episode9 sect7 ” The Ramparts of Buzzaa ”
ブザ王国首都のブザは、海産物だけでなく、その独特の街並みでも有名だ。8世紀前に建築された高い城郭はただ街の周囲を囲うだけのものではなく、内部へ入り込んで城下町を複雑なブロック構成に区切っている。かつてブザを攻めた侵略者たちは東から街に入って、あちこち走り回った挙げ句、城を見ぬまま西の出口から街を出たといい、かつて海産物を求めた行商人たちは西から街に入って、方々に聞き回った挙げ句、王に謁見出来ぬまま東の出口から街を出たという。現在は観光客たちのために街の詳細なマップが発行され、案内板も街の各所に設置されているため安心して訪れて欲しい。
ブザ空港に到着したあと、ルニアは一番に空港から最寄りのショッピングセンターへ向かった。
「貴方もとりあえず変装くらいしておきなさい」
「いや、でもですねぇ―――」
「なによ。いいからほら!ここは無理矢理連れてきたお詫びも兼ねて私がお金出したげるから!」
エルケーの外見上、最も特徴的な点は紫の髪と青い瞳だろう。どちらも鮮やかなので、彼を知る者が紫と青の組み合わせを見かければ気付く可能性は高い。そのため、ありきたりだが帽子とサングラスを含めたコーディネートが効果的なはずだ。
とゆーことで。
「こんな感じでどう?」
「それとも・・・こう?」
「あ、こっちの方が良いかも」
「うーん、やっぱコレは外せないかにゃあ」
「おいコラ。さっきからルーニャさん俺を着せ替えて楽しんでやがりませんか?」
ギクッとわざわざ口に出して、ルニアは目を泳がせる。リアクションのひとつひとつが王女のくせにあざといというか、俗っぽいというか。
「あー。あれよ。ただ変装出来れば良いってもんじゃあないのよ。他ならぬこの美少女ルーニャさんの隣を歩くにふさわしい格好はしてもらわないと」
「姫様の隣にこんなチャラ男はいませんよ」
ルニアが最終的に気に入ったのは、路上でラッパーでもしていそうな衣装だった。帽子とグラサンが確定事項なら、安直なところ・・・なのだろうか。エルケーの追及から逃げるようにルニアも自分の服を選び始めた。
「無駄遣い」
「・・・。うっさいわね、分かってるわよ・・・」
流石に今回はエルケーに分がある。ルニアは現時点でエルケーの横にいて違和感のないカジュアルな服で変装を済ませているのだ。ヘピェムでもブザでも、まだルーニャがルニア・ノル・ニーア・ニルニーヤと同一人物だと気付いた者はいなかった。変装用の衣装はもう一着あるため、ルニアの分まで買うのは本当の無駄だ。王女という立場を失ったルニアと職を失ったエルケーの財布の中身には限りが有る。
しかし、それでもエルケーの安全を確保するために彼の衣装は必要なはずだ。必要なものに使う程度の金ならちゃんとある。
ルニアは結局、ラッパー風のだぼっとした組み合わせと、一転してハット帽にジャケットとスラックスのコーデも追加で、計2パターンの衣装を購入した。片方の変装がバレても誤魔化せる可能性を残す合理的な手法だ。
・・・なんて複雑な考えが初めからあったわけではない。
「結局2着ですか」
「しょうがないでしょ、貴方って顔もスタイルも良いからいろいろ着せてみたくなるのよ。確かサキュバス族の血も引いてるんだっけ?」
「なんスか、実は脈アリなんスか?」
「ないわよ。ルックス良くたって中身エルケーじゃあ」
やはり飛行機でぶっ殺してしまえば良かったか?
「・・・あ」
「今度はなんです」
「エルケーって名前、ブザでは珍しいの?」
「えぇ?知らないですけど、故郷ではあまりいない名前でしたね」
「そっか。なら、念のため呼び方を考えないといけないわね。せっかく変装してても名前でバレたら意味ないし」
今日のところはブザに滞在する予定だ。宿に向かう道すがら、ルニアはエルケーの偽名の候補をいくつか考えてみた。
「気に入ったのある?」
「プリンスって名前は悪くないですね」
「プリンセスの前でそれ名乗るのおこがましくない?」
「自分で考えたんですよね?」
「私はパリピィっての可愛くて好きよ?」
「俺は頭悪そうでイヤですけどね」
すっかり人間の言葉に馴染んだ、魔界ではきっと2人の間でしか理解出来ないであろう不毛な論争が始まった。そして、両者譲らぬ舌戦の結果、エルケーの偽名は「プリンス・パリピィ」のフルネームで決まった。ちなみにどちらもネタではなく、ブザにおいては決して珍しくない名前である。探せば同姓同名の人が数人はいることだろう。
無事に名前が決まったことで、ホテルにもチェックインを済ませたルニアとエルケーは、部屋で一息つく。ちなみに、2人が入ったのは所謂ラブホテルのような場所だ。性質上、顧客情報はキッチリ保護してくれるし、仮に偽名だとバレても「気恥ずかしくてつい」で言い逃れられる。部屋の防音も優れているため、明日以降の打ち合わせだってやりやすい。
「私の身の安全以外の条件はバッチリってワケよ」
「俺が言うのも変ですけど、よくそこを捨てましたね」
「故郷と人間界の人たちのことを想えばこれくらい安いものよ」
ルニアは冗談をよく言うが、この旅の間、ずっとその瞳の奥には強烈な炎を灯していた。きっとエルケーがここでルニアを押し倒して力尽くで欲望を満たそうとしても、本当に割り切ってしまうのだろう。そう思うと、
「実に萎える台詞ですね」
なんとなく部屋のテレビを点け、エルケーは続けて、
「それで、明日からはどう動く予定なんですか?」
「フェネルスに陸路で向かうつもり」
「陸路!?砂漠ルートですよ!?」
「しんどいけどルート開拓されてる分、807番よりはマシよ」
「五十歩百歩って言うんだ、それは・・・」
○
ルニアはヘピェムで飛行機に乗る際、楽な交通手段を選べるのは今回きりだ、と確かに言っていた。だが、予定として突き付けられるとどうしようもなく気が滅入る。エルケーは軽くつまめるものでも買ってくる、と言って、外の空気を吸いにホテルの外に出た。
「俺に同じだけの覚悟を求めんなよ」
ここまで何度逃げ出そうと思ったか。
このままルニアに任せていたら皇国に見つからずとも自然と行き倒れるのが目に見えている。根本からして、神代疾風の真似をしようというのが馬鹿げている。スーパーカーなら端から崩れゆく橋を渡りきれることもあるだろう。だが少なくともエルケーはスーパーカーではない。いずれ必ず、そう遠くないうちに谷底までドロップアウトすることになる。
コンビニを探して歩きながら、エルケーは深刻な溜息を吐いた。
「ちくしょう、俺は一体どうすりゃ助かるんだ・・・。顔なんかで絆されやがって」
「やぁ、エルケー・ムゥバン」
ルニア以外からは呼ばれてはならない名が背中を突いた。
「ッ!?」
ああ、しくじった。分かっていたはずなのに。目の前の不愉快から逃げたいばかりにこのリスクを完全に失念していた。
ここはブザ王国首都、ブザだ。駐在するリリトゥバス王国騎士は一個旅団ほどもいるのだぞ。
ほぼ反射運動で、エルケーは剣に手を掛け背後を振り返った。
だが。
「おおう!?待った、待ってよエルケー」
「・・・、エルケーなんて名前のヤツは知らないね。俺にはプリンス・パリピィって名前があるんだぞ。急に背後から声を掛けて、しかも人違いだってのにスミマセンもなしか?」
「猿芝居はよしてくれよ、エルケー。僕の名前を言ってみろ」
「・・・・・・ナジ。ナジ・フォルナ」
エルケーがルニアに変装しておけと言われたときに難色を示していたのは、まさにこういうことだ。リリトゥバス王国の人口の約半数を占める人種、サキュバス族。彼らに変装は通用しない。なぜなら、サキュバス族の起源魔術が変身魔術だからだ。外見はおろか、練度の高い者はその魔術によって表面的な魔力特性までをも変質させることすらやってのけるからだ。故に、一般に眉目秀麗ともてはやされるサキュバス族だが、当人たちは互いの容姿になんの価値も見出していない。代わりに彼らは所作、仕草にこそ個人の個人たる所以を定め、それに基づいて相手を認識するのだ。魔術的な能力ではなく、遺伝子レベルまで染み付いた文化として。
「なんで背後を取っていたのに声なんか掛けてきた?俺を捕らえるために近付いたんじゃないのかよ?俺の知るナジ・フォルナはもっと賢い奴だったと思うんだが」
ナジは、リリトゥバス王国騎士団にエルケーと同期で入団した男だ。年齢も同じだった2人は、正規配属前の訓練期間中、最も仲の良い友人同士でもあった。何度となく酒を酌み交わし、社会に出て間もない当時の悩みや愚痴なんかも、一番気兼ねなく話せる相手だった。
だが、友人である以前にナジはリリトゥバスの騎士だった。そのことを、ナジは同期の中でも特に誇りとしていた。そんな彼が、裏切り者のエルケーに対してかつてのように友好的な態度を取る意図はなんだ。いくら仲が良かったと言っても、それは幼少期の無邪気な友達のような、どれほど細っても不思議と切れない縁とは違う。立場や思惑、様々な理由で切ろうと思えばいつでも切れる関係なのだ。
そんなエルケーの緊張感とは裏腹に、ナジはかつてのように柔和な笑顔でヒラヒラと手を振った。
「確かにエルケーが騎士団を裏切ったと聞いたときはショックだったし、もし次に会ったらどうしてやろうかとも考えたさ。けど、あの戦い以降の騎士団は見るに堪えない有様でさ。きっかけは違うとしても、いまは騎士団を見限ったエルケーの気持ち、分かるつもりだよ。だから、捕らえて罰を受けさせようなんて思っちゃいないんだ」
「・・・なにが起きたんだよ、俺のいないうちに」
「―――!信じてくれるかい!?」
「まぁ・・・そうだな。・・・疑って悪かったよ」
ナジの話しぶりは、全て本心ではないにしろ、現状に抱いている不満については本気の様子が見て取れた。だから、エルケーはナジからの好意を信じることにした。エルケーの知るナジであれば、誇りとしていた騎士団の姿が失われたなら、エルケー同様に早々に見切りをつけて次の行動を考えるはずだ。もう、目の前にいるナジ・フォルナの内側では王国騎士団としての利害はリセットされているようだった。
「こうして話すのなんて、正規配属前の壮行会以来だな」
「うん。お互い積もる話でもあるだろうし、どう?少し付き合ってくれないかい?」
「あー・・・」
疑念が晴れたいま、エルケーとしてもかつての友人と語らいたい気持ちは湧いている。しかし、いまのエルケーはルニアの護衛としてここにいる。ただでさえ、こうして彼女の傍を離れてしまっている現状は望ましくないというのに、これ以上はどう考えても言い逃れのしようがなくなってしまう。
「そうだな。行こうぜ!ナジ、お前もうこっち来て何年だ?ちゃんと良い店連れてってくれよ?」
ま、いっか!もうあのおてんば姫には付き合ってらんねーと思ってたところだし、なんならこのままナジの手も借りて行方を眩ませてしまおう!そうだよ、それが良い!
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「・・・エルケー、遅いなぁ」
もしかしたら、このまま明日になっても帰ってきてくれなかったりするのかな。・・・するのかも。
ルニアは、窓のないホテルの部屋で、壁に耳を当てて、ベッドでギュッと膝を抱えた。