episode9 sect35
家族に自らの手で二度目の死をもたらした後味の悪さと、家族を自らの手で解放出来たことへの安堵。
そのふたつの感情は水と油のように、うまく融け合わないまま、ルニアの胸中で渦巻いた。ただ去来するものは、空虚さばかり。だが、そのやりきれなさを泣き崩れて吐き出すことさえ、ルニアには許されないようだった。
白々にして皚々たる灼光が、涙のレンズを通ってルニアの眼球を焼き尽くす。
遅れて、衝撃が鼓膜を焼き尽くし、熱波が肉を焼き尽くす。
なにが起きた?
理解出来なかった。
それどころか、理解出来ない、という精神活動をまだ続けていることにさえ困惑した。
視界は依然、白亜に塗り潰されたままで、耳鳴りも続いている。
虚無の中に独り。
(・・・え?死んだ?死後・・・?の、世界???)
だ、として。
ルニアは未だルニア・ノル・ニーア・ニルニーヤだ。
なのだから、ふと過る期待。
ひょっとして、ここにはルニアが失くした全てがあるのでは?
エンデニアが、ナーサが、ザニアが、そしてアーニアも、いるのではないか?
「みんな―――」
「ザンネン俺です生きてまぁす」
伸ばした左手が動いたのは、ルニアの家族の誰とも似ても似つかない人間の頬だった。
この、耳鳴りの中でなお耳障りな、いちいち癇に障る言葉選び。ごく最近で覚えがありすぎる。聞きたいと願った誰の声より先に不死身の声が聞こえるということは、彼の言う通り、ルニアはまだ生きているのだろう。
ようやく目や耳が調子を取り戻し始めた。暗い。息遣いはすぐ耳元にあった。ルニアは、一体なにがあったのか、さっきまでは部屋の外にいたはずの紺に覆い被さられていた。
「なにが・・・?」
「さぁな。なんか城が爆撃されたっぽいけど」
「爆撃?」
顔に滴ってくる血の臭いは、紺のものだ。
紺がルニアの上から退くと、大きな音がして、光が差した。彼は天井の崩落からルニアを、身を挺して守ってくれたのだ。
「えっと・・・ありがとう」
「言ったろ。なにがあっても絶対に守ってやるって」
「・・・ん」
「お、惚れた?」
「本当、一言余計よね」
戦いを終えた余韻に浸って泣くことも、幸せな夢想に逃げることも出来なかったいまだけは、紺の人を小馬鹿にした態度がありがたかった。この程度で沈んだ気分を切り替えられるものではないが、それでも、無理してでも笑うことでどうにか現状を理解して次の行動をしようという気力くらいは取り戻せた。
改めて周囲を見る。内装から分かるが、ここはまだ、さっきまで居た大広間の中だ。城が完全に崩壊したわけではない。ただし、城壁は見るも無惨な有り様で、城主の喪失と共にいよいよ廃墟らしい様相になったものだ。皮肉な気分にさせられる。
ニルニーヤ城は、歴史的建造物ではあるものの、同時に王家が暮らす現役の居城でもある。それ故に、幾度となく時代に合わせた改修工事を行っている。民主化より100年が経ったいまなお象徴王家をなにより尊ぶ奇妙な国風の現れか、民連国内の建築物としての堅牢性は、かの軌道エレベーター、ノル・トゥーリムに勝るとも劣らない水準にまで達している。・・・そのどちらも破壊されたいまとなっては凄さに説得力が足りないかもしれないが、とにかく、ニルニーヤ城の外壁を食い破るほどの火力などというものは、魔界広しと言えど、そう多くは存在しないのだ。
「まさか、私の帰還を知って《飛空戦艦》を仕向けてきた・・・?ジャルダ・バオースがいないのに?」
その滅多に現れない超火力。ひとつ思い当たるとすれば、故ジャルダ・バオース侯爵の私兵団最高戦力であるイブラット・アルクだ。彼が操る艦艇型の巨大武装群、《飛空戦艦》にはノル・トゥーリムを一撃で破壊した巨大ビーム砲が装備されていた。そして、当時の戦闘では実際にそのビームがニルニーヤ城に向けられもした。IAMOのレオ総長の結界魔法がなければ今頃この城など跡形もなく消し飛ばされていただろうほどの威力だった。確かその後の戦闘でビーム砲そのものは破壊されたはずだったが、再調達されていても不思議ではない。
しかし、疑問もある。あの、ジャルダへの忠誠心の塊みたいな男が、主君の危機へ馳せ参じようとするのを認めて矛を納めたルニアに対して、不意討ちを仕掛けるとは考えにくいのだ。
新たな敵の正体を考察するルニアを、紺が手を引き現実へと揺り戻す。
「次が来る!」
言われて、ルニアは壁の穴の向こうを見る。
飛来するのは、戦闘機から放たれたミサイルの群れだった。
「ああ―――そうか」
「くそ、掴まれルニア!!跳ぶぞ!!」
紺はルニアの返事を待たず、彼女を雑に脇に抱えて、壁の穴から城の外へ飛び出した。
直後、夥しいミサイルの炸裂が2人の体を見えない圧で地上へはたき落とした。ただでさえ高層階からの落下なのだから、爆風の煽りをもろに受けた紺とルニアは着地出来る姿勢なんて保てるはずもなく、縦に回転しながら墜落するしかなかった。
このまま地面に叩き付けられても紺ひとりなら死にはしないが、いまはルニアの無事にも気を配らなくてはならない。ただでさえ全身ボロボロで出血も酷いルニアが、不格好な不時着の衝撃に耐えられる保証なんてないのだ。
紺は回る視界の中でなんとか上下を探り、地面に向けて雷魔法を放った。徹底的に電流を大きくして放電することにより、通電経路上の大気が過熱膨張する。紺はルニアの頭ごと抱き込んで彼女の耳を塞ぎ、雷鳴と呼ばれる現象そのものに猛然と落着する。空気のクッションなんて言うとファンシーで快適な印象を受けるが、字面の詐欺である。上からも下からも爆風熱風の大嵐に吹かれ、なんとか紺はルニアを守って着地した。
「立てるか?」
「だいじょうぶ・・・」
耳を塞いだとはいえ、激しい爆音を至近距離で何度も浴びては三半規管も狂うだろう。強がっているが、ルニアの立つ足は頼りない。
ジェットエンジンの甲高い音が空を斬り裂いた。それだけではない。地上に降りてから気付いたが、不届き極まりない地鳴りが、聖域たるニルニーヤ城の庭園を震わせていた。戦車の行軍だ。可憐で華美な草花を土と練り混ぜ平らに均しながら、物々しい鉄の塊が、岩壁に立つ城の正面を囲むように集結していた。
「なんじゃこりゃあ。軍隊か?どっから湧いてきやがった」
「”BDUE-T C013 ヴェナート・ティガルス”。”BDUE-E P010 トレジャル・スクタム”」
「・・・あン?」
いきなり日本語をやめてしまったルニアに紺は困惑したが、彼女がそれらを見る目ですぐに意味を理解した。
つまり。
「民連軍よ」
○
episode9 sect35 ” The Cat That Put up Many Heres Kills NONE ”
○
ニルニーヤ城を襲ったクラスター爆弾は、”タイラゲムシ”だ。撒き散らした無数の子弾体が、拡散の後に再び一点に向け収束するように飛来する、あの独特な挙動は、それ以外の兵器ではあり得ない。
だが、”タイラゲムシ”は未だ試作段階のため3発しか保有しておらず、その全てを《飛空戦艦》との戦闘で撃ち尽くしたはずだった。
虻蜂取らず。
否が応でも理解する。もう存在しないはずのミサイルが二度も撃たれた、その意味を。
泣き面に蜂。
ルニアたちを影で覆う輸送機から、何者かが降下してくる。
紺が魔法で迎撃を試みるも、それは紙一重で身を守り、ルニアの眼前に着陸した。
変わり果てたその姿に、ルニアの呼吸が引き攣る。
やっと家族の死を乗り越えようとしていたのに、これか。
よりにもよって、唯一。そう、唯一だ。ルニアが自らその背中を押して死地へと追いやった者の亡骸を。
「テム君・・・」
左側のひしゃげた顔。継ぎ接ぎの両腕と右足。肺まで貫かれた胸元。妙に布の張りがなく空虚な股間。死に様を見せつけるような軽装で、テム・ゴーナンはルニアの前に帰って来た。エンデニアの死体のように取り繕うことも出来ただろうに、ルシフェル・ウェネジアはそうしなかった。一体なにがそんなに面白い。
「ルニア様。ただいま戻りました」
「・・・、貴方に言う礼はない」
最早意味のない戦いだとしても、その死には向き合わねばならない。
心が揺らぐその前に、テムを葬り喪に服そう。
「よォ、ルニア。コイツも譲った方がイイのかよ?」
紺の問い掛けに、ルニアは頷き前へ出る。
テムは担いでいた機関銃を構える。
「お覚悟を」
「そんなもん最初っから出来てるわよ・・・!!」
○
結果など、火を見るより明らかだった。
「ひゅ・・・ゥ、か・・・はっ、ぁ、」
そもそも、テム・ゴーナンは白兵戦なら民連最強だった。”民連軍で”じゃなく、”民連で”だ。
鬼神のようだったあのエンデニアでさえも、剣術だけなら分からないが、少なくとも武装したテムには到底及ばない。総じて優秀な戦闘技能を持ちつつ、そのうえ民連軍の多種多様な最新装備を適切に選択し、その性能を最大限に引き出す知識を培ってきた彼は、まさに現代最強の獣人と呼ぶに相応しかった。
ルニアだって、馬力以外でテムに勝てる戦いはない。
ルニアの”自慢の騎士クン”だった。
つまり、どうにかなる道理がなかった。
なにかの間違いなんて起こらない。
だって、そもそも、背景全部民連軍なんだし。
一対一で絶対勝てない敵が大群引き連れて殺しに来たんだぞ。
訂正だ。なにかの間違いなら起きている。なんでか知らないが、10秒経った現在もルニアはまだ生きている。―――虫の息だが。
いや・・・でも、それもそうか。
間違いではないのか。
さっき証明されたばかりだった。
いま、ルニアが殺されるようなことは、まずあり得ないのだった。
血が入って片目が見えないが、うっすらと分かった。
紺が、テムの腕を押さえ込んでいた。
「・・・・・・コン・・・」
「おうよ、言わんこっちゃねェな。もうイイからすっこんでろ。元々こーゆー汚れ役は俺のもんだぜ」
それっきり。
ルニアが啖呵切って殺されかけるまでの一瞬より、さらに一瞬だった。
「貴さm「ハイどーん!!」
紺の手が光った直後、その手ともどもテムが消滅する。
砲火、轟々。意に介さず。
衝撃波とは違う、第六感的な緊張が津波のように到来する。
紺の背中から生えた―――尾か、触手か、とかく刺々しく逆立つ甲殻に覆われた長大な”ソレ”は、一薙ぎで眼前の景色丸ごと、粉々に叩き壊してしまう。
その暴力が、9本。
膂力にして巨人の豪腕の如し。
火力にして竜の息吹の如し。
近付くもの全てを寄せ付けず、近付かずに砲撃するヘリや戦闘機でさえもそれぞれの尾の先から放たれる『黒閃』によって呆気なく撃墜されていく。
紺はただケラケラと乾いた笑声を爆音の中に溶かしているだけだった。彼にとって、この戦いさえも児戯に等しいというのか。
紺はルニアを気遣い、守って戦ってくれている。それはとても嬉しいことだし、頼もしくも思う。でも、それが例え敵の手に落ちた操り人形だとはいえ、甚だ侘しいものだ。ルニア自ら有志を募り築き上げてきた自慢の軍の総力が、たったひとりのオドノイドによって一方的に蹂躙されているのを眺めているというのは。
「軍隊ごっこ・・・か」
いまとなっては是も非も言わぬ市井の冷評を思い出す。
あのジャルダ・バオースの私兵団とも渡り合っていたのだから、本当ならそうまで悲嘆するものではない。相手が異常なだけだ。だけだが・・・どうしようもなくルニアの夢も努力も実績も、否定されていく。
○
戦いは終わった。あとに残ったものは死体と鋼の双子山だった。紺は、あれだけ集結した民連軍の全戦力を、ひとりたりとも逃がさず殺し尽くしたのだ。
怪獣映画のやられ役だって、一度くらいは怪獣を怯ませる見せ場があるものだろうに、それすらなかった。自身の不死性を理解した紺は、ついぞ一度もその酷薄な嗤笑を崩すことはなかった。
「くだらねェよな。死人が必死のフリしたところで誰が気圧されるってんだ」
これから準備体操ですとばかりに首の骨をポキポキ鳴らしながら、紺は離れて彼と民連軍の決戦を見届けたルニアのところへ帰って来た。ノーガード戦法で暴れていた紺は全身血塗れで、ルニアからもらった外套もとっくに消し炭だが、傷はもう完全に癒えていた。
「国防の要が聞いて呆れたでしょ」
「拗ねんなよ。今回はたまたま相手が悪かったんだろ、知んねーけど。・・・まぁ、自衛隊の10倍くらいは強かったな」
「国防軍に『相手が悪かった』は通用しないでしょ。・・・でも、まぁ、ありがとう。いろいろ、ありがと」
「どいたま。立てるか、ルニア」
ルニアは、崩れた城壁の、比較的大きな瓦礫に背中を預けて座り込んでいた。致命傷こそ負っていないが―――紺がそうなる直前で見かねて介入したのだが―――全身を埋め尽くすほどの無数の傷からルニアの生命力はほとんど流れ出し尽くしていた。とてもではないが、すぐに歩けるような状態にはない。民連軍の砲撃でさらに城が崩れていたら、為す術もなく潰れて死んでいたかもしれなかった。紺は、さりげなくルニアにとって思い入れの深い生家であるニルニーヤ城がこれ以上損壊しないよう配慮しながら戦っていたのだが、結果的にその気遣いがルニアを守ったことになる。
おっと、これは言わぬが花だっただろうか?だが、仕方ないだろう。紺だってルニアに多少は同情したからこそ、自分の目的ばかりではなく寄り道に付き合うくらいに譲歩しているのだ。
今度は強がっても立てそうにないルニアに、仕方なく紺は肩を貸してやった。民連軍という分かりやすい大火力の次は、一体どんな刺客が差し向けられるか分かったものではない。紺がどれほど強かろうと、負け知らずでいられたのは彼が一人だった間の話だ。ここまではなんとかなったが、誰かを守って戦うことに慣れていない紺は、例え油断していなくても全く予想しないような死角からいきなり急所をグサリと突かれる可能性がある。
毎日塾に通って高校数学の知識までバッチリにした秀才中学生だって、入試本番で突然自分の問題だけ1問100点のラプラス変換を出題されたら落ちるしかない。だってなにをしたら良いのか知らないのだから。それでも、採点された結果が全てなのだから。
なんだその意味不明な例えは、と思うか。まだ分からないのか?ここではそんな理不尽は普通に起こる。ルニアの体力が回復するまでここで待ってなどいられない。この行動にどれほどの意味があるのかは分からないけれど、ひととところに留まって準備万端の悪意を迎え撃つよりは、無理にでも動き回った方が幾らかはマシなはずだ。
だが、脱力して少し重くなったルニアを、紺が担ぎ上げた直後だった。
カラ―――と、背後で小さな瓦礫を踏む音がした。
「「っ!!」」
振り返る!!
紫電が弾ける寸前であった。
「待って!!待ってください!!」
ともすればルニアよりも顔を青くした魔族の青年が、仰々しくバンザイしていた。
エルケー・ムゥバン。紺にとっては知らない顔だが、ルニアの反応を見て攻撃を保留する。・・・あくまで保留だ。紺が向けた右手には、いつでも解き放てるアークプラズマが耳を劈く音を立てて滞留したままだ。死体かもしれないし、裏切り者かもしれないし、幻覚という線も十分にある・・・が。
『ああ、エルケーじゃない。元気そーね、良かったにゃん』
『雑だな!?この恩知らずが!!』
『・・・なんて、冗談よ』
ルニアは、紺に支えられたまま、そっと指先でエルケーの胸に触れた。大丈夫。エルケーは、まだちゃんと、エルケーだ。
良かった。本当に。もしもルニアを逃がすためにエルケーまで命を落としていたなら、ルニアは二度と立ち直れなかっただろう。自ら家族を殺し、ポッと出の用心棒をけしかけて民連軍を壊滅させ―――故郷に帰ってきたルニアが成し遂げたことは破壊ばかり、その全ての見返りは大切なものの喪失だった。だから、本当に、まだ残っているものがあっただけで、救われた。
『ごめんなさい。情けない雇い主で、ごめん』
『・・・本当に恩知らずだな』
エルケーの暴言には、聞こえほどの棘がない。ルニアは、指で触れる彼の腕から目線を上げて、理解した。そうだった。ルニアが雇い主なら、エルケーは雇われの護衛なのだった。
『守ってくれて、ありがとう』
『そうそう、それで良いんですよ。無事・・・ではないみたいですけど、生きてて良かった』
エルケーが相好を崩す。今日まで、意地悪な青年がこんな顔をするところを見た者がルニアの他にいただろうか。
「感動の再会してるとこ悪ィけど日本語でお願いしゃーす」
目の前で、意味の分からない言語でピーチクパーチクしんみりされて若干イライラし始めた紺に明るく脅されて、エルケーが縮み上がった。エルケーは日本語が分からないはずだが、やはり数学と殺気は世界共通言語らしい。
お願いされても日本語なんて喋れないエルケーもいるので、ここはルニアが意思疎通魔術を紺とエルケーの両方に掛けて収めることにした。
「で、アンタ何者だよ?」
「で、お前がルニアのはぐれたっていう彼氏か」
魔術が掛かるや否や、野郎2人の台詞が被った。
身に覚えのない確認を取られて、エルケーがキョトンとルニアを見る。
「どういう紹介したんですか?もしかして脈アリってことですか?」
「脈ナシよ!紺が勝手に言ってるだけだから!!」
「こういうのツンデレって言うんだろ?本当にいたんだなァ。童貞の頭ン中だけに住んでる固有種かと思ってたぜ」
「だから違うわよ!!」
「どうどう。怒鳴ると傷が広がるぜ~。嬉しいのは分かったから、さっさと帰ろうぜ。話は歩きながらでも出来んだろ」
紺に肩を借りているルニアは、彼が歩き始めたら逆らえない。そして、エルケーもようやく再会出来たルニアとまた別行動する理由なんてないので、紺に引っ張られる形で3人は移動を開始した。ただし、道が分かるのはルニアだけなので、案内役は彼女である。
道中、まずは紺とエルケーが互いに名乗りを終える。それから、ルニアが、歩きながら間に合わせの布などで傷の応急処置をしてくれているエルケーに問い掛けた。
「そもそも、エルケーはさっきまでどこにいたのよ。私とコンが必死に戦ってるときには顔も見せないくせに、終わった途端にいきなり出てきて。しかも背後からコッソリって。念のためでコンに即殺されててもおかしくなかったわよ」
「無茶言わないでくださいよ。あんな明らかヤバい爆音してるとこにノコノコ出て行くわけないでしょう。大体、ルニア様だってわざわざ逃がしてあげたのになんで戻ってきてんですか。そりゃあ俺だっているとも思わないし、気配消して様子見るに決まってんでしょうよ」
これはエルケーの言い分の方が正しい。ルニアだって、紺と巡り会う奇跡的な偶然がなければ、今頃はまだマルス運河の畔で腐っているところだ。目的はなんであれ、トラウマを押さえ付けて城まで戻ろうとすることなど絶対になかったはずだ。
照れ隠しで少しあたりが強くなってしまっただけだ。ばつが悪そうに、ルニアはそっぽを向いて唇を尖らせた。
ちなみに、エルケーがどこに隠れていたのかというと、ニルニーヤ城の地下、ルニア御用達の場外への抜け穴だそうだ。ルニアを王室の居間での騒動から逃がすためにエンデニアから深手を負わされたエルケーは、それでもなんとか王家の死体3人を相手に粘り続け、その間コッソリと上の階まで送り込んでいた刃粉を使って天井を削り崩落させ、彼らを封じたあと、ルニアを追って下まで逃げた。地下の抜け穴を目指したのも、ルニアがニルニーヤ城から脱出するならそこを通るはずだと考えてのことだった。
もっとも、なんとか抜け穴の入り口を見つけて逃げ込んだまでは良かったものの、考えてみればルニアの案内もなしに無事に城外へ出られるはずがないと気付いてしまい、泣く泣く入り口が辛うじて見える抜け穴の浅い場所での潜伏を余儀なくされたのだが。命を賭して姫君を守ったのだから騎士冥利に尽きる最期じゃないか・・・と達観しようとはしたものの、所詮小物のエルケーのことだ。そんな潔さが備わっているはずもなく。整った顔が台無しな、涙と鼻水の跡がエルケーの味わった深い絶望を物語っていた。
ところで、階段を下りてすぐの踊り場で死体の山と割れたステンドグラスには気が付かなかったのかといえば、勿論気付かなかったはずがない。あれは恐らく城中の死体の大半がルニアを襲いに集まって、返り討ちに遭った痕跡だ。穴から下を覗いたが、股間の縮むような遠い大地にも死体が積もっていた。いくら猫人でも、数々の悪意に晒され正気でいられなくても、流石にあの高さから飛び降りてまで脱出しようと考えるほどルニアは馬鹿じゃないだろう。
「・・・・・・・・・・・・」
「ところで、結局さっきのアレはなにがどうなってたんですか。とんでもないことになってましたけど、まさか俺を助けに来ただけなんてことはないんでしょう」
「・・・うん。悪いけど、そう」
フクザツなルニアの表情が、複雑そうに変化する。エルケーも、現代兵器の残骸が辺り一面に散乱していたことには気付いていたが、あんな単純火力が出てくるのはエルケーが見てきた皇国のやり口と方向性が違うように感じられた。実際には、違ってなどいなかったのだが。
「エルケー・・・ごめんなさい。私たち結局、なんにも持って帰れそうにない」
「ふむ、どういうことです?ひとつずつ説明してください。ちゃんと聞きますから」
○
「つまりなにか!?会いたかった家族はとっくに死んでて故郷もすっかり滅ぼされてて挙げ句の果てには建前の目的だった民連軍すら最初からまるごと乗っ取られててここまでしてきた死ぬような思いも血ヘド吐くような奮闘もなんの意味もありませんでしたってか!?フザっけろよ!!じゃあこれまでの旅路はなんだったんだ!!笑えるなァくそったれが!?」
「笑えてないぜ、エルケーくん」
「うるせぇポッと出は黙ってろ!!」
笑えるはずがない。本当に、まったくなんの成果もないのだ。皇国に一泡吹かせることも出来ず、ここから生きて帰れる保証もない。骨折れ損のくたびれ儲け。ああ、そんな諺を持ち出して表現したがるインテリ気取りの知ったかクソ野郎もいるだろう。いいや、別に諺じゃなくても、何語でも良い。だが、ルニアとエルケーが乗り越えてきた幾つもの苦難を他人に言葉にされたくない。言語化するほどにチープ化されていくように感じられるから。
エルケーは正気を失っているのだろう。いきり立って紺の首を絞めに掛かるなんて、まともだったら思っても出来ないことだ。しかし、それだけ、この徒労感を茶化そうとする紺が許せなかったのだ。例え紺がルニアの恩人だろうと、エルケーが逆立ちしたって敵わないような怪物だろうと、関係ないくらいに。
一方の紺は、身の危険すら感じないのか、自分の首を掴むエルケーの手を外そうともしない。ずっと、ニヤニヤと気色悪い薄ら笑いを続けているだけだ。
「やめて、エルケー。紺はなにも悪くないし、貴方に不足があったわけでもないの。全部、私の甘えから始まったことだもの」
「ああそうだよ!!むしろ始まる前から終わってた説が濃厚だけどな!!つまんねー職場のクソな上司から死ぬ気で逃げてようやく安全圏まで漕ぎ着けたと思った矢先に!!勝手に巻き込みやがって!!」
エルケーは紺の首から手を放すと、そのまま両手で自身の紫色の髪を掻き毟って、粗暴な雄叫びと一緒にアスファルトの破片を蹴飛ばした。破片は真っ直ぐ飛んで、ガシャンと、向こうの店の窓が割れる。肩で息をしていたエルケーだったが、割れたガラスをしばらく見つめて、それから大きな溜息を吐いた。ルニアは、そんな彼に改めて詫びる。
「ごめんなさい」
「許しました」
「え?」
「喚き散らしたらなんか落ち着きました」
ルニアは納得のいかない顔をしているが、良いのだ。本当に。受けた痛みや苦しみに見合ってはおらずとも、この旅はエルケーにとって、決して無意味でも無価値でもなかった。欲を言えば、ルニアにとってもそうであれば良いとも、願っていた。
それに、いまは過ぎたことに腹を立てている場合ではない。せっかく2人とも―――いや、3人とも命を拾ったのだ。せめて命だけは持って帰らないと、それこそ・・・。
「いや・・・成果ならあったじゃないですか。コイツですよ、ルニア様。民連軍の全軍にも勝るコイツを回収出来たのは大きな成果じゃないですか!!」
「そう・・・そうね。コンを連れて帰れば、人間界にとっては嬉しい誤算なハズよね」
「急に持ち上げられると照れちゃうぜ」
「そうとなれば、なんとしても3人揃って人間界に帰らないとですね。まずは早く皇国の領外へ脱出しますよ!」
落胆して当たり散らしたり、希望に満ち溢れてみたり、せわしない男だ。こんな場当たり的な性格だからこそ、いまここでこんな目に遭っているのだと言われてしまえば、それまでなのだが。ただし、エルケーの言っていることには紺も同意見だ。いくら理不尽な皇国であっても、国際的な立場というものはある。・・・はずだ。あるなら、安易に領外にまで派手に追っ手を放つような真似はしない。・・・だろう。常識的に考えるほどなぜか自信が持てなくなっていくが、それでも最善は、一刻も早くこんな場所からは脱出することだ。ここには奇策を練ることの出来る脳ミソがない。
「・・・ところでさ。俺たちはいまどこに向かってんだ?」
紺の声のトーンが、少し低くなった。疑念。西の遠くに見える、マルス運河の水源でもある山脈。逃げるなら、まずは人里離れたあちらを目指すべきだ、と紺の勘が訴えていた。そして、紺は詳しいことを知らなかったが、事実としてルニアとエルケーがやって来たのはまさにその山脈伝いの道なき道だった。だが、いまルニアが指し示す道はただひたすらに南方だ。
「早く領外に逃げるべきっていうのは賛成よ。でも、その前に、行くべき場所がまだ残っているのよ」
「ほォ?」
紺の凄味に、ルニアは動じない。
ここまでの戦いで、ルニアは紺との利害関係は強固であると確信していた。
「ここよ」
ルニアが立ち止まった場所には、なにもなかった。”なにもない”荒野が、北の彼方から南の果てまで伸びていた。この場所に元々あった”なにか”に、”なにか”が起きた生々しくも非現実的な光景だった。
「なんですか、こりゃあ・・・」
「国会議事堂跡。アーニャ姉様の死んだ場所。首無しのドラゴンが『黒閃』の一撃で消し飛ばしたそうよ」
ルニアは、それを遠くから見ていた。見ていることしか出来なかった。
もう良いのだ。それは、もう、良い。この手で両親も兄も切り刻んだいまとなっては、もう。あの場所にアーニアの姿はなかった。文字通り、ここにあった建物と共に消えてなくなったからだろう。むしろ良かったとさえ思う。
ルニアは国会議事堂跡に祈りを捧げたが、こんなことをするためだけに危険を承知で来たわけではない。
目的地は、この隣に未だ健在の建物だった。
すなわち、首相官邸だ。
知ったかクソ野郎・・・とっとこハム太郎?