episode9 sect33 ” The Pilot of Purgatory ”
最上階に千影の気配は感じない。それと一応、神代疾風の息子の気配も。岩破があれらを殺すはずはない。千影がようやく手に入れた日向の居場所なのだ。岩破はきっと無事に、千影を絶縁したのだろう。最後に聞こえた大爆発は祝砲のつもりかなにかだったのだろうが、寂しさ紛れにしたって、ちょっとやり過ぎだが。
一央市ギルドや面倒臭い婦警どもの介入でだいぶ揉めたようだが、概ね予定通りだ。時刻も考えれば、今日一番の目的も既に終わった頃か。セントラルビルの最上階は、さっきまでの大騒ぎが嘘のように静まりかえっていた。紺は、あれやこれやいろいろと肩の荷が下りて燃え尽き症候群になっているであろう岩破を労ってやるつもりで、壁も天井も吹き飛んで屋上と化した最上階の様子を覗いてみた。
「よォ親父。ずいぶんと静かみてえだけど、お客さんはもうお帰りか?」
濃厚な血の臭いが夜風に吹かれて全身を包んできた。
それ自体は不思議ではなかった。ここで人が臓物をぶちまけて死んだことには間違いないのだから。予定通りなのだから。
「・・・?」
いや。
違う。これは予定と違う。
なぜ岩破がそこに寝ている?
なぜ紺の軽口になにも返さない?
なぜか。分かりきっている。人間がそんな状態になる原因を、紺ほどよく知る者はそういない。
岩破は死んでいた。殺されていた。
「・・・嘘だろ、親父」
あのもやし男が岩破を返り討ちに出来るとは思えなかったが―――生き汚い奴のことだから、恐らくとんでもない用心棒でも雇って来たのだろう。紺が、その危機を察知して助けに駆け付けることすら出来ないくらい、一瞬の出来事だったのだ。
育ての親の死を目の当たりにしてしまった。それはもう、紺だって、死ぬほどショックだった。
ただ一方で、ここはそういう世界だとも思っていたから、その死を受け入れようとも思った。
しかし、紺の眼前でその死は侮辱された。
「・・・・・・紺・・・・・・お前ぇがいつまで経っても来ねぇから・・・俺ぁ死んじまったじゃぁねぇかよぉ・・・・・・」
「 」
岩破を殺されたことよりも、眼球が上に引っくり返ったままの抜け殻が立ち上がって、こともあろうに紺へ爆裂魔法を向けることの方が遙かに許し難かった。
そして。
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「ぶっ壊しても動き続けるから、最後は骨の一片も残さず喰って、終わらせてやったんだ」
『俺、親父を殺したよ』―――紺の口から脈絡もなしに飛び出した告白に、ルニアは、急になんのつもりだ、と思った。でも、紺の意図を理解し始め、ルニアは言葉を失った。
彼も、ルニアと同じなのだ。同じだったのに、彼はルニアと違う道を選んで、ここにいるのだ。
「イイか。拗ねて引き籠もんのは自由だぜ。けどな、こんなトコで腐りきってテメエの家族にテメエを殺させんのが、一番そいつの尊厳を貶める選択じゃねぇのか?オモチャにされてんなら、ちゃんと殺してやんのが筋ってもんだと、俺は思うぜ」
「・・・・・・」
「で?アンタはいま、なんで生きてんだ?」
なんで。どうして。そうか。ルニアにも、少しずつだけれど、この不愉快な青年のことが分かってきた。余計な一言なら息をするように吐けるくせして、致命的に言葉足らずなのだ。きっといままで、誰かに優しくしたことがなかったから。
要するに、紺はいま、ルニアを励ましているのだ。それも結局は自分が故郷に帰るためにルニアの知識と記憶を求めてやむを得ずそうしているに過ぎないが、レオもギルバートも欺いてエルケーのことまで利用したルニアにだけはそこを嫌うことなど出来ない。そしてなにより、彼の問い掛けは意味さえ分かれば答えなど分かりきっている。真理だ。もうそれ以外には感じなかった。
「わたしっ、みんなが、私をっ、生かしてくれた・・・から・・・!!」
愛する祖国を取り戻す。
どんな手を使ってでも。
失った日々は戻らないと知っても。
ルニア・ノル・ニーア・ニルニーヤの意義を示し、死してなお陵辱され続ける同胞たちの最期に報いなくてはならない。
より堅固に、より潜熱的に、最初の芯が蘇った。
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ルニアは紺の提案に応じることにした。つまり、彼を人間界へ連れ帰る代わりに、彼の力も借りて民連軍の機密情報を消去するという名目上の大義を果たすことに決めた。
しかし、そのためにはほぼ間違いなく、もう一度、家族や親しかった人たちの亡骸と向き合わなくてはならない。民連軍のデータベースの全階層へアクセス可能なマスターキーを差せる端末は、彼らが死してなお根城とするニルニーヤ城にしかないのだから。
「なぁ、アンタさ・・・」
紺がなにかを言おうとしたが、ルニアはそれを片手で制した。言葉は足りなくとも、根は人を思いやれる彼のことだ。きっと、ルニアが彼の言葉で無理に行動を決めていないかを心配してくれているのだろう。でも、それは要らぬ心配だ。
「”本当にイイのか?”だなんて野暮なこと訊かないでよね。私はいずれこの国を皇国の支配から解放してもう一度、今度はもっともっと素敵で無敵な魔界最強国家に導くって、最初っから決めてたんだから!」
「いや、訊かねぇよそんな野暮なこと。・・・あれ、それとも訊いて欲しかったん?訊いてたら心変わりしてたかもしれないん?アブねぇ~、優しくなくて良かったぁ~!!」
コイツ、心底ホッとしてやがる。前言撤回。やはりこのクズの中には思いやりの「お」の字もありゃしねぇ。なんなら穏やかに会話をするためのボキャブラリーのひとつさえもないに違いない。この中に自分と同じ赤い血が流れているのが不気味なくらいだ。
だがしかし、それでも、ルニアはこの男の力を借りると決めたのだ。決めてしまったのだから『イラッとするから』なんて理由で掌返しは出来ない。高貴にして崇高な、王族としてのルニアさんの尊い精神性がそのような幼稚な癇癪を良しとしないのだ!
で、あれば、だ。せめてほんの少しずつでも穏便に会話出来るよう、ルニアの方からもアプローチを変えていくべきなのだ。例えば、こう。
「それと、私の名前は”アンタ”じゃないわ。ルニアよ。分かった?コン」
「分かってるよ、ルニア」
もう思春期の男の子でもないので、紺は照れも喜びもせず、あっさりとルニアを呼び捨てにした。・・・案外、良い。”さま”が付かないのは、妥当か。ルニアはいまや姫の地位にない。
ルニアが奇妙な感慨に耽っていても、紺は調子を変えることなくさっきからしようとしていた話に切り戻した。
「ルニアは、この“死体を操る魔術”の術者が誰だか、知ってるか?」
「術者―――」
呼称が『ビスディア技術特区』に改められたこの地を覆い尽くす異様な状況に、元凶が存在することは、ルニアも分かっていた。そもそも、恐怖して驚愕しても、これがあり得ないことだとまでは思わなかった。魔界において、不可解な出来事は全て、何者かの固有魔術によって引き起こされるからだ。長い歴史の中には本当に奇跡的な物理現象だったこともあるにはあるが、それでも全世界でそういう共通認識が成立するほどに、魔族の固有魔術というのはなんでもアリなのだ。エルケーの特異魔術ひとつ取ってもそうだ。単に刀剣を遠隔操作するだけの魔術では留まらず、かつて剣であったことを認識してさえいれば、文字通り鉄粉と言えるまで粉々になった残骸でさえ自在に操ってしまうのだから、屁理屈もいいところだ。
だが、家族や同胞たちを弄ぶ何者かが存在することを分かっていながら、ルニアはその何者かを探すことにまで考えを巡らせていなかった。あるいは、その何者かを倒せばこの恐怖が終わるかもしれなかったのに。もっとも、さっきまでのルニアにそんな希望を抱けるほど心の余裕はなかったと言ってしまえば、それまでではある。
「その口振りだと、コンはなにか知ってそうね?」
「知ってるつーか、殺り合ったからな」
「にゃるほど。・・・にゃるほど?それマジ?マジならなんなのこの状況?」
魔術は術者の意識によって成立する。一般的に考えれば、術者が死ねばその固有魔術の効力も停止するはずだ。いや、今回の死体を操る魔術はノヴィス・パラデー全域というあまりにも規模が大き過ぎる効果範囲のため、複数人がかりでやっている可能性も否定は出来ないが、それなら未だかつて類似の事例を聞いたことがない。なんの実験もなしに突然こんな思い切った大規模魔術を行使することは皇国であっても考えられないし、こんな冒涜的な固有魔術を持った者がいきなり何人も現れるはずもない。
そこまで考えて、ルニアには次第に話の流れが見えてきた。だが、それはつまり、故郷の惨状を根本的に解決するための力が、ルニアにはないと宣告されたようなものだった。
「・・・そいつの特徴を、教えてもらえる?」
紺と殺し合ったはずなのに、なにも解決していない。それが意味するのは、紺でも殺せなかったということだ。神代疾風に匹敵し、人の心を持たない暴力装置が仕留め損なうとすれば、それは彼を返り討ちにした誰かに限られる。紺の口から語られた特徴は、ルニアの予想と完全に一致した。
「長い白髪と赤い目の、背が高い野郎だった。武器は黒い長刀を引っ提げてる。そいつが近付いた途端に死体の山が動き出したから間違いねぇ」
「で、コンを殺った張本人でもある、と」
「あ?違いますゥ。勝てなかったってだけで別に負けたわけじゃありますぇぇぇぇん」
晒し首にされておいてよく言う。どうやらヘラヘラしているようでいて、今回の敗北は相当悔しかったらしい。人間くさい部分もまだ多少はあるようだ。しかし、それはいまはどうでも良いことだ。
「ルシフェル・ウェネジア」
「お、知ってんのか」
「こっちなら誰でも知ってるわよ。皇国のアスモ姫の摂政なんだから」
「せっしょう・・・殺生・・・ああ、摂政ってアレか、秀吉的な」
「それは関白。聖徳太子とかの方ね。まぁ実態は似たようなものだけど」
「なんで日本の知識だけでキッチリ訂正出来んだよこのオタク姫は・・・」
どうやら紺は紺でちょっとしたジョークのつもりだったようだが、ジャブにクロスカウンターが飛んできたので軽く困惑していた。この際オタクは褒め言葉として受け取って、ルニアは話し続ける。
「そして、摂政であると同時にあいつは将軍の地位にも就いているわ」
「将軍?なんだそいつ、摂政とか将軍とか何時代の武将だよ」
「それについてはホントにそう。本来なら時代遅れのお飾り役職で、もう100年以上は空位だったんだけど、形としては国防大臣と防衛局局長を兼ねる職位ね。一言で言えば皇国の政治も武力も掌握してる、黒幕的な存在」
「やべーヤツじゃん」
「そうよ。ヤバいのよ」
「フツーそんなのが前線に出て来るかよ。人違いじゃねぇの」
「一番ヤバいのはそこね。・・・いや、私だってあいつに殺されかけるまではそう思ってたんだけど・・・。あのハヤセさんでも勝ちきれず、傷を負って撤退したくらいなのよ。・・・暗殺だって出来る気が・・・」
手も足も出なかった。治療魔法で痕を残さず綺麗に治してもらったが、思い出すだけで、彼の剣に貫かれた左手が疼くようだ。侮っていた分もあり、ルニアが受けた恐怖はそれほど忘れ難いものだった。紺に見つかったときの恐怖が「死にたくない」と泣き喚くほどだったなら、ルシフェルが与えてきたのはもう決定した死に抗う気も起こらないような、隔たりのある恐怖だった。当時はまだ微かな希望に縋って気力を保てていたが、今日、あの孤独の中で紺ではなくルシフェルの顔を見ていたなら、きっと心臓が勝手に動くのを諦めて、手を下されるより先に死んでいたことだろう。
「倒せるものなら倒して万事解決したいけど、現実的じゃないわね。大体、いまどこにいるかも分からないし」
「療養中だろ、どうせ。狙うならいまな気がするけどな」
「皇国本土に2人で殴り込めって言うの?まずは無事に帰ることを優先しなさいな」
紺のうっすら開いた瞼から覗く憎悪や殺意が、自分に向けられたものではないと分かっていても、彼を諫めるルニアの声は強張った。殺すと宣言したらどんな相手でも本当に容赦なく殺すのだろうなと、易々と想像出来てしまう。
「チッ。まぁ、ルニアの言う通りだな。目的は見失っちゃいけねぇ。けど、そうなるとやっぱ地道にプチプチ潰してくしかねぇか。・・・で?最初にまず城に行くんだっけ?」
「そうよ。父様たちを弔うためにね。そして、民連軍のデータベースを完全削除するには私が直接、城の端末から操作する必要があるから、そのために。・・・あと、もうひとつ、出来ればで良いんだけど」
「出来ればって言って、手伝わなかったら一人でもやるって顔に書いてんぞ」
「私、魔界に独りで戻ってきたわけじゃないの。仲間がひとりいたんだけど、城から私を逃がすために取り残されてて、助けたいの」
「生きてんのかソレ」
「生きてる!・・・・・・きっと。だって、あいつ、本当に悪運が強いし、生き汚いし・・・生きててもらわないと困るのよ」
「分かった分かった。じゃあ城に行く目的は3つ。死体をキッチリ葬ってやる、軍のデータを消す、はぐれた彼氏を探す、でOK?」
「そういうんじゃないわよ!!・・・まぁ、OK」
「よォし。そうと決まればさっさと片付けちまおうぜ♪」
○
マルス運河の畔の、瓦礫の河原から一歩踏み出す。
ゾッ―――と、空気が粟立つ。
いっぱいいる。すぐにも彼らはやって来る。この気配が、一斉にルニアたちのいる方角を振り向いた死体たちの、微かな衣擦れの収束した物理的な空気の振動だったとしても驚かない。
出迎えは30秒後に。
河原から50m地点にて、盛大に。
『お帰りなさい、ルニアさま!!』
「っ・・・」
覚悟を決めても、心に、クるものは、クる。
でも、いまのルニアは独りじゃない。
隣で、乾いた失笑があった。ニヤニヤした表情は崩さないまま、紺がルニアを背に守って一歩前に出る。
「目、瞑ってな」
それだけだった。
遅れて、ルニアは思い出す。
この男が、ルニアに同胞たちの凄惨な最期を見せないように、なんて優しさでそのような言葉を口にするヤツではなかった、と。
言葉足らずは仲間に警告を発するときだって言葉足らずだった。
「ぎにゃっ~~~!?!?!?」
自分自身の悲鳴すらも雷鳴の彼方に消える。
紺の手から解き放たれた幾条もの雷光が、復興の始まった街並みを捲り上げて視界の果てまで駆け抜けた。
魔法陣すら見逃すほどの早業、しかし、紛れもない特大魔法。
殴る蹴るの専門家かと思ったか。違うとも。紺は、暴力の専門家だ。
真っ白に焼かれた視界をようやく取り戻し始めたルニアが見たのは、地面も建物もズタズタに灼き斬られた赤熱の大地と、その上で燃え盛る、炭化した死体の黒い山だった。
「容赦ないわね・・・」
「やるなら派手にやった方が後腐れねぇだろ?」
それはそうかもしれないが街まで破壊しろとは言ってない。なにより弔意が足りない。
「親殺し経験者はやっぱひと味違うわね。なんというか、その、私も父様を砕いて食べて弔ったらこうなるのかしら」
「安心しな。多分順序が逆だから。けどこれ見てそんな軽口叩いてるルニアも、実はこっち側かもしれねぇな」
「死体は死体って分かるから怖いのよ」
第一印象や雰囲気から分かりきったことだったが、それでも、実際に目の当たりにすると、千影が最強のランク7を引き合いに出したことも否応なしに納得させられた。
紺。マジックマフィア『荘楽組』の、1人目のオドノイド。
不死身の怪物。
この男は、強すぎる。
獣人族の身体能力は、平均して人間より数段優れている。聴覚や嗅覚もそうだが、とりわけ筋力や頑強さにかけては右に出る種族はないと言って良い。成人女性の平均握力は80kg程度あるし、近年は低下しつつあると言われている中学生の100m走平均タイムは、それでも10秒台前半だ。意識して鍛えていなくても、適度に運動している健康な獣人なら『マジックブースト』で全身を強化した人間との殴り合いに、『マジックブースト』なしで勝てるだろう。
その特長は死体となったあとも失われてはいないはずだった。彼らに牙を剥かれ、爪を立てられたルニアだから、分かる。
だが、紺はそんな獣人たちの死体の軍勢をケタケタと嗤いながら紙屑同然に蹴散らして、蹴散らして、蹴散らした。筋肉の塊と言っても過言ではない獣人の肉体を食パンでも千切るように引き裂くわ、再生するのを好いことにノーリスクの捨て身戦術で数十の死体の大群でさえも正面から突っ込んで派手に爆散するわ、大暴れだ。
結果的に死体たちはルニアに指一本触れられないだけで、紺はルニアを守っているというより憂さ晴らしで勝手気儘に暴力を振り撒いているようだ。肉を裂き骨を断つたび彼の喉を掻き鳴らす狂笑は、獣人より遙かに獣じみて野蛮である。
ともあれ、ルニアもこれで完全に踏ん切りがついた。
2人はひたすら死者の彷徨う城下町を突き進んだ。
邪魔ならビルでもぶち抜いて直進する彼らの前に立ちはだかる壁などなかった。10kmの直線距離を踏破する頃には、ルニアの優れたネコミミは破壊音ですっかりバカになっていた。
そして、2人の前に、わざとらしく開け放たれた大きな城門が現れた。
「着いたわ、コン」
「みてぇだな」
高くに見える割れたステンドグラス。
山の斜面に力強くそびえ立つ、白亜の廃城。
束の間の家出だった。
開かれた門扉の傍には、2人の侍女が恭しく控えていた。