episode9 sect3 ” Nothing is Less Stable than Word ”
なんと、もはや。
「ルニア様がなんと仰ろうとも、認めるわけにはいきませぬな」
家族以外に部屋から閉め出されたのは生まれて初めてだ。
「あの・・・ルニア様。一体、レオ総長となんのお話をされたんです?」
ノア支部にあるIAMO総長執務室の扉の前で呆然と立ち尽くすルニアの表情から不穏な空気を感じ取りつつも、ユニスは敢えて尋ねてみた。ルニアは表情筋を凍らせたままユニスの方にギギギと首を回す。
「ギルバート・グリーンさんと話がしたいわ」
○
老人は頑固で敵わない。それは善し悪しだが、いまはただただ厄介だ。
だが、”常に正しい男”と評判の、実動部総司令官であればきっとルニアの考えを理解し、レオの説得にも力を貸してくれるはずだ。ルニアはユニスに無理を言ってロンドン本部にいるギルバートにテレビ会議のアポイントメントを取り付けた。ルニアは自分の身分や地位を武器に物事を進めることに、あまり躊躇いのない女だ。そういう行為が好きか嫌いかで言えば、民衆とフラットに接することを楽しみとしているルニアらしく、嫌いではある。だが、民連軍の創設然り、アイドル活動然り、自分の道を進む上で必要と判断すれば迷いなく強権発動する強硬さを備えていた。
『Glad to see you, your highness. 少し英気が戻られたご様子ですね。良かった』
「えぇ、お陰様で。IAMOの職場はみんな優しくて、良いところね。全然裏表を感じないわ」
『それはルニア様もまた我々のことを快く受け入れてくださっているからに他なりませんよ』
「そんなに単純なことなのかしら?それはそれとして、今日は急に呼び出すような真似をしてしまってごめんなさい。どうしてもギルバートさんにお願いしたいことがあって」
『私でお力になれることであれば、なんでも仰ってください。とは言っても、私もいまは少し立て込んでいますので、どこまでお役に立てるかは分かりませんが』
「戦争の総指揮に、あとは噂の人喰いモンスターの対応だったかしら?大変なときに、本当にごめんなさい。だけど、ギルバートさんにここへ駆け付けてもらおうって話じゃないから安心して。ただ少し、レオ総長を説得するために貴方の名前と言葉を借りたいの」
『なるほど』
もうなにかを察したのか、画面の中のギルバートは優雅に苦笑した。
「私は民連に戻る許可が欲しいのよ。・・・危険なのは理解しているわ。でも、私は―――私が行かなくてはいけないの」
『ルニア様が、ですか。そうまで仰るからにはそれなりの理由があるものと見受けますが?』
「もちろんよ。そして、それは恐らくこの戦争の行く末をも左右するものだと思う」
『Hmm・・・、お言葉ですが、ルニア様自ら敵地に攻め込み戦況を変えようだなどとお考えでしたら、私はご助力いたしかねますよ』
「あはは、私だってそこまで無謀じゃないわ」
的外れに聞こえるギルバートの忠告にも、なにか見透かしたような鋭さを感じる。ルニアは滲む汗を隠して不敵な笑みを浮かべた。どうあれ、ルニアの手札はこの1枚きりだ。エルケーとの会話で見出した、この切り札1枚きりだ。だから、見透かされていたとしても強気に笑って臨めば良い。ユニスも言っていた。ギルバートは正当性のあるアイデアであれば、その背景にどんな思惑があるにせよ決して無下にはしない、と。
「ギルバートさんは、民連軍の装備がどれほどの威力を持っているかは知っているかしら?」
『報告書によれば数で勝る皇国の航空戦力に対して一時は優勢に立つほどに圧倒的なマシンスペックの戦闘機であった、と。その他の兵装についても、やはりそうなのでは?』
「その通りよ。民連時代は国政の方針があったからあの配備数に留まっていたけど、仮に軍拡政策が進められていたならあの日の皇国の兵器戦力くらいは敵じゃなかったわ」
あくまで”兵器戦力は”と但し書きを付けなくてはならないところにルニアの悔しさが滲むようだが、いま重要なのはそこではない。
「そこで確認なんだけど、あれらの技術情報が皇国の手に渡ってしまったら―――?」
『HAHAHA. 考えたくはないですね』
「でも考えなくちゃいけない。少なくとも、ギルバートさん、貴方だけは絶対に。そうでしょう?」
『仰る通りです。さて・・・そろそろ話が見えてきましたね』
急転に次ぐ急転で全てが混乱していたあの日、民連軍は機密情報のデータベースを消去することが出来ないまま壊滅した。情報セキュリティは極めて高くしてあるが、施設ごと皇国の占領下に置かれたいま、絶対に情報を守りきれる保障はない。確かに科学技術で民連は魔界の先頭を独走していたが、その技術者たちが皇国に取り込まれてしまったのでは、セキュリティプログラムを解析されるのも時間の問題という他ないのだ。
一方で、データベース全階層へのアクセス権限は、民連軍がまだ規模の小さな組織であった故に、総帥であるルニアと事実上の最高指揮官であったテム・ゴーナンの2人にしかない。従って、テムが死亡した現在、民連軍の脅威的軍事機密を完全に葬り去ることが可能なのはルニアたった一人ということになる。
すなわち、放置すればいずれ人間界に牙を剥くかもしれない災いの芽を摘むために、ルニアは危険を承知の上で魔界に乗り込もうと言っているのだ。IAMOは、最前線で戦っている魔法士の命も、そしてこの星に生きる全ての人々の平和な暮らしも守らなくてはならない。
「私は、貴方たちが本来守るべき人たちを脅かす潜在的リスクを放置してまで守るべき存在じゃあないわ。それに、私だって人間界のことが大好きなの。私を受け入れてくれたみんなのことが。だから、お願いします。私に、あなたたちと同じものを守らせてください」
『ふ―――。結局は感情で話されていますよ、ルニア様』
「私だってヒトだもの。ヒトってみんなそういうもんじゃないのかしら?」
戦争を止めるためにと嘯き魔族の提示した終戦条件を上層部に認めさせ、オドノイドを鏖殺しようとしたギルバート・グリーンも、そうではなかったか。状況を利用して最愛の妻と娘を奪われた行き場のない憎しみを晴らしたかっただけではなかったか。ギルバートは伏し目がちに、奥ゆかしい微笑みを作った。
予想はしていたことだ。
ギルバートには、ルニアの蛮勇を止める理由など初めからなかった。
『分かりました。レオ総長は私が必ず説得しておきましょう。ですが、ルニア様。くれぐれもご無理はされぬように。詳細なプランが決まりましたら、必ず私に教えてください。良いですね?』
「ええ、分かったわ。ありがとう、ギルバートさん!!やっぱり貴方を頼って正解だったわ!!」
世界を鞍替えしようと変わらず望む道を切り拓いたルニアは、ようやく緊張を解いて、まだあどけなさの残る笑顔を咲かせた。舞い上がるルニアだったが、ただ、感謝の裏側にはわずかな後ろめたさが張り付いていた。ギルバートはどこまでルニアの心を見通した上で、本当はルニアになにを期待しているのだろうか、と。
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ギルバートにレオの説得を取り付けた日から、ルニアはIAMOの仕事を午前で切り上げ、最初に殴り書きした無謀な旅程表をブラッシュアップし、可能な限り詳細に行動プランを詰めていった。そしてギルバートも、ルニアが同じ立場なら気が狂うくらい多忙だろうに、毎晩、最低でも1時間はオンラインでディスカッションする時間を用意してくれた。それはきっと、ルニアの身を案じているからであり、民連軍の機密情報が皇国の手に渡ることを確実に防ぐためでもあるのだろう。人の心の温かさと目的を追求する機械的な冷たさの、よく調和した男だ。あるいは、IAMOの実働部隊を預かる人間として、かつて民連軍を率いていたルニアに手本を示そうとしていたのかもしれない。ただ、そう感じた以上は、ルニアはギルバートに学ばなくてはならなかった。
ともあれ4日目にして、遂にルニアの行動計画はギルバートのお墨付きを得て確定した。だが、立てた計画は極めて綿密なようで、実際は”遊び”が多い。さすがのギルバートでも、ルニアが魔界に到着した後のことまで完璧に予測することは出来ない。あまり事前に取るべき行動や移動経路を限定してしまうと、そうしなければならないという錯覚に囚われて自縄自縛に陥ってしまう可能性が生じる。だから敢えて要所要所に”遊び”を差し込んである。
ギルバート・グリーンは約束通りレオにルニアが魔界へ行くことを認めさせ、それだけに計画は万端なものに思われた。事実、その内容は事前に考え得る限りでは最も良質なものだった。だが、出発を翌日に控えた今日になっても、意地でもルニアの計画を認めない者がいた。
ユニスだった。
「ルニア様の私への信頼は、あの男にも劣るんですか!?」
「あっは。それはにゃいにゃい」
「ならなぜ私を一緒に連れて行ってくださらないのですか!?」
「だーかーらー。それは―――!」
ギルバートと一緒に考えて、レオ総長も認可した計画だから大丈夫?世の中に絶対はないにしろ、確かにあの2人が責任を持つなら問題ないのだろう。だが、ユニスはそのようなことに拘泥してルニアを捕まえ続けているわけではなかった。
ユニスは、ルニアを守るために彼女の傍にいる。なのにどうして魔界へ向かうルニアの護衛にユニスの名はなく、それどころか、よりにもよってあの男の名があるのか。ルニアにどれだけ説明されようと、到底ユニスには納得出来なかった。
・・・違う。納得がいかないのはそうだ。でも、なんで納得出来ないのかと問われて、ルニアの説明が不完全だからだと答えてしまっては詭弁になる。ユニスはただ、ルニアのことが大切になってしまっただけだ。ユニスはただ、悔しいだけなのだ。
ユニスはあと半日もしないうちに人間界から旅立たねばならないルニアの肩を掴み、寝ることを許さず何時間も駄々をこねた。酔っ払いだって酔いを覚ますほど執拗に、何度も同じ問答を繰り返して、繰り返して、繰り返した。だが、ルニアの心は変わらなかった。
「ありがとう、ユニスさん」
いつの間にやら、ユニスはルニアの豊かな胸に抱かれて慰められていた。ユニスの方が年上なのに、子供のようにあやされて、しかしこんな情けない時間が妙に愛おしくて、ルニアから離れようにも体が言うことを聞かない。
「御無礼をお許しください・・・」
「どーぞ」
「ルニア様は・・・私にとって掛け替えのない友達なんです。だからどうか、私を置いて危険なところに行かないで・・・」
「私にとっても、ユニスは大切な友達よ。でも、ダメよ。貴女はこの計画には連れて行けない。何度も言った通りに、ね。だから、お願い。分かってちょうだい」
ユニスの反論は止んだ。それでも、息遣いは返事ほどに未だ不満であることを訴えていた。ルニアは、ユニスの髪を撫でる。もしかしたら、嘘も真も、本音も建前も、ないのかもしれないと感じながら。
だが。そして、だから。
全てルニアの心から生まれた言葉たち。
ルニアは再び手にした人の心の温もりを、今度は自らの意志で手放す。
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「うーーーーんっ、懐かしい空気ね」
ぶっちゃけそんなに美味しくはないし、正直故郷の香りの片鱗も感じられない空気を胸いっぱいに吸い込んで、ルニアはもう後戻り出来ないところまで来たことを再認識する。
「さぁ、帰ってきたわよ!私たちの魔界に!!」
空を見上げれば人間界の太陽とは少しサイズ感の異なる見慣れたお天道様。
「マ・・・マジで帰ってきちまった・・・」
そして、エルケーはなにがなにやら理解しきれぬうちに魔界まで帰ってきてしまった。
言葉というものは思い浮かべただけでも反対の意味を持ってしまうから難しい。世界で一番強いのは対の言葉を知らぬ子供で、次に強いのは本来の意味を貫き通せる大人だ。