episode9 sect9
荒々しくも美しい救い主は、倉庫の天井を豪快にぶち破ってやって来た。
少女だ。少女は着地するまでのわずかな間に、ぶっ飛ばしては跳び移り、蹴っ飛ばしては乗り移って、十人もの武装した騎士たちを叩きのめしてしまった。
「な、なんだ貴様は!?」
「見て分かんないの?ならバッチリね!!」
寸前までの勢いからは奇妙なほど軽やかに地に足を付けた少女は、巻き上げられた塵埃のヴェールを脱ぐように堂々と立ち上がってエルケーを背に庇い、そしてナジに獰猛な笑みを突き付ける。エルケーにだけは分かった。間違いなく、ルニアだった。
「くそ!!構わずまとめて叩くんだ!!」
『無論そうする!!』
若造のナジなんかよりよっぽど覚悟の決まった連中もわんさかいる。だが、ルニアは迫り来る壁のような敵意に対して一歩も退かず、それどころか戦きと共にその両手から剣より鋭利な爪を伸ばす。
「にゃあああッ!!」
圧巻。
その一言に尽きた。
天井に届くまで長大化した魔力の爪が数度振り回され、コンテナも、倉庫の建屋さえもが輪切りにされていく。一斉に掛かったはずの騎士たちも、その暴威の前では羽虫のように払い散らされるのみであった。
瓦礫が崩落する轟音。肌にやすりをかけるような激しい土煙。混乱の中で、エルケーは爪を消したルニアに、脇に抱え上げられた。
「生きてる?」
「は・・・はい・・・」
「そ。なら良かったわ」
土煙のせいでエルケーにはルニアの横顔の輪郭しか見えなかった。
直後、ルニアは大きく跳躍して倉庫の天井から脱出した。
「くそ、待て・・・ッ!!待てよエルケぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッッッ!!!!!!」
ナジの咆哮がぐんぐん遠退いていく。悪足掻きに放たれた『黒閃』は、ルニアの尻尾で無造作に叩き落とされるだけだった。
○
エルケーの腹の刺し傷は、幸い致命傷にはなっていなかった。エルケーはすんでのところで反応し、跳び退いていたのだ。
倉庫から建物の屋根伝いにホテルまで逃げ帰ったルニアは、エルケーの怪我の手当てを終えると包帯の上から傷を小突いた。
「なにやってるのよ、貴方は」
「・・・申し訳ありません。助けていただいて、ありがとうございました」
「まったくよ。護衛のくせに私に助けられてちゃ世話ないわ」
「それなんですけど―――」
心底呆れた様子で肩をすくめるルニアは、もう、いつも通りの可憐で生意気なお姫様に戻っていた。だが、彼女は紛れもなく、エルケーをあの危機的状況から救い出してくれた。その事実が、エルケーに素朴な疑問を抱かせる。
「そもそも、ルニア様には護衛なんて必要だったんですか。・・・あれだけの力があれば俺なんていなくたって、ご自分の身を守るくらい・・・」
「そうね」
断言した。
だけど、断言したうえでルニアはエルケーの手を取り、彼に自らの目を見るよう誘って、それから一言付け足した。
「それでも、エルケーは必要なの」
「分かりませんよ」
「本当に?貴方、そこまで馬鹿でもないでしょーに」
言いながら、ルニアもどこかではいまのエルケーの気持ちも分かるような気がしていた。なんてことはない―――なんて言うと当人にとっては酷く不愉快だろうけれど―――ありふれた無力感、虚脱感だ。恐らく、エルケーは決して治らない己の迂闊さに落胆している真っ最中で、他のことなんて碌に考えられないのだ。
本当、年上の男のくせに世話の焼ける。しかし、ルニアにも責任の念はある。
「確かに、私は腕っ節にはそこそこ自信あるわよ?でもね、エルケー。私ってお姫様でアイドルで民連軍総帥な超有名人なのよ。そりゃあ、アーニャ姉様やザニア兄様ほどじゃないけど、世界中どこに行ったって注目を集めたら一発で私がルニアだってバレちゃうわ。だから、事あるごとに今回みたいに大暴れするわけにはいかないの。ほら、フードだってヒラヒラしちゃうし、ね?」
「なるほどね。それなら代わりに荒事を担当する奴が必要でしょう。・・・けど、ルニア様でも勝てないような敵と遭遇したらどうするんですか。言っておきますが、世の中そう都合良く進みませんよ」
「含蓄のある言葉だにゃあ」
「ぐぬ・・・」
ルニアはニヤニヤを隠さない。分かりきったことだ。エルケーに逃げられそうになった。アーニアを守れなかった。クースィを止められたはずなのに、そう出来なかった。民連軍は広く受け入れてはもらえなかった。王女としての暮らしは少々窮屈で、城を抜け出しては何度もバレて叱られた。兄には小さい頃に喧嘩でやり返して以来どこか距離を置かれるようになってしまった。
この世界で生きる人々に、自分にとって都合良く進むことなんて、どれほどあるだろうか。思い悩んでたくさん努力しても、不都合はいつだってそれらを悠々と乗り越え、時には裏をかき、先回りして我々を嘲笑う。
でも、だけど。
だからって考えるのをやめて良い理由にはならない。思い通りにならなくたって、努力には1センチでも1ミリでもマシな結果に近付くための意味がある。ルニアはそう信じている。そして、その努力は独りでするもんじゃないってことも知っている。
「エルケーも一緒に考えてくれれば、そんなヤバい敵と出会わずに済むかもしれないわ。だから、ここからはちゃんと力を貸してちょうだい」
「”かも”ですか。無理矢理こんなとこまで連れて来といて俺が悪いみたいに言いやがりますね。大体、人にものを頼むならそんな消極的な脅しじゃなくってメリットを提示するものですよ、ルニア様」
「おや?ルーニャさんと2人っきりはご不満ですかにゃ?」
素直に謝らないあたりは政治家なのか、冷や汗かきつつルニアはわざとらしく頬に指を当てて舌を出した。もう好い加減に、エルケーも本気で長い嘆息をして、それから。
「悪くはありませんね」
●
今度こそ、ルニアとエルケーの”二人旅”が始まった。
まずはブザ全域に敷かれたリリトゥバス王国騎士団の強化された監視網をエルケーの知識と予測でなんとかすり抜け、無事に脱出した。
それから、予定通りにブザ南東の港町フェネルスに向け、2泊3日の砂漠横断を決行した。フツーに死ぬかと思った。807番ダンジョンが極限環境過ぎたせいで、気を引き締めたつもりで準備しても、どこか甘く見ていたらしい。砂漠のど真ん中で口げんかしているところを行商の小さなキャラバンに見つけてもらえなかったらちょっとヤバかった。いや、あれは大声で誰かに見つけてもらうっていう高尚な作戦だったんだよ。うん。
命からがら辿り着いたフェネルスでようやく一息つけるかと思えば、フードを被ってサングラスを掛けていても漏れ出してしまうルーニャさんの魅力につられたケダモノどもが寄ってきた。そう、フェネルスではリリトゥバス王国騎士団の監視が薄い分、治安が悪いアングラシティだったのだ。
まぁ、正直それは知れたこと。そもそも、ルニアはフェネルスで活動する密輸組織を利用するつもりでルートを組み立てていたのだ。
しかし、よりにもよってエルケーが露払いした好色なチンピラどもこそが、ルニアのアテにしていた密輸組織の構成員だったのである。しかも、エルケーの訓練された戦い方を見た連中には現役騎士の覆面捜査だと警戒される始末。殺意を向けられたときには本気でその場の密輸組織構成員全員を殺して別の組織を頼る考えがエルケーの頭をよぎった。だが、そこでルニアがまさかの行動に出たのだ。
『この顔、見憶えないかしら?』
ルニアの交渉術は見事なものだった。秩序の守り手である王族と騎士による、秩序の穴に関する情報提供。そして今後も含めて組織にとって不利益になる行動は決してしないという約束をし、ついでにエルケーが密輸船の用心棒をすることで帰りの船まで合意を取り付けてしまった。お姫様と騎士様なのに犯罪シンジケートに協力するのってどうなの?なんて、いまさらそんなの野暮だ。
然して、奇跡的に無事出港。ブザ王国から密出国した2人が次に目指したのはデルゲネウス半島から東方―――ボレアス洋とレヴィア洋、ふたつの海の境界に浮かぶ大島、カピュート島だ。カピュート島の南東にも密輸組織の拠点があり、道中、彼らと打ち解けたルニアはそこへ小型のモーターボートを1隻、割安で用意してもらえることになった。どうやら俗な趣味に傾倒していたルニアの知識は彼らにウケが良かったらしい。
人生初密航は5日ほどに渡り、船はカピュート島北西部の狭隘な浅瀬に接岸した。ダルマチア式の複雑な入り江にそこそこ立派な船舶を上手に操り入れる腕には感心させられたものだ。ルニアは。集落にも満たない密輸組織の中継拠点で小一時間ほど休んだら、まだゆっくりしたがるエルケーの耳を引っ張って早々に出発した。
カピュート島における密輸組織の運送ルートはやや北に膨らみつつも島を堂々と横断している。これを使えば目指す南東の町へも1日か2日で到着出来た。だが、残念ながらルニアとエルケーにはそのルートは使えない。というのも、カピュート島の北側は皇国の監視が非常に厳しいのである。今回力を貸してくれた密輸組織が北を経由して移動出来るのは、彼らが皇国と癒着関係にあるからで、他の犯罪シンジケートの多くは仮にカピュート島で活動したいなら南側の道なき道を選ぶしかなかった。現実にはそのような困難を冒してまでこの島に拘るものなどごく少数だが、ルニアとエルケーは皇国に見つかってはならない身の上であるがために、この島へ来たからにはそこを往かねばならなかった。選んだルートは、とにかく海岸沿いにぐるっと回る道だ。森を突っ切るよりは道に迷うリスクが低そうだったからだが、それはもう死ぬほど大変な道程であった。
2人が島の反対側まで辿り着いたのは、上陸からさらに5日後であった。当然、一緒に島まで来た密輸組織の連中はとうの昔に到着して、約束していた小型ボートも既に手配してくれていた。ならばすぐにも、と逸るルニアだったが、さすがにエルケーが制止した。どんなに精強な騎士団であっても大自然の中を碌に休まず1週間も行軍することは出来ない。ルニアも焦っていた。真の目的地は未だ遠く、その中継地点である町でさえ何日歩いても見えてこなかったのだから。
エルケーの頑張りでその日は、もう巡り会えないと思っていた美味しい料理と広い寝床まで用意出来て、久々にちょっとした観光気分を味わった。翌日は生憎の天気だったが、むしろ良かったのかもしれない。出航を見送った2人は、1日かけて今後の方針について話し合った。本当ならもう何日かは体を休めて冷静に計画を練り直すべき場面ではあったのかもしれないが、たった1日でもそんな時間を作れたことには非常に大きな意味があった。
なにしろ、カピュート島を発てば、次の目的地はアスモダニア大陸―――すなわち現在、その面積の全て、一平米たりとも余すところなく皇国が支配する世界なのだから。
その翌日の性急な出航ではあったが、幸い、ルニアには多少なり航海の知識があった。王室の英才教育がこんな場面で生きようとはルニア自身も思っていなかったし、それでもなお無知なまま海の藻屑コースをまっしぐらよりはマシ、程度の恩恵ではあったが、結局、待っていたのは生きるか死ぬかの大冒険だった。雨には降られ風にも吹かれ、危うくエンジンも死にかけて計5日。座礁という形でルニアとエルケーはアスモダニア大陸の南端に立った。
そこはもう、ビスディア技術特区の領土であった。
○
「「・・・陸だぁ」」
ここまでも散々過酷な経験をしてきて、そのたび新たな感動を味わってきたが、よもや地面があるだけで涙を流す日が来ようとは。
「お、おつかれさまぁ・・・エルケー・・・」
「ルーニャさんこそ・・・」
天候は晴れ。秘境の白い砂浜で大の字になって、2人は大笑いした。
「こっち見ないでよ?」
「イヤです」
2人以外に誰もいない砂浜に鈍い音がひとつ響いた。
座礁したボートを乗り捨て浅瀬を歩いた2人は濡れた服を岩の上で天日干ししつつ、岩を挟んで背中合わせになった。ようやくのんびりと空を眺められて、ふと感慨深くなる。
「ここまで来られたいまだから言うんだけど、正直、こんなに上手く民連まで帰ってこられるとは思ってなかったのよね」
「サラッととんでもない爆弾発言ですねぇ・・・?」
ゾッとしないのはいまさらだけど、でもやっぱり成算のない計画だと感じていながら巻き込まれたのかと思うとゾッとする。
「貴方のおかげ」
「・・・へ?」
「強がる相手がいるのって思ってたより重要だったなーって思って」
「そんなことで感謝されたかないんですが!?」
「にひひ。冗談よ、半分くらい」
久々に、自然な笑いが出たような気がした。大変な旅だった。そんなことでこの胸につっかえた悲しみが消えることはないけれど、それでも、エルケーとの旅は良い意味でルニアの気を紛らわせてくれていた。楽しさと悲しさは心の中で住み分け出来ずごちゃ混ぜになって、ただ精神世界から物理世界に表出するにあたってはシンプルに悲しい気分を忘れていられるようになっていた。
「半分かよ」
「そ、半分」
「まぁ分からなくもないですけど」
「そうでしょ?」
もう一度、笑って、それから。
「エルケー。ねぇ。こんな無茶に付き合ってくれて、本当にありがとう」
「またそんな突拍子もなく」
「ずっと思ってたわよ。ブザ以降は協力的でいてくれたでしょ?すごく嬉しかった」
ちょっとだけ静かな時間が流れて、波打つ音。海鳥たちが喧しい。ズルい台詞だ。エルケーはそう思った。この子はいっつもズルいんだ。でも、この甘い勘違いがエルケーの生きて帰るための活力の源なのも間違いない。さんざイラつかされる相手にこんな感想を抱くのは頭がおかしくなったみたいだが、どうにもルニアには癒やされて仕方ない。思えばエルケーは最初から安い男だった気がする。
「なにをもう目的を果たしたようなコト言ってるんですか。むしろここからが正念場でしょうに」
「お?乗り気じゃない」
「心配して言っただけですよ」
「むぅ。分かってるわよ。こっからはいままで以上に気を引き締めていかないと。改めてよろしくね。私の騎士様」
●
ビスディア技術特区には領土を東西に二分する非常に長大な山脈がある。それも非常に高く険しい山脈だ。とはいえ、文明栄えて久しい旧民連領に越えられぬ山はない。探せば必ず道はある。
ルニアたちが漂着したのは特区の南端付近の原生林地帯だ。そして、目指す旧首都ノヴィス・パラデーは特区の北東、それもほぼ東端に位置している。本当は漂着地点から100km程度南下すれば空港があり、特区の内周をグルリと回る環状鉄道もあるが、例に漏れずルニアにそれらの交通手段は使えない。それどころか、皇国騎士がいつどこに立っているかも分からない特区内の移動では、むしろ空港や駅のような公共施設は近付くだけでも非常に危険な場所と言える。従って、出来るだけ隠密に特区を北上するなら、先ほど話した山脈を縦断するのが最も合理的だ。しかし、カピュート島とは違って歩いて進むのでは何日かかるかも分からない道なので、とにかく足が必要だった。
・・・と、いうことで。
ルニアとエルケーは夜中を狙って山間部のポツンと一軒家に忍び込み、車が2台あるのを確かめてからセキュリティのゆるそうな古い方の車を拝借した。ラッキーなことに燃料も缶で置いてあったので、2缶ほど頂戴し、夜の峠を攻めるキワッキワのドライブデートへ。
「いいんですか。なんかもう・・・いろいろと」
「良くはないわね!ニャッハー!!」
はい、なにが良くなかったのか整理しましょう。
不法侵入。窃盗。器物損壊。無免許運転。無免許運転。無灯火運転。速度超過。
無免許運転を2回言ったのはルニアもエルケーも揃って無免許だからだ。
「ここまで来るにもたくさんワルいことしてきたじゃない!良くはないけど良いのよ、全部上手くいったあとでこの車の持ち主にはニルニーヤ栄誉賞を授与してあげれば!」
「暴君爆誕」
思い返せばルニアの言う通りだ。無免許と言うならボートだってそうだし、不法入出国を繰り返しているし、もはや殺人以外で触れていない法がないのではなかろうかという気さえ起こる。
「嗚呼。堕ちるところまで堕ちたなぁ・・・。別に立派な大人になろうとか考えてたワケじゃないけど、なんかショックだ」
「なによ、騎士だったんだから人も殺したことあるんでしょ?いっそ犯罪歴コンプしちゃいなさいよ。ハッキングとか強姦とか」
「心外ですね。殺しは仕事の範囲内ですよ」
言いつつ、ふとかつての上司の顔を思い出してふいと窓の外に目を逸らす。
「エルケー、運転代わって」
「了解」
○
2人でかわりばんこに盗難車を走らせて1週間。半分山籠もりの苦行を選んだ甲斐があった。
峻厳な霊峰の中腹で、迫り出した巨岩に立つと遠くに見える懐かしい街。思わず込み上げてくる熱があった。
「帰ってきた。・・・私・・・帰ってきたんだ―――」
ノヴィス・パラデー。
ルニアの全てが埋もれる街を、眼下に望む。
episode9 sect9 ” The Arkadia on the Embers & Vanities ”
―――余燼と虚飾のアルカディア