episode9 sect24 ” The Trinity Second : 2016 ”
10月10日。
IAMO北京支部。
102番ダンジョン鉱山拠点防衛戦線、本部。
弱火で臓腑をジワジワと焦がすような緊張が長らく続いていた現場にも、ようやく、体制を立て直す余裕が戻ってきた。これでやっと先を見据えた作戦行動を考えるために時間が使える。
これはすべて、IAMOが保有するジョーカーの1枚を切った結果だ。長期に渡っていた皇国騎士団との膠着状態は、その一手でもって一足飛びに打開された。
魔法士たちは震撼した。その圧倒的な破壊力に。
ジョーカー、すなわち。
最強のオドノイド。
2016年10月現在、魔法士として正式に登録されている8人のオドノイドの中で唯一、完全にモンスター化しても自我を保つことの出来る存在。
噂だけなら以前からあったが、表舞台に姿を現したのは恐らく今回が初めてだ。ひょっとすると、その衝撃は人類史上初の核実験を目撃した瞬間にも等しかったかもしれない。
「・・・おいおい、なんの冗談だ?隕石でも降り注いだのか?」
人員交代で3週間ぶりに102番ダンジョンに戻ってきたダブラル・ハリスは、焦土と化した熱帯林を見て唖然とした。もう20年以上魔法士として活動し、幾度かは死を確信するほどの怪物と遭遇したこともあるハリスでも、これほど大袈裟に地形を変えてしまうような暴力は経験がない。しかも、これをたったの一晩でやったと言うのだから信じ難い話だ。もっとも、厳密にはより信じ難いことに、一晩どころか10分もかからない間の出来事だったのだが、ここまでくると些細な差異かもしれない。
困惑するハリスに追い打ちを掛けるように、同期かつ同じランク6でもあるアルヴィン・イーサンが、偵察部隊がドローンで空撮した映像を見せてきた。
「1発かますたびにあのデケぇ砦木が消し飛んでクレーターになっちまうんだ。本当に隕石でも降り注いだようなもんさ。味方の仕業だとしてもブルっちまうようなぁ」
ギリシャ神話には、『ヒュドラ』という怪物の記述がある。際限なく再生する不死性や斃れてなお英雄を殺す猛毒の伝説を持つ、9つの首を持つ巨大な水蛇の怪物だ。時代によっては翼や脚を持つ姿で描かれることもあり、ある種の”ドラゴン”のような存在でもあったのだろう。
そいつは、さながら絵に描いた『ヒュドラ』の如き威容を誇っていた。大きさだけで言えば、砦木を見下ろすほどの全高があるので伝説を凌駕する巨躯かもしれない。9つの首に、3対の翼。翼には翼膜がなく、まるで4本指の巨大な手のようにも見える。
その真っ黒な巨大怪獣がブレスを吐いて、光ったと思えば爆風でドローンが制御不能になって映像が回った。そこからなんとか姿勢を立て直して周囲を確認すると、遠くで火柱が上がっていて、辺りは更地になっていた。『ヒュドラ』のブレスは、恐らく『黒閃』だ。だが、普通は『黒閃』が放たれてもこうはならない。あれはあくまで高エネルギーの黒色魔力の塊が射線上の物理的障害を削り取りながら直進する現象であり、熱を伴う攻撃ではないからだ。それにも関わらず、着弾点でこれほどの大爆発が起きた理由があるとすれば。
「一瞬で超広範囲の大気が消滅し、真空に急激に空気が流入した結果かえって大気が圧縮・解放された、とかかね」
「さあな。俺は知らん。そういうのは専門家先生にでも聞いてくれ。少なくともコイツはもう、俺たちの知識で測るだけ無意味な次世代兵器だと思った方が良い」
「次世代、ね。いろいろとピッタリな表現だと思うぜ。環境に優しくない点にさえ目を瞑れば、だがな」
ハリスもアルヴィンも、北京支部で一度だけすれ違った灰髪の少年の姿を思い出していた。アレがコレなら上がったりだ。ビスディア民主連合での一件以来、彼らのような現場に立ち続けるベテランでさえも、オドノイドの有用性を認め始めていた。
「―――ところで、ハリス?人間界じゃなんか面白いニュースなかったか?」
「そんな漠然としたこと訊かれてもなァ」
アルヴィンの無茶振りにハリスは辟易するが、高ランクで現場指揮の一翼を担うアルヴィンは102番ダンジョンに籠もって既に半月だ。今日このあと、ようやく人間界に戻るのだが、残念なことに仕事はゆっくりブランクを取り戻す猶予は与えてくれない。無論、ちゃんと働きに応じた休日は与えられるが、この歳になれば休むので精一杯で、半月分の新聞に目を通す余裕はないのだ。特に、こんな非日常の後ともなれば。
その苦労を理解出来るハリスは、友人が世の中に追い付くうえでとりあえず優先的にチェックしておくべきニュースをピックアップしてやった。
「それと・・・ああ、そうだ。面白いニュースと言えば、上海で少年探偵団が定着型外来生物を捕獲したらしいぞ。その後も次々と怪事件・珍事件を解決してるとか」
「少年探偵団?そいつは確かにスゴいが仕事には大して関係ないだろ」
「あ~?面白い話しろって言うから教えてやったのにそれはねーだろう、仕事人間め。じゃあコレならどうだ?遂に『ブレインイーター』の正体が分かったぜ」
「そう!ちょうどそれが一番気になってたんだ。班の若いのがそっちに駆り出されててよ」
「正体つって、外見が判明しただけなんだがな―――」
今度は、ハリスがスマホで写真を見せた。これも日本の学生が撮影した写真だという。さっきの少年探偵団然り、最近の子供たちはスゴいものだ。・・・と、アルヴィンは感心したが、この黒くて歪な人型モンスターの写真を撮ったのは一央市ギルドで活動する『Deep in Salt』というパーティだと、ハリスにネタバレされた。『Deep in Salt』、通称『DiS』。パーティ名自体はまだそれほど有名ではないが、所属するメンバーは有名だ。いや、有名になっている。
「なるほど、またオドノイドか。これも実は”上”のイメージ戦略でしたってオチじゃないだろうな」
「死人を出すイメージ戦略なんてあってたまるかよ。こうもオドノイドの露出が積極的だと疑っちまう気持ちも分かるがな。・・・ひょっとしたら、まさかの『ブレインイーター』の正体までオドノイドだったりしてな!」
ほとんど根拠のない冗談推理で大笑いするオッサン2人。だが、世の中案外デタラメなもので、ハリスの妄言は現実を言い当ててしまったのであった。まさか、約1ヶ月後に『ブレインイーター』の中身が自分たちの組織に新たな仲間としてやって来るとは思うまい。
もっとも、ハリスとアルヴィンが、1ヶ月後にこの他愛ない会話の意外な結末について大笑いすることはなかったのだが。
●
「あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"ッ"、あ"づぃ"ぃ"ぃ"ぃ"ぃ"!?!?!?」
「だずげで・・・ッ」
「いやぁぁぁッ!?!?!?ぱ、パパ、パパぁ・・・」
「あ、足・・・?う、ああ足ぁぁぁぁぁ!?」
嗚呼、地獄、阿鼻叫喚。
色とりどりに燃え上がる部下たちの悲鳴はいよいよこの世のものとは思えぬ絶叫へと変わっていく。
見上げた夜空に、浮かぶは燃え立つ灰の凶星。
「アイナカティナ・ハーボルド・・・?か、かかかてるわけない・・・こんなの・・・なんでよりによってこんなやつがでてくるんだよぉ」
『んっはは!!分っかんでしょ~?』
ハリスの脳裏に家族の笑顔が浮かぶ。
思い出は脳とともに消えてなくなる。
『やられたら倍返しだよん』
○
ここは戦場だった。
砲火、咆哮。暴力によって開拓された荒野。
軍隊と軍隊が衝突する戦場だった。
ほんの半刻前までは。
いまはもう違う。
皇国七十二帝騎第二十三座、アイナカティナ・ハーボルドの出現により、一瞬で戦場は彼女ただ一人が闊歩する狩場へと変容した。生きる糧を得るための狩猟ではなく、火遊びの場としての狩場だ。
だが、彼女を呼び寄せたのは他ならぬ人間たちの判断である。
『ヒュドラ』蒸発以降、攻勢に転じていたIAMOの前線部隊を1時間たらずで壊滅させたアイナカティナは、自ら取り戻した領域にふわりと降り立った。赤熱するかのようなオレンジのインナーカラーを入れた灰色の髪を弄りながら、冷めた眼差しで地平を見渡した。
一面の焦土は、しかし、アイナカティナ・ハーボルドを象徴する特異魔術『原初の智慧を悦ぶ者』が生み出す黒炎によるものではない。このダンジョンは、アイナカティナが壊す前から壊されきっていた。事前情報でわかっていたこととはいえ、いざ荒野の中心にたってみると事の重大さを実感する。
しかし、妙な感じだ。果たしてこれは天災か?
まだ確証はない。
だが、アイナカティナが召喚された最大の理由たる『ヒュドラ』は、彼女の到着を待たずして忽然と姿を消し、時を同じくしてIAMOが前線を押し進めた。単なる偶然と読み合いの結果だという可能性が依然として高いが、どうにも違和感がある。
この状況、ひょっとしてIAMOはチキンレースで負けたのではなかろうか。
「であれば、相互確証破壊はもはや機能しないワケだ、ウケる。これは楽しくなってきたぞ~う」
地図の天敵が浮かべる凶暴な笑みには、彼女の背後に控える皇国騎士たちでさえもが恐怖した。
チマチマお行儀正しい戦争はここらで終わり。
ここからは怪獣大戦争と洒落込もう。
「てゆーかぁ、じゃなきゃ3日で鏖だぞ☆」