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LINKED HORIZON ~異世界とか外国より身近なんですが~  作者: タイロン
第二章 episode3『高総戦・前編 邂逅』
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episode3 sect4 ”狂ってしまえ、あと一度だけ”

 カフェテリアを出てさて帰ろうとなったところで、迅雷は大事なことに気が付いた。


 「あ、そういえば荷物教室じゃん」


 教科書ノート筆記用具その他諸々、全部教室の机の上である。さっき聞いた音楽が教室を閉める合図の方でなくて助かった。

 矢生と涼も荷物は教室の置きっ放しだったようで、5人で校内に戻り、荷物を取ってまた出てきた。

 さすがに校内ももの淋しい静けさが支配していたが、たまにすれ違う1年生の生徒はネビアの顔を見つけては話しかけに近寄ってきたので、思ったよりも校舎から出るのには時間がかかった。


 「さて、と。それじゃあ今度こそ帰るとしますか」


 もうそろそろ日も長くなってきたようには感じるが、それでもまだ5月なので、とりたてて長くなったわけでもない。事実、10分ほど校舎の中に入って出てきたら少し暗くなったように感じるくらいである。恐らく、ゆっくり歩いて帰ったなら学生寮なんかの人でも途中で暗くなってしまうだろう。


 校門を出ようとしたところで分かったのだが、迅雷と慈音の2人を除けば全員が帰る方向が違うらしい。


 「3人とも帰り1人で大丈夫か?この頃この辺で変質者出るらしいじゃんか」


 今朝方、聞き流していたホームルームの中で確か真波がそんな風なことを言っていたことを思い出して、迅雷が少しだけ心配そうな顔をした。

 この頃というのも、どうやらゴールデンウィーク中に出没するようになったらしい。最初に通報があった場所は繁華街のど真ん中だったらしいが、ここのところは近所でも被害が出ているとか。

 その腕前もなかなかで、聞く話では超華麗に女子中学生や女子高生の尻や太ももを撫でていくらしい。あまりの手際の良さに、振り返っても犯人の姿を見ることが出来た人がいないという。

 初めなんかはこんなまるで「透明人間に触られました」とでも言うような内容のせいで警察でも悪戯の通報だと思われていたらしいが、どうにも同じような事件の件数が重なってきたのでこうして学校にも連絡が来たわけだ。

 休みが終わって制服少女が増えれば、その痴漢が獲物を見つけるのも容易になる。

 そんな話を思い返しながら、迅雷は指をワキワキさせて女子4人を脅し、同じ話を思い出させる。


 「う・・・その手つきやめよっか迅雷くん。犯人確保するよ?」


 「それは勘弁してくださいです」


 汚物を見るように顔をしかめる涼に平謝りする迅雷。今のはテンションがおかしかっただけだ。きっとマスターハンド痴漢野郎に僅かばかりの感動と尊敬を感じていたせいで気の迷いを起こしただけだ。


 「というか、迅雷君は私がそんな変質者などにやられるとでもお思いですの?」


 腰に手を当てて呆れ返った顔で息を吐く矢生。言われてしまえばそれまでではあるのだが、心配してみただけで先ほどから酷い言われようである。良心の報われない迅雷は涙目である。

 涼にも矢生にも生温かい目で見られて、最後の希望を乗せて迅雷はネビアの方を見たのだが、その彼女もニコニコしているだけだった。


 「ですよねー。いや、いいんだよ、知ってたもん。ちょーっと気にかけてみただけだもん」


 「と、としくん、大丈夫だよ!しのがいるからね!わー、痴漢心配だなー!」


 いじけ始めた迅雷を白々しい声で励ます慈音だったが、そんな彼女だってスカートめくりくらいの痴漢行為なら腰の後ろに透明なバリアでも張っておけばお手軽に対処できちゃうのだ。大きさを調整すれば歩く邪魔にもならないし、家に着くまで結界に少し気を回しておけば良いだけ。実際に中学校の時にそれで動揺した痴漢を捕まえたことがあったらしいし。

 それをあのぽわぽわした慈音がやったということが最も信じられない出来事なのだが、そんなことよりも今迅雷の心を痛めつけるのは、

 

 「魔法って世知辛いよな・・・」


          ●


 ちょっとした気遣いを遠慮なくぶっ潰されて泣く泣く校門を出た迅雷と依然として罪悪感の欠片もない少女たちだったのだが、そのあと迅雷と慈音が真っ直ぐ家に帰ることはなかった。

 

 というのも、


 「ん、なんだ?」


 制服のズボンのポケットからブーブーとくすぐったいスマホのバイブレーションが迅雷に電話の着信を教えた。学校にいる間はマナーモードにしていて、今もそのままにしていたので、危うく気付かないところだった。

 おもむろにスマホを取り出して、表示された相手を見る。


 「ん、家から?・・・もしもし?」


 『あ、お兄ちゃん?』


 聞こえたのは直華の声だった。声の調子からして、話の内容は軽そうである。


 「おう、どうした?なんかあったんか?」


 『うん、あのさ。お母さんがさっき電話してきてさ、今日帰り遅くなるらしくて。それでね』


 「うん、察した。とりまシーフードとプルコギ確定で。そんで卵と牛乳を買って帰れば良いんだろ?」


 もはや暗号のような謎の会話技術だったが、神代(みしろ)家ではたまにあるパターンだ。仕事の都合で母親の帰りが遅くなったならさっそく出前のピザを注文。そして直華なら迅雷の好みを知っているだろうに、それでも電話をしてきたということは、例のブツ(卵と牛乳)のおつかい。体よく家にいない迅雷を使おうとしたということだろう。


 『さすがお兄ちゃん、分かってるー。じゃあお願いね』


 スピーカーの奥からは千影が『ジュースも買ってくること!』とか叫んでいる声も聞こえてきた。


 『―――――だって。大丈夫?』


 「いいよ。買って帰るから。じゃな」


 「しのもついて行こっか?」


 迅雷が通話を切ってスマホをポケットにしまい直したのを見届けてから、慈音がそう持ちかけた。しかし、迅雷は申し訳なさそうな顔をする。

 

 「いやいや、面倒だろ?いいって」


 「む?しのを1人で帰らせちゃうの?」


 いつからこんなからかい文句だかを言うようになったんだろうか。校門でのやりとりを掘り返されて、迅雷は頭を掻いた。

 ただ、単純にからかわれたというよりは頼りにされた感もあって、悪い気はしなかった。さりげない殺し文句に迅雷は舌を巻く。


 「そうだな。しーちゃんがボサッとしててスカート捲られても困るもんな。さぁ、ついてきてもらおうか!フハハハハ!」


 「うわぉ」


 迅雷はからかい返すように二カッと笑って慈音の手を握り、少し自分の方に引いてやった。気の抜けた慈音の驚声が小気味よく通りに木霊した。

 すれ違う大人たちに微笑ましそうな暖かい目で見られ、急に恥ずかしくなって俯く2人。無性に顔が熱い。

 しばらくは気まずいままに無言で歩く。

 

 「そっ、そういえばさっ!」


 良い打開策を思い付いたのか、急に迅雷の方を向き直って慌てて話題を切り替える慈音の顔は、夕陽がバックになっていて影が差していたせいでよく分からなかったが、少しだけ赤みがかっていたように思えた。


 ふとそんな橙色の中に浮いた仄赤い影に見入ってしまった迅雷は次の一秒で我に返り、慈音に気を遣わせてしまったことを反省した。やはり距離感が分からないものである。


 「ど、どした?」


 「さっきさ、ネビアちゃんの話を聞いてて思ったんだけどさ」


 言っている間にスーパーに到着した。カートとカゴを取りながら、迅雷は慈音の話に耳を傾け続ける。迅雷がカートを押して慈音が商品棚を覗き込んでいると、その様子がどこかの夫婦みたいであることには本人たちは気付かない。あまりに自然な2人の距離感だからこそ、よく分からないのかもしれない。


 「なんかさ、ネビアちゃんが雪姫ちゃんの話をしていたときにさ、なんというか・・・すごく余裕があったよね」


 「そういや、まあ。確かに」


 言われてみて初めて思ったが、確かにそうだったかもしれない。迅雷の目にも雪姫攻略法を語るネビアの態度にはどことなく真剣味が欠けているように思えた。


 それこそ―――――


 「もしかしたら、実はネビアちゃんって本当に雪姫ちゃんよりずっと・・・」


 ―――――強いのかもしれない?


 最後の部分を慈音が言い切ることはなかった。なぜなら、彼女は途中で「あ」と短く声を出して口を止めてしまったからだ。

 その視線の先には、肩に少しかかるくらいのあたりで多少雑ながら逆に可憐に見える切り揃え方をされた淡い水色の髪が揺れていた。迅雷と慈音の話題の中心、雪姫その人だった。

 カートを押しているだけの後ろ姿ながらその希薄な存在感は鮮明で、彼女の隣を通り過ぎる男子学生や大学生くらいのお兄さんが思わず振り返って二度見したりしている。

 そんな雪姫の後ろ姿を認めた慈音は、「ちょっと挨拶してこようかな」と言って早足に彼女を追いかけて行ってしまう。


 「あ、おい・・・」


 小さく手を挙げて行ってしまった慈音に迅雷は手を伸ばしたのだが、もとよりカートの前にいた彼女にカートを押していた迅雷の手が届くこともない。仕方ないので迅雷はカートを押す速さを少し上げて慈音を追いかける。


 「こんばん―――――わわっ!?」


 慈音がチョンと雪姫の肩を叩こうとして手を伸ばしたところ、触れる直前でなんと雪姫は振り返ることもないままに1歩進んで慈音の手を躱してしまった。

 思わぬ空振りに慈音が前のめりになって、爪先立ち状態になる。


 「ちょちょちょっ、おまっ!」


 迅雷は謎の非常事態に押していたカートを放置して慈音に駆け寄り、転びゆく慈音の背中に手を伸ばした。願わくばブレザーを掴めれば。最悪その裾さえ掴めれば慈音の体重くらいなら支えられる。


 届かなそうで、届かなそうで・・・ギリッギリで指先がなにかに届いて、そのまま指をフックのように引っかけてなんとか慈音を支えることに成功した。感触的に服の裾でもなく、割と支える迅雷も体幹に鬼畜な体勢になっているのだが、ここは本当に慈音の体重が軽くて助かったというところか。


 「ふぅ、やれやれ」


 スーパー店内でクラスメートに声をかけようとして失敗したあげく手をスカしてすっころぶという最悪の事態から慈音を引っ張り出してやれたことに安心して空いた手で額の汗を拭う迅雷だったが、なんだか周りがヒソヒソしている。

 何事かと思い怪訝な顔をすると同時に、限りなく熱を失った冷たい少女の声が迅雷の耳に滑り込んできた。一言目から殺気立っているその声を浴びせられて、迅雷は背筋に氷でも突き付けられたかのような寒気と、なにかやらかしたのではないかという悪寒を感じた。


 「・・・アンタら、なにしてんの?」


 「と、としくん・・・こっ、これは、ダメなやつだよぅ・・・」


 「―――――へ?」


 改めて迅雷は自分が指を引っかけることに成功した場所を見てみた。

 

 ―――――すると、なんと、いやはや。これはいったいどうしたことか。いやいや、悪いのは誰なんだろうか。うんうん、俺ではないと祈りたい。 


 「ふぇぇ・・・」


 「・・・・・・半ケツ、だと・・・!?」


 迅雷の指は勢い余ってスカートを飛び越えて慈音のパンツの中にまで潜り込んでいたらしい。そんなわけで、転びかけた勢いから急に迅雷の手によって固定されたパンツから半分からだが飛び出す形となり―――――


 「・・・・・・ふ、ふぅ、やれやれ」


 ぎぎぎ・・・と体から軋んだ擬音を立てながら不自然な挙動で慈音に体勢を直させて、パンツとスカートも自らの手で上げ直してやって、にこやかに迅雷はそのまま後ずさるように放置していたカートまで戻る。

 それから、周りの変態を見るような視線を鑑みて、そういえば指先に当たっていたような気がするふんわり柔らかいおしりの感触を思い出す。


 指先だけだったとはいえ、なんだかドキドキしてきた。「あのふんわり感さえ覚えていればなんかもうどうにでもなればいい」という結論に達した迅雷は、もう一度慈音のおしりの感触を思い出して歓喜の声を上げながらカートと共に走り去るのだった。


 「ひゃっはー!」


 「あ!?」

 

 謎の歓声を上げて走り去ろうとする迅雷だったが、それを逃すまいと(パンツとスカートを上げ直してから)追いかける慈音。


 「や、やめろ!どちら様でございますかっ!?」


 「ここまでやっておいてその逃げ方には無理があるよ、としくん!というかここで逃げることを選ぶなんてすごい勇気だよ、驚きだよ!?見損なったよ!?」


 あの日以来、前より顔つきも良くなってさらに格好良くなったかもと思っていた幼馴染みはスーパーで醜態を晒すだけ。ガッカリである。ガッカリなので、やはりここで逃がすわけにはいかない。幼馴染みとしてしっかりお仕置きして更正させてあげなければと、謎の義務感に慈音は鼻を鳴らす。


 「えい!」


 「な、なるほど。しーちゃんに捕まえられたという痴漢もこんな感じだったのか・・・」


 結局四方を結界に囲まれて逃げ場をなくし、四面楚歌となった迅雷が観念して土下座し始める。案外迅速な対処をされたため、逃げる暇もなかった。迅雷は自分の今の状況から、いつぞやに見た気がする両親の喧嘩を思い出していた。あの時は疾風がこんな風に真名に捕まえられていた。真名に結界魔法の手ほどきを受けた慈音の将来が末恐ろしいような―――。

 しかし、床に頭を付けていると腰に手を当ててプンスカしている慈音のスカートの中が見えそうになるわけで、目のやり場に困る。でもやっぱりちょっとだけ顔を上げちゃう。


 「ホントなにしてんのよあいつら・・・」

 

 公然でギャーギャーと痴話喧嘩をするクラスメートたちを見て、雪姫は頭を抱えながらそそくさとその場を離れた。

 直前に話しかけられた自分までアレの仲間にされていないかと思うと、それだけで頭が痛くなってきた。


 「さっさと帰ろう・・・」


          ○


 「くそ、酷い目に遭ったぜ・・・!」


 意図せずやらかした公然わいせつ(ラッキースケベ)のおかげで一度は店長さんのお部屋にまでお邪魔した迅雷は、ゲッソリとやつれた顔でぼやいた。一応慈音の口添えもあってなんとか通報は免れたのだが、おかげで30分近く経ってしまった。


 「ほらとしくん、ちゃちゃっとお買い物済ませるよー」


 「・・・まだ怒ってますよね?」

 

 「怒ってませんよぅ、ツーン」


 「・・・・・・」


 やっぱりまだプンスカしたままの慈音を追うようにして迅雷はカートを押す。買い物を中断することにはなったが、カゴの中身はそのままだったので、まだ入れていなかった牛乳なり卵なりを回収しなければならない。そしていつも通り軒並み期限の近い牛乳パックの群れを見ると、ガッカリせずにはいられない。


 「あ、そうだ。冷凍のポテトとかナゲットでも買ってってやるか」


 「お金大丈夫なの?」


 迅雷を急かすようにそんなことを言う慈音。まだ怒っているのと、居心地の悪い気まずさからのものだろう。別にもう誰も迅雷たちのことを見ているわけでもないが、一度やらかすとしばらくは周りの目が気になって居心地が悪いものである。

 あんまり隣で燻られていてもやりにくいので、迅雷はとりあえずこの状況をなんとかしようと思案する。


 「はぁ、よし。しーちゃん、なにか好きなお菓子を買ってしんぜよう!付き合ってくれたことへのお礼とさっきのお詫びだ!金なら気にしなくて大丈夫だよ。今月の25日には収入があるはずだし」


 「ホント!?やったー!」


 ―――――ふっ、チョロいな。


 むくれていた慈音は一転して尻尾を振る犬のよう。いとも簡単に機嫌を直した慈音を見て、迅雷は心の中でしめしめと黒い笑みを浮かべた。


 ということで、慈音に奢る分のアイスキャンデーと、それと同じものを自分用に、それから冷食のポテトとナゲットをカゴに入れて、迅雷は会計を済ませた。



          ●


 

 「たっだいまぁ・・・つっても誰もいないか、カシラ」


 近くに建てられたマンションのせいで日も当たるのか当たらないのか微妙な位置に建っている寂れたアパートの一室。玄関を開ければ短くて真っ暗な廊下。靴も自分が今し方脱いだばかりの1足しかなく、寒々しい。

 ついついいつものノリで「ただいま」なんて言ってしまったが、これからしばらくは自分1人での生活になる。自分以外に誰もいない部屋に虚しく響いた声は、最後まで虚しいまま消えていった。

 

 別に寂しくはない。元々自分は親の顔も名前もなにもかすかにしか分からない、身元不明で初めから天涯孤独の身だ。

 後見人ならいるけれど、あまり穏当な仕事はしていないし、なにより忙しいのでいつも自分の面倒を見てくれているわけでもない。それに、彼らとの間には暖かみなどほとんどない。

 

 とりあえず部屋の明かりを点けて、買ってきたコンビニ弁当をビニール袋ごと机の上に放る。それでも中身が崩れないのは、特に役にも立たないが、ちょっとしたテクニックだ。

 しかし、まだそこまで空腹感はない。ちゃぶ台の真ん中で滑り終えたコンビニのレジ袋をしばらく眺め、気怠げに溜息をつく。


 「明日くらいにはちゃんとお肉食べないとなぁ。ま、シャワーでも浴びますかねー、カシラ」


 学校の制服というのは、とにかく動きにくい。これでもまだ動きを妨げにくい素材と構造を採用しているとのことだったが、嘘だろうと言い返してやりたい。詐欺もいいところである。

 一方で、ジャージの方はというと、当たり前ではあるが普通に動きやすかったので、そちらは嫌いでもない。

 その気に入らない制服を雑に脱ぎ捨てて、風呂場へ。


 「ちべたっ!?うぅ、これだから安物件は・・・カシラ」


 蛇口をひねって勢いよく出てきた冷水を胸に浴びて反射的に飛び退く。心臓が縮こまる思いだった。いくら水魔法の使い手だといっても、いきなり冷水を浴びればそれなりにショックを受けるものである。

 忌々しく思いながら、シャワーのヘッドを手に取って体に水がかからないようにする。その後3,40秒ほど待つと、やっと水がお湯に変わった。

 今度こそ体にお湯を浴びながら、長く長く、息を吐く。


 「はぁー。あったか。あーやば、もうこのまま寝ちゃいたい、カシラ」


 しかし、そうもいかない。ちゃんと例の保護者に連絡を入れておいてやらないと、あとでまた困ったことになる。


 面倒事から思考を逸らすように、たった1日の学園生活を思い出す。なかなかに疲れる1日だった。肉体的に、というより、精神的に。

 なぜそんなに疲れたのかなど、別に考えなくても分かることだ。自分だって一応人間なのだから、人間の感情くらい人間並みには理解できる。


 ―――――未熟だな。


 そう、感じた。うまく徹しきれない。



 なにかが狂ったのはいつからだったのだろうか。



 世界中が荒れて荒んで、目の前で多くの、本当に多くの命が吹き散らされた5年前の『血涙の十月』だったのだろうか。


 落ちてきて、拾われた、7年前だったのだろうか。


 放り出されて、放浪した、10年前だったのだろうか。


 もう覚えているはずもない、生まれた瞬間、15年前だったのだろうか。いや、あと1ヶ月もすれば16年前か。


 「いやいや、なにをつまらないことを、カシラ。もう割り切ったのに、今更過ぎるわ、カシラ」


 濡れてまとまった深青色の髪を指で弄る。そのまま手を這わせて顔から胸へ、胸から下腹部へ。傷痕の一つも残っていない、綺麗で滑らかな肌を指でなぞる。


 なにはともあれ、外面だけは健やかに、極めて健やかにここまで成長してきた。やるべきことをやっている間は、なにもかもが保証される。


 「とりあえずは高総戦でインハイまで行かないとなにも始まんないしねぇ、カシラ」


 自分なら、そのくらいは造作もないことだ。高校1年生レベルの魔法士の相手をするなど、本来なら片手間どころかもはやただの面倒でしかない。いったいどれだけ加減してやれば「良い勝負」を演出してやれるのだか。


 ただ1人、異端児も混じっていたが。

 

 それは、恐らく自分だけに一方通行な思い出のある少女。哀しい目をしたあの子。今日まで名前も知らなかった同い年の女の子。


 「天田・・・雪姫、ねぇ」


 あの子だけは、そこらの有象無象とは違いすぎた。別格だ。さすがというか、なんというか。


 「まぁ、なんとかなるでしょ、カシラ」


 面倒な考え事は得意ではない。そこについては自信がある。だから、そんなことよりも楽しいことを思い出す。


 今日だけで随分と多くの人と話した。みなが自分に対して好意的だった。笑顔に囲まれて、ちょっと窮屈で、でもそんな窮屈こそ求めていた幸せなのかもしれなくて。


 「友達に、なれるかなぁ?カシラ」


 ―――――いやいや、無理臭い。私のこぼすボロはあまりに強烈すぎる。それに、口を滑らせないで生きていくだけの常識にも自信がない。

 

 ふと頭に浮かんだのは、黒髪を寝癖だけ適当に直したような見た目の素っ気ない少年。


 「迅雷は、どうだろか。千影ちゃんから話は聞いてるだろうってのに、まだ私と話してくれてるし、カシラ」



 これは、とある少女の、ちょっとした儚い願望の話。



          ●



 スマートフォンからはアラート音。IAMOのポータルアプリのそれだ。こんな、もう夜になろうという時間に、良い迷惑だ。さっきのスーパーで面倒事に巻き込まれ駆けて気が立っているというのに、良い度胸をしている。


 買い物からの帰り道、雪姫は夜に移ろう夕闇の静けさを邪魔した携帯電話のアラート音に対して舌打ちをした。

 ここは住宅街で道幅も広いとは言えず、人もそこまでいない。雪姫のスマホが発した音に驚いて縮こまった人がほとんどだったところを見るに、どうやらこの場にいるライセンス持ちも彼女だけらしい。

 雪姫は面倒臭そうに首の骨を鳴らしながら溜息をつく。


 「・・・はぁ。後方20mくらい?ハッ、ちょうど良いわ。憂さ晴らしくらいの役には立てよっての」


 なんとなく感じる敵の気配に鼻で笑う。

 しかし、周囲の家のいくつかからは戦闘の準備を済ませた大人たちが出てきた。どうやらライセンサーは雪姫だけでもなくなったようである。


 「チッ、邪魔くさい・・・」


 後ろを振り返れば、既に小型のモンスターが沸き出していた。種類を見ても、いつもの『カマセイヌ』や『オオトカゲ』、『シロカラス』といったザコばかりのようだ。

 多少暗いが、雪姫の視力であればさしたる問題ではない。

 邪魔な人たちが射線に入ってくる前に片付けてしまった方が楽だろう、と考えた雪姫は、適当に『アイス』の魔法陣を広げた。


 一射。命中。頭を吹き飛ばした。


 二射。命中。横腹に大穴を開けた。


 三射。命中。スライムっぽい敵を氷結。


 四射。命中。頭部貫通、その後方の敵も撃破。


 五、六連射。両弾命中。即死確認。


 なんの憂さ晴らしにもならない。それどころか、手応えがなさ過ぎてむしろ頭に来る。どうせ殺すのなら、殺し甲斐があって欲しいものだ。いずれにせよ殺すことに変わりはないのだが。


 

 「わぁぁぁぁあ!?」



 悲鳴が聞こえた。一般人はそそくさと民家の中へと避難していたので、これはわざわざ出てきたライセンサーのものだろう。

 雪姫がその悲鳴の方を見てみると、翼の生えたゴリラに体を鷲掴みにされた男性が苦痛に呻いているのが見えた。モンスターの方は、前にもチラッと見かけた例の『羽ゴリラ』とかいう中型の凶暴なモンスターだったか、と思い出す雪姫。

 ギリギリと締め上げられて悲鳴の代わりに血を吐き始める男性を見て、雪姫は手に嫌な汗が滲むのを感じた。


 「本当に・・・!」


 頭蓋を震わすほど強く歯軋りをする。不甲斐ない男性ライセンサーへの苛立ちと、それ以上の焦り。「人死にだけは絶対に嫌だ」というのが雪姫の信条―――――というよりも、自分に課した絶対のルールである。


 「あたしの前で・・・勝手に死にかけてんじゃないわよ!」


 宙を横に薙いだ雪姫の手を追って『アイシクル』の中型魔法陣が眩く立ち並び、冷気を噴いた。


 飛び出した氷柱はまず『羽ゴリラ』の腕を引き千切り、続いて2本目3本目と『羽ゴリラ』の体のあちこちに高速で突き刺さって、夕闇の中に激しく血霧を咲かせる。どうせすぐに消える汚れなので、雪姫は甘んじてそれを浴びた。 


 雪姫の手を煩わせた男性は、呼吸を取り戻して激しくむせていた。要は苦しげではあるが呼吸も出来ているようだし、これ以上気にかける必要は無さそうだったので、雪姫は彼の隣を通り過ぎた。男性にはなにかお礼でも言いたげな目で見られたが、鬱陶しいので睨み返してやったら怯んで黙り込んだ。


 「ったく、なんの手応えもない。・・・・・・早く帰って夕飯作んないと」


 既に体中に浴びたモンスターの血は臭いすら残さず消えていた。急激に気分も萎えて、なんの名残もない路地を離れて再び家路に就きながら、雪姫は暇になった頭でなんとなく高総戦について考えていた。

 実に適当なことを言うようだが、雪姫は正直余裕で全国優勝が取れるような気がしていた。気がかりなのはネビアくらいのものだ。一時期は神代迅雷が見せたあの異常な魔力量も気になったが、結局あれ以来彼があの力を解放しているところを見たことがない。恐らくはあの魔力を彼自身がうまく制御できていていないということなのだろうと考え、結果どうでも良いと判断した。

   

 「ま、同じ人間にいちいち負けてらんないし、ある意味ちょうど良いのかしらね」


 恐らく勝利したところで得られるものなど、今更そうはないだろうけれど、きっと喜んでくれる人はいる。


 「さ、早く帰んないと。またあの子ゲームばっかやってそうだし」



元話 episode3 sect9 ”薄明の霧は深まるだけで”(2016/10/17)

   episode3 sect10 ”ズレ”(2016/10/19)


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