episode8 sect25 ”ノイズ”
成果も、被害も、一央市ギルドの『ブレインイーター』捜索活動には日本全国があらゆる点で注目していた。よって当然、その最中に起きた事件は全国ニュースであっという間に知れ渡った。
西郷大志が帰らぬ人となった。
10月24日。その事件の翌朝には、マンティオ学園の生徒たちの間にも大きな混乱が起きていた。やや口が悪いきらいがあったあの教師に苦手意識を持っていた生徒も少なくなかったが、一方で真面目な仕事ぶりと生徒思いな一面から彼を信頼しない者はいなかった。
それ故、ニュースを見た程度では現実味が湧かず、生徒らの噂話もどことなく四月馬鹿じみた半信半疑な様相を呈していた。いつもなら校門で仁王立ちする彼がいないが、他の仕事で今日は立っていないだけかもしれない・・・といった具合に。
3年1組の教室では、生徒会長の豊園萌生の隣の席の机に風紀委員長の柊明日葉が腰掛けて、互いになにやら難しそうな顔をしていた。
「なー、萌生。ダンジョンでサバイバル実習やんのってさ、今週だったよね?」
「うん。私たち3年生は明後日からね。・・・予定では、だけど」
「できんの?」
マンティオ学園が9月から導入したダンジョン実習の科目担当教諭は死んだ西郷大志だった。カリキュラムの設定から実施方法、そして実際の指導まで、あらゆる段階に精力的に関わって学園初のチャレンジにおいてリーダーシップを発揮してきたのは彼だ。明日葉は、大志がいなければダンジョン実習自体が成立しないのではないかと心配していた。
しかし、萌生は明日葉の心配の理由を訂正した。
「あーちゃんが言うことも確かだとは思うわ。でも、もっと根本的な問題があるのよ」
「つーと?」
「だって、仮にこのあと西郷先生が何事もなかったように帰ってきたとしても、そもそもダンジョン実習が出来なくなっちゃうかもしれないんだから」
より現場的な演習が出来るダンジョン実習は、特別魔法科の3年生には全体的にウケが良い。これまでの2年と半年をかけて培ってきた知識や技術を燻らせていた生徒はかなり多かったからだ。高総戦や新人戦といった魔法戦の舞台のためだけに学んできたわけではない。プロの魔法士には戦闘技術だけではなく、過酷な環境で生き残り、目的を達成するための実践的なノウハウも重要なのだ。
もっとも、明日葉はそこまで真面目に考えているわけではなかったが、ダンジョン実習には未だかつてない充実感を得ていたため、萌生の考えに嘆息した。
○
先日『ブレインイーター』に襲われた2年生の焔煌熾は、今日になってようやく退院だ。そして、遂に出てしまった西郷大志の犠牲。この頃は一央市ギルドが『門』を保有するダンジョンに『ブレインイーター』が高頻度で出現するようになったことは、偶然か否か。果たしてマンティオ学園は今後どのような対応を取るべきなのだろうか。
大志を失い通夜然とした職員会議の場に、ほんの少しでも自身の望みの可能性を守りたい一人の女子生徒が乗り込んできた。
○
その翌日には1限を潰して、今年二度目の臨時全校集会があった。もちろん西郷大志の件とダンジョン実習の今後についての話だ。話す教頭の三田園松吉が落ち込んだ様子でいたのは、彼が大志を気に入っていたからなのだろう。
集会が終わって、少し遅れて教室に戻ってきた真波が全員に1枚のプリントを配布した。ダンジョン実習参加継続同意書だった。
「必ず家の人としっかり話をしてから決めて下さい。急で申し訳ないけど、金曜日の午前までには提出してください。集会で教頭先生が言っていたように、まだそもそも実習自体が継続出来るかは分からないけど、それについては今日このあと保護者説明会次第だわ。私たち学園としては継続するために手を尽くすつもりだけど、それはこちらの意思であって、あなたたちに強制するものではありません。仮に実習の継続が叶ったとしても、無理して参加し続ける必要はないから、ちゃんと各自で考えるように」
真波の口調は、実習が始まった当初から酷く翻って厳かだった。
それもそうだろう。
「私たちは学園で学ぶあなたたちの意志をなにより大事にします。どれだけ信頼してもらえるか分からないけど、それでも、私たちはなにがあっても必ずあなたたちを守り抜くと誓うわ。だからあなたたちは選んで。自分たちの安全と、学びの機会、どちらを優先すべきかを。実習に参加するリスクが、得られる経験に見合うかどうかを」
迅雷は手元の用紙に視線を落とした。こんな紙切れ1枚、しかも提出するときには切り取り線で4分の1くらいのいっそう小さな紙片と化すようなものが、真波たちにとってどれほど重たいものになるだろうか。本当は金曜日まで誰も「参加する」に丸を付けて来ないことを望んでいるかもしれない。守れなかった迅雷には、そういう感情が容易に想像出来る。だが、真波たちはそれでもマンティオ学園の教師たらんとしている。自分たちの人生だってあるはずなのに。生半な決断ではなかっただろう。
○
真波が言っていたように、その日の学校はダンジョン実習に関する臨時の保護者説明会があるために午前の授業だけで放課された。迅雷はいつものようにそそくさと帰り支度を始める雪姫を見つけ、友達との話を中断して彼女を捕まえに行った。
「おーい、天田さーん」
「チッ」
雪姫はただ舌打ちだけ残して、足を止める様子も見せない。夏姫が言っていたことも気になるので、なんとか引き留めたい迅雷は廊下に出た雪姫を追いかけ、肩に手を伸ばす。いつもの雪姫ならこういうことをすると躱されるが、それでも足を止める程度は出来るはずだと踏んでのことだった・・・が。
「うおっ!?」
迅雷は慌てて頭を抱えてしゃがんだ。ブゥン、と豪快な音を纏った雪姫の裏拳が、恐らくは迅雷の顎を薙ぎ払うつもりだったであろう高さを通過した。なんとか躱したかと思えば、また舌打ちが飛んできた。
「いい加減、しつこいんだけど」
「だ、だからって殴らなくても・・・」
雪姫はなんだかんだ言ってそれほど暴力に訴える性格ではなかった。そんな彼女が自ら手を出してくるあたり、やはり気が立っていると見て間違いなさそうだ。
「なぁ、どうしてそんなイライラしてるんだよ」
「知らん」
「こないだのことだったらお互い様ってことで良いじゃん」
「憶えてない」
まともに答えず立ち去ろうとする雪姫の背中に、迅雷はせめて聞いておきたかった言葉を投げかけた。
「『ブレインイーター』のこと知ってるんだろ!」
「・・・は?」
「話をしよう!あいつについて、ちょっとで良いから」
「ッ・・・だから、アンタは・・・何様のつもりなの。知ってたらなに?アンタにはカンケーないでしょ?なんで話さなきゃなんないワケ?頭沸いてんじゃないの?」
唾でも吐き棄てるようだった。
雪姫はすんでのところで堪えたのか声を荒げはしなかったが、その分、足音が少し鋭くなっていた。
結局それ以上はなにも引き出せなかった。迅雷は、雪姫の静かな気迫に押されて一瞬でどっと疲れてしまった迅雷は、力なく廊下の壁にもたれかかった。
「今日も盛大にフラれてんの」
「うるせぇよ」
様子を見ていた真牙にからかわれ、迅雷は苦笑した。雪姫の罵倒だけは未だに慣れが来ない。駅で他の女子高生に片っ端から痴漢をしたってここまで心にグサグサ刺さる声音で罵ってはもらえないことだろう。
「やっぱり、なにかはあるんだな」
その”なにか”を知りたかったのだが―――しかし、あの様子ではあまり良い思い出ではなさそうだ。迅雷とはなにかが食い違っている。迅雷にとっての『ブレインイーター』と雪姫にとっての『ブレインイーター』は、ひょっとしたら大きく異なる存在なのだろうか。なんだか落胆しそうになる自分を否定するために、迅雷はわざとらしく首を横に振った。雪姫が自分と同じことを感じている可能性に勝手に期待したのは迅雷だ。
ただ少なくとも、これでハッキリした。最近の雪姫が抱えている苛立ちの原因は、夏姫が言っていた通り『ブレインイーター』で間違いない。
●
「お金のこととか考えないとなぁ―――」
今日もギルドでは門前払いされた。
空を見上げて家路をトボトボ歩く。
こんなことじゃダメだ。
誰かがやってくれるんじゃダメだ。
このまま会えずに終わるのなんて絶対に嫌だ。
5年ぶりなのだ。
もう二度と出会うことはないはずだった。
いまの気分を言い表すなら、この広い星の大地と海を制覇した果てに突然目の前に空想の産物と思っていた理想郷が現れたような昂揚感だ。
もういっそ力尽くでギルドに押し入って、甘菜あたりを人質に取って『ブレインイーター』の捜索に参加させてくれるよう脅してみようか。甘菜の好感度ならみんな彼女を助けるために言うことを聞いてくれるような気がする。
なんでも良いから、どんな手を使ってでも『ブレインイーター』にまた会いたい。
「・・・はは。これじゃまるでヤンデレか」
乾いた笑いは風に乗って消えた。
誰になんと思われようが構わない。
―――話をしよう!あいつについて、ちょっとで良いから。
「・・・意味分かんない。マジでなんなの」
ただ、雪姫には神代迅雷だけが分からない。分からなくなってきた。
あいつとあたしでなにが違う?
民連の交流式典。
たくさんの命が理不尽に奪われた。
なにも、それこそ、国さえも残らなかった。
あいつも、自分の指の隙間をすり抜けて消えた命を数えたはずだ。己の無力さと浅はかさを呪ったはずだ。あのときどうしたら良かったんだろうと何度も答えを求めて苦しんだはずなんだ。
なのに、なんでヘラヘラ笑っていられるんだ。
分からない。
―――雪姫のせいで死んだんだよ。なにが違うの?この人殺し。
あいつとあたしでなにが違う?
「偉ッそうに・・・!!」
思い出すとさらに腹が立ってきて、雪姫は歩道のガードレールに当たった。鋼板があっさりひしゃげる、聞いたこともない狂った音で歩行者たちが凍り付く。
舌打ちをひとつ。関係ないことだ。迅雷も、他の誰も彼も。迅雷は『ブレインイーター』について他の人間と違うスタンスを取っているようだが、どうだって良い。
雪姫の望みはただひとつだ。
『ブレインイーター』ともう一度会って、そして今度こそ―――。
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久々に出勤した警視庁魔対課A1班のオフィス。扉の名簿には見慣れた名前が2つ足りない。
冴木空奈が戸を開けると、見慣れない・・・わけではないが、なじみの薄い顔がひとつ。艶のある黒髪の育ちの良さそうな男だ。
「えらいマジメな新入りが来るっちゅう話は聞いとったけど、ははー、なるほど。ドえらいマジメなんが来たもんや」
「相変わらず敬語が使えない人だなぁ・・・。一応俺の方が年上だと言ってるだろう。怪我はもう良いのか、冴木?」
「は?良いワケないやろボケ。ウチがなんで帽子被っとる思てんねん。ま、リハビリは終わったし仕事に支障はないで。班長の頼みやし、勘を戻すにはちょうどええわ。これからよろしゅうな、瞑矢くん」
「こちらこそよろしく」
そう言って、瞑矢は新生A1班の初仕事の資料を空奈に手渡した。といっても、いつもと比べれば大して分厚い紙束ではない。言うなれば、高校の野外活動のしおりのようなものだ。