episode8 sect35 ”炎と氷の狭間で”
燃え尽きた灰のような色の髪に鮮やかな炎色のインナーカラーを入れた女悪魔は、人を小馬鹿にした笑みを浮かべて悠然と両手を広げた。
『アタイはアイナカt
「邪魔」
が、雪姫は話の途中で容赦なく女を『グレイシャ』で叩き潰した。同じ人型種族だろうが人間でなければ殺すことには些少の躊躇もなかった。
ふん、と鼻を鳴らし、雪姫は『ブレインイーター』に向き直った。いまの女の攻撃で『ブレインイーター』も火だるまにされていたが、例の魔力を吸収する触手のおかげで既にほとんど炎は消えていたため、雪姫は安心した。こんなことで『ブレインイーター』に死なれていたら笑えない冗談だ。
――――――ってぇ、ゴルルァっ!?」
「ッ!?!?!?」
氷塊しかない背後から殺したはずの女の声がして、雪姫は振り向くより先に飛び退いた。
氷の中から手が伸び出て、危うく頬に触れられるところだった。
「ちょっとアンタ、自己紹介ぐらいさせてよね」
違和感。言葉が分かる。雪姫は軽く右耳に触れ、舌打ちをした。そこには魔法陣―――いや、相手が魔族なら魔術陣なのだろうか―――があったからだ。意思疎通魔術だろう。直前で、頬に触れられかけたときに施されたのだろう。嫌らしい、余裕の表れだ。
「別にアンタが誰だろうがどうせ敵だし、隙あったら殺すでしょ」
「天使かッ!?」
天使?・・・ああ、悪魔だから、人間のイメージで言う「悪魔か!!」が天使になるのだろうか。
突然現れたこの女が何者かは確かに分からないが、奇襲を仕掛けてきた時点で敵であることは明白だ。そうであれば、もはや雪姫にとってこの女の所属や目的など、まして名前なんて、どうでも良いことだった。
それより気になるのは、この女がどうやって『グレイシャ』の直撃に耐えて、内側から分厚い氷を割って出て来られたのかだ。
防具に傷は見当たらないため単純に頑丈だから耐えられたわけではなさそうだ。そもそも質量攻撃に耐えられる鎧には見えない。炎を使うらしいことは分かっているが、一瞬で人ひとりすっぽり入る量の氷を溶かして凌ぐことも考えられない。そんな熱量を放てば即座に水蒸気爆発へ発展する。・・・ただ、魔術は時に科学で説明出来ない現象を引き起こすので決めてかかるのは良くないか。独自のルールが存在する可能性も考慮して解析する必要がありそうだ。
「アタイは、アイナカティナ・ハーボルド。皇国七十二帝騎第二十三座!最年少で七十二帝騎に抜擢された天才騎士様だぁっ!」
「・・・・・・」
「・・・・・・あのさぁ、なんでも良いから反応しなよ。人が名乗ってんだからさぁ?ま、良いや。さっきは本当にごめんって。そう警戒しなくたって、アタイは別にアンタをどうこうする気はないんだ~」
語尾をだらしなく伸ばす子供じみた話し方も、他者を卑しめるようなニヤニヤ笑いも、悉くが鼻につく。自身の絶対的優位を信じ切っている証拠だ。
(なんにせよ―――)
皇国七十二帝騎ともなれば、まさに、いままさに人間界と敵対している魔族の主要戦力だ。雪姫がどうこう出来るかはこの際さて置いて、放っておけば人間を殺すであろう敵兵の戯れの付き合う義理は―――
「アタイの目的は、そこのソイツ。いろんなダンジョンで暴れ回って厄介だったもんだから、お姫ちゃんに駆除して来いって言われちゃったんだよねぇ」
アイナカティナの視線が雪姫の顔の横へ流れるや否や、彼女の羽虫でも払うようにもたげた右手の指先から、真っ黒な火炎が迸った。寸前の言葉に偽りはなく、得体の知れぬ黒炎はまだ火傷で苦しむ『ブレインイーター』へと直線で飛んでいく。
「あ~あ、可哀想にねぇ、オイタ過ぎた子ちゃん?恨むなら・・・・・・およ?」
アイナカティナは、ここに来て初めてその双眸を丸く見開いた。この展開は、さすがに予想しなかった。
黒炎は、軋むような音を立てて急激に成長した氷壁に遮られ、『ブレインイーター』には届くことなく掻き消えた。
しかし、悠長に動揺し、疑問を口の中で転がす猶予は与えられない。頭上から照らす光の様相が乱れる。また、あの壮麗な氷撃だ。
「案外、芸の無い」
いや、同じ攻撃を繰り返すのは、前回、アイナカティナがどのような方法で巨大な氷塊を内から破ったのかを調べるための誘いか。健気なことだ。アイナカティナは自身の特異魔術を特別隠しているつもりはなかったが、そうか。ここは魔界ではないのだから、少女はアイナカティナの特異魔術『原初の智慧を悦ぶ者』のことも知らないのだ。もっとも、知られていようがいまいが、その程度のことは問題にならないのだが。
空いている左手に黒炎を生み、アイナカティナは雪姫の攻撃を、直立したまま受け入れた。
最大威力の『グレイシャ』が洞窟の堅い岩壁をも砕いて重く地面を揺らす。しかし、氷塊に叩き潰されるはずのアイナカティナは未だ氷を穿ち、その内部に突っ立っている。そして、アイナカティナに動きがあった。
「ッ」
雪姫は同時展開していた『スノウ』で氷中のアイナカティナを氷の外側から包囲していた。その『スノウ』の表面に無数の魔法陣を展開し、全方位から『アイシクル』を撃ち込む。それはまるで、内部の惨状を見て楽しめるように透明化されたアイアンメイデンのように。
しかし、そこまでもしてもアイナカティナの歩みは止まらない。黒い炎でその身を包んだ悪魔がゆらりと左手を持ち上げて、薙ぎ払う。
次の瞬間、今度は雪姫が己の目を疑う番だった。
氷河の破片が、炎上した。
燃焼する物質が氷を包んだ、という意味ではない。
氷そのものが青紫色の炎色反応を起こして燃え上がり、融けるでもなく燃えたそばから急速に焼滅していく。
「ッ!?」
『グレイシャ』を消し去った炎は、そのまま『アイシクル』やその根元にある『スノウ』にまで燃え移り、雪姫の手元まで猛然と迫ってくる。雪姫は咄嗟に後ろへ飛び退く。
氷が崩れる音すらない。既に雪姫が放った氷の全てが融けた水一滴さえ残さず消滅した後だった。
「いやぁ、まっさかでしょ。アタイの話聞いてた?つーか、見間違いじゃなけりゃ、アンタいま、アタイからソイツを守ったよねぇ?」
「そっちこそ、邪魔っつったの。聞こえなかった?」
「聞こえないねぇ。仕事なもんで」
アイナカティナは、なんとこの期に及んで雪姫を無視して、再び『ブレインイーター』に黒炎を放った。
「この・・・っ」
雪姫は『スノウ』を飛ばして『ブレインイーター』を黒炎から守ろうとするが、今度は黒炎に触れた『スノウ』が、やはり青紫に燃え上がり、そのまま『ブレインイーター』に燃え移って黒々と爆発した。
「そォれ、もう一発!!」
「いい加減に―――!!」
アイナカティナが重ねて放った黒炎を、雪姫は今度こそ防いで見せた。氷が燃やされるなら雪姫は打つ手無しか?そんなわけがない。氷の通用しない敵を想定した戦術も複数考案してある。プロペラ状に成形した氷に高速回転を与えて射出することで強風を生み、炎を散らしたのだ。
雪姫はアイナカティナから『ブレインイーター』を隠すように立ち塞がる。
「いい加減にしないと、アタイはどーなるんでしょーか?」
「殺す」
「ぶふぉっ!んははははっ!!マジだ~!!こっ、この子マジのヤツぅ~!?お互い『ブレインイーター』を倒すことが目的なのよ!?普通ならアタイを利用するくらいのノリで共闘持ち掛けるトコでしょ!!ッヒィ~、おもしろすぎ!!」
相変わらず喋っている最中でも問答無用で氷撃が飛んでくるが、アイナカティナはその全てを馬鹿笑いしながら焼き払って、そして冷たく、呟いた。
「ちょうど良いや」
状況が、明確に段階を変える。
雪姫はすかさず地面を踏みつけ、わずかに展開していた地表の『スノウ』を伝ってアイナカティナの足下で『フリーズ』を発動。
野性的な反射回避と共にアイナカティナは翼を広げ、飛翔。右手をピストルにする。
「BANG★BANG★」
軽いノリに見合わぬ地獄の業火が雨あられ。
雪姫は地面の下に『グレイシャ』の魔法陣を展開し、掬い上げながら起動。一息に跳ね上げた氷塊が、実に10m四方の岩盤を捲り上げる。
乱れ撃ちの黒炎は分厚い岩壁に阻まれ、アイナカティナはいっそう愉快な声を上げる。
「いっひひ!!」
岩壁の向こうにいるであろう雪姫に、アイナカティナは左手の人差し指を向ける。
指先に凝集する無明。
まるでゴム鉄砲でも弾くような気軽さで。
解き放たれた『黒閃』、空間が縦に裂ける。
「まっぷたつぅ・・・ぅ?」
割れた岩壁の向こうに、二等分された雪姫の姿はない。
アイナカティナを影が覆う。
雪姫は空を飛ぶアイナカティナの、さらに頭上を取っていた。
飛び道具が通らない。今日だけでもう二度目だ。面倒ではあるが、必要以上に驚くこともない。
至近距離で、100を優に超える小型魔法と中型魔法をばら撒く。
それに対し、アイナカティナは翼を大きくはためかす。轟、と黒炎が巻き起こる。
だが、雪姫にとってはそれすらデコイ。
攻撃用の魔法に混ぜて空中に複数配置、固定した氷塊を蹴って飛び渡り、雪姫はアイナカティナの背後で拳を握る。
「後ろガバいかもってぇ!?」
「チッ・・・!!」
翼を目一杯広げ、悠々ゆるりと背筋を逸らすアイナカティナはまさに堕落の天女。かつて天空で舞っていた名残のような、無重力の幽玄。ただ、その刻み込まれた笑みだけが野卑で酷薄。
「んなワケないでしょ、このアイナカティナ様に限ってさぁ!!」
アイナカティナの両手から黒炎が生まれて渦を巻く。
いろいろ工夫して空中戦を繰り広げていたが、本来、翼を持たぬ人間は空中で急には止まれない。
故に、雪姫は自らの両肩を凍結した。
雪姫は肩を掴む氷に命じる。自分を地上へ引きずり下ろせ、と。
グン、と雪姫の体が仰け反り、アイナカティナの攻撃は紙一重で外れる。
「へぇ、上手いじゃ・・・ないの!!」
高速で落下する雪姫を追い、アイナカティナはさらに速く、空を駆け降りる。
迎撃する大小入り乱れた氷の嵐と、その悉くを青々と焼き払う深闇のフレア。
やがて全てが燃え上がる。
『スノウ』をも延焼で全損した雪姫は、炎の包まれて碌な受け身も取れぬまま地面に叩き付けられる・・・かに思われたが、意地だ。『マジックブースト』で骨を固めた右腕で器用に衝撃を吸収し、あるいは受け流し、なお消しきれない勢いで1、2度大きくバウンドしながらも両手両足で力強く地面を踏み押さえる。途中で雪姫が抉った地形に溜まった水に突っ込んだおかげで、体に燃え移った白い炎もなんとか消えてくれた。
だが、雪姫が体勢を立て直そうとする間にもアイナカティナは甲高く嗤いながら飛び込んでくる。
突き付けられた人差し指が黒く閃く。
『黒閃』。
なら、魔法で受けられる。
『スノウ』で防ぐ方が次の行動に繋げやすいが、十分量を再展開するには3秒かかる。であれば、まずは高速で発動出来る『フリーズ』で時間を稼ぐべきだ。
体のあちこちに皮膚を引き剥がされるような火傷の激痛を抱えていながら、雪姫の戦闘思考は決して途絶えない。超人的な精神力。そして魔力は精神、思考によって制御される。故に、雪姫の魔法は彼女が意識を完全に手放さない限り、常に均一で万全で最適に、彼女の理想通りに発動される。
「あは」
したがって、雪姫の魔法を破れる者がいるとすれば、雪姫の限界を凌駕する威力を持つ者か、あるいは。
「掛かったぁ♪」
雪姫の優れた想像力、学習力、そして思考的瞬発力から高速で形成される情報の包囲網をも掻い潜り嘲弄する程に狡猾な者だけだ。
カシャン、と。
音もないほどに『黒閃』は雪姫の『フリーズ』をあっさり貫通する。
いいや正しくは、雪姫が『黒閃』だと誤認した、高密度に圧縮して放射された黒炎が、だ。
「な―――」
理解しても、もう遅い。『スノウ』は間に合わない。咄嗟に右腕で顔を守る。果たしてそれは正解だったか。
黒炎が掠めた瞬間、白く煌々と雪姫の右手が発火する。
アイナカティナの笑みはより深く引き裂ける。
(あははははッ!!アタイの『原初の智慧を悦ぶ者』の性質を分析した程度で駆け引きが成立するとでも思った!?はぁいバカ!!アタイは魔界中に顔もチカラもぜぇ~んぶ割れてて対策され尽くして!!それでもなお七十二帝騎最高のキル数キープしてんだよねぇ!!)
トドメにもう一撃叩き込むために、アイナカティナは雪姫目掛けてさらに加速する。
だが。
なにかが砕ける音がした。
氷ではない。
その音は、雪姫の口の中から聞こえた。
「ッ、ぁぁ、ヴゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥッ!!!!!!」
噛み締めた歯の隙間から血が散る。
右腕を焼き焦がす白炎に耐える雪姫が、その咬合力で奥歯を数本噛み砕いたのだ。
そして握り込まれた右の拳を見たアイナカティナが顔色を変える。
超人的な精神力と表現すれば聞こえは良いが、人を超えてしまえば、それは等しく異常でしかない。初めから狂っているが故の揺るぎなさとでも言うべきなのか。
「アンタも焼け死ね!!」
「ナメんなぁぁぁぁぁぁッ!!」
黒炎を振り撒き迫るアイナカティナの懐へ、雪姫から一息に潜り込む。子宮を貫く捨て身のクロスカウンター。
腰の入った鋭い拳を、アイナカティナは翼で急制動をかけつつ身をよじって紙一重で躱す。
雪姫は距離を取ろうとするアイナカティナに『スノウ』で追撃を掛けつつ、その『スノウ』に右手の炎を引火させる。
躱したということは、もう確定だ。
アイナカティナの出す黒炎は、なんでも燃やすが、能力で指定したいくつかの対象しか燃やすことは出来ず、そして人体を燃やす炎は彼女自身の肉体にも等しく燃え移る。
雪姫はさらに強く右手を握る。ありったけの魔力を流し込んで炎に抵抗しているが、もう腕が表面からボロボロと崩れていくのを感じる。肩より上まで炎が来る前に、凍らせるのでも焼くのでも、とにかくアイナカティナだけは殺す。絶対零度を司る左手と白熱獄焔を纏う右手。もはや守る意味のなくなった右手で、燃え盛る『スノウ』を掻き分け、アイナカティナに殴り掛かる。
アイナカティナも堪らず咆哮する。
久々に胸中を席巻する怒り。
一瞬でも人間如きにビビりそうになった自分への、屈辱的な怒り。
アドレナリンが否が応でもその感覚を鋭敏化させる。
肉体が手抜きを許さない。
雪姫の右手を最小限の動きで見切り、触れれば凍らされそうな左手を、触れた扱いにならぬほどの瞬間的な蹴り上げで撥ね除けて、逆に雪姫の左肩に踵を落とす。
姿勢の崩れた雪姫の顎を肉が伸びたように見えるほどの速さの掌底で横殴りにし、意識が揺らいだ一瞬の隙をたっぷり溜めに充てた正拳で顔面を殴り飛ばす。
足が地面から浮いたまま縦に2回転するほどの勢いで弾き飛ばされた雪姫は、地面から生えた大きな光る結晶に衝突して、砕けた結晶片の雨と共に落下する。
「チッ・・・!!」
いまの舌打ちは、アイナカティナだ。
あの頑丈な結晶が砕けるほどの勢いで衝突して―――というより、それほどの威力で顔面を殴られてなお、雪姫は落下の受け身を取っていたからだ。
しかし、距離さえ離れれば黒炎の使用を躊躇する理由はない。まだ戦意があるとはいえ、相手は脳震盪を起こしている。先ほどまでの機敏な動きはあり得ない。もしそれでも動いてしまったら動物としてのルールを無視している。依然として優位はアイナカティナの手にある。不快感に下げた口の端を吊り上げ、アイナカティナは黒炎の津波を放つ。
雪姫はまた『スノウ』を展開して防御を試みていたが、無駄な足掻きだ。
この黒炎の津波は二層構成、アイナカティナは両手それぞれで別の設定を施した黒炎を放ったのだ。一層目は土や岩石、そしてそこに紛れる光る結晶を。二層目はH2Oと人体を焼き尽くす―――!!
黒炎は、無慈悲に雪姫と彼女を守る全てを飲み込み青く黒く膨れ上がった。
「ふはっ、あっはぁぁあはははははは!!はぁ・・・・・・。ま、所詮は学生。まだまだお子ちゃま。アタイを殺そうなんて百万年―――」
おかしい。
大きく、大きく、より一層大きく炎が膨れ上がる。
アイナカティナが燃やした覚えのないなにかが、あの黒炎の内側にある。
(っ、はぁ!?黒!?どういう―――!?)
『オ"オ"オ"オ"オ"オ"オ"オ"オ"オ"オ"オ"オ"オ"オ"オ"オ"オ"オ"オ"オ"オ"オ"オオオオオォォォォオオオオオオオオオォォォオオオオオオッッッッッッッ!!!!!!!!』
聞く者全てを竦み上がらせる激昂と共に。
『ブレインイーター』は黒炎を突き破り、燃え盛るその体でアイナカティナに飛び掛かる。