか!カシラ!」
「またややこしいのが増えたぞ・・・」
「おやおや、迅雷、それは随分な物言いじゃぁないか、カシラ」
拗ねたわけでもなく、普通に冗談っぽく笑ってみせるネビアは、どこか眠たげでもある。やはり、普段は遅刻寸前で登校する彼女のことなので早起きをしなければならないこの期間は辛いのだろうか。
「ネビアちゃん、眠そうね」
ぼんやりしたネビアに気付いた友香が尋ねると、彼女は返事代わりにあくびをする。
「ふわぁ・・・。まぁね、カシラ。やっぱりアレよ、10時くらいまでは寝ないと体が保たないわ、カシラ」
なんだか同じようなことを言っていた他校の友人が思い出されて、迅雷は渋い顔をした。ニートでもない限り世の中に毎日そんな時間に起きるヤツがいてたまるか。迅雷も別に早起きは得意ではないのだが、それでもネビアや昴ほどではない。2人がちょっとおかしいのだ。
―――完全に余談だが、そのように考える迅雷はまだ、大学生の生態を知らないのである。
元話 episode3 sect40 “無駄”(2016/12/4)
episode3 sect41 “2秒”(2016/12/6)
episode3 sect42 “終焉の予兆と意図されし齟齬”(2016/12/8)
episode3 sect43 “マンティオ学園と一般人の寒暖差”(2016/12/10)