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LINKED HORIZON ~異世界とか外国より身近なんですが~  作者: タイロン
第三章 episode8 『Andromedas' elegies』
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episode8 sect29 ”行間③下”


 極彩色の空間を抜けた先には、たくさんの肌が白い人々がいて、海の見える大きな町があった。


          〇

 

 アラヤーが最初に踏んだのは石造りの建物の床だった。

 唖然として建物の中を彷徨うボロ切れ同然の衣服を纏ったアジア系の少女には、誰もが奇妙なものを見る目を向けてきた。

 ただ、気味悪がって避けていく人ばかりだったかといえばそうでもなく、親切心で声を掛けてくる者もいた。


 「どこからきたの?」

 「どうしてひとりでいるの?」

 「ダンジョンでなにかあったの?」


 イタリア語を話せないアラヤーにはちゃんと言葉で返事をすることは出来なかったが、イエス・ノーで答えられる質問は全てジェスチャーで答えた。

 そうするうちに分かったのは、ここがイタリアのナポリという町で、アラヤーは”ダンジョン”―――すなわちこことは別の世界からやって来た、というより”元の世界”に帰って来たらしいということだった。アラヤーの故郷である”タイ王国”なる国はずっとずっと遠い場所にあるらしい。だが、果たしてここは本当にアラヤーの知る”元の世界”なのだろうか?そもそも、アラヤーにはこれまで異世界にいたという実感がなかった。まだ山登りも旅行も経験のないアラヤーにとっては、あの大自然も地球上に普通にありそうに思えた。むしろ、いま初めて自分が異世界に来てしまったような気分でさえあった。

 でも、イタリアという国なら知っていた。昔、まだ本当の父がいたころには時々食べていたスパゲティやピザという料理は、イタリアという国の料理だと教えてもらった記憶があった。だから、確かにアラヤーは”元の世界”に戻って来たのだろう。ただし、”元の世界”の知らない場所に、だが。

 どこへ行って良いのやら分からぬままにアラヤーは、施設の職員らしき人物に引き渡され、同じ建物内の小さな部屋に案内された。職員からはそれまで話していた人がしたのと同じような質問を繰り返された。もちろんアラヤーは同じような答えしか返せず、埒が明かないと考えたらしい職員がとある場所に連絡をしようとした。


 とある場所とは、つまり、警察だ。


 警察という意味を持つらしい単語を聞いた瞬間、アラヤーはボロボロの服のポケットに突っ込んでいた白地に緑の線が入ったカードの存在を思い出して、慌てて部屋から飛び出した。逮捕されてしまうと思ったからだ。


 アラヤーはその後、日が暮れるまで逃げ回って、いまはビルの屋上で少ない星の数を数えていた。

 回想だけでも動悸が激しくなった。サイレンが聞こえ、縮こまった。聞き憶えのない音色であっても警察らしさというのは伝わってくるものらしい。いっそ真正面から警察を返り討ちにしてやろうかとも思ったが、我慢した。

 サイレンが遠くなり、屋上の縁から顔を出した。夜になってようやく捜索の手はいくらか緩んで、景色に目を向ける余裕が生まれていた。ナポリを見てから死ね、という言葉もあるくらいの世界的な景勝地であるナポリは、森なんかよりよっぽど異世界だった。あくびをひとつ。季節は秋の終わり頃だろうか。多少肌寒くはあったが、サイレンが聞こえなくなっただけでも十分に眠れそうだった。




          ○



 ナポリに来てから3日が経った頃、アラヤーは気が付けば常になにかを口に運び続けるようになっていた。


 (おかしい・・・ヘンだな。ずっとたべてるのに)


 違和感が始まったのは、前日の暮れ頃からだった。最初は一日なにも食べなかった程度の空腹感だった。人の目を気にしなくてはならず思うように食事が出来なかったせいだと思ったアラヤーは、目の前に海が広がっていたことを思い出して、素潜りすることにした。

 だが、いくら魚を捕まえて頭から尻尾まで残さず食べ尽くそうとも、なぜかアラヤーは全然満たされなかった。それどころか、食べている最中でさえも自覚するほどに、飢餓感は増し続けた。


 いま、空腹感と飢餓感というふたつの単語を使ったことには理由がある。というのも、魚を数匹食った時点で、既にアラヤーの空腹感は解消されていたのである。だが、飢餓感だけが収まらない。満腹なのに次の食物を求めてしまう。食わねば死んでしまいそうな、奇怪で強烈な焦燥感。それがアラヤーを苛む違和感の実態だった。


 やがて魚を探して捕まえる手間さえ我慢ならなくなったアラヤーは再び陸に上がって、万引きやゴミ漁りで手っ取り早く食料を集めることに没頭した。

 味も臭いも固さもなにも構わず食べ続けたアラヤーは、そう経たぬうちに胃袋の限界を超過して中身を吐き戻してしまった。だが、それで飢餓感が削がれるようなことはなく、吐いたそばから再び食べ物を探して徘徊した。

 食べて、食べて、食べて、吐いて、食べて、食べて、吐いて、食べて、吐いて、食べて吐いて食べて吐いて食べて食べて吐いて食べて―――。

 アラヤーは自分でも異常だと気付いていた。初めてのことだった。前日に拾い食いしたものに毒でもあったのか、知らない病気にかかってしまったのか。原因は考えても分からなかった。通りかかった建物の窓に映るアラヤーの顔色はまるでゾンビのように血の気が引いて、反面、目だけが爛々と血走っていた。

 一体なにを食べればこの飢えは満たされるというのか。人目のつかぬ狭い路地に蹲り、アラヤーは自分の腕を噛んで涙を流した。

 もう頭がボンヤリしていて、理性を保っているのも限界が近かった。


 「うるさい・・・」


 表通りを行き交う人々の声が異様に耳に入ってきた。


 海を見た女の歓声が、男の困ったような唸りが、子供の無邪気な笑い声が、老夫婦の上品なやり取りが、まるで、まるで、そう、昔働いていた青果店のおじさんが客寄せに言っていた文句のようにやかましい。


 寄ってらっしゃい見てらっしゃい。ウチの商品はここらじゃ一番、選り取り見取りでお安いよ!!もちろんどのお肉も新鮮さ!!嗚呼、なんておいしそうなんだろう!!


 「―――――――ずっ、!?!?!?」


 少し朦朧としていたようだった。涎を手で拭い、アラヤーはもっと静かな場所を探して路地を走った。

 ・・・が、気が付けばまた人の声がよく聞こえる場所まで戻って来ていた。気を紛らわせるように野良猫を捕まえた。体がだるくて触手が出せなかったから、仕方なく手で首の骨をへし折り殺して食べた。


 「お、おなかいっぱい!きょうはもうねよう!」


 まだ夕方だったが、アラヤーは人気のない暗がりを探して横になり、もう今日はこれ以上動く意思はないと宣言するように体を小さく丸めた。


          ○


 パトカーのサイレンで目が醒めた。酷い目覚ましだが、気分はそれほど悪くない。どうやらちゃんと眠れたらしい。頭もスッキリしていた。それから、あの飢餓感もどこかへ消えていた。


 「よかったぁ。やっぱりねればなおるっ!」


 サイレンは寝床から程近い場所で止んだ。止んだということは、アラヤーの捜索とは別件ということだろう。見つかったら面倒かもしれないが、体調の回復に伴って復活した好奇心には抗えず、アラヤーは建物の屋上伝いに現場の様子を見に行った。


 「うわあ、これはすごい」


 犯人も大胆なことをしたものだな、とアラヤーは感心すら覚えた。そこそこ人通りのある道が、一面真っ赤に染まっていたのだ。人をひとり、ふたり殺した程度の血の量ではない。野次馬もかなり集まっていたようなので、アラヤーはそこに紛れ込んでなにがあったのかを聞いてみようと思った。


 「ねぇおじさん。これってなにがあったの?」


 「うん?いや、今朝早くにねぇ―――の、のわぁぁぁおあ、あわっ、うあああ!?」


 話し掛けた相手の男はアラヤーを見るなり素っ頓狂な悲鳴を上げて飛び退いた。周りの野次馬も、次々にアラヤーのことを見ては血相を変えて逃げ出したり、まるで獣でも見るように身構えたりした。

 

 「・・・え、なに?なに?」


 触手も引っ込めていたのだから怯えられる理由なんてないはずだった。実際、これまでナポリで擦れ違った人々はアラヤーを見ても精々不思議そうにするくらいで、このような反応まではしなかった。

 訳が分からず立ち尽くすアラヤーに向かってひとり、輪の中心から人差し指を向ける青年がいた。



 「あ、ぁあいつだああ!!あいつぅ!!あいつがやったんだよぉぉぉッ!!あいつぅぅぅ!!」



 ドクンと心臓が跳ねた。

 あんなに苦しかったのに、寝ただけでこうもスッキリするものだろうか。

 アラヤーが視線を自分の体に落とすと、服まですっかり血色が良くなっていた。


 「あ。・・・わたし、たべちゃった。・・・・・・かも?」


 あまりの飢餓感でほとんど憶えていなかったが、口内にはほんの僅かに他人の血の味が残っていた。


 「えと・・・・・・・・・・・・」


 青年の絶叫に弾かれたように野次馬たちは散って、代わりに警官たちがアラヤーを取り囲んで銃を向けてきた。果たして、いまのアラヤーが銃弾を浴びたらどうなるのだろう。テレビドラマで銃撃された人間が助かる場面を見たためしのないアラヤーは、久々に死の危険を感じて即座に触手を8本ありったけ形成した。


 「なんだ、コイツは!?悪魔か!?」

 「もしや Regno di Lilitubus の spia か!?」

 「と、とにかくいまはヤツを a trattenerli だけ考えろ!」

 「応援の到着まであと10分はかかります!!」


 ところどころ聞き取れない単語が混じっていたが、とにかく逃げなければマズい。アラヤーは一番ビクビクしていて弱そうな警官を狙って襲い掛かり、力尽くで包囲網を突破した。

 当然、警官たちは追ってきた。しかも、躊躇なく発砲してきた。初めて受ける銃撃の激痛に視界が明滅したが、死ぬほどじゃあなかった。アラヤーはひたすら警官たちを蹴散らして走った。今度は、どこまで逃げれば良いのだろうと思いながら。






          ○






 雨が降っていた。

 

 ざんざんと迫り来る警官たちの足音みたいな雨が降っていた。


 何度も逃げて戦ってを繰り返すうちに自然と体が理解してきたのだが、どうやら触手はものすごくエネルギーを使う上に、()()()()()()ではそのエネルギーを補充することが出来ないらしかった。

 石造りの壁に背中を預け、アラヤーは数刻後の自分の未来を暗示するように低くまで垂れ込んだ灰色の雨雲を睨んだ。胸の内側がジワジワと焼けるように痛んでいた。じきにあの飢餓感が帰ってくる。もうこれ以上、触手は使えなかった。次に警官たちに見つかってしまったら、アラヤーには抵抗する術がないだろう。


 もう、疲れた。

 

 ナポリを見てから死ねと言うらしいけれど・・・で、あれば、もう死ぬしかないのだろうか。

 雨はアラヤーの体を流れ落ち、赤い小川となって地面に広がっていく。

 滑り落ちるように座り込んだ。

 

 「・・・なんで、わたしばっかり・・・どうして、こんなに、だれも、やさしくしてくれないの・・・」


 ドロドロと滲む水面の映った自分が、呆れたように見つめ返してくる。


 「もう理解しているはずよ?どうして何度も何度も同じ問いを繰り返すの?」


 「しらない・・・しらないもん!わかんないもん!!かってにでてこないで!!」


 黙らせようとして水溜まりを滅茶苦茶に叩きつけたが、水溜まりの中のアラヤーは静かに語りかけ続けた。


 「生き延びなくちゃ」


 「そうだけど・・・ぉ!!」


 「なにを、いまさら怖れているの?」


 「だって、おかしいよ!!おかしいでしょ!?なんでわたしっ、ことばがわかるの!?なんか、わたしがべつのだれかに―――」


 「それで良いじゃない。それが良いんじゃない」


 「え・・・。あ・・・?」


 「思い出して」


 「・・・・・・。・・・・・・あぁ・・・そう、だったね」


 「もう大丈夫ね?」


 「うん。だいじょうぶ」


 追い掛けてきた警官たちの声が、また聞こえ始めた。


 「・・・まったく、せわのやけるわたしね。さあ、たって。おなか、すいてるんでしょう?―――うん」


 そうだ。なにも怖がる必要なんてなかったのだ。

 愛される人間になるために、アラヤーは血溜りから立ち上がった。


 

          ●



 拍子抜けだった。随分と痛めつけられたから、てっきりあのまま殺されるのだと思ったが、アラヤーはまだ生きていた。最後にアラヤーを捕まえたのは、どうやら警察ではなかったらしい。彼らは自分たちのことを『アプリーレ』と名乗り、アラヤーを殺すどころか、むしろ衣食住の全てを与えてくれた。だが、『アプリーレ』がアラヤーに与えたものはそれだけではなかった。

 彼らのボス―――既にアラヤーにとってのボスでもあった―――に呼ばれたアラヤーは、そこで二つ折りの書類を渡された。


 「読めるか?」


 「えーと、CAR―――カルタ・ディデンティタ」


 すなわち、身分証明書。

 開けば中にはアラヤーの顔写真や生年月日などが記されていた。


 2000年6月1日生。

 出生地、ナコンラチャシマ市。

 国籍、イタリア。

 住所、ナポリ。

 職業、学生。

 身長、134cm。

 頭髪、青。

 瞳、グレイ。


 「ボス、これは?ほんとうに私の?」


 「ああ。それは間違いなくお前の身分証だ」


 国籍や住所が変わっていることは別にいまさら気にならなかった。アラヤーが戸惑ったのは、肝心の氏名欄に全く知らない誰かの名前が書かれていたことについてだった。


 ああ、と。


 意外に大きな名残惜しさと、それとは裏腹にすぅっと体が軽くなるような感覚があった。もはや自分はアラヤー・マフバンでも、グレイですらもなくなったのだ、と。


 「少し安直な名前だったかもしれんが文句は言うなよ。ともあれ、今日からお前は―――」

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