episode8 sect28 ”行間③中”
小鳥のさえずり。晴れと湿り気の匂い。いつになくスッキリした目覚めだった。巨木の虚から顔を出したアラヤーは大きな欠伸をひとつして、ぐうと腹を鳴らした。
「きのうはえものとりにがしちゃったもんなぁ」
やるせなくなって、アラヤーは虚に引っ込んで寝転び直した。しかし、そこで奇妙な感触に気付いて跳ね起きた。なにか、弾力のあるものが背中に当たったのだ。
「あ、あれ?」
しかし、振り返って寝床を見ても、なにもない。あるのはベッド代わりに敷き詰めた草だけだ。当然、手で触って確かめても草とその下の、ゴツゴツした木の感触しかしない。
「あれぇ?ねぼけてたのかな」
分からないものは分からないので、仕方なくアラヤーは考えることを諦めて木の虚を出ようとした。
しかし、なぜか腰のあたりで穴につっかえてしまった。まさか昨日の今日でそんなに太るはずもない。奇妙に思いつつ、アラヤーは体をよじって無理矢理外に飛び出した。勢い余って顔から地面に落っこちたアラヤーはしばらく目を回してから起き上がり、ヒリヒリ痛む腰を手でさすった・・・のだが。
「・・・ん?んん!?」
さっき背中に感じたのと同じ弾力を感じてアラヤーはバッと自分の腰を見た。すると、なんか黒い触手のようなものがちょうど骨盤の左右あたりから生えていた。
「なにゃ、にゃんだこれぇぇぇぇッ!?!?!?」
女の子には絶対あり得ないイチモツ・・・ニモツ?には吃驚仰天。衝撃のあまり飛び出した絶叫で付近一帯の小鳥が逃げ出した。恐る恐る触手の付け根を確かめたが、どう見たってそれはアラヤーの体から生えていた。あとからくっついたようには見えなかった。
(なにこれなにこれなにこれなにこれぇっ)
もしかしてまださっきの夢の続きでも見ているのだろうかと考えたアラヤーだったが、木から落ちて打った顔はちょっと痛い。
しばらく現実と夢の境界を見失って混乱していたアラヤーだったが、あれこれ考えるうちにちょっとずつ諦めがついてきた。確かにこんなものが生えている人間なんていないが、物は無くて困ることがあっても、あって困ることはない。貧乏な性分のおかげで自らの体の異変を受け入れることが出来たアラヤーは、改めて触手を見てみた。
長さは、大体アラヤーの腰から垂れて膝上くらいまで。8、9歳くらいの子供の体に対する比なので、さほど長いとは言えない。それから、太さも腕とさほど変わらない程度だ。
次に試したのは、動かせるかどうかだった。なにしろアラヤーの腰から生えているのだから、触手はアラヤーの体の一部であるべきであって、それなら動かすことだって出来るはずだと自然な感覚で考えたのだ。結論から言うと、やはり動かすことが出来た。初めはピクピクと震える程度だったが、30分ほど練習したらそこそこ器用に動くようになった。それから、触手が動くようになるにつれて、触手でも物の感触や熱を感じられるようになった。手足ほどの感覚はないが、なんなら触手だけで木々の枝を飛び移るような曲芸も不可能ではないようにさえ思えた。
「すごい・・・わたし、もしかしたら・・・しんかしたのかも!!」
○
触手を手に入れてからのアラヤーの森暮らしは、一層快適なものに変わった。
「よっ、ほっ・・・と」
数日の特訓の成果としてまず得たのが、触手による機動性だ。まるでテナガザルのように枝渡りをし、歩くよりもずっと速いペースで移動出来るようになった。しかも、触手の長さがある程度調節出来ることに気付いた結果、木々の間隔が5、6mは離れていても十分に届くようになった。
触手の動かし方を学んだアラヤーに足の速さで勝てる動物は、この森にはいなかった。
そして、触手のすごさはこれだけには留まらなかった。樹上から今日の獲物を発見したアラヤーは、枝の上で立ち止まった。そして、音もなくゆっくりと触手を伸ばし、獲物が気配に気付いた瞬間に、一気にその首に巻き付けて、力任せに首の骨をへし折ってやった。
触手は長くて、速くて、パワーも手足の比ではなかった。唯一器用さだけが欠けていたが、十分に便利だった。面白がって使ううちに、いまやアラヤーの腰には8本まで増えた触手が、ちょっと刺激の強いスカートのごとく生え揃っていた。
触手とダメ押しの水魔法、被食者の抵抗をものともしない再生能力。齢8歳にして、アラヤーはこの森の食物連鎖の頂点に君臨していた。もはや自身の数倍は大きい猛獣も、獰猛な魚がウジャウジャいる川も、怪鳥ひしめく山岳地帯も、なにもかもがアラヤーの狩り場で有り、遊び場であり、時には寝床でさえあった。まさに絶対強者。かつての王者たちも彼女が現れれば自ずと大人しくなった。
「さいこうのきぶんね!もう、なーんにもこわくない!どこへだっていけるわ!!」
たった独り。歓声が森に染み渡った。
○
ぐう、と腹が鳴ってその日も始まった。
触手を使うようになってから、腹の減りが早くなったことだけが悩みだった。もっとも、食えば済むので、大して困りはしなかったが。
前日のあまりで優雅に朝食を済ませたアラヤーは、その日もまだ見ぬ森の果てを目指して歩き出した。本当はこのまま森の住人として暮らし続けるのも悪くはない気がしていたが、3年も孤独でいるとさすがに心が人の体温に飢えていた。この森にはたくさんの動物たちがいるが、アラヤーにはその特異性ゆえに寄り添い遊ぶ友と呼べる相手だけがいなかった。
「あ、また”いせき”だ」
もう大して珍しさを感じなくなってきた”いせき”だったが、ここがアラヤーの長い長い平和な暮らしの終着点となることを、彼女はまだ知らなかった。
とっくに”いせき”は見飽きていたアラヤーは、本当ならそのまま素通りしてしまうつもりだった。だが、遠巻きに眺めていた”いせき”の近くに誰かがいるのが見えたのだ。
もう一度言おう。誰か、だ。
「ひとだ―――!!」
遂に、遂に自分以外の人間と出会うことが出来た。喜びのあまり、アラヤーは”いせき”の方へ猛ダッシュした。しかし、茂みを飛び出す直前で、アラヤーはふと気付いて立ち止まり、自分の姿を確認した。
「きゃっ。はだかんぼさんでした!てへ!」
アラヤーはいつも通り暑い時期を全裸で過ごしていたが、”いせき”にいた人たちは男性だったので、なけなしの恥じらいを思い出したアラヤーは急いで衣服を着た。ここに来たときに着ていた服なので、ぶっちゃけボロボロだし、体が成長したためサイズもぱっつんぱっつんだが、裸よりはマシだろう。
しかし、アラヤーが着替えて茂みを出ると、男たちはなんと絶対に開かないと思っていた”いせき”の扉の中へと入っていくのだ。
「え、あ、ちょ、まって―――!?」
声を掛けるも間に合わず、扉は閉まってしまった。あまりの急展開にしばしポカンとしていたアラヤーだったが、気を取り直して”いせき”の扉の前まで行ってみた。やはりアラヤーには反応しない。しかし、恐らくさっきの男たちはここに入って行った。どう考えてもまだ中にいるはずだ。
「ねえ、あけてよ!いるんでしょ?おじさんたちはここにすんでるの?ねえってば!」
それなのに、どれだけノックしても一向に中の男たちからの返事がない。触手を使って多少乱暴をしてみたが、やはり”いせき”の壁にだけは歯が立たず、結局なにも進展がないまま日が暮れてしまった。
アラヤーは、その日は”いせき”の屋根の上で寝ることにした。3年間暮らして初めて見つけた人間だったので、ちょっと無視されたくらいで諦めるつもりはなかった。大人に冷たくされるのには耐性があるし、なんならいまのアラヤーには暴力に立ち向かう力もある。なんとしても、男たちが次に出てくるのを待つつもりだった。
ところが、1日経っても2日経っても、男たちは”いせき”から出て来ない。とんでもない出不精どもだ。それとも、実は”いせき”の中からは外で待ち伏せするアラヤーのことがずっと見えていて、警戒されているのだろうか。
そう考えたアラヤーは、一度”いせき”から離れてみることにした。男たちを待つ間は近くを通りかかった鳥を捕まえて食っていたが、それではあまり足りなかったので、ついでにしばらくは困らなそうな大きい獲物を狩ってくることにも決めた。
「はっ。もしかしたらおにくわけてあげたら、なかよくなれるかな?」
ちょっとした期待も胸に秘め、アラヤーは森の中へ入っていく。しばらく樹上を移動しながらターゲットを探していると、一際大きな獣の足跡を見つけた。
「”わにくま”だ!」
アラヤーは足跡の主をすぐに看破した。この丸っこくて肉球感のある足跡も見慣れたものだ。熊のようにずんぐりしていて、鰐のように平たくて長い頭の獣だ。森の動物たちの中でも特に大きくて強い種だが、今回の足跡はよく見かける子たちと比べても輪を掛けて大きかった。
「へへへ、きょうはごちそうだ・・・!!」
思わず溢れた涎を舐め取って、アラヤーは足跡を追った。幸い、”わにくま”はすぐに見つけられた。わにくまも自分の獲物を探していたところのようで、しきりに周囲の様子を窺っていた。
しかし、足跡を見てある程度は予想していたが、とんでもなくデカかった。アラヤーがこれまでに見てきた中で一番大きかった個体の、さらに倍近くはあるように見えた。
ちょっと悩んで、アラヤーはすぐには襲い掛からず、隙を窺うことにした。さすがのアラヤーでも”わにくま”と正面きって争うのは骨が折れるので、あれだけ大きな個体ともなれば不意打ちに失敗したときが恐い。
狙うのは”わにくま”が獲物を見つけて襲い掛かるときに決め、アラヤーは出来るだけ静かに”わにくま”を尾行した。
そうしてしばらく。カサ、という草の揺れる音がして、”わにくま”が立ち止まった。アラヤーも音には気付いた。小動物が天敵に気付いて隠れた音だ。のそりと、”わにくま”が進行方向を変えた。近付くその瞬間に逸る鼓動を押さえ、アラヤーは触手をくねらせながら”わにくま”の後ろに控え続けた。
そして。
「がうっ!!」
(―――いまだ!!)
”わにくま”が茂みに突っ込み、小動物が飛び出した瞬間、アラヤーも木から飛び降りた。8本の触手を目一杯広げて、一斉に”わにくま”の背中に叩きつけた。
「ぎゃイン!?」
狩りをするはずが突如背撃を受けた”わにくま”が悲鳴を上げた。だが、パワーが足りなかった。仕留めきれずに、”わにくま”は大きく飛び退いてアラヤーの方を向いた。
「あれ、いまのでダメなの!?」
”わにくま”は間違いなくダメージを負った様子だが、果敢にも後ろ足で立ち上がってアラヤーを威嚇してきた。ただでさえ巨体だったので、まるで恐竜のような威容だった。
「お、おー?やるき?ぐぬぬ、か、かかってこいやー!!がおー!!」
負けじとアラヤーも触手を広げた。
そこからは、実に激しい戦いだった。アラヤーは包丁のような爪で体の何ヶ所も斬り裂かれ、片腕は折れてしまったが、最後は咄嗟の水魔法で溺れさせた”わにくま”の頭を触手で締め潰してやっつけることが出来た。
「はぁ、ひぃ、ふぅ・・・。どーだまいったか!!わたしのほーが、つよい!!」
動ける程度まで傷が癒えるのを待ってから、アラヤーは倒した”わにくま”を触手で掴んで引き摺り、”いせき”への道を戻り始めた。
思っていたより随分と時間が掛かってしまったようで、空の色が変わり始めていた。日が沈んだら”いせき”の男たちはまた中に閉じ籠もってしまうかもしれないと思ったアラヤーは急ぎ足で”いせき”を目指した。すると、ラッキーなことに森の中から人の話声が聞こえてきた。
迷う理由なんてなかった。アラヤーはすぐに声がする方へと足を向けた。わにくまを引き摺って歩いているので声に置いていかれそうだったが、そこは頑張って、ようやく声の主たち―――3人組の男女の後ろ姿を発見した。
「あれ?こないだのおじさんたちじゃないなぁ。ま、いいや。おーい、おーい!!」
アラヤーの呼び声に気付いた3人組は、信じられないものを見たような顔をした。
「Stai scherzando, vero? Perché questa bambina è in un posto ―――」
若い女がなにかを言っていたが、内容はアラヤーには分からなかった。ただ、女の言葉の終わりが不自然だったのはなんとなく分かった。アラヤーに駆け寄ろうとした3人組は、なぜか途中でその足を止めたのだ。
「ねぇ、おねえさんたちもここにすんでるんでしょ?」
「Whoa! No, no, no, no!! NON VEBNIRE!!」
アラヤーからも近付こうとしたら、急に背の高い男に怒鳴られた。それでも、人と話せるのが久々だったアラヤーは思い切ってもう一歩近付いた。
「”わにくま”、さっきつかまえたの!わけてあげるからともだちになろうよ!!」
ジュウ、と右腕に熱い痛みが走った。
炎を浴びせられたらしい。
炎?を、浴びせられた・・・?
・・・攻撃された?
「・・・なんで????」
背の高い男は、なおもアラヤーのことを睨み付けて魔法陣を浮かべた掌をかざしていた。
なにも怒らせるようなことなんてしなかったのに。むしろ、こんなに立派なプレゼントまで用意してあげたのに。ただ仲良くなりたかっただけなのに。
頭痛がして、水の中にいるようなくぐもった錯覚がアラヤーを襲った。
お前が愛されないのはお前が悪い。
頭の中で、自分ではない自分が囁いていた。
「なんで。なんで。なんで」
気持ち悪くて、アラヤーは頭を掻き毟った。爪と頭皮でゾリゾリと音を鳴らしても、頭の中で勝手にしゃべる自分の声はちっとも小さくならなかった。
目を開いているはずなのに、夢で見たあの光がチラチラの視界に重なる気がした。
「わたしがわるいの!?」
アラヤーはいま頭痛でこんなに苦しんでいるというのに、3人組のうちの誰も、アラヤーのことを心配してくれない。それどころか、気味悪がるような目を向けてきた。
なぜだ。
やっぱりだ。
夢色のフィルターがアラヤーの世界を覆っていく。
「ちがう・・・ちがう。このひとたちが、わるいおとななんだ」
愛してくれない大人にはどうするか、不思議とアラヤーには分かった。背の高い男を睨み返すと、また魔法を撃ってきた。だが、火傷なんていまさら恐くなんてなかった。
アラヤーは火球を素手で払い除けて、背の高い男に飛び掛かり、力任せに押し倒し、そして触手で全身を渾身の滅多打ちにした。悲鳴すら一瞬で途絶えた。
アラヤーがゆらりと立ち上がると、残った男と女は血相を変えて逃げ出した。きっとこのまま”いせき”まで逃げて閉じ籠もるつもりなのだ。アラヤーの力が及ばない、あの白いシェルターの中に。
「・・・あは」
まるでイカかタコのように全身ぐにゃぐにゃになって動かない男を”わにくま”の死体と一緒に放り捨てて、アラヤーは逃げた2人を追った。
地面を這いずる彼らより、枝を次々に飛び移るアラヤーの方が数倍速い。追いつくには10秒もかからなかった。
「Dannazione! Che diavolo è quel mostro?! Dannazione! Dannazione!!」
「Aspetta. Cosa farete?!」
「Dovresti scappare!! Fermerò quel mostro proprio qui!!」
やはりなにを言っているのかはさっぱり分からなかったが、男が1人で立ち止まった理由はなんとなく理解出来た。女を守って逃がそうとしているのだ。
アラヤーは、構わない、と思った。どのみち3人ともやり返すつもりだったから。
男がなにやら魔法を唱えようとしたが、アラヤーは男が唱え終わるより先に自分の魔法を撃ち終えていた。せっかく額を狙ったのに、半端に避けようとしたものだから、水弾は男の右目を貫いた。だが、男は顔の右側を手で押さえながら、なおもアラヤーを攻撃してきた。
しかし、片目になっては狙いも碌に定まっておらず、アラヤーはヒョイヒョイと魔法の弾幕をすり抜けた。そもそも、魔法を使うためにいちいち詠唱なんかしないアラヤーにとって、この男はあまりにも鈍間すぎた。
ただ、大人の彼らよりも自分の方が強いことにはさほど驚きはなかった。だって、アラヤーはこの森の女王様だったのだから。
水の散弾を胴に浴びた男は倒れて動かなくなった。そんなことより、逃げた女だ。この男に逃がされた、あの女だ。
追いかけると、女はちょうど”いせき”の扉を開けるところだった。開き始めの扉の隙間に体をねじ込んで一刻も早く中に入ろうとする女の腕を、アラヤーは触手を伸ばして捕まえた。
「ダメだよ、にげたら」
女は金切り声で泣き喚くが、アラヤーにはそれが無性に気分が良かった。自分が相手を支配しているという実感。言ってしまえば、森で獣を追い詰めて狩り殺すのと同質の昂揚感だった。アラヤーは女を”いせき”から引き剥がして、暴れるので触手で宙吊りにしてから両腕を引き千切ってやったら静かになった。地面に落ちてビクビクと痙攣する女をしばらく見下ろしていたアラヤーは今日一日たくさん動いた疲れを思い出して腹を鳴らした。
○
おなかが満たされると、さっきまでアラヤーを支配していたイライラも落ち着いた。
つい人を殺してしまったが、案外なんということもなかった。昔は絶対ムリだったような気もしたのだが。ただ、近付いただけでああも強く拒絶されたことだけは、かなりショックだった。
冷静になった頭で殺した女の残骸を見つめ直し、アラヤーは気が付いた。
「そっか。ふつうのひとにはしょくしゅなんてないもんねぇ。そりゃビックリするよ」
これまで考えたこともなかったが、そういえば触手を引っ込めて普通の人間の姿に戻ることは出来るのだろうか。もしもそれが出来たなら、きっと今日のようなことは起こらなかっただろう。
「のばすときの・・・ぎゃく?こう・・・こう?ちがうなぁ。こうかな?あぎっ!?!?」
いろいろ試すうちに当たりを引いたらしい。触手を引っ込めるというよりもむしろ”力を抜く”ような感じだった。触手は突然、真っ黒な煙か霧のようになって消えた。しかし、同時に体が千切れるような激痛がして、アラヤーはしばらく呼吸も出来なかった。
このときのアラヤーは自分の触手の由来も性質も十分に理解していなかったので驚くのも無理ないが、長期間生えっぱなしだった触手には手足に匹敵するほどの密度で神経が通っていた。それがいきなり消滅したのだから、あながち体が千切れるような痛みという表現も間違いではなかった。
「っ、か、かはっ!!ひゅゥ・・・はっ、はぁ・・・。な、に・・・これ・・・いだいぃ・・・!!」
ようやく息を吸える程度に落ち着いたアラヤーは自分の腰を見た。いまので体が壊れて触手が使えなくなっていたらと思うと、不安で仕方なかった。しかし、それは杞憂に終わり、アラヤーが望めば触手は再び生えてきた。そして、もう一度触手を消しても、さっきほどの痛みは襲ってこなかった。
「はぁー。よかった、よかった」
さて、触手の扱いについてまたひとつ学んだところで、これからどうするか。
実は、アラヤーにはさっきからものすごく気になることがあった。食事を優先したため放置していたが、アラヤーの足元の白い建物、つまり”いせき”の扉は女が開けたきり開きっぱなしなのだ。
騒ぎの割に、”いせき”から新しく人が出てくることはなかったし、ちらっと中を覗いた限りではそもそも人間の住処かさえも怪しい空間があった。
久々に冒険心をくすぐられたアラヤーは、さっそく”いせき”の中をもっと詳しく調べてみることにした。
いきなりビックリだったのは、内部を照らす光が電灯のものだったことだ。それから、やはり人が暮らすための部屋ではなさそうだった。トイレや水浴びは外でもなんとかなるとして、それでも何人もの人間が寝られるようなスペースも、数日分の食料を保存しておけるような場所も見当たらない。地下室があるわけでもない。それから、外の様子が見える窓もない。
ただ、部屋の奥に大きな魔法陣が浮かんでいた。そして、その脇には謎の機械も設置されていた。さすがに無知なアラヤーでも、魔法陣と機械が関係あることくらいはなんとなく察することが出来た。
「このキカイ、いりぐちのとにてるかも」
では、入り口の扉を開くための機械はどうやったら動いたか。女がなにをどうしていたか、アラヤーは両方のこめかみを人差し指でグリグリ押して思い出してみた。
「あ。そういえば・・・!」
なにかを思い出したアラヤーは、パタパタと”いせき”を飛び出して、女を殺した付近の地面を探した。
「あった!」
見つけたのは、血で汚れてしまってはいたが、女の顔写真がついていて、白地に緑色の線が入ったカードだった。確か、女はこのカードを機械に当てて扉を開いていた。
「―――と、おもいます!」
カードを持って”いせき”の中に戻ったアラヤーは、さっそくいろいろと機械の操作を試してみた。分かりやすいボタンやレバーはなく、完全なる手探りだ。
気になるのは、機械の台座に付いている山のような形をした部品だ。山の半分くらいでちょうどカードが挟まる程度の隙間が設けられていたが、そこにカードを立ててみても反応はない。立てる向きも関係がなさそうだし、タッチさせるのでもない。あれこれ試して結局また隙間にカードを立てるところまで戻って来た。当然、1回やってダメだった方法が正しいはずもなく、落胆したアラヤーは別の方法を試すためにカートを取ろうとして、うっかり指を滑らせてしまった。意図しない力を受けたカードは、隙間の中を滑って機械から飛び出し、床に落ちた。
「おっとっと」
落ちたカードを拾おうとしたとき、不意に機械がピロリンと鳴って、アラヤーは驚き慌てて顔を上げた。
「なんで!?なんで!?」
機械の画面に英語・・・?で、なにか表示されていて、それを読めないアラヤーが慌てていると次は機械の隣の魔法陣が強く輝いて回転し始めるので、さらにビックリ。魔法陣といえばとりあえずなにかが飛び出すイメージしかなかったアラヤーは咄嗟に頭を抱えて縮こまり、触手で全身を包み込んだ。
しかし、予想に反して何事も起こらなかった。アラヤーは恐る恐る防御を解いて、魔法陣に近付いてみた。
「んー?ヘンなの。さわっても、だいじょうぶ・・・だよね?」
指で魔法陣をつつこうとすると、アラヤーの指はそのままスッと消えてしまった。
「うわっ!?うわうわなんで!?」
驚いて手を引っ込めると、指はちゃんとくっついていた。消えたわけではなかったらしい。ということは、どうだろう。今度は魔法陣に足を入れてみた。すると、やはり足は消えたが感覚はちゃんと残っていた。軽く足を動かして魔法陣の向こう側の様子を探ると、そちらにも足場があることに気付いた。そこでアラヤーは思い切りが付いて、息を止め目も閉じて、全身で魔法陣をくぐった。
立っている感覚がした。おっかなびっくり目を開き―――アラヤーは、目を限界まで見開いた。
「―――ここ、しってる」
極彩色の異次元空間が果てしなく広がっていた。忘れるはずがない。この森にやってきたあの日、アラヤーはこの奇妙な場所を落ちてきたのだ。
だが、あのときと違ってアラヤーはうっすら白く見える足場の上に立っていて、その上を自由に歩いて渡ることも出来た。似て非なる場所ということか。
「あ」
白い道の先に、光が見えた。
夢の記憶と重なって、心がザワザワした。
だが、同時にあの光の向こうに別の場所があることも直感した。夢のときと違って、アラヤーはあの光の先へ行く自由が与えられていた。
そこに待つのは、豊かな新天地か。それとも冷たい地獄か。握り込んだ両手にぬるりとした汗が滲んでいた。
いま引き返せば、住み慣れたあの森に戻れる。
でも、その選択は一生の孤独かもしれない。
光の先には人間の国があるのかもしれない。
でも、いまさら少し人間が恐くなった。
いいや、大丈夫だ。
アラヤーは強い。強くなった。
このまま進んでも、きっと幸せなことばかりじゃない。また辛い思いもするかもしれない。
でも、大丈夫だ。アラヤーは生きる強さを手に入れた。
きっとなんとかなる。
ずっと独りで森に居るよりも。
一緒に居てくれる誰かが欲しかった。
「―――いこう」
4月から働き始めなので引っ越し等含め来週以降もしかしたら投稿が滞るかもしれません。行間③下はストックあるので、まぁぼちぼちお待ちください。
過労死してでも投稿は続けますからね!!死んだのに投稿が続いてても神職の人呼んできて祓ったりしないでください!!