episode9 sect6 ”ひとり+ひとり旅”
ここは『ヘピェム』という、フルフル大陸東部に位置する小国だ。つまり、魔界だ。それだけは間違いない。
「なぁ、ルーニャさん。俺・・・なんでこんなところに来ちまったんでしたっけ?」
「出発してから何回目よ、その台詞。貴方この前言ったじゃない、一生ついてきますーって」
「冗談に決まってんでしょうが!!」
「きゃーん」
エルケーが声を荒らげると、ルニアはわざとらしく恐がってみせた。この元王女、アイドルをやっていただけあってルックスは抜群なので、マジで寝込みを襲って後悔させてやろうか。
ちなみに、魔界にやって来たのはルニアとエルケー―――の、2人きりだ。
○
「エルケー、喜びなさい!いまから魔界に帰るわよ。来てちょうだい!」
「え?」
「はいコレ荷物!あとここにサインしてね」
「えっ?」
「じゃ、よろしくね。私の騎士サマ☆」
「え・・・?」
○
と、まぁ出発までの流れはそんな感じだった。そんな感じもこんな感じも回想が台詞だけじゃねーか、だって?そりゃあ地の文を書いてる暇もなかったんだから仕方ないだろう。詳しい話なんてなにも聞かされていなかったのに、当日いきなり「アンタ今日から私の護衛だから」と言い渡されて有無を言わせず即出発だったのだ。理不尽過ぎる。しかも、道中でルニアに詳しく訊けば、案の定、旅の目的地はいまや皇国領となった旧民連の首都、ノヴィス・パラデーだと言うのだから笑えない。ルニア・ノル・ニーア・ニルニーヤという個人の行動として評価するなら、ドラマチック自殺としか―――。
『ルニア様の身になにかあったら・・・分かっているな?エルケー・ムゥバン・・・!!』
出発前、ルニアの傍付きでありながら護衛を外されたユニスが、隠しようもない悔しさで表情を歪めながらも、ルニアのことを想うが故に心の底から嫌悪していたはずのエルケーに必死に嘆願してきたものだ。エルケーはそんな彼女に対して、ただこう返した。
『分かっているさ。なんとしても守るよ』
だって守れなかったら絶対に死罪じゃん。
運良く命が助かっても、人間界にすら居場所がなくなって野垂れ死に確定じゃん。
ここまで追い詰められたら、さすがに全ての女性が思わずときめくほど真剣な表情になってもしょうがないじゃん。
「そこまで故郷が恋しいわけじゃなかったのに」
「どのみちエルケーに護衛を頼んでいたわよ。リリス族の貴方なら人間を護衛に付けるよりずっと誤魔化しが効きやすいもの」
あまり多人数では行動したくない、という意識もある。全ては、ただでさえ有名人であるルニアが可能な限り目立たないための方策だ。そして、あの時点で人間界からルニアと共に行動出来る魔族はエルケーただ一人。理に適っているから余計に厄介なのだ。
「もう開き直ってルーニャさんとハネムーンしてる気分でいれば良いんですかね」
「良いわね、その設定。腕でも組んで歩きましょうか、ダーリン?」
エルケーは、カジュアルな変装をしたどこにでもいるネコミミ美少女ルーニャちゃんの主張激しめな胸に一瞬目をやってから。
「是非」
「冗談に決まってんでしょうが」
エルケーは決めた。このアマ、今夜絶対グチャグチャに犯してやる、と。
○
どちらともなく、腹の虫が鳴いた。
「それはそれとして、おなか空いたわね。どこかでランチにしない?」
「そんな暢気な」
「でもエルケーだってそろそろマトモなごはんが食べたいでしょ?」
「そりゃ、まぁ」
ルニアたちは、IAMOノア支部から直接このヘピェムまで『門』を通ってやって来たわけではない。そもそも、以前にも触れたはずだが戦争中のこの2つの世界を直接繋ぐ『門』は全て封鎖されているのだ。それは戦争に直接参加していない国家が保有する『門』とて例外ではない。敵と内通していると疑われては敵わないからだ。
ルニアたちは、807番ダンジョンを三日三晩歩いて、間接的にヘピェムの管理施設へやって来た。807番ダンジョンは近年ヘピェム国内の位相歪曲で発見された良質な資源ダンジョンであり、皇国にはまだその存在を知られていない稀少なダンジョンでもあった。
ただ、807番ダンジョンは極寒の大地が果てしなく続く死の世界だ。火山の噴火のように極低温の液体金属を噴き上げる山や過冷却水の雨など、思い出すのも恐ろしい。水も飲む間に凍りかねない地獄でまともな食事にありつけるはずもなく、3日間、ルニアたちが口にしていたのは”不凍液ゼリーレーション”とかいう食べて大丈夫なのか心配になるような非常食だけだった。
「大丈夫よ、エルケー。ヘピェムならまだ皇国の監視の目は及ばないから」
「根拠はあるんですか?」
「ヘピェムは民連の隠れ友好国なの。所謂、第3勢力って括りに含まれていた明確な友好国以外で、かつ皇国の関知しない部分で積極的に交流していた国のコト。実際、多いでしょ?獣人」
「なるほど・・・確かに」
厳密には獣人族の出入りがある国はもれなく皇国の監視対象になっているだろうが、第3勢力国家群と比べれば監視の目は緩く、かつ全く獣人を受け入れない国よりは自然に行動しやすい。加えてヘピェムは皇国に対して徹底的にフラットな国交を展開しており注目も警戒もされにくい立ち位置にいる。まさに魔界のスタート地点としては最適な国だと評価出来る。
そして実際、ルニアの見立ては正しかった。根本である旧ビスディア民主連合とヘピェムの協力関係はまだ皇国の勢力圏国家には正確に認知されていない。関係の実態は民連とヘピェム、両者のみで内々に構築してきたものだからだ。第三国であり、これまた大きな勢力圏を誇るリリトゥバス王国出身のエルケーも、それ故に知らなかったのは当然であり、知らなかったことこそ民連の思惑が期待通りに機能していたことの証左であった。
皇国とヘピェムの距離感が仲良くも悪くもないことも事実であり、皇国の目にはヘピェムは他のあらゆる国に対しても自身に対するのと同程度の振る舞いをする中立国にしか映っていない。地理的にも皇国とヘピェムは丁度惑星の表裏に位置する、互いの最果てだ。いまは歴史に語られる頃ほどの征服欲を持たない皇国には、ヘピェムに騎士団の大部隊を駐留させておく道理がない。
「思ったより本物の王女様なんですね」
「なにそれ、どーゆー意味よコラ?」
「おっと、失礼いたしました」
「ま、貴方の言いたいことは分からないでもないけど―――む。くんくん」
大衆食堂のテーブルでそんな話をしていると、ルニアがなにかを感じて鼻を動かし、それからすぐに注文していた料理が運ばれてきた。
「はいお待ち。ゴロゴロ肉のアップチェと大タマゴのハギハギだよ」
アップチェは、人間界の料理に例えるとグラタンが一番近い。皮の硬い果物の中身をくりぬいて作った丼に、ピンポン球サイズのサイコロ肉が名前の通りにゴロゴロ投入されたブラウンソースがたっぷり注がれ、表面が少し焦げるくらいに焼かれたものだ。フルーティな香りが強いのが特徴の、ヘピェムではポピュラーな家庭料理だ。一方のハギハギは、言ってしまえばクッパそのものだ。魔界には米がないが、穀物を蒸して柔らかくしたものを卵スープに入れてふやかした料理で、具材は塩漬けにされた野菜や果物が多いようだ。
どちらもほこほこと湯気が立っていて、ルニアが目を輝かせた。
「はぅわぁぁぁ・・・!!久方ぶりのあったかごはん~♡」
「喜ぶ基準が低く無いかい、お嬢ちゃん。普段一体なに食べてんだい?あーもう、今日はいっぱい食べていきな!!」
ルニアの喜びように勘違いしたオバチャンが、焼き饅頭を盛った大皿をサービスしてくれた。初めは食べながら今後の行動方針について話し合うつもりでいたのだが、もうそんなことは後回しだった。ルニアもエルケーもまずは脇目も振らず食事を堪能した。
ダンジョンで冷え切った体を温め、腹も満たされた2人は食堂を出るとバスに乗り、東を目指した。ルニアの案内にひとまず従ってみたエルケーは、窓の外の景色を眺めながら元々するつもりだった話を切り出した。
「で、ルーニャさん。俺たちはいまどこへ向かってるんですか?」
「空港よ」
「ほう。飛行機なんて使えるんですね。てっきりもっとコソコソ道なき道を行くものかと思って身構えてました」
「いや、楽な交通手段を選べるのは今回きりよ。それにフライト先もエルケーが考えてんのとは違うと思うなぁ・・・にゃんて」
待て、なんで微妙に明後日の方角を見ながらニヤニヤする?既にこれだけエルケーを引き摺り倒しておいて、いまさらなにに気後れするというのだ。不穏な予感にエルケーは窓の外へやっていた視線をルニアの方へ戻さざるを得なくなる。ルニアはまだ、窓に映っていたのと同じ顔で口笛を吹くフリをしている。
「ルーニャさん。正直に教えてください?」
「・・・ブザ、行こ?」
●
ブザ王国。ヘピェムがあるフルフル大陸とは大南洋を挟んで真東に位置する、デルゲネウス半島南部に位置する国だ。その首都であるブザは、あまり海の幸に恵まれない魔界においては貴重な海産物の採れる港町として有名だ。
なお、デルゲネウス半島が含まれるアガレシア大陸は、その面積の約3分の1がリリトゥバス王国領となっており、大陸内の諸国家への影響力も程度の差はあれどかなりのものだ。そして、ブザ王国はリリトゥバス王国とは友好国であり、安全保障条約によって国内にリリトゥバス王国騎士団が常駐している。
要するに。
「嫌だっ!!絶対に行かねぇよ!!俺は連中に見つかったら確定でぶっ殺されんだよ!!」
「だいじょぶだいじょぶ」
「分かってて黙ってやがったな!!ここまで来ちまったらもう嫌でもついて来るしかないだろうとか考えていままで隠してたな!!」
「えぇー?ルーニャさんなんのことか分かんにゃいにゃあ」
そもそもからして無理矢理連れてこられた死出の旅も同然の計画だった。もしエルケーにルニアの護衛をするかどうか選ぶ権利があったなら、命惜しさに騎士団を裏切り人間界で従順な捕虜として振る舞う彼は間違いなく笑顔でノーを突き付けていた。
むしろよくここまでルニアの無茶に付き合ってあげたものだ。だが、もう我慢ならない。いまの反応で疑念は確信へと変わったが、よりにもよってルニアはエルケーの抱えた事情を知った上で今回の暴挙に出たのだ。さすがにここまでの仕打ちは許容出来なかった。
「馬鹿にしやがって・・・!!悪いが俺はここで下りるぞ。いまさら引き返せないだろとか思ってるなら大間違いだからな?大人ナメん―――」
・・・が、エルケーの威勢は言葉半ばで途切れた。ルニアに掴まれた彼の右手首がミシミシと音を立てたからだ。
ルニアは悲鳴を上げかけたエルケーの口を手で塞いで、そのまま背伸びして顔を近づけた。周囲からはキスをしているように見える格好だ。そう、要するに、仮に目立ってしまったとしても不審とまでは思われない格好だ。実際にはキスなんて当然しちゃいない。吐息の届く至近距離で、ルニアは隠した口元を小さく動かす。
「いいから黙ってついて来なさいよ」
猫なんかより、もうゴリラのような握力だった。ここは既に空港のエントランス。右腕まで失いたくないエルケーは、ルニアと手を繋いだまま新たな恐怖に支配される形で自動ドアを潜るのだった。
飛行機のチケットを買ってから、その便が離陸するまでには4、5時間あった。だが、エルケーは終ぞルニアに逃がしてもらえず、大人しく飛行機に乗り込んだ。いっそこの便にテロリストが乗り合わせていて、ハイジャックでもされてしまえば良い・・・と心の中で呪詛を吐く。
飛び立ってしまえば狙撃される不安もないと考えたのか、ルニアは窓側の座席に座った。離陸前のいまは窓を閉じ、飛行機という移動手段に全幅の信頼を置いているのか、大きなあくびをする。
「ふにゃあ・・・・・・」
気を抜けば凍死するダンジョンを3日も歩き、慣れないヘピェムで碌に休憩もせず下調べした情報だけを頼りに飛行機まで乗り込んだのだ。少女でお姫様なルニアにはさぞかし大変な旅路だったろう。安心して眠気が出るのも当然だ。
昼間は寝込みを襲って後悔させてやろう、などと考えていたエルケーだったが、ここにきて考えが変わりつつあった。
(眠ったら殺して逃げよう)
エルケーは義手となった自身の左腕にそっと意識を向けた。他の乗客に気付かれずルニアを殺す手ならあった。ルニアが窓側の席に座ってくれたことも都合が良い。
どうせ死にに行くようなものだ。エルケーが護衛としての役割を果たさなければルニアは絶対にどこかで皇国に捕まって殺される。初めからルニアの命はエルケーが握っていたことに、やっと気が付いた。遅いか早いかの違いでしかないルニアの死なら、ここで早めに旅を終わらせてしまえば良い。ブザの空港に着いてすぐにトンボ返りすればリリトゥバス王国騎士団に見つかるリスクは避けられる。
ずっとエルケーの右手を質に取っていた握力がゆるゆると弱まっていく。飛行機が滑走路を走り始めて一度は力が戻るも、離陸の慣性が抜けていく浮遊感に魂を連れ去られたように、ルニアは深い眠りへと落ちていく。隣に座る男の目が凍っていくことにも気付かずに。
エルケーはそっとルニアの手を外し、左手でルニアの頬に触れ、それから、飼い猫を弄ぶように顎の下まで撫でる。金属板を曲げて貼り合わせたこの手には、少女の温もりも感触も伝わらない。機械になった気分だ。いや、今時はロボットでも当然のように熱や圧力を感じるものだろうか。だとすれば、機械よりも機械的な心情で、エルケーは義手に魔力を送り込む。
「・・・ごめんね」
はたと手を止める。
目を覚ました・・・わけではない、ようだ。
ルニアはまた寝息を立て始める。
しばらく待っても、次の寝言は出てこない。
(誰に謝ったんだよ)
エルケーは左手に再び力を込め―――ルニアの目尻を拭って、それから自席の肘掛けに乗っけて、自分の頬を置いた。自分の体で出来たループ。熱も感触も分かる。
不貞腐れて眺めるルニアの寝顔に、負け犬の遠吠え。
「可愛いんだよな。・・・ちくしょう」