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LINKED HORIZON ~異世界とか外国より身近なんですが~  作者: タイロン
第三章 episode9 『詰草小奏鳴曲』
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episode9 sect23 ”旅の終わり”

 誰にもバレていないつもりで自信満々に城を出入りしていた前提が瓦解し、あまりの恥ずかしさで灰と化して立ち尽くすルニアに、ケルトスは若干申し訳なさそうにしつつ別の話題へ切り替えた。


 「ところでルニア様、うしろの方はどなたですかな?見たところサキュバス族の方のようですが」


 「うぅ・・・。この人は私の護衛してくれてる騎士様よ。元、だけど」


 「どうも初めまして。元、お姫様の護衛をさせて頂いております、プリンス・パリピィと申します」


 エルケーは別にいまさらリリトゥバス王国騎士団に所属していたことに誇りなど持っていないのだが、人に”元”を付けて紹介されるとちょっとムカつくのはなんでだろう。不思議だ。騎士であったことを証明するように、翼を畳んで軽く腰を落とし両手を体の正面に組む、リリトゥバス王国式の丁寧な挨拶をしてみせる。「あれ?そんな敬礼、私にしたことあったっけ?」というルニアの不服そうな眼差しが、頭を下げるエルケーの脳天に突き刺さる。


 「なるほど、これはご丁寧に。私は、元、民連首相のケルトス・ネイと申します。どうやら気の置けない仲のようですな。もしや人間界(向こう)でお知り合いになったのですかな?IAMOがルニア様お一人で魔界へ戻ることを許すとも思えませんし」


 「えぇ、まぁそのようなところです」


 「なににせよ、良かった」


 全員が肩書きに”元”のつく挨拶が終わったところで、ケルトスはルニアに道を空けるようにして、廊下の端に寄った。


 「さあ、上に参りましょうルニア様。あの日の戦いで損傷したお城の修繕工事はまだまだ途中ですが、ルニア様のお部屋や、みなさまの過ごされた居間は幸い、以前のままにございますよ。護衛のあなたも、どうぞご一緒に」


 ケルトスに促され、ルニアとエルケーは階段を上がって王族たちの空間へと立ち入った。

 階下よりいっそう華やかで厳かな廊下に出る。突き当たりに見える扉は、玉座の間だ。立ち入る者を見定めるような空気は、戦火に傷付けられようとも決して失われていないようだ。エルケーが自国の王に謁見した際に感じた雰囲気に勝るとも劣らない気品―――いや、力を削がれたいまのビスディア技術特区においてさえこうも高貴ならば、きっと本来はこれ以上に気高くあったのだろう。


 「”手ぶらの強国”―――か」


 「夢の跡だけどね」


 ついつい見入ってしまうが、彼らが向かうのは玉座の間ではない。さらに上の階へ。そこは、王家のありのままの息遣いが残る、本当のニルニーヤ城というべき場所だ。さきほどまで感じた威厳は一転して鳴りを潜め、気品を損ねない程度に質素かつ、懐かしいほどに穏やかな、人の住まう空間と呼ぶに相応しいところだった。

 ルニアは、自分で夢の跡などと形容してしまったせいだろうか、夢でも見ているような気分になった。民連領に上陸したとき、ノヴィス・パラデーの遠景を臨んだとき、ニルニーヤ城を見上げたとき、何度も何度も胸に熱いものが込み上げてきたものだ。しかし、きっといまこの瞬間以上はない。


 そう思った。


 でも、そうではなかった。


 「ルニア・・・?」


 目を見開く。


 熱。

 締め付けるように沸した感情が鼻腔と眼窩をしっとりと灼いて、こめかみからキュウっと抜けていく。

 

 目を細める。


 その声、この匂い、あの顔。

 孤独が解ける。

 こころが融ける。


 口がその名を呼ぶ形を作っても、息の仕方も忘れて声にならなくて、それでも、なにか伝えたくて喉から上擦った歓喜が鳴った。


 「ああ・・・っ!!」


 ザニア兄様。

 ザニア兄様。

 ザニア兄様だ。


 なんにも言葉が出てこない。元々からして口より先に手が出てしまうような子供だから、こんな風にしか、この想いを表現出来ないけれど。

 ルニアは走ってザニアに抱き付いた。あまりの勢いにか、ザニアは力なく押し倒された。ルニアは兄の胸に遠慮なく、グズグズの顔を押し埋めてひたすら声を上げて泣いた。


          ○


 さて、どれくらいそうしていただろうか。1分だったかもしれないし、1時間だったかもしれない。なにとも言えない、あれこれ全てを、言葉もなしに出し切った気がした。


 「ルニア」


 「ただいま、ザニア兄様」


 「ああ。おかえり、ルニア」


 ゆっくりと立ち上がる。


 「ごめんねザニア兄様、痛くなかった?」


 「少し、尻が・・・」


 苦笑するザニアの顔色も、ケルトス同様あまり優れない。


 「・・・大丈夫?」


 「心配ないよ、どこか悪いわけじゃない。戦後のあれこれで忙しいだけさ」


 先ほどテレビ中継で見たところから推察するに、原則として国政不干渉の王族だったザニアもいまは矢面に立ってビスディア技術特区を回す役割をこなしている。繊細だったザニアにとってはさぞ疲れる仕事だろうが、エンデニアの死を受け王座を継ぐ決意をしたあの日から、彼の国を守る覚悟は揺らいでいないように見受けられた。

 ザニアは肩をすくめて微笑むと、それからルニアのうしろを見やった。


 「君は?」


 「お初にお目にかかります、ザニア様。私はルニア様の護衛を仰せつかりました、プリンス・パリピィと申します」


 「そうか・・・妹が世話になったね。ありがとう。―――廊下で話すのもなんだし、部屋に入ると良い。お茶でもしながらゆっくり話そう」


 ザニアに誘われて向かう先は―――居間か。ゆっくりするならそうだろう。廊下を歩く間に、ザニアは珍しく少年に戻ったようにイタズラな表情で、隣を歩くルニアに耳打ちした。


 「きっとルニアはビックリするよ」


 「・・・?」


 たぶん、ザニアの発言の真意を理解しているからニコニコしているのだろう、ケルトスの方を見てもヒントは出てこない。今日のケルトスはちょっとイジワルだ。

 居間と言っても王族のスケールだ。いろいろな宿を点々として、しばらくぶりに帰ってみると、ふとこんなに扉が大きかったものかと思ってしまう。もちろん、なんら深い意味も怪しい伏線もなく、現実には約2ヶ月間、体感的にはそれ以上もの期間を経て生じた、ジャメヴみたいな感覚である。かつてルニアが気軽に通っていた扉は、確かにこれほど立派だった。

 ケルトスは部屋の直前で一行を追い越し扉の前に立つと、軽くノックをしてから、静かに大きな扉を開いた。ザニアは、ルニアの肩にそっと手を回す。


 「さぁ、入ろう」


 そう言うザニアの表情は依然として子供っぽく、ルニアはちょっと怪訝になって扉の向こう側に目を凝らしながら一歩を踏み出した。壁と開いた部屋の入り口を区切る蝶番の境界線が、その一歩分うしろへ流れた瞬間から―――窓から外を眺められるように設けられたソファの背もたれの上にわずかにはみ出す後ろ姿が見えた瞬間から、刻はその流れを急激に鈍化させ、ルニアの主観は静止と静寂に包まれた。

 敷居をまたぐ。幻は消えなかった。ここに夢と現実を隔てる結界は存在しなかった。もう一歩、近付く。その輪郭はより確からしくルニアの心象風景と合致していく。



 ありえない。



 でも、これは現実だ。

 嗚呼・・・驚いた。本当にビックリした。


 扉が閉じる音で、ルニアの時間は元の流れを思い出した。


 部屋にやって来た者たちを迎えるように、ソファから立ち上がった()()と目が合った。

 ずっと会いたかった母、ナーサと。



 「・・・・・・どうして・・・・・・・・・?」



 もう二度と言葉を交わすことも、顔を見ることさえもない父、エンデニアがいた。



 「よく帰ってきた―――ルニア」


 「・・・父様、なの・・・?」


 声すらも、違いない。相好を崩す、その様さえ。


 「ああ。久し振りだな、ルニア。待っていた。ずっと、ずっと、私も、ナーサも、ザニアも、ずっとお前の帰りを待っていたんだ―――」



 いいや、でもやっぱりありえない。エンデニアは確かに死んだはずだ。思い出したくもないが、嫌でも思い出す。気が触れたって忘れようもない。間違いなく、エンデニア・ノル・ニーア・ニルニーヤはジャルダ・バオースの手で殺されたのだ。《飛空戦艦》の艦首に立ち、凶人が高々と掲げた、縦に裂けて脳をこぼす父の生首を。


 ・・・実は、あれはジャルダが用意した精巧なフェイクだった・・・・・・とか?


 いいや、あの悪辣の権化みたいなジジイがそんなみみっちい真似をするだろうか?


 だけど、そう、例えば、だけれど。

 皇国はあの日、本当はエンデニアを打ち損ねていたとしたら、どうだろう?

 エンデニアは武人としても優れていた。いかなジャルダ・バオース侯とて、老いてなおエンデニアを凌駕するとは限らない。

 そうだとしたら、獣人たちの心を折るためにやむなく、そのみみっちい手段を選んだかもしれない。


 それは・・・ある。


 じゃあ、いま目の前でニコニコしているエンデニアは、やっぱり・・・。


 「父様―――生きて、いたのね―――」


 「はっはっは。そんなわけがないだろう」








 はっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっは

 うふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ

 ほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほ

 はっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっは

 うふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ

 ほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほ

 はっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっは

 うふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ

 ほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほ

 はっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっは

 うふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ

 ほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほ

 はっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっは

 うふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ

 ほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほ

 はっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっは

 うふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ

 ほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほ

 はっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっは

 うふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ

 ほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほ

 はっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっは

 うふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ

 ほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほ

 はっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっは

 うふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ

 ほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほ

 はっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっは

 うふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ

 ほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほ

 はっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっは

 うふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ

 ほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほ

 はっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっは

 うふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ

 ほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほ

 はっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっは

 うふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ

 ほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほ

 はっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっは

 うふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ

 ほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほ

 はっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっは

 うふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ

 ほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほ

 





 楽しそうに。さぞ可笑しそうに。みんな一斉に笑い出した。


 みち、ぷち。


 肩を弾ませ大笑いするエンデニアの首からおかしな音がし始めた。



 「・・・っ、ダメだ・・・!!逃げるぞルニア様ッッッ!!」



 いま、いまさら、エルケーの中にあった不安が確信に変わった。

 街中に満ちていた、得体の知れない嘘の臭いの正体―――!!


 もう遅い。


 感動の再会からわずか1秒後の絶望。



 ブチッと。



 ついに転がり落ちたエンデニアの首を、残された体がキャッチした。

 上下逆様に抱えられた、まさに笑い転げる生首が、生き生きと喋り続けた。



 「もう死んでいるさ」



 崩れ落ちるルニアを見上げながら、ニヤニヤと。


 ルニアを犯す恐怖は終わらない。


 ザニアが。

 ナーサが。

 ケルトスが。


 『私も、皆も、誰もかも』


          ●


 そう、()()()()()は、なかなか愉しい。


 寝かされた病室のベッドの上で、ルシフェル・ウェネジアは口を引き裂き嗤って、エンデニアの言葉を呟く。


 「独りは寂しいだろう?さぁ、こっとへ来い、ルニア。私たちは家族じゃないか、ずっと一緒だ!」


          ●


 エルケーは叫んだが、もはやルニアには聞こえちゃあいない。完全に心神喪失状態だ。意識すらあるか―――!!


 身動き出来ないルニアに、エンデニアの死体が近付く。エンデニアだけじゃない。ザニアも、ナーサも。


 どんな悪夢だこれは。醒めてしまえ。

 

 なにがなんだか分からないが、恐らくこの場においてルニアとエルケー以外の全員が死体だ。見たことも聞いたこともないが、恐らく、何者かの魔術によって自分たちはまんまと罠に嵌められたのだ。


 (クソが・・・ッ!!もういい知るか!!いまはとにかくルニアを守れ!!)


 腰に差した剣に手をかけるエルケー。しかし、それを抜き放つより先にケルトスに取り押さえられた。


 「なんだコイツ!?さっきまで見えるとこにいただろうが・・・ッ!?」


 死体だから、だろうか。全く気配を察知出来なかった。しかも、なんだこの異常な膂力は。死体故に肉体のリミッターが外れているのか?あるいは術者がなんらかの細工をしたのか?・・・・・・いや、これって別にそういうのではなく、ケルトスがあまりにも太り過ぎなだけでは?

 なんにしても、これでは剣を抜くことはおろか、腕の拘束を解くことすらままならない。だが、ここまで来てルニアをみすみす見殺しに―――それも、実の親兄弟の死体に手にかけさせることだけは絶対にしたくない!!


 「ぐぅッ、邪魔だクソデブが!!『レメゲトン』!!」


 エルケーの頭上に、機械的に蠢く黒い輪が現出し、その眼は墨に染まる。

 変化と同時に、エルケーの左腕の義手前腕部の鋼板が格納され、開口部から鉄粉のようなものが噴出した。


 その鉄板の正体は、かつて、エルケーがリリトゥバス王国騎士として振るっていた騎士剣の残骸―――刃粉だ。Ⅶ隊の女隊長との戦闘で文字通り粉になるまで砕け散り、剣とは呼べぬ代物であるが、それでもエルケーにとっては大切にしていた己の剣である。故に、『レメゲトン』によるブーストを要するものの、エルケーは剣を遠隔操作する特異魔術(インジェナム)の拡大的解釈をもって、この刃粉をも自在に操ることを可能とする。


 刃粉が鋭く飛び、ケルトスの右腕を削り、切断する。

 拘束が緩むと同時にエルケーはケルトスを蹴って押し退け、そのまま抜剣。

 刃粉で贅肉を削ぎ、剣で切り刻み、ケルトスの死体を行動不可能になるまで徹底的に、バラバラに、破壊した。

 死体を操る術が、なにをどこまで出来るのか分からない以上、物理的に脅威になり得ない状態まで念入りに破壊するほか対策が思い付かない。

 これでルニアに後で恨み言を言われたって構わない。


 「次!!」


          ○


 2人っきりの長旅だった。

 旅の途中、お互いの家族についてルニアと話をしたことがあった。

 そんな他愛ない話をする機会はいくらでもあった。


 それで、そう。これは確か、ブザからフェネルスに向かう、砂漠の道でした話だったと思う。まだ遭難するだなんて思わないで意気揚々と熱砂の大地を歩いていた頃の話だ。きっかけは、旧友と別れたばかりで少々センチメンタリズムになったエルケーが、ひとりでに故郷の思い出を語り始めたことだったはずだ。

 ・・・いま思うと、なんで子供の頃の思い出なんて話したのだろうか。親のことなんて話して、マザコンとか思われていたら心外だし、恥ずかしい。あのときは相当弱っていたな。

 それで、返礼とばかりに、ルニアも自分の家族について、エルケーにたくさん話してくれた。

 母との心温まる話、兄とのちょっと大変だった話、優秀な姉の自慢話、とにかくいろいろ、話し疲れるまで聞かせてくれた。


 そんな中で、ルニアはエンデニアについて、こんな風にも評していた。


 「そうそう。それと父様は、剣術の達人だったわ。私も剣術では勝ったことないし、きっと皇国七十二帝騎にだって引けを取らないわ!」


          ○


 用意の良い死体たちは、ソファの陰に剣を隠していた。

 剣を抜かれる前にと斬りかかるエルケーを、エンデニアは首を片手に抱えたまま易々といなし、投げ、離し、その隙でナーサが投げた剣を掴み取る。


 「所詮ッ、死体ッ、だろォが!!」


 青く薄明の部屋に火花が散った。

 渾身の一撃、だが、たかが片手の剣に流される。

 刃粉の牽制、即、立て直す。

 咆哮するエルケー。

 エンデニアは自らの首を放り捨てて剣を構える。

 肌で感じる。

 一手誤れば死ぬ。

 エルケーとは年季が比べものにならない剣気。

 

 だが、猛然。

 エルケーは迷わず剣を振るう。


 「ルニアさまぁぁぁぁ!!逃げろォォォォォ!!!!!!」


 次はないと言わんばかりの、エルケーの喉を潰すような怒号に、ルニアは弾かれたように立ち上がる。ドアの方を振り返り、両手の指では足りない破片と化したケルトスの死体に短く、悲鳴を上げる。


 「どこへ行く、ルニア。ここはお前の、私たちの家なのに」


 床に転がるエンデニアの生首が平然と語りかけてくる。エンデニアにかかりきりのエルケーの脇を、ナーサとザニアがすり抜けルニアの両手を掴み取る。


 「いやっ」


 腕を掴む手の、気色悪い冷感。

 ルニアは2人の手を乱暴に振り払い、二足歩行の(すべ)さえ忘れたように床を転がって、跳びずさって、這々の体でドアに縋り付く。

 だが、赤子のように情けない呻きを上げて手繰るルニアは、その指先さえドアノブにかけられないでいた。もはや目の前の物体に思い通り触れられないほどに、彼女は動転していた。一心不乱に藻掻いて、二つの目の焦点は乱れ、三半規管は生々しい鈍さで渦を巻いていた。

 滅多矢鱈に手を振り回して出口を求めるルニアに、母と兄が執拗に手を伸ばす。今度は両足を掴まれた。掴んで、持ち上げて、ドアから引き剥がそうとする。


 「ずっと一緒」

 「一緒だ」

 「一緒よ」

 「一緒に」

 「一緒」

 「一緒さ」


 「あぁああ、あぅぁぁああ!?」


 ようやくドアノブに指が引っ掛かったが、体を引き摺られるルニアにはノブを回せても押し開くことは叶わない。


 しかし、ドアは開かれた。


 ルニアは足を這い上がってくる虫でも払うようにビクンと虚空を蹴ってザニアの腕を振りほどいて、廊下へ転がり出ると、狂乱のまま前のめりに駆け出した。


          ○


 開かれた扉には、ナーサの死体が、剣で後頭部から貫かれて、刺し留められている。

 誰の剣であるかなど言うまでもない。


 「国を裏切った騎士にしては素晴らしい忠誠心だな、()()()()()()()()


 「馬鹿が。そんなんじゃねェよ」


 扱い方を覚えたいまなら刃粉でも人は殺せるが、メインウェポンにはなり得ない。たった1本きりの剣を投げ放ったエルケーは、エンデニアの間合いで無手同然であった。


 剣は至って冷たく振るわれた。

 血が飛沫く。


 それでも。


 エルケーは満足そうに笑っていた。




          ○


 episode9 sect23 ” A Dead Land Ever Dreamed ”


          ○




 『おかえりなさいませ、ルニア様!!!!!!』


 地を震わすほどの歓声。そして、驟雨の如く沸き立つ拍手。

 階段を駆け下りると、夥しい数の使用人たちが整列して待っていた。

 ルニアの尻尾がボサボサに逆立ち、硬直する。

 全員ニコニコ笑顔の獣人たち。揃って蒼白な顔色。

 つられてルニアの血の気も引いていく。

 卒倒寸前の低血圧。

 足の力が抜け、ふらりと一歩退く。

 彼らは一歩、階段を上がってくる。

 王族の空間へ続く階段を、不躾に。


 「やだ・・・やぁ・・・こ、ないで・・・こないでぇ・・・」


 一体なにをすればこれほどの仕打ちを受けるというのか。無意味な嘆きだ。“なにも”。そうとしか返す言葉はない。強いて言えば、ルニアは甘えていたのだ。ビスディア民主連合がまだ存在しているという幻想に。そんな国は、とうに滅亡したというのに。

 糊の利いたスーツに身を包んだ使用人たちが。ふんわり綺麗なメイド服を纏った侍女たちが。亡骸たちが階段を駆け上がってくる。


 「来ないでぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」


 階段の中腹で、後ずさりしたルニアは躓いて尻餅をついた。

 寝返りを打って、まさしく獣のように四足で、いま下りてきたばかりの階段を這い上がる。

 

 既に流す血もない死体たちには傷を負うことへの恐怖など存在しないのだろうか。逃げ出すルニアに呼応するように彼らは足を速め、転倒した者に構わず、躊躇なく踏みつけ、踏み越え、我先にとルニアへ無造作に飛び掛かる。群がる。怒濤の勢いで殺到する。

 屍肉の濁流は歓声を轟かせてルニアの体を呑み込んだ。泥より粘着質に手足に絡みつく無数の冷たい指。彼らの生前のままに切り整えられた爪がルニアの肌を優しく傷付ける。

 影の大波に覆われ被され押し潰される。

 死体の山の中心に埋もれ、光も閉ざされる。

 山の重みはなおも増し続けている。

 このままどんどん動けなくなって、ゆっくり、ゆっくり、地面の奥底で高圧に晒される岩石のようにドロドロと、ルニアもこの山の一部に同化するのだろうか。

 むせ返るほどの死の香り。屍臭とは違う。むしろ彼らの体からはなんの異臭も漂ってこない。ほんのりと、石鹸や柔軟剤の匂いがするほどだ。底に淀んで溜まって汗に溶け込んで、ルニアの体に臭い移りする、言い表せようもなく気持ち悪い死の香り。


 だが、死など。


 こんな無謀な旅を考えたときから。


 そうだ、死出の旅だったのだ。


 無様な最期を迎えることになろうとも。




 (いやだ)




 覚悟は、脆く崩れた。


 私が新たな王になる―――。テレビでザニアの顔を見た時点で、とっくに、ルニアが誰にも教えず胸の奥に秘めていた悲壮な決意は消えてしまっていたのだから。


 もはや、いまのルニアはただのひとりぼっちの女の子に戻った。いいや、いままさに”ニルニーヤ”の名は意味を失って、夢想する余地なくひとりぼっちにされた。


 そしたら急に、死ぬのがとっても怖くなった。

 勇敢な姫君の心はポッキリ折れた。


 だが、それは返せば生への執着だ。

 命を惜しむ生者に再び力が宿る。


 死体の土中でわずかに腕を伸ばす。

 爪を立てて、歯を食い縛り、階段のたった一段を這い上がる。

 しかし、それもまた確実な一歩だ。


 「死"に"た"く"な"い"!!」


 ルニアの爪が黒く伸びる。魔力によって形成された、『黒閃』に相当する破壊力を秘めた爪だ。

 しかし、いまの彼女の乱れた精神状態では、刃より鋭かった、本来の力までは発揮されない。画面に走るノイズのように、爪の形状は危うく揺らいでいる。

 爪から弾けて遊離した魔力の残滓がルニア自身の肉を穿つ。そんな諸刃の剣を両手の五指に生み出したルニアは、うずたかく積み上がった死屍累々の山を膂力のみで押し上げ、膝を立てた。爪が雑に肉を断つ甲高い音と焼けるような音が入り交じる。


 まとわりつく邪魔な死体を、押し退け、押し退け、押し退けて、掻き分け、掻き分け、掻き分けた。


 噴火の如く、力強く、ルニアは死体の山を内側から突き破った。


 「死にたくないよっ」


 生者が死を恐れ逃げ惑うことに理由があるだろうか。大義も野望も所詮は己や他者の獲得した高慢な知性に対する言い訳に過ぎない。純粋な恐怖に駆り立てられたルニアの脳内には、口から溢れ出すその一言しかなかった。

 それ故に、ルニアは躊躇無く爪を振るった。狂乱の渦中にあって、彼女の目には斬り裂かれ砕け散る者たちの顔は映っても映らなかった。

 だが、ルニアがどんなに喉を掻き鳴らして死体を蹴散らそうとも、悪意の濁流は止まらない。それどころか、その勢いは増してさえいた。青ざめた使用人たちは、パニック映画のゾンビのように銃弾一発では止まったりはしなかった。腰から二つに引き裂いても、体を縦に割っても、まるで分裂したアメーバのように分かたれた肉体が別々に動いてルニアを襲い続けたからだ。


 非情。


 その一言に尽きた。


 すなわち。


 「ぅあ"ッ!?」


 急に力が抜ける。上階への踊り場に倒れ込む。

 なんだ?痛い?


 「いっ・・・」


 ルニアの左のふくらはぎに、黒いナイフが突き刺さっていた。

 震える両目で背後を見る。


 上半身だけの侍女が、真っ直ぐルニアを見据えて手をかざしていた。


 意思なき死体が魔術を行使した。


 まるで自分を殺した相手を逃がすまいとするかのようであった。

 魔力で形成されたナイフが消失し、傷口が血を噴いた。

 足を押さえて悶えるルニアを見て味を占めたように、さらに何体もの死体たちが続々と、次々と、掌を向け始める。

 ルニアに迫る同じ死体の仲間さえも巻き添えにして、ナイフの嵐が放たれた。

 訳も分からないまま、ルニアは咄嗟に両腕で頭を守った。その行為に意味があったとするなら、その場を動かず、縮こまったことでナイフを受ける投影面積が小さくなって、たまたま覆い被さってきた死体の陰に隠れられたことくらいだったろう。もっとも、その肉の盾も瞬く間に挽肉にされてほとんど意味を為さなかったが。

 

 腕。脚。肩。脇腹。

 痛い。痛い。

 失神したくない本能が喉を震わせる。

 肉を打ち、断ち切る音はまるで哄笑のよう。

 悲鳴で逃れることを許さず勢いを増す嗤笑のよう。

 嵐が去っても音が消えない。

 顔を守っていた手が耳へ回る。

 傷付き力の入らぬ両手で耳を塞ぎ、芋虫のように床を這って逃げる。

 それでも消えない。止むことのない彼らの歓声は、床を伝い、ルニアの骨肉を震わせ脳の中へ捻じ込まれ続ける。


 『おかえりなさいませ、ルニアさま!!』

 「あ"あ"あ"、あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"っ」

 

 聞きたくない、とか、うるさい、とか、もうやめて、とか。いまさら、もう、特になにも考えなかった。


 傷だらけの手足を遠慮なく掴んでくる死体たちを、ルニアは力の限りぶん投げた。

 広い踊り場を美しく飾っていたステンドグラスが、死体が当たってひび割れる。


 束の間の自由、ルニアは血を噴く四肢で転がるように走り出す。

 

 どこへ?知らない。考える頭などないと言った。


 そしてガラスは砕け散る。目の前に吊られた一時の希望に相応しく、儚く、美しく。



 ルニアの眼前には、地上100mの、目の醒めるような絶景が広がっていた。

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PROLOGUE 『あの日、あの時、あの場所で』

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『魔法少女☆スノー・プリンセス』

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