episode3 sect10 ”地味で真面目も悪くない”
「ゴメンね、カシラ。あなたに負けて良い立場じゃないのよ、私は、カシラ」
倒れそうになりながら、声を聞いた。ネビアの声。間違いようのない、打ち倒したはずの相手の声。
時間を逆再生。矢生の直近の、ネビアに感謝を述べようとしてから、今この瞬間までの数秒間でなにが起きたのかが頭の中で逆再生され、そして巻き戻された始点から再び通常再生される。
落着直後、頭から落ちたはずのネビアはしかし、両手両足で落下の衝撃を緩衝して着地していた。
両肘も両膝もバネのように折り曲げて、その姿はまるで獲物を狙う獰猛な肉食獣のようで。
次の瞬間にはもう彼女はそこにはいなくて、代わりに自分の目の前に現れて、それから―――。
「・・・ぅ、かっ・・・!?」
激痛を思い出した。腹部に鉄球を高速で叩きつけられたような、重鈍な激痛。
そうだった。気が付いたときには、既にネビアの膝が鳩尾に、見るだけでも気を失いそうなほど深く深く、沈んでいた。
今体が浮いているように感じたのは、本当に矢生が吹き飛ばされているからだった。
思い出した途端、喉の奥から熱いものが迫り上がってきた。
すぐに口の中は胃液と血液の味で満たされて、矢生はそれに堪らず一気に吐き出してしまう。
矢生の意識は、そこで途切れた。
○
唖然として静寂に包まれた第3アリーナ。その永遠にさえ見えた一瞬には、実況すらもが仕事を忘れて固まっていた。
激戦の末に矢生が勝利を決めた―――――と、誰もがその熱い試合展開に沸騰した直後だった。実況席の大地と真波もマイクを構えて、まさに矢生を讃えようとしていた。
誰も、なにが起きたのか理解できなかった。
もちろん、ネビアのあの人間離れした動きを目で見て、なにが起きたのかを知っていた人間は、これだけの人数が集まっているのだから、少なからずいた。解説担当の真波だって、その瞬間を目で追うことは出来ていた。
それでも、だけれども、確かにその目で見たはずの光景を、真波は疑わずにはいられなかった。
学生同士の試合で、まさか自分の目を疑うようなことがあろうなど、彼女は思ってもみなかった。それほどまでに、あの一瞬間は真波に大きな、受け入れ難い衝撃をもたらした。
マイクも握らず、真波は呆然として思考の整理だけに集中した。
やり過ぎなほどの飽和攻撃、それも全方位からの隙間のない攻撃をまともに受け、水煙の中から落下していくネビアの姿は、どう見ても満身創痍であった。
ジャージのあちこちが焼け焦げ、肌の見える部分も煤けて黒くなっていた。さらに、ところどころには血の痕のような赤黒い色も見えた。
「どう見たって、聖護院さんの勝ちだったわよね・・・・・・?だって、あんなに・・・・・・なのに」
それなのに。
ネビアは床に激突する寸前で綺麗に体を捻って着地して、、猛然とした瞬発力で瞬く間に矢生に迫り、勢いそのままに膝蹴りを捻じ込んだ。あまつさえその威力は、矢生の体を5m以上も上に跳ね飛ばすほどときた。
あのとき、どう考えたって、まず誰も想像し得ないような事態が起きていた。
そしてなにより、最も信じられないことは。
「なんで・・・無傷なの?」
服もなにも、全身くまなくボロボロなのに、いつの間にか傷一つないネビア。
「もうなにがなんだか分からないよ・・・」
●
『うおぉーっ!決まったァ!決まりましたァ!Aブロック1回戦は、清水選手の勝利だァ!まずはおめでとう、そしてこの熱狂をありがとう!!』
『えぇ、良い勝負でしたねぇ。私もついつい、年甲斐もなくワクワクしてしまいました。というか、寺前君は大丈夫なのかねぇ?』
床に俯せに倒れている寺前舟詠を見て、 解説をする教頭の三田園松吉がとぼけた声を出す。
手足をひくつかせているので恐らく無事・・・と言えば無事なのだろう。
水の五線譜―――――正確には五線譜を模した、高圧水流のカッターで思い切り斬られたり、急に体の周りに大量の水を出されて溺れたりしてずぶ濡れの彼だったが、やはり体の鍛え方が違うらしく、素晴らしい耐久力である。
「く、くそ、あと一歩だったのに・・・」
「ハハハ、それはきっと随分と大きい一歩なのだろうね。いや、君は本当に頑張ったさ、あぁ、よくやったよ!でも、相手が悪かったね」
・・・などと強がりを言い放つ副会長の清水蓮太朗だが、実際は結構分からない勝負だった。内心勝ってかなりほっとしている蓮太郎の浮かべる笑顔は、どことなくいつもの鼻につく爽やかさを欠いてぎこちない。
大体、舟詠が頑丈すぎるのだ。何度も何度もそこらの生徒なら気絶しそうな一撃を叩き込んだというのにさっぱり退かないなんて、むしろ蓮太朗の方が引くところだった。あまりに打たれ強かったので、途中でよもやマゾヒストではあるまいな、などと疑ったりしたものだ。
担架に乗せられて退場する舟詠を見送り、蓮太朗もゲートをくぐった。
『さぁ、次の試合は―――――!』
●
「ふふ、白兵戦なら勝てると思った?良い判断だったわ。確かに、肉弾戦は苦手だもの」
萌生が見上げる先には、長大に育ったゴボウの茎に巻き付かれて宙吊りにされた相模。
その手にはもう、魔槍はない。もう1本のゴボウに奪い取られたからだ。
接近戦にもつれ込ませようとして変則的な普通の中距離戦用の魔法を駆使した相模だったが、常に冷静に攻撃をいなす萌生の懐に入り込むことは、遂に敵わなかった。
そうやって程良く相模を体力的・精神的にも消耗させて隙を作らせた萌生は、予め蒔いておいたうち、発芽させずに残しておいた2つのゴボウの種を呼び起こしてトラップとして利用したのだ。
「初めから掌の上だったってか・・・」
「ううん、そんなことはないわよ?ただ、保険をかけといて正解だったってところかしら」
優しく微笑み、奪い取った槍を相模の喉元に突き付けることで勝利確定。
『さ、さすがは豊園萌生!相模選手の変幻自在な槍術をものともせぬ、華麗な勝利でした!』
『やっぱりすごかったですねー』
『由良ちゃんはもう少し解説頑張ってね!』
『それはすみませんでしたけど、せめて敬語を!?』
●
全ブロックで第1試合が終了し、そこでアナウンスがあった。内容は各ブロックの試合結果と、次の試合のお知らせや選手へのコール、それから係の生徒や教員に向けた事務連絡などだ。
そんなわけで特に聞く必要もない放送は聞き流しつつ、迅雷はネビアと矢生の試合が終わった第3アリーナを一旦後にした。今はちょうど、12時からの第3試合に出る向日葵が校庭でウォーミングアップをしているので、その様子を見に行こうとしたところだ。
もっとも、ネビアが出場した第1試合はアップの必要な向日葵やなにかしらの仕事が入っている風紀委員、大会実行委員を除く3組の生徒全員で見に来ていたので、そのまま向日葵のところに行こうとしているのは迅雷1人でもない。
「・・・と、その前にネビアのとこ行ってやんないとな」
なんだかよく分からない結末を迎えた第1試合ではあったが、結局はネビアが矢生の逆転をさらに抑え込んで勝利したということには違いないし、それ自体は喜ぶべきことだ。
最後、かなりバイオレンスに打ちのめされた矢生も心配ではあったものの、ネビアが反則退場を受けなかったので無事ではあるのだろう。
アリーナの選手控え室区画の入り口にぞろぞろと集まる迅雷たち3組の面々。
「あ、来たよ!」
慈音が通路の奥のネビアに気が付いて指差すと、彼女も慈音たちに気付いたらしく、高く大きく手を振り返してきた。
「ブイッ、カシラ!」
外に出てきてまず初めにVサインをするネビア。
格好はジャージがボロボロで、なんとなく間違いなくエロい感じになってしまっているのだが、本人はさして気にしている様子もないようである。それよりもむしろ、男子が自分を取り囲みながらも視線のやり場に困っているのを見て楽しんでいる節もあるように見える。
だが、とりあえず今はネビアのジャージの件は置いておくこととする。後ででも、この期間ならば購買とか事務室に行けば、すぐに新しいものを安く手に入れられるからだ。
「よーし、じゃあネビアちゃんを胴上げしよう!」
誰かがそう言って、盛り上がりが伝播する。
すると、ネビアが急に驚いた顔をして、両手を顔の前で振り出した。
「い、いいよ胴上げなんて、カシラ。別にまだ1回戦に勝っただけなんだし、そんなに凄いことはしてないのよ!?カシラ!?」
妙に謙虚なことを言って辞退しようとするネビアだったが、もう既に胴上げムードになっているみなは聞く耳を持たない。
困ったような顔をするネビアを、慈音が冗談っぽく肘で小突いた。
「もう、またまたー。矢生ちゃんって言ったらすっごい強いって話だったんだよ?聞いてたでしょ、1年生の2番手だってー。それに勝っちゃったんだから、すごいんだよー」
「で、でもでも、私なんか。うーん・・・良いのかな?カシラ」
「いいんだよ!さぁっ、さぁっ!」
慈音に背中を押されて今度こそクラスメートの塊の中に埋もれたネビアは、次の瞬間には空に高く放り投げられた。
投げられる度に素っ頓狂な声を短く出しながら高く高く胴上げされるネビアは、思ってもみない歓迎に少しだけ―――――本当に少しだけ、次の試合も頑張ってみようかなと思った。
●
「よっ、調子はどうだ?」
流しで100mかちょっとくらいを走っていた向日葵を見つけた迅雷は、走り終えて彼女が額の汗を拭っているところに声をかけた。今の彼女の格好は、どこか気合いの入った陸上部を思わせるランシャツとランパンだった。
あまり大勢で押しかけても向日葵に迷惑だろうということで、迅雷と一緒に来ているのは友香と真牙だけだ。慈音も行きたいとは言っていたのだが、彼女には迅雷が「もっと試合を見て魔法戦の試合がどんな感じか勉強しておきなさい」と言って、アリーナに置いてきた。
「お、迅雷クンにトモと真牙クン。来てくれたんだ」
「本当は第2試合もすっごく見たかったんだけど、ヒマが頑張ってるからね。試合の方は録画をお願いして妥協してきたのよ?」
素晴らしい友情・・・に見えるが、それはやりとりの見てくれだけである。実は迅雷と真牙が友香に一緒に来るように話を持ちかけたときの彼女の悩みようは尋常ではなかった。初めこそアリーナに留まろうとする心が強かったが、こうしてなんとか真牙の巧みな誘導で連れてくることには成功した。
最後に友香に涙ながらにビデオカメラと1000円札を手渡されて試合の録画を頼まれた子は、彼女の知られざる一面に困惑を隠しきれていなかった。まさか誰も、自分のクラスの委員長の片割れがそんな変態的側面を持っていようなどとは思わなかっただろう。
そんな経緯があったことは微塵も見せず、友香はあくまで今はもう自然体で振る舞っている。
「あ、そうそう。ヒマ、飲み物足りてる?」
「うん?あー・・・、そろそろなくなりそうかも」
一旦休憩しに荷物を置いてある朝礼台に戻った向日葵が、ほとんど空になったペットボトルを振りながら「あちゃー・・・」と声を漏らした。
すると、これ見よがしに友香がバッグの中からスポーツドリンクの入った大きめなボトルを取りだした。
「ほーら、やっぱり。いっつもヒマは運動中に飲み物を飲み過ぎなのよ。ハイこれ、差し入れ」
「おお、さすが親友!ありがとう!」
こうして見ると、まるでなにか部活で自主練をする選手とマネージャーが織りなす甘酸っぱい青春の1ページのようだ。まぁ、2人とも女の子なので恋愛系の意味を持たせなければこれも純然たる青春の1ページであることには違いないのだが、男目線に若干の百合っ気が漂う2人(実際のところ本人たちには全然そんなつもりはないのだが)のことなので迅雷と真牙はのほほんとそんな光景を眺めるのだった。
友香からスポーツドリンクを受け取り、さっそく開栓。言われたそばから美味しそうに喉をゴクゴクと鳴らし始めた向日葵だったが、なぜかすぐにボトルから口を離してしまった。
「ぶほっ!?な、なにこれ!ぬるっ!超ぬるいんですけど!?」
まるで謀られたかのような恨めしそうな目で友香を見る向日葵だったが、友香はむしろ自信ありげな顔をしていた。
「ふふん。運動中に急に冷たいものを飲むのはあんまり良くないのよ?勝つ気があるならそれくらい我慢してよね」
なんの知識自慢だか、得意げに鼻を鳴らす友香。珍しくやられる側になっている向日葵が、反論を思いつけずに唸っている。
しかし、ぬるいスポーツドリンクの差し入れとは、新しい嫌がらせの登場だ。だってアレ、結構マズくない?好きでぬるいスポーツドリンクを飲んでいる人には申し訳ないが、今回ばかりは向日葵に憐れみの視線を送る迅雷と真牙であった。
「・・・ていうか、真牙クン」
「・・・ん?」
なぜか先ほどから妙に静かな真牙を不審に感じた向日葵が話を真牙に投げて、真牙は微妙にディレイのかかった返事をする。
あと、彼女が真牙を不審に思った理由はもう1つあった。・・・というより、むしろこちらの理由の方が向日葵としては直接的に気になっていた。
「さっきからなんか視線がヤラシイんだけど」
「だってノースリーブのランシャツと太ももまでバッチリ見えるランパンって。男の子なら見ちゃうでしょ」
まったく自重しない真牙。
こうして見てみると、確かになかなかスタイルが整っている向日葵。手足も意外にスラリと長くて、全体的に細いラインではあるが、綺麗に引き締まった筋肉が白くてキメ細かい肌の下にうっすらと存在を主張している。
友香と並べて立たせるとボリューム的には大きく負けている向日葵だったが、この爽やか健康プロポーションは友香にはないものだ。
「・・・ちょい、迅雷クン?」
「うん?別に『あれ?実はすげぇいい感じじゃね?』とか思って見てたわけじゃないぞ?」
なんだか急に今の格好が恥ずかしくなってきた向日葵は、顔を赤くして不埒な男友達2人をキッと睨み付けた。
「ふ、2人とも応援に来たんじゃなかったの!?」
「「もちろん、そうだけど?」」
「ちょっとは悪びれろー!」
向日葵がスケベ共から体を隠すためにパーカーを羽織ってしまい、サービス期間は終了した。
●
『・・・はいっ、それでは!Cブロック第3試合の両選手が入場します!まずはこの人!1-6、人呼んで《見えない壁》!細谷光選手!』
大歓声と共にフィールドに入る光。あまり目立ちすぎるというのは、上がり症な彼女にはちょっと荷が重い舞台である。
ライセンスを持っている選手の入場ということで観客全員が期待に満ちていたのだが、いざ出てきた少女を見て会場は一転して疑問符で溢れた。
―――――なんだ、あの地味な子?
というのが、光という人物を知らない人の反応だ。
緊張で縮こまり、顔も赤いし、視線も床にほぼ垂直に落ちてしまっている。おまけに灰色に近い色をしたセミロングの髪はなおさら彼女の地味さを際立てて(?)いる。体型についても先ほど登場した矢生のように印象的なところはないし、ジャージの着こなしもこの上なく普通。
ライセンサーと聞いていた割に期待外れなキャラクター性の少女が登場したせいで、微妙な空気が漂い始めた。
「うぅ・・・、地味でごめんなさいぃ」
『おおっと?細谷選手が入ってきたんですよ?《見えない壁》の「見えない」は影が薄いって意味だったんでしょうか?さぁ、みなさん、もっと盛り上がりましょうよ!』
『待って小野君、それは言ってはいけないことだと思うわ!!』
実況席からの容赦ない追い打ちに耐えかねて、遂に光は両手両膝を床について崩れ落ちてしまった。これは酷すぎる。
「わ、私がなにをしたっていうんですか・・・。そんなのってないよ・・・」
入場から10秒、試合開始前に既にノックアウトされた光だったが、試合のルール上まだ彼女は敗北していないので問題なし。時間の都合もあるので、大地はもう一方の生徒を入場させることにした。
『つ、続いてはまたまた1年3組からの出場!朝峯向日葵選手ゥ!』
名前を呼ばれて、向日葵はニッと笑ってゲートを駆け出した。
勢いよく元気に飛び出して来た彼女に、先に登場したなんちゃってライセンサーのせいで不完全燃焼のまま燻っていた観客が沸いた。
向日葵が学校指定ジャージを着ているのは下の半ズボンだけで、上はウォーミングアップで着ていたのと同じノースリーブのランシャツ。明るい茶髪は側頭部でミニツインテールにされていて愛らしく、爽やかな水色のハチマキを風になびかせていた。光とどっちが目立つかなんて言うまでもなし。
「いぇい!」
溢れんばかりの大きな歓声に乗っかるようにして、向日葵は後ろを振り向きながら高くジャンプした。さらに、とびきりの眩しい笑顔と高く挙げた右手のピースサインで重ねてアピール。
ハツラツと手を振ってフィールドの中央まで駆ける向日葵に、会場は今度こそ歓声で溢れかえった。さすが向日葵、名前に恥じない眩しさである。
『おおお!これはすごい盛り上がりだァ!朝峯選手の元気なアピールで一気にヒートアーップ!ナイスです!』
「へっへへー」
「うぅ・・・、なんかこれ私が負けそうな勢いになってるんですけど・・・?」
というより、既に登場のインパクトの時点で負けている光である。
もうどっちが挑戦者なのかも分からない。
○
試合開始だ。いつまでもへこたれてはいられない。両手で頬を強く張って、光は正面に立つ向日葵を見据えた。しっかりと構えて、光は気を引き締め直す。
会場を沸かせるようなアピールは無理でも、光はれっきとしたライセンサーだ。実力を遺憾なく発揮して、試合で魅せれば良い。
「よしっ!さぁどこからでも・・・」
「いっくよー!」
「えぇっ!?台詞くらい最後まで言わ・・・」
「てやぁ!」
結局、台詞の1つも最後まで言わせることなく白刃が飛んできた。
まったく空気を読んでくれない向日葵の先制攻撃を、光は悲鳴を上げながらしゃがんでなんとか回避。短剣が頭のすぐ上数センチのところを唸りを上げて通り過ぎ、少ししてハラハラと数本、自分の髪が舞い落ちてきた。
「ひぃぃっ、容赦なさ過ぎません!?」
―――今のを回避していなかったら、この勢いでも向日葵は短剣を寸止めしてくれたのだろうか?いやいやいやいや、これ、まったくそんな気がしない!!
開幕からわずか5秒で顔面蒼白のライセンス持ち。
光は、さらに短剣を振り回してきた向日葵の足下をでんぐり返しで抜けて後ろに回り込む。
そしてそのまま反撃・・・とは行かずに、走ってまずは向日葵から距離を取ることにした。この流れは普通にダメなやつだ。すぐに攻めるよりも一旦体勢を立て直すのが先決なはずなのだ。
なのだが。
「あっこら!待てい!」
「ひえぇ、走るの速い!!」
もういっそ陸上部にでも入れば良いのに、と思えてくる足の速さ。見た感じでは『マジックブースト』を使っていないようなのに、それを使って走っている光を後ろから冗談みたいにグングン追い上げてくる。
元々走るのがあまり得意ではないとはいえ、光だって魔力を使えば50mを6秒7とか8で走れるのだが、はてさて・・・。
あっという間に追いつかれて背後から向日葵が飛びかかってきたのを辛うじて避けた光だったが、その避けた方向が左側だったばかりに、短剣を握っていないフリーの左手を伸ばした向日葵にジャージの襟を掴まれてしまった。
「よっしゃあ、捕まえたわよ!」
なんだか楽しげな向日葵だが、実際のところ、捕まえられた側である光から見れば、なんか刃物を持った人が全力で逃げる自分をそれよりずっと速いスピードで悠々と追いかけてきたようなものだ。つまり、すごく恐い。
涙目になって逃げようともがく光だったが、奮闘も空しく向日葵が短剣を振り上げた。向日葵の試合にはマンガによくあるような、有利な方のキャラが繰り広げる謎の会話時間というものが存在しないらしい。命乞いをする猶予もなければ、じたばたと暴れて逃げられるわけでもない。まさに、絶体絶命。
だけれども、さすがにこんなことで終わりなどというのはさすがに光も嫌だったので、次々に振られてくる向日葵の情け・容赦・躊躇の三拍子が欠落してしまった斬撃を首だけ動かしてことごとくスレスレで回避する。
「えいっ」
「ひぃっ」
「このっ!」
「わわっ!?」
「ちょっ、もうっ!!」
「ぎゃあ!あ、危なっ!?」
「・・・ふんっ!」
「あうっ」
いい加減に苛立ってきた向日葵が、結局光を蹴飛ばした。予想していなかったところで突然腰に蹴りを入れられた光は、前につんのめってそのまま転び、顔面からスライディングした。「はぶっ」と情けない声を出して1mほどタイルの床を滑り、ようやく止まった光に向日葵は容赦なく怒鳴った。
「ちょっと!じっとしてくれないときちんと斬れないじゃん!」
「おかしいよ、絶対おかしいよその言い方は!完全に愉快犯の台詞ですよ!サイコパス!!切り裂きジャック!!暴力反対ーっ!!」
完全に血の気が引いた顔の光が怯えた目で向日葵を見た。向日葵が愉快犯だとしたら、今の光は憐れな子羊といったところか。
どうやら自分は知らない間になんだかとんでもない人と戦うことになってしまっていたらしい、と今更逃げられない運命に涙する光。
しかも悲しいのが、この会場いっぱいの割れんばかりの声援だ。なにかとんでもないことを口走ったはずの向日葵への声援は、むしろ秒を追うごとに熱を増すばかりのものだから、この場の主人公が誰なのかというのがいやと言うほど分かる。
それもこれも入場の時点からずっと不甲斐ない姿を晒してきた光が悪いのだから仕方のないことではあるのだが、立場的に本当なら勝っていなければならない自分を差し置いて向日葵ばかり、というのも悔しい。
「うぅ、悔しいけど名前が名前なだけあって眩しい人!」
「いやそれ言ったら細谷さんも・・・っていうかむしろ細谷さんこそがそうだと思うんだけど」
この「そう」というのは光が光という名前であることを指しているわけで、向日葵よりずっと直接的に眩しそうな名前をしているくせに、不一致な少女である。
「さぁ、今度こそ掻っ捌いてあげる!」
今度はしっかり『マジックブースト』を使って猛烈な勢いで光に飛びかかる向日葵。
ここでもやはり回避を狙う光だが、相手のスピードがさっきまでと比べ段違いに速くなったために反応の感覚がズレてしまった。
迫る短剣がいよいよ脇腹に届こうとしたところで、光はなんとか魔法陣を体と刃の間に滑り込ませてガードをする。
「ふ、ふぅ。すんでのところでした・・・」
安堵の息を吐く光だったが、向日葵はそんな彼女を見て拍子抜けした気持ちになった。短剣を光の魔法陣に押しつけたまま、勝ち誇るような笑みを浮かべて向日葵は実は大したことのない対戦相手に話しかけた。
「思ってたより大したことないね、細谷さん!」
「・・・っ、なにを!」
「『常に懐に潜り込み続ければ一方的に攻撃を加えられる』、か。なるほど、迅雷クンの言う通りだった見たいだね!」
迅雷クン。神代迅雷。光はそこでようやくこの状況に合点がいった。ほぼ初対面の向日葵がなぜか最初から光の弱点を知っていたかのように迷いなく突っ込んできたのは、まさに事前に迅雷から自分の弱点を聞いて知っていたからだったのだ。
ゴールデンウィーク中の合宿では共に互いの命を預けて巨大な敵に立ち向かった仲間だった彼も、今は敵というわけである。そうなると、非常に厄介なことになった。
まず、対戦相手が発表されたのが今日であるにも関わらず、この完璧に近い対応。
「うーん、敵ながらあっぱれ・・・。適応が早いのはディフェンサーの私としては一番面倒な相手だよ・・・」
「ん、なに?ブツブツ言ってないで、声を、大にッ!」
向日葵が短剣に込める力が増し、それを光はなおも歯を食いしばって片手の力だけで押さえる。
「なにって、あなたが強いってことです!」
認めるしかない。最初の一撃は不意打ちっぽかったとはいえ、それに対応しかねたのは向日葵の動きの速さが光の反応より速かったからだ。その後だって光は結局彼女から距離を取ることも出来なかった上に、今はこうして横腹に短剣の刃を押し当てられようとしている。
―――でも、それでも・・・。
「―――でも、やっぱり負けたくない!」
認めた上で、やはり勝たねば示しがつかない。なぜなら光はライセンサーなのだから。そしてなにより、応援に集まってくれたクラスメートたちの不安げな顔が視界に入ったのなら、なおさらだった。
性格も戦闘スタイルも、とにかく相性が悪い。
だが、相性がなんだというのだ。
《見えない壁》、細谷光は、この程度ではない。
「『シュテルメン・アップヴェーア』!!」
「な、なに!?」
向日葵の短剣を抑え込んでいた光の魔法陣が突如として激しく回転を始め、向日葵は急に目つきが力強くなった光から無意識に一歩後ずさった。
激しく散る火花は、向日葵の短剣からだ。魔法陣の回転だけで向日葵の短剣の刃は一気に摩耗して、魔法陣の紋様に合わせて刃に山と谷が出来てしまった。
しかし、驚きに声を上げる間もなく次の変化、魔法の発動が行われる。
精々が掌サイズでしかない魔法陣から強烈な突風が噴き出して、向日葵の体を5mは弾き飛ばした。
一瞬なにが起きたのか理解出来なかった向日葵は、いつの間にか遠く離れたところにいる光を見つけて唖然とした。手元の短剣を見れば、現実がありありとその姿を見せつける。
「そんな、攻撃魔法はほとんど使えないはずじゃ・・・!?」
「えぇ、そうですよ?今のだって、ただの自己防衛用の防御魔法ですから。この魔法の名前は、日本語に直したら、『吹き荒ぶ抵抗』ですし」
攻撃は最大の防御?否。防御こそ、最大の攻撃である。
攻めに偏る人はいつだって、結局攻めるばかりでいつの間にか防御を忘れ去っている。それは人間も他の生き物、それはモンスターですら例外ではなく、どんなものにだって等しく通ずることだ。
だから光は、自らを守る盾にありったけの矛を括り付けることにしたのだ。
「防御一辺倒でなにか悪いんですか?守るための停滞と停止が、次への一歩になるんですよ!」
両手には平面に圧縮された竜巻の大盾。
ここから先は暴風注意報。それでも進もうと言うのなら、全身防具推奨。無事を保証はしない。
元話 episode3 sect26 “Ms. INCREDIBLE”(2016/11/11)
episode3 sect27 “見えない壁”(2016/11/12)
episode3 sect28 “der Solider Wind”(2016/11/13)