Connection ; ep.9 to ep.10
志田真波は、お弁当派の人間だ。誰がなんと言おうと揺るがない。
きっちり朝6時に起床し、炊飯器のスイッチを入れたら卵焼きを作って、ウインナーを茹でる。出来上がったら、半分を弁当箱に詰めて、もう半分は朝食にする。チョコレートクリームを塗ったトーストに、ほくほくの卵焼きとウインナー、そして一杯のコーヒー。窓から空を眺めて今日はどんな日になるかな、と雲に占う。学生時代からのルーティーンだ。
午前の授業を終え、いつものように熱心な生徒の質問にしばし付き合って、清々しい気分で職員室に戻ってくる。袖机にしまっていた鞄から弁当箱を取り出して、電子レンジで40秒。卵が弾けない、ちょうど良い具合の温め時間でほのかに香る胡椒の香り。熱々のうちに食べる朝ご飯と、ぬるめで食べるお昼では、味付けを変えるのがポイントだ。
「志田先生、今日もお弁当手作りですか?毎日偉いですねぇ、しかも美味しそう」
「いえいえ、そんな全然ですよ~。毎日ほとんど同じようなメニューですし、惰性でやってるだけでホント大したことじゃないですって!」
―――なんてな!!もっと褒めてくれ!!
弁当なんて作らなくて済むなら作りたくなんかない!!毎日毎日毎日毎日卵焼きとウインナー、日替わり部分は冷食2品だけ!!もう飽きたわとっくに!!
洗い物は増えるし、冷めたおかずなんて味付けを工夫したくらいじゃ根本的な解決にはならないし、かと言ってしっかりレンチンしたら卵爆発はもちろんのこと温めたくないおかずまで熱々になってどのみちビミョーになるし、なにより本当は7時半までゴロゴロしていたい!!弁当を作るために生まれてきたわけじゃないんだぞ!!
早起きするならするでカフェモーニングとかしてみたいし、お昼休みは生徒たちと一緒に学食でランチしたい!!
・・・けど、しょうがないのだ。昼休みも仕事しないと処理が追い付かないんだもん。混雑する食堂に書類の束を持ち込んで席を占領するなんてタブーもいいところである。食堂を利用する先生もいるが、それはシゴデキで毎日定時退勤出来るヤベーヤツか、はたまた逆に出来ねぇから大した仕事を任されていないヒデーヤツだけだ。
かといって、毎日コンビニ弁当なんてどう考えても不健康だし、学食が主流なせいで購買にはあまりちゃんとしたボリュームの弁当が売っていなかったりする。
かくして、節約目的からタイパ改善という理由の変遷こそあったものの、真波のお昼ごはんは、不味くはないけど人に食べさせられるかと言えばノーな、代わり映えしない手作り弁当なのだ。
右手で箸を持ち、左手でPCのタッチパッドを操作する。ペーパーレス推進のせいで、いろんなお知らせもいまは画面の中でしか見られない。良いじゃん印刷したって。どうせ授業で使う小テストなんてバカみたいに大量印刷してるんだから、通知文書の1枚や2枚増えたって良いじゃん。歴史ある職場って中途半端に現代化しようとして、ちぐはぐなやり方に固執するんだから。
(こういうシステム系の管理とか『キミ若いし得意でしょ?』的なノリで押しつけられても困るのよねぇ・・・。結局ライセンス切替だとか端末更新だとか、ただの面倒な事務仕事で専門的な内容とか皆無だし。そんでもって新しく導入したシステムがなんか動かないからどうにかしてとか言われても、いや知らんわ!!ってゆーね)
「はぁぁ~・・・」
いま真波を一番悩ませていたのは、マンティオ学園で管理しているダンジョンのモニタリングシステムの導入準備だった。
いままでは校内の一部の人間によって極秘裏に管理されていたダンジョンだったが、特別魔法科における実践的な教育の拡充を目的として外部にも公開され、本格的な運用が開始された。そこまでは良いものの、ブレインイーターの出現だけでなく魔族の侵入まで発生してしまい、今後も教育利用を続けるうえでセキュリティの徹底強化は急務だった。それで、現在は一央市ギルドや国とも連携して骨董品みたいな転移門装置のリプレース等々が計画されており、真波が窓口となって対応しているのだ。
だが、メーカーも呼ばれて専門用語が飛び交う議論なんかついていけるかバーカって感じだった。予算内で収まるならなんでも良いからさっさとオススメのやつに替えてくれ。信用してるから。
そんなこんなでやっと見積書を受領。午前中にメールで届いていた。これで一応ひと段落だ。知恵熱を排熱するみたいに大きな溜息を吐いて、真波はPCから顔を上げた。テレビの画面が目に入る。席位置の関係でちょうど真波の正面にテレビが吊ってあるのだ。角度はやや斜めだが、困るほどではない。
いつもなら連続テレビ小説がやっている時間だが、今日はニュースが流れていた。ドラマがやっていないわけではなく、そもそもチャンネルが民放だった。つまり、敢えていつもと違うチャンネルでニュースを見ているのだ。
「国会に爆破予告だってよ。おっかねー」
隣の席の先輩教師が、心底うんざりした調子でぼやく。
「これも『BLEACH』絡みですってね。声明から1週間も経ってないのに広まりすぎですよ」
「だな。ネット社会の負の側面って感じするわー。しかもだいぶ見境なくやってやがる。オドノイド言い訳にした愉快犯なんじゃないかとも思えるよ」
そうだとしたらあまりにも悪質だ、と真波は呆れる。SNSの普及に伴って匿名の悪意が飛び交う環境が出来上がった現代社会なら、本当に気が大きくなった目立ちたがり屋の荒らし行為だったなんてオチもあり得ると思えてしまうだけに、笑えない。
もっとも、筋道だった思想があれば破壊活動をしても良いと言うつもりもないのだが。小汚い火事場泥棒もルパン三世も、牢屋に入れれば等しく窃盗犯だ。
「もっと明るいニュースはないんでしょうかね」
「あったら今頃朝ドラ見てるね」
昼休みも残り10分だ。そろそろ午後の授業の準備をしなくては。真波は机の上を整理してPCを閉じ、ブルーレイカットの伊達眼鏡を上げて額に掛ける。
真波が職員室を出ると、ちょうど教頭の三田園松吉が通りかかった。なにやらまた顔色を悪くしているが、今度はどこに穴が空いたのだろうか。ともあれ、真波は会釈を合図にそっと足を早める。
(知らんぷり知らんぷり。私がなにを出来るでもなし―――)
「ああ、ちょうど良かった志田先生」
「むむむっムリですっごめんなさい!!」
「なんでちょっとセクハラ受けたっぽく言うの・・・」
忘れてねーからなクソジジイ、テメーの若いから得意でしょ発言!!
「コホン。えー、ちょっと大事な話があるんだけどねぇ、夕方、休憩室に来てくれるかい?」
「むむ・・・分かりました。17時で良いですか?」
「うん、それで」
教頭と一般教員という立場の差もあるにはあるのだが、結局、困った顔をされては見過ごせない。真波は根っからの苦労人なのだった。
●
戦争、怪物、テロ。世間はいろいろと騒がしいが、それをどうにかするのは本来大人の仕事で、大人の責任だ。子供たちには、そんな不安なんか忘れていましか遅れない高校生活をのびのびと過ごしてほしい。それがマンティオ学園の教員一同、共通の願いだ。
―――と、いうことで。2学期の中間テストは予定通りに実施しまぁす。
「うぐふぅ、ひぐっ、うええ」
ほんのり抱いていた淡い期待は儚く散った・・・。帰りのホームルームが終わって、慈音がズルズルと机に突っ伏した。今日からテスト勉強期間で授業が1コマ減って部活も休みになるが、それがなんだ。勉強してもサッパリ点数が上がらない慈音にとっては虚無の時間なのだ。
「ガチ泣きじゃん・・・。あーあー、机がびしょびしょに」
「地球平面説のイラストってこんな感じだよね」
「な"ん"でどじぐん"も"じん"がぐん"も"ぞん"な"よ"ゆ"う"ぞう"な"の"ぉ"!!」
慈音がこんなにプンスコしているのも珍しい。これは相当追い込まれているようだ。
学年2位の成績を誇る真牙もいるのだから見ていないで助けてやれば良いじゃないか、という意見は至極もっともなのだが、考えてみてほしい。あの真牙が、ほんわか可愛い慈音ちゃんと勉強会と称して放課後も日が暮れるまでベッタリくっついていられるチャンスを、いままで放棄していたなんて思うか?
やったのだ。やったんだよ。なんなら中学生のときから、何回も。ときには阿本家の道場を貸し切りにして、お泊まり形式で、恋バナも枕投げも封印して、みっちり。
高校に入って気持ち新たに奮戦するも空しく1学期で現実の非情を知り、いまに至る。
「真牙くん・・・今回も、いろいろ、教えてね・・・」
「まぁもちろん付き合うけど、もはやオレで慈音ちゃんの力になれるかどうかだな」
「俺も教えられるほど成績良いわけじゃないし、千影も物理とか数学は教えてくれるんだけど知識の偏りが酷いっつか、それ以外からっきしだからなぁ」
「そもそも千影たんってなんであんな知識あんの?」
「昔からいっつも周りにインテリがいたんだとさ」
オドノイドということは研究者との関わりも少なくないだろうし、荘楽組にも造詣の深い人がいる。以前、紺と一緒にいた研という男のことだ。頭が良い人と一緒にいると自然と頭が良くなるのだろうか。いや、そうではなく、千影も興味を持って話を聞いてきたからなのだろう。そういう意味では、頭のデキが違うという表現もしっくりくる。
「ここはひとつ、真牙に代わる新しい先生役がいればなぁ」
「真牙くんを差し置いてそんなことしてくれる人なんていないよぉ~」
「いや、さすがにそんなことは・・・そんな・・・ことは、ぁ~」
マズい。なにもフォローが浮かばない。3人が困り果てていると、1年生フロアでは聞き慣れない低音ボイスが聞こえた。
「お、いたいた。PINE送ったのに全然返信くれないから帰ったのかと思ったぞ」
「「「いたァ!!」」」
「!?!?!?」
「いや、なんの騒ぎ・・・」
「「「まだいたァ!!」」」
「いちゃ悪いのかあたしは」
焔煌熾、2年生、適格!
天田雪姫、学年1位、適格!
○
なにかと思えば、勉強会の相談だった。いつも大事に率先して巻き込まれていく後輩たちなので、泣き付かれたときはどんな大問題が発生したのかと焦ったものだ。
「俺は別に構わないんだが、良いのか?俺なんかで。2年生だからってお前たちのテスト範囲がバッチリってわけじゃないぞ?」
「いーんですいんですよ焔先輩!大事なのは教え方なんです、しーちゃんが1科目でも多く赤点回避出来るならなんッでも!!」
なんか迅雷がだいぶ辛辣なことを言っているような気がしたが、慈音もニッコニコで頷きまくっているから、良いのだろう。
「雪姫ちゃんもよろしくね!」
「ん」
返事が、ちょっと浮ついた声になってしまったかもしれない。誤魔化すように、雪姫は髪をいじった。なにを隠そう、中学時代からぼっちを貫いてきた雪姫は、テスト前に友達と勉強会なんて初めてなのだ。ワクワクしちゃってもしょうがないのだ。
「お待たせいたしました。こちら我々からのほんのお気持ちですが―――」
コト―――と丁寧な音を立てて、新任先生2人の前にケーキセットが並べられた。ここは学校のカフェテリアなので、運んできたのはウェイターではなく真牙である。
カフェテリアはテスト前の時期になると、勉強の場所を求める生徒たちの要望に応えていつもより遅い20時まで営業してくれる。校舎にも自習室はあるが、集まって勉強するには向かないため、ニーズはハッキリ分かれている。現に、カフェテリアは大賑わいだ。いや、賑わっていないで黙々と勉強しなさいよ。
「やっぱり悪いって、お金くらい出すから」
「まぁまぁまぁ。これは報酬の前払いッスよ。気にせず食ってください!重要なのはここからッスよ。もしも慈音ちゃんが全科目赤点回避出来た暁には成功報酬もご用意させていただきやすぜ、フフフ・・・」
そう言って、真牙は肉を焼くジェスチャーをした。
「ほ、本気か・・・?食べ放題でも1人2千円は下らないんだぞ・・・!?まさか俺はとんでもない頼みを安請け合いしてしまったのでは・・・!?」
「妹も連れてって良いなら善処するかな」
「ハイ是非に♡さっすが雪姫ちゃんどんなことでも『出来ない』とは言わない、焔先輩にも見習ってほしいッスね」
「ぐぬ・・・」
始まりは入学式直後に喧嘩をふっかけられてボコボコにされたことだったが、雪姫も『DiS』に加入したことで、煌熾はいままで以上に雪姫に対抗心を燃やしている。大らかなようで、煌熾にだって先輩の意地とか威厳を気にする心はあるのだ。真牙はそれを分かっていて、煌熾をからかってくる。
さて、こんなやるかやらないかの話ばかりしていても、集まった意味がない。というより、煌熾がPINEで送ったメッセージの件すら、解決していない。
「ところでみんな、俺がしたかった話なんだけど―――」
「ナシで」
「いまそれ聞きます?」
「・・・し、しのもナシかなー・・・なんて?」
テスト期間に入るけど、『DiS』の活動はどうする?
そりゃそうだった。
「焔先輩って天然なんですか?」
「念のために聞いただけだからぁっ!!」
一番テスト勉強とか余裕で終わらせてダンジョンに潜っていそうな雪姫にまで「なに言ってんだコイツ」みたいな顔をされてしまった。腑に落ちない。
耳まで真っ赤にした煌熾の悲痛な叫びがカフェテリアに木霊した。
●
約束通りの17時。真波が休憩室にやって来たときには、もう部屋の明かりが点いていた。中では松吉が机に1通の白い封筒を置いた状態で待っていた。
封筒は国際郵便のようだ。マンティオ学園ならではだが、見慣れた封筒なので、すぐにどこから来たものかは分かった。とはいえ、差出人が分かると、なおさら分からないのが、わざわざ真波個人に話をする理由だ。いよいよもって厄介事の臭いしかしない。
真波は松吉の正面に腰掛ける。
「おつかれさま。悪いねぇ、テスト期間で忙しい時期なのに。ああ、まずはお茶でも飲んで」
「いえ、大事な用件でしょうから。いただきます」
真波が湯飲みに口をつけると、松吉はさっそく本題に入った。
「まずは落ち着いて聞いてほしいんだけどねぇ」
(うわ出た一番落ち着きを失わせる脅し文句)
口に含んだお茶がバリウムに化けたみたいだ。もっとも、真波の歳ではまだ健診でバリウムを飲んだことがないので想像だが。
「落ち着きました。どうぞ」
「罪悪感湧くからその悟ったような無表情やめてほしいねぇ・・・。いや、別に必ずしも悪いことじゃあないんだよ?志田先生のクラスに1人、編入生が来ることに決まったんだ」
「編入・・・ですか?」
「うん。そうなるねぇ。それで、この封筒の中にはその子の編入手続きの資料が入っているよ」
真波は上品な装飾のマチ付き封筒を手に取った。生徒ひとりの情報にしては大袈裟な書類の量だ。
そして、松吉の顔色はあまり優れない。子供たちへの愛情は確かな人だ。その彼が言葉を選び、歓迎しきれないような編入生とは。
取り出した書類は、国際郵便だというのにわざわざ日本語で作成されていた。それ故に、端っこが見えただけでも真波はなんとなく事態を察した。だが、それは決して静かな洞察ではなく、むしろ背後から殴られたみたいに衝撃的な理解だった。
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・そもそも拒む権利はなかったんだけどねぇ。志田先生の意思は、確認しておかなくちゃならないと思ったんだよ。正直なところ、いまの我々に、この子を受け入れる心の準備は出来ていないからねぇ」
松吉は真波の気持ちを案じて事前に選択肢を用意してくれたのだ。嫌ならそれでも良い、代わりの担任を立てるから。最悪、松吉自身がやったって良い。そういう意図で、松吉は真波を個別に呼び出したのだ。
沈黙よりも絶句。唖然と言うよりも呆けてしまったような。理解に感情が追い付かない。
ただ、その複雑な心境を自覚したことで、真波は提示された事実とはまた異なる、真実も知ることとなった。
なるほど、必ずしも悪いことではない、か。
「―――いいえ、やります。美田園教頭、私に、やらせてください」
やりたい、とも少し違う。
やらなくちゃいけない、もちょっとズレている。
普通に教師をするだけなら決める必要がなかった覚悟を決めなくてはいけない役割だ。
明確に負担を感じている。
(ああ、そうそう、これだ)
やってみなきゃ分からない、だ。
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第3章 episode10『 The Lightning Dyes White on Black 』