episode9 sect42 ”残り火”
「死んだ?あの売女が??なんで???」
灰色の髪と薄蒼い目の少年は、知らせを持ってきたパートナーのスティーブに食って掛かった。
黙っていれば耽美でミステリアスな雰囲気の美少年に見えるのだろうが、貶す脅すに偏った語彙に、この大袈裟な身振りだ。暴れたアクセサリーの群れがじゃらじゃらと騒ぎ立って、彼の不安定な情緒を表現し、増幅するかのようである。
ヘオス・アイオーン。スティーブが新人時代に世話になった恩師が、最後に守った”なにか”というのが、彼のことだ。こんなしがらみさえなければ、こんな道理も弁えない子供にヘコヘコしたりしない。
癇癪で殺されるんじゃないかとヒヤヒヤしつつ、スティーブは、ヘオスに詳細を共有してやった。売女ことアイナカティナ・ハーボルドの撃破に関する報告だ。
スティーブの話は最後までキッチリ聞いたうえで、ヘオスは目の色を(物理的に)変えて部屋を出て行った。『THE HYDRA』専用のアラートを鳴らすスマホに辟易しながら、スティーブはひとまず危機が去ったことにホッと―――
「しねぇわ。てかマズい。なんだって今日に限ってロンドンにいるんだ・・・!!」
スティーブは慌ててヘオスの後を追った。
いま、ロンドンにはネビア・アネガメントがいる。
ヘオスのお気に入りをぶっ殺した仇の張本人である。
世界の枢要部たるロンドンで、特撮映画の監督がインスピレーションより先に絶望するような本気の大怪獣バトルなんか起こされては敵わない!!
○
アイナカティナ・ハーボルド。
初めて、ヘオス・アイオーンに死を予感させた皇国の戦略兵器だ。
それが、ヘオスの知らないところで、ヘオスの知らないどこぞの馬の骨に殺された?
(ふざけるなよ・・・あれは、オレのものだったんだぞ・・・)
ヘオスが凄めば、道は勝手に開けていった。あちこちでライセンサーたちのスマホが警報を鳴らしているというのもあるが、それ以上に、例え彼の正体を知らぬ一般人であっても、彼の体から漏れ出す異質な魔力に触れれば本能的に理解するからだ。この人間?に逆らってはならない、と。
そうとも。
ヘオス・アイオーンとは―――こそが絶対者なのだ。唯一彼に恐怖を与えたあの魔女でさえも、彼を殺すには至らず、そして逆に彼は己の能力の可能性をさらに広げるきっかけを得た。絶対的にして未だ極みを先に控える、この世の頂点なのだ。
そのヘオスが、自らの手で屈服させ、陵辱し、嬲って嫐って愛液の最後の一滴まで搾り尽くしてから無惨に殺してやろうと決めていたものを、横から奪い去ったヤツがいる。
いるのだ、この、同じ島の上に。
知らなかったんです、で済ませてやるつもりはない。
それで終わりにしたら、この苛立ちはなににぶつけろと言うのだ。
世界が滅ぶぞ。
「ハ、ハハ・・・!むしろ良かったな人類。地球の裏側にいたなら今頃1万2千キロ超のトンネルが開通していたところだぜ!?」
人は想像出来ることは実現出来るように出来ている、なんて言葉もある。
ついつい、ヘオスは肩を弾ませ笑ってしまった。
しかし、楽しいわけではない。
さて。
ロンドンは広い。
グレートブリテン島なんて世界地図で見れば小島で、その中のほんの一角なんて鼻くそみたいな世界だが、それでもちっぽけな人の子が物探しで闇雲に歩き回るには、相当に。
だが、ヘオスの眼光は鋭く一点を射貫き、その歩みにも迷いはない。
感覚を研ぎ澄ませば分かるのだ。人間社会に紛れ込んだ異物が。
ヘオスがそうであるように、同胞たちは特有の、飢えた魔力を漂わせている。弱っぽちい他の連中では気配なんて微かなものだが、それ以上に、優越したヘオスの感覚の方が鋭敏なのだ。
市街方面から感じる、嗅ぎ慣れない気配がそうなのだろう。弱っぽちい。まさしく弱っぽちい。しょうもない。
なぜ、あの程度のヤツにアイナカティナ・ハーボルドが倒されるというのか。
・・・ダメだ。一刻も早く怒りを吐き出さなければ、水を掛けても油を注いでもどうしても膨れ上がるばかりで止めようがない。
本当ならこの人混みも視界を塞ぐ建物も薙ぎ払って直進したい気持ちを、なけなしの良識で抑え込んで、ヘオスは足を早めた。
○
見つけた。
ランベス区のロンドン本部から約30km、二足歩行で赴くには少々遙々な距離だった。ウェンブリーのありふれた喫茶店のテラス席で、青髪の、THE・東南アジア出身といった色味の肌の女郎が、暢気にコーヒーを飲んでいた。
様子からして、近辺にあるアウトレットで新生活に必要な服飾品や雑貨品でも買い揃えた後といったところだろう。本当にIAMOに所属して生きながらえるつもりらしい。
ウェンブリースタジアムのアーチの頂点から街を一望したヘオスは、心底忌々しげに舌打ちをした。
「良いご身分だな、平日の昼間からショッピングしてカフェでくつろいで。自分がなにをしてきたか忘れたのか?」
ヘオスからアイナカティナ・ハーボルドを奪ったこともそうだが、彼女が奪ったものはそれだけではない。そもそも、世界中を恐怖の底に陥れた人喰いの怪物『ブレインイーター』の正体もまた、あの女なのだから。
自覚はあるだろう。ヘオスは完全にモンスター化したときの記憶を保持している。ならばネビア・アネガメントもそうであるはずだ。
しかし、ヤツは、しかも、笑っていた。カフェには1人ではなく誰かと来ているらしい。生憎、日除けのパラソルで連れの姿は見えないが、いずれにせよ友人を作って遊び歩いているということだ。まともな精神とは思えない。
ヘオスは、アーチを飛び降りた。
着地点を歩いていた人々が落下物ならぬ落下人に腰を抜かしているが、ヘオスはそんな彼らには一瞥もくれてやらず、目的の店に向かってツカツカと歩き出す。
しかし、どうやって殺したものか。
フィジカル、魔法、固有能力―――なまじどれをとっても確実に相手をいたぶり殺せてしまうが故に、ヘオスはつまらないことで悩んでいた。
相手は高い再生能力を持つオドノイドだ。殴る・蹴るのシンプルな暴力で殺害するのは生半可なことではない。だが、多少疎くなっているだけで、叩かれて痛みや恐怖を感じないわけではない。
目隠しをした人間の脳天に延々と水滴を落とし続けるといずれ発狂するように、拘束しておかしくなるまで暴行を加え続けるのは、面白そうだ。
魔法による攻撃は、本気で抵抗されると奇形部位に吸われて無効化される可能性がある。ヘオスがその気になれば吸収の上からぶち抜けるだろうが、ヘオスが苦労をしてしまったら報復の趣旨が果たされない。ナシだ。
「・・・そういえば、オドノイド相手にオレの能力を試したことはなかったな。ああ・・・そうだ。そうしよう!破壊が勝つか、再生が勝つか!面白いものが見れそうだよ・・・!!」
通りを抜けて、店の看板が見えた。
ヘオスは、その魔力の片鱗を解き放つ。
目に見えない毒ガスが満ちるように。
ドス黒い悪意に中毒を起こした客たちが座席から崩れ落ちて嘔吐する。
しかし、その悪意には鋭い指向性が与えられている。
背後にキュウリを置かれた猫のようなリアクションだった。滑稽な姿を披露して興を添えてくれたことは評価すべきだろう。多少は情けをかけて、手早く殺してやっても良い。
「初めましてだな、ネビア・アネガメント。そしてさよ・・・・・・う"ッ!?」
言葉の途中でヘオスが固まった。
彼の両肩からは、蛇の怪物を顕現させる寸前だった魔力が霧散し、故障して黒煙を噴く機械のようだ。
なにか抵抗があったわけではなかった。しかし、それでも、ヘオスは振り上げた拳を大人しく下ろす他なかった。
緊張で言葉を発するどころか呼吸もままならない様子のネビア・アネガメントの隣で、優雅にグリーンティーを啜る、真っ白な少女がいたからだ。
「お前・・・なんでここにいるんだ」
「可愛い新入りのために有給使って新生活応援プランをご提供してたのら。偉かろ?先輩の鑑じゃろ?むふー」
「ああ、そう・・・」
「そういうヘオスはどうした?・・・あ、待て。当ててやる。―――あれじゃな?昨日の集まりに顔出せなかったの気にして、わざわざ挨拶に来たってトコらな!なんじゃ、意外にカワイイところあるじゃあないか、このこの」
「バッ・・・!!」
バカにしているのか、と怒鳴りかけて、ヘオスは呑み込んだ。伝楽に口では敵わない。とっくに分かりきっている。
相変わらずフザけた口調にフザけた格好の少女だが、一番フザけているのはヘオス・アイオーンを前にして対等な調子を保ってくるところだ。いつもながら薄気味悪い。
有り体に言ってしまえば、ヘオスは伝楽のことが苦手なのだった。
顔を真っ赤にしてプルプル震える絶対者に、伝楽は頬杖をついて微笑む。
「照れるなよ。そういうことならヘオスもネビアの買い物を手伝ってやってほしいのら。次はKOIA行くからちょうど荷物持ちが欲しかったのら」
「悪いけど、これでも忙しいんだ。休暇組だけで楽しんでくれ」
ネビアに手を出せなかったことに対する舌打ちも胸の内に留め、ヘオスは踵を返した。
(良いんだよ。別に、今日じゃなくても。あんな雑魚、その気になればいつでも殺せる)
・・・なんて余裕をこいていたヘオスだったのだが、結局、ネビアが任務で出国するまで毎日伝楽にからかわれ続けるだけで終わってしまったなんて、彼の名誉のためにも、誓って秘密だよ。
○
「(ねぇ、あの人・・・)」
「(え、ストーカー?やだあ、汗だくじゃんキモ)」
「(通報しとく?少女趣味はさすがに犯罪だよね・・・)」
「(えー、でも事情聴取とかされたらダルいしィ)」
耐えるんだスティーブ、通報されたって無罪は余裕で証明出来るッ!!
「ヘオスの担当官としては、あのコスプレキツネにはどうも頭が上がらないなぁ・・・」
オドノイドは好きじゃないが、伝楽は嫌いじゃない。
釈然としないが、世界の危機は去ったのだ。
建物の陰に隠れて、スティーブはホッと胸を撫で下ろした。