episode9 sect8 ”君の名を呼ぶ”
久々の酒の味。港町の美味い肴。再会した旧友との談笑。控えめに言って最高だ。
「でよォ?なぁ聞いてくれよナジ!」
「聞いてるって。アレだろう、そのルーニャさんって人にまたヒドいこと言われたんだろ?」
「酷いなんてもんじゃねぇよ!!俺がお前らに見つかったらマズい立場だって知った上でよォ~!?なにが『ブザ、行こ?』だ!!とぼけた顔しやがって!!ぶりっ子したって許されねーこともあんだろ~!?なあ!!」
「マジか。確かにそれは配慮の欠片もないな・・・。まったく、僕以外の誰かに先に見つかっていたらと思うとゾッとするねぇ」
「ンッ当だよチクショー。もうこの世で信用出来んのはお前だけだぜナジぃ・・・ヒック」
気分良くしゃべると酔いが回るのも早まるものだ。あるいは飲酒そのものが2ヶ月ぶりくらいになるからかもしれないが、まだ一軒目に入って1時間やそこらなのに、エルケーはすっかり話し上戸だった。
ナジは、空いたエルケーのグラスに酒を足しながら「僕もさぁ」と前置きして、やっと自分の話を始めた。
「さっきも話したけど、いまの騎士団にはもうウンザリなんだよな。なぁ、エルケー?聞いてくれる?」
「おー、言ってみろ言ってみろ。どうせ俺以外に話せる相手がいねぇ話なんだろ」
「一央市侵攻作戦が失敗したあと、リリトゥバスがどうなったか―――エルケー知ってるか?」
「いや、知りたくても知りようがなかったしな」
「それはもう情けない状況さ」
エルケーが首を横に振るところまで見越していたような調子で、ナジはあの惨めな前哨戦の後日談を語り始めた。
まず、件の作戦は計画段階から皇国の協力を受けることが決定していた。基本的に協調路線を取ることの少ない両国が、今回に限ってあっさり手を組んだ理由は様々に予測されているが、そういう政治的なところはナジにもエルケーにも測りかねる。噂では5年前の人間界への制裁攻撃―――所謂『血涙の十月』の際になにかを見たアルエル・メトゥが国王陛下に皇国の協力を取り付けるよう進言したとも言われているが・・・いずれにせよエビデンスのない、誰かの面白がった憶測だ。だから、細かいことは置いといて、だ。
皇国は、リリトゥバス王国の求めに快く応じて、いくつかの支援を行ってくれた。それも、かなり破格の支援だ。まず大きなもののひとつが、『ゲゲイ・ゼラ・ロドス』8体を貸与したことだ。そしてもうひとつ。今代の魔姫が夜の支配者たる全能の魔術に代わり目覚めたという新たな魔神の力とやらの恩恵を、次の戦争敵国となるやも知れぬリリトゥバス王国の騎士団に授けたこと。要するに『レメゲトン』の使用権付与だ。
どちらも非常に易い条件で提供された。”今後は仲良くやりましょうね”という約束と共に。民衆はそれを、人間界から接収した財産や資源をフェアに分配して共存共栄を目指しましょう、という意味合いで受け取っていた。
しかし、あるいはそして、皇国の手厚いサポートがあったにも関わらず無様に失敗し、リリトゥバス王国の株は大暴落した。魔界のパワーバランスの均衡が崩れ、王国は表面上の歪みを是正するかのように無理な皇国との友好関係アピールに櫛風沐雨しなくてはならなくなった。結果として偉い連中だけが「我々と皇国は未だ対等な関係ですよ」と詮無い主張を吹聴し、実態は皇国の言いなりという一番情けない姿を晒している。これが現状だ。
その影響は、当然リリトゥバス王国騎士団の活動内容にも及んでいる。
「神たる『アグナロス』すら討ち取られ、取り繕いようのない敗北だった。失ったものは数え切れないのに得たものなんてひとつもない。だからいまあるリソースを支払って誤魔化すしかなかったんだろうさ。けど、皇国の良いように使われるだけの騎士団だぞ?もう僕には留まる価値なんてないよ」
「そりゃあさすがにヤバいな!?上は一体なにやってやがんだ」
「根本的に、負ける可能性なんて微塵も考慮しないで協議を進めていたんだろうね」
「あー」
耳が痛い話だ。エルケーは料理をつまんで気分を誤魔化す。
「羨ましいよ」
「・・・は?」
ひとしきり文句を言い尽くしたらしいナジは、ぐいっと酒をあおってからそう零した。
「エルケーは、いま自由じゃないか」
「いや俺の話聞いてたか?」
「ははっ。それでも、どこか楽しそうに見えるよ、僕にはね。国を裏切り、組織から離反した結果、エルケーは皇国の束縛からも逃れて自由を手にしたんだ。羨ましいよ、本当」
ナジは相当に弱って見えた。
エルケーが離反後に自由だったかと言われれば、決してそんなことはない。だが、騎士としての誇りを傷付けられたナジにとってはエルケーの現状の方がまだ幾分かマシに見えるということだろう。確かにエルケーは捕虜と言えどもさほど尊厳を傷付けられたという意識はない。
大変なのはお互い様、か。
「けどよ、それで愚痴って終わりってタマじゃあなかっただろ、ナジ・フォルナって奴は」
「・・・!・・・ふ、やっぱりエルケーは鋭いな。ああ。実は僕にもプランはあるんだ。皇国に亡命して、向こうで騎士としてやり直すプランが」
「なぁ!?ハッ、ははぁはは!?なんだそりゃ、どういう冗談だ!?」
「冗談じゃあないぜ。いまの情けない王国騎士団であり続けるより、向こうで誇り高く働く方が良いに決まってる。僕は元々、国にはそれほど拘りがないのさ」
「強い国の鋭い剣でありたい―――か。まぁ確かに・・・昔そんなことは言ってたっけなぁ・・・。けど、にしたって突飛な」
「突飛さじゃエルケーもどっこいどっこいだろ」
ナジはまたグラスに口をつける。だが、その目付きはさっきと打って変わってギラギラしていた。
「エルケー。君もIAMOから脱出してここまで戻ってきたってことは、魔界でもう一度やり直すつもりなんだろう?」
「え?あー・・・いや」
どうもナジはエルケーが魔界に居る理由を誤解しているようだ。しかし、否定しそうになってエルケーはハッと思い出した。ルニアを放り出して、一人で人間界に戻っても仕方がないのだ。最悪拷問の末に殺されかねない。となれば―――だ。
「おい、まさか」
「そのまさかさ。エルケー、僕と一緒にここから逃げないか?本当は、僕独りじゃ達成出来そうもないプランだったんでほとんど諦めかけてたんだけど・・・もしエルケーが力を貸してくれるなら、きっとうまくいく」
エルケーにとって、ナジの提案は願ってもない助け船だ。ホテルから勢い任せに飛び出してきた後は果たしてこれからどうしたものかと胃痛を覚えたが、ようやく光が差してきた。
既に半分は決心した状態で、しかしエルケーは飛びついたと思われてもダサいので、努めて用心深く装って声を低くした。
「そりゃあ・・・そのプランとやらの詳細次第だな」
またしてもなにも知らないエルケー・ムゥバン(24)にはなりたくない、というのも本心だが。
ともあれ、エルケーの疑りにナジはむしろ「いいね」と返し、席を立った。これより先の話は冗談では済まされないから、誰が聞いているとも知れない酒場で話すわけにはいかないのだ。
「こっちへ」
「おう」
ナジは迷いない足取りで、エルケーを路地裏へ誘った。しかし、ここは夜の飲み屋街だ。まだまだ人は多い。ナジはさらに歩いて、やがて夜は閑散としている港市場の方までやって来た。周囲を警戒しつつ、ナジは市場の一角にある大きな倉庫の中へエルケーを案内した。
「ここの持ち主は、なぜかいつも夜になっても施錠しないんだ。ま、おかげでこうしてありがたく使わせてもらえるわけだけど」
「不用心な老人は珍しくもねェよ。ひと昔前まではブザも首都とは名ばかりのド田舎漁村だったらしいしな」
倉庫の中にはたくさんのコンテナや木箱があり、使用感はある。内装は比較的綺麗で、建って4、5年くらいの倉庫なのだろう。ただ、そこかしこに時代を感じる機械や資材が転がっており、所有者の年代を窺わせている。
「さて、そんじゃあ話してくれよ。ナジの亡命プランとやらを」
「ああ。段取りとしては、まずね―――」
ナジはエルケーの右手を取ると、
「君を捕らえて、本国へ輸送する任務に就くんだ」
そのまま手を背後までひねってエルケーを押し倒し、拘束した。
「がっ。オイ、テメェ・・・!?」
「大丈夫大丈夫。演技さ。そのまま2人で別の飛行機に駆け込んで皇国へ飛ぶって寸法だ」
「フザけろッ!!冗談でここまでする、がぁぁッ!?」
「騒いでも虚しいだけだよ、裏切り者」
完全に信じ切ってしまった。関節を極められたエルケーは激痛に喘ぐ。だが、ナジの言う通り叫んだって虚しいだけだ。ここには、この世界には、もうエルケーを助けてくれる仲間なんていないのだから。
「くそッ!!くそッ!!くそが、ぁぁァァアッ!!結局、テメェは初めっから・・・!!」
「当然だろ。僕は王国騎士で、君は僕らを裏切り人間に媚びを売った造反者だ。どうして見逃してもらえるだなんて信じるんだ?相変わらず考えの甘いヤツだな君は」
「だったら!!さっきまで俺に話してたのはなんだったんだよ!!アレ全部が嘘ってワケでもないだろうが!?いまからでも真面目に考え直してみようぜ!?なぁ!?」
ただ巨大な鉄箱の内。エルケーの絶叫はこの上なくよく響く。
「君が裏切ったと知ったときショックだったっていうのは、一番ガチだったよ。なんせ君は僕ら同期の中じゃ片手に入る優秀な騎士だったんだから。皇国の横暴も事実だけど、僕ら騎士団の誇りに付けた傷の深さは君ほどじゃない」
「チィ・・・ッ、また仲良しごっこの話かよ!!」
「独善的な個のままじゃいまの魔界じゃ自衛出来ないって話だろうに。夢を見すぎだ」
「なんとでも言え!!俺のなりたかったもんはお前らみたいな軟弱集団じゃねぇんだよ!!」
だっせぇ。情けねぇ。調子に乗って飲み過ぎた。酔いで体に上手く力が入らない。素面だったらナジの拘束を振りほどくくらい訳ないことだっただろうに。いいや、そうか。
「ハッ・・・、テメェ、そうか、地力じゃ俺に敵わねぇからってこんなまどろっこしい真似したってワケかよ?しょうもねェな!!そんなら初めっから不意討ちでも良かっただろうになァ、ビビリくん!?」
「ビビリ?当然だろ?辺境の警備で暇を持て余す僕と、入隊と同時に本隊へ配属された強い君―――僕が素面の君をどうやって捕まえるっていうんだ?」
煽りは通じなかった。そう。それほどまでに、本来の彼我の戦力差は絶大だった。きっとナジが街で声を掛けてきたとき、そうする代わりに不意討ちでも狙おうものなら、エルケーは反射でナジを斬殺していたことだろう。
しかし、ナジはエルケーの友として、エルケーが酔えばどの程度まで弱体化するか知っていた。だからあれほど入念に旧交を温めようとした。記憶と立場を総動員して、ナジの知るエルケーを100%安全かつ確実に倒せる条件を整えたのだ。
「く。・・・くははっ」
だが。
「甘いぜ、ナジ・・・。確かに、お前と一緒に居た頃の俺ならここで終わってたろうぜ」
あまり派手に事は起こしたくなかったが、生きるか死ぬかの前では些末事だ。
リリス族、サキュバス族らしいエルケーの白い眼球が、叡魔族が如く漆黒に染まり、頭上に歯車のようなハイロウが現出する。
『レメゲトン』
ナジ・フォルナの知るエルケー・ムゥバンからは最もかけ離れた、絶大なる外付けの力を解放する。
「チッ・・・!?」
初めて、ナジの表情に焦りが浮かぶ。
爆発的に増加した魔力量を身体強化に回し、エルケーは力尽くで起き上がって、ナジを振り払う。
そしてそのまま、よろめくナジの顔面に拳を叩き込む。
メキメキと首や頭から音を立てながら、ナジはコンテナの山まで吹っ飛んでゴウン、と轟音を立てる。金属製のコンテナは軽くヘコんで、あわや積まれた荷物が崩落してきそうだ。
しかし、エルケーはコンテナの雪崩など恐れず、肩の調子を確かめながら、へたり込むナジへ詰め寄る。
ナジの首を左手一本で掴んで吊るし上げ、コンテナに押しつけ、右手の指先を眉間に突き付け、『黒閃』をチャージする。
「お前は頭が回るがいっつも詰めが甘かったよなァ。悪く思うなよ、ナジ。テメェにゃ俺は殺せ
エルケーの言葉が不自然に途切れた。
直後、絶叫。
「ッがァあああああああッ!?!?!?」
跳び退き床を転がるエルケーの軌跡を残すようにボタボタと血痕が延びた。
コンテナに背中を預けて咳き込むナジは、苦しい息遣いとは裏腹に、ニタニタと残酷な笑みを浮かべていた。彼の背負うコンテナからは、鋼板を突き破って2本の槍が飛び出し、ナジの正面で赤く染まった穂先を交差していた。
「『レメゲトン』だろ?知ってるよ、そんなの。一央市侵攻作戦に際してアスモ姫が君たち本隊の騎士に与えた便利な”おまじない”だ。知ってるよ。警戒しない理由がない」
「ご、の"・・・野郎ォ"・・・!!」
「詰めが甘いのは君だ!!僕が一人で功を焦るはずないじゃないか!!君じゃないんだからさぁ!!」
暗い倉庫の中。
床の中央で血を流しうずくまるエルケーを囲む無数のコンテナが、一斉に開放する。
この地区に配属された騎士の全員が集まりました、とでも言われても納得する。手負いの酔っ払いに差し向けるにはあまりにも過剰戦力。
逃げるも立ち向かうも絶望。
チェスで言えば、チェックメイト。・・・というか、エルケーは最初からキングひとりで盤上を踊っていたようなものだったのか。
「さぁ殺れ!!裏切り者を粛正せよ!!」
剥き出しの殺意の濁流が押し寄せてくる。一人や二人殺したところで、もはやこの勢いは止まらない。ただただ足掻き虚しく押し潰されへし折られるだけだ。
クソッたれが。そんな悪態さえもつけなかった。
「あああっ、ぁぁああああああああああああッ!?!?!?!?!?!?」
悲痛を極めた慟哭。
同情する者はいなかった。
ただし。
「エルケー!!!!!!」
それでも救いの手を差し伸べてくれる者はいた。
episode9 sect8 ”貴方の名を呼ぶ”