episode9 Lastsection43 ”Clover's Sonatine ”
ルニアが魔界から帰還したと聞いて、ユニスは居ても立ってもいられず、仕事もほっぽり出して、ルニアを探しに飛び出した。
反射的に、ルニアがどこにいるかも聞かずに出て行ったものだから、少々ノア支部の周囲を右往左往する羽目になってしまったものの、本当は冷静沈着な魔法士として定評のあるユニスだ。足を止めて数秒考えれば、無茶な旅路を完全無傷で乗り切って帰ってこられるはずがないと分かって、病院の方に足を向けた。
送り出すときにあのにっくき魔族の男にも縋るほどだった。怪我をしていてほしいわけではない。だが、あの極寒の807番ダンジョンを経由して魔界と往来したと聞いている。凍傷などの心配があるから、例え本人が元気だったとしても病院で検査を受けるのは必須だった。
「いま、ルニア様が来てない!?」
「・・・どちら様で、どんな御用件ですか?」
受付の女性にピシャリと咎められ、ユニスは、自分がルニアの護衛を任されていた魔法士であったことから順を追って説明した。
身分証としてライセンスも見せてもらったので、ユニスの話は信用出来る。とはいえ、要人への面会請求なので受付の独断ともいかない。女性は内線電話で担当医と連絡を取り、ようやくユニスに面会の許可を出した。
案内してくれる看護師が、エレベーターの待ち時間でユニスに尋ねた。
「なんで護衛のあなたが別行動なんてしていたんですか?」
「私だって不本意だったわよ。でも、ルニア様がなにも相談せずおひとりで決めて、止めても聞いてくれず。・・・仕方ないのよ」
「仕方ない・・・ですかね」
「・・・?」
エレベーターが来て、階を上がる。さすがに、一般患者とは別のフロアのようだ。
病室にインターホンが付いているのなんて初めて見た。患者が眠っていたら誰も反応しないのに、意味があるのだろうか、コレ?・・・なんてユニスが疑っていたら、看護師は普通にドアをノックした。本当になんのためにあるんだ、そのインターホン。
「ルニア様、入りますよ」
『はーい』
ドアの向こうから帰って来た声は、元気そうだった。それにユニスはひと安心して、それからようやく、なんの手土産もなく見舞いに来てしまったことに気が付いた。しかし、仕方ないだろう。入院患者の見舞いに行くつもりで職場を飛び出したわけではなかったのだから。
通されたのは、ユニスではどんな大怪我をしても入れなさそうな広い個室だった。病院の部屋というと白一色か、そうでなくとも無機質さの拭いきれない風景という印象があるが、そんな先入観を覆して暖色の多い高級マンションの一室みたいな雰囲気さえある。ここは数あるIAMO附属病院の中でもとりわけ最先端の医療技術が集中しており、お偉いさんが入院することも珍しくないため、このようなVIPルームもいくつか用意されているのだ。
微かに木材の柔らかい香りも漂うリビングのような部屋には不釣り合いなベッドの上に、ルニアはいた。
「ルニア様!」
「ユニス!もう、仕事抜け出してきたわね?しょーがにゃい人にゃんだから」
「なにがにゃんにゃんですか、どれだけ心配してたと・・・!!」
病室に入って三歩。
贅沢を極めた病室には相応しくなく、しかし、体を預けるベッドには違和感のない、消毒液臭いルニアの姿を認めたユニスは絶句した。
「ひさしぶり。来てくれてありがとね、ユニス」
「な・・・なんですか?その体?」
「あー、いやー、これはそのー、違くってー・・・」
精一杯元気をアピールしても、ユニスから漂う不穏な気配が止まらないので、ルニアの笑顔も明るさを度を超し始めて苦しくなってきた。それでもなんとか落ち着かせようと両手で「どうどう」と押さえるジェスチャーをするルニアだったのだが、なによりそれが一番マズかった。
まるで家族を目の前で殺されたみたいな顔をして、ユニスが膝から崩れ落ちた。
「・・・あー、しまった」
全身包帯でグルグル巻きくらいだったらVIPな立場も相俟って「かすり傷なのに大袈裟なのよ」で誤魔化せたかもしれないが、右腕の肘の少し下から先がないのは騙しようがない。見せればこうなるのは分かっていたから布団の下に隠していたのに、やはり腕なんて無意識で動いてしまうものだ。
手先の虚空を見て、ルニアはばつが悪そうに唸った。
「・・・エルケー・ムゥバンは?」
「あ、え?あー、ぶ、ぶじですよ・・・?」
「なぜルニア様が片手を失ってヤツは無事なんですか!!ヤツは一体なにをしに付いていったんですか!?ありえない!!ありえない、ありえない・・・こんな、バカな話聞いたこともない!!」
殺気立って―――本当に殺す気満々で―――病室から出て行こうとするユニスを、ルニアは慌てて呼び止めた。だが、呼んだくらいで止まるユニスではないので、仕方なくベッドから駆け出て、ルニアはユニスの服を掴んで止めた。
「本当に、違うの。これは全部自業自得だから。エルケーはちゃんと私のことを守ってくれたわ。あいつもいまは怪我の手当て受けるために病院にいるわよ」
「”ちゃんと”守っていたならこんなことには・・・ッ!!」
「ありがとう、そんなに悲しんでくれて。でも、大丈夫よ。怪我はしたけど、私はこうしてちゃんと生きてるわ」
変わらず柔らかいルニアの抱擁で、ユニスも諦めるしかなくなった。
○
ルニアが右腕を切ることになったのは、帰路の途中で壊死し始めたからだ。
エンデニアの亡骸との戦闘で手の先から肘の寸前にかけて縦に割られた傷が、まともな治療も出来なかったために、あっという間に悪化してしまい、やむを得なかった。
恐らく、死んでからそれなりに時間が経った死体たちに囲まれたことも悪かったのだ。死体たちはみんな表面的には清潔にしていたが、それが生者にとって衛生的な存在だったかは疑わしい。普通ならとっくにキツい腐臭を撒き散らしていてもおかしくない死体の体液を何十人、何百人分と浴びてきた。むしろ壊死したのが腕の傷だけで済んだだけ、マシだったと思うべきだ。
―――ただ、後悔がまったくないわけではない。なにしろ、長旅に耐えられないと判断して腕を切ったのに、その後、良い偶然に巡り会ってたったの3日で人間界に帰って来られてしまったのだ。往路の実に10分の1である。
未来を知っていたなら、もっと局所的な切除に留めて魔法で再生治療を受けられたかもしれないのに。そんな後悔だ。
「ま、結局はそのとき持ってる判断材料から一番間違いない決断をしただけなのよね。しょうがなかったわ」
「それにしたって潔いにも程がありますよ・・・。ルニア様、あんなにキレイで可愛らしかったのに」
「おや。カワイイお顔は大体無事ですけど?」
嫌味のないルニアのおどけに、ユニスもようやく笑った。
瑕がついたくらいじゃ、このネコミミ少女の輝きは翳ったりなんかしないのだ。
「まったく。じゃあ、その耳の切れ込みはチャームポイントですか?」
「そ。カッコカワイイでしょ。―――あ、それとユニス」
「はい?」
「やっぱり”様”はナシにしましょ」
「いえ、だからそれは出来かねますと前にも言ったじゃないですか」
「いいえ、今度こそやめてもらうわ」
ルニアは左手の人差し指で、ユニスの口答えを唇ごと押さえ付けた。
「なんて言ったって、もうビスディア民主連合なんて国はキレイサッパリどこにも無くなっちゃったんだもの。私の肩書きにはもうなんの意味もないでしょ?今後私に”様”をつけて良いのは、お店の従業員さんだけとしまーす。オーケー?」
ルニアが旅立つ前から知れたことだった。
だが、それを思い知らされて、そして、それを笑って言えるようになった。
その根底がどうであれ、もう中途半端に亡国の姫で居続けることはやめにした。
良いのだ。あの無残な荒野に心残りはない。
「今日から私は”ルニア・ニルニーヤ”、ただのルニアなのよ、ユニス」
「・・・」
由来も、付加価値もない、ただの、ルニア・ニルニーヤが微笑んでいる。
ユニスなどには、決して推し量れない。
「分かりました。・・・仕方ないですね、ルーニャさん」
「ん~っ!良いわね、90点!」
ここは生き地獄。
果てまで巡ろう。
例えこの胸が燃え尽き虚を曝そうとも。
再び”王”と呼ばせるその瞬間まで。
●
怪我など水面に刃を通すみたいにすぐ直る紺については、ルニアとエルケーを人間界まで生きて帰した時点でノアに用なんてなかった。帰って来たその足で、日本行きの飛行機のチケットを買いに走った。スマホでも買えることに気付いたのはその後だった。最近までそういうネット決済が出来なかったから、現代のスタンダードにはちょっぴり疎い部分もあるのだ。
チケットを手に入れた後、待ち時間が少々あったので、久方ぶりの温かい食事にありつくことにした。
岩破の死後、大きく影響力を失い、ギルバート・グリーンの勧誘によって荘楽組はIAMOに吸収された。ひとつの勢力として存在出来なくなったことが気に入らない家族もいるにはいるが、なにも悪いことばかりじゃない、と紺は思っている。
たとえば。
「え、空港の飯屋でも割引してくれんの?ラッキー☆」
「まぁ、この人工島の運営自体、IAMOによるものですから」
黒地に黄緑色のラインが入った身分証を再確認して、紺は口笛を吹いた。
・・・いや、違うのだ。決してこんなみみっちい特典を紹介したかったわけではないのだ。
要するに、もっと根本的に、IAMOに所属していれば、非常に有力な公的身分が約束されるのだ。これはマジックマフィア―――言ってしまえば暴力団関係者にとっては得難い恩恵だ。
IAMOのライセンスを持ってさえいれば、荘楽組の看板を背負ったままでも銀行口座が開設出来るし、車だって堂々と買える。そして、いまみたいにフライトチケットを買った後は空港のロビーでのんびりすることさえ出来る。
暴力は常に身近だったが、荘楽組はもう長らく賭博も麻薬も扱ってはいなかったという。武器密売や土地なんかで金は得ていたものの、紺が拾われた頃から既に、フロント企業のクリーニング事業の方がよっぽど本業っぽかったくらいだ。
ヤクザな生き方は自分で選べる。自由は権利だ。紺たちはワルく生きてく自由を得たのだ。
「・・・ま、俺の場合はどのみち切った張ったしてりゃあ仕事になるってのもあるから、これまでと大して変わんねぇってのもあるけども」
食事を終えてベンチからぼんやり空を眺めていると、空港内にアナウンスが響いた。何カ国語かで繰り返している中でご丁寧に日本語の放送もあったので、ようやく気付いて腰を上げる。まずは荷物検査が始まる時刻のようだ。着の身着のままの紺には調べられるものなどベルトのバックルくらいしかないが。
○
久々に帰って来たら、屋敷の中は老夫婦が商う田舎の電気工事屋かなにかと思うくらい、くたびれ果てていた。戸を開けたのに誰も出て来ないなんて、寂しい以前にセキュリティ的な意味で信じられない体たらくだ。
「親父に恨みのある連中がこの隙に攻めてきたらどうするつもりだったんだよ」
人の気配は、少ない。
IAMOの下部組織となったのだ。紺がそうであるように、仕事を与えられ留守にしている者もいる。
だが、それにしたって酷い。まるで覇気を感じない。
まず紺は広間ひとつ丸ごと作り替えられたラボを覗き、肩をすくめた。
「・・・にひ」
紺が次に向かうのは、研の私室だ。元は、岩破のものだった部屋でもある。平たく言えば組長の書斎だ。
先に結論から言えば、紺の思った通り、研は書斎にいた。まるでトランプタワーの最初の一段みたいに肘から指先までピンと伸ばした両手と机で正三角形を作って、その尖ったてっぺんにおでこを落としては反動で跳ねてを繰り返している。肘と肘の間に置いた書類を読んでいるのだろうが、果たして内容を理解しているやら。髪はボサボサだし、染め直しも怠っていたらしく、しなびたキノコみたいな見てくれだ。
紺にここまでまじまじと観察されておいて、研は全然気付きもしない。わざわざ様子を見るまでもなく、書斎の戸は半開きで放置されていた。もっとも、仮に戸が閉じられていたとして、開ける音で研が顔を上げたかも怪しいが。
さて。
「よ。帰ったぜー」
不用心なボスへの挨拶から、遅れて2回のドアノック。
「おー、紺か。おつかれさん」
いつもの気軽な労いが帰って来た。
さてさて。
無言。
5秒経って、研が「ん?」と呟いて首をひねった。
紺はニヤニヤが止まらない。
ようやく顔を上げて書斎の入り口を見やった研は、まばたきを3回してから眼鏡を外して両目をこすり、眉間を押さえて疲れた目に活を入れ、目薬を差し、眼鏡を拭いて、掛けて、また書斎の入り口を見る。それから机の脇に新調したミニサイズの冷蔵庫からエナドリを取り出してガブ飲みし始めた。炭酸でむせ返りながら、再々度、研は正面でニヤニヤしている男の正体を確かめた。
現実なので、なにをしたって紺が消えるはずもなく、研の口がゆっくりゆっくり、あんぐりあんぐり、開かれる。お待ちかねの第一声。
「で、でたぁぁぁ」
「ぷぎゃーwwwwww」
お通夜ムードがすっかり染み付いた荘楽組の屋敷に、ゲラゲラと下品なバカ笑いが響き渡った。
○
「さっきの『でたぁ』は傑作だったな!」
まだ腹がよじれて戻らない紺に、岬が濡れタオルを持ってきてくれた。
以前、岩破の動く死体を目撃したことのある研にとって、帰って来た紺は、オバケの次点で死体だったらしい。おかげでゾンビシューティングよろしく綺麗にヘッドショットをぶち込まれてしまった。
それで傷が治ったから本物だと信じてもらえたわけだが、それってむしろゾンビの方が撃たれたら死ぬ常識的な存在になっているような。
小馬鹿にされて不貞腐れている研は机で頬杖をついたままなにも言わないが、代わりに岬が床の血痕を処理しながら、研の思いを語り出した。
「親父さんがいなくなって、あんたにまで死なれちゃったら、私たちどうしたら良いのか分からなくなっちゃうわよ」
研の、というより、荘楽組のみんなの、か。
「いい歳したババア泣かせたって目に毒なだけだぜ、紺。仕事の邪魔。帰ったんなら身形整えてバカどもにブン殴られて来い。テメーのサボった穴ァどうやって埋めるかってんで俺の胃にまで穴が空いちまったぞ」
顎をしゃくらせて「シッシッ!」と悪態をつく研だったが、長い付き合いだ。そんな憎まれ口を叩いたって紺を面白がらせるだけである。
適当な返事をして、紺は書斎を後にする。
研は、数日かかってようやく書類の束の1枚目をめくった。
●
予定外の収穫だそうだが、北京支部を目標に実行されたテロ鎮圧の折に、米軍の新兵器『ESS-PA』の精巧な模倣品を3機、押収したそうだ。模倣品と言いつつも、恐らくは、ほとんどオリジナルと同等の性能を有していると考えられる、規格外な規格品である。
なぜそのような情報を研が持っているのかと言えば、単純な話だ。
『ESS-PA』のコンセプトは、魔法の技能に優れない代わりに通常兵器の扱いに長けた普通の歩兵を、ランク4クラス以上の単独戦力に引き上げることにある。
だが、それは結局、大型の魔力貯蓄器を背負わせて、魔力感応素材の追従性を付与した、決して燃費が良いわけでもない現代版フルプレートアーマーを駆動させているに過ぎない。それでもUSAF主導の開発品と言うだけあって、飛行機能がある点は魅力だが、所詮はそれまで。
鬼に金棒、という諺がある通りだ。
魔法の才に恵まれなかった人間でも、多量の魔力を外付けして、それを効率的に運用出来るシステムが実用化されたとして、だ。なら、それを、機械の補助を受けずともそれなりの魔力量と経験に裏打ちされた無駄のない魔力運用技術を持つプロの魔法士に与えれば、どうだろうか。
つまり、IAMOこそが本当は一番、『ESS-PA』の技術が欲しくて堪らなかったのだ。
例えそれが模倣品であっても、手に入ったなら解析しない手はない。
そうして、3つあるサンプルは、1つがマンチェスターのIRCMに、もう1つが荘楽組、もとい研個人のもとに預けられた。
残りの1つは?予備。当然だ。2つとも分解して元に戻せなくなってしまっては元の木阿弥だ。
「解析を競わせて実用化のスピードを速めるつもりだったんだろうが、ンなこたァ関係ないね。こちとら言われる前から再現品を試作してんだ。スタートラインが違うっつーの」
「えらくヤル気じゃないの」
屋敷の1フロアを魔改造したラボに籠もる研を見て、紺はからかう。オッサン手前の大人が、こうも分かりやすいのだ。性格サイテーな紺じゃなくたって、笑いたくもなる。
実用化も量産体制の整備も、まだもう少し先の話にはなるけれど、それは米軍とて同じ話なのだった。
●
IAMO北京支部附属病院では、ICUのひとつに幼い少年が収容されていた。
銃撃を受けたことによる外傷性気胸に加え、急所は避けていたものの、背中側から岩石杭を突き立てられたことによる大量出血で、瀕死の状態だった。
だが、傷の程度で言えば、高度な医療技術と優秀な治療魔法の使い手を擁するIAMO附属病院なら十分助けられる範疇だった。実際、あと2,3日もすれば一般病棟に移しても問題ないであろうところまでは治療が済んでいた。
その少年が本当に不幸なのは、恐らくこれから―――と同情するのは、彼の執刀医だ。
「俺は医者だからさ。助かる命は助けるよ。でもね、それは機械的な話なんだ。なあ、君はどう思う。俺はあの子を助けはしたけど、救ってはやれないんだ」
「救いなんて、与えるものじゃないでしょう。騙されて買った壺だって毎日磨いていれば諦めがつくみたいに」
「・・・その節は誠に申し訳ございませんでした」
所詮は当人の気の持ちよう。あるいは宗教に没頭するように。人は勝手に救われる。
妻の考えはもっともだけれど、医師のモヤモヤはまだしばらく晴れそうにない。こういうところは妻の方が医師よりよっぽど医師に向いている。
壺なら割れてもまた買える(買わないけど)が、少年の失ったものは一切、なににも代えられないのだ。孫よりほんの少し大人な少年の行く末に、医師の憂いは尽きなかった。
溜息を吐く医師に、妻が溜息を返す。
「私は、他所の子の将来なんかよりよっぽど、あなたの安全の方が心配よ」
ニュースでは、IAMOの台湾駐在所が襲撃されたと報道されていた。オドノイド排斥を求める一部の過激派による犯行らしい。摆脱惡鬼の北京支部襲撃を皮切りに、中国各地、ひいてはアジア圏を中心に、この手の暴動が急速に活発化し始めていた。
IAMOの施設で働いている医師にとって、この狂乱は他人事ではない。確かに、人の心配をしている暇があるなら自分の心配をした方が良いのだろう。・・・ところで、バス通勤とマイカー通勤、どっちが安全だと思う?
医師が2つの通勤パターンそれぞれで自分が襲撃されて殺されるところまで想像して、そもそも自分個人が狙われるようなことがあるものか?と考え直していると、ニュースキャスターが原稿の読み上げを不意に中断した。
『いま入ったニュースです!』
○
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世界のみなさーん。おはこんばんちはー!
台湾で開催したショーはお楽しみいただけましたでしょうか???
―――結構。
安心してください。これはほんっっの、挨拶代わりです。我々がこの腐りきった人間界を正す物語の序章に過ぎないのです!
さて、近頃SNSのトレンドにも入りっぱなしのオドノイドですけれど、みなさんはどうお考えでしょうか。
彼らは憐れな捨て子?大切に守り育てて人間社会の一員として迎え入れましょう?
ははっ。あはははははははっ!?
どうやらIAMOはみなさんが知らない間にお笑い芸能事務所に転身していたらしいですね!!
いやはや、まったく、笑えない。
世界中から集めた善意の寄付金で彼らは人を守らず化物を育てようとしている。
人の母親から生まれたのは、事実かもしれない。
人の業から生み出されたのも、真実かもしれない。
でも、オドノイドに人の倫理観はない。
刺されたら痛いし怖いし、死んじゃうかもしれない。
そんな当然の感覚すら、私たちと共有することが出来ないんです。
IAMOは、それを誰よりもよく知っている。
そして、それをどうこうするつもりもない。
IAMOが擁するオドノイド魔法士たち。
9月6日、みなさんも見ましたよね?ビスディア民主連合の防衛戦で。
え、見てない?今からでも遅くないですからMeTube見てきて!・・・あ、この声明が終わってからね?
カッコ良かったですねー、大活躍で!
―――彼らに本当に人間としての心があったなら、私たちも・・・・・・私も、こんなことをする必要はなかった。
彼らはただの獣です。狡猾で、冷血な、IAMO仕込みの人間そっくりな猟犬です。もてはやされるIAMOのオドノイドたちも、一側面を美化して伝えているに過ぎません。本質はなにも変わりません。
じゃあオドノイドをひとり残さず殺し尽くせば解決でしょうか?
違いますね。それでは同じ悲しみが何度だって繰り返すでしょう。
なにかひとつの、誰かひとりのせいではありません。
我が子を捨てた親も。
人を殺めても決して胸を痛めないオドノイドも。
それを憐れみ受け入れようとする愚かなそこのあなたも。
そして、あなた方がそう思い込むよう世論を操り、避けられたはずの魔界との衝突まで引き起こしておきながら、なおも人道に反した力を欲して止まないIAMOも。
歪んでいるんです。
すべて、どうしようもなく、徹底的に。
だから、私たちは立ち上がりました。
私たちは『BLEACH』。
オドノイドなんてものが存在しない、まっさらな世界を目指しています。
その目的を果たすためだったら、どんな手段でも取るでしょう。
IAMOは勿論、オドノイドを擁護する団体、個人であっても、我々の粛正対象です。
私たちは『BLEACH』。
世界の汚れと共に最後は潔く、ただ流し捨てられましょう。
・・・はい、暗い話はここまで!とりあえず名前だけでも覚えてね!
それではみなさん、今日のところはごきげんよう!
お会いしないで済むことを心から願ってまーす!
チュ~ス☆
○
○
○
『BLEACH』と名乗る集団による犯行声明は、テレビだけでなくSNSやインターネットの匿名掲示板などを通じて全世界で同時に発信された。
すぐさま各国の警察が発信元を特定し家宅捜索を行ったものの、その全てが端末を外部から遠隔操作されていただけの被害者だった。
組織の規模、不明。
本拠地、不明。
主犯格、不明。
オドノイドの是非。
投じられた一石の生み出した波紋は、どこまでも、果てしなく広がって、さらなる混沌を生み出そうとしていた。