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LINKED HORIZON ~異世界とか外国より身近なんですが~  作者: タイロン
第三章 episode9 『詰草小奏鳴曲』
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episode9 sect37 ”とある組織”

 「へー。それは困ったな」


 どうやら、明後日から浩然もエルネスタも家を空けてしまうらしい。つまり、サイラスは独りぼっちでお留守番ということになる。仕事の空き時間に話を聞かされた伝楽は素っ気ない返事をした。


 「お父さんは仕事の出張で、エルエルは大学の説明会があるんだってさ。2人とも帰りは土曜になるって」


 「良いじゃないか、たまの留守番なんてむしろお楽しみらと思うぞ?あ、そうじゃ。せっかくらから『ホームにアローン』のブルーレイでも貸してやろうか?」


 「・・・?」


 おっと、サイラスには『ホームにアローン』がなんなのか分からなかったらしい。あの名作映画を知らないとな!?・・・と言いそうになるが、考えてもみれば25年前も前の映画だ。テレビなどで目にする機会は今なおそこそこあるが、そもそもインターネット世代の現代っ子。知識が興味の方向に偏りがちな時代だ。知らなくたって変ではないのだろう。

 ちなみに、ジェネレーションギャップを感じている伝楽自身も今年で13歳である・・・。


 皮肉が通じず会話が止まったが、どうにもサイラスは留守番に気乗りしない様子だ。それもそうだろう。エルネスタが(チョウ)家に転がり込んでくるまで、彼らは父子家庭だったのだ。浩然も親としての自覚からか普段はきっかり夕方に帰ってくるようにしているとはいえ、上場企業の経営者である以上、どうしたって出張が多い立場だ。とっくに留守番を楽しみにするような時期は過ぎ去っていた。


 「ねぇ、伝楽。2人がいない間、ここに泊めてもらうのって、ダメ?」


 「え~?・・・まぁ、しょうがないな」


 「良いの!?ホントに!?」


 「ああ、構わんぞ」


 「やった!!」


 実は、浩然からも事前に、家を空ける間だけサイラスの面倒を見てほしいと頼まれていたのだ。直接会って話したのなんてこの前のお泊まり会が初めてだというのに、また随分と信用されたものだとは思ったが、断る理由も特にない。サイラスが心配するまでもなく、伝楽は彼を招く準備は済ませていた。

 

 「とはいえ、わちきの生活スペースなんて奥の2畳らけなんらよなぁ。布団一緒でも構わんか?」


 「え"!?いやいや良いよ俺ソファで寝るから!?」


 「そうはいくか。風邪引かせて帰したらわちきの沽券に関わるのら。掛け布団らって1枚しかないし、我慢しろ」


 (我慢っていうか恥ずかしいだけなんですけど!?逆に寝不足で体調崩すかもよ!!)


 ドギマギしているサイラスの内心には気もやらず、伝楽は平然としたまま彼を事務所の奥のプライベートルームに案内した。そういえば、サイラスはこれだけ頻繁に事務所に遊びにきていたのに、この部屋に入るのは初めてだ。なんなら女の子の部屋に入るのも初めてだ。・・・エルネスタの部屋?部屋主が女の子なだけで、あれを”女の子の部屋”とは呼ばないだろう。小学生男子でもそれは分かる。よく言えば民俗学の個人博物館、素直に言えば頭に意味ありげなアルミホイルを巻いた人が住んでいそうなオカルト部屋だ。実際に巻いているのは意味なさげな腕の包帯だが。


 (女の子の部屋・・・ゴクリ)


 「こんな感じ」


 「女の子・・・」


 めっちゃ殺風景だった。クローゼットと姿鏡と、真ん中には敷きっぱなしの布団だけ。あ、でもちょっと良い匂いはするかも。


 「なにを期待していたのかは知らんが、たった2畳でキラキラ夢の女子空間なんか作らんぞ」


 「ほとんど知ってて言ってない???」


 伝楽が可愛らしい色の壁紙とたくさんのぬいぐるみに囲まれて生活している方が不気味か、とサイラスは思い直した。それにしたって、この部屋は殺風景に過ぎるが。生活感はあるものの、まるですぐに出て行くことを決めているかのようだった。


 「金が貯まったらどっかのアパートでも借りるつもりなのさ」


 「へ?」


 「『どっか行っちゃうの?』って顔に書いてあったからな。心配しないで良いぞ。どっか行ったりしないから」


 「う、うん・・・」


 なんだか急に顔が熱くなって、サイラスはトイレに行くと言って誤魔化した。



          ●



 翌日。


 いつも通りの寄り道が、今日は帰り道。歩き慣れた道のはずが不思議と新鮮だ。今日と明日は帰る時間を気にせず伝楽と一緒にいられると思うと、楽しみで仕方なかった。毎度こうなるなら留守番も悪くない。エルネスタも一緒なら、もっと良かったのだが。


 「こんにちはー。お世話になりまーす」


 「お、来たなサイラス。荷物を置いたらすぐ出発するぞ!・・・あ、ついでに玄関の札裏返しといて」


 「なんかテンション高いけど、どうしたの?」


 言われるままドアの外に吊った営業表示の札を”CLOSED”にひっくり返しつつ、サイラスは尋ねた。

 ひょっとして、伝楽もサイラスが止まりに来るのを楽しみにしていたとか、これから2人でお買い物に行きたいから店じまいするとか?ひょっとして、ひょっとする?


 「例の件で有力な情報を得たのら!!取引現場に先回りして張り込むぞ!!」


 「ですよねー・・・って例の件ってことは、例の件!?」


 なんのことやらな言い回しになっているが、”例の件”とは、先日、伝楽がサイラスを誘った秘密調査のことだ。以前に伝楽が言及した”例の組織”が関わっているとのことで、2人は上海の夜に蠢く怪しい影を追っているところなのだ。エルネスタが聞けば絶対に羨ましがりそうなスリリングな調査活動に、サイラスも未だかつてないモチベーションを発揮していた。


 「先週サイラスの見つけた痕跡を辿ってみたら―――ビンゴ!恐らく決定的な情報が掴めるぞ、でかしたな!」


 「へ、へへへっ!まぁ俺も少しは成長してるってことかな?」


 ここ最近は地球温暖化の実感も出てきたが、それでも10月のくれになれば夜は肌寒い。サイラスは少し温かい格好にして、出掛ける準備を整えた。伝楽は、まぁ、いつも通りだ。


          ○


 そうして2人がやって来たのは、東昌路の片隅にある、いつかのビルだった。生々しく甦る痛みの記憶に、サイラスの表情が強張る。


 「大丈夫か?」


 「・・・大丈夫」


 来る途中で伝楽から目的地がここであることは聞かされていた。いまさら引き返すなんて格好悪いことをする気はなかった。大丈夫だ。今日は最初から伝楽がいてくれる。


 建物の中に入る。


 ―――静かだ。静かすぎるくらいに。


 以前訪れた際にはエルネスタの妄言を信じてしまうような惨状に遭遇したが、そのときの一件でこのビルで行われていた犯罪行為の数々は白日の下に曝されている。警察の捜査が入った跡には、壁や天井に染み付いた甘ったるい紫煙の臭い以外、なにも当時を思わせるものは残っていなかった。中毒者たちも、今頃は更生施設に入れられているのだろうか。

 静かなだけに、忍び足のつもりでも足音が響いてしまう。伝楽は、靴底が木製の草履でよくまあこうも静かに歩けるものだ。


 「案ずるな。まらわちきたち以外は誰も入ってきてはいない」


 「じゃあなんでそんなに静かに歩くんだよ」


 「なんか隠密作戦っぽくてテンション上がるじゃろ?」


 あー、そうだった。伝楽もこういうところはエルネスタと同じような感性なのだった。ちょっと分かっちゃうサイラスもサイラスだけど。

 さて、今回の目的である取引現場だが、伝楽の調べでは、まさに前回エルネスタが暴漢に連れ込まれた部屋が使われる予定だった。覗いてみると、椅子や机などの家財道具はそのまま残っていた。それから、前は必死で気が付かなかったが、この部屋には窓がなく、出入り口もひとつだけだ。秘密の交渉の場にはちょうど良いと思われたのだろう。ひとまず、その部屋には伝楽お手製の盗聴器をひとつ仕掛けておくことにした。しかし、盗聴器も自作とは、アムニエルバの捕獲装置の件もそうだったが伝楽は工学の知識にも造詣が深いらしい。


 「机の裏とかが良いかな?」


 「相手が素人ならそれで十分らけど、今回はちょっと用心した方が良いな。蛍光灯の裏にでも仕込んでおこう」


 脚立がなければ天井には届かないところだが、幸いここにはサイラスと伝楽の2人がいる。机を下駄にして肩車すれば、ギリギリ指先くらいは天井の蛍光灯に届きそうだ。

 サイラスは靴を脱いで机の上に立ち、それから伝楽が乗れるようにしゃがんだ。しかし、伝楽はキョトンとした顔をする。


 「なにしてる?わちきが下らぞ?」


 「え?」


 「え?」


 「いや、こういうのって男子の仕事・・・」


 「腕相撲するか?『マジックブースト』有りで」


 瞬殺だった。魔法の前では男女平等。これでもサイラスだって小学校ではそこそこ魔法も得意な部類だったのだが、子供の時期は年齢と共に魔力量もぐんぐん伸びるものだし、小学生と初中生の差というのは大きいのかもしれない。


 「残念らったな。太ももサンドはお預けなのら」


 「そんなこと考えてなかったのに!」


 勝負は勝負だ。サイラスは伝楽の肩にまたがった。立ち上がった伝楽が2歩ほどよろめいたのでヒヤッとしたが、すぐにバランスを取り戻して事なきを得る。


 「どうじゃ?届きそうか?」


 「うーん・・・!!ビミョーに、届か、ない・・・!!」


 「何センチくらい?」


 「5センチ?」


 肩車されながら、うんと手を伸ばしてもこれがやっとだ。座高がもっと高ければ良かったのに、なんて思ったのは生まれて初めてだ。


 「仕方ないな。サイラス、一旦降ろすぞ」


 降ろされたサイラスに伝楽が一見どうでも良さそうなことを訊く。


 「体育の成績は?」


 「?”良”だけど」


 「よし。ちょっとわちきの肩に立ってみろ」


 「よし、じゃないよ、ムリだって」


 「良いから、ほれ、来い。あ、正面から乗ってきて。そうそう」


 前に体育の授業中、同じようなことをして怪我をした挙げ句こっぴどく怒られた同級生がいたので、あまり気が進まなかったのだが、伝楽が言うなら仕方が無い。なんとか立ってみせたが、華奢な少女の肩なんてほとんど踏む面積もないので、全然安定しない。


 「絶対手ぇ放さないでよ!?」


 「放さん放さん。サイラスも腹に力入れて踏ん張れよ。足らけ持ってたってバランス取りきれないからな」


 『マジックブースト』も駆使して全身にかなり力を入れているので、あまり喋る余裕もない。伝楽がゆっくり立ち上がり、さっきよりぐっと天井が近くなった。これなら手を上げなくても蛍光管の裏に盗聴器を忍ばせられそうだ。

 だが、サイラスが盗聴器をセットしたそのときだった。


 かつん、と。


 微かに、だが、確かに、なにか物音がした。

 この静かさだ。聞き間違えるはずがない。誰かが階段を上がってきている。

 その緊張で、サイラスが姿勢を崩した。


 「あっ・・・」


 あ、あ、あ・・・と言う間にサイラスの体は弓なりになって、重力に抗えなくなっていく。倒れる。倒れたら大きな音がする。音がしたら間違いなくサイラスたちの存在が、階段にいる何者かにバレてしまう。でも、もう止まらない。終わった。

 ―――そう思ったのだが、実際には大きな音も、痛い思いもしなかった。


 「ほっ・・・と、ととと、と。大丈夫か、サイラス?」


 「死んだかと思った・・・」


 サイラスが落ちる方向を最初から向いていた伝楽が、素早く彼の体をキャッチして、ソフトに床へ着地したのだ。ともあれ、これでひと安心―――とは、まだいかない。

 もしも足音の主が”例の組織”の人間だとしたら、来るのが早すぎる。まだ取引の予定時刻まで30分はあるというのに。本来の計画であれば、盗聴器を仕掛けたらすぐ脱出して隣のビルに隠れ、安全に聞き耳を立てるはずだったのだが、予定が狂った。エレベーターはなく階段もひとつだけ。ビルから出ようと思ったら100%、外にいる何者かと鉢合わせしなくてはならない。


 (まったく、クソ真面目め・・・)


 (どうしようどこに隠れる!?)


 (落ち着け。まず盗聴器はちゃんと仕掛けられたのか?)


 (う、うん。大丈夫・・・なハズ)


 (ハッキリせんなぁ。まぁ良い。そしたらドアの裏に隠れてやり過ごすとしようか)


 (いやいやいやそれは今度こそムリだって!!)


 (そうかな?まぁわちきに任せておけ)


 ちくしょう、なんだか楽しそうにしやがって。こっちの気も知らないで、頼もしいな。


 この部屋の扉は外開き。つまり廊下側に開くタイプである。伝楽の作戦は、コントでもするつもりなのかと疑うほどシンプルだった。見つかる前にコッソリ部屋から出て、開きっぱなしのドアの裏に隠れるだけ。本当に、直前の台詞のまま、なんの捻りもなしだ。


 (よし、じゃあ作戦開始なのら~)


 2秒後。


 「あ?なんだ・・・?物音?」


 (ほらああああああああ!!だからムリだって言ってんじゃんんんんッ!!)


 だってサイラスは伝楽みたいに完璧に足音を消したり出来ないもん!!

 明らかにカタギではないドスの利いた男の声にサイラスの股間が縮み上がった。しかし、だからと言っていまさらどこへ逃げ込もうというのか。歩いたって、別の部屋の扉を開け閉めしたって、絶対に音が出る。これ以上物音を立てないようにじっとしているのが一番だ。いよいよ、ドアの裏でサイラスは石像のように固まった。


 (鼻息が荒いぞ)


 (だって)


 サイラスは口答えする前に、伝楽に手で鼻と口を一緒に塞がれてしまった。足音は、もう同じ高さに聞こえた。


 「確かこの辺で・・・ん?ドアが開いてるな・・・」


 別に空きビルの部屋のドアなんて開いていたって変じゃないだろう、とサイラスは心の中で怒った。追い詰められると、案外、憤りの方が強くなるものだ。

 物音の正体などすっかり忘れてドアばかり訝しみ始める声の主。その足音は、遂に鉄製の扉1枚挟んですぐ向こうである。


 (もう死ぬ・・・っ)






 「チュチュチュチュチュチュチュチュチュチュチュチュッ!!」






 自分の喉からその素っ頓狂な、野太い驚声が出たのかと錯覚した。

 ネズミが足元を走り抜け、男がドアの表側で動転しているのだ、と気付く。サイラスの口は、伝楽の手に塞がれたままだった。その伝楽と言えば、空いた方の手でピースサインをしている。したり顔だ。そうか、あのネズミは伝楽が魔法かなにかで驚かして、敢えて男にけしかけたのだ。音の発生源からドアに注意が移ったところに、不意打ちのような形で再び、かつ大きな音を立てれば、誰でも反応してしまうものだろう。


 「くそが!!ネズミかよ!!・・・チッ、警戒してソンした・・・」


 一瞬、八つ当たりでドアを蹴飛ばされるのではないかと思い焦ったが、幸い八つ当たりの矛先はドアとは反対側の壁に向かった。男はまだ腹の虫が治まらない様子で、部屋の中に入るなりズバンと扉を引ったくって閉めた。


 嵐は去って。


 くつくつと笑いをこらえる伝楽に手を引かれて、サイラスは恐る恐る階段を下りていく。ネズミ如きに驚かされたことがよほど屈辱だったのか、もうサイラスが多少足音を立てても、男は無視を決め込んでいるようだった。


 ビルから無事に抜け出して、一歩、二歩、三歩。


 「ふははは!!阿呆め!!見たかサイラス!?こんな古典的な子供騙しにあっさり引っ掛かるとはなぁ!?ちょーウケるのら!!」


 爆笑する伝楽につられて、サイラスも「ぷっ」と噴き出した。笑い出したら止まらない。これはいけない火遊びだ。クセになる。

 計画とは少し違ってしまったが、盗聴器はセット出来たし、ビルの外へも逃げられた。結果オーライだ。ここからは予定通り。2人は隣のビルの中に移動して、階を上がりながら受信機と盗聴器との通信状態を確かめた。通信距離は、感覚的に言えばBluetooth以上Wi-Fi未満といったところだろうか。ビル同士の距離は近いとはいえ、電波を拾えるようになったのは、仕掛けた部屋と同程度の高さの階の、窓際だった。

 ポジショニングを終えて、あとは取引が始まるまで待つだけ。サイラスと伝楽は、2人でポケットラジオ型受信機に挿したイヤフォンをシェアして、廊下に並んで座っていた。約束の時間までは、まだあと20分。

 夜の繁華街の雑居ビルで、特に会話もなく2人で1つのイヤフォンを使う子供たち。都会の乾いた大人たちはそんな2人のことなど気にも留めず、あるいは気付かないフリをして、目の前を次々通り過ぎていく。


 「なんかわちきたち、駆け落ちしたけど行くあてもなくて途方に暮れてる家出少女みたいらな」


 「家出・・・たしかに、ぽいかもね」


 親と喧嘩しただとか、習い事ばかりの生活に嫌気が差しただとか、そういうそれぞれの理由で家出した子供たちが冬の路地裏でこうして身を寄せ合って互いを暖め合っている情景を思い浮かべた。はて、なんの映画だっただろうか。きっと、サイラスがもっと幼い頃に見たのだろう。

 褒められたことはしていなくて、だけど、そんなひとときが一番、自分というものを形作っていく。サイラスは、最近よくそう感じるのだ。


 伝楽が退屈凌ぎに持ってきていたキャンディーを舐め終わった頃だった。


 『やっと来たな。待ちくたびれたぜ』


 『そっちが早く来すぎなんだろう』


 右耳だけに知らない声が聞こえて、サイラスはハッと顔を上げた。伝楽と目が合い、頷き合う。


 『それに、待ちくたびれたと言えばこっちこそそうだ。決行は明日だっていうのに』


 『良いだろ、どうせUSBに挿すだけなんだから。ウチのエンジニア様は優秀だが気紛れなんだ』


 『良かないよ。これから北京にトンボ返りだぞ?何時間かかると思ってる・・・』


 『これから世界に喧嘩を売ろうってのに、いちいち小さいこと気にすんなって言ってるんだ』


 『・・・まぁ、それもそうだ』


 『作戦開始は明日の23時、北京支部突入はその1時間後。きっかりだ。頼んだぜ』


 『分かってる。必ず成功させてみせるさ。なにせUSBに挿すだけ、だからな』


 『おいおい、なんだ気にしてたのか?悪かったって。それだけじゃねぇことくらい分かってるよ。本当に頼りにしてんだ』


 『冗談だ。こっちだってアンタらをアテにしてるから組織に加わったんだ。ああ、そうさ。俺たちが・・・「摆脱惡鬼(バイトゥオ・ウクェイ)」が、この歪んだ世界を正すんだ。そうだろ』




          ●




 事務所のテーブルの上にどどんと置かれた土鍋からは、濛々と白い湯気が立ち上っていた。良い香りだ。サイラスにとってはあまり見慣れない、味噌風味の熬点(アオ・ディエン)だった。熬点と言っても、具材が串に刺さっていないので、いよいよ別物のようでもある。


 「伝楽、これなんていうの?」「よくぞ聞いてくれた!!そう、これこそが!!本場日本のモスト・デリシャス・ナベ―――おでん!!なのら!!」


 なんか食い気味に答えが返ってきた。


 「オデン?熬点じゃなくて?」


 「それはロンソーが考えた当て字で、これが本物のおでんなのら。まぁ食ってみろ。昼間からじっくり煮込んでいたからな、大根も味が染みて絶対旨いぞ」


 勧めておきながら、伝楽は既に自分の食べたい具材を遠慮なく器に盛りまくっていた。サイラスが取るのを待つつもりはこれっぽっちもないらしい。下手をすれば同じ具材だから半分こ、という精神すらないかもしれない。見ろ、ダルマ落としの如く積まれたあの大根タワーを。伝楽自らオススメした具材でさえ、食われる前に食わないと食いそびれる。


 「ん~♡やはり寒くなってきたらコレに限るな!はふっ。はふっ。卵うまぁ♡」


 伝楽があまりにも美味しそうに食べているので、サイラスもまずは卵から食べてみた。茶色く染まった卵。熱々。黄身が口の中でほろほろと崩れて舌が乾く。器を持って、つゆを少し口に含む。


 「・・・おいし」


 「じゃろ!!一発でその食べ方に辿り着くとは、なかなか分かってるじゃないか」


 熬点と言うと辛いスープの印象があったが、おでんの味噌味も、なかなかどうして悪くない。具材は煮たようなものだが、コンビニでたまに買う熬点よりも優しく、ホッとする味だ。


 あれだけあった具材は、30分で無くなってしまった。”シメノウドン”なるものも美味しかった。


 「はー。おいしかった。大根とか口の中で溶けちゃったよ」


 「口に合ったようで良かったのら。全然難しくないから、今度家でも試してみると良い」


 洗い物を手伝うサイラスに、伝楽は今日のおでんのレシピを教えてくれた。細かいコツなどはあるのだろうが、確かに簡単そうだ。今度エルネスタにも教えて、作るのを手伝ってもらおう。


 「さて、わちきはこれからシャワー浴びに行くけど、サイラスはどうする?」


 伝楽の探偵事務所に風呂はない。元々がオフィス用の物件なので、当然と言えば当然だ。だが、伝楽はいつも甘くてふわふわした香りがする。きっとこうして毎日風呂に入っているのだろう。サイラスは毎日シャワーを浴びる習慣はないが、せっかくなのでついていくことにした。


          ○


 こぢんまりした銭湯でシャワーだけ浴びて帰って来て、時計は22時手前だった。

 いつもなら眠たい時間だし、明日も学校なので早く寝ないといけない。・・・いけないんだけど。


 近い。


 女の子が近い。風呂上がりの新鮮なシャンプーの香りが近い。吐息が近い。体温が近い。というかもう密着している。二畳一間、布団は1枚、大人しく寝られるワケがない。


 ―――いいや、眠れない理由は、多分、それだけではない。


 「眠れないか?」


 「うん・・・」


 「まぁ、とんでもない情報を手に入れてしまったからな。気になるのもしょうがない」


 ”摆脱惡鬼(バイトゥオ・ウクェイ)”。


 ”決行は明日”。


 ”世界に喧嘩を売る”。


 冗談のような言葉が真剣に交わされていた。

 明確に、これまで伝楽と解決してきたどんな事件とも規模の違う話だった。


 「北京支部って・・・IAMOの、だよね。多分」


 「間違いなく、そうじゃろうな。世界なんて単語が出た時点で他には思い当たらないのら」


 「もしかして、テロの計画だったりする・・・?」


 「かもしれない」


 伝楽は、否定はしなかった。


 他に、警察や保安局に、このことを知っている人はいるのだろうか。いや、いないだろう。いるならとっくに阻止しようと動いているはずだ。サイラスたちが通報して、どうにかなるものだろうか。信じてすらもらえないかもしれない。伝楽の探偵事務所は評判が立ってきているが、アテにして尋ねてくる客以外には、依然として子供扱いされることの方がずっと多いのだ。当然である。本当に子供なのだから。

 明日、北京でテロが起きます?おお、胡散臭い、嘘臭い。まず取り合ってはもらえまい。それこそ、ノストラダムスでも連れて行かない限りは。

 知ってしまったことも衝撃だったが、サイラスにとって最も歯痒いのは、分かっているのにどうすることも出来ないことだった。せっかく事件の情報を手に入れても、解決出来ないなら意味がないのだ。


 「なにをしょげた声なんか出す?」


 「だってさ・・・」


 伝楽は、なにがそんなに可笑しいのか、クスクスと笑った。触れ合う背中から、彼女が心底面白がっていることが伝わってくる。サイラスはこんなにもモヤモヤしているというのに。

 やっと笑い終えたかと思うと、サイラスの背後で伝楽がモゾモゾと動いた。吐息がサイラスを向いていた。彼女はそのまま、吐息の中に溶かしたように耳元で囁く。


 「じゃあ、行ってみるか?明日、北京へ、テロを止めに、2人で」


 「はあ!?そんな無茶だよ!?」


 つい、大きな声が出てしまった。だが、振り向いたサイラスは、真剣な表情の伝楽と目が合って、息を呑んだ。

 伝楽は今日だけで既に2度、サイラスが無理だ無茶だと断じた行為をあっさりと成し遂げている。そんな彼女が、出来ないことにサイラスを誘うものだろうか。


 「本気なの・・・?」


 「―――この際、サイラスには本当のことを教えておくのら。つまらない身の上話らけど、聞いてくれるか?」


 そう前置きして伝楽が語り出したのは、彼女がこの若さでひとり、探偵としてこの街にやって来た理由だった。


 伝楽が生まれ育った場所は、身寄りのない子供たちを集めた、海外の施設だった。親の顔も知らない伝楽にとっては、そこで一緒に過ごした人々だけが家族と呼べる存在だった。

 そこでの暮らしに、伝楽は満足していた。空腹に喘ぐことも、病に怯えることもなく、求めれば本も、たまには玩具も与えられ、家族とともに笑い合って食卓を囲む生活の、なにに不満があるだろうか。その頃こそが幸福そのものだった。

 時折、里親が見つかって施設から出て行く仲間もいたが、伝楽はずっとここで過ごして、大きくなってもここで働けたら良いとまで思っていた。


 しかし、そんな日々は長くは続かなかった。

 施設に残った子供たちもわずかとなり、ふとした寂しさから施設を出て行った子供たちの新しい生活を知ろうとしただけだった。

 ひとり、またひとりと居なくなった仲間たちの、誰ひとりとして、あの施設の外には出ていなかった。

 全員、あの仮初めの箱庭の中でとっくに死んでいたのだ。

 大人たちの裏切りだった。いや、欺きと言うべきだろう。彼らはさも温厚な親代わりを装って無垢な子供たちを信用させ、夜な夜な得体の知れない人体実験の材料に使っていたのだ。


 真実を知った伝楽は、生き残りの仲間たちと協力してなんとか施設から逃げ出し、そのすぐ後に事が露見して施設も解体されたが、それでもそこで行われていた研究の元締めにあたる”とある組織”は平然と存続し、そして伝楽は仲間たちと離ればなれになってしまったのだった。


 許せなかった。

 悔しかった。


 だから、伝楽は幼い心に誓ったのだ。どんな手を使ってでも自分や家族を欺いた連中を闇の中から暴き出し、報いを受けさせ、そして残された仲間ともう一度あの頃のように幸せな時間を取り戻すことを。

 フリーランスの探偵になったのは、自由な立場で調べ物や探し物をすることが出来て、いろいろと都合が良かったからでしかなかった。実際、いまのやり方は立場こそ弱いが、動きやすさは期待通りであった。

 そうして”とある組織”に関わる事件を追いかけ続け、先月、伝楽は上海にやって来て、遂にその尻尾を掴んだのだ。


 「じゃあ・・・その”とある組織”こそが、摆脱惡鬼ってこと―――?」


 「・・・・・・・・・・・・」


 サイラスには想像もつかないような、凄惨な過去だ。サイラスも物心つく前に母親を亡くしているが、伝楽の経験した喪失感や絶望感とは比較にもならないだろう。彼女が年齢に見合わず大人びていたのも、納得するしかなかった。


 「わちきは・・・例え独りでも行くよ。そのためにここまで来たんらから」


 伝楽は、本当に、本気で摆脱惡鬼のテロ行為を阻止しようとしている。本当に、独りで行ってしまうかもしれない。


 ―――本当に?


 伝楽なら、本当にサイラスがいなくたって構わないときは、きっと”独り()行く”と言う。だけど、いま彼女は”独り()()行く”と言った。

 なぜ、サイラスに自らの過去を明かした。


 「―――分かったよ、伝楽」


 そうか。


 伝楽も恐いんだ。

 本当は、不安で仕方ないんだ。


 だからって、サイラスになにが出来るとも分からない。でも、そんなことは関係ない。


 いま、伝楽は、サイラスに打ち明けているんだ。


 「俺も行くよ」


 「良いのか?」


 「当然。だって、エルエルが悔しがるような事件を、2人で解決するんだろ」


 「―――そうか」


 らしくもなく素直な声で「ありがとう」と囁いて、伝楽は顔を隠すように寝返りを打った。

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