episode3 sect6 ”特訓!迅雷vs千影”
土曜日。月曜日から金曜日までの疲れを取る、ゆったりと穏やかな眠りの朝。静かに、誰にも邪魔されずに、目覚めてからもうっとりとぼやけた世界に寝転がる心地よさ。
昨日は結構遅くまで、マジックプロレスのビデオを見ていたので、若干の寝不足でもあり、それが朝の微睡みとなって友香の意識を減速させている。
『トーモー!』
減速させて・・・
『ねぇ、トモったらー!』
減速させ・・・
『起きてるんでしょー!』
減そ・・・
『おおオォォォォーいッ!』
「近所迷惑だから静かにしてよ!!」
「なーんだ、やっぱり起きてんじゃん」
腰に手を当ててこちらを見上げる彼女は、いったい友香が誰のせいで起こされたと思っているのだろうか。
友香は部屋の窓を開けて、道の真ん中で騒ぎ立てる向日葵を怒鳴りつけた。散歩で通りかかるおじいちゃんおばあちゃんは、そんないつも通りの光景を微笑みと温かい目で見ながら歩き去って行く。それがむしろ恥ずかしかった友香は、すぐに窓から顔を引っ込めた。
適当な服に着替えて、友香は急ぎ足に玄関まで走って外に出た。
「ほらヒマ、とりあえず中に入って」
「おわあ、強引!?」
はしゃぐ向日葵を、その細い腕からは想像出来ないような握力を発揮して友香は家の中に引きずり込んだ。まだ家族は誰も起きていないのだが、それでも外で大騒ぎするような恥知らずの親友を世間様から隠すにはやむを得なかった。
「で、なんの用なの?こんな朝っぱらから」
居間に向日葵を通し、友香は眠たい目をしショボつかせながらも冷蔵庫からオレンジジュースを取り出し、グラスに注いで出してやった。
人の快眠を妨げた上に、周りの家の人にまで迷惑をかけようとお構いなしな向日葵にはほとほと困っている友香なのだが、よくよく考えると休日にはままあることで―――――などと思い直すことはない。やはり納得がいかない。いい加減に年甲斐のない真似をするのはやめて欲しいのだが、いくら言っても直らないのでどうしようもないのだ。
仕返しに向日葵のオレンジジュースに麦茶なり辛子なりでも混ぜてやろうかとも考えた友香だったが、オレンジジュースも麦茶も辛子もタダではないので、もったいないからやめた。
一口オレンジジュースを喉に通してから、向日葵は友香の発言に口を尖らせる。
「こんな時間って、もう9時半だよ?で、そうそう。今日さ、ギルド行ってみようよ」
「なんで!?」
唐突にも程があるだろう。まったく予想していなかった向日葵の発言に、友香は思わず椅子ごと後ろにひっくり返りそうになった。
なにがどうしてライセンスもない友香と向日葵がギルドに行くというのか。それにあの建物は、放つ威圧感が半端ではなく、中に入るだけでも緊張するので、友香はあまり好かないのだ。ちょうど、物心のつき始めた子供が大会社のオフィスビルに入ろうとするような感じだ。
露骨に嫌そうな顔をする友香だったが、向日葵は諦めずに縋り付く。
「まぁまぁ、話をすれば分かるって!」
「そ、そうね、言ってみて?」
「月曜日からさ、あれ始まるじゃん。それでさ、ギルドの小闘技場を借りてさ」
「待って。待ってちょうだい。つまりこういうことよね?模擬戦で肩慣らし、みたいな」
「ザッツライト!」
―――――やっぱり行きたくない。
だって、友香は魔法戦を見ることに関しては誰よりも大好きである自信はあるが、自分は戦えないことにも自信があるのだから。一応、たくさんのプロ魔法士同士の試合を見て学んできただけあってマンティオ学園の特殊魔法科に入れるだけの知識と技術はあるが、かと言ってそれ以上でも以下でもない。例えば、レースゲームのタイムアタック動画を何度も見返してどのタイミングでどう入力すれば速く走れるのかを知っていても、自分でやってみると全然思った通りのことは出来ないような感じだ。
というか、そんなことくらい自分と付き合いの長い向日葵であれば知っているはずなのに、と友香は嘆息する。友香と試合をするくらいなら、間違いなくその手の動画を見た方が勉強になるはずだ。というか友香が見たい。
「トモ、よだれ垂れてる」
「・・・ハッ!?し、しまった、ちょっと撮りためてたビデオ見たくなってきちゃって。とにかく、私なんかと行ってもやれることなんてあんまりないでしょ?―――――まぁ?ヒマがどうしてもって言うなら?一応ついていってあげても良いけど?」
そう、どうしてもと言うのなら考えないでもない。向日葵もきっと1人で行くのが寂しいのだろう。友香の実力では彼女の相手をしてあげることは出来ないだろうが、動きの善し悪しくらいであれば日頃から蓄えている知識で見てあげられる。
向日葵が、どうしても、と言うのなら、だ。親友のよしみだ。仕方もない。
「えー、じゃあいいよ。慈音っち誘おうと思ってたし」
「え!?」
だが、そんな友香のツンデレは向日葵に欠片も察してもらえずに終了した。
なんだか、この1ヶ月で向日葵の中での友情ランキングを慈音に越されたような気分になって、そこはかとなく悔しい。
「や、やっぱり私も行こうかなー・・・?」
「え?いいって、行きたくないんでしょ?」
「うっ・・・、いやいや!ヒマと慈音ちゃんだけだと、慈音ちゃんも大変でしょ?ね?」
「いやでも無理してこなくても・・・」
「あー、行きたいなー!」
『うっせーお前ら!!』
「「わひゃい!?」」
2階から怒鳴り声。この悪鬼のような怒号は、間違いなく友香の姉だ。
怒鳴られた友香は慌てふためきながら全速力で出かける支度をして、向日葵と一緒に玄関を飛び出した。
○
慌てて家を飛び出したせいで若干身嗜みが整っていない友香は、深々と溜息をついた。
「お姉ちゃんの安眠妨害すると、あとでどんな目に遭わされるか分かんないよ・・・」
「あたし、しばらくはトモんちにはお邪魔しないから・・・」
思い出すだけでも総毛立つ友香の姉の憤怒モード。普段はちょっと気の大きくてお茶目なところがチャームポイントみたいな感じの可愛い人物なのだが、ああなった彼女はターミネーターも真っ青な鬼と化すので、しばらく距離を取ってほとぼりが冷めるまで待つのが賢明である。
今回は友香姉が寝ている時で、友香たちが彼女の手がすぐには届かない居間にいたから良かったが、もし起きていたり友香の部屋にいたりしたなら、それこそ地の果てだろうが異世界だろうがバット片手に追いかけてきただろう。
「とりあえず、慈音ちゃんに電話してみよっか。押しかけるのも迷惑だし」
「そだね・・・」
向日葵もさっきので懲りたのか、大人しく友香の言葉に従う。
ポケットからスマートフォンを取り出して電話帳アプリを開く向日葵。スクロールをする時間が長いのは、きっと友人が多いからなのだろう。
やっとスマホを耳に当てた向日葵は、すぐにしゃべり出した。
「あ、慈音っち?おっはよー」
『うん、おはよー。どうしたの?』
電話越しにも表情が分かりそうなほどのふわふわした声が、今日の用件を尋ねてくる。
「今からさ、ギルド行こうかと思うんだけど。慈音っちもどう?ちょっと体を動かしに練習試合しようぜ、みたいな」
『へー、そうなの?うん、行く行く。えーっと、じゃあ、しのはどうしたらいいのかな?集合場所とかは?』
「あーっと、うん。じゃあ現地集合でね!」
『はーい。あ、そういえばね・・・』
また慈音の話題転換が始まった。向日葵は軽く受け答えをしながら、うまーく会話終了に持ち込んだ。あまり歩きながら電話をしていると注意力散漫になって人とぶつかってしまいそうだし、慈音が電話しながら外に出たらなにが起こるか想像出来なかったからだ。
●
午前10時、ギルドの受付カウンターで迅雷と千影は小闘技場を1つ借りる手続きをした。2時間分なので、かなりみっちりと練習できるだろう。
ちなみに、受付のお姉さんは、前に迅雷に優しくしてくれた日野甘菜を選んだ。大丈夫、今回は変な口調にはならなかった。
「さて、行きますか」
アリーナや闘技場があるのは、ギルド本館、つまり受付などがある棟の正面から見て右側にある建物である。ただ、建物自体は中の連絡通路で繋がっているので、外に出る必要はない。
迅雷と千影は預かったカードキーと同じ番号の部屋を探し、中に入る。
部屋の内装はSFチックな無機質さの漂う真っ白なタイルを敷き詰められたような感じだ。そのタイルというのは、衝撃吸収、魔力拡散、防音耐熱と、非常に多機能で優れた素材を利用しているらしい。性能的には、マンティオ学園のアリーナに採用されているものの最新版と言ったところで、より高性能である。さすがは凄腕魔法士も集うギルドだ。
ここでなら、迅雷の魔力を解放して、万が一に暴走を起こした場合でも、周りに危険が及ぶ心配はない。
適当な準備体操を済ませてから、迅雷は千影に左手を差し出した。手首に着けているスポーツ用の腕時計を外せば、その下から出てくるのは刺青のような奇怪な紋様である。
「千影」
「うん、準備は良い?」
迅雷が頷くのを確認して、千影は彼の左手を手に取った。
「じゃあ、いくよ」
千影は、そっと顔を迅雷の左手首に近付けて、唇で軽く蒼紺の刺青の紋様に触れた。
瞬間、主の魔力を注がれた紋様は青白い光を出して、迅雷の手首から浮き出した。
淡い光を放つ鎖の腕輪となったそれは、迅雷の手首の周りに浮いたまま、ゆっくりと回転を続ける。
「・・・・・・っ!」
胸のあたりを起点として目に見えない力の奔流が溢れ出してくる。ダムが決壊したような勢いで、魔力は外界に放散しようと迅雷の体を内側から圧迫する。
(耐えろ、抑え込め。精神力で制御しろ、魔力っていうのはそういう感じだ。受け入れて、受け流して、必要な分だけ掴み取れ・・・)
深く深く息を吸って、吐いて。心を落ち着かせれば、自ずと魔力も大人しくなってくれる。
「・・・・・・・・・ふぅ」
ひとまずは、抑え込んだ。
「よしよし、よくできました!どうする?もう試合する?時間は一応フルの20分で設定しておいたけど」
「そうだな。でも千影、お前そんなヒラヒラした格好で大丈夫なのか?」
迅雷は『召喚』で愛剣『雷神』を取り出しながら、千影の服装を見て首を傾げた。迅雷は動きやすくて、汚れたりちょっとくらい破れたりしても構わない自前のジャージ姿なのだが、対する千影の格好と言えば普段通りの格好である。
下はホットパンツと運動靴なので、雷魔法を使う迅雷を相手するには肌の露出が多いこと以外、特に問題ないだろう。しかし、上着は例にもよって袖口が大きく広がってビラビラしているパーカーで、その下の半袖Tシャツもそんな感じだ。どう見ても動きを妨げそうにしか見えない。
しかし、千影は聖柄の両刃刀を鞘ごと腰のベルトに据え付けながら、迅雷の懸念を鼻で笑った。
「ボクの心配かい?いやはや、ボクもナメられたものだね!大丈夫、君の攻撃はボクの服を焦がすこともできないよんよん♪」
「ぐぬぬ・・・」
クルクル回りながら余裕を垂れ流す千影。
酷い言われようである。昨日は不意を突かれて跳び上がっていたくせに、大した自信である。こうなったらよくあるお色気系バトルマンガみたいに服をズタボロにしてやろうではないか、ぐへへ。
「今に見てろ、羞恥でその顔真っ赤に染めてやる!」
「やれるものならやってみなよ!」
第1位ラウンド、スタート。
○
千影は直立したまま、迅雷が仕掛けてくるのを手をこまねいて待っている。いかにも余裕といった様子である。いくら千影の方が迅雷よりずっと強いとはいえ、なめられっぱなしというのも気に食わない迅雷は、そんな彼女に向かって吠える。
「マジで手加減しねーからな!あとで泣くなよっ―――!」
全身に『マジックブースト』をかけて、迅雷は千影に向かって直進した。
体が軽い。飛ぶように駆け抜ける。これが魔力の制限を外された、本来の迅雷の力なのだ。
今の迅雷の走るスピードは、既に一般人では目で追うので精一杯の域に到達している。初速で、これだ。さらに加速は続く。
走りながら、迅雷は『雷神』の刀身の上にも魔法陣を描いていく。
そしてそのまま風のように駆け、千影との距離を一気に縮めていく迅雷。まだ自信ありげに笑っているあのガキンチョの鼻を明かしてやるためには、多分、接近して大威力大規模の大技を乱雑に叩き込むだけでは足りないはずだ。堂々と構えていたって、千影は迅雷の動きくらいは予想しているだろう。
それならば。いや、それだからこそ。
(―――――予想を、裏切れ!!)
身を捻り、剣を大きく振りかぶる。刃には特大の魔力を。勢いには、最大限の圧迫感を。
斬れ味のある眼光で千影を見据える。
「お、おおァァァ!!」
反応した。迅雷の雄叫びに呼応するように、千影は少しだけ腰を落とした。
想像以上にうまくかかってくれた。迅雷はしかし、まだまだ勝ち誇る笑みを心の中ですら浮かべられない。
ダンッ!!と、迅雷は斬りかかるために踏み込んだ左足をブレーキに変えた。
急激な減速の反動を利用して、迅雷の体は強引に千影の右に回り込んだ。本来、姿勢的にあり得ない無茶苦茶な軌道。それを敢えて利用した。そんなあり得ない方向に曲がった勢いの負荷は相応に大きかったが、確実に千影のタイミングを外したはずだ。対する迅雷の上半身の姿勢は、未だ大きく剣を振りかぶったままである。すぐにでも斬りかかれる。
「―――――アアア!!」
溜めに溜めた一斬を、解き放つ。
刀身に纏う白閃の雷光が、風斬り音どころか小さく空気を爆発させる弾けた音立てる。
鋭く正確に千影の肩口を目がけて振り下ろす。宣言通り、そこには一切の容赦も躊躇もない。それをすれば躱されるのがオチだ。
「甘いよ!」
しかし、やはり千影はまだまだ余裕の笑みだった。
あと数センチにまで迅雷の剣が迫っているというのに、依然として余裕を崩さない理由。
凄まじい動きだった。
気が付けば、迅雷の剣は千影の両刃刀に受け止められていた。
腰の刀に手をかけ、身をよじって迅雷の斬撃から体を遠ざけ、それと同時に刀を抜いて向かってくる攻撃と自身の体との間に滑り込ませる。
この一連のモーションを、千影は一瞬で、文字以上の意味で、一瞬で行ったのだ。
(チッ、なるほど!ここまでは予想済みってか!?・・・でも!!)
大した自信も、これだけの実力があるなら相応のものだろう。
だが、ここを防がれることなんて迅雷も初めから十分にあり得ると予想していた。事実、迅雷の剣は受け止められた。
だから本命は、次のアクションである。現時点での迅雷と千影の体の距離はほんの20cm程度。加えて、迅雷は千影に突っ込んでいく攻撃側の姿勢。一方の千影は、防御のために無理な動きをしたため体は後ろに傾いており、体幹が真っ直ぐになっていないため体のバランスは非常に不安定だ。
どちらが有利かなど、一目瞭然である。
迅雷は、『雷神』を千影の刀の上に乗せたまま、その接点を軸に剣を回転させるように右手を上に挙げ、そのまま剣の持ち手を左手に切り替えた。
床に鋒を向けられた『雷神』の刀身には、まだ先ほど練り込んでおいた魔法の術式が残っている。
この魔法が発動すれば、いかに俊敏な千影でもこの姿勢からの回避は不可能なはずだ。
右手には予備として『スパーク』の魔法陣を握っておくが、ここで決める。
「舌噛むなよッ・・・!」
「おぉっと!?」
千影が目を丸くした。まさか剣を合わせるところからさらにこんな派生攻撃を仕掛けてくるとまでは予想しきれなかったのだろう。迅雷は見事に彼女の予想を裏切ることに成功した。
迅雷は、剣を持ち替えるや否や、『紫電』―――唱えながら一気にそれを床に突き刺した。
「痺れろ!!」
鋒が白く無機質なタイルの床に触れた瞬間、そこを中心として高圧電流が全方位に向けて地を駆け巡った。まさに大電力の爆散。
刹那のうちに地を這う稲妻は半径10mの範囲を覆い尽くし、その直上3mほどまで紫電の魔手を伸ばした。
この攻撃をこの至近距離から発動して、それを見てから回避することなど―――――
「嘘、だろ・・・?」
いない。『紫電』を発動する寸前で、千影の姿は消えていた。正確には、既に上に跳んでいたのだ。僅かに3mでは届かない天井まで、見切り回避されてしまった。
ありえない。迅雷の頭はこの一瞬で真っ白だった。ただ、「ありえない」の5文字だけが徘徊して、反応も唖然とした声を漏らすだけに留まってしまった。
千影を含め誰を相手としても、今の『紫電』は初めて見せた剣技魔法だったはずだ。なんといってもここ数日の間に思いついた技なのだから。
なんなのだ、この反応速度は。速い。速すぎる。反射行動ですら説明がつかない。それでも情報処理と判断が間に合っただけならまだ分かる。
だが、実際は回避までもが攻撃の発動前に行われていた。
迅雷は千影の回避を確信した瞬間に、反射的に左手の『スパーク』を天井に向けて撃ったのだが、それすらも彼女は届く前に天井を使った変則的な三角跳びをして躱したのだった。電撃の端すらも掠らない。
雷の嵐が止んだ地上に軽やかに着地して、千影は額の汗を拭う素振りを見せた。
「ふぃー。今のはちょっとビックリしたよ・・・。危うく服の裾が焦げちゃうところだったよ!」
「お前・・・どんな反応速度してんだよ。正直予想以上だぜ」
ここまでの攻防は時間にして10秒とちょっとくらいだったのではないだろうか。
それなのに、この疲労感。あれだけ集中したのだから、無理もないだろう。
呼吸を荒げれば、まだ体に馴染みきっていない魔力は制御を失って暴れ出す。迅雷は必死に呼吸を整えて、魔力をなんとか臨界点を超えない程度に制御し直す。
「ボクも予想以上だったよ。いやー、まさかこの短期間でここまで出来るようになっていたなんてね。お母さん嬉しいわよ」
「誰がお母さんだボケ」
迅雷の母親は真名であって、断じてこんな子供ではない。千影の軽口に対して迅雷は律儀にツッコむが、なるほど、昨日千影が本番では魔力は全開にしない方が良いと言っていた理由がよく分かった。
なにせ、出し惜しみなしで暴れたら、ものの十数秒で魔力制御が不安定化したのだから。既に迅雷には、取り繕ってみせた仮初めの余裕以外に、余裕と言える余裕は残っていなかった。恐らく攻撃を続ける分には勢いで制御を保てたのだろうけれど、足を止めた時点で結果は同じだ。
一度息を整えるついでに、迅雷は千影と剣を交える中で感じていたことを彼女に直接質問してみた。
「千影さ、まさかとは思うけど、今までのって全部俺の動きを見てから動いてた?」
これは割と重大な問題である。千影の返答次第では、今まで迅雷の取ってきた作戦が全くの無意味だったことになっていまうし、それはつまり本当に、今の迅雷がどんなに頑張ったところで彼女にまともに攻撃を当てることはおろか、掠らせることすらも困難という事実が確定してしまう。
そして、案の定。もとより、それが千影の戦闘スタイルの一端だったのだから。
「うん、バッチリ見てからだよ?ボクの取り柄なんて、速さとタフさくらいだからね」
ウインクとグーサインのセットに、千影はさらにおまけでぺろっと舌を出して3連コンボ。言葉選びは謙遜っぽいのに、態度がでかいので自信がオーラになって見えるようだった。
それに、速さとタフさである。「くらい」などと表現しているが、そもそも高速で移動するため攻撃が当てられず、その上当たってもしぶとく耐えられてしまうとなると、もはや彼女に勝てる有効な手段がないようなものである。
「こんだけ速くてしかもタフとなりゃあ、もはや人間の形をした戦術兵器だな・・・」
迅雷が苦言を呈すると千影は戸惑うように苦笑した。さすがに言い過ぎたと感じて、迅雷は少し反省する。まだ10歳の女の子を戦術兵器呼ばわりするというのは、あまりに残酷すぎる。
「悪い、つい。別にそんなつもりじゃなかったんだけど」
「いや、いいよ。それもあながち間違いではないしね」
「え!?どういう意味だよ!?」
謝ったそばからまさかの肯定を受けて、迅雷は大袈裟にのけぞった。本当にそうだというのなら、迅雷はそういう風に千影を扱っている連中を1回殴ってやりたいとさえ感じた。まだ幼い少女を兵器扱いするなど、人道から外れるにも外れて正反対にまで逸脱してしまっている。
しかし、千影の答えは迅雷の想像している話の規模を遙かに超えてきた。
「ライセンサーなんてさ、言ってみればそうじゃない?」
その一言は、あまりにも今あるこの世界への叛逆と言っても過言ではなかった。だが、千影はそれを冗談でもなんでもない様子で言い切った。
「ボクが思うに、魔法士って異世界に簡単に投入できる使いやすい戦力なんだよね。戦闘機とかミサイルとか、そんなのを門まで運ぶより、ずっと楽でしょ?」
「・・・・・・確かに、な。そうかもしれないな。・・・とはいえ、それはちょっと大袈裟なんじゃないのか?」
―――――そう、大袈裟だ。考え過ぎである。
いくらなんでも、モンスターと戦える人たちのことを戦力とするならまだしも、融通の利く汎用性の高い兵器として扱うなどあり得ない。あってはならない。
大体、今の千影の言い方だとIAMOは数多在る異世界と事を構えようとしているみたいではないか。IAMOの理念は異世界との共存であるのは、知れたことだろうに、馬鹿げた言い分である。確かにそれは、どんな組織も上層部のお偉いさん方は、どこか考え方というものが倫理的にズレてしまうことはあるだろう。それでも、人を兵器扱いすることがまかり通っているとはさすがに考えにくい。
「うーん、まぁ、そうだね。・・・ボクの考えすぎなのかもね。マンガじゃないんだし、深読みのしすぎなのかな」
迅雷の苦笑には、同じ苦笑で返す千影だった。彼女も彼女で、仮にも自分が所属している組織がそんなことをやらかすようには、思いたくないものだった。
「・・・そんなことより、そろそろ続きといこうぜ。昨日も言ったけど、試したい魔法がまだいくつかあるんだ」
ようやく上がった息を平常まで整えた迅雷は、余計な疑念を振り払うように試合の再開を申し出る。それを受けて千影もまた構えを取った。人差し指で迅雷を挑発する。
「ん、よしこい!とっしーのすべてをことごとく叩き潰してあげるぜ!」
第2ラウンド、スタート。
●
ここらで少し、迅雷と千影がギルドの小闘技場を借りる手続きをちょうど終えようとしていた頃に遡る。
天田雪姫がギルドの本館に入ると、受付の1つにまたしても神代迅雷がいた。またアイツだ。どうしてこんなにも、あのクラスメイトは雪姫の行く先々に現れるのだろうか。買い物に行ってもそう。バイトに行ってもそう。ギルドに来たってそう。それも、自分より早い段階で来ているのだから、ある意味後ろからコソコソとついてこられるよりも気味が悪い。別に突っかかられたりストーキングされたりなどとそういうことはないのだが、しかし無性にイラッとする。いい加減にわけが分からなくなるほどには彼の顔を見ている気がした。
ただ、見た限り迅雷は闘技場を利用するためにギルドを訪れているらしい。それならば、今日はもうこれ以上彼の顔を見ることもないだろう。
迅雷が受付を離れたのを確認して、雪姫は受付に向かった。彼女は歩み去る迅雷を横目に流し見るのだが、そんな彼の隣には金髪で、赤いリボンで括られたサイドテールを揺らす小学生らしき少女がいたのに気付いた。雪姫はその少女にも見覚えがあった。あの『ゲゲイ・ゼラ』を単独で圧倒していた、あの女の子だ。
「あれなら確かに、特訓相手にはピッタリ、か」
一見してまったく強そうには見えない、妹の夏姫と同じくらいの年頃だろう少女。しかし、その実態は得体の知れない強さを内包した謎の人物。雪姫の中での千影の印象は、そういった感じだった。
迅雷がここに来ていた理由にも大体察しがついた雪姫は、そんな風に呟いて視線を前に戻した。
「あら、天田さん!こんにちはー」
すっかり馴れ馴れしい挨拶をふっかけてきたのは、受付嬢の日野甘菜だ。馴れ馴れしいというのも、単純な付き合いの長さだけではなく、ちょうど雪姫が中学生ながらにギルドに顔を出すようになった頃にギルドに入って来たばかりだった甘菜にとって、雪姫はいわば、お仕事人生において一番の常連さんのようなものなのだ。それは愛着だって沸くだろう。
もっとも、そんな風に思っているのは甘菜だけであって、雪姫は別に彼女と仲良くするつもりなどさらさらない。
今となってはそういう風潮は甘菜に限ったことではなく、雪姫はすっかりギルドの職員たちみなに暖かく迎えられるようになっていけれども、その本当の意図や理由を雪姫は知っている。知っているから、そんな見え見えの厚意に預かるつもりなどないのだ。
「どうも」
「今日はどうしたの?あ、分かった。天田さんも小闘技場で特訓?当たりでしょ?『高総戦』も近いもんね!」
「1人でですか?」
誰とも一緒に来ない雪姫が、それでもわざわざ小闘技場を借りるだけの目的を持っているはずがない。それなのにそんなことを言う甘菜には、雪姫も呆れを隠しきれない。イヤミを言ったわけではなかったのだろうし、雪姫もそこに関しては気にしていないのだが、前提からしてアホくさい話は鼻で笑う。
しかし、甘菜は困ったように笑うだけ。
「いや、ちょうど今、迅雷君が来てたからね。確かクラスも一緒なんじゃなかったっけ?一緒に特訓とかはしてみないのかなー、なんて思ってみたんだけど」
「はぁ?なんでですか、ますます馬鹿らしい。あたしが人の相手したところでなんの特訓にもならないと思うんですけど」
甘菜のまさかの発言には、雪姫も思わず笑ってしまう。もちろん、目は笑っていないが。単にイラついただけである。
「そんなことばっかり言って・・・。彼だってそこそこやれると思うけど」
「知ったことじゃないですね」
「むむむ・・・。いいですよ、ぷんぷん。それで、今日はどうしたの?」
年甲斐もなく頬を膨らませつつ、甘菜は改めて雪姫に今日の用件を聞き直した。とはいえ、甘菜も大体、雪姫がなにを言うか分かってはいた。
「いつも通りダンジョンです」
雪姫にとって学生との試合に勝つことなど、赤子の手を捻るような、それも、捻りすぎて捻り潰してしまわないように加減しないといけないくらいのものだろう。もしかすれば、少しは楽しませてくれるような人もいるのかもしれないが、正直負ける気はしない。
マンティオ学園の生徒会長でランク4の魔法士でもある豊園萌生と、雪姫はまだ試合をしたことはない。だが雪姫は、恐らく、自分が勝つだろうと見ている。
となれば、必然的に雪姫の周りには練習相手になるような人間などいないのだ。したがって、ダンジョンに一狩り行こうぜ、となるわけである。q.e.d.だ。ついでになにかクエストでも受けておいて、生活費の足しにするのも良いだろう。
「あれ、天田さん?」
「お、天田さんだー」
「ホントだー」
「・・・・・・」
さっさと手続きを済ませようとした雪姫だったのだが、なんとも間の悪いことに後ろから声をかけられた。
声には心当たりがある。3人いるようだが、3人ともクラスメートだ。どうにも学生らしき利用客が多いようには感じていたが、せめてもっと早く来るか、または昼食を食べてから来るかしてくれれば良いものを。
しかし、いくら心の中だけで毒づいても3人が帰ってくれるわけではない。
「・・・チッ」
声をかけてきたクラスメートの少女たちの方には振り返ることもなく、雪姫はわざわざぶつけるのすら億劫な面倒臭さを舌打ちで表現した。それを正面から見ていた甘菜が軽く涙目になる。
「ひぃぃ・・・天田さん目、目が怖い・・・」
「目つき悪いのなんかいつものことでしょう。さっさと手続きやってください」
「はいぃ・・・。というか自覚あったんだ。せっかくの美人さんなのに、もったいないよ?」
「・・・」
無言の圧力に屈する甘菜。彼女はシュンとして、雪姫に言われたとおりにダンジョン利用の手続きを済ませる。お客様は神様、という言葉もあるにはあるのだが、それにしてもどっちの方が目上の立場なのだか分からない。日本人というのは年長者を敬う人種ではなかったのか。完全に年下に押し負けている甘菜を見て、可哀想に感じる人も少なくはあるまい。
利用料金を払ってチケットを受け取ると、雪姫はすぐに受付のカウンターを離れた。甘菜が「気を付けてね」とか言うのだが、余計な心配だ。決まり文句なのだろうけれど。
「あ、あれ!?天田さーん?む、無視・・・?」
この声は確か、東雲慈音だったと思う。ふわふわと気の抜けている声で、可愛らしくはあっても、雪姫はこの覇気の無い感じがどうにも好かない。
このまま無視して言ってしまっても良かったのだが、そうすると彼女らの視界に自分が映る限り声をかけ続けられかねない・・・というか、最悪つきまとわれるかもしれないので、雪姫は立ち止まって首だけで後ろを振り返った。
「あ、天田さ・・・ひぃっ!?」
慈音が顔を真っ青にして子兎みたいにビクビクと震えだした。横2名、沢野友香と朝峯向日葵も酷く怯えている。雪姫が、それはそれはとびきり不快そうな視線を送ったからだ。うるさい(あくまで雪姫目線)3人も、すっかり黙り込んでしまった。
今度こそ邪魔者を追い払うことに成功した雪姫は、悠然と異界転移門棟に向かった。
●
「おォァッ!」
剣に乗っけた黄色魔力を、剣を振る遠心力に任せてすっ飛ばす。
刀身から投げ出された魔力の塊は、5mほどの距離を直進して霧散した。
「んー、面白い技だけど、イマイチ射程がねー。威力も分散してるし」
「だよなぁ。見た目は派手だからフェイク程度ならこのままでも使えそうだけど・・・」
第2ラウンドでは5秒で千影に背中を取られて文字通り秒殺された迅雷は現在、試合はやめて新技の研究中である。
今やってみせた剣技魔法は、よくマンガで剣士キャラが必殺技としている、所謂「飛ぶ斬撃」をイメージしたものだ。
より正確には、複雑な魔法陣を必要とせず、刀身内に圧縮した魔力塊を剣を振るい勢いに任せて敵に飛ばすという攻撃である。理論上はある程度刃の形を保ったまま飛んでいくので、当たったものを切断するくらいのことは可能なはずだ。とはいえ、今は斬撃というより本当にただの魔力の塊を敵に投げつけているような段階なのだが、それすらもうまくいかない。
迅雷はこの技を『駆雷』と命名するつもりなのだが、どうにもただの激しい漏電現象みたいなことにしかならない。
「んー、くそ。イメージが足りないなぁ。やっぱり現実は甘くないということか・・・」
想像以上にうまくいかない試行に、迅雷は嫌な焦りを感じた。出来そうで出来ないというのは、魔法に関して言えば特に悔しい現象である。なにせ魔法は、比較的考えた通りに動いてくれる、まさに魔法のようなものなのだから。
そんな迅雷を千影はワクワクした目で励ます。
「でも、こんな中二くさい技をマスターしたらかなり強そうだよね。もーちょい頑張ってみようよ」
「そのつもりだよ・・・っと」
軽く剣を素振りする。イメージは大事だ。いくらあっても困らない。
まずは頭の中で自分が「三十六煩悩鳳」とか「月牙天衝」とかを撃っている姿を想像して―――――。
「・・・うっ!?」
ドクン、と心臓が跳ねる音が聞こえた。
魔力が制御を失った感覚だ。
―――――マズイ。
直感した。これはかなり危険な状態だった。そして、今更堪えることも出来ない。
イメージに合わせて剣に魔力を込めようとしただけなのに、逆に凄まじい量の魔力が溢れ出してくる。
千影に逃げるよう言いたいのに、もう、間に合わない。
瞬間、迅雷が望まず振り下ろしてしまった刀身から轟雷と暴風が溢れ出し、局所的な天変地異を引き起こした。
「んなっ!?」
千影もさすがにこればかりは身の守りようがなかった。なにせ、小闘技場の床1辺50m、高さ15mの直方体すべてがその爆風で埋め尽くされたのだから。
強烈な爆風は、まるで一切の減速をしない自動車が思い切り轢き跳ね飛ばすように千影の体を叩いた。
もう、『服が焦げる』ではすまない破壊力だ。
なるほど、これだけの魔力に攻撃の指向を与えてやれば『ゲゲイ・ゼラ』も瞬殺できるわけだ―――――などという暢気な感想が、どうして浮かんでしまうのだか。これだから自分の身に降りかかる破壊への危機感は薄れているというのは―――――。
あっという間に、千影の小さな体は閃光の中に呑み込まれた。
元話 episode3 sect15 ”土曜日群像劇場”(2016/10/26)
episode3 sect16 ”不可視”(2016/10/28)
episode3 sect17 ” Out of Control”(2016/10/29)