表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
LINKED HORIZON ~異世界とか外国より身近なんですが~  作者: タイロン
第三章 episode8 『Andromedas' elegies』
477/526

episode8 sect39 ”友達”


 再び目覚めたとき、ネビア・アネガメントは確かに”ネビア・アネガメント”だった。だが、ネビア・アネガメントはそうであると同時に、一個の人格のみを指す名前でもなくなっていた。

 暴走する以前のネビアにもその兆候はあった。彼女が自覚していた通り、彼女がオドノイドとなって手にした能力は、アラヤー・マフバンではない誰かになるためのものだった。すなわち、脳を捕食した相手の知能を獲得して自己を変質させる、というものだったのだから当然の結果ではある。だが、その時点のネビアが一度の捕食で得られたのは精々、極めて断片的な言語知識や経験的記憶―――その持ち主の生前に何度も反復され無意識の領域へ落とし込まれた情報、あるいは死の瞬間に表れた強烈な感情程度のもので、どうあっても固有の人格を再現するには不足しているそれらは”ネビア・アネガメント”という肉体の主格、軸にまとわりつくに過ぎなかった。OSに新たなソフトウェアを次々と導入して、機能を拡張していくようなものだ。

 しかし、あの謎の薬品で力を増幅したときから、なにかが明確に変化したのだ。追加されるソフトウェアの性質がOSの次元に繰り上がり、あたかも同じハードウェアの中に複数のOSが入っているような。


 要するに。


 ネビア・アネガメントの中には天田晴之と天田彗華の()()()()()()()()()していた。

 実際には他にもさらに幾人かの人格も得ていたが、印象の強さ、体験の壮絶さの影響なのかして、あの夫妻の人格はひときわ確然と存在していた。

 暴走が収まった結果、ネビアが望むと望まざるとに関わらず2人の人格が再び表出することはなかった。だが、ネビアはそれでも2人の歩んできた人生を主観的にも客観的にも思い出すことが出来た。

 あんな幼少期を過ごして、死に方すらこんなことでは、夫婦2人ともお世辞にも恵まれた人生だったとは言えないかもしれない。だけど、そんな2人だからこそ手にすることが出来た、幸福なひとときもあった。


 ユキ。心から愛おしい(わたし)たちの娘だ。


 たとえどんなに離れていても決して忘れない。

 たとえ何年も会えなくたって。

 たとえ特徴的な水色の髪が白くなって、綺麗だった瞳が病に濁って、しわくちゃのおばあちゃんになっていたって。

 (おれ)たちは、必ず一目で君だと気付く。


 なのに。

 なのに。

 それなのに。

 いまも目の前にいるかのように思い出せるその顔を悲しみに歪めたのは。命に代えても守らなくてはならないはずだったのに、心の弱さに負けてあの子から全てを奪い、詰り、自ら死を望むまでに追い詰めたのは、ネビアだった。


 最初にどんな想いで力を求めたかなど関係ない。結果としてネビアは一人のなんの罪もない少女の世界を完膚なきまでに滅ぼしてしまった。そして、彼らはここにいるのに、彼らに本心を吐露する口を与えてやることも出来ない。


 あまりにも。


 あまりにもあまりにもあまりにも耐え難い罪の意識が焼き付いて消えなかった。

 これまで数え切れないほどの命を理不尽に奪っておいて、あのたった一人の女の子だけに特別な想いと悔恨を向けるのは筋が通らないことくらい、分かっている。

 でも、それが身勝手だとしても、ネビアはただ、雪姫の手で裁かれたかった。命をもって贖罪をなし、そして、守るべき者を自ら傷つけた晴之と彗華にも報いを与えて正しく現世から消え去るべきだと思った。いつでも鮮明に思い出せる愛娘の笑顔の続き全てを黒く塗り潰して二度と元には戻らなくした代価には、ここまで醜くも必死に、大切に守ってきた己の命のほかつり合うものなど存在しなかった。

















 そう、思っていたはずだった。

 そういう夢のはずだった。


 だけど、奇跡は起きて、それなのに、ネビアは雪姫に全てを告げて殺してくれと請うことが出来なかった。

 いざとなって我が身が可愛くなったわけではなかったし、雪姫への罪悪感が薄れたわけでもなかった。両親の記憶をもってしても想像し得なかったほどに傷付き塞ぎ込んで、そのまま歪に成長した雪姫を見て、むしろ罪悪感は大きく膨らんだ。毎日毎日、顔を合わせる度に息が詰まった。胸の内全てを包み隠さず明かして、本気で謝って、その上で許されず断じられるべきだという衝動に襲われた。

 しかし、それ以上にネビアは雪姫への親愛を感じてしまった。あるいは親として子供の近くに寄り添いたいという願望がネビアの人格にも影響したのかもしれない。有り体に言えば、友達になりたい、と思ってしまったのだ。

 そんなバカな話はない、と誰もが思うだろう。ネビア自身、あれほど思い悩んだ罪悪感を押さえ付けるその情動には自らの神経を疑ったものだ。

 雪姫になにも告げず死を選ばないことの言い訳ならいくつかはあった。しかし、そこに本質はない。学園生活に淡い憧れを抱いていたネビアが、ある意味で最も長く寄り添い続け理解していた同い年の少女に対して純水に抱いた、健全で浅ましい欲望以外のなんでもなかった。

 それを良くないと思って、随分と怪しい言動や態度を繰り返した。雪姫本人でも周りの誰かでも、なにかに気付いて疑って問い詰めてくれて、サスペンスドラマの崖っぷちに追い詰められた犯人のように本音を吐き出すチャンスに繋がるかもしれないと考えていた。そう思って中途半端な嘘を重ね続けた。雪姫には分かるはずないと知りながらも、本心に反することを言うと無意識に爪を噛んでしまう彗華譲りの悪癖に気付いてもらえるのではないかと期待して。そうして身勝手な嘘を吐き続けた。5年の時を経ていまさら見つけたあの幸せな気配の正体と、ネビアだけが理解し寄り添える雪姫の孤独―――満ち足りた、輝かしい偽りの青春を出来るだけ引き延ばそうとして。


 その結果があんなお互い煮え切らない会話では笑い話にすらならないというのに。

 結局、ネビアは最初っから少しも進歩なんてしていなかったのだ。愛されたいという願い(プログラム)に抗えない獣性剥き出しの、手前勝手な冷血動物から、なにも。こうして再び人々を襲い『ブレインイーター』などという悍ましい呼び方をされることにも抵抗しなかった事実が、その無進歩を証明している。何度世界を渡り、周囲の環境を激変させようと、ネビア・アネガメントの本質は幼稚で短絡的(アラヤー・)な子供時代(マフバン)のままであった。


 だが、ことここに至って、再び雪姫と縁が繋がろうとは。本来なら迅雷を追う役割であったが、彼を追ううちに、雪姫ともう一度出会うチャンスを得てしまった。果たして間が好いやら悪いのやら。逆立ちしたって敵わない七十二帝騎の監視もある。そもそもこの姿でどこまで正気を保てるか。しかし、ネビアは最後のチャンスに飛びついた。『ブレインイーター』として雪姫の前に立てば、たとえ彼女がその正体をネビアと知ろうが否が、そこにどんな障害が介在しようが、全てを賭してネビアを殺す――――――()()()()()




          ●




 「・・・せないよ」


 大気を劈く雄叫びはあった。だが、ネビアに終わりは訪れない。


 もう鼻の上まで再生した黒い肉に覆われつつあったネビアの目元に(みぞれ)が降る。


 化物としての頭部を失い、本当の肉体の瞼も動かせないネビアには見る術がなかったが、ポツリと零れた声の震えようで気付いた。ポロポロとそぼ降るそれは、涙と、崩れ落ちる氷の破片だった。



 「殺せないよ」



 ネビアがなにかを言う前に、今度こそハッキリと、雪姫は言った。


 『・・・ダメよ、そんなの、カシラ』

 『これ以上再生したら』

 『私、今度こそあなたを殺しちゃう!!カシラ!!』


 「いいよ」


 またしても、ハッキリと。


 「アンタを殺すくらいだったら、そっちの方が100倍マシだもん。あたしは元々、アンタに殺されるはずだったんだし」


 『良いわけない!!』

 『バカなの!?カシラ!?』

 『どう見たって私は人間じゃないでしょ!?カシラ!!』


 雪姫は決して人を殺さない。冗談でも人に「殺す」と言ったことはない。死刑宣告を受けた極悪人であっても目の前で死ぬことだけは許さない。人殺しの十字架を背負った雪姫が自身に課した、せめてものルールだ。

 だが、雪姫の言う”人”とは”人間”だけを指していたはずだ。現に、ほんの直前に彼女は魔族であるアイナカティナ・ハーボルドを邪魔と言い捨て、ネビアと共に笑顔の殺人を犯したばかりだ。ネビアだって、そうして切り捨てられるべき側の存在のはずだ。


 「確かにそうだね()()()()()?・・・関係ないよ、もう、理屈じゃない」


 はは、と雪姫の口から乾いた笑いが漏れた。

 雪姫にネビアは殺せない。憎いけど、もう殺せない。だって、あの笑顔を見てしまった。本当に、可笑しくなる。

 そういうことだったんだ。結局、雪姫だけが必死に目を逸らしていたに過ぎなかったんだ。



 「友達は、殺せない」



 その言葉を聞くときにはもう、ネビアの体は迫り上がる肉の中へと完全に呑み込まれていた。再びネビアの内に淀む化物が動き出す。あの子がそんな風に言ってくれたのに。


 (やだ、やめてよ・・・もう動かないでよぉ・・・!!)


 数秒耐えるのが限界だった。

 人としてのネビアは闇の底へと戻り堕ちる。

 急激に盛り上がった肉に足下を掬われ転落する雪姫の体を、『ブレインイーター』が勝手に、残っていた左腕で鷲掴みにしていた。


 まだ目は見えない。

 だが、短く我慢するような呻き声があった。

 骨が折れる音がした。いくつも続いて聞こえた。一体なにがどれくらい壊れた?

 自身の内に潜む獣の暴走にも、ネビアは耳を塞ぐことが出来ない。悪夢だ。これまで幾度か味わった最低の悪夢にもなお勝るほどの悪夢だ。もしもこの手で雪姫の命まで奪ってしまったら、ネビアはもう、永遠に報いを受けられなくなる。そんなの無理だ、絶対に耐えられない。ネビアに雪姫の心は背負いきれない。


 『がァァァァアアアアアァァアアア―――ッ!!!!!!』


 咆哮があった。『ブレインイーター』の、ネビアの叫びだ。

 いつの間にか頭部の再生まで終わっていた。終わっていたのだ。もう終わりだ、なにもかも。いまさらネビアがどう願ったって足掻くことすら叶わない。雪姫だって、むしろなぜまだ意識を保っているのかオドノイドであるネビアでも理解出来ないほどの重体だ。なにより雪姫にはこれ以上抗う意思さえもない。


 ()()()()()()()


 雪姫は、いまにも体を空き缶のように握り潰されようとしながら、口から冗談みたいな量の血を垂れ流しながら、それでも、ネビアを気付かないまま殺してしまわずに済んで安心したように。ずっと背負ってきた全てから解き放たれようとしているかのように。ネビアどころか彼女の妹でさえも記憶にないかもしれないような、満ち足りた表情で。

 恐怖による興奮。興奮は一層精神を乱し、狂気の表出たる『ブレインイーター』の力へと変換される。歯止めの利かなくなった歪なポジティブフィードバックだ。力が溢れて、漲って、有り余る。もはやひとときもジッとしていられず、『ブレインイーター』は雪姫を掴んだまま何度も何度も何度も何度も洞窟の壁に左拳を叩き付け、天井を仰ぎ絶叫した。もう手の中の白雪姫は赤黒く変色して見る影もない。きっと次で本当に死ぬ。それでも『ブレインイーター』は一切の容赦もなく千切れんばかりに拳を振り絞って、割れて鋭く尖った光る結晶に叩き付ける。


 (やめ―――ッ











          ○


 episode8 sect39 ”神鳴”


          ○



 神鳴の如く到来した。






 「やっとだ。やっと追い付いた!!」






 天田雪姫は投げ出され、落下し始めたことも忘れていた。ただ、朧気な視界に荒れ狂う黒い嵐だけを眺めていた。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
第1話はこちら!
PROLOGUE 『あの日、あの時、あの場所で』

❄ スピンオフ展開中 ❄
『魔法少女☆スノー・プリンセス』

汗で手が滑った方はクリックしちゃうそうです
小説家になろう 勝手にランキング
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ