episode9 sect39 ”摆脱惡鬼”
やられた。
油断していたわけじゃない。
だが、突かれたくない隙を突かれた。
いまは魔界と戦争中だ。そして、異世界との戦争はIAMOの領分だ。狭い『門』を潜れない現代兵器で武装した軍隊の出番はまだない。大衆にとってはまだ画面の向こうの話で済んでいるとしても、IAMOには確実に小さくない負担が発生している。
わけても、ここ北京支部は、皇国から攻撃を受けた102番ダンジョン鉱山拠点の防衛に、多大な犠牲を払ったうえで失敗したことで未だかつてないほど疲弊していた。加えて、人間界全体を震撼させている『ブレインイーター』の捜索活動も継続中であり、ロンドン本部への派遣人員もまだ戻ってきていない。支部に滞在する人員は平時の半分にも満たなかった。
しかも、それだけではない。なお悪いことに、次の月曜日はハロウィンなのだ。当日ではないにしろ、北京や上海などの都市部では多数のイベントが開催されて華やかな週末を迎えている一方で、浮ついた空気に乗じた魔法犯罪の発生リスクも高まる。現在は非常事態で人手が足りないというのに、中国政府の要請で例年通りにそちらの警備にまで人を割かなければならなかった。
様々な要因が重なって過去最低に衰弱しきった北京支部に、ようやく訪れたひとまずの週末という息の切れ目を狙って、奴らは襲来した。
○
アサルトライフルのけたたましい銃声が断続的にフロアに木霊する。
火薬の弾ける乾いた音とは裏腹に、巻き起こされる破壊は砲弾でも撃ち込まれたようだった。
弾丸に水魔法が込められており、着弾の直前に本来の質量の数倍から数十倍に相当する水量が弾丸を包み込んでいるのだ。
魔法の発動タイミングがうまく計算されており、弾丸の速度は一切殺さず、その質量が飛んでくる。魔法物理の運動量マジックだ。プロテクターを付けているとはいえ、一発でも頭や胸に食らえば為す術無く意識を刈り取られかねない。
既に1人は潰したというのに、全く焦る気配も見せない。厄介な連中だ。
飛は、決して広くない通路の細長い空間を転がり回って秒間10発超の質量爆撃を回避しながら、それでも着実に反撃を狙っていく。
彼が持つのは紫色魔力の亜種であり、扱う魔法は金属魔法だ。一般的に岩石―――すなわち二酸化ケイ素を主成分とした鉱物を生成・操作する岩石魔法に対し、金属魔法ではその名の通り、金属の生成を可能とする。
多少固くなっただけで、他になにが違うのか、と思うかもしれない。
つまり、こういうことだ。
飛が腕を振るうと、離れた位置にいるテロリストの真横の壁がバックリと裂ける。
「勘が良い・・・!!」
「なるほど鋼線か!!」
さっきまでメインで使っていたギロチンショットは、物騒な見た目と派手な威力で敵の注意を引き付けるデコイで、本命は魔法で無から無限に生み出せる極細のワイヤー・・・・・・だったのだが、紙一重で躱された。視線を読まれたか。
再び連射爆撃が来る。緊急離脱用のワイヤーを使った変則的な移動で回避するが、タネが割れた以上はこの移動方法も次は読まれかねない。
「制御室はなにしてる、隔壁まだか!!雨涵!!」
「手動もダメだ!!」
○
IAMOの拠点に対するテロ行為など、いつ以来だ。少なくとも、定年の概念がない上層部の一部を除いて、現役世代で似た状況を経験した者などいないはずだ。
だが、その大胆な行動を計画するに相応しいだけの周到さは、認める他ない。まさか、地下鉄の営業時間中に建設中の地下鉄駅から侵入されるとは。
既に敵部隊を発見して戦闘状況にあるのが、数カ所。だが、敵の数は分からない。監視カメラがハックされているのだ。それだけではない。大元の施設管理用システムそのものに侵入されている。
「そんなバカな話があるか・・・!!」
「あるんだからしょうがないでしょう!!」
「復旧急げ!!」
「もうやってます!!」
IAMOの施設管理用システムはすべて自組織で独自開発したものであり、使用される言語も固有のものだ。外部から攻撃を成功させることなど、まず不可能である。事実、システムがサイバー攻撃により障害を起こした例は、導入からおよそ30年、一度たりともない。
それでも成功する可能性があるとするならば―――まさか、バックドアを用意したとでも言うのか?
制御室からの指令も、現場の緊急操作も、悉くを無視してビル中の隔壁装置がひとりでに蠢き始める。
○
やっと動いたかと思えば、隔壁に閉じ込められた。テロリストは壁の向こうだ。
奴らも閉じ込められたのならこの状況も仕方ないと割り切るところだが、あの水魔法使いは動けない仲間を引き摺って逃げるように隔壁の反対側へ逃げ込んでいた。
明らかに異常だ。考えにくいことだが、施設管理用システムがハッキングを受けている?
「どこをどう切り取っても素人の動きじゃないわね」
雨涵が苦虫を噛み潰したような顔をする。ハッキング然り、直接戦闘の技能然り。飛も同意見だった。
「武器も、多分あれドイツ製の最新式だぞ。安値で流通している型落ち品なんかで出せる威力じゃない。相当強力なバックがあると見て良いな」
「なんにせよ、このまま閉じ込められているわけにはいかないわよ」
「分かってる、よ!!」
水魔法使いのテロリストの行動を見た時点で、嫌な予感はしていたのだ。対策を打たないわけがない。飛はテロリストたちが逃げた方の隔壁が閉じる前に、扉のジョイント部を阻害するように薄い金属板を飛ばしていた。
隔壁表面は魔法攻撃を防ぐために魔力拡散素材で作られており、完全に閉じてしまえば飛の金属魔法でも干渉出来ないが、接合部はそうではない。挟ませた金属板には、表面に別で鉄柱を射出する中型魔法陣を仕込んであった。
バガン!!と、内側から膨らんだ鉄柱によって、隔壁が勢い良く開かれる。
飛と雨涵は同時に飛び出す。
敵はまだそこにいる。
別部隊と合流したか、人数が2人ほど増えている。
「飛、F・D6で対応する!!」
F・D系統は、軍事訓練を受けた敵を想定した戦術であり、特にD6は狭所で多勢に無勢な状況での立ち回りを一般化したものだ。
これを飛と雨涵のペアで運用する場合、飛が下がりながら敵を包囲するようにワイヤーを展開し、そこに雨涵が雷魔法を流すことで瞬間的・広範囲に電気柵を作り出すことで敵の行動を制限し、遠距離攻撃を重ねることで制圧する流れになる。
隔壁の開放からこの判断を下すまで、1秒未満。
だが、隔壁が閉じてから開くまでが、遅すぎた。
廊下の曲がり角から現れる、致命的な増援。
SFチックな、機械仕掛けの重厚な全身装甲。
背後に背負った大人一人分はある巨大なプロペラントタンク。
頭部装甲のバイザーを過る危険な走査線。
バックパックから火を噴き猛進する質量。
空間を駆け巡る不可視の電流など気にも留めない。
強靱なワイヤーが蜘蛛の糸のように引き千切られる。
千切れたのは、ワイヤーだけではない。
「△※$■×@~~~~ッ!?!?!?」
翻る凶刃。
飛の左脚が床に転がる。
魔力攻撃を通さない装甲。
巨体に見合わぬ機動性と巨体に似付かわしい怪力。
成人の平均魔力量でも長時間稼働など到底出来ないがために装備された、特徴的な増槽。
闇に紛れるような黒いカラーリングも全体的なディティールも米軍のそれとは明らかに異なるが、それでも、間違いない。
「くそ!!なんでテロリストがESSーPAなんかで武装してんのよ!?」
●
館内の様子がおかしい。だが、それこそ予想通りだ。既に、摆脱惡鬼による攻撃は始まっているのだ。
サイラスは、仕掛けられたトラップを片っ端から解除・回収しながら、ひたすら景色の変わらない通路を走り続けていた。知らない建物というだけではない。明かりも非常灯しかなく、仄暗い迷宮のようだ。しかし、それでも道に迷う心配はない。伝楽が、常に行くべき道を示してくれるからだ。
「曲がってすぐ、左右1個ずつ」
「了解!」
いちいち「トラップがあるから解除しろ」とまでは、もう言われなかった。
設置されているとすれば頭上、あとは左右のどちらにいくつあるか分かれば、サイラス自身で判断して解除出来た。
最小限の合図で、互いが互いの役割に集中している感じが、本物の特殊部隊になったみたいで少しウキウキしてさえいた。
もう恐怖はない。伝楽とならテロ組織だって出し抜けてしまうのだ。
しかし、2人の妨害をするのはテロリストに設置されたトラップだけではなかった。突然動き出した隔壁によって、通路の正面が封鎖された。
「警備システムが乗っ取られたな」
「どうする?これじゃトラップのある方向には追い掛けられなさそうだよ」
「いや、心配ない。これくらいは想定していたさ」
伝楽はその場で10秒ほど顎を撫でながら考え込んで、それから迷いなく来た道を戻り始めた。そのまま、さっきは曲がらなかった方の通路へ。いや、違う。曲がらなかったのではなく、さっきは隔壁が最初から降りていたために、曲がることが出来なかったのだ。
なんらかの意図を持って開閉されている隔壁のパターンを読んで、伝楽は新しく道順を組み直したらしい。
通路を抜け、さらに階を上がる。
戦闘の音らしき騒ぎが、また少し近くなった。離れていても、轟音を浴びれば体が緊張する。
ただ、音が近くなるということは、着実に摆脱惡鬼に追い付きつつあるということであり、そして、いずれは追い越し、先回り出来る可能性が見えてきたということでもある。
もとより戦闘はIAMOに任せる作戦だ。伝楽について行けば、この凄まじい爆音も素通り出来る。勝手に動く隔壁を計算に入れて伝楽が練り直したルートは、やはり正確だった。
「まるで自動ドアみたいだね」
「口じゃなく手を動かせ。5m先、右1個」
勝手に閉じる隔壁のはずが、むしろ逆に近付くと自動で上がっていく。伝楽が、どこかで遠隔操作しているハッカーの思考を先読みしている証拠だ。
いままでの探偵活動で発揮していた推理力さえ、彼女の本当の実力の片鱗にしか過ぎなかったのだ。
「サイラス。奴らの本当の目的に見当がついた」
「ホントに!?」
いつそんなことに思考のリソースを割いていたのだか、変わらず走り続けているだけの最中に、なんの前触れもなく伝楽は頼もしいことを言う。
「戦闘がほとんど止んでるのに気付いたか?いくらなんでもこの短時間で警備の魔法士が全滅することはあり得ない。乗っ取った警備システムを利用して戦闘を避けてるってことなのら。このトラップも、恐らくは追撃の牽制、あるいは退路の確保用といったところか。とにかく、単なる破壊行動が目的ではないのら」
「つまりどういうこと!?」
「奴らの狙いは北京支部の占拠、またはなんらかの機密情報の奪取―――この感じらと、恐らく後者なのら」
「機密情報って・・・なんだろう?」
「さあな。それは本人の口から語ってもらおう。とにかく、いまはサーバルームに先回りすることらけ考えるぞ」
「わ、分かった!!」
敵の都合で開閉する隔壁を乗り越えて先回り出来るものなのか、依然として一抹の不安はあった。しかし、あれらはあくまでIAMOの魔法士たちを妨害する目的で動かされているものであり、伝楽とサイラスの存在は想定されていないのだと、伝楽は言った。
魔法士たちの行動次第では、摆脱惡鬼の側も戦いを避けるため自ら封鎖した通路を迂回しながら進まなくてはならなくなる。そして、魔法士たちもただ翻弄されるだけに終始するような無能集団ではない。仮に妨害されてテロリストと接触出来ないにしろ、拠点を攻撃されている以上、守るべき施設は自ずと決まってくるため、そこへ容易に到達出来ないよう行動するはずだ。日常的に孤立無援のダンジョンで自己判断により任務を遂行する彼らにとって、指令室と連絡が取れない程度では、行動決定になんら影響などない。
結果的に、IAMOと摆脱惡鬼、互いが互いに効果的な行動を取れば取るほど、第3者であるサイラスたちが先回りするための時間は増えていく。
「―――勝ったな」
別館への渡り廊下の前に辿り着き、一時停止して周囲を警戒した伝楽が、ふと呟いた。
サイラスは言葉の意味を問おうとしたが、しかし、口から出る前に呑み込んだ。思い当たる節があったからだ。
少し前から、摆脱惡鬼のトラップを見なくなっていた。恐らく、彼らの行動経路から完全に外れたせいだ。それが彼らより迂回しているか、先行しているかの決定的な判断材料になるわけではない。だが、伝楽の呟いた一言は、サイラスたちの有利を意味していた。
彼女の解釈にいまさら疑問はない。故に、サイラスの取るべき行動は、この有利を維持し、さらに差を広げるために行動することだ。
「伝楽、急ごう」
「ああ」
●
陽動チームは旨く立ち回ってくれている。北京支部に対するサイバー攻撃についても「恐いくらい順調♪」との評だ。自分たち本隊がこうもあっさりとサーバルームまで到達出来たのも、彼女の強力なバックアップがあればこそだろう。
万が一に備えてESS-PAを装備してきたが、その火力に頼らずに終わるかもしれない。願ってもないことだ。
この渡り廊下を抜ければ、すぐにサーバルームだ。眼前に淡く揺れる勝利と革命への昂ぶりと、それとは正反対に、もう後戻りは出来ないという恐ろしい実感を胸中を席巻している。
しかし、警戒は怠らない。かつての感覚が戻ってきたのか、逸る心とは裏腹に頭と体は至って冷静な状態を維持出来ていた。自分ではもうとっくに衰えたものとばかり思っていたが、案外、訓練で身に着けた技術というのは経年劣化しにくいようだ。年の功?それも、あるかもしれない。なんだって良い、この作戦を成功させられるなら、それが神の悪戯でも、悪魔の導きでも。
渡り廊下の入り口にトラップを仕掛けたら、そのまま部下2人を連れて一気に渡りきる。
渡ったら、左。
大きな窓から見える、無数の記憶装置が束ねられた電子の森。
職員や利用者たちの情報。これまでに受注されてきたクエストの情報。異世界との交易や、政策に纏わる様々な情報。支部管轄内における位相歪曲の発生や出現するモンスターに関する情報。
そして―――。
蓄えられた情報そのものに、善悪なんてない。ただ「そうあった」だけのことを、その通りに記録して保管しているに過ぎない。善悪とは、それを後の世代が善く使うか悪用するか、それだけのこと。
分かっている。当たり前のことだ。
しかし、分かっていてもなお、忌まわしくて仕様が無いのだ。それが大切に保管されていると考えるだけで耐え難いほどに気分が悪いのだ。存在自体が許せなくなってしまったのだ。
自分の常識に照らし合わせても、現在、そしてこれからの自らの行いは”悪用”なのだろう。だが、所詮は悪と巨悪の喰い合いだ。どちらが勝っても最善に結果は訪れない。咎は受けよう。いずれ現れる真なる善性から。
「サーバルームに到着した。入り口を開放してくれ」
『りょ~・・・かいっと!』
通信機越しでも分かるくらい、気合いを入れてENTERキーを叩く音がした。キーボード入力に力を込めたところで意味なんてないのに、とは思ったが、入り口前で力みながらドアが開くのを待っている自分が言えたことではない。
聞こえたタイプ音と連動して、鉄壁のセキュリティを誇る電子ロックが解除され、扉はシャッと軽いモーター音を立てて開かれた。
サーバルームの中にさえ入れてしまえば、もはや彼らを妨げるものはなにもなかった。入ることが出来た時点で、本来なら厳重なチェックが済んでいるからだ。
情報閲覧用のコンソールも、入り口のすぐ脇に設置されている。施設管理用システムを含む、あらゆる外部ネットワークから完全に切り離されたスタンドアローン。それ故に、セキュリティシステムへのハッキングを成功させても、こうして現地で直接バックドアを取り付ける必要があった。
しかし、それもいま果たされた。
小さなフラッシュメモリをコンソールに挿すという、これっぽっちの仕事を果たすためだけに、途方もない準備をかけたものだ。
―――少なくないラッキーにも恵まれた。仲間たちとの出会いもそう。これだけ潤沢な資金を集められたこともそう。ハッカーが転がり込んできたこともそう。これほどの武器供与を得られたこともそう。
まるで、世界が自分の為そうとするところを知って、見えない力で味方してくれたのではないかと錯覚してしまいそうなほどだった。子供時代に感じていたような全能感、主人公になったような気分とでも言うのだろうか。
とはいえ、これで作戦完了とはならない。最重要ミッションは果たしたが、無事に撤収出来なければこの成功の意味も失われてしまうからだ。
・・・・・・いや。
違うな。
きっと、自分が帰らなくても大いなる意志は自ずと紡がれていく。
「私も、死なないよ」
○
「おや、もう帰り道の心配か?」
○
異変があった。
現場で見て分かる異変ではなかったが、事の重大さはハッカーの狼狽ぶりからすぐに察せられた。
『あっ、えっ、あぅあああっ!?!?!?ままま待って待ってなんでなにこれどうなってんの!?!?!?』
恐らくは彼女のPC端末から発せられているであろう、けたたましいアラートが、通信機を介して耳を劈いた。
「落ち着け。一体何があったんだ。ひとつずつ話してみなさい」
『ごめんなさっ、なんか、セキュリティシステムの制御が全部取り戻されてっていうか端末自体制御出来ない・・・?の、乗っ取られてる!?』
「・・・!!聞こえるか!!総員、撤退だ!!すぐに脱出する!!」
『ダメです!!隔壁が全て閉じて動けません!!』
『ハッキングプログラムが勝手に動作してるの!!どうしよう、どうしよう―――!!』
そんな馬鹿な話があるか。ありえない。
さっきも軽く触れたことだが、サーバルームのシステムは完全な独立状態なのだ。百歩譲って、不正アクセスした端末への逆ハッキングはあるとしよう。だが、掌握した端末を乗っ取り、あまつさえその端末で稼働している全く初見のプログラムを介して瞬時に北京支部のセキュリティシステムをも自動的に制御するようなトラップが存在するか?
どんなニッチな対策だ!!考えたヤツは頭がどうかしている!!
「いいから、逃げるんだよ。壁をブチ破ってでも!!」
有言実行。
気が付けば音もなく閉じていたサーバルームの扉を、超高硬度の岩石杭を弾としたパイルバンカー魔法でブチ破り、仲間2人を連れて通路に脱出する。
さらに、勢いのままビルそのものの内壁にまで杭を突き立て、脱出用の大穴を開ける。隔壁で逃げ場がないなら、作れば良いのだ。
「君たちはここから脱出しろ。高層階だが、それくらいは自分でなんとか出来るだろ」
「し、しかし―――」
「良いから行くんだ。私は他の仲間たちを助けに戻る。分かったら早く!」
北京支部への直接攻撃に参加している仲間は、52名。しかし、ESS-PAを装備しているのは彼自身を含めて5名のみ。力業で隔壁を破壊して逃走ルートを切り開ける人員はごく一部に限られる。その力を持つ彼がここでひとりそそくさと逃げ出すわけにはいかないのだ。
「っ、必ず無事に戻ってくださいね!!」
「すみません、社長!!」
2人が壁に穴に飛び込むのを横目で見ながら、社長と呼ばれた男はすぐさま来た道を引き返
ドン、と、なにかがぶつかる音がした。
「・・・・・・?」
壁の穴から脱出したはずの2人が、無様に床に尻餅をついていた。
今度はなにが起きた?
その答えはすぐに分かった。
2人が穴を手で触れて、なにかを確かめたからだ。
穴の縁なんかじゃあない。本当に、なにもないはずの穴の中央の虚空を、ペタペタと触っていた。
その現象に、彼はすぐ思い当たった。
直接見たことがあったわけではない。
だが、その道で生きたことのある者なら、知らぬ者はいない。
それは、風魔法の極致だ。
「空気の、壁・・・まさか、バカな」
一定範囲の空気分子ひとつひとつを、魔法によってその位置の完全に固定して堅牢な壁とする。電撃さえ遮るという逸話を信じるならば、完全な固定という次元をさらに超越し、電子の通過をも遮断するよう全ての分子に特定の運動を与えている可能性さえある。風魔法の使い手でなくとも、その困難さは想像に難くない。
現代においてそれを実現しうる魔法士と言えば、ギルバート・グリーンと、神代疾風くらいのはずだ。
まさかその2人のどちらかがこの場に?
それはない。
2人とも『ブレインイーター』にかかりきりのはずだ。下調べは済んでいる。
いや、それ以前に、この程度の武装集団相手に差し向ける戦力じゃない。
訳が分からなくなってきた、そのときだった。
木製の靴底が床を叩く、軽やかな足音がした。
振り返る。
この時世、そうそう聞くことのないはずの、しかしいやに聞き覚えがあるその足音を。
「・・・どうして、あなたがここにいる?」
「久し振りらな。―――周浩然」
ワイヤー!ハッキング!パイルバンカー!我ら、男のロマン三銃士!!・・・パワードスーツが仲間になりたそうにこちらを見ている。