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LINKED HORIZON ~異世界とか外国より身近なんですが~  作者: タイロン
第三章 episode9 『詰草小奏鳴曲』
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episode9 sect40 ”伏線はない”

 エルネスタの前でも、頼もしい父親でありたかった。

 だけれど、それは浩然(ハオレン)のつまらない杞憂だった。

 こんな話をされたって、困るだろうに―――エルネスタは不安で震えが止まらない浩然に気付いてくれた。


 あんなものに関わろうとするばかりに、何度も、何度も、失ってばかりの人生だ。

 やっと築き直した幸せな生活も、この衝動に抗えないが溜めに、また失うのかもしれない。


 決行前夜。


 仲間たち全員を集めての決起集会のあと、エルネスタには全てを打ち明けた。


 「だけど、そうならないために、ここまで周到に準備してきたんでしょ?」


 閉じたアルバムを抱える手の震えは、そのたった一言で、不思議と収まった。


 「私は死なないよ」




          ●


 episode9 sect40 ” BLEACH ”


          ●




 いまでこそ上場企業の社長なんかをしているが、(チョウ)浩然(ハオレン)の生まれは湖南省の片田舎の、しがない米農家だ。ただ、他の子供たちより多少、学校の成績は良かった。

 だから・・・というわけではないが、地元の農業の助けになれれば幸いと考えて、上海にあるそこそこ偏差値の高い魔法科大学へと進学し、魔法工学を専攻した。

 白状すれば、都会への憧れも多分にあった。穏やかな農村の暮らしも嫌いではなかったが、まだ若く、才能を持て余していた当時のハオレンにとって、故郷は狭く退屈に過ぎたのだ。

 だが、故郷に貢献したいというのも嘘ではなかったのだ。証拠だってある。


 閑話休題。


 ともあれ、大学進学を果たし、上京したハオレンだったが、親元を離れての生活というのは、少なくとも勉学だけに全霊を捧げていられるほど楽なものではなかった。要するに、金がなかった。

 天恵があったのは、都会の暮らしを満喫したくてアルバイトを掛け持ちした結果、大学の成績が思わしくなくてどうしたものかと悩んでいた、2年生の夏のことだった。

 たまたま出くわした位相歪曲の中、逃げ遅れた老人を守ってモンスターを撃退したところ、IAMOからライセンスが送られてきたのだ。

 それからは、同じ学科の苦学生仲間たち6人とパーティを組んで、アルバイトよりずっと割の良いアマチュア魔法士としての活動を開始した。

 意外に魔法士としての才能も持っていた浩然は、仲間たちと報酬金の高いクエストを定期的にこなして、パーティーの実力は認められていった。そして、学業に費やせる時間を取り戻したことで成績も復調した。ついでに、同じパーティーの女の子とも交際を始めて、仲を深めていった。

 あの当時は、なにもかも順風満帆だった。いま思えば、最近よく言うところの”フラグ”というあれに思えてならないくらい。

 卒業研究の息抜きも兼ねて、数泊するプランで探索に出たダンジョンで、浩然はその存在と遭遇することになる。


          ○


 日暮れ前に運良く見つけた洞穴に、焚火の跡があった。他の魔法士がここで一晩過ごした、つまり安全な寝床の証拠だ。その日の宿は、その洞穴で決まりだった。

 いつも通り、パーティーメンバーでくじ引きをして順番を決めて、1時間交代で見張りをしていた。危険と隣り合わせのダンジョンの中では、多少の異変でも命取りになるかもしれないから、大事なことだ。当然、浩然も眠たいのを我慢して真面目に周囲を警戒していた。


 だから、すぐに気は付いたのだ。


 「|Vous êtes qui ?《おまえたち、だれ?》」


 フランス語だった。そうと分かったのは、単に、1年生の頃に選択必修でその授業を受けていたからだ。だが、分かってしまったのが、むしろいけなかったのだ。

 洞穴の入り口に立っていたのは、まだ小学生くらいの小さな子供だった。


 分かる言葉を話す幼い子供を、警戒するだろうか。

 しないさ、絶対に。

 したとして、こんなところに1人でいる少年への驚きと心配だ。


 次の瞬間、少年の姿は異形に変貌し、反応する間もなく浩然の意識は刈り取られた。


 失神していたのは、ほんの30秒程度だったはずだ。恋人の悲鳴が聞こえて、すぐに意識が現実へと揺り戻された。

 でも、その30秒で全てが手遅れになっていた。


 仲間の姿は、なぜか3人しかなく、そして残された3人とも、四肢を切断された状態でどこから現れたのかも分からない幼子たちに生きたまま臓腑を貪られていたのだ。その中には、浩然と恋仲だった女性の姿もあった。

 見るに堪えない、吐き気を催すような、想像を絶するような、光景だった。

 だが、襲われている仲間たちを、なにより愛する恋人を見捨てて逃げるなどという発想はなかった。

 助けなくてはならない。

 その一心で、口元を血で汚す子供たちの小さな体に容赦なく岩魔法を撃ち込んだ。


 だが、それらは子供の顔をした化物だった。

 傷付いてもゾンビのように動き続け、体のあちこちから膨れ出た異形を駆使して浩然に反撃し、追い詰めてきたのだ。


 体のあちこちを貫かれ、引き裂かれ、重傷を負わされながらも、最後の一人―――フランス語を話す植物少年の顔面を握り込んだ岩斧の破片で叩き潰して、異形の子供たちを殲滅することには成功した。

 だが、死闘を終えた直後に、仲間たちは全員が黒い粒子となって消え去った。

 残ったのは、浩然と、彼が殺した幼子たちの無惨な死体だけだった。


          ○


 『怪物に襲われたんだ・・・子供の姿をした・・・』


 浩然を憐れむ人は多かった。


 だが、浩然の話を信じる者はいなかった。

 仲間を失ったショックで錯乱したんだろう、なんて陰で囁かれたりもした。


 勿論、IAMOにも通報した。

 なのに、北京支部による調査結果では、浩然が殺したはずの子供たちの死体は発見されなかったと、知らされた。


 誰にどれだけ否定されようとも、夢なんかじゃない。

 例えどんな悪夢を見るとしても、あのように悍ましい光景など浩然の頭では到底想像も出来ない。


 あのダンジョンに骨まで食べるような獣はいないし、短期間で骨を分解するようなバクテリアも存在しない。よく調べてから探索するようにしていたから、それは確かだ。


 なにも見つからないなど、ありえないことだった。


          ○


 あの怪物がオドノイドと呼ばれる存在だと知ったのは、それから4年後のことだった。


 ―――IAMOはなにかを隠している。


 一度は失意の底に沈み、人々の憐憫の眼差しの奥に見え隠れする奇怪なものを見る目から逃げるように田舎に引き籠もった浩然だったが、その疑念だけを芯に復学し、IAMOの魔法工学研究局に入局した。内側に入り込めば、一般公開されていない情報も閲覧出来ると考えたからだった。

 しかし、オドノイドのことを知ったのは資料からではなく、人の口からだった。

 驚くべきことに、IAMO内部の人間のほとんどが、オドノイドのことを存在して当然ものと認識していたのだ。

 一応は重要機密扱いのようで、『匿異政策(ブラックアウト)』のもと、それに関する文書などは一切が厳重に管理されており、新人教育などの機会でも敢えて教えられるものではなかった。だが、実態として、オドノイドはあまりにも普遍的に認知されていた。


 どんなに噂に興味がない奴だって5年もIAMOで働いていれば自然とオドノイドの存在は実感する―――そんなことを言ったのは、仕事の関係でたまたま知り合った実動部所属の、2歳上の女性だった。

 名前はカレン、後に浩然の妻となった人だ。”オドノイド”という単語を浩然に教えたのも、彼女だった。


 また妄言の誹りを受けることに臆病になって資料あさりばかりに執心していた浩然がオドノイドのことを知れたのは、カレンがフランク・・・もとい、度が過ぎるほどに無遠慮で馴れ馴れしい女だったからだ。

 浩然の気も知らないで、不躾に過去を詮索してくる彼女に、浩然は当初かなりの苦手意識を持っていた。しかし、しつこい彼女に渋々自身の経験談を明かしてみれば、といったところである。

 そこからは進展の日々だった。カレンもまた、浩然同様にIAMOの後ろ暗い部分を感じ取り、オドノイドについても危険視していたのだ。

 2人は世界にオドノイドの是非を問うことで意気投合し、業務の傍ら、それぞれの立場と権限を駆使して調査活動に打ち込んだ。


 そして、翌年の2月。


 2人が第1子を授かったのと時期を同じくして、オドノイドの存在を一般にも認知させる最大の好機が訪れた。


 『子どもの楽園』計画が破綻したのだ。


 ・・・ではなぜ、現在に至って魔族からの干渉を受けるまで人々はオドノイドの存在を認知していなかったのか、と疑問に思うだろうか。


 カレンは、なにかする前に中国政府によって拉致された。IAMOはそれを看過した。妻を人質に取られ、生後間もない息子という急所を抱えて、ただただ浩然はちっぽけだった。


 そして、カレンは終ぞ帰って来なかった。


 浮かび上がりかけた歪みの輪郭は欲望の海の奥底へと沈められ、浩然もまた、再び多くを喪って、組織から逃げ出すしかなかった。


          ○


 三度目の正直、という言葉がある。


 二度あることは三度ある、ともよく言われる。


 自暴自棄ではない。でも、成功は約束出来ない。

 こういう心境を、狂気と呼ぶのだろうか。

 浩然自ら立ち上げ、ここまで大きくした会社も、その成り立ちは今度こそこの世からオドノイドやそれに纏わる全てを葬り去るための活動を行うための、隠れ蓑だった。

 表社会とも裏社会ともコネクションを作り、資金を集め、そしてダークウェブを介して秘密裡に、同じ理不尽を呪う同志を募った。


 悪魔に魂を売ってでも成し遂げたい復讐があった。


 だが、ただの復讐心ではテロリズムには程遠い、醜悪なばかりの暴力に成り下がる。


 そして、秘密結社『摆脱惡鬼(バイトゥオ・ウクェイ)』は結成された。


 鬼子(オドノイド)の力を欲して止まない、いまの世界の有り様から()()す。


 読んで字の如くだ。


 一人の少年の想いに動かされました。これからは憐れな捨て子を守り育てましょう?笑わせる。

 IAMOがひた隠しにしてきたオドノイド研究の実態を全世界に公表し、その信用を破綻させ、オドノイド保護方針の効力を消滅させる。

 そして、例えその器ではないとしても、浩然がIAMOの舵取りを取って代わり、オドノイドの全処分を掲げて魔界と再交渉する。

 このクソ下らない戦争だって終わらせてやると、そう言っているんだ。




          ●

          ●

          ●




 もうこれ以上、オドノイドなどというものに触れて傷付く人が生まれない未来。


 そんな未来に、ようやく指の先が掛かったのだ。


 だのに、なんで。


          ○


 「・・・どうして、あなたがここにいる?」


 「久し振りらな。周浩然」


 白銀の髪。

 翡翠の瞳。

 狐の面と白の着物。

 そして鳴らすその草履。

 こんな個性の塊に、瓜二つの別人などいるわけがない。


 伝楽は今日、サイラスと一緒に上海の探偵事務所にいるはずだ。


 「答えてくれ。なぜ、ここにいる・・・!!」


 不敵な笑み。


 無言の答え合わせ。


 宝石のように美しかった瞳は、硫黄のように毒々しく濁り、汚泥のように眼窩に滲み出す、黒々。


 そうか。嗚呼、そうだろう。

 オドノイドである彼女が、オドノイドを滅ぼそうとする浩然たちを見過ごすはずがなかったのだ。

 そして、曲がりなりにも自分たちを庇護してくれるIAMOを見捨てることも。


 「・・・・・・」


 ・・・・・・・・・・・・。


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。


 ・・・・・・・・・・・・またか。


 またしても、オドノイド。


 オドノイド。


 オドノイド。


 じゃあなんだ。


 俺はこの化物を家に招いて飯を振る舞ったと。


 「・・・は、はは」


 ジャギッ!!


 と、重く、短い音と共に浩然は伝楽に機銃を向けた。


 もう二度も全てを奪われたのだ。

 予想外だったが、油断はない。

 大枚はたいてようやく一丁を仕入れた、虎の子の武装だ。

 弾頭に高純度の魔力拡散素材を使用した12.7mm弾を毎分300発バラ撒くコイツの前では、空気の壁を張ろうが魔力で構成される奇形部位でガードしようが、無駄な足掻きだ。


 だが、伝楽は溶融の表情を崩さない。


 浩然には、引き金を引くのを躊躇う理由などないというのに、撃てないと分かっているかのようだ。


 ・・・いいや、違う。違う。


 「ッ、ナメるな、化物!!治るから平気とでも!?俺は昔、お前のお仲間を群れごと殺したことがある!!化物とはいえ不死身でも無敵でもない!!お前ひとり殺すくらい訳はない!!」


 「そうじゃあないよ、浩然」


 浩然は、確かに、引き金を引けなかった。


 伝楽の背中に隠れていた、サイラスが顔を見せたからだ。


 伝楽が現れたときから、薄々察してはいた。考えたくもなかった。最低最悪の予感通りだ。


 「本当に・・・・・・お父さん、なの・・・?」


 ESS-PAの装甲で全身を包まれているため、サイラスには浩然の顔が見えていない。

 だが、声やここまでの会話を聞かれたうえで、実の息子を誤魔化せるわけがない。


 涙がいまにも溢れそうな顔だ。浩然の怒号で怯えさせてしまったのだろう。叱ったことはあっても、怒ったことなんてなかった。

 不安な顔だ。この場に満ちる殺気が決して冗談ではないと分かってしまって、どこにも思考の逃げ場がないからだろう。


 もはや、どう転んでも浩然とサイラスの関係が昨日までと同じ温もりを取り戻せないことが決定的となった。


 だが、もう、仕方ない。


 切り替えなくてはならない。


 例えもう二度と幸せにはなれなくたって、それでも、少しでも明日の行方に納得して、互いにこのわだかまりを乗り越えていける可能性を選ぶだけだ。


 やることは変わらない。IAMOを潰して世界を正す。そのために、まずは目の前の害獣を殺す。


 わざわざサイラスを人質にして現れたということは、正面切っての戦いでは浩然に勝てないと言っているようなものだ。

 技術屋畑の出身とはいえ、浩然もランク5。それなりに実績もある。さらにESS-PAの性能により火力も防御力も機動力も兵器的に強化している。逃げそびれた仲間2人も戦力になる。それに、魔力拡散弾の機銃とは別の切り札もある。―――そういえば、これは伝楽のアイデアが決め手だったか。

 自業自得だ。余裕綽々で下手に浩然と関わってきたことを後悔しながら死ね。


 「体だけじゃなく心まで人でなしってワケだ!!」


 「あーあー。あまり怒鳴るな。ほら、恐がらせてしまった」


 浩然の顔は見えなくても、その剣幕だけでサイラスはぐずぐずに泣き出していた。

 伝楽はわざとらしく優しい仕草でサイラスの両肩を抱いて、その耳元で妖しく囁いた。

 そう、ちょうど、サイラスを浩然からの盾にするように。


 しかし、触れる手は柔らかくとも、怯えるサイラスが目だけを動かして見る伝楽の姿もまた、全身武装の父親に勝るとも劣らぬ異形だ。

 いつものお面の話ではない。本物の狐のような耳に、7本も生えた白銀の獣尾、そして悪魔と同じ黒と黄金の目。


 この場で、サイラスだけが全ての寄る辺を失いかけている。


 「なんなの・・・。伝楽も、お父さんも、おかしいよ・・・!!なんでこんなことになってるの!?!?!?」


 「それはな?摆脱惡鬼が、わちきたちオドノイドを鏖にすることを目的としていて、そのためにはいまのIAMOを崩壊させてから乗っ取り、魔族との協調路線を取ることも厭わないテロ組織らからなのら。そして、、わちきは”とある組織”、つまりIAMOの幹部からそれを阻止するように指示されているからなのら」


 現状だけでなく、サイラスが伝楽と出会ってから今日までの出来事全てが、その説明で完全に語り尽くされた。


 「オド、ノイド・・・伝楽が?」


 「ああ。気付かなかったじゃろ?わちきは人を喰ったりなんてしないし。・・・けど、このままじゃわちきは浩然に殺されるかもしれない。たらオドノイドであるというらけでな。・・・なぁ、サイラス。わちきはなにか、殺されても仕方ないようなこと、したか?」


 「そ、それはっ」


 「聞くな塞勒斯(サイラス)!!」


 浩然は再び機銃を伝楽に向ける。

 だが、伝楽はすぐさまサイラスの体に隠れ、挙げ句の果てにはサイラスの喉元にナイフ―――いや、クナイ手裏剣のような物を突き付ける。


 「その子を放せ、外道!!」

 「どこまで醜悪なんだよオドノイド!!」


 伝楽のその行為に、浩然も、彼の仲間たちも酷い嫌悪感を顕わにするが、伝楽はそんな彼らに失笑する。


 「羨ましいな。法に守られ属する国家のある人間サマは。戦いに善悪や好悪を持ち込む余裕があるとは、優雅なもんなのら」


          ○


 触れる刃の冷たさが、研ぎ澄まされた鋭さを実感させる。

 わずかでも身動きすれば伝楽に喉笛を割かれない状況にあって、しかし、サイラスは未だに彼女のことを憎むことが出来なかった。

 なぜそうなのか分からずにいたが、たったいま彼女の発した言葉で、妙に納得した。


 サイラスにクナイを向ける伝楽の手は、わずかに震えているようだった。


 伝楽はいま、精一杯、虚勢を張っているのだ。


 伝楽の正体は探偵ではなくIAMOのオドノイドだった。

 彼女の語った過去における”とある組織”とやらも摆脱惡鬼のことではなく、そもそも実在しないものの話だった可能性すらある。


 嘘ばっかりだ。


 じゃあ、伝楽がこれまでに言ったことも、見せた姿も、成し遂げたことも、全部が全部、嘘だったのか?


 それも違う―――と、サイラスは思う。


 分かっていたはずだ。伝楽とて集団に囲まれれば太刀打ち出来ないと。

 見たはずだ。浩然が仲間を逃がそうとビルの壁に穴を空けたとき、舌打ちをして壁の陰から飛び出していく伝楽の表情を。


 いろいろと騙されて、人質に使われるとは夢にも思わないまま体よく連れてこられた身の上ではあるけれど。それは本当に腹が立つけれど。


 でも。


 サイラスだって自分や、大切な家族、友人の命が狙われていると知って、それを止める方法があるとすれば、卑怯な手段だとしてもそれを選ぶだろう。

 今日、テロを止めたくてここまで来た動機と、なにが違う?


 人間もオドノイドも同じなんだ。


 死にたくない。大事なものを守りたい。当たり前のことに、当たり前に必死なだけじゃないか。


 それなら、サイラスだってそうするだけだ。


 父親のことは好きだし、伝楽のことも嫌いになんてなれない。どっちが善でどっちが悪かなんて話は、ひとまず置いておけば良い。


 「もう、やめよう・・・?」


 上擦った声が出た。


 動いた喉の薄皮一枚が当てられた刃を撫で、想像通りの鋭い痛みが走った。

 刃物を向けられている恐怖で傷の深さを錯覚しそうになるのを必死に耐えて、サイラスは声を振り絞る。


          ○


 「お父さんがなんでこんなことしてるのか分からないけど・・・伝楽が殺されるのは嫌だよ。伝楽も、お父さんのこと、殺そうとしないでよ。なんで最初から殺し合いなの?2人とも全然おかしいよ、いつもみたいじゃないよ。あんな楽しそうにしゃべってたのに。もう一度話してみてよ。意外と良い感じで解決するかもしれないじゃん・・・!!」


 「そうやって言葉を交わして、俺も塞勒斯も騙されているのが分からないのか!?」


 「そうだけどっ、でももうここまで来てなにを隠すの!?お父さん!!お願いだから伝楽を撃たないで!!」


 「~~~ッ!!」


 首に刃物を当てられながら、当てている張本人を守ろうと、サイラスが両腕を広げた。


 子供の甘ったれた平和論だ。


 ・・・・・・でも、それをその一面だけのものとして切り捨てることが出来ないのが、親という生き物だ。

 生きれば生きるほど、純粋な想いの尊さを身に沁みて実感する。


 昔、サイラスがまだ幼稚園だった頃の記憶だ。仕事の大事な時期でもあった。風邪を隠したまま連日遅くまで働き続けてこじらせ、結局寝込んだ浩然のためにスープを作ろうとしてくれた息子の優しさが、なんと温かかったことだろう。実際には当時のサイラスに料理なんて出来るはずもなく、浩然が一から十まで手伝ったけれど、そんなことは関係ないのだ。


 子供の、裏表ない無償の善意まで否定したとき、ヒトは化物に身をやつすのだ。


 いまも浩然の腹の底では胃液が茹だって、あの女狐をその機銃で挽肉にしろと叫んでいる。


 それでも。


 それでも!!



 それをするのは、まだ、早い、かもしれない。



 「・・・・・・」


 「お父さん」


 浩然は、今度こそ完全に構えを解いた。


 サイラスの耳元では、伝楽の弛緩した吐息があった。


          ○


 「サイラス。すまなかったな」


 「伝楽―――?」


          ○


 吐息と、同時だった。


 「つくづく(わっぱ)に絆される奴らなァ!?浩然!!」


 盾にしていたサイラスを捨て置いて、伝楽が猛獣の如く飛び出す。


 恐らくは脚力に風魔法を乗せた突進だ。


 いくらESS-PAでパワーを補助しているとはいえ、機銃の重量はかなりのものだ。

 いまから構え直しても、伝楽の凶刃には間に合わない。

 きっと、そこまでを一瞬で図っての判断だ。


 実に狡猾。


 サイラスの無垢な想いをも踏み台にして利己を優先する清々しい邪悪。


 為す術も無く鮮血が弾けた。


 「よもや、いまからでも通じる言い訳はあるまい?」


 ただし、それは伝楽のものだった。


 「・・・っ、かひゅっ・・・???」


 浩然の左手には、魔力弾式の拳銃があった。IAMO入局時に支給される、極めて普通の魔銃だ。

 その、腰だめの一射が、伝楽の胸を穿った。

 

 チャンスはあった。サイラスが与えた。それを不意にしたのは伝楽だ。

 そして哀しいが、浩然もこうなることを予期していた。


 願った通りの顛末が、残念でならない。


 伝楽が被弾の直前で身をよじったことで、魔力弾は狙いを外したが、ずれた弾はそれでも彼女の肺を片方潰していた。

 悔しがっているのだろうか。恨み言だろうか。もう声も碌に出ていないから、なんの罵倒やら、分かりはしない。


 分かっている。油断はない。オドノイドは驚異的な再生力が特徴だ。肺に小さな穴を空けた程度では殺せないどころか、瞬きの内に回復して反撃してくるだろう。

 そしてもうひとつの脅威が、個体ごとに有する特殊能力だ。反撃の隙を与えれば、一発で形勢逆転される可能性がある。


 浩然は確かに一度、銃を下ろしたのだ。


 悪いのはそこに転がっている薄汚い獣だ。


 だからもう、この引き金にかける指にも躊躇など


          ○


 『いやああああああああああああっ!?!?!?!?』


 エルネスタの悲鳴に、通信機が音割れを起こした。

 だが、ノイズが走ったのは耳だけでなかった。


 浩然が瞬きをするのも待たずして、世界はカチリと切り替わる。

 同じ場面のはずなのに、まるで前後のコマに連続性のない映像を見せられたようだった。


 「・・・・・・・・・・・・」


 自分も肺が破れたかと思うほど、息が苦しくなった。

 声も出なかった。


 浩然の向けた銃口の先で、血溜まりに沈み、小刻みに繰り返すなけなしの呼吸の半分を胸の穴から漏らしている、サイラス。


 サイサイ、サイサイ、と、通信機を壊さんばかりに繰り返されるエルネスタの悲痛な叫びが、不気味なサイレンとなって浩然の脳を灼く。


 違う。


 そんなはずはない。


 浩然が撃ったのは、間違いなく伝楽だった。


 なぜ、サイラスが自分の前で死にかけている?


 なぜ、伝楽はさっきと同じ場所に立っている?


 なぜ?


 まやかしだっ。


 なにが、どこから???


 「非道い父親らなぁ。可哀想に」


 「っ・・・、・・・?」


 やめろ、サイラスに触れるな、化物。


 なんて、言葉は出る前に潰されて消えた。


 『なんでッ!?なんで撃ったの浩然さんッ!?!?!?』


 浩然はなぜかエルネスタにまで責められる。


 どうして人質にされたサイラスが伝楽から離れたところにいて、浩然の近くにいる。


 まさか、人質から解放されたとでも?


 それを浩然が撃った?


 馬鹿な。


 どんな勘違いをしたらそうなる。


 「おい・・・」


 ()()()()だ。


 「・・・おいッ!!」


 サイラスの応急処置をする―――フリをする伝楽は、


 「なにを笑っている・・・貴様ァァァァァァ!!」


 事態が確定した。


 まやかしは、さっきまで見ていた世界の方だったのだ。


 伝楽が振るうのは、幻覚を見せる異能だった。


 その所業に見合う罵りがない。


 思想の灯火は、遂に憤怒の業火に呑まれて消えた。


 浩然の咆哮に突き動かされ、彼と共に部下の2人も伝楽に掴み掛かる。


 殺意に支配された人間の視野は狭窄しきっている。


 伝楽は、着物の袖に忍ばせていたクナイ手裏剣を、3人の胸に正確に投擲する。

 ただのクナイではない。

 その刃の表面に、時間差で空気の刃を炸裂させる魔法陣をいくつも乗せた、人体など一撃で爆散するほどの殺傷力の塊だ。


 赤い水風船を弾いたみたいに。


 病院のように清潔で白々しかった空間は、赤く、サイケデリックに塗り替えられる。


 血溜まりは3つ繋がって、まさに血の池地獄。


 伝楽と、ESS-PAの装甲に守られた浩然だけが、そこに立っていた。


 「あああっ、あ"あ"あ"あ"あ"あ"!?あ"ぁうァっ、お"あ"あ"あ"あ"あ"ッ!?!?!?」


 しかし、死を免れようとも、浩然の手が伝楽に届くことはない。

 全身を堅固な鎧で守っていることも忘れたように、なにかを振り払おうと必死に身悶えする浩然。

 彼の目に映るのは、天井のシミから滴り落ちて首に手を回してくるかつての恋人と、血の池から這い出て足を掴む妻の亡骸だった。


 錯乱し、床に広がる血を叩いて散らしてのたうち回る浩然を、伝楽は冷たく見下ろす。


 「可哀想といえば、エルネスタも憐れなヤツらったな。好奇心猫を殺すとは言うが、浩然なんかと出会ってしまったばっかりに、今世紀最大最悪のテロ組織の中心人物として追われ、殺される羽目になるなんて」


 ダークウェブで偶然見つけた、摆脱惡鬼の募集。

 オドノイドという未知なる存在と戦う秘密結社。

 エルネスタが興味を持たないはずがなかった。

 イケナイ趣味は、必然、イケナイ結末を呼ぶものだ。


 「さて―――」


 鈍い音がした。


 伝楽の腹からだった。

 白い着物に、赤い染みが広がっていく。


 浩然の反撃ではなかった。

 彼はいまもそこで泣き喚いている。


 伝楽は、自身の下腹部から突き出した荒削りの石杭の出所、背後を振り返った。


 「思ったより元気そうらな、サイラス」


 「・・・、・・・!!」


 片肺を喪失したサイラスに、声は出せない。

 しかし、それでも「エルエルまで傷付けるつもりなら、絶対にさせない」と顔に書いてある。


 「そうか。・・・そうらよな。そりゃあ、そっち側に立つよな」


 伝楽は、背中から腹まで突き抜けた石杭をズルリと抜き取る。

 自ら魔法を放っておきながら、負わせた傷から溢れ出す大量の血液にビビっているサイラスに、伝楽は屈んで目線を合わせる。傷など負っていないかのように、平然とした表情で。


 見つめる。無表情に、その憐れな少年を。


 見つめる。震えながら、分からなくなったその少女を。


 無言の後、伝楽は手にしたその石杭を、サイラスの体に突き立てた。


 「―――」


 サイラスを黙らせた伝楽は、次いで、浩然に馬乗りになる。

 床で暴れる彼の手足を7本もある尻尾を使って無理矢理押さえ付け、くすぐるような手つきでESS-PAの頭部装甲を取り外す。


 浩然の顔は、涙と鼻水で、それはもう酷い有り様だった。


 顕わになった喉笛に、伝楽はクナイを当てる。


 「・・・実の親からも愛されず棄てられたゴミが、いまさらなにをして、誰から必要とされるって?笑わせるなよ。お前ら全員、棄てられた場所でキチンと野垂れ死ぬべきだったんだよ」


 「一番言っちゃあいけないことを言ったな、外道。最期の最期に―――良かったな、頭、外しておいて」


 伝楽は刃に力を込める。喉仏を裂く重い手応え。


 ビルの各所で爆発が起きた。

 浩然の死をトリガーとした最後っ屁だ。

 ほどよく残しておいたので、ほどよく世間を騒がすニュースになる。

 リーダーの死で摆脱惡鬼の統率は乱れている。

 じきにビル内の残党も全員が拘束される。

 全て、予定通りだ。


 「まさか、お前たちが考えた程度の作戦で本当に上手くいくと思っていたわけじゃあるまいな」


 最後の仕上げだ。


 伝楽は、浩然の被っていた頭部装甲を拾い上げ、それから監視カメラの先で画面から目を離せずにいるエルネスタに向けて、ニヤリと笑った。


 「ここでの出来事の記録は全て『エルネスタ・エルスターの手によって削除』されて、なにも残らない。そういう仕組みになってる」


 『ウソだ、待って・・・伝楽!?伝楽!!』


 「じゃあな。ごくろうさんなのら。助手クン?」

 ひとまずep.9の伝楽パートはこれにて完結。最低ですね。どこまでが本心なのでしょうか。

 ちなみに、エルネスタが北京支部へのハッキングに成功したのも、バックドアプログラムを利用した逆ハッキングも、伝楽の細工です。ただテロを阻止するだけでは芸がありませんからね。見せ場は用意してあげないと。

 伝楽がどうやって摆脱惡鬼の作戦に介入し、結末まで操作しきったのか。伏線がないわけではないですが、やはり伝楽のやることに伏線らしい伏線はありません。強いて言うなら伝楽が登場したらなんか起こる伏線と思って諦めてください。え、創作物になんも起こらないのに登場する人物はいないって?はっはっは。















          ○


 監視カメラへのアクセスも断たれ、画面は真っ暗になった。


 呆然と―――何分、何時間?―――分からない。なにも動かない画面を見つめ続けた。



 「あ"あ"ッ!!」



 愛用していたラップトップを両手で叩き壊した。


 なにも起こらない。


 なにも戻らない。


 なにも。

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第1話はこちら!
PROLOGUE 『あの日、あの時、あの場所で』

❄ スピンオフ展開中 ❄
『魔法少女☆スノー・プリンセス』

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