episode9 sect4
サイラス・チョウは東昌路のとあるビルで、物陰に隠れて息を潜めていた。
サイラスは11歳の小学6年生であった。当然ながら夜の繁華街にそんな子供がひとりでいるのは不自然だ。そして実際に、少年はここに来るまではひとりではなかった。
(くそぉ・・・エルエルのやつどこ行ったんだよぉ)
エルエル、本名エルネスタ・エルスター。2年ほど前に単身ドイツから中国までやって来た変わり者の少女だ。そして、サイラスがいまこんな状況に陥っているのも、元はといえばエルネスタがどっかから拾ってきた妙ちきりんな噂の真相を突き止めよう、などと言い出したせいだ。
なにが「この町のビルの一室で魔力に依らない超能力者を作り出すための研究が行われていて、そのビルには失敗した実験の被検体たちが閉じ込められている」だ。こんな明らかにヤバそうな場所を本気で嗅ぎ回って、本当に特定して、本当に子供2人で乗り込むヤツがいるか。
(・・・いたんだよね・・・)
エルネスタは高校生にもなって怪我したわけでもないのに包帯を巻いたり、謎のドクロアクセサリーを気に入って身に着けていたりと、小学生のサイラスから見ても相当イタい部類の人間だ。その趣味はファッションセンスだけに留まらず、とりわけUMAや超能力といった魔法と異世界の発見によってほぼほぼ否定されたも同然のミステリーをこそこよなく愛する電波少女なのだ。・・・まぁ、そんなエルネスタの漲る好奇心に中てられてこんな場所までのこのことついて来てしまうサイラスが言えたことではないのかもしれないが、とにかく、エルネスタ・エルスターは冗談と本気の境界がブッ壊れたヤツなのだ。
エルネスタの見事な実行力のおかげで無事(?)にこのサロンへと行き着いたサイラスは、最初は彼女と2人でビルの中を探索していた。そして2人が目にしたのは、噂に聞いていた通りの”失敗作”たちだった。
彼らは、フラフラと覚束ない足取りでビルのあちこちをウロウロと歩き回っていた。どこかの部屋に入っていく者もいれば、そうはせずに延々と階段を登って降りてし続ける者もいた。他にも膝を抱えてぶつぶつと訳の分からないことを言い続けている奴がいたかと思えば、そいつはサイラスたちと目が合うといきなり叫んで逃げ出したりもした。
サイラスの父親も、たまに呑み過ぎた日なんかはフラフラでまともにしゃべれなくなることはあった。だが、ここで遭遇した人々は酔っ払っているのとはどうにも違うように思われた。根本的に、人間っぽくないというか、上手く言い表せないが、とにかく異様だった。その恐ろしさが、ますます非人道的な実験の末に生み出された化物であることを証明しているかのようだった。
おまけに建物の中は異臭が満ちていて、うっすらと紫煙も立ち込めていた。その煙は、ビルの3階の廊下で最も濃くなっていた。
魔窟だった。サイラスにそのあたりの単語を思い浮かべるだけの語彙があったならば、あるいは好奇心で先走ろうとするエルネスタを引き止めてさっさとこんな場所から立ち去っていたはずだ。だが、現にこの状況だ。超能力の研究施設という雰囲気こそ見られなかったが、廃人の群れが徘徊する光景や見るからに怪しい部屋の存在にミステリーオタクの血を滾らせたエルネスタは、サイラスのことを顧みずにビルの上へ上へと進んでいってしまった。いかにエルネスタが女の子だと言ったって、サイラスより6学年も上だ。臆するどころか目を輝かせて突っ走るエルネスタに、ビビって足も竦みかけなサイラスはあっさり置いてけぼりにされてしまったのだった。
独りになった途端、サイラスはもうダメだった。あれで結構エルネスタに安心感を抱いていたのだと痛感させられ、ちょっと悔しくなる。しかし、そんな反発ではこの物陰から踏み出す勇気に結びつかない。あんまりにも押し黙って固まっていたものだから、最初に見かけた絶叫逃走男がサイラスのすぐ隣で再びうずくまって譫言を漏らしていた。恐らく同類か、いっそ静かすぎて背景の一部にでも思われたのだろう。
隣の男の存在は善し悪しだった。元々隠れていた段ボールの山と、痩せてはいるが大人の体格はしている男の間に挟まれたサイラスは、徘徊する失敗作たちの目には映らない。ここで大人しくしていればいま以上の恐怖はなく、あとはエルネスタが満足して帰ってくるのを待つだけで済む。ただ、ずっと意味不明なことを呟き続けている男の隣でジッとしていると、サイラスまでおかしくなりそうだ。
(早く戻ってきてよ、エルエルぅ・・・!)
そんなサイラスの心の悲鳴を知ってか知らずか、事態は動きを見せた。
「いいいい一旦落ち着こう?ねっ?ちょ、おにーさん。やだなぁ私そういう強引なのはちょっとぉ・・・ちょ、ねぇ待っ、やっ、やめてよ!!放して!!」
上階から聞こえてきたのは、間違いなくエルネスタの声―――と、かすかだが若い男の猫撫で声だった。なにか良くないことが起こっていることだけは確かだった。
エルネスタの大声に反応してブツブツ男が、また逃げ出したのが合図になった。勇気が湧いたというより、恐怖のメーターが振り切れたという方が正確だった。こんな異界じみた空間で、唯一ひと筋の光明が明滅すれば、それはまともでいられないのも道理だろう。エルネスタになにかあったら、それこそサイラスには耐えられない。
無我夢中で階段を駆け上がったサイラスは、しかし、エルネスタと一緒にいるらしき男の声に近付くにつれて怖じ気づくことを思い出してしまった。足音に気付かれないように気配を殺して、なんなら四つ足歩きでそっと階段を上がり、最後の一段に隠れて、顔の鼻から上半分だけを汚い床面から覗かせる。
このフロアも夜なのに灯りはそこそこで、目は悪くないサイラスでも廊下の様子はハッキリとまでは分からない。だが、そこには間違いなくエルネスタがいて、その彼女の白くて華奢な腕を掴んで逃がすまいとする、見知らぬ男がいた。見るからに軽薄そうな若い男だ。
「あー・・・?もしかして君、お客さんじゃあない?」
「だからそう言ってるじゃないですか!!もう帰るから放してくださいよぅ!!」
「フーン・・・」
「ねぇってば!」
「まぁまぁ。せっかく来たんだからお茶の一杯くらい飲んでから帰りなって。君、まだ学生さんでしょ?特別に初回サービスってことで半額にしといてあげるからさ」
男の口調はエルネスタの必死さに反して、いやに落ち着いたものだった。これが明るい表通りの店の前であったなら、あるいはぼったくりだったにしても、それより悪いようにはされないだろう程度には言葉を信用したかもしれない。だが、このビルに充満する雰囲気はあんまりにも最悪だ。ここで優しく声を掛けてくる人間ほど気味の悪いものはない。それは大人も子供も共通の感性だ。大体、そんな声を出すなら、エルネスタの腕を掴むその手はなぜ放さないのだ、という話である。
「いま手持ちないんで!!」
「いいっていいって♪ほら、こっち」
「ちょ、ちょちょちょっ」
男は掴んでいたエルネスタの腕を引き寄せると、そのまま彼女の背後に回るように立ち位置を変えて無遠慮に肩を抱いた。まるで貴婦人をエスコートでもするような格好で、男は無理矢理にエルネスタを近くの部屋の中へ連れ込んでしまった。
サイラスはその一部始終を、ただ階段に隠れたまま見ていることしか出来なかった。足が竦んで動けなかった。ドアが閉じる直前までエルネスタは向ける先のない助けを求める目を彷徨わせていたというのに、サイラスは。ドアが閉じる瞬間に、階段から頭を半分だけ出したサイラスに気付いたエルネスタに、なにも出来なかった。手を伸ばすことさえ、なにも。それどころか、視界から男の姿が消えて、サイラスは少しだけ余裕を取り戻していた。それが少年の心を傷付ける。
恐る恐る、サイラスは階段を上がりきってみた。罠でしたとばかりに先ほどの男が部屋から飛び出してくる・・・なんてことはない。さっきまで恐くて動けなかったのは事実だが、サイラスがエルネスタを助けたいと思う気持ちも本物だ。薄暗い廊下を、足音を立てないようにゆっくり歩いて、エルネスタと男が入っていった部屋のドアの前に立つ。防音のなっていない粗末な扉からは、中のやりとりが染み出していた。サイラスは扉に耳をくっつけて中の様子を窺った。
(こんなことしてもどうせなんにもなんないだろ・・・)
扉の奥では、男がなんやかんやと言葉を並べ立ててエルネスタを、自身の経営するサロンの会員に勧誘しているようだった。エルネスタは頑なに拒否し続けているが、男もまた執拗だ。しかし、変化は徐々に男の口調に表れ始めていた。ドア越しにも分かる危険なボルテージの高まりと比例して、サイラスが握った掌の内に汗が溜まっていく。汗を揉む手は接着されたように開かない。ドアノブに手は伸びない。ここまで来てもサイラスは、自分では自分を鼓舞出来なかった。自分では。
「ああああッ!!もォ分っかんねぇガキだなぁぁぁ、お前はぁ!!」
大きな音がして、サイラスは驚きふためいて、なにもないのに尻餅をついた。
「お前みたいなのタダで帰すワケねぇだろ。ああ?どうすりゃ分かる?なぁ、どうすりゃあ分かるんだ、なぁ!?」
「や、やめてっ、なに、なに!?!?!?」
机だかなんだかを何度も叩くような音は、次の瞬間、人が暴れて揉み合うような生々しい音に切り替わった。遂に最も恐れていたことが起きてしまった、という直感。サイラスの心臓が不自然に跳ねた。
「暴れんじゃねェ。ココがどーゆートコなのかカラダに直接分からせてやんよ」
「やだッ、やめて!!やめてッ!!」
エルネスタの悲鳴が黒板を引っ掻いたみたいな金切り声にまでなって、ようやくサイラスの体は動いた。慌ててドアを開け放ち、エルネスタのブラウスを力尽くで脱がそうとする男の姿を発見する。
「ぇ・・・エルエルから離れろ、ぉぉお!?」
「あぁ・・・!?」
抵抗するエルネスタにかかりきりの男の反応は遅れた。サイラスは咄嗟に使った魔法でテニスボールより少し小さいくらいの石ころを作り、それを握り締めて男の頭を殴り付けた。
「がぁッ!?!?!?」
男は痛みに呻いてよろめく。・・・が、よろめくだけ。エルネスタの上からどきもしない。石を握っていたって、所詮は子供の腕力だ。それに、碌に喧嘩もしたことのないサイラスに人の殴り方なんて分からなかったし、殴る勇気も足りなかったのだ。
男のこめかみから血が流れ、眼光は鋭利になる。
「・・・ッてェなァこのクソガキぃぃぃッッ!!」
「ぁ、うわッ」
ようやくエルネスタの服から男は手を放す。
その手は代わりにサイラスの横顔へ飛ぶ。自分の振るった暴力にさえ動揺しているようなサイラスには避けることなんて出来っこない。
人が吹っ飛ぶのなんてただの空想だと思っていた。まだその認識から脱しきれないサイラスには、回る世界が一瞬、ひどく超現実的であった。それが災いした。
「ぅ・・・ぅゥゥゥウウウウゥぅぅぅぅぅッ!!」
興奮状態でサイラスは再び男に掴み掛かる。
「サイラスっ」
エルネスタが涙声で叫ぶ。しかし、もう遅い。男は雑にサイラスの体当たりを受け止めると、そのまま少年の柔らかい腹に容赦なく蹴りを見舞った。
「うぶっ・・・!?ぇ、げ・・・!?」
「あーあー汚ェな、人様の部屋でゲロ吐き散らかしやがってよぉ~!!」
一向に怒りが収まる気配を見せない男はサイラスの腕を乱暴に掴み、その体を吊るし上げる。男が空いた方の手を握るのを見たエルネスタが慌てて男の腕にしがみつく。
「やめて!!もうやめて!!お願い!!」
「るッせぇ!!」
男は腕を振りほどこうにも必死にまとわりついてくるエルネスタにも後ろ蹴りを見舞う。もはや売り物にするつもりでいた少女の体に痣が付こうが構わないようだ。あるいは、元々キズ物であっても”そういう趣味の客”がいるから構ったことさえないのか。ともあれエルネスタの抵抗を容易く撥ね除けた男は、今度こそサイラスの顔面に拳を叩き込む。1発、2発、3発目でサイラスの体から力が抜けた。だが、男はさらに拳を振り上げる。
「私なら言う通りにするからホントにやめて!!サイラスが死んじゃう!!」
「死にゃあ良い!!」
「ダメぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ―――!!」
もう見ていられなかった。弟のように可愛がってきたサイラスが嬲り殺される様なんて耐えられるはずない。エルネスタはへたり込んだまま耳を塞いで目を瞑り、床に向かって絶叫した。
しかし。
少女の絶叫に、低い声の絶叫が重なった。
声変わり前のサイラスの喉からそんな叫びは出てこない。
たった2人で乗り込んだ。浩然も学校の友達も、2人がこんなところにいるなんて知らない。警察を呼ぶ隙なんてなかった。
助けてくれる誰かなんて、現れるはずがなかった。
なかった、はずなのに。
半信半疑、エルネスタは顔を上げる。
○
白銀の髪。
白い肌。
白い装束。
ビルに立ち込める濁りきった瘴気の中でさえ、その周囲だけが透き通るように白い少女がいた。
神々しさに、思わず息を呑む。
それはまさに、運命の出会いだった。
○
episode9 sect4 ” No One are Ruling Us Even A God ”
○
「その辺にしておけよ、小悪党」
白銀の少女が口を開く。
外見では国籍はおろか大まかな人種さえ判別のつかない少女は、ネイティブな中国語を話し、不敵な笑顔で男を威圧した。
「がぁ・・・、ンだよぉ、テメェ・・・!?」
ハッと、エルネスタは男の存在を思い出す。見れば、男の右肩にはクナイ手裏剣―――そんなまさか、だがクナイ手裏剣だ、間違いない―――が刺さっていて、サイラスは床に投げ出されていた。
「さ、サイラス!」
男の注意が正体不明の少女に向けられている隙に、エルネスタは転がり出してサイラスを拾い、抱きかかえる。
「サイサイ・・・サイサイっ!!しっかり!!」
「・・・ぅ・・・ぅぅ・・・」
「―――っ!!サイサイ!!」
「エ、ルエル・・・?なにが・・・?」
揺すられ、戻ってきたサイラスはエルネスタに柔らかく包まれたまま、狐の面で右目を隠した少女の姿を探した。サイラスと歳も背丈もさほど変わらないように見える。そんな女の子が、大人の男に喧嘩を売って無事で済むはずが―――。
「「―――!?」」
男の体が綺麗に弧を描いて飛ぶ。
あまりにも鮮やか過ぎる小手返しに、サイラスもエルネスタも、男が全身で床を叩く音を立てるまで、なにが起きたのか理解出来なかった。いや、呆然としたのは2人だけではない。投げられた本人さえ痛みに呻きつつも天井を眺めて三回ほど瞬きするまで事実を認識していなかった。
「・・・こっ、この野郎ォォォ!?」
投げたっきり追い打ちをかける素振りのない少女は、ただニヤニヤと見下してくるだけ。男がフラフラ起き上がるのさえ気にも留めない。馬鹿でも分かるほど馬鹿にされている。
「調子乗ってんじゃね
ふわり。からの背中を等しく打擲する衝撃。言葉の途中で、声になる前の空気が一気に爆ぜて口から飛び出す。
このとき男は懐に隠していたナイフで斬りかかっていたのだが、少女には全く相手にされていなかった。むしろ男を投げてからナイフに気付きましたとばかりに手首を踏みつけて、ナイフを奪い取り、男の喉元に突き付けた。
「李煕宇。1990年8月15日生、26歳。自営業を自称するが、経営する完全紹介制エステサロンの実態は麻薬売買と依存者を売り物にした少女売春の温床」
少女の口からすらすら出てくる単語に、男の表情は分かりやすく引き攣る。サイラスにはピンとこない単語もあったが、麻薬というワードが出たことで、ここにきてから見たもの全てが合理的に説明されたような気がした。
超能力研究なんて馬鹿馬鹿しい。蓋を開けてみればただの現代版アヘン窟だったわけだ。
「ど、どっから調べやがった!どこの差し金だ!?」
「しかしお前も憐れなヤツらな」
「あァ・・・?」
「ほんのイタズラのつもりで大麻を栽培してみたらバレなかった。駄目元でナンパした女子高生にクスリを盛ってみたけど、またしても気付かれなかった。それどころか気に入ってしまい、頼んでみたら友人まで連れてくる始末。薬物依存の症状が出始めた少女たちで売春ビジネスをしてみたら軌道に乗ってしまった。その上、少女たち目当てでやって来る客にまでハッパが売れるようにまでなってしまった。それはもうヤリたい放題売り放題の大儲けらったよなぁ?」
「ハッ・・・ハハハッ!!そうさ、大儲けだったさ!!それのなにが憐れだってんだ?ええ!?」
「いまさら退くに退けなかったんじゃろ?」
「な、ぁ・・・、ッ~!?」
少女の言葉は、果たして男の本質を捉えていたのだろうか。
「良かったな、人を殺す前に止めてもらえて」
あれほど無慈悲に痛めつけられたサイラスには、男の押し殺すような嗚咽が信じ難かった。だが、白銀の少女が突き付けるナイフを収めた後も、男は抵抗する意思を見せなかった。それどころか、警察に身柄を引き渡されるときにはどこか安らかな表情さえ見せていた。
「自分から始めておいて、なによ、あんなさぁ。やっと肩の荷が下りたぜ―――みたいな顔してさぁ。どこまで勝手なヤツなの」
エルネスタは男のせいでボタンの取れてしまったブラウスの前を掴んで肌を隠しながら毒を吐いた。
嵐は過ぎたが、このビルにはまだ男の客だった薬物中毒者たちが何人もいる。銀髪の少女は、その幼さに困惑する警察に後始末を任せて、自分はエルネスタに支えられなんとか座り込むサイラスの前に屈んだ。朦朧としていたサイラスだったが、人形のように美しい少女の顔を眺め続けていられず3秒で視線を下に落とす・・・が、少女の身に着けた白い着物は肩幅が合っていないからかはだけていて、屈めば胸のナマの輪郭も、なんならへそまで胸元から覗き込めてしまいそうだった。子供には刺激の強いセックスアピールにサイラスはあてどなく視線を泳がせるが、少女はお構いなしにサイラスの顔や体にペタペタと触れた。
「ふむ、骨は無事のようらな。しかし軽い脳震盪を起こしているかもしれんな。姉におぶってもらえ」
少女はサイラスの頭をポンポン撫でてニッコリと笑った。外見は幼く見えたが、こうして話すとサイラスよりも確実に大人だった。エルネスタと同じくらいはありそうな胸の膨らみも、サイラスがそう感じるに至った要因だったのは言うまでもない。
「ねぇ、お姉ちゃんは一体、何者なの?」
「わちきか?わちきは伝楽。探偵なのら」
「た、探偵・・・?どう見たってまだ初中生くらいなのに?」
「聞いといて疑うか」
「そーぅだよサイサイ!見たでしょ、この子がさっき見事な合気道であいつ投げ飛ばして、ズバッと犯行動機言い当ててたの。この子は間違いなく探偵よ!いっやぁ~、まさかこの世に学生探偵が実在するなんて♡あ、名乗り遅れちゃったね。私はエルネスタ。エルネスタ・エルスター!で、こっちが弟分のチョウ・サイラス!よろしくねっ!!」
「あ、あぁ・・・よろしくエルネスタ」
ついさっきこの好奇心で純潔を奪われかけたばかりのくせに、まだかなり元気を余らせているエルネスタには伝楽も思わず苦笑い。無理矢理握手をしてくるエルネスタは、さながらスターと対面してしまった面倒臭いファンそのものだ。
「え"、え"る"え"る"・・・ぐる"じい"・・・」
エルネスタはサイラスを抱き支えたまま伝楽にキス出来る距離まで詰め寄ったので、2人の女の子の体でサンドイッチされたサイラスが危うく幸せな最期を迎えそうになっている。だがしかしッ!!作者はまだ11歳かそこらの小僧にそんなご褒美を与えてやるつもりは毛頭無い!!さぁほら、一旦落ち着けエルネスタ。
「うきゅう・・・」
「あれ、サイサイ鼻血出してる。やーん、えっちぃんだ~」
「ち、ちがうし!?」
実際、違うだろう。大の大人に何発も殴られて傷付いた鼻腔内の血管が、激しく揺すられて決壊してしまったのだ。
「ごめん、お姉ちゃん。服に鼻血が・・・」
「構わないのら。それより傷の手当てをしないとな。お前たち、わちきについて来い」
「ついて来いって、どこに行くの?」
「サイラス。まだわちきが探偵らと信じてないじゃろう?しょーがないから手当てついでに特別、事務所に招待してやるのら」
●
その日、サイラスとエルネスタが家に帰ったのは夜の11時過ぎだった。
玄関の扉を開けると、まさかずっとそこでそうしていたとでも言うのだろうか。父、周浩然が眉間に紙を挟んで持てそうなほど深い皺を作って仁王立ちしていた。
「お父さん・・・」
「塞勒斯。その怪我はなんだ?」
「待ってハオレンさん!これには深いワケが・・・」
「エルネスタは黙っていなさい。いまは塞勒斯に訊いてる」
「(あっ・・・これマジオコだぁ・・・)」
サイラスは不安そうにエルネスタの方をチラチラ見るが、こうなってしまってはいかにクレバーでチャーミングでワンダフルなエルネスタお姉さんでも助けてやることは出来ない。
「正直に話してみなさい」
「・・・エルエルと、街に行ってた。エルエルが超能力の研究所があるらしいから調べに行こうって言って・・・。そしたら、そこで悪い人にエルエルが捕まっちゃって、助けようとしたら殴られた」
「夜に子供だけでそんなところに行くんじゃない!!それくらい分からないか!?」
「わ、分かる!分かります!!」
「ならお前がエルネスタを止めてやらないと駄目じゃないか!!いいか、エルネスタはバカなんだぞ!?」
「え"っ」
急にストレートにディスられたエルネスタがなにか言いたげだが、発言権はまだ取り上げられたままだ。ハオレンは構わず話を続けた。
「なにかあってから助けるんじゃない。そんなのは格好良くもなんともないんだぞ。お前がもっとちゃんとして、エルネスタを守ってあげないでどうするんだ!!」
「うん・・・ごめんなさい・・・」
「エルネスタ」
「はひっ。すみません!!」
「なにがだ?言ってみなさい」
「私の考えなしでサイラスを危ない目に遭わせて、ハオレンさんにもたくさん迷惑を掛けちゃいました!!」
「足りない!」
「えっ、えーと、えーと・・・どこに行ってなにするかハオレンさんに教えなかった・・・こと?」
「私に聞いてどうする!!自分の頭で考えろ!!」
「ごめんなさいバカなので思い付きません!!」
「・・・・・・」
浩然は心底呆れた様子で鼻から溜息を長く吐いた。怒りのボルテージが下がった予感にサイラスもエルネスタもビクビクしたまま顔を上げた。眼鏡の奥で細められた浩然の目が見えた。
「2人とも、もっとこっちへ来なさい」
言われるまま、子供たちは家に上がる。浩然は両手を広げて、自らも2人へ一歩、歩み寄ると、そのまま2人の体をまとめて抱き締めた。
エルネスタがなにか思い付いて、サイラスがそれにくっついて出掛けるのは前からだった。浩然はそれを悪いことだとは思っていない。見ていて危なっかしく思うことも時々あるが、それ以上に、エルネスタのおかげでサイラスの世界がどんどん広がっていくのを感じていたからだ。サイラスが生まれて間もなく妻に先立たれた浩然は、ここまで男手ひとつで頑張ってきた。でも、仕事人間なうえ家に金を入れるのでいっぱいいっぱいだった浩然では、サイラスをいろんな場所に連れ出して、様々な経験をさせてやることは出来ない。だから、悪いこととは思わない。
ただ、今回ばかりは心臓に悪すぎた。子供にたくさんの体験をして欲しいのと、出来ればずっと手の届くところにいて欲しいのとは、きっとどんな親の心にも巣食う厄介なジレンマなのだ。自分が恐い思いをしたからといって頭ごなしに怒ったものか、なにをどこまで禁じたら良いものか。まったく決心しかねる。きっと今夜は妻の遺影に相談するだろう。答えなんて返ってこないのに。10年以上も人の親をやっていて、情けなくなるくらい未熟さを痛感する。自分のことなら何度も大きな決断を重ねてきたはずなのに、本当に。
結局、いますぐ言える言葉があるとしたら、これくらいのものだ。
「本当に、心配したんだからな―――」
「うん、ごめんなさい。お父さん」
サイラスは、素直でしおらしい。少しきつく言い過ぎただろうか。
「ハオレンさん、それってどういう意味で心配だったの~?」
エルネスタは、まぁこんな調子だ。
「エルネスタ。もうお前ひとりの命じゃないんだぞ」
「・・・分かってる。ごめんなさい」
謝るエルネスタは、その実とても満足そうに頬を紅潮させていた。
帰ってきた2人に夕飯は食べたかと聞くと、冷食だったが食べてきたと言う。浩然はテーブルの上に置いていた食事を冷蔵庫にしまうと、改めて子供たちを食卓に並んで座らせて、自分はその正面に座らせた。
「で、結局どこに行ってきて、なにがあったんだ?もう説教は終わりだから、普通に話してくれ。必要なら警察に届けたり、自治会にも報告しないとだからな」
「お父さん、警察ならもう大丈夫だよ」
「そうか・・・・・・ん?もう?」
なんだその嫌な予感のする言葉のチョイスは。
そしてサイラスは語り出す。事の発端は叱られたときに話した通りだが、仮称・超能力研究所の実態は違法薬物取引の現場であり、未成年の少女たちを集めた娼館だったこと。エルネスタの服がボロボロで目のやり場に困る状態だったのは、そのサロンの経営者だった男に襲われかけたせいであり、サイラスの怪我もその男によるものだということ。
「お父さん?聞いてる?」
「ああ・・・。・・・聞いてる。正直、前半だけでも生きた心地がしなくて、あまり聞きたくなかったが」
「いや~、今回はホントにもうダメかと思いましたよ。まぁやっぱり私が可愛すぎるのがいけなかったんですかね!」
とかなんとか言ってるこのそばかす少女は確かに不細工でこそないが、だからといって特別美少女ってほどでもない部類だろう。今回は単にレアな欧米人の留学生がてくてくやって来たから目を付けられただけに違いない。
「というか、それじゃあお前たちはどうやってその下衆野郎から逃げてきたんだ。本当にいま話してくれた以上のことはされていないんだろうな?」
浩然が尋ねると、サイラスとエルネスタは一度お互いの顔を見合わせてから、キラキラした目になって声を揃えた。
「「探偵さんに助けてもらった!!」」
episode9『詰草小奏鳴曲』
第二楽章 『 No One are Ruling Us Even A God 』
主要登場人物
・伝楽
銀髪碧眼の少女で、探偵を自称する。外見は初中生(日本でいうところの中学生)くらいで、舌足らずなしゃべり方をするが、幼げな第一印象に反して頭脳明晰で深い洞察力を見せるミステリアスな人物。いつも白地の着物と狐の面を身に着けており、口調も尊大だったりと厨二・・・もとい年相応な一面も。夜の繁華街で起きたとある事件でサイラスとエルネスタを助けて以来、半ば彼らに押し切られるような形で共に活動するようになる。
・チョウ・サイラス(周塞勒斯、Cyrus Chou)
上海の一般的な小学校に通う普通の男の子。ただ、好奇心が旺盛な年頃であり、普通とズレたエルネスタに感化されてやんちゃするようになってきて周りから心配されることも。黒髪に茶色の瞳と、外見に特徴はあまり現れていないが中国人とアメリカ人のハーフであり、塞勒斯は当て字。物心ついた頃にはエルネスタが居候しており、仕事で忙しい父親に代わって彼女がよく世話をしてくれているので母親がいないことにコンプレックスは感じておらず、エルネスタのことを慕っている。
・エルネスタ・エルスター
2年前、とある経緯でドイツから突如浩然の元へ押し掛けてきた少女。現在高校3年生。重度の中二病を患っており、包帯やドクロのアクセサリーなどを好んで身に着けている。また、UMAや超能力などの超常ミステリーをこよなく愛しており、サイラスを巻き込んで日々調査活動に励んでいる。普段は落ち着きがなくアホな言動が目立つが、本質的には中国語で流暢に会話したりプログラミングが得意だったりとむしろ頭は良い部類で、浩然の代わりに家のことをこなす程度には家庭的な一面もある。浩然には複雑な感情を抱いている。
・周浩然(チョウ・ハオレン)
10年ほど前に立ち上げたマジックアイテムの製造販売会社を経営する傍ら、一人息子のサイラスと居候のエルネスタを養うシングルファザー。突然押し掛けてきたエルネスタに最初は困惑していたが、いまはサイラスと仲良くしてくれて、ついでに家事のほとんども任されてくれる彼女に感謝している。ただ、ヘンなことに首を突っ込むのはほどほどにして欲しいと常々思っている。エルネスタに向ける感情は複雑。