episode9 sect38
上海から北京まで移動するには、高速鉄道でおよそ4時間半はかかる。最寄りの駅までの移動や待ち時間も考慮すると、倍とまではいかないが、なお一層長い時間が掛かってしまう。いつも通り15時半に下校してから北京に向けて出発するのでは、テロの予定時刻に間に合わない可能性がある。
・・・のだが。
『駄目。わちきには浩然からお前を預かっている責任があるのら。学校にはちゃんと行ってこい』
伝楽ときたらその一点張りで、やむを得ず、サイラスは小学校に行くしかなかった。そうしなければ、北京行きをキャンセルするのも辞さないと言わんばかりの頑固さだった。事務所を出発する前に「置いていったりしないよね?」と念を押すと「仮病で早退とかしたら置いていく」と逆に脅された。
それもそれで、漫画的展開だとサイラスを安心させたうえで結局置き去りにされてしまうパターンっぽいので、サイラスは授業中も悶々としていたのだが、いざ5限目が終わってダッシュで学校から飛び出すと、タクシーに乗った伝楽が校門前で待っていた。
「心配し過ぎなのら。いままで一緒に行こうと言って置き去りにしたことがあったか?」
「ないです」
高速道路に乗るなり、伝楽はタクシーの運転手を徹底的に急かし始めた。いつの間に調べたのか速度超過取り締まりの巡回パターンまで引き出したり、猫撫で声でおだてたり、チップを積み増したり、あの手この手で運転手の右足をベッタリと押さえ付けて、理論値超えの最速タイムで昆山南駅に到着。
「・・・車掌さんまで煽らないよね・・・?」
「・・・?するわけないらろそんなこと」
なんでそんなすっとぼけた顔をされなくちゃならないんだ。公道でジェットコースターした恐怖で既にサイラスの心臓は悲鳴を上げていた。
乗車券を2人分買って、黄昏時のホームのベンチに並んで座る。異常に早く到着したおかげで逆に少し待たなくてはならなかったが、その時間で伝楽がおやつの肉まんを買ってきてくれた。吹きさらしのホームはちょっぴり肌寒かったので、やけに美味しく感じた。
熱々の肉まんをゆっくり食べ終えた、ちょうどくらいで列車はやって来た。座席は指定席。当然サイラスと伝楽は隣同士だ。新幹線はあまり乗り慣れないサイラスはキョロキョロと車内の様子を観察しながら、伝楽のあとをついて歩いた。車両の中程の番号の2人席。乗車券は急いで買ったからどちらがどちらか分からない。選んで良いと言われてサイラスは窓際の席をもらう。
周りは、大人ばかりだ。仕事だろうか。それとも週末になるから、遠くの自宅に帰るのだろうか。遊びに来ていた旅行客かもしれない。子供はほとんど乗っていない。サイラスたちは目立っているだろうか。いや、目立つとしたら伝楽の服装のせいか。上海が都会と言えども、そこら辺で日常的にコスプレイヤーが歩き回っているほど、時代を先取りしてはいない。気の早いハロウィンとでも思われているだろうか。
列車が動き出し、座席に背中を軽く押されるような加速に身を任せる。さっきのタクシーとは違って、安心して窓の外の景色を見ていられる。高速で流れる風景は、これから遠いところへ行くのだという実感を湧かせてくる。
「サイラス」
「うん?」
「降りるまではかなり時間があるのら。夜は眠れないから、いまのうちに休んでおけよ」
「分かった。そうするよ」
伝楽も、話ながら既に目を閉じて、体を休めているようだった。
休めるときにしっかりと休めるのも仕事の出来る人の特徴だ、と浩然も昔、言っていたか。あれは酔っ払っていたときの話なのであまりアテにならないが、でも、確かにそうなのかもしれない。
目を閉じてリラックスすると、頭が冴えていろいろと考えが巡る。いま、サイラスの脳を過るのは昨夜の伝楽の話だった。
「ねぇ伝楽」
「んー?」
「伝楽はさ、現在は、楽しくない?」
「なんじゃ急に」
「俺はさ、楽しいよ。伝楽と、エルエルと、3人でいろんなことするのがさ、好きなんだよね。・・・でも、伝楽はどうだったんだろうって、昨日の話聞いてから、ずっと考えてた」
伝楽の幸せは過去にしかないのだとしたら、サイラスの想いは単なる一方通行だ。伝楽はどこへも行かないと言ってくれた。でも、今日が終われば明日にも伝楽はどこかへ去ってしまうんじゃないか、という漠然とした不安は消えない。そんな寂しいことを、言わないでほしかった。
しかし、伝楽はそんなサイラスの憂鬱を鼻で笑った。
「ハッ。なんじゃ、そんな分かりきったこと。楽しいさ。初めは確かに手段としての探偵業でしかなかったが、お前たちと3人でやるミステリーハンター紛いの探偵ごっこも案外悪くないって、最近は思ってる」
「そっか」
「そうさ」
少しずつ、本当に眠たくなってきた。
○
伝楽の声がして、気付くと外は夜の都だった。サイラスは、自分でも驚くほど熟睡していたようだ。
「あれ、だいぶ寝てた。もう着いたの?」
「いや。でも次で降りるから、準備はしておけ」
車内の電光掲示板には、次は北京南駅、という表示が流れていた。
改札を出ると、時刻は既に22時を回っていた。普段のサイラスならもう寝る時間だが、今日はむしろここからが本番だ。
昨日入手した情報によれば、摆脱惡鬼なるテロ組織が行動を開始するのは23時とのことだった。現在地からIAMO北京支部までは地下鉄で移動可能だが、それでも乗り換えやダイヤの都合で20分程度は掛かる見込みだ。連中に先回り出来るかは五分といったところか。
・・・と息巻くサイラスだったが、伝楽は打って変わって落ち着き過ぎなくらいだった。
「まさか正面玄関で手をこまねいて待つつもりじゃないらろうな。相手がどれほどの人数で来るかも分からんのに真正面から迎え撃つはずがなかろう」
「いや、さすがにそんなこと考えてないって」
つい先日、大の大人にボコボコにされたばかりなのだ。子供のサイラスでは、逆立ちしたって力で大人には敵わないことなど分かりきっている。武術の心得がある伝楽にしたって、小柄な女の子であることには変わりない。多勢に無勢となれば手も足も出ないだろう。
つまり、こうだ!
「裏口から先回りして罠を仕掛けるんでしょ!」
「ぶっぶー。不正解」
「え"!?」
「そもそも部外者のサイラスがどうやって裏口から入るつもりなのら。それに、北京支部ビルの入り口自体、一体いくつあると思う。運良く入れたとして、関係者以外立ち入り禁止の通路をのんびり罠を仕掛けながら歩き回ったりなんか出来るものか」
けちょんけちょんである。そこまで全力で否定しなくたって良いじゃないか。
「ぐぬ・・・じゃあどうすんのさ?」
サイラスの問いに伝楽は「ふむ」と考えるフリをして―――
ぐぅー。
「なーサイラス。おなか空いたのか?」
「どうしようもない・・・ッ!?」
あまつさえ腹の虫をサイラスに押しつけようとする始末だった。
腹が減っては戦は出来ぬ、などと日本の諺を引き合いに出して、伝楽はサイラスの手を引きコンビニに入った。
「こんなことしてる場合じゃないでしょ」
「焦ったところでなにが解決するわけでもないのら。昨日聞いた話で、何人が、どの入り口から入って、どの部屋に向かうかなんて詳細な情報があったか?」
「ないけど・・・」
だからこそ、こうして暢気にメロンパンと馬拉糕で悩んでいる暇があったら、足りない情報を補うことに頭を悩ませるべきだとサイラスは言っているつもりなのだが。
悩みに悩み抜いた末に、伝楽は馬拉糕を選んだ。決め手は砂糖の使用量だそうだ。差し詰め脳ミソの燃料補給といったところか。
「お前も食うか?わちきの奢りなのら」
「・・・じゃあ、コレにする」
最後に食べたのは夕方の肉まん1個だけ。サイラスも、空腹は空腹だったので、素直に奢られることにした。
コンビニから北京南駅まで戻りながら、食べ歩き。
「ほへへ、はふへんおはふぁしらへほ」
「なんて?」
普通にしゃべっても舌足らずなんだから、食べながら話されても全く内容が分からないんですが。
「それで、作戦の話らけど」
「すんごい大事な話しようとしてたね!!」
ツッコまないまま聞き流していたら危うくサイラスだけなにも分からないまま作戦開始になるところだった。
「わちきたちは、摆脱惡鬼の行動に便乗して北京支部に侵入するのら。侵入後、連中の行動から目標を割り出して、先回りで妨害する」
「そ、そんなこと出来るの?」
「サイラス。お前の目の前にいる女を誰らと思ってる?」
そう言って振り向く伝楽は、サイラスと出会ってから、過去一番で不敵な笑みを浮かべていた。サイラスの思い付く作戦よりよほど突飛な内容にも関わらず、出来ると信じて疑っていない目だ。
伝楽がそこまで言うなら、サイラスも腹を括った。いまこの場で、伝楽を信じずに他のなにを信じるというのか。それに、彼女は今日までずっと摆脱惡鬼を追い掛け続けて来たのだ。彼らのやり口や目的などについて、それなり以上に分かっているからこその自信でもあるのだろう。
行き当たりばったりではない。それを裏打ちするように、伝楽は移動の最中に特殊な工具を『召喚』して、サイラスに預けた。敵の使うトラップを安全に解除するためのツールとして、伝楽が自作したものだ。外観はオモチャのマジックハンドを無骨で無機質にしたような感じだ。4つのツメがある先端部でトラップを掴むだけで機能停止させながら取り外すことが出来るらしい。
「わちきが考える。サイラスが実行する。完璧な作戦じゃろ」
「完璧にやってみせるよ」
一度の乗り換えを経て、列車は五棵松駅に止まった。
22時37分。
2人をホームに残して、列車はどこかへ去って行く。
道半ば、しかしここが運命の終着点。
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episode9 sect38 ”ヘルメスの不作為”
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北京を東西に横断する地下鉄1号線であるが、現在、この1号線で新しい駅の建設が進められていることは知っているだろうか。既開通の地下鉄路線で、途中に1駅増やすなんて、珍しくて規模も大きな工事であるが、まぁ地元住民でないなら知らなくても仕方ない。
工事が進められているのは、IAMO北京支部付近の地下だ。いまや北京市内でも有数の主要施設であり、人の出入りで言えば大型ショッピングモールにも引けを取らない同施設へのアクセス性向上を目的に、北京市とIAMOで共同出資している事業である。2016年10月現在で完成は2018年初頭を予定しており、また、地下通路を介して北京支部ビルにも直結することが決定している。
○
それは果たして偶然だったのか。
最終電車を目前にして、日中の賑わいは薄れつつも依然人が多く行き交う地下鉄駅のホームで、怪しい動きをする数人の男女がいた。
彼らはホームで列車を待っている風であったが、サイラスたちが降りた列車に乗り込むことはなかった。それだけならまだ怪しいと断言すべきではないかもしれないが、彼らはその後やって来た四恵東行きの列車にも乗らなかった。誰かを待っているのでもなければ、あまりにも不自然だ。酔っ払いの風体を装っているものの、列車が来たことにも気付かないほど泥酔しているようには見えない。恐らく、そもそも酒など飲んでいない。ホームレスという線もない。彼らの居場所は改札の外だからだ。
まして、そんな雰囲気の人間が複数人だ。決定的に不審である。
(―――見張りらな)
(見張り?)
エレベーターを待つフリをしながら、伝楽はサイラスに耳打ちした。
(明らかにホームを出入りする人間を警戒してるのら)
(それって、どういうこと?)
(サイラス、北京支部直結の新しい地下鉄駅の建設が進んでいることは知ってるか?)
サイラスはちっとも知らなかったが、首を横に振ろうが縦に振ろうが、伝楽がこれからする話には関係ない。
(新駅は、ここ五棵松駅の次になる予定なのら。そして、開通は1年半後を予定してる)
地下鉄工事は、実際に掘削する工程も相当の時間を必要とするが、それと同じかそれ以上に環境調査や工事審査にも時間が掛かる。線路の延長ではなく、中間駅の追加ともなると特殊性も相俟ってなお一層の労力が掛かっていることだろう。インターネットで調べればすぐに分かることだが、本工事は当初から6ヶ年計画となっている。
その工事が、あと1年半のところまで進んでいるということは、すなわち完成間近ということである。
ここまで説明すればサイラスでも気付く。
テロリストたちは、営業上は未開通だが、物理的には開通している地下通路を使って北京支部へと侵入するつもりなのだ。
(だけど、じゃあどうやって追い掛けるの?見張りもいるし、線路に降りるのだって危険だよね?)
(なーに、カンタンな話なのら)
そう言って、伝楽は頭上の電光案内表示を見た。次に来る便は、苹果園行き。到着は1分後だ。そして、伝楽が次に目を向けたのは―――。
サイラスは伝楽のやろうとしていることを想像して顔を青くした。
(ちょ、ちょっと待って伝楽まさか!?)
『まもなく、電車が到着します』
時間通りに轟音が近付いてくる。
サイラスの制止も空しく、列車も、伝楽も、どちらも待ってはくれなかった。
ホームドアが開いて乗客たちが降り始めた直後、伝楽が躊躇なくやらかした。
「そーれポチッとな♪」
ジリリリリリリリリリリリリリリリ!!!!!!
人の増えたホームに、緊急停止の警報が鳴り響いた。地下鉄の緊急停止ベルを聞き慣れた一般人などまずいない。当然、不意討ちを食らった客たちの大半が慌て始める。中には逃げ惑う者までいた。そして、摆脱惡鬼の見張り役たちもその混乱に巻き込まれて身動きが取れなくなっている。
「よぅし、行くぞサイラス!」
駅務員による安全確認が終了するまで列車は動かない。線路の安全は確保された。
伝楽は、サイラスの手を取って走り出し、ヒョイっとホームドアを乗り越えて、停車中の列車の陰に飛び降りた。一連の動作があまりにも自然というか手際が良過ぎるというか、おかげで列車の乗務員でさえ、2人が自分の脇をすり抜けて線路に降りたことに気付いていないようだった。
「な、カンタンらったろ?」
「犯罪だよ!?!?!?」
「大義大義♪」
ここに来て突如エルネスタでも躊躇うであろう暴挙に出た伝楽だったが、その顔には罪悪感の欠片も見られない。ただ、これも一重に伝楽が今回の作戦にかける想いの強さ故だろう。このチャンスを逃して目的を果たせないくらいなら、どんなリスクを冒してでも食らい付きたいのだ。
ちくしょう。いいさ、やってやる。
サイラスだって、とうに覚悟を決めている。伝楽がここまでやるというなら、サイラスはどこまでだって付き合うだけだ。どの道ここまで来てなにもせず諦めて帰るなんて道はないのだから。
真っ暗なトンネルの中を足元に注意して走りながら、サイラスは伝楽に確認した。
「いまのでテロリストにも気付かれたりしないかな?」
「可能性はあるが、少なくとも駅員が見ている中で怪しい行動は取れん。本隊に情報が伝わるまでにはまだ時間があるのら。『マジックブースト』して走れば、その間に北京支部駅まで行くことも十分可能じゃろう」
前方をスマホのライトで照らしながら2分ほど走ると、トンネルの分岐を発見した。ずっと地下にいたので位置感覚はないが、しかし間違いなくこれが新設工事中の北京支部駅へと続く道の入り口だろう。分岐の先は、まだ線路工事がされていないようで幾分か走りやすかった。
さらに2分ほど走り続けて、いよいよ開けた場所に出た。
「北京支部駅・・・!」
線路同様、設備系はほぼ未着手のようだが、なんとなく駅のホームとしての構造は出来ている。線路さえ引けば、案外、既に駅としての最低限の機能は完成する状態なのかもしれない。
建築物としての構造が出来上がっているということは、やはり駅の中から北京支部に侵入するルートだってあるはずだ。営業中の駅と違ってまだ駅構内の案内板がないため、暗さも相俟って迷子になりそうなものだが、サイラスの前を走る伝楽の足に迷いはない。事前に駅内部のマップを頭に叩き込んできたかのようだ。
実際は東西南北の感覚とネットで分かる範疇での北京支部ビルと駅の位置関係から推測しているだけとのことだが、それにしたって並大抵のことではない。サイラスなんて、地上にいても方角を把握するのに10秒はかかりそうなものだ。
「止まれ」
「うぷっ!?」
上り階段の終わり際でいきなり立ち止まった伝楽の背中に、サイラスは勢い余って激突した。
「サイラス、解除ツールの準備をしろ」
「それってつまり―――」
「ああ、ビンゴなのら」
淡く翡翠に輝く伝楽の瞳が見つめる先には、電源がないはずの駅構内で赤い表示灯を不気味に明滅させる、小型の機械が設置されていた。