episode9 sect34 ”岩壁に咲いた徒花”
束の間の家出だった。開かれた門扉の傍には、2人のネコミミ侍女が控えていた。ルニアの身の回りの世話をしてくれていた2人だった。どちらの侍女も、身嗜みは完璧だが、顔色だけが蒼白で生気がない。当然か。ここにいるのはすべて死者なのだから。
獰猛な笑顔を浮かべてさっそく一歩前に出ようとする紺を、ルニアは手で制した。
「?」
「彼女たちには害意がないわ」
「分かってるけど、でもどうせ殺るだろ?」
ルニアが無言を返すと、紺は退屈そうに肩をすくめてルニアの後ろに戻った。それを話し掛けても良いという合図として受け取ったのか、今度は侍女の2人が、ルニアたちに一歩、歩み寄った。
2人の侍女は、息を揃えて、腹を差し出すようにへその両脇に揃えた指先を添えて、深々とお辞儀をした。侍従たちの、王族に対する正式な所作だ。生前さながらに洗練された礼儀作法も、彼らの手足から虚空へ伸びる不可視の操り糸の存在を思えば、単なる悪趣味だ。
「お帰りなさいませ、ルニア様」
「大広間にて晩餐会の御用意が出来てございます。皆様もお待ちでございます」
「・・・そう。案内してちょうだい」
ニルニーヤ城に辿り着くまでの間に遭遇した無数の死者たちとはまるで逆の、大人しい侍女たちの様子が、かえって不気味だ。彼女たちに預ける手荷物など持っていないが、仮に持っていたとして、恐らく2人ともそれを素直に受け取り、大広間まで案内して、ともすれば丁寧にルニアの自室まで運んでおいてくれたかもしれない。そう感じるほどに、どこか遠くでほくそ笑む人形使いの演技は堂に入っていた。
紺も、彼女たちがいつ豹変して襲い掛かってくるかとワクワクしながら後ろをついて歩いていたが、遂に大広間の扉を開けても暴れ始める素振りを見せず静かに下がっていく2人を見送ったときには、ポカンと口を開けていた。マンガやドラマであからさまに裏切りそうな人物が最後の最後まで少しの波乱も起こさず味方のまま完結してしまったような肩透かし感とでも言うのだろうか、勝手に期待して勝手に裏切られると八つ当たりする的が欲しくなる。
大広間には、侍女たちが言っていた通り、豪華な食事の用意が整えられていた。そして、ルニアを待っていたのはやはり、エンデニア・ノル・ニーア・ニルニーヤとナーサ・ノル・シェーラ、ザニア・ノル・ニーア・ニルニーヤの3人だった。大勢の客人をもてなすための広間でありながら、その3人だけ。
ケルトス・ネイの姿は―――探したが、見当たらない。恐らく、エルケーが木っ端微塵にしたからだろう。あれほどまで徹底的に破壊された死体は、仮に操れるとしても修復は出来ないのだろう。だが、一度は取れて地面に転がったはずのエンデニアの首に関しては、また同じ位置に乗っていた。明らかに断裂した頭と首の境界には、雑に縫い合わせた痕が見えている。さっきの侍女たちのように恐らくエンデニアに関しても完璧に近い演技を出来るだろうに、あるいはそうするつもりでありながら、隠せる痕跡だけをわざと隠さず見せつけているようでさえある。また、エンデニアの首が、ブチブチと糸が切れて転がり落ちるのだろうか。一度経験して、演出だと分かっていても、耐え難い光景だ。
死体の家族は、みんな着替えてサッパリしていた。風呂にも入っていたのかもしれない。料理の匂いとは別に、ほんのりと良い香りがする。まるで昨晩の出来事など無かったみたいに美しく取り繕ってあった。外見だけではない。表情も、態度も、なにもかも。
「もう・・・帰って来たと思ったら、またすぐに飛び出して。相変わらずなんだから。やっと再会できたばかりなんだから、あまり心配させないでちょうだい、ルニア」
「けれど、戻って来たということは、僕らとここで一緒に暮らすことを選んでくれたんだろう?嬉しいよ、ルニア」
「ああ、そうだな。ルニア、もう寂しい思いも悲しい思いもしなくて良い。・・・辛かったろう、ルニア。もう良いんだ。お前さえ死ねば、それでもう、私たちを分かつものはひとつとして無くなるんだ」
エンデニアは剣を抜いていない。帯剣すらしていない。だが、死体とは思えぬ静かな気迫に紺が臨戦態勢を崩さない。しかし、またしても紺の行動は庇護対象によって止められた。
「分かってるでしょ。・・・どんな姿にされたって、みんな、私の大切な家族なの」
「―――そうだったな」
家族水入らず、と嘯いて、紺は大広間から出て行った。
扉が閉じる。
姉の姿だけはなかったが、この広い部屋で、家族4人、食卓を挟んで向かい合う。
「彼も一緒で良かったのに。気を遣わせてしまったな・・・もう少し落ち着ける部屋を選んだ方が良かっただろうか。でも、張り切ってこんなに食事を用意してしまったから仕方ないんだよなぁ」
ザニアは、ルニアに気を遣って出て行った紺に申し訳なさそうな顔で、そう言った。些細なことで気を揉むあたりは、ザニアらしいといえばらしい。だが、さっきとは違う男を連れてきたことに対して疑問を呈さないあたりは、ザニアらしくない。
「あの方も、あとで改めておもてなしすれば良いのよ。それよりルニア、早くこっちに来て?せっかくのご馳走が冷めてしまうから」
「ルニアの好きだったアスームウグルムもあるぞ。今日はお前の無事を祝いたかったから、味付けもルニア好みにしてあるんだ」
本当に、ほかほかと湯気が立っていて美味しそうな料理が、食べきれないほどテーブルの上に並んでいる。味も、厨房で操られる料理長の技術が再現されているのかもしれない。だが。
「食べないわよ。どうせ毒でも盛ってあるんでしょう?その方が死体が綺麗に残るものね」
「もちろんさ。さあほら、食べようルニア」
「しつこいわよ。食べないって言っているのが聞こえないのかしら?私は、死ぬつもりなんてさらさらないし、貴方と暮らすつもりもない。私は、みんなとお別れするために戻ってきたのよ」
「ルニア・・・」
「ほら、なにボーッとしているの?私に死んで欲しいんでしょう?だったらさっさと掛かってきなさいよド変態サド外道!!」
激情に呼応して高まる魔力が大気を震わせる。
AEM―――後天性魔力過剰症。
全てを奪われた少女が、絶望の底で静かに患った衝動が、少女自身をも驚愕させる威力で噴出したのだ。
所詮、失くした心を埋めるにはまるで釣り合わない、手遅れ過ぎる副産物だけれど、それでも、報復の牙は与えられた。
一般的に、AEMを発症した直後は自身のキャパシティの倍以上に膨れ上がった魔力量の内圧によって危険な暴走を起こすものだが、ルニアの場合は死体たちに追いかけられ逃げるために無我夢中で魔力を放出しており、その後すぐに落下して失神していたことで発症直後の危険期を乗り越えていた。そしていまは、確固たる意志がルニアの魔力を強力に支配している。
家族をこの手で殺し、正しく弔うのだ。
ルニアは直感した。自分のこの爪は、いまや皇国の最高戦力たる七十二帝騎にも届きうると。
だが、それほどの圧を向けられてなお、エンデニアは穏やかに笑うだけ。
「お前と手合わせするなど何年ぶりかな」
5年ぶりだ。―――エンデニアと、なら。その知った風な口を利けなくしてやる。
ルニアの両手の五指から漆黒の爪が伸びる。彼女本来の精度の魔力制御で、かつての彼女を超越した魔力量を圧縮成形した、『黒閃』と原理を同じくする破壊力の塊だ。
振りかぶる。
振り下ろす。
その瞬間だけ、爪の長さを10mにまで爆発的に伸ばして、間合いを完全無視した斬撃を叩き付ける。
だが、エンデニアはテーブルクロスの内側に隠していた、飾り物じみた宝剣を無造作に蹴り上げて掴み取ると、ルニアの爪を悠々と受け流す。
的を外した魔力の爪は、そのあまりの破壊力によって空を切るようににスッと床を貫いて、なんの反発も返さない。
ルニアの重心が大きくブレる。
エンデニアはその隙を見逃さない。
たった一歩でルニアの懐深くへ潜り込み、その喉笛に鋒を鋭く突き立てる。
中身は違えど、エンデニアの体で、エンデニアの戦いを再現している。
獣より獣じみた身体能力と、人として洗練された流麗無慈悲の剣術が融合し、かつて獣人族の革命を成した英雄の剣を体現している。
皮肉な光景だが、さすがに、甘くない。
だが、それがなんだ。
甘くないだけだ。
それ以上はない。
ルニアは、5年前、エンデニアに勝ったから手合わせをしなくなったのだ。
ルニアは、とっくの昔に、父親を超えている。
ましてこの魔力量。
そして全盛期を過ぎて老いた父の、不完全な屍。
例え本気の殺し合いだとしても、ルールはそう容易く覆らない。
強い者が勝って、弱い者が負ける。
ならばいまさら、エンデニアの真似事相手にルニアが負けるものか。
像が伸びて見える神速の突きを、ルニアは牙で、文字通りに食い止める。
迫り来る鋒に正面から噛み付いて、首の力で軌道を無理矢理捻じ曲げる。
殺しきれない刃が頬を内側から引き裂く。
目がリールのように回るような激痛。
列車が急停車するかのような甲高い音が鳴り、散らす火花が口内を焼く。
知ったことか。
捕まえた。
「ゥゥゥゥゥゥゥゥウウウウウウウッッッ!!!!!!」
咬合力と首の力だけで、剣ごとエンデニアを持ち上げる。
ヴン、と空気が裂ける音。
エンデニアを投射する音だ。
大きな卓上に並べられた色とりどりの料理を巻き込み鮮やかな飛沫を上げながら床を転がるエンデニア。
繕ったばかりの彼の生首だけが机の手前で無様に転がった。
しかし、その惨状に悲鳴を上げる常人はいない。
しかし、その惨状に眉をひそめる時間もない。
畳み掛けるは、ナーサとザニア。
ドレスの裾も気にしないナーサの上段蹴りを屈んで躱し、ザニアの繰り出す魔力の爪を、己の爪で弾き返すと、そのままザニアに体当たりして突き飛ばす。
だが、ザニアもザニアで侮れない。ぶつかる間際に短くした爪を振るってルニアのこめかみに三本の赤い線を刻み込んでくる。
鋭い反撃に反射で目を瞑ったルニアの背後から、ナーサが腎臓を狙って肘を落とす。
肘鉄で反則技を叩き込まれて動きが止まったルニアの背中に、再びナーサが肘を振り上げる。
でも、そうじゃない。ルニアが動きを止めたのは内蔵を穿つ苦痛で竦んだから、などではない。
むしろ逆だ。
(・・・軽い)
なんというか、そう、ものすごい違和感だ。
そういえば、ルニアは、母が暴力を振るう姿なんて一度も見たことがなかった。
ナーサの繰り出す攻撃はどれもお手本通りの護身術ばかり。きっと王家に嫁いでから教え込まれた、王族としての最低限の武力を振り絞っているだけだ。
いまは術者の格闘戦の技量が上乗せされることで暴力として成立しているが、そもそもナーサの華奢な四肢のどこに、誰かを傷付ける力が宿るというのだろうか。
ルニアは振り向きもせず、片手でナーサの肘を受け止める。
そして、そのまま振り回して自分の正面まで連れてきて、
「・・・っ」
お返しの肘鉄を、ナーサの右肩に叩き込む。
その威力、大槌級。
鈍い音がして、ナーサの右腕が肩から潰れてベチャリと落ちた。
「ぃ"っ~~~~ぁ"ぁ"ぁ"ぁ"お"あ"あ"あ"あ"っ!?!?!?」
「いまさら痛いフリしたって無駄なのよ!!」
魔力の爪を伸ばして振りかぶるルニア。
それをザニアが駆け付け、すんでのところで掴み、手繰り寄せる。
妹の横顔に対する容赦ないグーパンチ。
ザニアは拳を振り抜いてもルニアの腕を掴んで放さない。
よろめくルニア。腕が伸びてビンと張った瞬間、強引に引き戻し、再びその顔面を今度は魔力の爪でズタズタに貫こうとする。
ルニアはそれを魔力を纏った手で掴み取り、ザニアと正面から睨み合う。
相変わらず泥のような顔色のザニアは、汗ひとつかいていない。
だというのに、死んだ目の奥底で悪意だけが轟々と燃え盛っている。
互いが互いの両手を押さえ込んでの睨み合い。
先に動くのはルニアだった。
首を大きく後ろに逸らし―――ザニアも応じるように構えて、両者の額が激突する。
細い金属のひしゃげる音がした。
ザニアのかけていた眼鏡が、頭突きに巻き込まれて破損したのだ。
ルニアの眉間が切れて血が流れ出す。細いフレームは、それだけ強烈な圧力でルニアの額にめり込んだのだ。
どうやら、これもザニアの狙い通りか。
まさか、ザニアがここまでルニアとの取っ組み合いで張り合ってくるとは、意外だった。
かつての乱暴者はすっかり大人しくなったものとばかり思っていたが、ザニアはまだまだ喧嘩が強かった。
エンデニアとは打って変わって、王族らしくない、こすい手も厭わず、粗野で大雑把で、まるで路地裏で夜な夜な繰り広げられる不良の乱闘だけれど、これはこれで幼い頃の兄を思い出す。
ふらつき、尻餅をついて、ふと零れた。
「ねぇ・・・そこにいるの?ザニア兄様」
あれもこれも演技だと、自分に言い聞かせて考えないようにしてきたけれど。
丁寧な所作でルニアをもてなした侍女たちもそう。
内側も外側もボロボロの状態でなお磨き向かれた剣術を披露するエンデニアもそう。
どれだけ殺気立って暴れても根っこの穏やかな部分が見え見えで、まるで様にならないナーサもそう。
みんな、操られた死体であることは変わらないけれど、でも、だとしても、その体の内側のどこか奥深くに、魂の残滓が留まっているんじゃないか?だって、そうでなかったら、こんなにも死体が本人らしく振る舞えるものか?
やめてほしい。本当、期待なんかさせないでよ。
―――でも。もしそうだったら。
「うれしいな・・・」
「最初から僕は僕だったよ、ルニア」
眼鏡を失ったザニアは、目を細めてルニアの急所を探り、魔力の爪をかざす。
鋭い目付きと意地悪な笑みが合わさると、本当に昔の悪童がそのまま大きくなったみたいだった。
例えかつてのザニアを知るルニアがザニアの死体の中に入ったとしても、これほど彼らしい表情は作れない。
魂を感じる死体の、心無い一撃が放たれる。
うれしい、だって。
「弔い甲斐があるもの!!」
「・・・?・・・ッ!?」
ルニアはザニアの腕を寸前で軽々掴み取り、骨を握り潰す握力で掴み上げ、背後で失った右肩を押さえながら立ち上がるナーサ目掛けて投げ付ける。
二人の肉がひとつの塊になる音がした。
だがまだだ。
ルニアは、絡まり転がるナーサとザニアに跳んで追い付き踏み付け床に釘付けにすると、両手に魔力の爪を形成する。
これ以上の迷いは要らない。
交差して振るわれた十の斬撃は、床材もろともに2人の死体を、一目見てどうくっつけても二度と元の形には戻らないと分かるほど派手に、粉々にした。
血の気の失せた屍肉の飛沫を浴びて振り返るルニアの眼差しの先で、首を失ったエンデニアがゆらゆらと立ち上がる。
「実の母と兄だろう。少しは心が痛まないのか、ルニア」
喋ったのは、ひっくり返って散らかったテーブルと食器の中に紛れて転がる生首の方だった。
肺も横隔膜も全部あっち側にあるっていうのに、よく喋る生首だ。
「『心が痛まないか』?そっくりそのままお返しするわよ。ルシフェル・ウェネジア!!!!!!」
「違うだろう???私はエンデニア。エンデニア・ノル・ニーア・ニルニーヤ!!お前の父親だ!!」
エンデニアの動きが変わる。
たった一歩の踏み込みだけで確信した。
コイツだけは”違う”と。
エンデニアをぶっ飛ばし、ナーサとザニアも投げ飛ばし、それこそ大広間の、ほとんど端と端の位置関係だったはずだ。
気配すらも瞬間移動。
錯覚。
それくらい滑らかに
「にぃ"ッ!?」
懐に入られた、なんて悠長にビックリしている暇なんて、ない!!
血が弾ける。
ルニアの腹からだ。
バッサリ斬られた。
冗談のような縮地法。
避けようと思った時点で剣は既に一度は振るい終えられていた。
避けたのは二太刀目。
だが、避けたと思ったそれさえもルニアの喉笛をうっすら撫でていた。
目だけで腹を見る。
内臓は・・・出て、ない・・・多分。
いま無事ならもう気にするなっていうかしてる余裕ない。
溢れる魔力を脳死でひたすら全身に回していたおかげで命拾いした。
こざかしく強化部位を選んでいたならルニアの中身は今頃ぜーんぶ床の上だ。
「さすがに固いな。・・・いや、私の膂力が足りないのか」
「らあああッ!!」
恨み言を考えている暇も当然ない。
ルシフェル・ウェネジアがエンデニアの真似事剣術を捨てた以上、父と娘の間にあった本来の力の差など簡単に引っくり返る。
それでもルニアに勝機があるとすれば、それがエンデニアの死体であるということだ。
エンデニアの死体は、ルシフェル・ウェネジアが鍛え上げたものではない。現に、一太刀目でルニアを両断できなかった。一度戦ったから分かるとも。ヤツは強い。その技術もエンデニアを遙かに凌ぐ。でも、我流の戦い方で使いこなせるか、人種も違うその体―――!!
左手の爪。打ち払い。
エンデニアの剣の軌跡に浮かぶ黒い矢。
すなわち魔術の矢。
が、放たれ。
突っ伏す勢いで身を屈め。
飛び掛かる。
接近と合わせて爪を急激に伸ばして間合いを見誤ら
(ない・・・!!)
「子供騙しだな」
指の開きのわずかな角度まで見ていると言うのか。
半身になってトンと軽いバックステップ。
それだけでさらりと爪の間をくぐり抜けてしまう。
指を閉じて揃えるより速い。
斬り上げ。
咄嗟に引き戻した右腕。
間に合わない。
地から天の唐竹割り。
手首の腱も真っ二つ。
もう使い物にならない。
怖い。
痛い。
ヤバい。
泣きそう。
なんだこいつ。
ダメだ。
恐れるな。
逃げ腰になるな。
捌けもしない技を捌こうとするな。
躱せもしないものを躱そうとするな。
エンデニアが振り上げた剣の照り返しが揺れる。
処刑宣告。
干上がる唇。
ルニアはそれを噛み締める。
「ッ―――」
振り下ろされる剣を、右腕で受け止めた。
どうせもうなんの使い道もないんだ。
片腕くらいくれてやる。
灼熱の痛み。
悲鳴を雄叫びに混ぜて自分さえも誤魔化して、前へ。
エンデニアの剣は、ルニアの腕を斬り落とす寸前で勢いを殺されていた。
骨の髄まで魔力でガチガチに固めていたおかげだ。
前腕骨がエンデニアの剣に食らい付いて放さない。
そのまま右腕を振り回し、剣を握るエンデニアごとひったくる。
よろめくエンデニア。
その背中に爪を立てる。
だが、そもそも死体は死体。
深手を与えたところで怯むわけがない。
大体、最初っからエンデニアには首がないのだ。
剣を取り返すのに数秒かかると判断するや、エンデニアはあっさり剣を捨てて、自由になった右腕を振り戻し、ルニアの側頭部に裏拳を叩き込む。
鼻血が出た。
だが止まらない。
エンデニアは背中を見せている。
そんな仰け反った姿勢ではまともな蹴りなど放てない。
魔術発動の気配もない。
首の力だけで拳を押し戻し、ルニアの眼光はひたすらにエンデニアの喉元の虚空を貫き続けていた。
「得物なしじゃ所詮この程度!?」
ルニアに残された勝機は、相手がエンデニアの死体であること。
つまり、ルシフェル・ウェネジアは、自身も得意とする両手両足による斬術、体術についてはエンデニアの体でも再現出来るようだが、一方で自らの肉体では理解しようもない、”獣人らしい戦い方”に関しては、刹那の反応を要求される肉弾戦の中で十分に引き出せていない。
獣人には魔族の体にはない尻尾がある。
獣人の筋肉は、魔族が訓練しようと決して追いつけないしなやかさを誇る。
ルニアはそれを自然に制御出来て、ルシフェル・ウェネジアにはそれが出来ない。
特に、尻尾は特殊だ。先端まで筋肉の塊である。無茶な姿勢制御もこれによるところが大きい。
そして、尻尾のない魔族よりも手数がひとつ多くなる。
ルニアはまだそれを見せていない。
何度も見せればルシフェル・ウェネジアはルニアを手本に獣人の扱いを理解して立ち回りを矯正するかもしれないから。
つまり、肉薄したこのチャンス。
この一度で。
一気に決めるしかない!!
地を蹴りエンデニアの真上に飛び上がる。
それと同時にルニアは尻尾でエンデニアの右腕を巻き上げ、腰の力で床から引っ剥がす。
回る。
回る。
エンデニアを捕らえたまま空中で三回転し、勢いそのまま床へ叩き付ける。
床の石材が弾け飛ぶ。
破片が二人を見境なく傷付ける。
それでも巻き付けた尻尾は解かない。
土煙の中から飛び出す手刀。
首を振って躱す。
手刀は解かれてルニアの右腕に刺さった剣を掴み、引き抜く。
骨も肉も抉り出される。
それでも、尻尾は解かない。
ルニアの尻尾を切断しようとするエンデニア。
エンデニアを引き摺ってルニアは猛然と走り出す。
走りながら、魔力の爪を研ぎ澄ます。
ただし一閃。
躍る白刃が耳を断つ。
音が赤く泣き叫ぶ。
それでも、尻尾は解かない!!
初めて、エンデニアの首が遠くで舌を巻いた気がした。
「父様を返せ・・・ルシフェル・ウェネジアああああああああああああああ!!!!!!」
尻尾で吊り上げたエンデニアの肉体を、ルニアは全てを断ち斬るその爪で、鷲掴みにした。
星を描くが如く屍肉を灼き斬って、五指は腹の中心で点を打つ。
五つになった父親は、力なく床に散らばった。
それを、さらに踏み潰し、叩き潰し、反撃の芽を残らず潰した。
「・・・強く、なったな・・・ルニア」
「その言葉はもうずっと昔にもらったわよ。大した特異魔術だけど、所詮は上辺だけの猿真似だったわね、ルシフェル・ウェネジア」
体を砕き、それでもなお演じ続けるエンデニアの生首を、ルニアは拾い上げた彼の剣で縦に両断した。両断し直した。
そう。
エンデニアは死んだのだ。こうして、頭を縦に割られて、死んだ。
あるべき静寂が帰って来た。
もう、誰もいない。
本来の、いまの、ニルニーヤ城が。
これで良かったのだ。
良かったのだ―――ろう。
だって、これしか。
「やったよ・・・・・・わたし・・・・・・・・・」
こんな方法しかなかったけれど、こんな弔いがあるか。
覚悟と恐怖の酔いが醒めていく。
これでめでたしめでたしなんて笑える強さは、持っていない。
そんなの強さじゃない。
心臓を握られるような慟哭が、がらんどうに響いていた。
○
「アスピダ隊、『タイラゲムシ』、撃ち方はじめ」
○
「・・・え?」
ルニアの視界は真っ白に塗り潰され、爆音は後からやって来た。