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LINKED HORIZON ~異世界とか外国より身近なんですが~  作者: タイロン
第三章 episode8 『Andromedas' elegies』
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episode8 Lastsection47 ” Issmelting og Spire ”


 「おはよう」


 週明けの朝一番。教室のドアを開いたまま1、2秒ほど立ち止まっていた雪姫の口から出たそれに、1年3組の教室は不気味なほど静まりかえった。さらに数秒が経って、雪姫が気まずそうにちょっと俯いて目を泳がせ始めた。


 「お、おはよう!天田さん」


 ちょっと声がひっくり返った。迅雷が勇気を出した直後、1年3組の教室は朝の爽やかな馬鹿騒ぎに包まれた。


          ○


 雪姫の変化をほとんどの生徒たちは戸惑いながらも喜びと共に受け入れていった。彼女の実力を認め、尊敬の念を抱いていたのは、迅雷だけではなかった。だから、あとは雪姫から歩み寄る意思を見せさえすれば、みんなが雪姫の想いに応えようとするのは自然なことであった。

 だが、そもそも雪姫は本当に変わったのだろうか。あまりの冷淡さから名前を読み替え《雪姫(ユキヒメ)》などと畏怖されていた雪姫もかつては、明るく天真爛漫な、みんなに愛される少女ではなかったか。当たり前のことで笑って、泣いて、怒って喜ぶ、そんな当たり前の少女だったはずだ。いまはまだぎこちない笑顔しか作れなくても、きっとすぐに本来の表情を取り戻すことが出来るだろう。


 それから、友達募集再開した雪姫に負けず劣らず注目を集めていたのが、やっぱり迅雷だった。今日から1週間ぶりに授業でのダンジョン実習が再開されるのだが、今日に限ってはいつものグループを崩してでも迅雷のいるグループに混ざりたがるクラスメートが何人もいたほどだ。・・・しかし。


 「迅雷、今日はあたしと組まない?」


 「お、おう・・・」


 なんだコレ、なんか、ヤバい。ただ素直に接せられただけでこうもあっさりときめかされるとは、やはり天田家の遺伝子は本物か。角の取れた雪姫の顔は男子高校生には直視出来ないレベルで眩しい。なんというか、千影や慈音など可愛い女の子がそこそこ周りにいる迅雷でも例外なくやられるくらい、自然でシンメトリカルで滑らかで模範的な造形美だ。改めて雪姫の美少女ぶりを思い知らされた迅雷はきっと情けない顔をしていたに違いない。・・・と、そこで迅雷は思い出したようにクラスの野郎どもの反応を警戒した・・・のだが、迅雷の予想に反してみんな全然このウラヤマ展開に口を出してこなかった。


 「あ、あれぇ・・・?お前らこういう展開大好きじゃなかった???」


 「今回ばっかりはもう嫉妬する気も起きねーよ。なぁみんな」

 「あんな全力でぶつかってくれる人いたら俺だって堕ちるぜ」

 「まったくだ。もう好きなだけイチャイチャしてこいよくそったれめ」


 「きょ、強敵が現れてしまった・・・!?」


 「おい、しーちゃん」


 「そんなつもりで誘ってないからッ!!」


 そんなつもりかこんなつもりか、果たして出来上がった4人組は1年生の授業とは思えぬ全員ライセンサー(しかもランク3、ランク2が一人ずつ)という高性能ぶりだった。学年では次点で優秀な隣の2組だって、そもそもライセンサーが聖護院矢生と五味凉の2人しかいないというのに。クラスごとの偏りが酷いのは、クラス分けの時点では実力の定かでなかった1年生だからなのだろうか。

 教員総出の探索で一応の安全が確認出来たとはいえ、『ブレインイーター』のみならず皇国七十二帝騎までもが出没していたダンジョンを歩くのは誰だって恐い。見慣れた景色でもふと視界の端に映った岩陰に感じるリスクが全くの別物だ。よって、みんな出来るだけ迅雷たちのグループの近くから離れないように行動していた。

 周りを囲まれた結果、あっちに行くにもこっちに行くにも動きづらくて採集ポイントを先取りされ、迅雷はちょっぴりイライラしながら呟いた。


 「こんな固まってたら授業になんねーだろ。別に俺らの傍が安全なわけじゃねーって」


 「ま、しょうがないんじゃない?自分で言うのもアレだけど、あたしに勝つってこういう意味だよ」


 そういえば、これまでのダンジョン実習では雪姫を中心に集まったグループが、さらに毎回、なにかあったら雪姫に守ってもらおうと考えている女子グループに囲まれていたのだったか。雪姫はよくあれできっちり授業の中身もこなしていたものだ。


 「勝ったって言っても、あれはマジで最後の切り札なんだってば。体への負担もかなりキツいし・・・。まともにやりあって天田さんに勝てるはずないだろ」


 「世の中結果が全てなの」


 そんな風に嘯く雪姫が、今日もモンスター討伐スコアでダントツ1位だ。ダンジョンのモンスターだって生態系をなしているので無益な殺生はしないものだが、そうなると向かってくるモンスターに気付いて対応するのが主な戦闘になるわけで、そうなるともう雪姫の右に出る者はいない。光る結晶が照らしているとはいえ薄暗い洞窟で、人間の肉眼では確認出来るかどうか怪しい距離から接近する生物全てが雪姫に選別されていくのだ。それは前方も後方も関係ない。ただこちらに牙を見せたそばから氷像が増えていくだけである。こういうのをインチキというのではなかろうか。迅雷に出る幕などなかった。


 『ブレインイーター』の恐怖体験で疑心暗鬼になった生徒たちにとっては不気味に感じるほど無事に前半の行程が終わり、折り返し地点にあたる大部屋で昼休憩になった。この大部屋はこれまでの実習でも何度か通ったことのある場所なのに、地図と見比べてもなかなかそうとは思えないのは、見覚えのある光る結晶の丘が無くなっていたり、逆に見覚えのない洞窟湖が出来ていたからだろう。


 「なぁ、迅雷。もしかしてこれってこの前の戦闘でこうなったのか?」


 真牙が苦笑しながら尋ね、迅雷は曖昧に「たぶんな」と返した。


 「俺も最後までいたわけじゃないけど、空奈さんの水魔法の痕跡・・・だろうな。この大部屋を流し去るレベルの水量を操ってたから」


 「魔法っつか水害だな。これで死なねぇ魔族の騎士ってのもどうなんだ。なんか最近、世界が広がりすぎて目眩がしてくるぜ・・・」


 「比べる相手を間違えんなよ。あの人は国内屈指の水魔法の使い手なんだから」


 あちこちに激戦の生々しい爪痕が残っていて、あまり変化した景色を楽しむような気は起こらない。戦場跡は緑が戻って初めて観光資源になるものだ。今日の昼休みを乗り切るには別の楽しい話題が要る。


 「てなワケでダンジョン飯!!」


 「「よっ、待ってましたー」」


 真牙が大きめの鍋と調理器具一式を『召喚(サモン)』し、迅雷と慈音が拍手する。


 「し・か・も!今日はなんとゲストシェフに天田雪姫先生をお招きしてお送りいたしまーす」


 「で、なに作んの?」


 「昼休みの間に作って食って洗えるやつ?」


 「なんつー無茶苦茶な」


 とか言いながら早速腕まくりして仕事に取りかかるあたり、雪姫はやっぱり頼りになる。いや、もしかしたら単にノリノリなだけかもしれない。


 「とりあえず焼きで。さっきぶった斬ってたトカゲをなんとかしようか」


 「ああ、まさか学園のアイドルと2人きりで共同作業出来る日が来るなんて・・・。今日ほど迅雷のダチで良かったと思った日はないぜ」


 「キモい」


 おお真牙!死んでしまうとは情けない・・・。そなたほどの好色漢が美少女の罵倒に屈するなど言語道断の極みなり!

 雪姫の迷いのなさもさることながら、もう一度機会を与えてもらった真牙の手際の良いサポートもあって、迅雷たちの昼食は無事に完成した。メインのトカゲ肉も香り付けのための草も、調味料以外の全てがダンジョン産食材の、ザ・ダンジョン飯だ。

 でっかい六本足トカゲの肉ということを忘れるくらい見栄えも味も素晴らしい香草焼きをあっという間に平らげて、後片付けは迅雷と慈音がやることになった。

 慈音とは仕事を分担して、空奈が作り出した、想像以上に深い水場で洗い物をする迅雷だったのだが・・・いい加減に落ち着かなくて後ろを振り向いた。


 「あのー、天田さん?俺が洗い物してるところ見ててなんか面白いの・・・?」


 「いや、全然」


 「じゃあなんでそんなところにちゃっかり座ってじ~っと視線送ってくるんだよ!なんかやりづらいんですけど!」


 「いや、その」


 いつも歯に衣着せぬ雪姫にしては珍しく歯切れが悪い。まさか食あたりでもしたのかと迅雷が見当違いな心配をしていると、雪姫はまだちょっと顔を逸らしたままこんなことを言った。


 「アンタさ、なんかあたしにして欲しいこととか・・・ある?」


 「・・・?いや、だから手伝いはいいって。天田シェフはゆっくり休んでてよ」


 「違くて」


 なぜか一向に目だけは合わせてくれない雪姫の態度を訝しみつつ、次第に迅雷も言葉足らずな彼女の意図を察し始めた。


 「ひょっとして、こないだのことの?」


 「・・・ん。アンタが要らないって言っても、あたしとしてはなんかで返さないと収まりがつかないっていうか、さ。なにかお礼させてよ、あたしに出来る範囲でだけど」


 頑固だった雪姫のことだから、態度は軟化したとて言い出せばノーは受け付けないような気がする。まぁ、まだ雪姫のことをちゃんと理解していない迅雷の偏見かもしれないが、せっかくの提案なのだからお言葉に甘えてみる方がお互いハッピーなのは間違いない。

 でも、だったらなにをお願いしたものか。ふむ、とわざとらしく呟いて、迅雷は洗い物をする手を止めた。それから、至って真面目な顔で、


 「じゃあ・・・キスで」


 ギャグ成分オールフリーの体に優しくない鋭いグーパンチで、迅雷は横倒しに水没した。あまりの痛みに迅雷も生々しく呼吸を詰まらせ、文句も言えないままなんとか起き上がる。


 「耳、取れましたよ」


 「すんません・・・」


 そういえば迅雷の右耳は民連での戦いで吹っ飛んで、そのままだったのだったか。雪姫は地面に転がった義耳を拾って、迅雷に手渡してやった。


 「真面目な話してたんだけど?」


 「あの、ほ、ほっぺにチューでOKなんで・・・」


 2発目は見切った・・・かと思いきやフェイントで、本命の肘鉄が迅雷の腎臓を背中側から叩いた。学園のアイドルの身持ちは氷のように固かった。


 「あのさぁ・・・?」


 「割と真面目でしたけど!?男子として!!」


 「・・・・・・」


 ダメだ。これ以上は言葉で返ってくる気配がない。でもなにかお礼をしたいという点が揺るがないあたり、雪姫も痛烈なツッコミに反してそれほどキレてはいないのだろうか。


 「それじゃあ、そうだな。・・・あっ」


 「ん?」


 「じゃあさ、また天田さんの手料理を食べたい」


 「え、そんなんで良いの?」


 「良い良い!お弁当とかそんな感じで!」


 「ふぅん・・・。ちなみになにか食べたいものとかある?大抵のものは作れると思うけど」


 雪姫の反応は迅雷が思った以上にノリノリだ。自信ありげな彼女の期待にふさわしいような料理がないか、迅雷は己の脳内レシピブックを爆速でめくり立てた。


 (ラーメンスパゲティそばうどんラーメンスパゲティそばうどんラー―――ダメだッ!!所詮は平凡な男子高校生の料理レパートリーは茹でてチンして掛けるが関の山だ!!いや、チャーハンとかオムライスだって作れるもんね!!・・・ってそうじゃねぇ!!もっと、こう、なんかオシャレな感じのやつ!!)


 「秋野菜と一番鶏のパテドカンパーニュ~アドリア海の風を貴女に添えて~・・・で!!」


 「フランスなのイタリアなの。なにロッパかしらんけど帰ってこーい」


 「・・・ハンバーグで」


 「さっきまで悩んでたのなんだったの」


 アドリア海ってイタリアだったのか。迅雷はまたひとつ賢くなった。


 「まぁ、オーケー。じゃあ放課後16時半に校門前ね」





          ●





 「ん、来たね」


 時刻はきっかり16字30分。迅雷が定刻通りに校門へ来てみれば、雪姫は既に門の脇の壁に体重を預けてあくびを隠しながら待っていた。


 「ご、ごめん待たせた?」


 「別に。さて、と・・・じゃ、行こっか」


 「おう・・・・・・・・・・・・・・・どこへ?」


 はーい、フリからツッコミを入れるまでに4時間も掛かりました。もしもこれが本当のボケだったら絶対に助かっていませんね。きちんと反省して次に生かしましょう。


 「どこって、あたしんちだけど」


 「△※□$☆◎÷♡!?!?!?」


 雪姫は当たり前のことを聞くな、とでも言いたそうな顔をしているが、むしろここまでのどこでそんな流れになったのか迅雷にはサッパリだ。

 とりあえずフツーにいきなりすぎてビックリっていうか、まだよく分からんから説明してくれっていうか、仲良し美人姉妹の禁断の愛の巣にこんな野郎がお邪魔しちゃって良いんですかっていうか、要するに言語化するとああなった。体のどこから出てきたのか気になる絶叫に雪姫は耳を塞いだ。


 「一人で同時にしゃべんな気持ち悪い!」


 「う"ッ」


 相変わらず鋭い雪姫の罵声で逆に落ち着いた迅雷は咳払いをひとつする。


 「あのう、天田さん?つまりどういう風の吹き回しなので?一から千を察せられない脳ミソ貧弱なわたくしめにも分かるよう粉々に噛み砕いて教えてくれません?」


 「だから、ハンバーグ。どうせなら弁当よりできたて食べた方が良いでしょ?」


 いちいち全部説明するのが恥ずいからぼかしただけだから。アンタが察し悪いワケじゃないっての。・・・という雪姫の呟きは迅雷の耳には届かない。感情を隠すのは得意なのだ。


 「あと帰りスーパー寄ってくから、迅雷は荷物持ちね。それで昼間のセクハラ発言はチャラにしてあげる」


 「え、あれってまだ精算済んでなかったの?」


 右頬で存在を主張する真っ白なガーゼに手を当てて迅雷は顔を青くした。

 それにしても緊張する。雪姫と2人で並んで歩くのは、いろいろと。校門では当然みんなに注目されるし、そもそも実はなにを話したら良いのかもよく分からない。吹っ切れた様子の雪姫とは正反対で、迅雷は急に距離を詰めてくる学園のアイドルとの接し方に悩んでいたのだ。実際、今日の迅雷と雪姫の会話は全て雪姫の方からアクションを起こしていた。

 なのに、いまさら思い出したように雪姫は無口に戻ってしまった。少し悩んだ迅雷は、わざとらしく「あ、そうだ」と言ってスマホに逃げた。


          ○


 ピロン、というスマホの通知音で真名は洗濯物を畳む手を止めた。


 「あら、迅雷からねー。なになに?『今日は()()()晩飯食べることになったから夜いりません』・・・?」


 「「女の臭いがする・・・ッ」」


 「ねー、2人ともどっから出て来たのかなー???」


 迅雷のこととなると超人的に敏感な居候と妹に背後を取られた真名は困惑の冷や汗を垂らした。千影は部屋でゲームを、直華に至っては通知が鳴ったときにはまだ学校から帰っていなかったはずなのだが・・・。


 「迅雷はあくまで『友達』って言ってるけ

 

 「それがむしろ怪しいんだよ!」

 「うんうん。だって慈音さんとか真牙さんとかと一緒だったら、お兄ちゃんなら絶対に一緒に行く人教えてくれるもん!」

 「なんかやましいことがある証拠だよ!!ナオ行くよ!!とっしーがワルい女に××されて○○で△△な感じに既成事実る前に連れ戻さないと!!」


 真名は2人がドタバタと家を飛び出すのを暢気に見送るのだった。


          ○


 「ちょい」


 「うおっ!?」


 雪姫にブレザーの後ろ襟を掴まれ尻餅をついた迅雷の目の前をクローバーマークの軽自動車が法定速度で突っ切っていった。


 「っぶねぇ・・・。信号見てんのかあのババア」


 「世の中には赤信号にも3秒ルール適用するヤツもいるから死にたくなきゃちゃんと小学校で習った通りにしなよ。ほら、立てる?」


 「ありがとう」


 身も蓋もない話だが、実際そんなものだ。ルールなんて所詮はただの文章で、本質的に強制力なんてものはないから結局、みんな自分より程度の低い相手に合わせなくちゃ社会では生きていけないのだ。それが出来なかったヤツから弾かれ孤立するのである。


 「・・・天田さんみたいに?」


 「喧嘩売ってんの?」


 「ナンデモナイデス」


 「冗談だよ。でも別に、あたしはみんなが自分よりレベル低いとか考えてたわけじゃないのはホントだから」


 「うっそだぁ。成績だって絶対ダントツのくせに」


 スーパーからの帰り道でようやく2人の会話も打ち解けてきた。お互いの生活感が出てくる食材の買い出しというイベントが助けになったのかもしれない。雪姫のクールな表情にも自然な笑みが現れて始めていた。

 そんな夕暮れ、雪姫の自宅がある宅地に差し掛かった迅雷は、向かいの道から自転車でやって来た女の子と目が合った。


 (・・・いや、違うか?)


 彼女の着ている制服は、たしか一高のものだ。自転車に乗っていても分かるくらい背が高くて、星座を表現するように小さな星の髪飾りをいくつも着けた少女だった。これくらい個性があってパッと出てこないのだから、迅雷には彼女と面識がないのは確かだ。まして、そんな目を疑うような顔をされる覚えもない。

 さて、つまり車も来ないのに交差点の手前でいつまでも自転車を一時停止させているその少女の視線は、迅雷よりわずかに左へと向いていた。迅雷がちらっと横に目をやれば、雪姫も自転車の少女の顔を見て悩ましい表情をしていた。なにかを言いかけたまま固まっているようにも見える。知り合いか、と迅雷が雪姫に尋ねようとすると、その前に自転車の少女の方が視線を斜め下に逸らして再び走り出してしまった。


 「あ―――」


 だが。


 「持ってて」


 次の瞬間、雪姫は買い物バッグで両手の塞がった迅雷に無理矢理自分の学校の荷物まで押しつけて、逃げるように自転車を漕ぐ足を速めた少女を追いかけ、走り出した。迅雷は重い荷物のバランスを取りながら、交差点の角の一時停止標識の陰から雪姫の姿を目で追いかけた。

 危なっかしいくらい疾走する自転車を雪姫がダッシュで追い抜いたのは若干シュールな光景だったが、キュッと甲高い音を上げて立ち止まった2人の間に漂う空気には、そんな笑いが入り込む隙などなかった。声の聞こえる距離にはなかったが、彼女たちの沈黙は確かだった。迅雷は、それをそっと眺めていた。


 「やっぱすごいよ、天田さんは」


 引き結んだ唇を、雪姫はちゃんと解いた。

 今日が肌寒くて良かった。ちょっとくらいなら食材も傷みはしないだろう。



          ○



 「おかえり、お姉ちゃ―――かっ・・・!?!?!?」


 姉ひとりを出迎えるつもりで玄関に走ってきた夏姫が、理解不能な状況に石化した。


 「おお、夏姫ちゃん。ひさしぶり♡」


 「な、ななななななんで迅雷くんがウチにっ、し、しかもお姉ちゃんといっしょに!?」


 「あたしが呼んだの」


 「気は確か!?」


 「どーゆー意味よコラ」


 「あう」


 雪姫はしがみついて揺さぶってくる夏姫をデコピンで押しのけた。


 「あと迅雷、アンタひょっとして夏姫と一緒にいるときずっとそんな猫撫で声なの?キモいよ、マジで」


 ドアに変死体が挟まったままの玄関に妹を残し、雪姫はスタスタと夕飯の準備をしにキッチンへ・・・向かう前にちゃんと手洗いうがいをしに洗面所に行ってしまった。そろそろインフルエンザの流行る時期だから大事なことだ。

 夏姫の介抱で息を吹き返した迅雷は、雪姫に手伝いを拒否されジュースとお菓子でもてなされていた。来客の扱いに慣れた様子なのは以前の付き合いの悪さを知っていると意外な気もするが、なるほど夏姫がたまに小学校の友達でも連れてくるのだろう。家の中も女の子のお部屋というよりは綺麗に片付けられつつも適度な生活感のある団欒のための空間といった印象が先に来る。

 迅雷の歓待にかこつけてしれっと今日2回目のおやつにありついた夏姫は、ソファに腰掛ける迅雷の隣に座って、足をパタパタ遊ばせる。


 「迅雷くんはおかし食べないんですか?」


 「え?ああ、ほら。お姉ちゃんの料理を最大限美味しくいただくためにお腹は空かせておきたいじゃん」


 「どうあがいたっておいしいですけどね」


 「夏姫ちゃんは毎日黙ってても食べられるからそんなことが言えるんだぞ。天田さ―――雪姫に養ってもらえるとかなんつーウラヤマ案件だよ。あー、代わって欲しいなー」


 「たとえ迅雷くんでもお姉ちゃんはあげませんよ!!」


 なんかキッチンの方で調理器具が散乱する音がした。一瞬、迅雷も夏姫もそっちを見て、それから夏姫は不満そうな目を迅雷に戻した。そんないじらしい仕草をしたって迅雷を喜ばせるだけなのに。


 「でも逆に夏姫ちゃんを妹として持ち帰りたいってのもあるんだよなー。そんで一生かけてでろでろに甘やかしたい」


 「お姉ちゃん!!もうこのヘンタイさん追い返したい!!」


 「ダメだよ夏姫、変態相手でも通さなきゃならない義理ってのも世の中にはあるんだからね」


 「そうだぞ夏姫ちゃん。夏姫ちゃんは既に俺に結構な借りがあるはずだぞー?晩ごはんまで大人しく俺に可愛がられたまえ」


 もはや姉妹から揃って変態呼ばわりされても迅雷は反発しなかった。なぜならもう彼の中で夏姫の扱いは実妹の直華と互角の次元に据えられているのだ。重度のシスコンであることを自認し、なんか最近は誇りにすら思い始めている迅雷は無敵だった。

 夏姫とじゃれるうちに女の子の家にお邪魔している緊張がほぐれてきて、迅雷は夏姫と一緒にゲームに興じ始めた。ただ、そうなると可愛がり、可愛がられる立場がすっかり逆転してしまった。ボタンを叩くリズムとシンクロした迅雷の断末魔がリビングに響き、雪姫は挽肉をこねながら口元を綻ばせる。


 「お姉ちゃん楽しそう」


 ふ―――と余所見をして気付いた姉の変化に、夏姫は釘付けになった。雪姫が料理好きなのは昔からだったけれど、そう、もう全然思い出すことも出来ない夏姫がずっと見たかったものは、あんな風にどこかワクワクした顔で料理する雪姫の姿だったのだろう。


 「隙ありィィィィ!!」


 「ねぇ迅雷くん」


 耳だけで迅雷の反撃を見切って返り討ちにして、夏姫はコントローラを床に置いた。


 「お姉ちゃんが楽しそうです」


 「なんでいまので負けんだよぉ!?」


 「ねぇってば!お姉ちゃんが楽しそうですって!」


 「あーはいそーだね―――、・・・・・・」


 あまりの実力差に拗ねていた迅雷だったが、夏姫が自分に向けてくる眼差しに気が付くと、そんなつまらない不満なんてあっという間に霧散した。世の中、姉が楽しそうにしているだけでこんなに幸せそうに、涙まで浮かべて咲う妹がいるものか。そんなに喜ばれたら迅雷まで勘違いしてしまうじゃないか。


 「やっぱり、迅雷くんはすごいんですね。ま、お姉ちゃんほどじゃないですけど!」


 「俺だって、夏姫ちゃんに会えなきゃ無理だったよ?だから本当にすごいのは夏姫ちゃんのお姉ちゃん大好きパワーかもね。ま、お姉ちゃんほどじゃないですけど」


 「でっへ~♡」


 褒めれば褒めるほど溶けてデロデロになる夏姫を思い付く限り褒めそやしていると、いつの間にやらデミグラスソースの王道な香りが家の中に漂っていた。キッチンを見れば、圧力鍋の蓋をなにかの合図のように持った雪姫が呆れたように片方の手を腰に当てていた。


 「ウチの妹はあげませんよ」


 「あ、ハイ」


 「出来たから座って」


 素っ気ない雪姫の言葉に迅雷は目を輝かせてテーブルに飛び込んだ。身の前に並べられたのは、暖色のダイニングライトをキラキラ反射する、スープかってくらいたっぷりのデミグラスソースの海に沈む、ふっくら煮込みハンバーグだ。付け合わせの野菜まで素人でも分かるくらいに色鮮やかなのが一皿へのこだわりを感じる。


 「おぉ・・・」


 濃厚なデミグラスの香りを際立たせつつ優しく胃を癒やしてくれそうな、サッパリめのコンソメスープの匂い。そして、洋食屋さんの本気を感じるここまでの流れに逆らうように敢えて茶碗で出されたツヤツヤほくほくの白ごはんと塗り箸の、このおうちごはんっぽさがまた、なかなかにニクい。これはウチの日常の味ですけど?という控えめにドヤる感じがもうズルい。無口でクールな彼女は料理で語るのだ。


 「い、いただきます!」


 「どうぞ」


 そっちがその気なら、こっちもおうちごはんの流儀でいただくだけだ。米を食い、食事の始まりを体に伝えて、それからメインディッシュのど真ん中にぶすっと無遠慮に箸を入れる。まるで新鮮な果物でも食べたように口の中で溢れ出す熱々の肉汁が野菜の風味際立つソースのコクを加速させていく。噛み締めた瞬間に満を持してソースが完成するよう緻密な計算がされていたかのようだ。爽やかなコンソメスープで口内を洗い流せば、ほどよい塩味で冴えた味覚をキープしながら、もう一度ハンバーグの重厚な感動を味わわせてくれる。


 「・・・あ」


 気が付けば器が全部空っぽだった。ゆっくり味わっていたつもりなのに、なんと儚い、まさしく夢のような絶品だった。

 自分はまだ食べながら、雪姫は綺麗になった食器を見つめてぼんやりする迅雷に問い掛けた。


 「どうだった?」


 「・・・・・・」


 「・・・あの、ねぇって」


 「結婚しよう」


 「~~~ッ!?」


 驚天動地の不意打ちプロポーズには、さしもの雪姫も「はぁ!?」「ひぃっ」「ふーん」「へ?」「ほォ・・・?」のどれひとつ出なかった。

 卑劣極まる抜け駆けの一撃が真横を射貫いて、夏姫は目を見開き、直後にギリッと奥歯を噛んだ。狼狽えるな、己の魂を鼓舞するのだ。


 「お姉ちゃんはあたしと結婚するんだからぁ!!」


 「ぉぶっ」


 迫真の真顔のど真ん中に野球ボール大の氷塊をぶち込まれて、迅雷は椅子ごと後ろにひっくり返った。すると夏姫はそのまま迅雷の腹に馬乗りになって両手で胸ぐらを掴み、その小さな体で出せる限りの力で揺さぶった。


 「あげないって言ったじゃないですか!あげないって言ったじゃないですか!!ダメに決まってんじゃないですか!!だいたい迅雷くんってもうカノジョいるじゃないですか!?浮気です!!大問題ですーッ!!」


 「―――ハッ、そ、そうだ俺には千かg


 「あんな女児と乳繰り合ってる方が問題だと思うけど」


 正気を取り戻しかけた迅雷をザックリと断罪するかのような雪姫の言葉に、いつものようなキレが足りない。寒さに強いはずの体に悪寒を感じ、夏姫は姉の顔に目をやる。


 (な、なにあのちょっと目ぇそらしちゃって実はまんざらでもないですよ感丸出しの顔はぁぁぁ!?)


 「お、おのれ迅雷くんめ!!あたしはここまでやれなんて言ってないのに!!まずはお友達から始めてお友達のまま終わってろ!!」


 「なんという独占欲(エゴイズム)。だがそれでこそだ、夏姫ちゃん!やはりシスコン同士は惹かれ合う!!」


 「イミフです!!」


 「つまり怒ってる夏姫たんも可愛い」


 「迅雷くんのそういうトコが気に食わないです!!」

 

 夏姫のポカポカパンチは呆気なく迅雷に掴んで止められてしまうのだった。


 「まぁ、夏姫ちゃんが義理でも正式に妹になると思えば改めて魅力的だけども・・・ごめん天田さん。美味しすぎてちょっと錯乱してた」


 「勝手にプロポーズして勝手にフるんだ、フーン?つかまずは夏姫から手を放せ小児性愛者」


 こっちのシスコンは怒らせたら手が着けられない。下手したら銃口と同等以上の脅威を誇る魔法陣を向けられた迅雷は弾かれたように起き上がった。ついでに夏姫と椅子も元の位置に戻した。しかし、ひとつ誤解を解かねばならない迅雷は居佇まいを直して雪姫と向かい合う。


 「千影は確かにまだ11歳ですが、わたくし神代迅雷は決してそんな歪んだ理由であいつと一緒に居るわけではございません」


 「知らん」


          ●


 「もう帰っちゃうんですか?」


 「もうって、もう20時だし。・・・え、なになに?もしかして夏姫たんはお兄ちゃんが帰っちゃうの寂しいのかな?」


 「夏姫が強すぎて学校の友達にはもうゲームで一緒に遊んでくれる子がいないから、アンタが久々に付き合ってくれて楽しかったんでしょ」


 「ちょ、お姉ちゃん!?」


 図星を突かれて顔を赤くする夏姫を、迅雷と雪姫は撫でくり回して可愛がる。とはいえ、時間は時間。明日も学校がある。迅雷は仕方なさそうに笑って、夏姫から1Pのコントローラを借りた。


 「ウチのアカウントにフレ申請しといたよ。暇なときは付き合うぜ」


 主に千影が。


 少し遅くなってしまったので、迅雷はさっさと荷物をまとめて靴を履く。もし忘れ物なんてして、一人で取りに戻ってきてインターホンを鳴らすのはちょっと緊張しそうだから、念入りに出る前にリュックとポケットの中身を確認する。大丈夫だ、忘れ物はない。


 「じゃあ、天田さん。今日はありがとう、ごちそうさまでした」


 「ん」


 「また明日」


 「ん」


 相変わらず雪姫は素っ気ない。

 でも、ドアノブに手を掛ける迅雷を見送って、閉まったドアを見つめて、数秒。雪姫はリビングに駆け戻ったかと思えばすぐ玄関まで戻ってきて、靴を突っかけ外に飛び出した。


 「お姉ちゃん?」


 「忘れ物。待ってて」


         ○


 「迅雷!」


 呼び止められ、迅雷は振り返る。


 「あれ?俺なんか忘れてった?」


 「ううん。あたしが忘れてた」


 電柱の小さな街路灯に照らし出された雪姫の表情は、忘れたものを思い出したときとはちょっと違っているように見えた。


 「ふたつ言い忘れてた」


 「うん?」


 「さっき一回、あたしのこと名前で呼んだよね」


 「え?あ、あー。あれは夏姫ちゃんと話してたから紛らわしくないように―――」


 「別にダメなんて言ってないでしょ。良いよ別に、名前で呼んでも。あたし、自分の名前は好きだし、迅雷もその方が呼びやすくない?」


 「呼びやすいけどなんか照れるな・・・。えーと、じゃあ、雪姫ちゃん?」


 「ちゃんはやめて気持ち悪い」


 やっぱりそれは気持ち悪がられていたのか。確かに高校生にもなって同級生の女子をちゃん付けで呼ぶのはない気がしていたが。そう考えると同学年の女子全員にちゃん付けを徹底している真牙は本当に偉大な男なのかもしれない。


 「それと、もうひとつはお願いなんだけどさ、良い?」


 「良いけど」


 「あたしも『DiS』に入りたい」


 雪姫がそう思ったことに、特に深い理由はなかった。ただ、もう独りじゃなくて良いんだとしたら、最初に作る居場所はなんとなく迅雷がいるそこが良いな、と思っただけだ。あとは、そう、甘菜に掛けさせてきた心配もこれで少しは軽くなるかなぁ、くらい。


 「ダメかな?」


 「い、いや!むしろ大歓迎!こっちからお願いしたいくらいです!!」


 「そ、そっか・・・」


 迅雷に両手で手を包み込まれて雪姫は拍子抜けした。果たして雪姫の加入はここまで有り難がられるほどのことだったのだろうか?雪姫はそう疑問に思ったようだが、それは自分が『DiS』のみんなに受け入れてもらえるだろうか、と心配していた雪姫の焦点がズレていただけだ。


 「雪姫がいたら戦力爆増だし、氷魔法ってなんか普段使いでも便利そうだし、良いこと尽くめじゃん」


 「実益の話かよ」


 「あのなぁ。ずっとソロで活動していた雪姫には分からないかもしれないけど、パーティー運営って案外お金掛かるから出来ることの幅は広ければ広いほど良いんだぞ。・・・って焔先輩が言ってた」


 「あそ」


 雪姫は呆れて、鼻笑い気味にそう相槌を打った。でも、多分顔はニヤついているんじゃないかとも思ったし、例えそうでも誤魔化そうとは思わなかった。呆れの表情作りで大袈裟に閉じてみせた瞼をゆっくり開き、「それじゃあ」と言ってもう一度迅雷に微笑む。




 「これからもよろしく、迅雷」


 「ああ。よろしく、雪姫」




 ep.8はこれにて完結になります。各話恒例の Connection もありますが、それは少し投稿が遅れそうです。さて、どうだったでしょう。ep.7ではなんだかマンティオ学園の外に飛び出してどんどんパワーがインフレしていたので、ep.8では一旦、物語の舞台を学園中心に戻してみました。・・・でもさぁ、アイナカティナ・ハーボルドとかどう考えてもインフレ路線の延長線上にいた強敵でしたよね。

 今回の物語では、メインテーマを「前へ」として、雪姫とネビアのダブルヒロインで進めて参りました。雪姫とネビアの再会と和解、そしてなにより雪姫の過去と救済はずっと書きたかったエピソードでしたので、ようやくここまで来たなぁという実感がございます。天田雪姫というキャラクターを考えたのは、なんなら千影より先だったのですが、当初から彼女の凍り付いた心を解かす方法はずっと作者の中で大きな課題になっていました。ひとまず、迅雷と雪姫の試合の最後、迅雷に圧倒されて「これでやっと負けられる」と心は解き放たれようとしながら、体は決して負けを認めず喉笛に刃を突き立てられるその瞬間まで迅雷を否定しようとし続けるシーンに雪姫が溜め込んできた、いろんな、ごちゃ混ぜの本音を込められたんじゃないかと思っています。

 あとエピソードタイトルの『Andoromedas' elegies』もそこそこお気に入りだったり。それではまた、 Connection にてお会いしましょう。











         ●











 話はこれで終わりだと思って雪姫に背中を見せた迅雷だったのだが、


 「あ、そうそう。それからもうひとつ」


 「えぇ?まだなんか―――」


 迅雷の言葉は途中で切れた。

 時間にして1秒くらいの出来事だった。だけど、迅雷は永遠に、そこの電柱より後ろを振り返ることは出来なかった。


 「・・・・・・マジで・・・?」


 「勘違いすんな。迅雷がして欲しいって言ったんじゃない。ごはん作んのなんて元々あたしの趣味の範疇だったから・・・オマケ・・・そう、オマケ!あー、じゃ、あたしもう戻るから!そのまま振り返んなよ!じゃ、気をつけてっ!!」


 逃げるように履きかけの靴音が遠ざかって、バタンと勢いよくドアの閉じる音がした。

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