episode9 sect22 ” Also the Sterile Territory of Vassality ”
ルニア・ノル・ニーア・ニルニーヤとエルケー・ムゥバンの2人は、人ひとりが中腰になってようやく歩けるような細い穴の中を進んでいた。岩をくり抜いただけで灯りのひとつも置いていない真っ暗なこの通路は、ルニアが長らくニルニーヤ城をコッソリ出入りするために使っていた秘密の通路だ。恐らくはかつてニルニーヤ王家が有事の際に脱出するための隠し通路かなにかだったのだろうが、果たして国王だったエンデニア・ノル・ニーア・ニルニーヤさえこんな場所が城の地下に眠っていることを知っていたかも怪しい。
「・・・ねぇエルケー。別にここから忍び込まなくたって、正面からフツーに入れたと思うのよね」
「まだ言いますか」
「だってザニア兄様が無事だったのよ?ここはまだ”ニルニーヤ城”のままだわ」
皇国の支配下に置かれたビスディア技術特区のなかにおいて、唯一侵されない”聖域”のような意味を持たせて、ルニアは自らの居城の名を呼んだ。
立ち寄ったファストフード店のテレビで演台に立つザニアの姿を見たルニアは、旅を始めたばかりの頃からは見違えるほど生き生きとしている。希望に満ち満ちている。それは喜ばしいことだ。エルケーも、ルニアが嬉しそうにしていると、素直に嬉しく思う。ただ、その分、ルニアの緊張は少し緩んでしまっていた。
ザニアが無事だったからと言って、ルニアの城への出入りが自由なままだとは言い切れない。ここに王子である―――エンデニアがもういないということは恐らく次期国王となるはずだったザニアが住まい続けていることと、ここもまた皇国の支配下にあることとは矛盾しないからだ。奴らの領土に内的自決が芽生えたためしはない。
門番に顔を見られて面倒が起こっては敵わない。ここまでの苦労を考えてみろ、という話だ。
「家族に会いたい気持ちは察しますが、最優先は民連軍の機密情報の完全消去ですからね。ついでに物陰からコッソリ顔を見るくらいのつもりで行動してくださいよ?」
「ぶーぶー」
ルニアは猫のくせに豚みたいな声で抗議した。しかし、エルケーだってルニアを守るために必死なのだ。厳しくするのも仕方ない。
「分かってるわよ。―――急に現れてビックリさせる方が面白そうだものね!」
「違いますけど!?」
それにしても、この抜け道は思いの外長い。そのうえ、時折分かれ道まである。ここが王族専用の脱出路だとするなら、追っ手や、逆に出口側から侵入してくる賊を迷わせるためのものだろう。ハズレの道の先には恐ろしいトラップがあってもおかしくない。
「ルーニャさんはよくこんな暗いとこスイスイ歩けますね。道順本当に合ってるんですか?」
「大丈夫に決まってるでしょ。私がどれだけここを往復してきたと思ってるのよ?それに、私にはちゃんと道が見えてるから安心してちょうだい」
「そっか、猫ですもんね。夜目も利くのか」
自分も猫人だったなら、中腰で前を歩くルニアのおしりとか、服の裾からチラ見えする腰をじっくり観察することが出来たのだろうか・・・などとエルケーはしょうもない妄想をした。
ルニアは迷いなく通路を進み、エルケーはルニアを見失わないようついて歩く。10分ほど洞窟を進み続けると、点々と外の光が見えてきた。近付くと分かるが、レンガの壁の隙間から光が差し込んでいたようだ。
「地下から城内へ上がる螺旋階段に出るのよ」
耳をそばだてて人の気配がないことを確認したルニアは、光の漏れるレンガの壁を押した。すると、壁はザリリと重く砂を引き摺る音を立てて、いくつかのレンガの塊のまま抜けて外れた。再度、目視で誰にも見られていないことを確かめ、ルニアは穴から飛び降りた。どうやら、この抜け穴は入り口を隠しているだけではなく、入り口が階段を歩く人の視線よりも高い位置に造られているようだ。エルケーが穴から出ると、ルニアは重そうなレンガの塊を片手で脇に抱えたまま軽くジャンプして壁に張り付いて、片手で外した壁を元の位置にはめ込み直した。慣れた仕草に、エルケーは少しだけこの城に勤めていた獣人たちの苦労を想像して同情してしまった。
ルニアのはめ直したレンガは見事な出来映えだ。いまそこから出てきたばかりのエルケーでさえ、その場でぐるりと一周回ればどこを塞いだか見失いそうなくらいだ。足元に落ちた砂も、元々大した量ではなかったか、あるいはルニアが足でサッと均してしまったのか。目で見て2人の侵入に気付けるような痕跡はまったくない。
潜入は無事成功と言って良いだろう。だが、安心するにはまだ早い。
「地上階に出たら、通路も部屋も監視カメラが至るところに隠して配置されているわ。私もさすがに監視カメラの死角は完全に把握出来てないから、ここからは予定通りスピード勝負になると思ってちょうだい」
かつて、テム・ゴーナンら民連軍は城の警備に関わることで監視カメラの配置とパターンを網羅し、監視の目をすり抜けた。かつて、神代疾風は魔法によりレーダーのような電磁界を発生させることで隠しカメラを悉く感知して回避した。だが、どちらも例外中の例外だ。特に後者はなに言ってんだコイツってレベルで。ルニアたちにはそれを可能とするだけの時間も、技能も足りていない。
だからまず、カメラの目は避けられないのが前提と考えるべきである。見つかることが確定しているなら、妨害が入る前に最短最速で目的を達成するのが最善だ。
(まぁ、一番良いのは見つかっても温かく出迎えてもらえることなんだけど―――)
そんな想いを吐露したところで、またエルケーに溜息交じりにたしなめられるだけだ。甘えた考えだという自覚も一応ある。
どれだけ警戒しているつもりでも、ノヴィス・パラデーを歩けば皇国騎士に発見されていそうなものだったが、いまに至って未だ一度として彼らからの襲撃を受けていない。普通なら、ルニアがノヴィス・パラデーに戻ることに、当初考えていたほどのリスクはなかったんじゃないかと思うところだ。王族のザニアが生きていた以上、ルニアが皇国に発見されることで生じるリスクさえも。
だが、ルニアは自分の願望を”甘い”と自覚する。例え今日が皇国の手に落ちたこの街で何日、何年無事に過ごした次の一日であろうと、恐らく、皇国の悪意に対する絶対的な信用があるからだ。父の無惨な最期を思えば、姉に対するあの無慈悲を思えば、恐怖は昨日のことのように蘇る。
エルケーは正しい。旅の目的を見失ってはならない。ルニアは大義名分を掲げてようやく帰郷を許されたのだ。城を抜け出して、日が暮れた頃にコッソリ帰って来たルニアと廊下で出くわした侍女が、すっかり汚れた服を見て、苦笑しつつも黙って着替えを持ってきてくれて、なんとかみんなを誤魔化しきって夕食の席に着くような。そんな甘い希望はそっと黙って、ぐっと呑み込んで、胸のずっと奥に仕舞い込め。
再び、彼女に緊張した強い笑顔が戻る。
「エルケー、心の準備は良いかにゃ?」
「ルーニャさんこそ」
絶対に発見される。必ずだ。見つかったあとはどうなるだろうか。ルニアとエルケーは、互いに変な汗を滴らせる顔を見つめ合い、カチッとなにかがハマるような感覚を得たと同時に頷き、駆け出した。
石造りの急な螺旋階段をひと息に駆け上がって地上1階へ。
目的の民連軍データベースへの全権アクセス端末は城の最上層、王族と彼らに招かれた者のみが入れる領域にある。しかし、まずここから上のフロアまで上がる階段は、少し離れたところにある。当たり前だが、セキュリティの問題で一直線では上がれないようになっているのだ。ここからもかなりのフロア数があり、度々階段の位置が変わるが、エレベーターの使用はナシだ。
カメラに対するせめてもの抵抗として変装用の帽子を目深に被り、一気に廊下を突っ走る。その速さはまるで突風。すれ違う城の使用人たちは、あまりの勢いに身を守る反応すら間に合っていないようだった。もちろん、ぶつかったりはせず避けて走りはしたが。
次の階段まで駆け込んだら、休まず再び上へと足を回す。まだ城の警備は動く様子がない。また、ニルニーヤ城には防火扉はあっても侵入者対策用のシャッターはない。
時間との戦いはいまのところ優勢。だが、次の踊り場がまだ安全なのかも分からない。エルケーは剣の柄から指先を離すことが出来ない。いつでも剣を抜ける状態でとにかく頭上を睨み付ける。
だが、階段でも何人かとすれ違ったが、侵入者と疑って妨害を仕掛けてくる者はいない。
(というか・・・)
「エルケー!!」
「っ!!」
ルニアが注意を促す。この階段で上がれるのは次のフロアまでだ。
そして、一般人が立ち入れるのは次のフロアまでである。
すなわち、開かれたニルニーヤ城において開かれていない最上層、ニルニーヤ王家のプライベート空間の入り口だ。
いまはどのような扱いの空間となっているかまでは不明だが、少なくとも財産や機密情報の類いはいまもそこに残存しているだろう。
ここまではいやにすんなりと登って来られたが、これより上へ進むならば易々とはいかないはずだ。
(ほォらな・・・!!)
階段を登り切る直前で、エルケーはルニアを静止して階段に身を伏せた。
「(エルケー?)」
「(はい、誰かいます。ひとり。雰囲気がほかとは違います)」
「(私も見るわ)」
ルニアも、段差に身を潜めたまま這い上がって、床面ギリギリの高さに目を出した。
確かに、誰かが上のフロアへ続く階段の前に立っている。エルケーの言う通り1人だ。他の気配も感じない。・・・妙だ。さすがに気味が悪い。ここまで上がってくるには、全速力だったとはいえ3、4分はカメラに姿を晒していたはずだ。それにも関わらず、この重要なフロアにさえ警備が集中させられている様子がないのは、言い表しようもなく不気味だ―――が。
しかし、待て。
いや、待て。
よく見ろ。
なんだろうか、あの、とにかく見覚えのある丸いシルエットは、まさか。
「違う、エルケー。警備じゃないわ、アレ」
目が良いのはルニアだ。
「ケルトスよ・・・!」
「・・・前首相の?」
あんな太っちょのケルトスさんが、前首相のケルトス・ネイの他にいようものか。初老の男性猫人の佇まいには、全く武道の心得も見られない。要するに、上階へ続く階段を守るべくしてあそこに突っ立っているわけではない、ズブの素人だということだ。ここから飛び出して突撃すれば、そのまま無抵抗にグサリとやれてしまいそうなくらいに隙だらけ。無警戒。暢気を極めた余裕の表情。それこそ、親しい何者かを待つかのような。
「エルケーは、他に警備の気配は感じる?」
「いえ、まったく」
「―――先に言っとくけど警戒を解くわけじゃないわ。罠かもしれない、でしょ?慎重にいく。だからちょっと、出てって話をしてみるのって・・・・・・どう?」
罠だろうがそうでなかろうが、どうせ上には行くのだ。ケルトス・ネイに見られるのは避けられない。想定と乖離しすぎてちょっと意味不明なシチュエーションになっており、碌な判断材料もない。
「様子見で、こっから声をかけてみましょうか」
あんな弱そうでも、急に懐から拳銃を取り出して乱射してこないとも限らない。銃火器はプロが撃ってもへなちょこが撃っても当たれば普通に致命傷を負うように出来ている。エルケーはいつでも飛び道具から身を守れるよう魔術の準備をしてから、そう提案した。
少し前まではなんの気兼ねもせず呼べていた名前を呼ぶために、まさか深呼吸をすることがあろうとは。ルニアはいったん、体を返して天井を仰ぐ。階段に預けた背中に泥のような脂汗が溜まる。
「フーッ。・・・ケルトス!ケルトス・ネイ!!」
時間にして数秒の、血も凍るような間があって。
スーツの衣擦れ。わずかに足を運ぶ音。
戸惑いを孕んだ吐息。
「この声・・・・・・やはり・・・・・・やはり、お帰りになっていたのですな。・・・・・・ルニア様―――」
酷く疲れた様子が滲むが、確かにケルトスの声であった。声色という意味だけではなく、その口調に敵意を感じないという意味でも、確かに、ルニアと共に過ごしてきた者の声であった。
ケルトスの足音が近付いてくる。ルニアはゆっくりと立ち上がり、20mを空けて彼と対峙した。全てまでは信じ切れないルニアの鈍気味の眼差しが、ケルトスの歩みを牽制する。
「ひさしぶりね、ケルトス。顔色悪いわよ、ちゃんと食べているの?」
努めて、かつてと同じ声色で語りかける。
「私など・・・。それより、ルニア様こそ、よくご無事で・・・。人間界にお逃げになっていたはずでしょう、どうやってここまで」
「ところで」
ルニアはケルトスの言葉を遮った。思い違いや考え過ぎだったら、あとで謝れば良い。それを分かってくれないようなケルトス・ネイではない。だから、疑念を優先すべきだ。ルニアは自分を厳しく律する。
無駄話は要らない。質問に応じるな。余計な情報を与えるな。会話の主導権を握れ。ルニアが知りたいことだけをしゃべらせろ。
「”やはり”って、言ったわね?それはつまり城に何者かが侵入していたことに気付いていたってことでしょう?どうしてそれでも城の警備が動かないわけ?」
「理由は2つございます」
即答。
しかも具体的な数字が含まれている。
数字とは文明人が最も信頼する超統一理論的母語である。極論、数字で語れば例え惑星の裏側の人間にだって翻訳不要で情報を届けられる。無論ルニアも、迷わず2つと言われれば、2つの明確な理由の存在を確信させられてしまう。だが、ケルトスは首相が務まるほど話の上手い男だ。その根底にあるのが悪意であっても善意であっても、数字によって誘導されていると考えた方が自然である。まだ構えは解けない。
「ひとつは、人手不足です。ここに来るまでにノヴィス・パラデーの有り様は御覧になったでしょう?城の人員も復興事業に回しているのです」
「そうね、それはあるかもと思ってたわ。それで、もうひとつの理由って?」
「どうして私どもがルニア様のお戻りを妨げるようなことをすると言うのでしょう」
「―――ルニア・ノル・ニーア・ニルニーヤ”かもしれない”というだけで?カメラの映像だけで誰だか分からなかったハズよね?”やはり”なんだから」
ボロを出した。痛いところを突いた。やはりこの男はなにか怪しい。ルニアは油断しなかった。次は変装か変身か、芝居をやめて銃でも取り出すだろうか。
・・・などと強気に笑って緊張を高めるルニアだったのだが。
「はは。まぁ確かに見事な変装ではございましたが、地下からコソコソと城に入ってくる方など、貴女のほかにはおりませんからな」
「・・・・・・へ?」
どゆこと??
なんで地下から上がってきたらルニアだって思われるわけ?
あれ?
もしかして、なにか、とても重大な思い違いがあるんじゃ?
「も」
「・・・も?」
「もしかしていままで私がコッソリ城を抜け出すのも帰ってくるのも、本当は毎回気付いてた感じ・・・???」
ケルトスは少しばつが悪そうに頬をかいてから。
「少なくとも、エンデニア様とナーサ様には―――恐らく」
「は・・・ッ、ぁわぁ・・・っ、~~~っ!?!?!?」
「(・・・だっさw)」
背後からも堪えきれずに漏れた嘲笑が聞こえたのがトドメだった。
なんかもうダメだった。ルニアはその場で頭を抱えてしゃがみ込む。
憐れ、ルニア姫。完璧と思っていたお忍び城下ぶらり旅は、いつからかみんなにバレバレとなっていたのだった!!
メソークソスマス!!そして来年もよろしくねッ!!