episode9 sect1
突然ですが、みなさんはネコミミ美少女はお好きですか?いえ、答えずとも結構。好きなんでしょう?分かっていますとも。ネコミミで、美少女で、おまけにおっぱいが大きくて、さらにさらに愛嬌もある彼女のことを好きにならない人なんていましょうか。
毛先だけブロンドの艶々しい黒の毛並み。二度見するほど整っているが、まだどこかイタズラ心の染みついた顔立ち。振る舞いは気さくだが、何気ない所作の端々には浮世離れした気品も感じられる。少女の名は、ルニア・ノル・ニーア・ニルニーヤ。魔界、ビスディア民主連合の第2王女、だった少女だ。だが、ビスディア民主連合という国家はもう存在しない。彼女の祖国は、北に国境を接する魔界最大国家である皇国によって蹂躙され、吸収され、再び魔族の支配下に置かれたからだ。
武力を捨てて経済的影響力だけで大国と渡り合おうとした獣人族たちの最後の楽園は、不条理な暴力を前にして、空しくなるほど儚かった。
そしてルニアは人間界へ逃げ延びた。たったひとり。『門』が機能停止するその瞬間まで待ち続けた姉も、もういない。死んだのだ。アーニアも、エンデニアも、テムも、あの日の戦いで。ザニアとナーサも生死は分かっていない。人間界と魔界の戦争に伴い魔界に繋がる全ての『門』が封じられ、帰る術すらない。もうどこを見渡したってケモミミを生やした同胞はいない。王女として、時にアイドルとして、あれだけ国民たちから愛されていたルニアは、独りぼっちになった。
だが、ルニアは自分の足で再び立ち上がった。普通なら憔悴しきっていつまでもグズグズに腐って、起きる気力さえ失ったっておかしくないはずの境遇から、自分の力だけで。
「おっはようございまーす!!」
朝のオフィスに元気な少女の声が響き渡る。
「おはようございます、ルニアさん!」
ルニアの挨拶に、みんなが挨拶を返した。
そう。こんな彼女を好きにならない者などひとりもいなかった。
現在、人間界で保護されているルニアは海上学術都市ノア内のホテルで生活しているのだが、ただ厄介になっているだけの自身の状況に耐えかねた彼女はこうしてIAMOノア支部に通っては事務方の仕事を手伝わせてもらっていた。当初は、民連が事実上滅亡して実体を失ったとはいえ、王族という身分を持つ客人を働かせるなどとんでもないと遠慮されたものだが、ルニアはゴリ押しの交渉術で異世界人史上初めてIAMOの臨時雇用を勝ち取ったのだった。
ちなみに、最初は実動部の仕事まで手伝おうとしていたところを、安全な事務職だけでも良いと妥協して採用してもらった経緯があったりする。ルニア自身はただなにかをしたかっただけだが、図らずもちょっとした交渉テクニックのようになったわけだ。決して、決して可愛いネコミミ美少女にひたすら懇願された採用担当が丸め込まれてしまったわけではない。・・・はずだ。
ルニアは自分のデスクについて、支給されたタブレット端末を起動する。いくらやる気があっても異世界の言葉で事務仕事なんて出来っこないかに思われたが、これが案外なんとかなった。魔界にいた頃に図書館が建つほど人間の描いたマンガ等を集めていたことが思いがけず新生活の助けになっていた。周囲にいた人たちがとりわけ優秀だったせいであまりイメージはないが、ルニアもただのおてんば姫ではないのだ。
「さ、今日も働くわよ、ユニスさん!」
「私の本来の職場は別のフロアなんですがね・・・」
ルニアの隣のデスクを使うユニスは、ケニア出身の女性魔法士である。つまり元々は実動部の人間だったのだが、ルニアの護衛を任された結果、彼女のワガママに付き合わされていつの間にか立派なOLさんと化していた。
「今日は・・・9月20日か。ってことは102番の。搬入物資の再チェックは朝イチじゃないと間に合わないわね。行きましょ、ユニスさん」
「はい、ルニア様」
ルニアとユニスは物資や資材の管理をする部署で、その日の物品の出入りをチェックする業務を分けてもらっていた。複雑な仕事ではないが、ロンドン本部と同等以上の規模を誇るノア支部の物品管理ともなればまず退屈はしない。取り扱う品々の用途から現場への理解を深められる点も含め、新人には打ってつけの仕事だろう。
ノア支部の転移門棟の資材仮置き場にやって来たルニアは熟れた指捌きでタブレット端末を操作し、独自に設定をカスタムした業務用アプリケーション、その他諸々のシステムウィンドウを画面に並べる。若いから機械の扱いに関して勘が良い、というよりはむしろ、人間界より先進的な科学技術を数多く有する民連で生まれ育った恩恵だろう。なんなら職場のちょっとした機器トラブル程度なら他の若手を差し置いてルニアが真っ先に解決してしまうことが多いくらいだ。
「ヨシ、ヨシ、と。今日もリストとの差異は一切ナシね。まったく、惚れ惚れするほど仕事が正確よね、IAMOって。ちょっとは頑張ってる現場のためにオマケをつけてあげようとかないのかしら?」
「IAMOの資金の大元は世界中の人々の税金ですから、会計監査の目も相応に厳しいんですよ。それに、本業が現場職の私に言わせればこれだけ応援物資をもらえれば贅沢なものですよ。例えば、リストのこのあたり。嗜好品ですけど、いつもよりグレードが高いんですから」
「へぇ、そうなのね。じゃあやっぱり美味しいの?」
「それはもう・・・じゅるり」
普段はクールなユニスが涎を垂らすほどなので、よっぽどなのだろう。IAMOのミリメシ事情は意外と華やかなのかもしれない。聞けばどうやら日本の自衛隊のレーションを参考にIAMOが独自発展させたものらしい。
今日もまたひとつ新たな雑学を得てオフィスに戻ったルニアは、すぐに次の仕事に取り掛かった。しょっちゅう城を抜け出しては遊び歩いていた少し前のルニアしか知らない者がここにいたなら驚愕と共に歓喜さえしただろう。飽きる素振りさえなく、ルニアは昼休憩のベルが鳴るまで真面目にデスクワークをこなしていた。
「ルニア様、お昼の時間です。休憩にしましょう」
「もうそんな時間?んー、確かにおなか空いたにゃー」
「今日の日替わりランチはきっとルニア様もお好きだと思いますよ」
「・・・もしかしてだけど、ユニスさんってスマートなフリしてるだけの食いしん坊さん?」
「ぶっ!?私はただ美味しいものが好きなだけです!大食いとかじゃないですからね!!」
「ほ~ん?」
どっちみちルニアの中で美食家と言われて真っ先に浮かぶのは、民連の首相だったケルトス・ネイだ。ふくよかの化身だった彼とユニスとでは似ても似つかないが、ルニアはからかうつもりで人差し指をユニスの腹に押しつけた。ふにっと弱い弾力が返ってくるやいなや、ルニアの腕が万力の如き握力で掴み上げられる。
「ル ニ ア さ ま ?」
「うにゃあああああッ!!ごめんなさいぃ!?」
女には例え相手が国賓級の重要人物であっても譲れないものがあるのだ・・・!!
「まったく・・・まったくもう・・・」
「べ、別に普通くらいじゃない。そんなに怒らなくても良くない?」
「まだ言いますか」
モデル体型のルニアは、しかしこの様子だとダイエットとかをしているわけではなさそうだ。ルニアが特別そうなのか、獣人族には普遍的な体質なのかは不明だが、ユニスには心底うらめし・・・うらやましい。いろいろと言いたいことはあったが、そこは大人なのでグッと我慢した。第一、ルニアはまだ17歳の子供なのだ。言えば言うだけユニスがいろいろと空しくなること請け合いである。
モヤッとしたときは美味しいものを食べるに限る。ユニスは日替わりランチに追加でデザートのティラミスを注文してからハッと気付いて、恐る恐る目だけで横を見た。
「・・・・・・いえ、その、これは」
「美味しいわよねぇ、それ」
「・・・っ、・・・っ~!!」
ルニアはニヤニヤしながら、ユニスと同じものを悪びれずに注文した。
●
仕事を終え、ホテルに戻ってくると、潮の如く押し寄せる。
孤独感。
喪失感。
空虚感。
無力感。
えも言われぬ胸のつっかえ。
悲しい。
寂しい。
会いたい。
大好きだったみんなに。
「会いたいよ・・・ぉ・・・」
絞り出すような声は柔らかい布団に敢え無く呑み込まれる。
こんな毎日を繰り返していた。不慣れな仕事に必死に食らい付いて、ようやくこの痛みから半日だけ救われる。座りっぱなしの仕事で悪化した血流が体をくすぐる感覚が、気怠くルニアを水底へ沈めていくようだった。
点けっぱなしのテレビの内容も胡乱。しばらく記憶の整合を図り続けて、ようやく番組が変わっていた可能性に思い至ると、いつの間にか時計の針は全て12に重なっていた。なんと無為な余暇なのか。夕食を食べてすぐ眠ってしまったからか口内が気持ち悪い。だが、ホテルのサニタリーの歯磨きはいささかミントが強くて、いやに目が冴えてしまう。これではしばらくは微睡みの世界へ逃げることさえままならない。孤独の冴え渡る夜中こそ眠りに頼らねば越せぬと言うのに、いまから一層気が滅入る。なまじ立地の良いホテルであるが故に海鳴りも遠く、部屋の静かな換気扇の音にさえ上塗りされて聞こえない。
「ゲームでもしようかな」
与えられたスマートフォンには、電話帳の連絡先よりもゲームのアプリの数の方が、若干多い。暇を持て余した悪魔の囁きに乗った結果だが、結局、ルニアはそんなにハマらなかった。スマホゲームでは没入感が足りないのだ。
チュートリアルよりちょっと先まで進めて放置していたパズルゲームを立ち上げると、なんの記念やら”石”が100個も届いていた。これは都合が良いぞと言わんばかりに、ルニアはガチャを回し始めた。下手にコンテンツを消化するよりこっちの方がよっぽど楽しい。
無心でガチャを引き続け、レアキャラが出たので試しにそれを使ったチームを作って遊んでみる・・・が、なんだか途中で飽きてきた。趣向を変え、ルニアはレアキャラを入れたチームの画面キャプチャを、誘い主であるエルケーのチャットに送ってみた。するとなんと、数秒で「seen」の表示が出た。
『ソシャゲで夜更かしとは頂けませんな、課金姫』
「課金じゃないですゥ」
『なんだ、せっかく稼ぎがあるのに勿体ない』
「初任給前だからまだ一文無しよ」
『貧乏姫でしたか』
「自分が当たらにゃいからってしつこいゾ?悔しかったらアンタも働いて課金でもセーブデータ売買でもすればいいにゃ」
相変わらずしょうもないことでムキになるせせこましい男だ。それでこそルニアも自慢のしがいがあるのだが。
しばらくエルケーとゲームの話をしていると、エルケーが『ところで』と一言の短いメッセージを挟んできた。
『さっきミシロハヤセとIAMO総長が魔界から戻ってきたらしいですよ』
「えええっ!?!?!?」
いまのはチャットじゃなく、素で声が出た。直後にドアが激しく叩かれ、ルニアは思わず縮み上がった。
『どうしました!?ルニア様!?』
「だ、大丈夫!なんでもにゃいからちょっと待って!!」
ドアの向こうにいるのはユニスだった。どうやらいまのルニアの驚声はホテルの部屋の外にまで聞こえていたらしい。
まだ混乱している。ルニアはエルケーの言葉を自分の口で反復してみた。神代疾風とIAMO総長、すなわちレオ13世が魔界から人間界に戻ってきた―――?それが真実なら喜ばしいことだが、ハッキリ言って信じられない。あんな地獄の具現化みたいな戦場に取り残され、ノヴィス・パラデーにあった人間界への『門』が失われているというのに、それでも生還する方法なんてあるものか。だがしかし、いくら意地悪魔族のエルケーでも、こんな突拍子もない嘘を吐くだろうか。
「死体で帰ってきたとかってイヤなオチじゃないわよね・・・?」
『ルニア様も案外怖いことを思い付きますね。多分、ちゃんと生きて帰ってきてますよ。とんでもない化物だと思いません?』
「でも、魔界と行き来出来る『門』は全て封鎖されているはずよ」
『直接行き来出来る「門」は、ね。まぁ詳しいことは分かりませんが、なにか別のルートでも見つけたんじゃないですか?』
正規の『門』を使わずに異世界へ行く方法はいくつかある。例えば、とある『門』の管理施設から行けるダンジョンに、行きたい世界に繋がる転移ステーションが存在している場合などが挙がる。ダンジョン内の転移ステーションは、それぞれの世界で『門』の利用者を管理するために発行される通行証(魔界ならパスポート、人間界ならライセンス等)によって起動可能な『門』が決まっているものだが、通行証を奪取するなりすれば持ち主の世界へ渡ることも可能だ。いまでは対策されることも増えたが、異世界同士の戦争では敵側の世界へ進軍するための常套手段だ。今回に関してはレオも疾風も自身の元いた世界へ帰るだけなので、通行証を改めて入手する必要がない分、確かに最も現実的な方法ではあったかもしれない。
それでも、最も現実的な絵空事といったところだが、人間界の魔法士たちの最高峰、ランク7である2人なら、あるいは。
「帰って来れた。・・・なら―――」
○
episode9 sect1 ”御侠猫姫不知不識地獄運”
○
ルニアは急いで部屋のドアを開けた。ユニスはまだ、ルニアの部屋の前に立っていた。
「ユニスさん、出掛けるわよ!支度して!」
episode9『詰草小奏鳴曲』
第一楽章 『御侠猫姫不知不識地獄運』
主要登場人物
・ルニア・ノル・ニーア・ニルニーヤ
旧ビスディア民主連合・ニルニーヤ王家の次女だった猫人の少女。自由奔放でよく周囲の者たちを困らせていたおてんば姫だが、憎めない性格ゆえにみんなから慕われていた。人間との交流式典を皇国に襲撃され、現在は人間界に逃げ延びIAMOの庇護のもと生活している。
・エルケー・ムゥバン
元リリトゥバス王国騎士団の騎士。『一央市迎撃戦』の最中、騎士団を裏切ったことで粛正を恐れた彼はIAMOの捕虜となることを選び、現在はノア支部の地下にある『反省室』に拘留されている・・・のだが、いろいろ頑張ったおかげで割と自由に行動している。
・???
やはり化物か、貴様。