episode8 sect34 ” The Second Comming of the Fatal Fairy-tale ”
(厄介なことになった―――)
マンティオ学園の生徒から、一央市ギルドに緊急通報があった。いままさに生徒たちが実習を行っているマンティオ学園のダンジョンで『ブレインイーター』が出現したのだという。『ブレインイーター』捜索活動のサポートとして転移ステーションにギルドの本部と無線通信が出来る機材が設置されていたものの、それでもギルドが電話を受けてからダンジョン内の疾風に連絡するまでに10分は掛かったはずだ。いまからギルドに帰還して、マンティオ学園に向かい、『ブレインイーター』を追うとなると―――相応に時間がかかる。
幸い、教師たちが事前に念入りな準備をしていたおかげでほとんどの参加者は無事にダンジョン外まで退避出来たようだが、1名がダンジョン内に取り残され、さらにそれを救出するために生徒1名と保護・監督役の魔法士3名が再度ダンジョンに突入したようだ。
状況的に、救出に向かった生徒というのは迅雷と見て間違いないだろう。迅雷と千影は、『ブレインイーター』という化物に仕立て上げられたとあるオドノイドを救おうとしている。
「川内、すぐに行けるか?」
「当然です!!」
疾風は努めて冷静さを保ちつつ、速やかにダンジョンから帰還するための準備を整えた。『ブレインイーター』も脅威だが、それ以上に疾風を不安にさせる要素は、介入者の存在だ。
伝楽が提供したという”推測”が正しければ―――恐らく正しいはずで、『ブレインイーター』の背後には皇国の存在がある。すなわち、介入者とは皇国、場合によっては七十二帝騎クラスの可能性すらある。なにが狙いなのかは不明だが、迅雷と千影は皇国から身柄を狙われるに十分な理由を抱えてしまっている。疾風の特訓をこなして2人とも着実に力をつけているが、『ブレインイーター』に加えて七十二帝騎まで相手取って無事で済む保証はない。
「頼むからな、冴木、聖護院・・・!」
●
改めてダンジョンに入って気付いたが、なんと言うべきか、異様な気配が漂っていた。あれだけ喧しかった六本足トカゲたちは、鳴き声どころか姿すら見えない。
迅雷は煌熾から預かった地図を頼りに、千影とA1班の2人を先導していた。
「天田さんが応戦してるなら恐らく初めに『ブレインイーター』が出現したポイントからはそれほど移動してないと思います」
「それは、力が拮抗しているから?迅雷くん、あの子のことえらい信じような」
「いや、どっちかと言えば『ブレインイーター』の方です。あいつ、俺を殺すのを躊躇してました。意識があるんだとしたら、今回だって天田さんに対して本気は出さないんじゃないかって」
「・・・は?どういう意味だ、それは」
迅雷の説明に、瞑矢がてんで理解出来ないという顔をした。迅雷は、空奈と瞑矢には『ブレインイーター』の正体について伝えていなかったのだから当然の反応だろう。この際だから、迅雷は2人にもこのことを教えることにした。まだ人となりの分からない瞑矢はともかく、空奈なら何度も会っているので信用出来る人間だと分かっている。
千影も説明を手伝い、伝楽の話していた内容も交えた情報共有を行うと、空奈と瞑矢はようやく合点がいったように嘆息した。
「アレが実はオドノイドで、知らんで倒してしもうたら皇国の思うツボになっとったかもしれんかった、と」
「道理でIAMOが急に捕獲最優先なんて無茶苦茶を言い出したわけだ。しかし、こんな突飛な話でIAMOの総司令まで動くとは」
千影がIAMOに根回しを行う際にアテにしたのは、元々は一央市内に別件で滞在していた川内兼平だった。彼は以前、IAMO内のオドノイド関連部署に一瞬だけだが配属された経歴を持つため、そこの人間と関わりがあった。そこからまた別の人物を介し、最終的には『ブレインイーター』の正体についての情報が対策室を預かっていたギルバート・グリーンにまで届いたらしい。
そして、ギルバート自身も迅雷た千影と同様の推測を立てていたために、今回の迅速な方針転換に踏み切ったそうだ。
「しかし・・・冴木」
「うん。そうなると、むしろヤバいのは―――」
「うげっ!?」
迅雷が突然空奈に首根っこをつかまれ後方に放り投げられ驚愕していると、直後に銀閃が瞬いて火花が散った。
千影が『牛鬼角』を抜いて、そのオリハルコン製の刃で何者かの剣を受けていた・・・が、容易く弾き飛ばされ、立ち替わるように瞑矢が雷撃の矢の雨を襲撃者に浴びせかける。
迅雷は吹っ飛ばされる千影を空中でキャッチしつつ、その衝撃を器用に吸収して姿勢を起こした。
(なにが・・・いや、)
奴らが来た。
襲撃者の姿を見ようと地上に目を落としかけて、迅雷は風景に溶け込んだわずかな違和感に気付き、空いた左手に『風神』を抜いた。
反射的に繰り出した『天津風』が、眼前で『黒閃』を相殺した。その『黒閃』は恐らく、もっともっと遠方から放たれていた。
「敵は1人じゃない!!狙撃手がいます!!」
この『黒閃』による凶悪な狙撃を、迅雷と千影は知っている。皇国七十二帝騎第八座、ロビルバ・ドストロス。
もう一方の敵は、以前にロビルバとコンビを組んでいたアモンズという男ではないようだ。兜の下から覗く顔から窺える年齢の程が明らかに彼と違う。
「千影、着地サポ頼む」
「うん」
ロビルバの狙撃は極めて正確だ。着地するまでの間に連射されれば迅雷1人では捌ききれない。千影は翼と尾を展開し、まるでトーチカのように翼を防壁にした。千影の能力で重力加速度を弄り最速着地をする手もあるが、それでは迅雷の足が折れるため、ここでは魔力吸収能力のある翼を保険に、千影も『黒閃』で応じるスタイルだ。
その傍らで、空奈と瞑矢も正対した中年騎士と衝突していた。
「瞑矢くんは下がり!」
「ああ!」
『させんよ弓兵!!』
七十二帝騎なんてそもそもが怪物揃いなので鎧のオッサンが目にも止まらぬ華麗な足捌きで回り込んできても「またか」という気が起こる。
要するに、この程度は序の口。
空奈の脇を器用にすり抜けた騎士に、瞑矢はバックステップ中でありながら左手の弓、のみを、向ける。右手で矢は番えない。
「『隠弦』」
瞑矢の弓は、妹の矢生が使うものと同様に弦を魔力で形成する和弓型だ。瞑矢は身の丈ほどもある大弓を、親指、人差し指、小指の三指のみで把持し、同じ左手の中指と薬指の間で雷魔力の矢を形成。さらに、中指から矢に引き紐のように新たな魔力の弦を結びつける。それを引くことで主弦に対し矢を引き絞り、なんと片手での射撃を行った。
矢そのものの威力は高が知れるが、雷魔法であるため敢えて正面から受けて強行突破するには危険過ぎる。騎士は舌打ちして回避行動に切り替えた。
そのときには既に空奈が次の攻め手を実行しており、かつ瞑矢は自身と、着地を成功させた迅雷と千影に意思疎通魔法を掛けていた。相手の言葉を理解することで戦況を少しでもマシにするためだ。
空奈と中年騎士の攻防は早くも苛烈を極め、それを的確に邪魔するロビルバの狙撃を同じ遠距離攻撃の瞑矢が淡々と相殺していく。
だが。
「ぁぐっ!?瞑矢くん漏れとる!!」
「うるさい、単発の火力が違いすぎるんだ!!」
ロビルバの狙撃は全てが、元々があらゆる物理的障壁を問答無用で貫通する性質を持ち、大抵のものは一撃で破壊してしまう威力の『黒閃』であることを忘れてはならない。空奈はあたかも瞑矢が力不足であるかのようにぶー垂れるが、押されているのは彼女も同様だ。中年騎士の斬撃があまりに鋭いせいで水魔法の防壁を張ってもまるで効果がない。
「よく耐えるな、娘!!だが!!姫様のためにも私はお前たちに勝たねばならんのでな!!」
「なんやねんこのオッサン!!ロリコンかいな、きっしょいなぁ・・・!!」
「空奈さんそれ俺にも刺さるから!!」
若干の心痛を訴えつつ、迅雷は空奈に加勢した。ロビルバは見えるところにいない以上、対処がしづらい。いつぞやのように全力の『駆雷』をぶっ放す選択肢もあるにはあるが、空奈と瞑矢の連携を乱す危険性を考慮して見送った。
だが、中年騎士は迅雷も相手取ってなお余裕のある剣捌きを披露してくる。重い斬撃の応酬と共に、中年騎士は名乗った。
「オッサンではない。私は、元!!皇国七十二帝騎第三十五座の!!マルコスである!!私の忠誠心を愚弄したこと公開するぞ、人間!!」
「元かよ!!」
「どのみち気ぃ抜けんみたいやけどな!」
○
ライフルのスコープ越しにマルコスの奮闘ぶりを見て、ロビルバは自身のチョイスの正しさを確信していた。
マルコスは皇室への忠誠心が気持ち悪いほど強すぎて、普段の言動の節々にもその気持ち悪さが滲む変態だが、彼の特異魔術はその忠誠心を身体能力に還元するため、条件さえ揃えれば気持ち悪いくらいに強くなる。特に、今回の任務はアスモ姫の勅命のため、マルコスのボルテージは当然高い。実際は直々に任務を受領したのはロビルバであって、ロビルバからの協力要請というワンクッションがあるせいで最高潮とまではいかないが、それでもランク6級2人とあの少年少女を相手に善戦している。アモンズの4段階目に匹敵する強さだろう。
マルコスは見ての通り近接戦闘を得意とするため、その点でも別件で来られなかったアモンズの代わりとして適役だった。フザけた態度が目立つが、ベテランということもあってロビルバの射撃にも上手く合わせてくれている。
「『レメゲトン』」
ロビルバは呟くようにアスモから授かった力を解放した。手加減など端から考えちゃいない。
左肩の断面が脈動するような気分だ。
スコープの中央に捉えて放さないのは、この腕を奪った黒髪の人間の少年だ。
今回の任務にはジャルダ・バオース侯爵が殺害されたことへの報復が含まれている。あの幼い姫様が気を回してくれたとは想像しがたいし、あの仏頂面の摂政がそんな粋な計らいをするのかも分からないが、ともあれロビルバは正当な機会を授かった。これで口の端が吊り上がるのを我慢出来るものか。
「さっさと左腕の治療費になれよ、神代迅雷」
○
さっきからロビルバの狙撃が迅雷にばかり向いていて、迅雷は碌にマルコスとの戦闘に集中出来ずにいた。かと言って他の3人が狙撃の的から完全に除外されたわけでもないので迅雷が囮になって引き付ける手もない。
(くそっ。そもそもこんなとこで足止め食ってる場合じゃねぇのに―――!!)
迅雷は、雪姫と『ブレインイーター』を連れ戻すためにここにいる。せっかく煌熾が彼女たちのいるであろう地点までのルートを示した地図を借りて最短距離で移動していたというのに、目的外の戦闘に時間を掛けていては意味がない。雪姫と『ブレインイーター』、今日の結末はどちらか片方が欠けてもダメなのだ。
「考え事とは余裕だな、少年!!」
「とっしー!!」
「ッ!?」
すんでのところで千影の『トラスト』が間に合い、マルコスの剣は空を斬る。千影が反撃でマルコスの側頭部に蹴りを入れるのに合わせ、迅雷も逆側から剣を振るうが、マルコスは迅雷の剣を肘で叩き落とし、その姿勢で千影の足も躱す。
体を跳ね起こし、マルコスは頑丈な兜で千影の股間に頭突きを見舞い、さらになんらかの魔術を帯びた貫手で迅雷の喉を突いてくる。
迅雷は風魔法の反動を使って強引に体を捻りそれを紙一重で回避。バックステップで間合いを取りつつ空奈と前衛を交代。
「これ以上構ってられるかよ・・・!!」
まだ不完全だが、切り札ならある。
一帯の大気が不自然に流れを歪めた。
「とっしー、ストップ!それはやるにしてもいまじゃないよ!!」
「だったらどうすんだよ!」
「それは・・・」
次善策を求められ、千影は言い淀んだ。なにも考えつかなかった訳ではない。空奈と瞑矢にこの場を預けて、千影は迅雷を連れて全速力で離脱してしまえば良い。だが、4対2でやや劣勢の状況をさらに悪化させるような選択はしたくない。
と、そこで空奈が妙な一言を発した。
「迅雷くん、地図広げ!」
「え、は、はいっ!!」
普通なら敵を目の前にした戦いの真っ最中にするような指示ではない。慌てて迅雷が、煌熾に借りた地図を出すや否や、空奈がいきなり小さな水弾を放って地図に小指が通るほどの穴を空けてしまった。紙を貫通した水弾が脇腹に直撃し、迅雷は鈍い呻き声を発する。何回言ったかもう数えるのも億劫だが、本当に、脇腹や胸部を殴られるとキツいのだ。
まさか実は3対3だったのかと混乱する迅雷だったが、穴の空いた地図を拾った千影が「そっか」と呟いた。
「クーさん、これホントにやれる?」
「ウチは誰や?」
どうやら千影は愚問をしたらしい。
空奈が乱暴に示した地点は、昨日迅雷たちが野営した、非常に豊かな水源を有する大部屋だった。空奈が最も能力を発揮する環境でもある。
あの場所まで敵を誘導出来たなら、迅雷と千影が戦線を離脱しても、空奈単独でその穴を補える―――いや、むしろお釣りが来るだろう。だが、そもそもどうやって誘導すれば目論見を悟られないだろうか。悩む千影の肩を迅雷が叩いた。
○
冴木空奈に妙な動きがあった。神代迅雷に誤射・・・にしては低威力過ぎるためなんらかの目的があると思われる行動を取ってから、突如、空奈は迅雷と弓使いの魔法士を伴って後退し始めた。ロビルバの射程から脱出し、マルコスに集中するつもりだろうか?
『彼らはどこへ行こうとしているんだい?』
ロビルバが誰にともなくそう尋ねると、その声量とは裏腹に、洞窟中から応答が殺到した。
ロビルバの特異魔術は、あらゆる動物とのコミュニケーションを可能にするものだ。例えば、ロビルバはこのダンジョンに潜入した際に、六本足トカゲたちに「仲間たちと連携して余所者の集団を探し、一定間隔で鳴き声を繰り返すことで道案内をしてくれ」というお願いをしていた。先ほどまでダンジョン中でトカゲたちがかつてないほどに騒々しく鳴いていた理由はそれだ。
そして、『レメゲトン』を発動したロビルバは地表や空気中の雑菌とさえ、会話出来る。しかも、この特異魔術の効果範囲は会話したい対象を設定すると、ロビルバの周囲、半径10m程度の球状空間を起点とし、その範囲内にいた会話対象を中継点としてさらに球形の効果範囲を追加生成する。その様相は、携帯電話やテレビ放送の基地局から発した電波が中継局を経由してどこまでも広がっていくのとよく似ている。
この性質を利用することで、ロビルバは自身の狙撃補助以外でも高い情報収集・解析能力を発揮出来るのだ。
実際に菌類を対象に取って集積した情報を、ロビルバは同時並行的に分析する。人間たちの移動方向を先に辿って、菌類の生息環境のうち「水中」の割合が大幅に増加するルートがある。六本足トカゲたちの協力を得て作成したダンジョンマップと照らし合わせると、そこは昨夜の学生たちの野営地だ。であれば、あの4人はその水の豊富な地形の存在を認識した上であの方角に逃げている可能性がある。では、彼らはなぜそこを目指すのか?
(そうか・・・!!)
ロビルバはここまでの考察を5秒で済ませ、即座にマルコスへ通信を繋いだ。
「青髪の女を止めてください、誘導されてる!絶対に水場には近づけちゃいけません。その女はあの《飛空戦艦》を掴んで止めた化物です!!」
『承知ッ』
短い返事でマルコスが狙いを空奈一人に集中させる。
ノヴィス・パラデーでの戦闘において、当初の想定を大きく歪めた人間の一人として、冴木空奈は真っ先に名が挙がる。ジャルダ・バオースが世界に誇っていた精強な私兵団の中核戦力だったイブラット・アルクの《飛空戦艦》を単独で長時間拘束し、あまつさえ主力武装の破棄にまで至らしめたダークホース中のダークホースだった。彼女の水魔法の技量は他と隔絶した次元にある。この洞窟も水源が豊富なため、マルス運河の恩恵があったあの戦場ほどではなくとも、冴木空奈が本領を発揮するための条件は整っている。
それに、冴木空奈にここを突破されるとあのオドノイドに接触される可能性もある。さすがのアレも、水魔法を戦術に組み込んでいる以上は冴木空奈との相性に不安が残る。トカゲの連絡網が途絶えたのを良いことに命令を無視した件では痛い目を見てほしい気持ちもあるが・・・万が一のことがあって姫様に不利益を被らせてはマズい。お仕置きはもう足りている。
「・・・・・・あっ」
以上。
ロビルバは完全に読み負けた。
マルコスが空奈に肉薄する、寸前。
思えばあの金髪のオドノイドはどこにいた?
千影は、まさに突如として、マルコスの眼前に出現した。
冴木空奈と入れ替わるように。
そうだ。冴木空奈は忽然と消えた。冴木空奈の身長に合わせたマルコスの斬撃は、千影の頭上を素通りする。では、冴木空奈はどこへ消えた?
剣を空振って無防備を晒したマルコスの腹を蹴って体を翻した千影の姿がブレて消える。本来ならマルコスに追撃を狙えたはずのチャンスを捨てた?土煙は、ひとつの道の先へと伸びていた。人間たちが初めから行こうとしていた道だ。
神代迅雷ともう一人の弓使いだけがマルコスの前に取り残されていた。いまがあの少年を射殺す絶好機のはずなのに、ロビルバは得体の知れない、そしてなにか取り返しのつかないことが起きたような脅威を感じて、スコープを覗いたまま冷や汗を垂らした。せっかく『レメゲトン』で照準の情報補正をしているのに、頭がザワついて集中出来ない。
『おい、ロビルバ君!これはチャンスと見て良いのかね!?』
「分からない・・・が、殺せる者は構わず殺しましょう。姫様の命令通りに、ね」
マルコスに指示をして、ロビルバ自身も少し落ち着きを取り戻した。チャンスはチャンス。それは確かだし、その認識で構わない。ワケが分からないが、スナイパーとして、チャンスをみすみす見逃すことほど致命的なことはない。
(なにを企んでいるにしろ2人でいるうちに仕留める・・・!!殺した分だけこっちの勝ちなんだからさ!!)
スゥ、と酸素を補給して、生物たちの声に耳を澄ませる。
気流、区間Ⅲ方向より強度レベル2。
湿度、62%。
対象挙動、マルコスとの斬り合いにて移動は小さいが急所ブレあり。補正情報強化―――行動予測開始―――完了。
迷いを捨ててロビルバは引き金を引く。
左腕を失って以来一番の、改心の一射だった。
『黒閃』の弾丸は、1km以上の理想弾道を一部のブレもなくなぞって、予測していたマルコスの動作により弓使いの視界にごく瞬間的に生じる死角を通り抜け、迎撃可能限界点をすり抜け、さらにマルコスの予測通りのサイドステップで予定着弾点が弾道上に露出する。まるで綿密な稽古を重ねた舞台上の出来事のように机上論を完全再現し、『黒閃』は、迅雷の左肩へ吸い込まれていく。
だが。
ロビルバの報復は僅かに叶い損ねる。
「なん・・・で」
『黒閃』は、迅雷の左腕を射貫き千切るに至らず、その肩の肉を抉る程度に留まった。迅雷が不意に蹌踉めいたのだ。
その重厚な振動はロビルバにも伝わっていた。
「なんなんだ、くそがッ!!邪魔をしてぇぇぇぇ!?!?!?」
動物たちの阿鼻叫喚が伝わってきて、ロビルバは頭痛に顔をしかめた。
一番に伝わってきた意味、イメージは、水だった。水への、恐怖。
直後、ダムが決壊したような濁流がロビルバのスコープ越しの視界を席巻した。
「なっ、バカな。あんな水量どこから―――、そうか!?」
ヒントならあった。マルコスと戦う神代迅雷と千影は、時折目を疑うような速さで互いのポジションを交代していた。あれが高速移動ではなく、魔術による座標交換だったとしたら、どうだ?
千影が全速力で移動すれば、水源地まではあっという間だ。恐らく片道でも往復でもロビルバにはその差があまり分からないほどに一瞬だ。座標交換魔術には有効範囲があるものの、千影がその範囲ギリギリの距離で少しずつ走っては冴木空奈と入れ替わってを繰り返したとすれば、結果的には冴木空奈が千影が往復するのと同等の速さで水源まで移動出来る計算となる!!
「くそ、またしてやられた!!まさかオドノイドがそんな高度な魔術を使ってくるとか思うか!?マルコス、マルコス!!大丈夫ですか!?」
あの濁流によって、マルコスの姿はあっという間に見えなくなった。敵対関係なりにもありそうな人間らしい遠慮や情けが、これっぽっちも感じられない大水害。突然あんな水量に呑まれれば七十二帝騎クラスでもただでは済まない。
・・・と、思ったのだが、返事はあった。
『心配無用!!』
「そ、そうですか。冴木空奈が水を持ってきた。ここからは厳しくなりますよ」
癪だが、こうなった以上はあの生意気な後輩が頼りだ。ロビルバは通信魔術の対象を追加した。
「アイナカティナ、僕だ」
『僕ってどなたっすかぁ?』
人をバカにした甘ったるい女の声。あぁもう呼ばなくて良いかなぁ、と思いかけてぐっと我慢する。
「っ・・・、ロビルバだ」
『おぉ~、これはロビン先輩。で、なんすか?』
「そっちはどうなってる、用は済んだか?さっさと合流しろ。君が必要になった」
『え、フツーにムリっす』
背景音が聞こえていた。
○
空奈の奇襲は圧巻の光景を生んだが、マルコスは迅雷と瞑矢に接近することで被害を免れていた。どんな大規模攻撃でも味方への配慮はするものだ。音や見掛けに騙されず、マルコスは極めて冷静だった。
大洪水の一角にポッカリと泡のように空いた安全圏で、迅雷はマルコスと剣戟を続ける。だが最早、殺されないように防御と回避に徹する他にない。ロビルバの狙撃で負った左腕の傷はかなり深く、得意の二刀流が封じられたも同然で、その上水で区画された空間はあまりにも狭隘だ。水流の勢いは凄まじく、不用意に鋒が水流に重なったなら、それだけでも一気に全身を持っていかれかねない。ハッキリ言ってとてつもない閉塞感だ。瞑矢の援護射撃もこの狭い空間の中では上手く機能しない。
(そもそもマルコスが強過ぎんだよッ・・・!!)
片腕状態の迅雷など容易くあしらって、マルコスは後衛の瞑矢にまで猛然と襲い掛かるのだ。瞑矢も迅雷のフォローなんて考えている余裕は全くない。
一撃の重さが失われたから相手にされないのだと理解した迅雷は、なんとかマルコスを封じようと体をきつく捻って飛び掛かる。しかし、マルコスは器用に自身の剣の腹を迅雷の剣に沿わせ、滑らせ、軌道をずらし、そのまま―――
「うッ―――!?!?!?」
ゴキゴキと背骨が軋む。迅雷自身が空中で強引に姿勢を逸らしたからだ。安全な着地なんて望めない・・・が、こうでもしなければ今頃迅雷の頭部は耳の半ばあたりで上下に真っ二つだった。背筋が捻れて攣りそうだ。背中から地面に吸われる迅雷に影が覆い被さる。落ちるより速い、マルコスの跳躍だ。鎧に固められた肘が胸部目掛けて落ちてくる。
直撃したら肋骨が埋めた人工骨諸共砕け散る。そんなの意識を保てる自信がない。
咄嗟に、両腕を交差して守る。ミシミシと左腕の前腕骨が悲鳴を上げ、衝撃は貫通して右腕まで痺れて『雷神』と取り落とし、結局胸部にも圧迫が伝わって視界いっぱいの星が散る。
地面にバウンドする迅雷を抜き去り、マルコスはついに瞑矢へ肉薄する。
「どうしたのかね、青年?仲間との連携が随分とお粗末じゃあないか!!柔軟な対応力が足りないようだぞ!?」
「余計なお世話だ・・・!!」
本来なら、敵の近接攻撃を弓で受け流す技があるのだが、マルコスの一撃を受けるのは恐すぎる。弓が折れたら瞑矢はその辺のランク3や4と変わらないのだ。なんならまだ四肢の一本をくれてやる方がマシである。
カウンターなど考えず、瞑矢は全力でマルコスの攻撃から逃げ回る。無様でも構わない。マルコスがわずかな時間でも瞑矢に注意を向けてくれるなら、それで。
水が引き始める。
「―――ぇぇぇぇぇぇやぁぁぁぁぁぁああああああああああッッッ!!」
「むっ―――」
空奈の声は頭上から。
見上げれば、空奈の構えに合わせるように巨大な水の拳が目一杯に振りかぶられている。
対するマルコスは、なんと同じように拳を振り溜める。
瞑矢はまだ目を回す迅雷を助け起こして、空奈の特大拳骨から避難する。
(あの男、冴木のアレと正面からぶつかるつもりか!?)
馬鹿げているが、ここまでの戦闘でマルコスの行動に打算がないことは十分に思い知らされた。
が、いまの状況を見れば空奈だってそれを理解出来るし、本当に正面から防がれる可能性も想定出来る。
故に。
「―――とぉぉ、見せかけてからのォ~!!」
拳を振り下ろすと同時、迅雷たちを囲っていた水の壁が急激に形を変え、九頭龍の顎と化す。
牙を剥く九つの水龍、マルコスはもう直上の拳に反応してアッパーカットを繰り出し始めている。水平方向の不意打ちにまで対策を講じることは、出来ない。
念には念を。魔法の威力を最大化するために、空奈は詠唱を後乗せする。
「『龍渦散波瀑』!!」
爆撃機でも来たような轟音。
あまりの威力に空奈の制御を振り切り自壊した九頭龍の成れ果てが豪雨となって洞窟内に史上初めて降り注ぐ。
火傷痕の無毛を隠す帽子だけはなんとしても手で押さえ、ザバンと荒々しく着地した空奈は、さぞ気分爽快そうに右肩をグルグル回してから、後方に退避していた迅雷と瞑矢を振り返り、自信たっぷりに歯を見せた。
「待たせたな。あとはウチらに任しとき!」
ピチャリと今度は軽やかな着地音が、迅雷の隣でした。千影だ。空奈を連れて来る過程で巻き込まれたのかしてずぶ濡れだが、あまり気にはしていないようだ。
「とっしー、立てる?」
「なんとか・・・キツいな」
瞑矢から迅雷を預けられた千影は、改めて迅雷の頬にキスをした。『トラスト』の座標交換相手を決めるマーキングだ。ただし頬にする意味は特にない。
すぐに千影はどこかへと走り去り、かと思えば迅雷と入れ替わって、また走り去った。空奈のときと同じ要領だ。
2人が去った後に残された空奈と瞑矢は改めてそれぞれのポジションに立つ。
「ウチいまメッチャ格好良うなかった?」
「あまり水浸しにされると俺が気を遣うんだが?」
「安心し。ウチなら絶縁対策はバッチリや」
「それは僥倖」
空奈は純水の皮膜のようなものを全身に張り巡らせている。絶縁耐力がどれほどのものかは不明だが、空奈が良いと言うなら瞑矢は変な遠慮をしないことにした。
「で、マルコスはやれたのか?」
「さてなぁ・・・直撃は、したはずやけど」
「『ブレインイーター』とどっちがマシだったかな・・・」
引きつった笑みで瞑矢は弓を構え直す。
水の大爆発痕の霧が晴れて、キチンと人型を保った影が浮かび上がる。
「がふっ。生きているさ、当然だとも。これしきの傷で・・・このマルコスが倒れてなるものか。姫様が我々の成果を今か今かと心待ちにしておられるというのに!!」
飲んでしまった水と血を一緒に吐き捨て、ヒビ割れ使い物にならなくなった鎧も脱ぎ捨て、なおもその眼に宿る闘志は爛々として衰える気配はない。
そしてマルコスの隣に、隻腕の若い騎士が、挨拶代わりの『黒閃』の雨と共に降り立った。なにが気に入らないのか思い当たる節が多すぎて分からないが、酷く険しい目付きだ。かと言って、怒りで我を忘れ、隙を晒すような未熟さは感じられない。
「ロビルバ君が前に出ることもなかろう」
「いいえ。あの女の魔法は狙撃と相性が悪いので。さぁ、マルコス。貴方のその覚悟、アテにさせてもらいますよ」
白兵戦用の拳銃型に持ち替え、ロビルバは翼を大きく広げる。
一刻も早くこの2人を殺して、神代迅雷をこの手で葬り雪辱を果たすために。
「七十二帝騎第八座、ロビルバ・ドストロスだ」
「・・・・・・あ?なに?ウチも名乗った方ええのんか?いまから潰す相手に?」
「警視庁魔法事件対策課A1班、聖護院瞑矢」
「はぁ・・・。同じく。冴木空奈や」
ロビルバは、話の間に翼への魔力充填を完了した。
「そうか。それでは、排撃を開始する―――!!」
●
再び空奈たちが戦闘状態となったようだ。音だけでもその壮絶さが伝わってくる。
迅雷と千影は、あの場をA1班の2人に任せて『ブレインイーター』と雪姫のところへと向かうことにした。そのために迅雷は多少の無茶をしてでも千影に空奈を水場まで連れて行かせ、戦力を確保したのだ。
ただし、現在は安全な場所で立ち止まって、迅雷は左腕などの傷の治療を受けていた。急ぐ気持ちはあるが、まともに戦えない状態で彼女に挑むのはさすがに無謀が過ぎる。千影の医療魔法の腕では完璧とはいかないが、せめて全力で剣を振っても腕が千切れない程度には体組織を修復しておかねばならない。
「ロビルバ・ドストロス、あの狙撃手・・・かなりしつこくなかったか?左腕ぶった斬った恨みってことか・・・」
迅雷は呼吸を整えつつ、うっすら骨が露出するほど肉を消し飛ばされた自身の左腕を見た。あのチャンスならもっと致命的な急所を撃ち抜きにきても良かっただろうに。自身と同じ苦しみを迅雷にも味わわせようとしたのだろう。今後も彼に狙われ続けるかもしれないと思うと、皇国に命を狙われるかもしれないという漠然とした恐怖に今更ながら明確な輪郭が伴ってきた気がする。迅雷はひとまず、空奈と瞑矢が勝利してロビルバを捕らえてくれるのを祈っておくことにした。
10分少々の治療で、千影は魔法を止めた。外見上の傷は上手に塞がれている。
「どう、とっしー?まだ痛む?」
「まぁ、ちょっとはな。けど、十分だ。ありがとな」
「ん・・・」
誰も見ていないのを良いことに、迅雷も千影の頬にキスを返した。
どんなに強く覚悟を持っていても、恐いものは恐い。今度は本気で殺しに掛かってきたとしたら?以前より正気を失っていたら?意外にも伝楽の言っていたことが外れて全部迅雷たちの勘違いだったら?雪姫はまだ無事でいるのか?これから挑む戦いは、いつだって恐い。でも、だから、千影の存在をより強く確かめた。迅雷は独りじゃない。千影が一緒だ。
「とっしー」
「ああ」
迅雷は二刀を背負い直して立ち上がり、千影と一緒に道の先の闇を見据えた。
「急ごう・・・!」