episode3 sect2 ”転校生は時期外れに”
迅雷はようやく納得した。
「そういうことかよ」
○
ゴールデンウィーク明け1日目、5月9日月曜日のひさしぶりな学校の朝のショートホームルームにて、迅雷が1人休み中もずっと悶々としていた疑問が解決された。それは、担任がホームルームにて放った言葉と、連れてこられた少女の登場によって。
「はいみなさん、注目ー。んなんと!今日は時期外れな転校生がいまーす!・・・え?男か女か?ふっふっふ、喜べ、男子!」
なんともいつも通りだが、テンション高めにテンプレな台詞をばらまく真波。しかしながら、その一言だけで教室が―――――より正確には男子が沸き立った。こういうイベントはかなりレアなので、女子も新しいクラスメイトには期待を寄せている様子だったが、まぁ男子の方が熱いのはお約束である。
それにしても、まだ5月だというのに、しかもこの魔法科専門と名高いマンティオ学園へ転校してきたというその人物。なんだか只者ではなさそうである。
真波は教室のドアは開けずに、廊下で待っているその転校生を呼んだ。するとそちらからは軽やかな少女の声で返事が返ってくる。
扉を開けて入ってきた少女が見せたのは、深青色のセミロングと、健康的な小麦色の肌、鈍色の大きな瞳。髪の毛先は癖毛が逆にキレイにまとまってカールをかけたようになっていて、全体的に整った容姿。雰囲気としては、どこか小悪魔ギャルっぽい感じもある。
少女は、真波に促されて黒板に自分の名前を書き始めた。・・・アルファベットで。
――――― Nebbia Annegamento ―――――
黒板を見つめる生徒のほぼ全員が目を点にした。だって英語ですらないようだし、高校1年生の彼らに分かるわけがない。日本語でオーケー。でも意外と何語か尋ねる人がいなかったのは、案外ローマ字読みでカタカナに直せなくもないような感じだったからか。
それと一応触れるが、分からずに首を傾げたのはあくまでほぼ全員である。残った若干名は、困り顔をする代わりに顔をしかめた。
「どうも、みなさん」
黒板にはさらさらとアルファベットを並べたくせに、その転校生は流暢に日本語を話し始めた。
じゃあ初めからカタカナで名前書けよ、というツッコミは野暮である。それに、みな彼女に見入っているから今はそういうことはどうでも良かったのかもしれない。
そして、転校生はニコリと微笑むのだった。
「私はネビア・アネガメント、カシラ。気軽にネビアでいいわ」
●
よろしく、と言って真波に指示された空席に座るネビア。そんな彼女の席というのは、なんとも普通に真ん中の方の列の一番後ろに机を1個足しただけだった。
真波がネビアに黒板はきちんと見えるかどうかと聞き、ネビアはまたニコリと笑って頷いた。
迅雷は大人しく席に着いてニコニコしているネビアを眺めつつ、数日前に彼女に出会ったこと、そして千影に言われたことを思い出していた。こうして見る限り、彼女は非常に愛想の良い少女にしか見えなかった。多少キャラが強いのはあるかも、というかあるのだが、やはり迅雷はあの少女を警戒する理由が持てなさそうな気がしていた。
無論、千影の言葉が信用出来ないわけではないのだが、その場合の信用というのがネビアへの不信であるために、なかなか割り切れずやりきれず・・・、というのが迅雷の心情なのだ。
不意に気になって真牙の方をちらと目配せをしてみると、彼もまた悩んでいるような顔をしていた。言い方が変かもしれないが、真牙もまたネビアの第一発見者であり、迅雷を除けばあのとき千影の警告を聞いていた唯一の人物だったので迅雷はその顔色を窺うことにしたのだが、やはり思うところがあったのだろう。
結局同じような顔をしているだけの彼を見ていてもなんにもならないので、迅雷は溜息と共に机の上に視線を落とした。
新しいクラスメイトに、そんな迅雷や真牙の複雑な感情を知らない教室のテンションは上がり、結局話も出席確認も全部なあなあに朝のホームルームは終了した。
●
「ねぇねぇ、ネビアちゃん!あなたってどこの国の人なの!?」
「ネビアちゃんって、前の学校どこだったの!?」
「ネビアたん、はぁはぁ・・・」
「ネビアちゃんの得意科目は!?」
「ネビアちゃんの魔力って何属性!?」
もう誰が喋っているのか分からない、恒例の転校生への質問攻めタイム。冷静な人ならばこう思うだろう。「どうせこれからずっと一緒なんだし、話を聞く機会くらいいくらでもあるだろう」と。その意見は、まぁどうしようもなく正論なのだが、人と人との関わり合いというのは案外、基本的にそんな悠長なものでもないものだ。なにかドラマチックなことでもない限り、普通人付き合いというものはその環境で最も付き合いの長い人に依存する傾向があるものだからだ。
要は、ネビアとの接触、仲良くなるのも早い者勝ち、みたいなものだ。この際、質問の内容なんて瑣末な問題だったりする。
・・・などというのは、少なくとも質問をする側にとっては、の話だが。実際はこんなに同時に押しかければ早い者勝ちも関係ない。
「まーまー、落ち着いてよ、カシラ。順番に来てくれないと私の頭がパンクしちゃうよ、カシラ」
ネビアはそう言って、自分の席に群がってきた有象無象を上手に宥めてから微笑んだ。
「まずはどこの国の人、だったかな?カシラ。うんうん、一応イタリア人、カシラ。あ、でも日本語は全然問題ないので日本語でオッケー、カシラ」
発言にどよめきが起こる。あまり外見からしてネビアは欧米人っぽくは見えないのだが、彼女は自分をイタリア人と言った。だとしたら、日本語ペラペラな彼女はああ見えて意外に勉強熱心なのかもしれない。ちゃんと「全然」のあとに「大丈夫」ではなく「問題ない」と繋げた辺りからして無駄に細かいところまで文法に律儀なくらいだし。
外国人が日本人よりも日本語を正しくに使える、という意見もあながち間違っていないのかもしれない。
しかし、ネビアは爪を噛んでいた。顔は笑顔のままで。
「次は・・・前の学校、だっけ?んー、みんな知らないんじゃない?カシラ。群馬県の地方の高校だったのよ、カシラ」
なんと、あの秘境。それを聞いても分かりそうにないのでこの話題は即終了。恐らく野次馬の多くは外国の魔法科高校か、国内ならばオラーニア学園あたりだと踏んでいただろうから、意味もなくこの返答にドンヨリとしている。
ここでもまた、ネビアはニコニコと爪を噛んでいた。そんなに美味しいのだろうか。
そして、次の質問者(?)の対応に入る。
「で、あなたは・・・ハァハァ、だっけ?カシラ。ふふ、私、可愛い?」
変態野郎にも上手に対応するネビアには賞賛の声があがった。
ネビアは甘えるような声を出してから両手の人差し指を両頬に当てて上目遣いをし、その男子を見上げた。とんでもないあざとさだったが、もとより小悪魔っぽい見た目のネビアがそれをやると逆にしっくりきてしまうものだから敵わない。
薄い桃色の唇はきちんとアヒル口にされているのに誰も「うわぁ」とならないのは、可愛い人がやれば様になってしまうからである。野次馬の男子が歓喜狂乱、雄叫びを上げて女子が耳を塞ぐ。所々目も手で覆っている女子がいるのは、きっとこの世界の残酷な格差を見ないように頑張っているからだろう。
ネビアは今回ポーズに両手を使っているので、爪を噛んではいなかったようだ。
「では次の質問言ってみましょー!カシラ。で、得意科目、だった?カシラ。うーん、体育?カシラ。私、体動かすのが大好きだからね、カシラ」
さばさばと快活な口調で話すネビアがそう言うのなら納得出来る。出来る・・・のだが、ただその場で妙にエロいポーズを取って体をくねらせている彼女を見ている限り、その「体育」というのがなんか違う「体育」のことを言っているように見えて心配になる。それもどうせわざとやっていることなのだろうけれど。
今度も頭の後ろで腕を組んでいたネビアは、格好的に爪を噛むことはしなかった。
「そんで次は、私の魔力、だったっけ、カシラ。ふっふっふー、聞いて驚けー、カシラ」
無駄に勿体ぶるネビア。どうせ6パターンしか属性はないというのに。あるいはそれとも、雪姫の氷属性魔力のような亜種系、または「二個持ち」なのかもしれない。そう感じた生徒たちは、もしかすると珍しいものが見られるかもしれないという期待の目をネビアに向けた。
こればかりは彼女の席に集まっていなかった他のクラスメイトたちも気になったのか、みな好奇の目を向け耳をそばだて始めた。さすがはマンティオ学園の生徒たちである。
それから、みなの視線を十分に集めたネビアの口元が妖しく、うっすらと緩む。それはまるで勘違いした観衆を嘲笑うかのようにうっとりと、妖艶に。
「黒、カシラ」
黒。ネビアは己の魔力色を今黒だと言った。
しばしの重苦しい沈黙。不審がるどよめき。後ずさる生徒すら数名。
だって、そんなわけがないだろう。黒色魔力とは本来人間が持つ力ではない。それこそ、人の姿をして黒色魔力を操る生き物なんて―――――悪魔、しかいない。嘘でも本当でも、悪い冗談だ。
ここにきて、迅雷は一瞬だけネビアの視線を受けた。なにかを窺うような目をしていたが、彼が首を傾げる前にはもう視線を戻してしまっていた。
そして、ネビアは弾けたように笑い始めた。
「プッ、キャハハハハハ!!なによ、みんなそんなマジな顔して!カシラ!冗談に決まっているわ!カシラ!プハハ!」
ヒィヒィと苦しそう笑い転げるネビアの周りでは、再度どよめきが巻き起こった。今度のどよめきは困惑にベクトルが変わっているが、どちらにせよやはり彼女のテンションの高さというか、ブラックジョークに翻弄されっぱなしである。
しかし、意外に愛想の良さげな彼女だったので、こんな冗談にならない冗談を言うとは誰も思ってもみなかった。もしかすると少し常識やモラルに疎いのかもしれない。
やっと腹のよじれから抜け出したネビアは、改めて口を開いた。
「私の魔力は青よ、青。水属性、カシラ」
まだまだ楽しそうに笑いの余韻に浸りながらネビアは人差し指を軽く回し始めた。すると、彼女の指先が通った空間に綺麗に透き通った水が生成し、少し前をゆく指を追うように一緒にクルクルと回り始めた。
青色魔力というのはさすがに本当のことだったようだ。
「へへ、他に質問のある人はいる?カシラ」
●
この日の3時限目は実技魔法学、魔法士を目指す上で重要となる実践的な魔法の使い方を学ぶ授業だ。まだ5月のこの時期では1年生の実技魔法学は基礎の練習が主なのだが、ゴールデンウィーク明けでみんな体も鈍っているということで、どのコースも軽い模擬戦を行っていた。結局、その方が感覚を取り戻すのは早いし、なにより生徒のやる気も起こしやすいのだ。
というわけで、通常魔法コース―――剣や銃などの武器を使わない、手から火や水を出す魔法あたりを扱う魔法士としてはスタンダードなスタイル(と言いつつ、実は結界魔法という激レア魔法もこちらに含まれている)のコースの生徒たちは現在、学校の小アリーナで模擬戦を行っていた。・・・のだが、どうにも盛り上がり方が慣らし程度の模擬戦のそれではないようだった。
全員の視線がたった2人の少女に注がれていた。片やもはや学内最強とさえ謳われる美少女新入生、片や謎の時期外れな美少女転校生。色彩に欠けて無機質な世界に花を飾っているのは、雪姫とネビアだった。
全員が試合をする流れだったにも関わらず、2人しかフィールドに上がらずに他全員が上の観客席に座っている。この事の発端は、ネビアが雪姫に試合を申し込んで、意外にも雪姫がすんなりと受け入れたことにあった。
かなり高い強度を誇り、特大型魔法陣レベルの魔法が直撃しても完全に破壊しきるのは困難だと評判の近未来的デザインのタイルがアリーナ内部の床も壁も覆っている。また塗装は空色や紺色にされていて、真っ白よりは眩しくなく、照明を調整することで非常に視界は確保しやすくなっている。まさに底の知れない彼女らが試合を行うにはうってつけのステージである。
今は一度に3試合は平行して行えそうなアリーナも、2人のためだけの空間となっていた。
そして、教師の合図と共に試合は開始された。
○
「目からビーム!カシラ!」
「っ!?」
ナメた技名と共に、2筋の高圧水流が空間を貫き、最終的に壁に当たって激しい霧を生みながら止まる。
水流の発生点は技名通りネビアの両目だった。いや、正確には文字通りの意味で目の前に魔法陣を展開しただけなので、そんなマンガの大泣きみたいに目から本当に水が噴き出したわけではないのだが。
と、そんなふざけた名前の攻撃ではあったが、その威力、弾速、狙いの正確さは非常に高かった。初手の直立状態からの不意打ちのような「目からビーム」には、あの雪姫ですら全力の回避をした。思わぬ出だしに会場がざわめき立つのが分かる。
「チッ、なによ今のフザけたのは」
「いやあ、まさか避けられるとは思わなかった、カシラ。やっぱりあなた強いのね、カシラ」
不敵に笑うネビアに、返事の代わりに轟音を立てて雪崩が襲いかかった。絨毯爆撃のような純白の粉雪が、一切の容赦もなく一面すべてを押し流した。回避する隙間もない変幻自在の雪の津波がフィールドを真っ白に染めていく。
○
「うわぁ、あれはさすがにやりすぎなんじゃ・・・」
観客席で唖然としていたのは慈音だ。どう見ても雪姫の繰り出したあの攻撃は個人に行う規模ではなかったような気がする。一撃目への腹いせだったのかな、などと慈音が考えて無理に納得しようとしていると、隣から荒い鼻息が聞こえてきた。
「と、友香ちゃん!?」
「す、すごいすごい!さすが、なにアレ、なんかもう、すごい!」
もう「すごい」しか言えなくなるほど興奮しているのは友香だった。その目は血走って、鼻からはツツー・・・と赤い液体が流れてきている。変態だ。・・・でなくて、大変だ。
普段は大人しい大和撫子な彼女の真の姿は、熱狂的な視聴者系バトルマニアである。彼女と付き合いの長い向日葵曰く、友香は最低でも1日3時間はバトル成分を摂取しないと貧血で倒れる不思議な体をしているらしい。重症だ。
せめて解説とか実況とかが出来ればマシだったものを、本当にハァハァいいながら試合に釘付けになっている友香には、個性に寛容な慈音でさえもさすがにドン引きしていた。
「ねぇ、友香ちゃん!?すごいのは分かっ・・・あぷっ」
興奮し過ぎて死にそうな友香の肩を揺すって正気を取り戻させようとする慈音だったが、友香に思い切り手で顔を押し退けられて台詞すら最後まで言えずじまい。
しかしこれしきで諦める慈音ではない。大きく息を吸って、友香の耳元に口を寄せる。
「友香ちゃーん!とりあえず鼻血とよだれを拭こう!ね!あと良かったら目薬もあるからね!」
耳元で叫ぶ慈音に、やっと友香も気付いた。
「・・・ハッ!?あ、ごめんなさい!は、恥ずかしい・・・」
最初は垂れてくるだけだった鼻血もいつの間にか流れ出るようで、この分だと鼻血のせいで結局貧血でぶっ倒れるのではないだろうか。慈音が友香にティッシュを渡してこの場は収まったものの、この流れだと高総戦期間に入ったあかつきには彼女の身が保たないのではないのかと、今から既に心配になる。
「でも、これだとさすがにもう勝負あり、かなぁ?」
未だに地面を荒れ狂う雪白の暴威は、まるでそれ自体が意志を持って押し潰された人間をそれでも執拗に揉み潰そうとしているかのように見える。
しかし、そう呟いた慈音に誰ともなく返事が返ってきた。
「上だ!」
○
「うわぁ、カシラ。あれ食らったらさすがに死ぬんじゃ・・・カシラ」
眼下に広がる遠近感を失った白い世界に、ネビアは固唾を呑んだ。とはいえ、あんな殺人的な攻撃をなんの躊躇いもなく行ってきたということは、恐らくネビアには上下に回避されるであろうことも織り込み済みだったというわけだろう。
面白い。敵の行動に一定の信頼を置くなど、本当に面白い。そして、相手の思惑に乗っかりながらも翻弄し返してやるのもまた面白い。かといって瞬間移動が出来るわけでもないのだから、空中にいる間に取れるモーションも限られてくる。
「ハハハッ!これは楽しいっ!カシラ!」
「なによ、それ。人間の跳躍力じゃないでしょ」
床から20m以上はあるアリーナのドーム型の天井に純粋な跳躍力だけでひとっ飛びに到達して難を逃れたネビアを見て、雪姫が虫でも見るような顔をした。しかも、ネビアはクモのように天井に張り付いて移動出来るときた。なにかしらのタネがあるのは間違いないが、こんな曲芸、どう見ても人間業ではない。出来たとしても前衛の脳筋共がランク5とか言い始めたくらいでもしかしたら、くらいではないだろうか。
呆れ返る雪姫は、しかしそれ以上のリアクションはしない。
「ホラホラ、カシラ!」
上空からは巨大な水の爆弾が際限なく投下されてくる。ニヤニヤと、ネビアは妖艶に笑っていた。
着弾しては洪水を巻き起こす水の爆撃を、雪姫は一つ一つひらりと躱していく。一見してそのサイズや二次災害から回避困難だと分かる攻撃を乱発されながら、雪姫はまだまだ涼しい顔をしていた。
「へぇぇ、ホントにやるぅ!カシラ!ならばこれはどうだ!カシラ!」
広い天井を埋め尽くすほどの巨大な水の爆弾が、ネビアの舌なめずりと同時に生まれた。大概室内戦では技術よりも威力と規模がものをいうことをネビアは知っている。
今度こそ絶対回避不可能の水の爆弾。着弾すれば、フィールド全域は大瀑布になるだろう。
容赦は、しない。知らないから。
「キャハッ!カシラ!」
実に愉快そうな笑い声と共に、それは投下された。
雪姫の雪崩よりもさらに殺人的な大規模破壊魔法。さすがに危険すぎる攻撃の解放に、観衆がどよめいた。中には悲鳴を上げるものすらいたほどだ。
当然だ。あんな量の水、さすがの雪姫でも防ぎきれないと思ったから。
水だからといって馬鹿には出来ない。あの質量が一度にのしかかれば滝に打たれる数百倍もの圧力がかかろうというのだから、人間1人くらい簡単に木っ端微塵にされてしまうだろう。
だが、そんな発想は弱者の思い違いに過ぎなかった。
ひさしぶりに手応えのある相手。思っていた以上に面白いことをやってくれる。雪姫は狂笑を響かせる頭上の少女を水の壁越しに見上げて、口の端を吊り上げた。俄然潰し甲斐が出てきたというものだ。
「上―――――」
迫る水塊。天地がひっくり返ったような凶悪な一撃を見ながら、雪姫は一歩も動かない。別に足が竦んで動けなくなったわけではない。動く必要がなかったから。そしてむしろ、動かない必要があったから。
「―――――と見せかけて下」
呟きの一言。雪姫が右足を軸に体を半回転させた瞬間、直前まで彼女が立っていた場所、本当に股下直下から高圧水流の槍が飛び出した。
あの巨大な水塊はただのデコイ。本命は下からの鋭い一撃だった。当たれば致命傷レベルの一撃。しかし、それも雪姫は容易に把握していた。分かっていて回避できない攻撃はそうはない。
水の向こうには、ネビアの驚いた顔が見えるようだった。
「・・・さ。茶番も終わりで良いよね」
「そんな・・・!?カシラ!?」
そもそも、ネビアにとって相性が最悪のマッチングだった。水と氷。今の今まで雪姫がネビアの放った水を凍らせなかったのは、ただの茶番。マシな言い方をすれば様子見程度か。どのみち、最初から雪姫が勝てるようになっていたのかもしれない。
雪姫の足下から突き出た水の槍は一瞬で凍結された。そしてすべての氷は彼女の制御下に置かれるのが道理である。水の槍改め氷槍は、吹き出た勢いのままにネビアに向けて進路を変えて飛んだ。
一瞬で水塊を貫通し、それはネビアに突き刺さった。
「ぐぇっ」
トカゲが踏みつぶされたような声を出して、ネビアの体が再び天井まで吹き飛ばされてバウンドした。もちろん本当に刺さったわけではない。ヒットの直前に槍の速度を落として、鳩尾にめり込んで意識を刈り取るくらいには威力を落としておいた。
氷槍の直撃を確認した雪姫は、肩の力を抜いて1つ伸びをしながら、「さて」と呟いた。彼女が視線を床に落とすと同時に、今まで地を這い続けていた粉雪の奔流が今度は主人の視線と逆行して舞い上がり、頭上をなおも落下し続ける水の天井に飛び込んだ。
するとどうしたことか、観戦する誰もが絶望しかけた膨大な量の水はみるみるうちに氷塊へと早変わりした。
圧倒的にして芸術的、荒々しくも繊細に、災害レベルの水塊は氷塊となり、雪姫が指を鳴らして瞬間に華々しく砕け散った。
小さな氷の粒が一面を覆い、光を乱反射して壮麗を極める。その中心に立ち静かに俯く雪姫は、まさしく《雪姫》であった。
誰もがそんな彼女に見とれる中で、ドシャリという痛々しい落下音。ネビアが地上に帰ってきた音だ。それも、頭から着地する形で。
「いっつつ・・・。いやー、これは強くなり過ぎでしょ。・・・なるほど!カシラ!うんうん、私あなたのことが気に入ったわ!カシラ!」
頭から思い切り床に激突したはずのネビアは、落下してすぐに元気に跳ね起きた。異常なまでにピンピンしているので、今までの戦いが嘘のようである。
ネビアはそんなケロッとした様子で雪姫に握手を求めた。明らかに当たれば対戦相手を殺しかねない凶悪な攻撃を仕掛けた人物の態度とは思えない。奇妙な余裕があるというか、非常に楽しそうな様子でネビアは雪姫に手を差し出すのだった。
しかし、雪姫はそれを横目に流し見ただけで、ネビアの手を握り返すことはしなかった。その代わりに、彼女は小さな声でこう言った。
「アンタ、なんなの?」
「おやぁ、また嫌われちゃった?カシラ。それにしても、さすがだったよ。予想以上だったわ、カシラ。ちょっと安心」
「・・・・・・そう」
●
今日一日だけで、ネビアの様々な噂話は少なくとも1年生全体には広まった。特に反響が大きかったのは、雪姫と試合を行っていい感じに張り合っていた、という噂である。実際には雪姫の圧勝みたいなものだったのだが、端から見た分には彼女らが口にした言葉までは聞き取れなかったのでそう見えたのだろう。ちなみに、この噂については1年2組の聖護院矢生の食いつきが非常に強かったらしい。加えて言うと、現場を見ていた五味涼と細谷光が矢生の鬼気迫る質問攻めから逃げ回っていたのは、昼休みの出来事だったらしい。
それ以外に流れた主立った噂と言えば、日本語ペラペライタリア人のくせに予想に反して勉強が出来ない、とか、超甘党だった、とかである。ちなみにすべて事実らしい。
とかく新しい話題に賑わう1-3の教室に、ドアを勢いよく開けて真波が入ってきた。
「はいはーい、盛り上がってるのは先生も分かってますけどまずは一回座ってね。帰りのホームルームですよー」
そう言ってから、真波は持ってきたプリントをを配り始めた。
迅雷は回されてきたプリントを受け取って、その内容を見る。
「高総戦大会日程、及び期間中の活動について、か。いよいよ・・・だな」
いよいよ。まったくもっていよいよだ。国立魔法科専門高校であるマンティオ学園にとっては、高総戦はともすれば年内最大イベントみたいなものだ。迅雷はそれを思って改めて教師陣の『計画』について回想する。
ここ数年全国優勝を握って離さないライバル校・オラーニア学園からの優勝旗の奪還。そのための一切の情けをかけない、完全実力主義の選抜と、それに伴う有力生徒の集中強化。戦闘能力の高さ以外のすべての条件を完全撤廃して、本当に相手を力でねじ伏せられる生徒だけを選び抜いて、他の生徒全員を捨て置いてその一握りの育成だけに学校としての全力を尽くす。
呆れて溜息が出るような、学校のやることとは思えない不平等さ。埋められない格差を認めて、むしろ上をさらに上へと持ち上げる計画。期間中だけとはいえ、格下の者たちに手を差し伸べる気構えすらないという時点で既に正論の域を逸脱している。
ただ、そんな教師が勝手に立てているプランなど知ろうが知るまいが関係なく、教室には緊張が満ちた。
「もう見ましたよね?そう、今年も高総戦の時期がやって来ました!率直に目標を言いましょうか。全・国・優・勝、です!!」
分かってはいたが、すごいプレッシャーを与えてくる一言である。全国優勝などと口にするのは簡単だが、実現するのは本当に難しい。
「全国優勝ねぇ・・・」
迅雷は一応その困難さをよく知っていた。中学時代には剣道の個人戦で全国優勝を果たしたという輝かしい功績を持つ迅雷だが、そのために彼が越えた壁は何枚あったのだろうか。数えるのも疲れる話だ。背伸びで上縁に手が届くようなレベルの壁もあれば、よじ登るのも諦めて力技でぶち破った壁もあった。例えば、今同じ教室にいる真牙とか。
いかにマンティオ学園には才能に恵まれ、努力が報われる生徒が集まっているとはいっても、そこに変わりはないのである。持ち得る才能を開花させるのは楽ではない。
どんなに規模を狭めたとしても「優勝」というのは常に困難と克己の象徴なのだ。それをむしろ規模を広げて団体での全国優勝である。困難でないはずがない。
真波が緊張感が濃く溶けた空気を深く吸って、かえって嬉しそうに笑った。彼女らしいといえばらしい、自信と期待に満ちた顔だ。
「いい緊張感ですね。私は信じてますよ?今年はもう、ひっじょーに良い感じですからね。それじゃあ、期間中の日程表を見てください。確認していきますよ」
○
5月16日月曜日、つまり週明けから、5月20日の金曜日までが校内選抜戦。ここでまずクラス代表を8人選抜して、最終的に県大会へと進出する生徒を決定する。これは全学年共通というのはもちろんとして、戦闘向きの魔法を専攻する特殊魔法科だけでなく、非戦闘部門への応用に関する魔法を専攻する一般魔法科の生徒も参加することになる。まさしく掘り出せる才能はすべて発掘する勢いである。
また、高総戦は「1年生ブロック」と「一般ブロック」、つまり2,3年生が参加するブロックに分かれており、この2つについてそれぞれ県大会出場メンバーを8人選抜する形となる。
それに加えて高総戦には「団体戦」という種目があるのだが、これの参加には学年が関係なく、1校あたり2チームまで参加することが出来る。1チームの人数は4人なので、基本的に毎年どの高校も2チーム参加する。
この「団体戦」に参加できる生徒は、個人ブロックの選抜戦で優秀だった生徒の中から選ばれる。ここには試合の勝敗が関係なく、基本的にチームとしての動きに関して有用な人材が組み合わせられる形となる。また、今年の「団体戦」の競技内容は、例年通り4人チームでの敵地攻略戦とのことだ。
そして校内選抜が終われば、たったの5日のみを空けて容赦なく本番である。5月26日の木曜から29日の日曜日までにかけて行われる県大会。ここでも各ブロックの県上位8位までが全国に駒を進められる。なぜ関東や東北などの中規模の地区大会がないのかというと、単に大会期間が長くなりすぎるのと費用の問題らしい。所謂、大人の事情というやつである。そんなわけで、県で勝ち進むことが出来ればそのまま全国へ行くことは出来るのである。
とはいえ、恐らくこの県大会はあまり荒れることもないだろう。なにせ、マンティオ学園なのだから。これ以上に分かりやすい理由はない。もちろん1,2人は他校のライセンス持ちの選手に蹴り落とされる可能性もあるが、その程度はあまり全国優勝には響かないだろう。とどのつまり、県大会なんて前哨戦なのである。むしろ校内選抜戦の方が過熱展開になるのは、毎年のお約束である。
そして、今度こそ本番の中の本番。高総戦全国大会である。これが6月11日の土曜日から14日の火曜日まで。オラーニア学園や、一般の普通科高校などに入学した隠れた才物たちとの優勝旗を賭けた全面戦争となる。県大会などもはや眼中にないマンティオ学園は、この4日間に向けてひたすらに強化と調整を続けるのだ。
○
「・・・と、いう感じでスケジュールは決定してます。意見は許しません。弱音も許しません。そして病欠はもちろん忌引きも許しません」
『おいっ』
「冗談です。さすがにそこまで腐ってませんから安心してください」
クラス全員に全力で突っ込まれて真波がぺろっと舌を出した。しかし、生徒にはこの流れだと本気で言いかねないとさえ思われていたらしいことに気付いた真波は、どこでそこまで思われてしまうようになったのか考えて首をひねった。もうマンティオ学園の教師として出来上がってしまった彼女には、自らの体から漂う隠しきれない勝利欲に分気付けなくなっているらしい。
「・・・ま、いっか。さぁ!そんなことはともかく、前進あるのみです!頑張ろう、我らがマンティオ学園!そしてくたばれ、にっくきオラーニア学園!」
―――――なにがウチの先生たちにそこまで言わせるのだろうか。
くたばれなどと、もしオラーニア学園に転勤になったらどうするつもりなのだろうか。もはやツッコむ気力すら失せた生徒たちは、担任の暴言に呆然とするだけだった。
だが、入学してまだ間もない彼らは知らない。マンティオ学園とオラーニア学園の仲の悪さは、まさに犬猿の仲にして水と油、決して相容れることはないほどの劣悪さである。―――――というのは、実は両校の教師陣ばかりで顕著な問題だったりする。
それこそ、彼らが高総戦の全国大会なんかで顔を合わせれば唾の飛ばし合いや相手校の生徒のなじり合いは生易しい方で、タチが悪いと暴動になることもあるとか。魔法科高校の先生同士が本気で戦ったらもはや生徒同士で行う試合よりすごいことにもなるので、案外これに期待して大会に訪れる人も多いらしい。だが、当の本人たちは至って真剣に大人げない馬鹿な喧嘩をしているわけであって、周りの安全はまったく考慮されていないから危険極まりない。
しかも一度喧嘩を始めてしまうと、連鎖的に多くの教師が集まって大乱闘になったりならなかったり、そのせいで急に大量の教職員が留置所にぶち込まれて1,2週間両校の職員室が寂しくなってしまったりしまわなかったりする。
そんなバックグラウンドの関係で、生徒の大半は本当はもう一方の魔法科高校の生徒たちと友好的にしたいと思っているのにも関わらず、試合後に握手でもすれば担任や部活の顧問に少なくとも半年近くは根に持たれるという話(事実)を恐がって、どうにも関係が上手くいかないのだ。逆に言えば対戦で相手をぶちのめして唾でもかけてやるとなぜか成績がオール5になったりする。まるで悪意が見えるようである。
一応言っておくと、数は少ないものの、中には愛校精神が過ぎるあまりに教師と同調して相手を罵る生徒もいるのだが、それはもう好き好きにやらせておけば良いのだ。
クラス代表選手は金曜日の朝までに選ぶこととなってホームルームは終了した。
元話 episode3 sect2 ”転校生は時期外れに”(2016/10/8)
episode3 sect3 ”本懐は隠されて”(2016/10/9)
episode3 sect4 ”水氷の綺想曲”(2016/10/10)
episode3 sect5 ”温もりに包まれて”(2016/10/12)