episode3 sect5 ”クラス投票”
『お兄ちゃーん、あーさーだーよー!』
ドアの外から元気な声が聞こえる。どうやらもう起きる時間のようだ。
迅雷はまだ眠たい目を擦って、枕元の時計に目をやる。すると、それに合わせたようにアラームが鳴った。時刻は7時。いつも通りの朝。
「くぁ・・・ねむ。おい、千影。朝だぞ、起きろー」
もう最近はなにか当然のことのように血縁関係にもない10歳の女の子と一緒に寝て起きてをしている迅雷。気持ちよさそうによだれを垂らす千影の顔を見ながら、迅雷は伸びとあくびを同時にする。
迅雷は千影の頬をつつくが、千影は寝返りを打つだけ。これもまた、いつも通りだった。起きないのを知っていてそれでも頬をつつくのは、彼女の頬がプ二プ二していて触り心地が良いからである。
「おら、起きろ」
1日1プ二プ二を達成した迅雷は、今度こそ本気で千影を起こしにかかる。手段には適当にいろいろなバリエーションを設けているのだが、今日は『鼻つまみ』でいくことにした。
千影のちっちゃい鼻をつまんでやって、彼女がフガフガ言い始めるのを愉快げに見る迅雷。
「ぶはっ!は、鼻の骨折れるっ!」
「よしおはよう」
千影をベッドから放り出しつつ、迅雷もベッドから降りる。
そして迅雷は、おもむろに壁に掛けたカレンダーの今日の日付を見て呟く。
「さてと、運命の金曜日ですな」
●
教室に入ると、すぐに教卓の上に置いてある投票箱に気が付いた。高総戦のクラス代表を選ぶ投票だ。そのための投票用紙は箱の隣に置かれている。見てみると、前もって真波に言われていた通り1人につき5名まで、優先順位付きで書けるようになっていた。
「まぁライセンス取ってるって時点で上位3人は確定してるようなもんだからな」
「この5人指名するっていうのも、3組のライセンス持ちが3人いるからこんなに書くことになったってことなのかな?」
一緒に登校してきた慈音と、迅雷は投票用紙を取って候補者の名前を書きながら話をしていた。
慈音の考えも一理ある。というのも、他のクラスでは大体の場合推薦で選手を選ぶ場合は1人3名までの指名という話だったからだ。しかしそうなるとライセンサーが3人いる3組ではほぼ全員がその3人しか名前を書かずに終わるだろうから、投票がうまく成立しないわけだ。
不正投票を避けるためか、用紙には名前を書く欄があった。その下の注意書きには、「自分の名前もバンバン書いていいよ♪」と印刷されていた。いかにも真波らしい、積極性を応援するようなコメントだったが、しかし記名して投票しなければならないのに自分の名前を書くというのは、譲り合いの精神旺盛な日本人には少しばかり難しいと思う。
「まぁ、もしもとしくんが自分の名前を書かなくても、しのが1番のところに書いておくからねー」
「そこは雪姫ちゃんじゃね?」
大ファンがいてくれるのは迅雷としても嬉しいのだが、クラスの威信を示すのならやはり雪姫を第1候補に書くものだろう。しかし「それはそれだよー」とか言って結局一番上に迅雷の名前を書いた慈音を見て、迅雷は少し照れくさくなって困ったように笑い、小さく鼻から息を吐いた。
しかし、迅雷も自分の名前を一番上に書かないわけにはいかない。
「・・・あと真牙の名前は書かないとして、1番は俺・・・っと」
なぜ自分の名前を一番上に書くということをしたのかというと、迅雷も真牙もどうせ出場決定なので、昨日2人はこの投票でどちらが多く票を取れるかで勝負することにしていたからだ。
恐らくはあちらも迅雷の名前は書かずに投票するだろうから、おあいこである。
迅雷が書き終わった投票用紙を畳んでボックスに突っ込んだところで、真牙がやって来た。
「よう迅雷。なんだ、もう書いたのか。オレの名前は?」
「もちろん書いてねぇ」
「よし乗った。すべてをみんなに托そうじゃないか」
そろそろ人も増えてきて、教室は誰に投票するか、何番目に書くかなどといった話で賑わっている。話に耳を傾ける分にはやはり雪姫が一番人気のようだが、意外にも次点がネビアのようである。
件のネビアは遅刻寸前でやって来た。一人暮らしだが、1人では起きられない(目覚ましも無効)という重症らしい。
○
「はい、開票作業が終わりました」
学級委員の2人、室井と友香が票の集計を終了した。
1番から5番までの順位付けで投票されたそれぞれは、上から5~1ポイントで換算していくというパターンで集計され、上位8人を選抜する。
友香が一旦紙に書いた順位を黒板に書き出していく。
8位、東雲慈音。
「え、なんで!?」
7位、秋野順平。
6位、朝峯向日葵。
「マジ!?あたしが!?」
5位、佐藤忠志。
ここまで書き出して友香が一旦チョークを置いた。
そして、迅雷と真牙の目が合った。2人の間で激しい火花が散る。
((こっから先が正念場・・・!))
気合いの入った2人の視線が、改めて黒板に向かった友香にバチバチと音を立てたまま突き刺さる。
一応事情は知っている友香は、妙なプレッシャーに気圧されて引きつった笑顔で名前を書いていく。
4位、阿本真牙。
「だァらっしゃああ!」
「くっそ!ちくしょー!!」
「2りとも落ち着こうね・・・」
勢いよく席を立って両手でガッツポーズを取る迅雷と、机を拳で殴って悔しがる真牙。友香は苦笑いのまま、勝負となるととことんうるさい2人を宥めて座らせようとするのだが、なかなか収まる様子を見せない2人にいよいよオロオロし始める。
しかし、後ろの席でガタンガタンとうるさい真牙にイラついた雪姫が舌打ちをすると、次の瞬間には騒ぎが収まってしまった。
どうやらクラス内での評価は迅雷の方が上だったらしい。入学式の日にモンスターを相手取っていた迅雷の方が、戦えるというイメージが強かったのだろう。
しかし、それも正しかったのだが、実は実技魔法学の授業で2人の試合を見た人からは真牙の方が多くのポイントを得ており、最終的に迅雷の方がポイントが辛うじて真牙を上回っていただけで、その差は1点とか2点のレベルだった。
3位、神代迅雷。
「さすがに2位は無理か」
2位、ネビア・アネガメント。
「おおぅ、私ってば人気者!カシラ!」
1位、天田雪姫。
「・・・・・・ハァ」
なぜだか1位本人が一番しらけた反応をする結果となったが、それに反して周りは盛大な拍手をしている。そうして、当然と言えばごくごく当然な結果でクラス投票イベントは終わったのだった。
真波が前に出てきて、ホームルームに移って連絡事項を話し始めた。
「はい、選ばれた8人はぜひ頑張っちゃってくださいね?なんなら1年生の代表8枠全部もらっちゃっても良いんだからね。ということで、この8人は放課後に第1講義室へ行ってください」
指で黒板を叩きながら、真波はそう言って話を終えた。手にプリントを持っているあたり、「放課後」の指す正確な時間が書いてあるのだろう。
「よう、第4位」
「うっせーやい」
ホームルームが終わって、1時間目の授業が始まるまでの休み時間。勝者の笑みと共に迅雷は敗者の席に立ち寄った。
とはいえ、その敗者の前の席には第1位様がおわすので第3位も霞むのだが。彼我のポイント差はもはや考えるまでもないだろう。
「まぁそう言うなよ。精々『四天王の中ではやつが最弱・・・!』みたいなことを言われないように頑張ろうぜ?んで、今見てきたけど放課後は5時からだそーですぜ」
「げぇ、言われなかったら授業終わってすぐ行っちゃうところだったぞ。志田センセもなかなか適当だなぁ。でもそれもまた萌え・・・!」
今更ではあるが、真牙の萌えの基準はどこに設定されているのかサッパリ分からない、と首をひねる迅雷だった。
それに、真波も最後に「あとで張り出しを見ておくように」とは言っていたのだから、適当だと責めることもしづらい部分がある。
●
放課のチャイム。本来なら、掃除さえ済ませればすぐに帰宅できたのだが。
「うあー。まじだるい」
掃除を済ませてもまだ4時20分くらい。そして、高総戦出場候補生のミーティングが始まるのは5時。実に移動時間抜きにしても30分近い暇な時間だ。
かといってお茶でもしに出れば、ほとんどゆっくり出来る時間が残っていない、なんていう事態になりかねない。
以上の理由から、クラス代表に選ばれた8人の哀れな少年少女たちは、なにもすることもなく教室に取り残されてぼんやりと過ごしていた。こういうときに限って宿題や予習が必要な教科もなく、まさしく手持ち無沙汰である。
初めに机に突っ伏しながら呻いていたのは向日葵だ。倦怠感丸出しの伸びきった声は、帰りにどこ寄ろうかなどと話している連中の楽しげな会話に掻き消されてしまうのだが、それが気に食わない彼女は何度でも呻く。
現在1年3組の教室にいるのは向日葵含む代表8人に、彼女に腕を引っ捕まえられている友香を加えた9人だけだった。
「ねぇトモー、なんで集まりが5時からなんだよー、暇だよー」
「そんなこと私に聞かれても・・・。まぁその、先生方が先に会議をするみたいだし、そういうことなんじゃないの?」
このままじっとしていたら、そのまま腐ってとろけてしまいそうなローテンションの向日葵に、友香は無理なく言葉を返していく。
そんな2人とは別に、同じ教室で机に突っ伏す少女がもう1人。
「ねぇ、なんで?どうしてしのが選ばれてるの?わけが分からないよ!」
この期に及んで泣き言を言っているのは慈音だった。大人しく自らの運命を受け入れれば良いものを、往生際の悪いことである。・・・というのは冗談としても、なかなか選手に選ばれたことには納得のいかない様子である。
しかし、確かに慈音の言う通りなのかもしれない。普段からふんわりのほほんな彼女が戦力として期待される方がおかしいのだ。
そんな中で慈音が選ばれた理由に心当たりがあるとすれば、ただ1つだけ。
「なんでって、しーちゃんが結界魔法使えるからじゃね?ってかそういうことだろ。だってこんな上級魔法をポコスカ使える物好きな人なんてほぼいないし」
「そんなぁ!だいたい壁作るだけの魔法でどうやって戦えばいいの!?」
使える人はそんなことを言うものだが、この世の中には『一人前の魔法士になるなら、まずは自衛用に結界魔法の1つはマスターしておけ』という言葉がある。一央市のギルドが発行しているポスターに書いてあるだけの、大して有名というわけでもない言葉だが、しかし的を射た言葉だ。特に深い意味もなく、ただただまったくその通りだとしか言えない。
ただし、常々言っているが、結界魔法は難しい魔法だ。空間認識から始まって、エレメントへの魔力干渉からの練り上げ・整形。強度を上げるには均一な魔力の浸透や圧縮も必要になってくる。普通に手元から火とか水を出すのとはプロセスの数が違う。
だからギルドのポスターでも『1つは』などと控えめに言われているのである。
そんな魔法をポコスカと使えるネタ人種が親しみと尊敬の意を込めて《結界師》などと呼ばれるようになったのは、ちょうどそういうマンガが流行った頃だったか。それもそろそろ死語となりつつあるのは寂しいところである。
と、まぁ、無駄に結界魔法ばかりを極めて他の魔法がてんでなっていない《結界師》さんたちなのだが、これが意外に迅雷の周りには2人もいる。母親である真名と、そして慈音だ。
取り乱し続ける慈音に、迅雷は敢えて反論はしないでいる。
「そうだよなぁ。日常的にはめっちゃ便利なんだけど・・・」
思い出すのは、台風で飛んでいった物干し竿を新調するまで棒状の結界を作って代用していた母親や、美術の時間にマスキングテープの代わりに画用紙の上に型を取った結界を乗せて上から絵の具を塗りたるだけで作品を完成させていた慈音の姿だった。もはや結界である必要性すら感じないが、要はいろいろと便利なのである。
そこまで思い出して、やはり慈音と迅雷は答えの見えない命題にウンウン唸るだけだった。こんな回想では戦闘とは無縁な慈音が結界魔法を駆使して他の生徒と模擬戦をしているところを想像出来ない迅雷は、顎に手を当てていかにも頭の良さげな顔で悩み込む。
「それで戦うとなるとなぁ・・・」
一応、慈音の張る結界の強度であれば、10m近く上から落下してくるコンクリートの大きな塊でも受け止められるのが実証済みだが、その強度のままで攻めに転用するのは少しばかりエグいものがある。
それを言ってしまうと雪姫の戦術なんかはその上位互換みたいなものなのだが、問題はそこではなく、慈音がそういうことが出来るような性格の人物でないということこそが焦点なのである。慈音が結界で人を攻撃しているところを迅雷は想像出来ないし、したくもない。そして、そもそも結界の最も効果的な攻撃方法については、それこそ慈音でなくとも行っているところを想像したくはないものだ。
慈音も同じようなことを考えたのか、困ったように唸る。彼女も結界の攻撃転用法は知らないわけでもないのだが、あれは常識的に考えて人に向けられるものではない。
「下手しなくても重症になるか、またはまったく効かないかのどっちかだもんなぁ・・・。一応結界でビンタするって作戦もあるけど、これもなんかなぁ」
一緒に話を聞いていた真牙が意見を挟んできたのだが、その言葉にはあまりキレがない。
しかし、真牙は直後に結界の薄い板を持ってブンブン振り回す慈音の姿を思い浮かべて、含み笑いし始めた。シュールというかなんというか、微笑ましい光景が目に浮かぶようである。
さらにそこに、またしても余計なことを言う奴が現れた。
「結界なら相手の体内にブチ込んでスパッとやっちゃえば良いんじゃないの?カシラ」
「ネビアちゃん、それはやっちゃいけないことだよね!?」
わざわざ誰も言わないでいた例の「結界の効果的な攻撃法」をさも当然のように口走るネビアに慈音が飛びついた。肩を掴んで揺すられるネビアが「あうあう」と声を漏らしている。細腕にしては意外に強い力で揺すられて声を揺らしながらも、ネビアはしゃべり続けた。
「だったら他にどうやって勝つっていうのよ、カシラ。あとネビアちゃんのちっちゃい脳味噌がシェイクされてるんでやめてください」
「あ、ごめんねっ」
慈音が手を放すと、慣性でネビアが吹っ飛びかけた。いったいどんな勢いで揺すっていたのかと迅雷はギョッとした目で慈音を見たのだが、当の慈音はフラフラしているネビアに慌てて謝っているだけである。
机を支えに持ちこたえたネビアは、肩や首の調子を確かめるように回しながら、再び話し始めた。本当に脳がシェイクされたのか、フラフラと、立っているだけでも危うげである。
「他になにか戦い方があるの?カシラ」
「うーん・・・・・・あっ!」
ネビアに痛いところを突かれて唸る慈音だったが、それでもなにか思い付こうと思って作戦を考え始める。そして遂に、彼女は首の骨が折れるのではないかと思うほど首を傾げた末に素晴らしい案を思い付いた。
「判定勝ち!」
「「それだっ!」」
「それだ!カシラ!」
驚くほど簡単な答えを忘れていたことに気付き、全員でハモったのだった。
●
迅雷の帰りが遅い。いったいどこをほっつき歩いているのだろうか。暇だ。
直華はなんちゃら委員会とやらの仕事で帰りは遅いらしい。そして、真名ももちろん仕事でまだ帰ってない。疾風は・・・いつ帰ってくるのだか、さっぱりだ。
つまるところ、千影は今現在壮絶に暇である。
一応、暇潰しに出来ることもあるのだが、
「あっ!ちょ、まっ、あうあ!?」
テレビ画面のど真ん中に大きく表示される「GAME OVER」。また負けた。今日だけで10戦10敗である。
「ぎにゃー!やってられるかぁっ!」
ついついコントローラーを壁に向かって放り投げてしまいそうになったが、バレたらまた怒られそうなので踏み止まった。怒られることには慣れているが、わざわざ怒られるようなことをするほど千影もバカではない。それに、コントローラーが壊れてしまって困るのはなにも持ち主の迅雷だけではないのだ。
千影がプレイしていたテレビゲームは、「フェイト・コネクト」という今日本中で大人気のオンライン対戦型3Dアクションゲームで、彼女はよく暇なときに迅雷の部屋でこのゲームをやっている。ゴールデンウィークに迅雷たちと一緒に温泉旅館に泊まりに行った日の夜にみなで集まってみなでやったゲームと同じものである。
あのときは、あまりに速い反応速度によって誰の追随も許さなかったことから「やっぱりTASさんは金髪幼女だったのか」などと崇め奉られたものだった。
しかし、画面に表示される『GAME OVER』はそんな千影の大敗を示していた。疑似タイマン勝負を仕掛けて、為す術もなくフルボッコにされてこの有様である。
「くっそぅ、ホントこの『サマプリ』って誰なんだよ!今まで1回も勝ったことないんですけど!」
欠片ほどの隙もなく気付けば接近されて、謎のデスコン連打のハメ技を繰り出してくる、異常に強いプレイヤーの名前を叫ぶ。千影の反応速度を超えてくるあたり、恐らくこの『サマプリ』という人物はコントローラーやハード本体の処理能力の限界スレスレを走り続ける術を熟知している廃人プレイヤーに違いない。以前にはネットでもチートを使っているのではないかと噂になっていたが、その様子もない。
油ギッシュな30代男性(職業・自宅警備員)の姿を思い浮かべながら千影はベッドの上をのたうち回る。すると、テレビ画面の右端に通知のポップアップが出てきた。軽快な通知音に気付いて千影は体を起こす。
「ん、メッセが来た?なになに・・・『今日はこのくらいにしといてあげますwww』・・・?」
千影は頭の中でなにかが切れる音が聞こえた。
「キーッ!!なめんなこのやろー!!」
ミシリ、とコントローラーから怪しい音が聞こえて、千影は我に返った。負け犬が逃げ際に吠えそうな台詞に草を生やして送りつけてきたあの廃人は、もしも顔を合わせるようなことがあったなら食べてやろうと決意して、千影はゲーム機の電源を落とした。
と、音源を無くして部屋が静かになったそのときだった。
千影のスマートフォンが鳴った。電話の着信のようである。画面に表示された相手の名前を見て、千影は携帯電話を耳に当てた。
「はいはーい、ボクだけど。例の件かな?」
●
もう6時半だ。空もさすがに暗いので、それだけでも時間の経過を痛感して、それに比例した疲労感を感じずにはいられなかった。
迅雷は、高総戦学内戦選手のミーティングが終わって慈音と一緒に帰ってきて、ようやく自宅に到着したところだった。手を振って慈音と別れるが、どうも迅雷の家の方は外から見て寂しい。きっと明かりが少ないからだろう。一応、玄関から見上げる分には迅雷の部屋の電気は点いているので、恐らくいつも通り千影がゲームでもしているのだろう、と迅雷は適当に予想する。
「そういやナオも帰り遅くなる的なこと言ってたしな。しゃーない、千影の相手でもしてやるか」
そう言って、迅雷は全然仕方なくなさそうに、鼻唄交じりで玄関の鍵を開けた。この時間で暗いのがもの寂しいリビングの照明を点けて、それから荷物を千影のいる自室に置きに行く。
そろーっとここまでの一連の行動を静かにこなした迅雷は、今度はヌルヌルと階段を物音一つ立てずに上っていく。
「さすがの千影でもこれならびっくらこいてくれんだろ、クックック・・・」
『えぇ!?』
「えっ!?」
―――――いやいやいや、驚くの早すぎだろう。
まだ迅雷は階段を登りきってようやく2階の廊下に入ったところだというのに、廊下の奥からは千影の仰天した声が聞こえてきた。
驚かせるはずが、むしろ迅雷の方が驚く結果となったわけだったのだが、改めて冷静になると今の千影の驚きは迅雷に気付いたからのものではないだろうと分かる。
ならば、まだ迅雷にも千影を驚かし返すチャンスが残っている。
「でもじゃあ、なんであいつ、あんなにひっくり返るような声出してたんだ?」
千影の仰天の理由が少し気になった迅雷は、再び忍び足で自室のドアに近づいて、そっとドアに耳を当てる。自分の部屋だというのに入らないで、それどころかそのドアの前で物音も立てずにコソコソとなにかをしている迅雷の姿がどれくらい奇妙だったかというと、自室に泥棒に入ろうとしているように見える程度には奇妙だった。
部屋の中からは千影の声しか聞こえてこないものの、その口調は親しい人物と話をしているような感じだった。電話でもしているのだろうか、と考えた迅雷はさらに耳を澄ます。
『う、うん。まあ分かったよ。やっちゃってもなんとかしてくれるなら、ボクも一応言っておくけど、遠慮しないよ?―――――うん、うん、分かった。―――――なにそれ、ツンデレですか?―――――いや、分かってるって、ちゃんとやるから。でもごめんね、ボクのために。ありがとう。―――――はいはい。うん。じゃあね』
「はいただいまー!」
「わひゃあっ!?」
千影の通話終了と同時に迅雷は自室に突撃した。案の定、千影は叫んで大きく跳ねた。ベッドに腰掛けて電話をしていたらしかったのだが、その姿勢のまま頭が天井に激突するのではないかと思うほどの跳び上がり方には、期待以上の驚きようだったので迅雷も満足そうに頷いた。
「と、とっしー!?いつからそこにいたんだい!?職業はアサシンかシーフなの!?」
「いやいや、魔法剣士でお願いします。それにしてもいい跳ねっぷりだったぜ!ブワハハハハ!」
「ま、まさかこのボクがとっしーごときに遅れを取るなんて・・・こんな馬鹿なことがあっていいの?」
「お前俺のこと舐めすぎだろ。これでもライセンス持ってんだぞ」
心外な評価を下された迅雷はムッとして千影の脳天にチョップを叩き込んだ。痛快な音が鳴って、ほんのりと爽快感がある。
しかし、千影は痛そうに頭を押さえて、涙ぐんだ瞳の上目遣いで迅雷の顔を見上げた。割と心から悔しそうな顔をするので、なぜか次第に申し訳ない気持ちになってくる迅雷。
仕方ないので、彼は今度は千影の頭を雑に撫でてやりながらその隣に腰を下ろした。
「うりうり」
「ん・・・」
―――――いかん、一瞬クラッときた。
頭を撫でられて嬉しそうな声を漏らす千影に、迅雷はついついときめいてしまった。まだ負け惜しみを言いたげな顔をしている千影だったが、撫でられることとそれとが頭の中でせめぎ合っているのか、しおらしい。なんといじらしいことだろう、ちょうど手頃な大きさの体を軽く抱きしめてやりたくさせるのは、千影の魔性か迅雷の煩悩か。
いじらしい千影についつい萌えてしまった迅雷は話題を切り替えて煩悩を振り払う。
「んで、千影。さっきの電話って誰と話してたんだ?結構仲良さげだったけど」
「むむ、気になるの?ふーん?妬いちゃったの?ボクを独り占めしてたいの?」
迅雷を試すような悪戯な笑顔で変なことを言う千影だったが、迅雷は努めて平淡な声で答える。別に嫉妬したわけではないし、千影を独り占めしようものなら1日だけでも体力が持たないようにさえ思われるので、迅雷はそんなことを望むほど重度の特殊性癖者ではない。
「いや別に」
「くそう!いや、良いんだけどさ。で、電話の相手だっけ?うーん・・・そうだなぁ、強いて言えば~・・・同僚?・・・みたいな?」
10歳の女の子が「同僚」という言葉を使うとこんなにもシュールな響きになるものなのか。一応以前に聞いた分には千影の所属はIAMOの本部らしいので、同僚と呼べる人物がいてもなにも不思議はないのだが、それでもやはり常識的に考えると変わったシチュエーションである。
いつも誰かとちょくちょく連絡を取り合っている千影だったのだが、恐らくその相手もこの同僚とやらなのだろう。少しだけ千影の電話の相手が気になっていた迅雷は、そこで辻褄が合ったので疑問が晴れて気分がスッキリしたのだった。
「それにしても同僚ねぇ。それなら別に、いつもコソコソ電話しなくたっていいのに」
「そうもいかないよ。お仕事の話だもん」
企業秘密みたいなものでもあるからだろうか、などと適当に考える迅雷だったのだが、しかし千影が「仕事」と言えそうな働きをしているところを彼はここしばらく見た憶えがない。一応、迅雷の魔力の封印あたりは頼まれた仕事としてやってくれたことだったらしいが、それ以降の千影の日常を見る限りIAMO直属の魔法士として仕事が来るわけでもなければ、年相応に小学校に行くわけでもないときている。
そもそも一般の目で見れば、普段の千影なんて明るく元気な不登校児みたいなものである。平日に買い物などに出かければ、店員にいろいろと心配されたり家や学校を聞かれたり―――――と、まともに買い物も出来ないことに愚痴っていた。
しかし、そんなことを言われても迅雷は当たり前だとしか言ってやれない。身分証であるライセンスですら、年齢は10歳と明記されている上に色が黒いせいで玩具扱いされるのだ。そう考えると、千影が半ニート化するのも致し方なかったのかもしれない。
「仕事ってどんなだよ?」
ただ、それでも千影の背負うものはただの高校生に過ぎない迅雷には計りかねる。どれだけ彼女に寄り添って、自分を頼って良いのだと言ってやったところで、実迅雷に出来ることなど未だに狭く狭く限られている。少なくとも、戦闘面に関して言えばそもそも彼我の実力差が開きすぎているため、迅雷は千影の足手纏いにしかならない。以前にはそれでも一緒に戦うなどと言ったりしたし、その気持ちに変わりはないのだが、迅雷もそこは思い上がらずに弁えた上で言ったことである。
そして、千影に回されてくるであろう仕事など、彼女の所属を考えれば当然その戦闘関連が絶対的に多いだろう。
だから、迅雷は少しだけ気遣うようにそう尋ねるのだ。
「うん?・・・・・・そうだなぁ、敢えて言ってみるなら、君を守ってあげよう、みたいな?」
「へー、なるほどな。俺を守るのか。・・・・・・俺?」
「そう、とっしーを」
自分で繰り返しながら変なところに気が付いた迅雷は自分を湯に指して千影の顔を見たのだが、彼女は間違いなく迅雷を守るためだと言うつもりのようだ。
なぜここで自分が出てくるのか、迅雷には全然分からなかった。彼には悪の組織に狙われるような特別な理由もなければ、変に特別な価値を持っているわけでもない。そして、通り魔くらいであれば返り討ちにしてやることくらい容易いだろうし、モンスターについても、もう迅雷は守られる側ではなく『守る』側の人間である。
それがどうして、迅雷が守られるようなことがあるのだろうか。
「ま、またまた。なにを言い出すかと思えば・・・」
「とっしーはもう少し自意識過剰になった方が良いんじゃないのかな?まぁ確かに今のとっしーが悪者に襲われる理由があるとしたら、はやチンに恨みがある輩に人質で狙われるくらい・・・だとは思うんだけどさ」
それはそれでゾッとしない話である。千影はさらっと言ってのけたが、迅雷の父親である神代疾風は公式で現世界最強のランク7魔法士であり、いろんな「悪の組織」的なものも剣1本でぶっ潰したりしてきたようなとんでもない人物である。立場を変えて考えてみれば、彼に恨みを持つ人間も決して少なくはあるまい。
そして、疾風の受け持つ仕事の危険度など言うに及ばずである。したがって、その中には疾風には及ばずともランク6相当の実力がある恐いオッサンなんかもわんさかいるかもしれない。
状況を想像して思わず身震いする迅雷だったが、しかし迅雷はすぐに両手で自分の頬を張った。
「いつまでも守られる側じゃいられないんだって、分かってんだろうが。千影、気持ちは嬉しいけどさ、俺のもお前を『守って』やれるだけの力が欲しいんだ。お前と一緒にみんなを『守って』戦えるだけの力が欲しいんだ」
守ってくれるからと、こんなにも小さな背中の後ろに隠れ続けていられるほど、迅雷は暢気で悠長な人間ではない。もちろん想像したような連中には手も足も出ないだろうし、そうでなくても最初は思うようにうまくいくことなんてきっとない。しかし、だからといってここから先の場所を諦めることは出来ない。
あくまで強い意志を示すように見えた迅雷に、千影は困ったような顔を向けた。
「素直に守られるだけの方が幸せだとしても?」
千影の言葉は妙に冷たかった。迅雷の発言が多少傲慢が過ぎたものだったのは彼も分かっていたのだが、努力を重ね続ければきっと不可能なことではないはずなのに、なぜ千影はそれをこうも冷淡に拒むのか。
いや、少し違う。千影の目に哀しそうな色が浮かんでいたことに迅雷は気付いた。
「ボクの背中を預かってしまえば、きっととっしーはすぐに痛い思いも苦しい思いもするよ?世界の深いところに足を絡め取られて帰ってこられなるかもしれないんだよ?それでも良いの?でしゃばらなければ、きっとなにも失わないでいられるんだよ?」
千影がなにを思ってそんなことを言うのかが分からなかった。強い彼女と戦えば、それに釣り合わない迅雷が怪我をすると言うのだろうか。それとも、彼女と共に戦わなければ汚れずに生きていけると、そう言うのだろうか。それはそうなのかもしれないが、努力をすればきっと―――――
「努力で埋まらないものなんて、いくらでもあるんだよ」
「・・・っ!?お前はそうまで言って・・・!」
「ボクは、君が大切だから、こう言ってるんだよ?」
表情を一転してニヤつきながら千影にそう言われると、迅雷もなかなか弱ってしまう。勢いを撫でるように削がれた迅雷は、無性に恥ずかしくなって千影から顔を逸らして頭を掻いた。
ちょっとだけ、熱くなりすぎていた。
「・・・悪い、スイッチが入っちまってた。千影がそう言うなら、まぁその通りなんだろうしな」
「むむ、素直すぎて恐いよ、とっしー。ハッ!?今ならボクの思い通りにあんなことやこんなことを・・・!」
「させねーよ!ちょいと反省しただけだよ!・・・俺とお前とじゃ踏んできた場数が違うからな」
もちろん、場数が多いのは千影の方だ。きっと千影の方が迅雷よりも世の中を知っているのだ。
ただ、と迅雷は言葉を繋げた。どんなに千影が正論を言っていようと、そしてその言葉が迅雷を案じて出されたものであろうと、迅雷にも譲れないものがある。
それだけは、千影にも妥協して欲しかった。
「守られてるだけの方が幸せ、でしゃばらなきゃなにも失わない、の2つを訂正させてもらうよ。ずっと誰かの背中の後ろに隠れていたら、きっと俺は今度こそ自分のことが嫌いになるだろうな。それに、もしも千影が危険に飛び込んでいったときに俺が出しゃばることもしないうちに、お前にもしもの事があったら?」
5年前の『血涙の十月』が、まさにそうだったではないか。世界中のどこもかしこも、でしゃばることも出来ずに家族や友人、恋人、大切な人たちを失った人たちが溢れかえったのだから。家を失った人もいるし、財産の一切を炎に呑まれた人だっている。でしゃばらなければなにも失わないなんて、そんなことは、決してないのだ。
迅雷だって、あの日彼女を失った。絶対だと思っていた、あの少女を。最期を看取ることもなく失ったのだ。なにも出来ないまま、でしゃばらないまま、失った。
だから。それだから。
「俺は、千影を失ったら、悲しいよ」
千影は呆気にとられたように迅雷の顔をひたすら見つめていた。
歯の根が浮くような台詞を心から真剣に語ってくれる少年は、かつて自分を家族だと思っていると言って、暖かく迎えてくれた少年だった。そうだった。彼は、こんなにも真摯に千影のことを思ってくれる人間だった。
「・・・どうしたんだよ、ポカンとして?」
迅雷に呼びかけられて、千影の意識は外の世界に帰ってきた。
「あ、うん。ちょっとときめいちゃってた」
「は?ときめいてた・・・?・・・・・・ぁ」
いじらしくモジモジする千影を見て、迅雷は自分が今どれだけ気障ったらしいことを真顔で口走ってしまったのか気付いた。顔が赤熱するのを感じる。
本心だが、本心なのだが、それにしても・・・。
「ふぇぇぇ、今のはちょっと恥ずかしいんで忘れてくださいぃっ!」
「うわ、途端にだっさ。えへへ、でもやっぱり、そういう感じだからボクにとってもとっしーは大切なんだよ。うんうん、これは他の女にはあげられませんな」
掛け布団にくるまってワナワナしている迅雷は千影のそんな冗談っぽい声を聞き流すだけで気付かなかったが、そんな彼を見る千影の目は、もの寂しさと、強い覚悟を灯していた。
嬉しいし、大切だし、大好きだ。
だから、日の当たるところで生きている彼が良いのだ。
だから、やっぱりダメだ。巻き込めないし、巻き込ませやしない。
暗闇の重力から迅雷を守れるのなら、千影はきっと自分を省みなくても後悔はしない。汚れるのは、初めから汚れている人だけで良い。傷付くなら、傷付いても良い人だけが傷付けば良い。
それが分かった。千影は楽しそうに笑って迅雷の布団に手をかける。
「ほら、とっしー!まだ寝る時間じゃありまっせーん!」
「ぐあぁ!目が、目がぁっ!」
布団を引き剥がされた迅雷は、天井のLED照明に目を焼かれて喚き散らした。ちなみに、このオーバーリアクションはまだ燻っている羞恥心に赤くなった顔を誤魔化すための、迅雷なりの自衛手段だったことは察してあげるところだ。
●
玄関から音がした。「ただいま」という元気そうな声。直華の声だ。
しかし、時刻はもう7時である。いくら用事があったとしても、さすがに習い事というわけでもなくこの時間に帰ってくるというのはいただけない。
自室でのやりとりのあとはリビングに降りてきて千影と一緒にテレビを見ていた迅雷は、廊下からドア越しにこちらを覗き込んできた直華に振り返って「おかえり」と言いつつ、荷物を持って2階に上がってゆく彼女を見送りながら、例の委員会に軽く憤慨していた。いたいけな女子中学生、それもまだ1年生である直華をこんな時間に帰らせるなど、まともではない。
・・・と、そこまで考えた迅雷は、テレビに映った結婚式場のコマーシャルを見て最悪の可能性に思い至った。立派なウエディングドレスに包まれて、人の良さそうな男性と腕を組んで歩き微笑む女性の映像。その女性の顔が次第に溺愛する妹の顔に重なってきてしまって。
「ま、まままままま、まさか、男か!?」
「いやいやとっしー、それはさすがに・・・」
直華が1階に降りてくる。気が立っている今の迅雷には、直華が現在階段の何段目にいるのかさえ手に取るように分かる。変態だ。もはや千影の言葉も聞かずにソワソワとして迅雷は直華が階段を降りきるのをじっと待つ。
そして、直華がリビングに入ってきた瞬間、迅雷は彼女に飛びついて喚き始めた。肩をガッシリと掴んで放さず、全力で直華の体を揺する。
「ナオ!誰だっ!どこのどいつの馬の骨の猪口才だっ!?ナオをたぶらかした野郎は俺が叩っ斬ってやる!ナオは誰にも渡さないぞ!」
「ちょっ、おに、お兄ちゃん!?なにを言っているのかサッパリなんだけども!?」
完全に錯乱している兄の顔を手で遠ざけながら直華は素っ頓狂な声を上げる。まったく心当たりのない話である。というか心当たりのあるなしに関わらず、兄に人を叩き斬られるのはさすがに困る。
そんな直華の必死な返答を受けて、迅雷はパッと手を放す。あまりに急に放したので飛んでいきそうになった直華を慌てて支え直す。
「へ?男子に絡まれて帰りが遅くなったわけじゃないのか?」
「どうしてそんな発想に!?っていうか大丈夫だからね、そんな心配は」
「馬鹿な・・・!?こんな天使みたいな可愛い女の子を放っておくなんて近頃の男子中学生と不良はいったいなにをしているんだ!?サッパリ理解できん・・・」
事実直華の見た目は十分整っているのだが、そこまでとなるとさすがに兄バカフィルターの効果が多分に含まれる。つまるところ直華が男子に絡まれて欲しいのか、それとも絡まれて欲しくないのかということでさえサッパリ意見のまとまっていない迅雷は、ただの度が過ぎたシスコンであった。
しかし、あくまで直華はモテモテと信じてやまなかった迅雷は、まるで余命宣告でも受けたかのように頭を抱えてしまう。
そして、やたら全力で迅雷に可愛い可愛いと褒め殺された直華は真っ赤になってどもってしまう。
「だ、だからっ。私別に好きな人なんていない・・・し、うん。大体私、告白とかもされるはずないし、されても受けるつもりないし!・・・でも、まぁそんなに褒められるとちょっと嬉しい、かも・・・?」
急に大人しくなって俯き加減に台詞をフェードアウトさせていく直華。男女交際ではないのならと、迅雷は一気に気が抜けて床にへたり込んだ。
「さっきはボクを口説いていたくせに、気が多いというか、とんでもないシスコンだね、とっしーは」
ソファーの背もたれに肘を置いて、千影はケタケタと笑いながら迅雷と直華のやりとりを見ていた。迅雷だけにツッコんで直華の方を指摘しないのは、そちらの方が見ていて面白いからである。
「でも、じゃあなんでナオはこんなに遅かったの?」
「あ、えっとね?帰りにモンスターが出てきちゃってさ・・・」
「「なぬ!?」」
男よりも良からぬものに襲われたという衝撃の事実に過剰反応する迅雷と千影。迅雷が直華が怪我をしていないか確かめるためにその体を足から上に向かってペタペタと触り初めて、腹まで触れたところでさすがにぶっ飛ばされた。虫が踏みつぶされたときのような小さい悲鳴だけを上げて迅雷は床に倒れ込んで、直華の拳がめり込んだ鳩尾を押さえて転げ回る。
「いくらお兄ちゃんでも触りすぎっ!・・・まぁ心配しれくれるのは嬉しいけどさ?うん。でも大丈夫だから」
「うぐ・・・ぐ」
せっかくのご褒美の妹ボディーブロウではあったが、どうせすぐに大人しくなるのなら殴らないで止めて欲しかったところである。
しかし、そんな迅雷の脳内は誰に分かるわけでもなく、激痛で返事も碌に出来ないまま床に這いつくばる兄に直華は話し続ける。
「実はお兄ちゃんとおんなじ制服を着ている女の人が助けてくれたんだよね。髪が青くてね?それで、水魔法をぶっ放しててスゴかったんだよ!」
なんだか知っているような特徴が挙げられて、うずくまりながらも迅雷は首を傾げた。まだ情報が足りないものの、青い髪のマンティオ学園生(女子)なんて、迅雷の知る限り2人しかいない。ついでに言えば、片方とは以前に2回ほど直華も顔を合わせているので、分かるはずである。
「ナオ、その人って変なしゃべり方してたか?」
もはや答え合わせの要領で迅雷は直華に最も「彼女」の特徴と言えるものを尋ねてみた。
「変な?うーん、確かにそういえば・・・語尾の『カシラ』が不自然だったり、爪噛んでたりしたような。あとは、なんかスゴい戦い方がメチャクチャで荒かったとか?」
「ネビアだな」
「みたいだね」
迅雷と千影はクイズに見事正解して、納得がいったような、いかないような、絶妙に微妙な顔になった。世間は狭いというか、事の善し悪しはともかくとしてどこか作為的にも感じる巡り合わせであった。
とはいえ、迅雷は今回の出来事は別に悪い出会いではなかったのではないかと想像した。戦いが荒かったということは良い子には見せられない血湧き肉躍る光景が広がっていたのかもしれないけれど、結果的にはネビアは直華のことを助けてくれたのだから。
「あれ、お兄ちゃんってその人と知り合いだったの?というか千影ちゃんも?」
「知り合いっていうか、例の転校生ちゃんだよ。こないだ話したろ?月曜にでもお礼を言っとかないとな」
連絡先を持っていないせいで土日を挟んでしまうのは、礼儀として迅雷は少々申し訳なく感じたが、妹を助けてもらったのだからきちんと感謝は述べておかねばなるまい。どうせまたネビアのことなので、お礼を言ってもその受け答えは軽そうであるが。
●
真名も帰ってきて、夕食も済ませ、今はいつも通りの食後の休憩時間である。今は直華は風呂に入っていて、向こうからは彼女の陽気な鼻唄が聞こえてくる。9時からは去年の『迷探偵ロラン』の映画がテレビでやるので、ゆっくり見るために先に入っておきたかったとのことだ。
「なぁ、千影。ちょっと頼みがあるんだけど」
「ん?一緒にお風呂入る?」
「うん違う」
テーブルで食後のコーヒーを嗜み、空いた手で小粒のチョコレートをつまみながら、迅雷は正面に座っている千影に話しかけた。
今、直華の入っている風呂に突撃するなら悩んだかもしれないが、ちんちくりんのすっとんとんな千影と2人きりで風呂に入ったところで迅雷にはなんのメリットもない。
「俺さ、月曜日から高総戦の校内予選なんだよ。でさ、直前で急場凌ぎなのは分かってんだけど、千影に特訓相手を頼みたいんだけど、どうかな?」
「なるほど、今流行のバトルデートってやつだね!いいよ、もちろん!」
「そんな物騒なデートなんて今まで聞いたことないけど、助かるよ。サンキューな」
場所はギルドの小闘技場でも借りられれば十分だろう。この頃は沸いてくるモンスターの相手ばかりであり、本気の対人戦は意外にひさしぶりになるので、迅雷は今のうちに感覚を対人戦にシフトしておきたかった。
実力の高い千影が相手であれば、相手にとって不足はないどころか、経験値のおつりまでもらえるだろう。
「あ、そうだ。とっしー、せっかくだから魔力の方も慣らしやっとこうか」
魔力の慣らしというのは、迅雷にかけている『制限』を一時的に解除することで彼の莫大な魔力を解放し、それに本人を慣れさせるということだ。
今までもたまに『制限』を外してこの「慣らし」をしてきており、迅雷も少しずつではあるが、魔力を自力で制御出来るようにはなってきていた。
とはいえ、まだまだまともに制御できるというわけでもなく、10分も開きっぱなしにしていると体の内側から弾けてしまいそうになるのだが。そもそも、制御できるなら『制限』はもう必要ないということだ。そのため、とても実戦に投入できる状態ではない。
―――――しかし、練習すればもしかすると・・・
「あー、そうだな。ワンチャン大会でも使えるかもだしな」
「それはちょっと危ないんじゃないのかな。とっしーも、相手の人も・・・」
「いやはやまったくその通りでございます」
迅雷だってちょっと言ってみたかっただけだったのだ。しかし確かに、自滅も威力の制御をミスしても洒落にならない。とても「やっちゃった」では済ませられないのは、火を見るより明らかである。それでも敢えて「やっちゃった」で済ませたいのなら、「や」を「逝」か「殺」に変えるほかないだろう。
「代わりと言ってはなんだけど、明日はボクが相手だから遠慮なくぶつけてきてくれて良いからね」
自信ありげに平らな胸を叩く千影。
「暴発しても受け止められるか?」
「いや、それは可哀想だけどとっしー1人で爆発してもらうからね?まぁ、その気になれば出来ないわけでもないけど」
つい3秒前までの自信はどこへやら、千影は顔を青くして激しく首を横に振る。さすがの千影でも迅雷の暴発魔法は受けきれないらしい。
これは千影もまだまだそれなりな程度でしかないということなのか、それとも迅雷の魔力量の方が異常なのかは、見る人によっても意見の別れそうなところではある。
「まぁいいや。んじゃ、せっかくだし遠慮はしねぇからな?」
「ど、どんとこいだよ!」
それと、と迅雷は付け足した。
彼にはもう1つ、試してみたいものがあった。それは、成功したならきっとすぐにでも実戦で使えるであろう、とっておきの新魔法だ。
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episode3 sect14 ”バトルデート”(2016/10/24)