episode9 sect20 ”エイリアン調査、4日目”
「で、エイリアンは!?」
「一言目がそれか不良娘」
「またまたぁ。昨日会えなくて寂しかったからって、愛いのう!!」
「うみゅぐっ」
スキンシップの多い欧米人を片手で押し離しつつ、伝楽はPCのスロットに挿していたSDカードを取り出し、別のマイクロSDに交換した。
「で、エイリアンは!?」
「あーもう五月蝿いな。わちきもさっきようやく仕掛けたカメラを回収して帰って来たばかりなのら。本当ならコーヒーの1杯でも淹れて一息つきたいところをエルネスタたちが来るらろうから急いで準備してやっていたというに」
「OK、助手クン」
エルネスタは無駄に上手な指パッチンでサイラスにコーヒーを出すよう指示を出した。だが、伝楽の事務所にはペットボトルのコーヒーもインスタントコーヒーもポーションも置いていない。コーヒーミルなんて触ったことすらないサイラスにはここでコーヒーの1杯を用意することさえ難しい。
「え・・・えるえるぅ・・・これどうするの・・・?」
「やれやれ。まぁ見てなさい、エルネスタお姉ちゃんの華麗なるバリスタテクニックを」
挽き立ての豆の芳醇な香りと、それに似つかわしくない助手たちの賑やかなやりとりに、伝楽は文句をこぼしつつも少し口元を緩ませながら、PCを操る。森林公園に設置したカメラは総数30台、録画時間は丸々1日だ。このデータ量を全て解析処理にかけようと思うと、コーヒーを淹れ終えるのを待っても有り余る手間だった。
「お待たせいたしました。特製ミステリアス・ブレンドでございます」
「なにそれ超怪しい」
「まぁまぁ召し上がってごらんなさい」
「・・・・・・美味いなちくしょー」
「ふっふっふ。でしょうとも。表の顔は喫茶店のマスター、しかしてその正体は世の裏側を知り尽くし報酬さえ払えばどんな依頼でも完璧に達成する、人呼んでブラック・ディテクティブ。美味しいコーヒーの淹れ方もまた当然の嗜みなのだよ」
「カッコイイのは分かるが事務所の評判に関わるから勝手に闇堕ちすな。それとあとでブレンドの分量教えろ」
ミステリアス・ブレンドの深いながらもスッキリ抜けていく苦みを楽しみながら、伝楽は淡々とSDカードを取り替えては映像解析用のプログラムを走らせていく。
「探偵のお姉ちゃん、これなにしてんの?」
「全ての映像データを人力で真面目に探していては報告期限に間に合わんからな。人間以外の動物が映った部分を判別してタイムスタンプを作ってるのら」
「へー、MeTubeみたいだね!」
「あんな凝ったもんじゃないさ」
プログラムが1つの録画ファイルを処理する度に、タイムスタンプを羅列したtxtファイルが生成されていく。エルネスタも興味深そうにその様子を眺めていた。かなり時間はかかったが、映像解析は無事に処理を完了し、待ちきれずにいたサイラスが伝楽を急かした。
「エイリアン映ってるかな!?」
「さて、どうかな。数が多いから手分けして確認するとしようか」
伝楽は、サイラスとエルネスタにそれぞれ10個ずつ、録画データを渡した。事務所のPCは伝楽が使っている1台きりだが、エルネスタは自前のラップトップがあるし、サイラスもテレビとビデオカメラを繋げば作業に参加出来た。
伝楽の使った映像解析プログラムは、あくまで画面内に動物が現れた時間をメモするだけのものだ。その後の作業はメモを見ながら人力で行わなければならない。そこからは、ひたすら早送りで録画のチェック作業が続いた。
ひたすら。
ひたすら。
ひたすら。
映っているのは鳥の羽休めや、木の実を拾ってそそくさ離れる小動物ばかり。動物が狩りをするシーンすら見当たらない。あの森林公園のイメージからなんら乖離しない、朝も夜も平和そのものだ。
期待と集中のあまり、映っていないものまで錯覚して、映像を巻き戻し、単なる勘違いにがっかりする。画面にかじりついて、解像度以上に精細にはならないというのに無駄に目を凝らして、次第に眼精疲労で頭痛までしてくるほどだった。
初めにサイラスが音を上げ、外を見れば斜陽。ブルーライトに締め上げられた視神経が堪らず明滅した。まったく作業に区切りは付かないが、エルネスタは泣く泣く手を止め帰り支度を始める。本当は全ての映像をチェックし終えるまでは帰りたくないが、サイラスの帰りが遅くなれば浩然にまた要らぬ心配を掛けてしまう。どちらかと言えば、そっちの方がイヤだ。せっかくこうして伝楽のところに遊びに来ることを黙認してもらっていることに対してのケジメも付かない。
1人あたりビデオカメラ10台分、すなわちまるまる10日分の映像チェックをしようとすれば、どれだけ効率化したって放課後の数時間では到底終わらない。この日3人がチェックを終えた映像は、全体の3割に過ぎなかった。
調査開始から今日で4日。
依頼主への報告期日まで、あと6日。
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調査5日目。サイラスとエルネスタは息を切らして、いつもの10分前に事務所にやって来た。今日は軽口の時間も省いて、2人はさっそく昨日の作業の続きに取り掛かった。
「あれ?少し減ってる?」
「お前たちが帰ったあとも作業してたからな。残り4台分なのら」
「そうなんだ。これなら今日で全部いけそう・・・!ありがとう、探偵のお姉ちゃん」
「なに言ってる。元はと言えばわちき一人でやる仕事のはずらったのを、2人が手伝ってくれてるんじゃあないか。礼を言うのはわちきの方なのら。結局まら仮称エイリアンは見つけられていないから、今日もよろしく頼む」
伝楽の頼みに、サイラスとエルネスタは「了解!」と声を揃えた。
しかし、いくら気合いを入れて臨んだところで、作業内容は既に確定した結果の総ざらいだ。枝に止まって毛繕いする小鳥や、カメラに興味を示してレンズを嗅ぐ野良猫ばかり見ていると、大真面目に急いで再度カメラを設置した方が良いのではないかという考えが浮かんでしまう。しかし、それでも伝楽はまず焦らず、いまある映像を全部チェックしろと言う。次の手を考えるのはそれからでも間に合う、と。
正直、サイラスにはなぜ伝楽が焦らないのか理解は出来なかった。このビデオの中でエイリアンを見つけただけでは、依頼主の何汐はきっと納得しないだろう。いまどきエイリアンが映り込んだ衝撃映像を本気で信じる奴なんてエルネスタくらいだ。小学生だって、存在したら面白いから信じて盛り上がるだけで、存在して当然と考えているわけではない。エルネスタの奇行に付き合うサイラスなんてなおさらだ。エイリアンは、万が一、ひょっとしたらいるかもしれないから全力で楽しめるのだ。見つかること前提で地道に探すもんじゃない。
ひたすら定点カメラの和やかな映像に目を血走らせるなんて無為な時間を過ごすうちに、サイラスはミステリーとの、そんな適切な距離感を理解し始めていた。
だと言うのに、伝楽が落ち着けと言うとなぜだか大丈夫な気がしてくる。エルネスタといるときの安心感とは少し違った。多分、父と一緒になにかをするときの安心感と似ていた。だから、自信を持って作業に没頭していく。
「んんー・・・見つからんな」
だが、今日も夕暮れ、時間切れ。
しかし、見終えていない映像データは最後のひとつのみとなっていた。
「・・・どうする?」
伝楽は困ったように笑い、判断をエルネスタに委ねた。もし、このデータにもエイリアンが映っていなくて最後まで見てしまえば、早く済んでも2時間は掛かるだろう。
でも、もしここにエイリアンの姿があるなら、いま帰ったら伝楽が一人でその世紀の瞬間に立ち会うことになる。それはちょっと悔しいし、寂しい。
「よし。残業を申請します!!」
エルネスタはそう言うと、浩然に電話をかけた。怒られるだろうか、と少し緊張していたのだが、意外に浩然は「そうか、帰りは気をつけてな」とだけ言って許してくれた。
「なるほど、正直に話せばなんの問題もないんだ」
「当たり前のことをそんな悪い方向で学習するな」
味を占めたエルネスタを早い段階で諭しつつ、伝楽は最後の映像を自分のPCで再生した。
期待はほどほど、ほぼ祈り。景色は画面の端に池の見える遊歩道だ。伝楽の解析プログラムが作ったタイムスタンプに従って、ひとつひとつ潰していく。
昼間から始まった動画内時刻は黄昏時になって、次第に人々の姿もまばらになる。1匹の野良猫が、ベンチの下に潜っていった。鳩が歩いてきて、画面の左から右へ出ていった。日没後、犬の散歩で若い女が通り過ぎた。
「・・・・・・・・・・・・んん・・・・・・?」
その次のタイムスタンプで、”それ”は唐突に宙を舞って現れた。
さも、この地球上においてごく自然であるかの如く飛来した未知に、あのエルネスタさえ目を疑っているようだった。街路灯に仄暗く照らし出された、白くヒラヒラした飛翔体は、ベンチの周囲をしばし浮遊すると、高度を地面スレスレに下げ、再びベンチの周りを回って、すぐに飛び去った。
時間にして数十秒。しかしその情報量は多かった。
飛行する生物なら地球上にごまんと存在する。鳥、羽虫、哺乳類においても一部は空を飛ぶ。滑空能力を有する種にまで目を向ければ、さらに多様な生物が当てはまる。しかし、それを前提にいまの映像を繰り返そうとも、この白い飛翔体は無数の空飛ぶ可能性のいずれにも一致しないであろうことが予測出来た。
敢えて表現するなら、ごくごく小さくなった妖怪・一反木綿だ。一反どころか半坪もないが、イメージとしての話だ。胴体に対してかなり表面積の大きな飛膜のなびく様は、本当に風に乗った白い布きれのようである。あるいは、水中を漂うクラゲのようでもある。いずれにせよ、地球で生まれた生物の飛び方とは思えない。
「・・・エイリアンだ」
最初に、心の底から呆気にとられた様子で呟いたのは、エルネスタだった。
「サイサイ。伝楽。ホントにエイリアンがいたんだ・・・!!いたんだよっ!!~~~っ、世☆紀の大・発・見!!だよ!!」
「す・・・・・・すっげー。すっげー!!こいつ捕まえたら世界中で大ニュース間違いなしじゃん!!」
抱き合ってピョンピョン跳ねて狂喜乱舞する助手たちであるが、しかし、伝楽だけは冷静で神妙な表情のまま停止した動画を見つめていた。「ふむ」と意味ありげに呟いた伝楽は、安楽椅子に体重を預けて天井を見る。
「エイリアン、ね―――」
「ちょー、なんで探偵のお姉ちゃんはそんなテンション普通のままなのさ」
「オイコラ椅子揺らすな、あっ、ひっくり返るからマジで!」
懇願空しく、背もたれを掴んで飛び跳ねるサイラスは勢い余って本当に安楽椅子を引っ繰り返した。バックドロップさながらに椅子から放り出された伝楽は真後ろの窓枠に後頭部をぶつけて、そのままずるずるとひっくり返った椅子にすっぽり収まった。パンツがモロ見えしそうな情けない格好だが、への字に曲がった伝楽の口元から覗く牙を見たサイラスに、スケベ心を起こす勇気はなかった。
エルネスタの背後に隠れて怯えるサイラスだったが、伝楽は無言で起き上がると、また無言で自分の後頭部に治療魔法を施した。そこまでしてから、大きな溜息と共に伝楽はジロリとサイラスに目を向けた。
「なにか言うことは」
「ご、ごめんなさい」
「よろしい」
「・・・お、怒んないの?千切って投げたりしない?」
「じゃあくすぐりの刑」
エルネスタがサイラスを裏切って、愉快な断末魔がしばらく続いた。
「さて、話を戻すとしようかバカども」
安楽椅子を元に戻して腰掛けた伝楽は、ペン立てから適当なボールペンを1本取ると、その尻でPC画面で静止したままの仮称エイリアンを軽く叩いた。
「この映像を見て確信したことがある。この生物は、エイリアン―――では、ない」
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エルネスタは優秀だと思っていたが、まさかこんな図面を持ってくるとまでは、浩然も予想していなかった。あるいは、彼女の未知に対する強烈な情熱が天恵を与えたのだろうか。
そして、例の”探偵のお姉ちゃん”もだ。
「まさか俺までエイリアンハントに巻き込まれるなんてな」
そんな風に嘯いてみながら、久々に面白い仕事になる予感がしていた。