episode9 sect32 ”名前のない路上で”
ルニアの鼓動は、意外にゆったりとした青年の鼓動と完全に同調していた。不思議な感覚だった。まさかこんな、知り合いとさえ言えないような人間の胸に抱かれて安心してしまうだなんて、思いも寄らなかった。
(・・・・・・ん?)
胸に抱かれて。
”一糸纏わぬ無防備な姿”な男の、胸に抱かれて。
あーあ、落ち着いたら気が付いちゃった。
「にゃああ!?はっ、放しなさいよこのヘンタイ!?」
慌てたばかりに、ルニアはうっかり力加減を間違えた。全裸で抱き付いてくるヘンタイ野郎を押し離すだけのつもりが、力余ってだいぶ向こうの瓦礫の山まで直線軌道を描いてぶっ飛ばしてしまった。一見シュールなくらい恐るべきスピードで突き飛ばされた青年の体は瓦礫の山だけでは受け止めきれず、貫通してさらにその奥に残っていたテルマン橋の巨大な遺構を巻き込むと、激突音と共に鉄とアスファルトの流星群を降り注がせた。濛々と立ち昇る土煙はさながら高層ビルの爆破解体である。
「や」
要するに。
「殺っちゃったーっ!?!?!?」
いくら神代疾風並に強いと評されていようと、さすがに無防備なところに一撃入れて良いなら、ルニアでも致命傷くらい与えられる。ようやく出会えた命のある仲間を自らの手で殺してしまったかもしれない。そんなつもりなんてなくても不幸は平然と訪れる。やはりここにあるもの全て、命や魂の有無に依らずルニアを苛むためだけにあつらえられた悪辣な舞台装置だとでも言うのだろうか・・・なんてブルーに戻りかけたルニアだったのだが。
「げほっ、けほっ。どんだけ馬鹿力なんだよちくしょう」
「ぎにゃ~ッ!?!?!?」
なんか青年が平然と瓦礫の下から這い出てきた。血塗れだったけど。・・・平然?
「あのぅ・・・本当はやっぱり死体だったりしない?貴方・・・」
「言うことも言わねェでその言い草かコラ」
「ひゃい!ごめんにゃさい!!」
相変わらず表情は笑顔のままなのに、凄味が凄い。これが本物のジャパニーズヤクザ、漫画とは迫力が違う。
「え、えっと、傷の手当てを」
「ああ?イイよ、んなことしなくて。他人の心配してる暇あったら自分の手当てしとけ」
青年が傷口の血を手で拭うと、その下には傷痕ひとつない綺麗な肌があるだけだった。
傷が再生したのだ。
「貴方・・・オドノイドだったの?」
「まぁな」
死んだと思われた人間が実は生きていた、なんて冗談じみたこの状況に、ようやく合点がいった。突き飛ばされてから1分と経たずに無傷の状態まで戻っているのだ。これだけの再生力があるのなら、あり得ない話ではないだろう。それでもさすがに首だけの状態から復活するというのは想像しにくいが。・・・あの可愛らしい千影も同じように傷付けば、同じように治るのだろうか。
ルニアは、だからどうこうと言うつもりはないにしろ、人々が、同胞たる人間でさえもがオドノイドたちを気味悪がる気持ちについても分かったような気はした。ちょうど最近実感したばかりだろう、首を切られて死んだと思われた人物がしゃべって動き回っている恐怖を。動く死体とは、非なるようで似た不気味さがあるかもしれない。
ただひとつ、しかし大きく、直接聴いた彼の心臓の鼓動という証明だけがルニアの心の安定を守ってくれていた。
そんなルニアの感想を知ってか知らずか、青年はあっけらかんと話し続ける。
「つっても、まぁ、俺も今回ばかりは死んだと思ったんだぜ?首チョンパされたらさすがのオドノイドも死ぬしよ。けど目が覚めたら首から下が生え揃っててさ?他の連中より再生力に関しちゃ図抜けてる自覚はあったけど、これは普通じゃねぇよなぁ。いままで俺の特殊能がなんなのか分かんなかったけど、どーやらこの再生力そのものがそうだったらしいな。さしづめ”不死身”ってとこか?けど、そうしたら次はどこまでやったら死ぬのかってのが気になるよなァ。逆に首だけ消滅したら胴から首が再生すんのかね?なぁ、どう思うよ?」
「うん、わかんにゃい。それより早く服を着てくれないかしら」
「首だけの状態から復活したんだぜ。服なんざ持ってるワケないじゃん」
正論だけどフルチンで威張られても反応と目のやり場に困る。
しかもコイツ、ルニアを元第2王女と知っていてこの態度なのだ。せめて腰に当てているその手の片方だけでも股間にやろうとか考えないのか。
「服なんて、そこらの死体から拝借すれば良いのに」
「さらっと自国民から追い剥ぎするよう勧めてきやがったな。とんでもねーお姫様だ」
「おっけー、貴方が割とムカつく人ってことは理解したわ」
「それほどでも。つか、人目のあるところに出て行ったら死体に群がられて面倒なんだよ。俺一人なら裸でも文句言うヤツなんていねぇし」
「ぐぬ・・・。分かったわ、じゃあこれ、あげるからとりあえず隠すとこだけでもかくしてちょうだい。ほら!」
「お、助かる~♪」
本当に、さっきから正論ばかりズケズケと。しかし、死体たちから逃げてマルス運河の畔までやって来たのは、ルニアだって同じことだ。経緯は違えど、いまは同じ穴の狢。
ルニアはここまでの道中で最早用を為さないほどボロボロになってしまった外套を青年に押しつけた。羽織にはならずとも、腰に巻けば陰部を隠すくらいの役には立つ。
外套を受け取った青年は、礼を言うと、それを自分の胸に巻いて謎のセクシーポーズを取った。
「どう?」
「なんでそうなるのよっ!!」
死なないと分かれば遠慮は要らなかった。ルニアの重いツッコミを受けた青年は、ヘラヘラ笑って、今度こそぼろ切れを腰に巻いた。
○
「私はルニア・ノル・ニーア・ニルニーヤよ。貴方は?」
「紺」
紺がイチモツを隠して場が落ち着くと、ルニアから自己紹介があった。互いに互いの顔と名前は、最初から知っていたが、初対面なので、礼儀だ。紺も、一言ながら快く応じた。
「ところで、コンさん」
「”さん”は要らねぇよ、お姫さま」
「じゃあ、コンって兄弟とかいる?」
「いっぱいいるぜ。両手の指じゃ足りねぇな」
「いや、盃を酌み交わした仲のことじゃなくてよ」
「意外と人間の文化に詳しいな。つか、気にしてなかったけどそういえば普通に日本語で会話成立してるし。さてはオタクだな?」
「そうよ。人間界のサブカルグッズを集めてマンガ図書館だって建てたんだから」
あれ?でもひょっとしてあの場所もいまや瓦礫の山の一部と化しているのでは?本場人間界でも滅多にお目にかかれないレアアイテムもいくつか展示していたのに・・・。思い出すんじゃなかった。というか、余計なことを思い出させられた。さらば、等身大フィギュアたち。さらば、直筆サイン入り単行本オンリーの書棚。
「なんでまた泣いてんだコイツ・・・。で、なんだっけか。血の繋がった兄弟なら、いねぇよ。つかそれを言っちゃあ俺には肉親がいないんだけどな。第一、荘楽組っての自体が俺みてぇな身寄りのねぇ連中の寄せ集めのようなもんだし。マジックマフィアで通っちゃいるが半分は孤児院みたいなもんさ」
「・・・ごめんなさい。デリケートな話だったわね」
「気にすんな。本物の生みの親なんかいたとして、どうせ碌なヤツじゃねぇ。それより、兄弟の話なんかしてなにが知りたかったんだ?大して大事なことでもないだろ。ああ、千影がなんか言ってた感じか。それならそうだぜ、俺はいまでもあいつの頼れるお兄ちゃんさ」
千影は”自称お兄ちゃん”と含みのある言い方をしていたような気がするのだが、当のお兄ちゃんは堂々としたものだ。なにをしてきたらそんな自信が湧くのだろう。そういえば、紺は、服もボロボロであられもない姿のルニアを見ても少しも勃起とかする様子がなかったが、もしかして、この男も小さいのが好きな方なのだろうか。
「それもあるけど、それとは別で、貴方とよく似た顔の男の子にはだいぶ助けてもらったから、もしかしてって思ったの」
「それって神代疾風のガキのことだろ?イイ加減自覚あっけど違ぇよ。反吐が出る」
「そんな嫌がることなのかにゃあ・・・」
ルニアの知る限り迅雷は誰かにここまで毛嫌いされるような人間とは考えられないのだが、一体2人の間にどんな確執があったというのか。まさか、本当にどちらが千影のハートを射止められるかで争っていたとでも言うのだろうか?などと、ルニアは無意味な妄想を膨らませた。もっとも、考えて分かるものではないので、ルニアは余計なことは言わずに反応を濁した。ようやく出会えた、まともに会話出来る相手なのだ。既に一度ぶっ飛ばしてしまったうえで言えたことではないが、機嫌を損ねるようなことは避けたかった。
ルニアの疑問にひと区切りついたことを察して、今度は紺の方から口を開いた。
「次は俺から質問してもイイよな」
「ええ」
「アンタ、なんでこんなとこにいるんだ?」
「なぜって、それは・・・・・・だって、私、お城にも街にも居場所なんて・・・」
ルニアがまたぐずり始めたので、紺は頭をポリポリ掻いて、それから呆れたようにルニアの言葉を遮った。
「言い方が悪かったな。アンタの事情なんてどうだってイイんだよ。アンタ、人間界に逃げてたハズだろ。それなのになんでビスディア技術特区にいるんだってハナシ。ひょっとしてだけど、人間界から戻ってきたのか?」
「・・・うん。そう。一応、民連軍の軍事機密情報が皇国に渡る前に消去するためって名目でレオ総長からも許可をもらったわ」
”一応”―――相当に後ろめたいところがあるのか、ルニアは事情などどうでも良いと言ったばかりの紺に、言い訳がましい事情説明を付け足した。だが、聞き流すような話の中に、聞き捨てならない名前があったために、紺は「ほォ」と顎に手を当て身を乗り出した。
「レオって、IAMOのだろ?総長って言ったもんな。あのジジイしれっと生還してやがったのかよ」
「ジジイって・・・。まぁ、無事だったわよ。それに、ハヤセさんも。私は2人が帰って来たルートを教えてもらってここまで戻ってきたのよ」
「・・・は」
ここにきて、初めて、紺がしっかりと目を開いた。突然の反応だったので、ルニアは咄嗟に身構えてしまったが、彼女の心配などよそにして、紺の口から漏れ出た吐息は緩んだ笑いだった。
「ははっ、くそ、ふへへ・・・。そうかよ。やっぱ優しくしといて正解だったな」
「ど、どうしたのよ、急に?」
「分かんだろ、俺は人間界に帰りてぇんだ!どうすりゃ帰れる?!教えて―――いや、つかそうだ。俺を連れ帰ってくれよ。どうせいっぺんには憶えきれねぇような回り道なんだろ?」
「・・・いやよ」
「そう言うなよ、こいつは取引だ。アンタが俺を人間界まで連れてってくれるなら、俺は道中なにがあっても絶対にアンタを守ってやる。イイか、なにがあっても、絶対にだ。それにその民連軍の機密情報を消すだかってのも手伝ったって構わねぇ。な?悪い話じゃないだろ?頼むぜ!」
「やめてよ!!」
「いぃっ!?」
ルニアの叫びに、紺は息を呑んでしまった。女性のヒステリーにたじろいだ、というのとは近いようで、ちょっと違う。ただ少しダブって見えてしまったのだ。初めて千影に本気の金切り声で拒絶されたときの感覚と似ていた。
少し、強引が過ぎたのだ。紺は所詮、極限の暴力装置であり、威力のほかに取り柄らしい取り柄なんてない。それが誰かに優しくするとか、取引だとか、らしくない真似をするから加減を間違えるのだ。
これが日常の気紛れであれば、もういいよ、の一言でルニアなんて切り捨ててしまうところだが、しかし今回に限っては紺も諦めたくはない。ただでさえ荘楽組は頭首の岩破を失い、IAMOに取り込まれ、ガタガタなのだ。そのうえ紺まで居なくなってしまったら、どうなるか分からない。研ひとりだけに負担を掛けたくない。紺の取り柄は暴力だけかもしれないが、その一点だけで、紺の存在意義や価値はものすごく大きいのだ。だから、なんとしても帰還して、研たちを、家族を、少しでも安心させてやらないといけないのだ。
とはいえ、じゃあいまのルニアにどんな言葉を掛けてやるのが正解かなんて、紺にはサッパリ分からない。出来るのは精々、背中をさすりたいんだか頭を撫でてやりたいんだかもハッキリしないでわたわたと両手を宙ぶらりんに泳がせるくらいか、逆に黙って続く言葉を聞いてやることくらいだ。結局、後者の方が多少はマシな気がして、紺は差し延べかけた手をだらんと下ろした。
「もう・・・やめてよ。守るとか、そういうの・・・いらないの。いやって言ってるじゃない。民連軍の機密情報だって方便なのよ。本当はそんなのとっくにどうだって良かった・・・!もういやなの!もう、どうでも良いの・・・怖いのよ。もう、どこにも行きたくない、ここから出たくない・・・・・・」
「・・・・・・」
しばしの静寂があった。
紺は待った。
ルニアは葛藤した。
葛藤したうえで、言わずにはいられなかった。
「貴方に、分かる・・・?理不尽な言い掛かりをつけられて、攻撃されて・・・父親の死を見せつけられて―――っ、故郷をこんな焦土にされて国まで亡ぼされて住んでた人たちの死体までこんな惨い扱いされて自分の家族に殺されそうになったのよ!?もうやだ!!無理だよぉ・・・、こんな、なんの冗談かも分からないような悪趣味な世界なんて。なにもしたくない。なんにも見たくない!どこにも行きたくなんてないのぉ!!」
言って、ルニアは唇を噛んだ。後悔の色だ。感情のままに、紺に対して攻撃的な言葉を選んだことに対する、後悔だ。紺の機嫌を損ねるようなことはしたくないと考えていながら、ちょっと刺激されたらこうやってすぐにボロが出る。自分で自分が情けなくなる。
しかし、ルニアが伏せた目を上げて、恐る恐る確かめた紺の表情は直前とさほど変わっていなかった。
ただ、一言だった。
「死にたくないんじゃなかったんかよ」
「死にたくはないわよ。でも、それと同じくらい、私の大好きなこの国の人たちが、家族が、弄ばれているのを見たくない」
「だから、どっちからも逃げて、幸せだった頃の思い出に縋りながら、こんなトコでゆっくり朽ちていくことを選びますってか」
「・・・、そうよ」
「言っとくけど、ここだって一日中、全然ヤツらが来ないってワケじゃないんだぜ。アンタは不意打ちで現れる死体の足音に怯えながらでも、のんびり楽しい夢が見れるワケだ」
「それでも、正面から立ち向かうよりはずっとマシよ」
「ハッ。つまんねー。せっかく生き延びたのに単身わざわざ敵地のド真ん中まで突撃してきたオモシロ女だと思ったのに。まぁ所詮は温室育ちで勘違いしてただけのガキか」
「そうよ。それのなにが悪いのよ」
「お前なにしに生まれてきたんだ?」
「~~~ッ、知らないわよ!!な、なんなの、さっきから、いちいち・・・っ、ムカつくのよ貴方!?!?!?」
ルニアがせっかく酷いことを言ってしまったと反省して、冷静になろうと一生懸命頑張っているというのに、紺はそんなことも分からないのか。それとも、分かったうえで嫌がるルニアを見たいのか。どちらにしたって人らしい心がないんじゃないかと疑ってしまう。
でも、そんなものか。そんなものだろうとも。だって、不死身の男にルニアの抱く恐怖など理解出来ようはずもない。分からないものに気持ちを寄り添わせることも、出来やしない。ルニアが、出会う相手を間違えたのだ。分かち合えない相手と二人でいるより、きっと孤独に戻る方がマシに違いない。
「帰り道なら教えてあげる。見返りだって必要ないから、貴方だけで人間界に帰って。不死身なんでしょう?普通は一人じゃ無謀な旅になるでしょうけど、貴方だったら大丈夫よ。多分。帰れればOKでしょ?だから、あとはもう放っておいてちょうだい」
「そうはいかねぇよ。ンな複雑な道順なんかここでちょろっと聞いただけで憶えられるか。バカじゃねぇのか」
このまま平行線では埒が明かない。どうすればこの不貞腐れたお姫様は動くだろうか。食い物で釣れるくらい単純だったら良かったのに。
大体、ルニアばかりが好き放題言われているかのような被害者面をしているが、紺だって。―――そういえば、昔、岩破が女の口説き方についてあれこれ話していた。とりあえず同意しとけばあとは勝手に気を許してくれる、だったか。もっとも、あれも随分と酔っ払っていたときの話だから信憑性には欠けるが・・・相手が同じ経験、同じ気持ちを知っていると分かったときは確かに、男とか女とか関係なく嬉しいと感じるものだ。
特に、自分とは違う世界の住人だと思っていた相手がそうだったときには。
ルニアは怪訝な顔をした。
紺の口元に、うっすらと、でもいままでの薄ら笑いとは違って、温かい笑みがあったから。
「俺は、親父を殺したよ」
ヒッチハイクをしてる 僕を迎えに行こう。