表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
LINKED HORIZON ~異世界とか外国より身近なんですが~  作者: タイロン
第三章 episode8 『Andromedas' elegies』
484/526

episode8 sect46

【前後不覚】

前後の区別もつかないほど正体のないさま。

            ―――広辞苑 第六版 より


あとさきの区別もつかないほど正体を失うこと。

         ―――明鏡国語辞典 第二版 より


意識を失って、前後の状況が全く分からなくなること。

        ―――新明解国語辞典 第三版 より

 既に放課のチャイムが鳴ってから半刻以上が経ったというのに、本来なら放課後に利用する者のいない魔法戦用アリーナの観客席はすし詰めになっていた。その一方では校舎内も校庭も、体育館も、いつもなら部活動に打ち込む生徒たちで賑わっているはずの学園中のどこもかもが静かだ。

 マンティオ学園は魔法学教育ばかりが目立っているが、部活動も盛んだ。その部活動の中心となっているのは魔法戦とは縁遠い一般魔法科の生徒たちであるが、そんな彼らでさえもが、今日だけは日常を放り出してアリーナに押し掛け、立ち見席までも奪い合っていた。


 言っておくが、予告されていたイベント、ではない。


 「校庭で良かったのに」


 衆目のカイパーベルトの中央に立ち、向かい合っているのは2人の生徒だった。

 どちらもまだ1年生だった。だがもはや、マンティオ学園において彼らを学年で判断して侮る者もいなかった。それは生徒たちに限った話ではない。


 「仕方ないだろ、志田先生が『やるならアリーナにしてくれ』って言うんだから」


 「ふん―――」


 天田雪姫。日本国民の多くは彼女を知っている。高総戦で鮮烈なデビューを飾った、事実上、現在の高校生最強魔法士。しかし、まだ誰も彼女の底を見たことはない。

 そして対するは神代迅雷。彼も新入生の中では優秀な部類ではあったが、天田雪姫には到底及ばない。そのはずだった。だが、彼がこれまで潜ってきた死線の数は常軌を逸している。そして、先日の『ブレインイーター』の一件の噂。人々に何度も敗北する姿を晒してきたはずの少年に、誰もが得体の知れなさばかりを感じ始めていた。


 ”天田雪姫が神代迅雷に模擬戦を挑んだらしい”


 話が全校へ伝播するのは電流の如くに瞬く間であった。文言にして単純明快、しかし情報的背景、タイミング、どれをとってもなにかが起こりそうな予感があった。それ故にみんなが注目していた。


 迅雷は、いまさら雪姫に問い直す。


 「なぁ・・・その、天田さん?本当にやんの・・・?」


 「くどいよ」


 一蹴。

 

 情報的背景―――すなわち同世代において並び立つ者がいないことを示して久しい天田雪姫からの、タイミング―――すなわち2人の活躍で『ブレインイーター』事件が終結したこのタイミングでの迅雷への挑戦。苛立つ雪姫の蒼い瞳は、氷のように固く揺るぎなく、ただ真っ直ぐ迅雷を捉えて放さない。


 「本気で来て。あたしも今日は―――」


 ポケットから手を出し、ほんの少しだけ姿勢を正す。一見してたったそれだけの変化。だが、それは正真正銘、雪姫の構えと言うべきものだった。静かな迫力。目が乾く。髪が靡く錯覚。彼女と正対した迅雷だけが、それを理解した。



 「最初からフルスロットルで行くから」



 「待っ・・・!?」


 戦いの合図などとうに終えていた。

 雪姫の言葉に嘘はなかった。

 雪姫が手をかざす。その指先がダイヤモンドダストの軌跡を描く。

 汗すら干上がる本能的恐怖が先行する。

 迅雷は反射的に回避を選んだ。大袈裟すぎるくらいに横へ跳ぶ。


 だが。


 「お、おおおお!?!?!?」


 それでも、逃げ切れない。

 氷河が降ってきた―――そうとしか表現出来ない。

 大自然の猛威と遜色なく感じるほどの理不尽な破壊力。一撃で戦場の3分の1が氷に閉ざされた。


 腕をたったひと振りしただけだ。


 これが天田雪姫本来の出力。

 あと二度、その華奢な腕を振るえば2人の立つこの空間全てが氷に埋め尽くされて戦いは終わる。


 「――――――ッ~~~!!っ、はぁ・・・っ、ぁ・・・!!」


 「避けた、か」


 想像以上の規模で放たれた氷撃に足を食われる寸前に、迅雷は『サイクロン』で自分自身をぶっ飛ばしていた。既に数々の無茶に祟られた体だ。肋骨の軋みに目眩がする。華麗に受け身を取る余裕などなかった。


 (死ぬ・・・ッ!!これ、人間に向ける威力じゃねぇ!!なに考えてやがるッ!?)


 迅雷が再び雪姫の姿を捉えたときには既にアリーナ内は猛然と吹雪いていた。触れる床面の、キシキシとかすかに滑る感触。雪姫の足踏み。

 来る。その確信と共に迅雷は慌てて『雷神』で足元に出現した魔法陣を裂き崩す。


 剣を振るった腕に食らい付く純白の激流。

 抵抗すれば肩の脱臼は避けられない。

 為す術無く壁に叩き付けられた迅雷は肺の中身を強引に全て吐き出させられる。

 交通事故にでも遭ったような衝撃。

 しかし、悠長に悶えてはいられない。


 追撃。


 再び巻き起こる氷河の崩落。


 目を回したまま死に物狂いで、転がりながら逃げ惑う。

 寒い。暑い。滴る汗は床に落ちる頃には凍っている。


 「いつまでそうしてんの?」


 「ふっ・・・ふざけんなよ、殺す気か!!」


 「ああ?()()()()()()()()()()()()()()()()()()???」



 迅雷は()()()()した。



 既に氷河のような巨大氷塊を振り回す魔法―――『グレイシャ』は二度放たれた。

 これは最後通告だろう。


 「・・・分かった」


 「それでいいのよ」


 雪姫の眼光が色味を変質させる。


 容赦はなかった。

 雪姫の五指を開いた右手がゆらりと持ち上がる。

 

 迅雷の握る双剣が軋み熱を帯びる。


          ●


 戦いが始まって数十秒。既に追い詰められた迅雷に、雪姫の右手が振り下ろされた。虚空から引き摺り出される氷塊はまさに崩れ落ちる氷河の一部そのものだ。

 その痕に雪姫自身の立つ空間さえ残るか危ぶむべき終焉の一撃だ。観客席のどこかで短い悲鳴があった。傍観者でさえ自分に矛先を向けられたのと全く同質の恐怖を感じる猛威だ。

 迅雷は強い。小学生と変わらない魔力量しかない状態でマンティオ学園の入学試験を勝ち抜いた技量は、学内戦や高総戦を通して学園の生徒たちみんなが認めるようになっていった。迅雷は強くなった。夏休みが明けてからの迅雷の活躍はもはや学校の内側に留まらぬものだった。ビスディア民主連合の悲劇の中心で果敢に戦い生還し、今回は『ブレインイーター』を倒し雪姫を救った。傍らにオドノイドの少女がいたとしても、なお学生の枠に留めて語れる実績ではない。


 だが、そんな迅雷であっても、結局、雪姫には届かないということなのか。

 もしかして、もしかするのではないか―――。同級生も上級生も他校の強豪たちも、誰にも成し得ず、誰もが諦めた最高の大番狂わせへの期待は、呆気なく氷に鎖される。


 「まだだよっ!!としくんは―――」

 「ああ、神代ならきっと・・・!!」


 凍り付いた戦場が光で満たされていく。

 氷河の内側から燦爛と沸き立つ光で。


 「いっちまえよ、迅雷ィ!!」


          ●


 「――――――やっぱさぁ。火力が頭おかしいよ、アンタ」


 フィールドを一度は埋め尽くしたはずの雪姫の『グレイシャ』が、光の抜けた後には半分以上消滅していた。雪姫も、そして迅雷も、床に両足で立ち、互いの姿を目で捉えている。

 砕いた程度ではあり得ない。一度生み出された莫大な体積は、ただ破壊しただけなら依然としてフィールドを埋め尽くしたままのはずだ。しかし、そうはならない。電熱や剣圧で一気に蒸発したか、あるいは水をも燃やすあの黒い炎のように、さらに奇妙な現象が起こったのか分からない。


 ただひとつ確かなことは、迅雷の様子に、雪姫が望んだ通りの変化が起こったということだけだ。


 濛々とフィールドに煙る氷の霧は剣の一振りで払われた。

 烈火の如くに荒れ狂う墨染めの嵐を強引に狭衣となして身に纏う迅雷の姿が現れ、消える。


          ○


 雪姫がそうしたように、迅雷も雪姫に息を呑む間さえ与えない。

 瞬きの内に雪姫の背後へと回り込み、勢いのままに高圧の魔力で翠に煇き上がる『風神』を振るう。


 (獲った!!)


 いまの迅雷が出せる最高速度だ。千影とより高度な連携を可能とするために極限まで突き詰めたスピードは、傲りでもなんでもなく、常人の認識能力を遙かに置き去りにする。


 だというのに。


 一歩の誤りで壁にぶつかり粉微塵になるのではないか。少しでも『マジックブースト』を緩めれば慣性で腕が千切れるんじゃないか。そもそもいま見えているものは確かなのか。迅雷自身がまだ酷い不安を感じるほどの脅威的速度感の中で気味が悪いほどなめらかに追い付いてくる蒼い眼光が尾を引いた。

 動揺。恐怖。驚愕。しかし、振るわれた剣は情動が神経を巡るより速く躍る。


 「おォア!!」


 眼前へ白が雪崩れ込んでくる。


          ○


 「なに?その間抜け面」


 嵐を纏った迅雷は、やはり恐ろしく迅いし一撃が重い。

 だが、恐ろしく迅くて一撃が重い()()ならやりようはある。


 雪姫はハナから迅雷を目で追うことを放棄していた。視覚はあくまでも自身の攻撃の補助にのみ使い、迅雷の動きは全て第六感(シックスセンス)のみで掌握する。千影と殺し合いをすることを想定して磨かれた雪姫のシックスセンスはスピードにおいて視覚に勝り、反射運動の領域へと到達していた。


 「ああ・・・もしかしてさぁ。あたしが反応出来るわけないとか思ってた?」


 『スノウ』に絡め捕られた『風神』が凍り始め、迅雷の顔色が変わる。


 「アンタ、何様のつもり?良いからさっさと殺る気出せよ!!」


          ○


 横殴りに降りしきる拳大の雹。

 津波の如く押し寄せ荒れ狂う雪崩。

 氷河の崩落。

 

 雪姫の、ともすれば動きすら伴わない行動のひとつひとつに、明確な死を予感する。猛威は迅雷の想像を容易に超越し、天災そのものに立ち向かっている感覚さえ湧いてくる。


 「何様、ねェ・・・!!」


 全く、愚かな話だ。あの《雪姫(ユキヒメ)》相手に傲るなど。寸止めするつもりで振るう刃が彼女に届くはずがない。例え試合を持ち掛けてきたのが雪姫だったとしても、依然、迅雷が挑戦者の側だったのだ。

 まだ全然、雪姫がなにを考え、なにを求めて迅雷と戦うのかは分からない。しかし、殺らねば、殺られる。ここに至って甘えを引きずってなんになるのか。きっと価値はある、意味の分からない戦いなのだとしたら、いまはただ勝利に全てを尽くそう。


 覚悟、完了。


          ○


 今度こそ、ようやく、迅雷の動きが明確に変化する。

 様子だけでなく、動きもだ。

 一太刀防ぐたび、一撃凌ぐたび、遠慮や躊躇いといった不純物が徐々に晴れていくのを感じていた。


 そして。


 「ッ・・・!!」


 鎖が千切れて弾け飛んだように。


 水色がきらめいて、ハラハラ舞い落ちる。

 クリアになった視界。舞ったのは雪姫の毛髪だ。

 反応が遅れていれば、体ごと真っ二つだったかもしれない。だって、魔力拡散素材のタイルで出来た床が、お構いなしにぐっぱりと裂けているのだ。

 舌舐めずり。血の味は本気の味。


 ここからだ。


 ここからだ。


 ここからだ。


 さあ、始めよう。


          ○


 episode8 sect46


          


 あたしとあいつ、どっちが正しかったのか。


          


     ” Continue? or Not? ”


          ○


 それを確かめるための戦いを。



          ●


 「いけとは言ったけどよ・・・」


 真牙は目の前の光景も、体に感じる震動も、耳を苛む衝撃波も、どこか現実味を見失っていた。


 「オレたちは一体なにを見せられてんだ・・・?」


 次元が違いすぎる。プロ魔法士でもああはならない気がする。唖然としているのは真牙だけじゃあない。煌熾だって同じだ。『DiS』の仲間であってもそうなら、恐らく学園中の全員が度肝を抜かれているはずだ。


 「なんだよ、神代のあの姿は。なんも聞いてないぞ、滅茶苦茶じゃないか!?東雲は知っていたのか!?」


 「う、うん・・・。でも、しのも見たのは初めて」


 これが『ブレインイーター』を、ネビア・アネガメントの暴走を叩き潰して止めた、迅雷の切り札だというのか。いまの慈音じゃ、1分と耐えられそうにない。それどころか、隣に立つことさえ。


 「だけど・・・」


 止むことのないこの震動も、衝撃波も、決して迅雷ひとりが暴れて引き起こした現象ではない。彼の猛攻を真正面から受け止め、反撃する者がいるからこそ、映画も舞台も翳むような壮絶音響に終わりが訪れないのだ。



          ●



 「あ"あ"あ"ッ!!」


 「―――しィッ!!」


 迅雷の『駆雷(ハシリカヅチ)』を雪姫の『グレイシャ』が逸らして直上へ跳ね上げる。


 轟音。

 ガラスの雨。

 爆発音。


 巨大な影が動く。アリーナの天井に吊されていた大型モニターの残骸だ。

 迅雷の視界から雪姫を。

 雪姫の視界から迅雷を。

 火花を噴き上げるモニターの残骸が覆い隠し、直後に赤熱して両断される。


 吹雪をさらなる暴風が掻き分け、迅雷の左の剣を流動する雪崩が受け止め、雪姫が左手の五指を開けば迅雷の全身をクリアな影が呑み込む。指のひとつひとつに連動する複数詠唱(マルチスペリング)かつ詠唱破棄(トラッシングスペル)の『グレイシャ』、対する迅雷は右腕を雑に振るう。音は閃光に遅れ、見る者全てを二度竦ませる。灼け融けた防護ガラスを砕け散った氷片が激しく喰い破る。


 返す刀、受ける雪姫は敢えてさらなる一歩を踏む。懐へ。振り下ろされる迅雷の右腕に拳を合わせて打ち払い、そのまま迅雷の顔面に掌底を撃つ。煌めく雪姫の掌から氷の刃が伸びる。迅雷は首を振ってそれを躱し、『風神』を逆さの袈裟懸けに斬り上げる。だが咄嗟の反撃。姿勢が悪い、助走が足りない、腰が入っていない。雪姫の右手が迅雷の左手首を掴み取る。見てきた。ある意味で最も恐れ警戒してきた。触れるもの全てを一瞬で凍結する魔手。


 (しまっ―――)

 (・・・・・・!?)


 慌てて雪姫の手を振りほどき、『雷神』を垂直に叩き付ける。床から弾ける青白い火花を雪姫は左腕を盾に無理矢理突き抜け、右拳を振り上げる。本来ならギリギリで届かないはずの間合い。だが、火花は散った。それは雪姫の右手から伸びた氷の剣だ。

 一度は上へ流された剣を雪姫は難なく直下へ振り戻す。『雷神』と斬り結んで折れなかった。落下しながら質量を増す氷刃の威力が知れず、迅雷はやむなく二刀を交差して受け止める。そのまま叩き斬らんとする雪姫と、斜めに力を逃がそうとする迅雷が鍔を迫り合う。

 雪姫が両手の塞がった迅雷に『アイシクル』の中型魔法陣を向け、迅雷の剣から漏れ出す魔力が雪姫の氷刃を灼き斬る。取り戻した自由、飛び交う氷弾、氷柱、全てへし折り。


 「あたしとアンタでなにが違う!?」


 防ぐための雪壁が引き裂かれる。


 「目の前でたくさんの人が死んだんでしょ!!」


 余波だけで両足が浮き上がる。


 「ガキの考えで突っ走って、なんも出来ないで、じゃああのときあたしはどうしてれば良かったんだって!!」


 受け身と同時に『グレイシャ』で眼前全て等しく薙ぎ払う。

 迅雷の表情に痛みが走る。雪姫の攻撃によるものではない。


 「アンタのせいで死んだヤツがいるんでしょ!!」


 迅雷の脳裏に顔が浮かんだ。

 

 小西李。

 アーニア・ノル・ニーア・ニルニーヤ。

 テム・ゴーナン。

 ジャルダ・バオース。


 それから―――。


 「なんで、どうしてヘラヘラ笑ってられんの!?!?!?」


 一斬のもとに氷山は割れる。


 「アンタはあたしと同じだと思ってたのに!!」


 「俺もだよ!!けど―――!!」


 「だからムカついたんだ!!高総戦!!アンタになにがあったかなんて知んないけど、無気力で守ることまで諦めくさったアンタ見て、そこで諦めちゃえるアンタにクソムカついたし、それをどっかうらやましく思ってる自分が気持ち悪くてしょうがなかった!!」


 地面から突き生える氷の剣山。縫って迫る迅雷。


 「何様なのよ!!ムカつくんだよ!!なんで人殺しのくせにヘラヘラ笑って日常に帰ってこれんの!?なんで変わっちゃうの!?なんで諦めたアンタがこんなに強いの!?!?!?」


 「けど、俺と天田さんは似てただけだ!!」


 「そうだよ、だからあたしは確かめなくちゃいけないんだ!!アンタは変わって、あたしは変われない!!どっちが正しいのか!!」


 ジリジリと追い詰められていく感覚。

 だがもう退けない。これまでの全てを賭けて、一度だって退かず止まらず突き進んできたから。


 「別に天田さんだって間違いじゃないだろ!!」


 「あたしはあたしが大嫌いだッ!!」


 「はぁ!?」


          ○


 急なカミングアウトだった。

 でも、すんなりと理解出来た。

 だから迅雷と雪姫は似た目をしていて、しかし決定的に対極的な存在だったのだ、と。


          ○


 雪姫の昂ぶりに呼応して吹雪は唸りを増す。どこまでも寂しく、悲しく、グチャグチャの心。どこまでも優しく、暖かな白い心。


 「あたしは、弱くて、バカで、いつも誰かを不幸にするばかりの自分が嫌いで嫌いで仕方ないの」


 「それでみんなから距離を取ってたって?」


 「そうだよ!!そりゃそうでしょ!?誰が好きで独りぼっちでいるもんか!!あたしだって・・・」


 決定的な一言に体が抵抗している。せっかく治った奥歯がまた割れそうだ。しかし感情がもう滔々として止まらない。


 「あたしだって、本当はみんなのことが大好きだよ!!仲良くしたかった!!けどあたしは人殺しだ!!いるだけでみんなを傷付ける根っからのクズだから、だからもう誰もいらない、独りで良い、独りが良い。そしたらもう誰も殺さずに済む!!」


 言っていることが滅茶苦茶だ―――とは言えなかった。迅雷も似たような思い込みをしたことがあったから。怖いものは怖い。ダメだと思ってしまったら、もうダメなのだ。


 「あたしは、こんなあたしなんか死ねば良いと思ってる!!いまでもそう思ってる!!でも自殺する勇気もない・・・。あたしはっ、そんな自分が、死ぬほど大嫌いだ!!」


 だけど。



 「俺は好きだよ!!」



 それでも言わなくちゃならない。

 雪姫の過去を知った。想いを知った。その上で。


 「俺は天田さんのこと尊敬してる!!」


 「っ・・・」


 ビスディア民主連合での戦いで、心折れかけた迅雷が助けを願ったとき、両親やギルバート・グリーンと同列に雪姫のことを思い浮かべたのは、それだけ迅雷の中で雪姫が「スゴい人」だったからだ。


 「俺にはそんな天田さんがヒーローみたいに見えてた。だって、すごいじゃんか。かっけーじゃんか。背景なんか知らなかったけど、それでみんなを守りたくて、強くなろうとして、本当にこんなとこまで上り詰めて・・・って、ワケわかんねーレベルですごすぎんだよ!!それもずっと独りで頑張ってきたんだろ!!その恐怖をどうにかしようとして、ずっと!!」


 「知るか!!カンケーない!!」


 加速する激情を乗せた『グレイシャ』が床を基礎ごと叩き割った。跳ね上がる地面に軽々と吹っ飛ばされた迅雷を『スノウ』が呑み込み、割れた大地に叩き付ける。


 手応えはあった。・・・これで終わりなのか?

 雪姫の息は上がっていた。肺が、気管が、不自然に震えていた。胸のざわめきが収まらない。

 そうだ。こんなものでは終わらない。

 濛々と湧き立つ雪煙の中に起き上がる影が口を開く。


 「なぁ・・・もしかしてだけどさ。本当はもう分かってるんだろ。俺たちが考えるべきは、もう、”なにが正しかったのか”とか”あのときどうすれば良かったのか”じゃないんだよ。俺と天田さん、どっちが正しいかなんて誰にも分かんないし、もしかしたらどっちも正しくないのかもしれない。けどな―――」


 影が立ち上がった時点で予測していた動きだった。構えは解いていなかった。防ぐ手順は確かだった。だが、迅雷が十字に振るった刃から迸った衝撃は雪姫の理解を凌駕した。


 雪姫を分厚く包み隠す全てが吹き散らされていく。

 目の前の全てが馬鹿馬鹿しくなるほど鮮明に晴れ渡っていく。


 ほんの刹那、ただ、ただ圧倒された。

 空に呆けて体はくらりと後ろへ傾ぎゆく。


 (ああ、やっと―――)


 迅雷の剣が迫る。

 めもあやに光輝する剣が迫り来る。

 まるで夜のように広い闇に降り注ぐ月光みたいだ。


 (これで・・・やっと―――)


          ○


 肩を掴まれるような感覚があった。

 倒れゆく心を後ろから、掴んで、押しのけ、突き進む!!


          ○


 「―――ッ、負け・・・るかよォォォォォォォォォッ!!!!!!!!」


 その絶叫に森羅万象が凍り付く。

 雪姫自身さえも。

 ただひとり、彼以外の一切が。


 鯨波猛々、淆じり合う。


 そして。


 最後の激突があった。






















          ●















 二人の、胸の千切れるような上がった呼吸だけが、嵐の去ったアリーナに、やけに際やかに木霊していた。


 「・・・もう、十分だ。もう独りでなんかいなくたって良いよ」


 床に四肢を投げ出していたのは、雪姫だった。

 彼女の喉元に鋒を突き付けていたのは、迅雷だった。


 歓声はない。賞讃もない。心の及ばない時間がそこには長く横たわっていた。

 勝者は剣を収め、敗者に微笑み手を差し延べる。


 だが、敢え無くして、


 「俺と・・・・・・ぉ、ぉ?」


 ボッ、と、火が吹かれ消えるように迅雷の纏っていた黒い嵐が霧散した。魔力切れだ。急激に襲い掛かる倦怠感と全身の痛みで、迅雷は不格好にも尻餅をついた。握っていられず落とした『風神』と『雷神』もさっきまでの威力が嘘のように、凍り付いた床をカラカラと空しい音を立てて滑っていく。座るだけの力も抜けた迅雷は、そのまま雪姫と足の裏をくっつけるような格好で冷たい床に転がった。

 割れた強化ガラスの天蓋を見て迅雷が呆けていたときだった。




 「ぷっ」




 聞こえた。

 信じられないような音色が。

 でも、誰の聞き間違いでもなく、確かに、それは。


 「ぷっ、ふ。ぁははっ。あはははは、はははははっ!!」


 長い長い間失われていた、雪姫の爽やかな笑い声だった。

 泣いたままひとしきり笑った雪姫は、さらに大きく息を吸って、



 「負けたあああああああーーーーーーーーー!!」



 わんわんとアリーナ全体に聞いたことないくらい気持ちの良い声が響き、そして言葉は切れる境からまた楽しそうな笑い声に化けて、さらにしばらく続いた。


 「はぁ、はぁぁ・・・ふー。・・・・・・あーあ。・・・負けた。負けちゃった」


 「あ、天田さん・・・?」


 雪姫はゆっくりと起き上がって、目を丸くする迅雷にクスっと笑った。


 「本っ当・・・何様よ、アンタ。夏姫に頼まれただけでここまでする?フツー」


 「いや・・・今日突っかかってきたのはそっちでしょ」


 「そういや、そうだったっけ」


 「けど、まぁ・・・なんか俺はどのみちここまでしたような気もする。俺と天田さんは、似てるだけで全然違ったけどさ。でも、どうしても他人事に思えなかったんだ」


 「同じだよ。あたしも、迅雷が他人に思えなかったから、あたしと違う道を選んで遠ざかっていく迅雷を見て不安になってた。全力の迅雷に勝って、否定して、自分の進む道の方が正しいんだって思いたかった」


 でも、思いは裏腹だ。

 雪姫はずっと、誰かにこうして欲しかった。

 なにを、と言われると実は雪姫にもハッキリとは分からないが、雪姫は否定して欲しかったんだ。


 「ねぇ、さっきなんて言いかけたの」


 「ああ」


 雪姫は立ち上がって、迅雷に手を差し延べる。

 迅雷はその手を迷い無く掴み取った。まばたきと共に思い出す。そして思う。あの夜に見た千影と同じ笑顔を、いまの迅雷にも出来ているだろうか、と。


 「俺と一緒に頑張っていこうぜ。自分のことくらい、好きになれるように」


 「―――うん」



 人生も”後ろ”が分からなくなってしまったら”前”も分からなくなる。だから、未来(まえ)に進むためには過去(うしろ)が必要なのだ。過去を背負うことは悪いことじゃない。

 本当に大事なもののヒントは、いつだって過去にある。でも、それに気付くのは大変だ。だから誰かが手を引いてあげなくちゃならない。

 迅雷が千影に手を引いてもらったように、今度は迅雷が雪姫の手を引いて歩き出す。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
第1話はこちら!
PROLOGUE 『あの日、あの時、あの場所で』

❄ スピンオフ展開中 ❄
『魔法少女☆スノー・プリンセス』

汗で手が滑った方はクリックしちゃうそうです
小説家になろう 勝手にランキング
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ