episode8 sect21 ”イグニッション”
一央市ギルドで再び『ブレインイーター』の被害者が出たのは、『DiS』の報告から2日後のことだった。少年たちが為し遂げた奇跡の生還劇によって芽生えかけていた希望は、10名もの命と共に呆気なく失われてしまった。
襲われたのは、一央市内の大学に通う学生たちが結成した『風王』というパーティーだった。数年前に結成されて以来、地道な活動の積み重ねで市内の人々からはある程度認知され始めていた矢先の出来事だった。リーダー含むメンバーのほとんどが喰い殺されてしまった『風王』は事実上の解散となるそうだ。先日の『一央市迎撃戦』で、彼らに危ないところを救われたという人々や、避難所となったギルドを『アグナロス』の脅威から守る活躍を見ていた先輩魔法士たちは、今回の喪失をいたく惜しんでいた。
彼らの通う大学はなかなか偏差値の高い名門校として有名で、だからというわけではないが『ブレインイーター』の出現以降の『風王』のパーティー活動は慎重なものだった。事件があったその日のクエストも、準備は一切怠らず、なるべくダンジョンの滞在時間を短くするために念入りな計画を立てていたそうだ。無論、万が一『ブレインイーター』と出会ってしまった場合の対応策も、『DiS』から直接仕入れた情報を基に彼らなりに用意していたそうだ。例えば、襲い掛かってくる『ブレインイーター』に喰わせるための劇物とか。全員が風魔法を得意とする彼らなら『ブレインイーター』が吐き出す霧には強く、逃げ延びるための策としては万全に思われた。
だが、結果はこうなった。
事態を受けて、中には『DiS』が持ち帰った『ブレインイーター』の写真などの情報が偽物で、だから『風王』は不意の遭遇に対応出来なかったのだと非難する声もあった。もちろんそんなのは事実無根な言いがかりで、辛うじて生還した数名のメンバーが『ブレインイーター』は写真通りの姿だったし、『DiS』の助言がなければそもそも自分たちも生きてはいなかっただろうと証言しているのだが、それにも関わらず信じようとしない者までいる。なぜなら、『DiS』には千影がいるからだ。生き残った彼らもオドノイドである彼女に脅されて本当のことを言えないのだと思い込んでいるらしい。
千影や『DiS』にとっては風評被害も良いところだが、人間の心なんてものは立場次第。当事者となった自分と傍観者でいた頃の自分は別人だと思った方が良い。不思議なほど理不尽は自覚し難いものだ。
死んだ『風王』のリーダーの恋人に背中から刺される前に、千影はさっさと家に帰ってきた。というのも、さっきまでは疾風と一緒に一央市ギルドの『ブレインイーター』対策会議に参加していたのだが、ギルドに到着したら入り口付近でその恋人の女性と思しき人物を見つけてしまったのだ。恋人を失った心中は察するが、あの目は正気の人間がするものではない。正気を保っている人間の方が少ない裏社会を経験している千影がそう思うのだから間違いない。人を見る目はあるのだ、千影は。
なお、その対策会議が開催された理由だが、連日続けて一央市ギルドが『門』を持っているダンジョンで被害が出ており緊張感が高まっているからだ。同じダンジョンの『門』は他の施設にも設置されていて、被害者全体の割合でいえば必ずしも一央市ギルドに登録している魔法士が多いとも言い切れない。だが、一央市ギルドはただの偶然ではない可能性も視野に入れて対策内容を練るつもりのようだった。
考慮するだけバカらしくなるほど著しく低い確率を想定するあたりは、過去に幾度も大きな事件を経験してきている一央市ギルドらしさが良い意味で表れていた。
疾風はまだギルドに残って局長の安田奈雲や一央市長らとあれこれ話を詰めている。この件については貴重な休暇の返上も厭うつもりはないらしい。迅雷の身にも関わるので、父親としての心配もあるのだろう。
細かい方針の決定は大人に任せて先に帰ってきた千影は、迅雷のベッドに寝転んでスマホの画面をボーッと見ていた。千影は昨日から、家にいる間はずっとこんな調子でなにも映っていないスマホを気にしている。そうして待っていたのは、友人からの返信だ。結局、昨日はいまみたいにスマホとにらめっこして一日が終わってしまったわけだが・・・。
「・・・むむむむ、む、むむぅ~・・・」
せっかちな千影にしては我慢した方だと褒めてやった方が良いだろう。いい加減に耐えられなくなって、千影はアプリを立ち上げて送ったメッセージに返信がないか確かめる。やはり、既読すらついていない。
追加で『ねぇ』だの『ちょっとー』だと『もしもーし』だの、適当なメッセージをスマホ(ほぼ最新のモデル)が秒で処理落ちするほどのスピードで連打してみたが、反応がない。
「むむむむむむ――――――ふっ」
はたと手を止めた千影は、そのままSNSアプリを終了した。ただし、決して気が済んだわけではない。
「かくなる上は出るまで電話かけ続けて―――」
と、千影がメンヘラ彼女っぷりをこじらせかけたところで、32時間待ち続けた電話がようやくかかってきた。まさに自分から発信する寸前だったので、虚を衝かれた千影はかえって慌ててしまった。
「わたたっ、えっと、あ"っ!!」
しかも、焦って操作をミスって通話を拒否ってしまった。いつものホーム画面に呆然としていると、10秒ほどして、また電話が掛かってきた。今度こそ、慎重に通話ボタンを選ぶ。
「も、もしもし?連絡したのに相手してもらえない気分はどうだった?」
『どうせ電話掛けようとしたら逆に掛かってきて焦ったらけじゃないのか?』
「・・・実は窓の外にいたりする?」
千影は部屋の窓を開けて外に顔を出した。屋根の上に電話の相手の姿はない。電話の向こうからはそんな千影を嘲るように軽やかな笑い声がした。
『わちきに嘘吐こうなんて千影には100年早いのら』
ということで、千影が連絡を取りたがっていた相手は伝楽である。
「おでん、最近はまた忙しいの?」
『まぁな。上司の人遣いが荒くて敵わん。で、久々に連絡を寄越したかと思えばギャアギャアと、一体どうした?』
「PINEでも送ったけど、おでんに知恵貸してほしくてさ」
そう前置きして、千影は83番ダンジョンで『ブレインイーター』と戦ったこと、その正体がオドノイドなのではないかという予想についておでんにも話した。
迅雷と共に『ブレインイーター』を助けることを決めたとき、千影はその目的と同じかそれ以上に、慎重な行動をしようと誓った。その手始めが、伝楽に相談することだった。
千影が伝楽に協力を仰ぐことを提案すると、迅雷はビミョーな顔をしたが、そこはなんとか説得した。迅雷にとって伝楽は、アーニア・ノル・ニーア・ニルニーヤを見殺しにした冷血な女であり、一方で命懸けで自分や千影を助けてくれた大恩人でもある。正直好かないけど、憎むわけにいかない。まさに複雑な相手なのだ。
しかし、千影にとっては違う。確かに伝楽は非情な判断を下すこともあるが、おでんは決して切り捨てる必要のないものを切り捨てたりはしない。そのおかげで、いまの千影がある。もっと言えば、IAMO内でのオドノイドの居場所だって、伝楽の働きがあってのものだと聞いたことがある。なにより、千影にとって、伝楽は最も付き合いの長い親友だ。
また、こう言ってしまうとアレだが、伝楽の知恵は千影にとってあらゆる順序をすっ飛ばして、あらゆる事態を望んだ通りに解決してしまうほどに強力な情報だ。それこそ、まるで機械仕掛けの神のように。その割にいままで伝楽に頼り切りではなかったのは、千影の自立心が3割、言うは易く行うは難しが7割だ。だがまだまだ未熟な千影と迅雷が慎重に物事を進めるためには、いまは伝楽の力を借りるのが最善だった。
千影の考えを聞いたおでんは「ふむ」と一度唸った。
『―――話は分かった。結論から言えば、千影の考えは合っているらろうな。というか、わちきは最初からそんなことらろうと思っていたがな』
「なんというか、さすがだねぇ。それなら先に教えてくれても良いのに」
『馬鹿言え。あんなのは普通にモンスターとして処理してしまった方が面倒が少なくて良い。それでつまり、千影はその厄介者の面倒を見てやるつもり、と』
スピーカーから聞こえる声はすっかり呆れた様子だが、言葉のテンポがどこか面白がっているようでもあった。
『良いよ、アドバイスくらいはしてやるさ。たらもう一度言うが、ベストはなにも気付かなかったことにして殺すパターンなのら。迷ったら容赦はするなよ』
「うん、分かった」
○
伝楽の見解とも一致したため、少なくとも『ブレインイーター』がオドノイドであることは確定したものとする。そうなると、大きな問題がひとつある。
知っての通り、IAMOは現在、オドノイドを保護する方針を掲げている。しかし、それが成り立っているのは千影がカメラの前でオドノイドの証明である奇形部位を見せた上で、人間の言葉で話し、人が理解出来る考えを伝えたからだ。皇国の騎士やジャルダ・バオースの私兵団から人間を守ったおでんたちの戦いも、千影の演説がなければ、いま得ているほどの支持を生むことはなかっただろう。
だが、もしかしたら思っていたより恐い存在ではないのかも、仲良くなれるのかも―――かも、かも、かも。かもしれないのオンパレード。オドノイドが得た地位はあまりにも脆弱だ。
現代の人間社会は人種差別や男女平等、経済格差など歴史の長い問題の解決に力を入れ始めているが、結局、最後に重視されるのは”合理性”だ。もっと赤裸々な言葉を使うなら、”カネ”だ。
職場、自治体、国。それらはいずれも組織として多くの人間の生活を抱えている。どんなに綺麗事を並べても、最優先すべきはいま内部にいる人間を確実に養っていくことである。利益が得られない事業に手を出すのは”合理性”に欠ける。つまり、人種差別も、男女平等も、経済格差も、解決報酬として組織規模に見合うだけの莫大なカネか、あるいはそれに代えうるだけの物的・時間的なリターンが提示されなければ、本当の意味で解決されることはない。差別意識は肌の色を見る目が眩むほどの利益でしか覆らない。
そして、いまオドノイドの”合理性”を審議している”組織”は人間界全体、全人類だ。そればかりか、魔界をはじめとして、今度の戦争を傍観している諸世界の住人たちまでもがオドノイドの行く末を関心を持って見ている。オドノイドを同じ人間として社会に包摂するか、異物として放逐するか。このあまりにも巨大な規模の”組織”に、持たざる者であるオドノイドが提示出来るリターンはない。というより、常識的に考えてその規模相手になにかを提示するのは大国の首長や巨大企業の特権だ。どんな個人にもそんな力はない。
さて。ここでちょっと考えてみて欲しい。なにやら視点が間違っていやしないだろうか。
オドノイドという包括的な概念に”合理性”を求める話のはずが、オドノイド個人の行動と全体の評価が一緒くたにされている。
とある日本人が海外で殺人を犯して捕まったとする。だが、それで世界中の国々が一斉に日本人全てが世界に不利益しかもたらさない悪魔だと決めつけて列島各地に核ミサイルを撃ち込み我々をこの世から根絶やしにしようとするだろうか。しないだろう。殺人の責任は捕まった個人にのみ存在するのだから、その殺人犯だけを処刑すれば良い。大抵の人はそう思うだろう。
だが、人間の歴史を見ると、案外そんなことはしょっちゅう起こる。なんなら人を殺さなくても起こりうる。ホロコースト、ウイグル虐殺。心理と数理が判断をせめぎ合う”合理性”の時代でもしばしば取り沙汰される。日本人をオドノイドに置き換えると、そんなことが起こってしまう。オドノイドは黒人よりもイエロー・モンキーよりもユダヤ人よりも味方が少ないのだ。
だから、既に100を超す人間を喰い殺した『ブレインイーター』の正体がオドノイドであることが公に知れ渡るのは好ましくない。ましてオドノイドがあんなおぞましい姿の怪物に成り果てると知れれば致命的だ。迅雷と千影の悪足掻きでようやく踏み出した出足を挫かれることになる。それならば、もう『ブレインイーター』の正体には目を瞑って早急に殺してしまう方が良い。少なくとも、オドノイドがもっと小さい規模の社会の中で人々と同じルールを共有出来るという、個人としての“合理性“に関する審議が認められていない現時点では。有り体に言えば、法律をちゃんと守ってご近所さんと仲良く日々を暮らし、子供のうちは学校で勉強して、大人になったら適当な職に就いてカネを回すようになる、そんな普遍性が認められていない、現時点では。
―――ここまでの前提を承知した上で、そんな地雷を掘り返そうと言うのなら、相応の覚悟が必要だ。失敗すればIAMOもこれ以上オドノイドを庇えなくなり、恐らく千影もようやく手に入れたいまの生活を失うことになる。ひとつでも手順を誤れば最も望まない結果となるだろう。
と、伝楽はここまでたくさん脅した後に一転してこうも言った。
『ブレインイーター』には救う価値がある。
理由はいくつかあったが、結論を言えば『ブレインイーター』を殺すだけではオドノイドの立場を守ることが出来ない。だから、その後の展開をより有利に導くためには、生け捕りにして『ブレインイーター』本人の口から真相を語らせる必要があるのだという。
○
千影を介して伝楽の考察を詳細に聞かされた迅雷は、頭から黒煙を噴き出した。さっきの文章では『ブレインイーター』に救う価値がある理由について要約したが、迅雷が聞かされたのは結論に至るまでのより細かな経緯や派生して起こりうる事態等々に関する膨大な情報だった。
「3部作の超大作映画の脚本を口頭で一から十まで読み聞かせられた気分だぞ・・・。あいつ、なにをどこまで考えてるんだ・・・?」
「今日のおでんは大盤振る舞いだったね。たぶん、本気でボクたちのことサポートしてくれるつもりだったんだと思う」
どこまで生かせるかは分からないが、恐らく迅雷と千影は世界に対して交渉を持ち掛けられるほどの価値がある情報を提供された。いいや、ひょっとしたら伝楽からしたら、『ブレインイーター』はそこに必要な物証にして証言者に過ぎないのかもしれない。
だが、2人の目的は伝楽とは違う。そこを見失うことはない。大切なことは、『ブレインイーター』を救う手順だ。
実は、完全にモンスター化してしまったオドノイドを元の姿に戻す方法はシンプルだ。
異形の巨体と化してはいるが、その核は元の肉体である。したがって、暴走を止めるためには本体を引き摺り出して、さらに再び奇形部位を形成させないために全身の黒色魔力放出源を焼き潰せば良い。
むしろ気を遣うべきは救出前後の過程だ。
先にも言ったが、『ブレインイーター』がオドノイドであることを人々に知られるとマズい。厳密には、その情報を公開するには然るべきタイミングがある。そのタイミングは、少なくとも『ブレインイーター』を救い出し、IAMOの管理下に置いた後だ。
よって、迅雷と千影の取るべき手順は次の通りだ。
①可能な限り目的を他者に知られないよう最新の注意を払いつつ、『ブレインイーター』を追う。ただし、信頼の置ける人間には事情を話して協力を仰ぐのは良い。
②平行して、IAMOにも『ブレインイーター』保護のための根回しをしておく。
③『ブレインイーター』をなんとかしてIAMOに回収させる。
あとのことはIAMOに任せれば悪いようにはならないと伝楽は言っていた。かなり簡単そうにまとめられているが、そんなことは決してない。
『ブレインイーター』の正体について徹底的に秘匿したまま捜索活動を行うだけならひたすら口をつぐんでいれば済むが、協力者なしでは『ブレインイーター』を見つけることもままならない。
それに、IAMOへの根回しと言われても、誰にどう頼むべきなのか分からない。少なくともホームページに電話番号の載っている問い合わせ窓口に『ブレインイーター』がオドノイドかもしれないのでコッソリ保護したいんですが、なんて言っても病院を紹介されて終わりだろう。
そして、肝心の『ブレインイーター』戦だが、これだって容易ではない。あの強さは折り紙付きだ。少なくとも、迅雷も千影も単独で挑んで勝ち目はない。
考えることの多さに迅雷が眉間を押さえたが、ここで千影が人差し指を立てた。
「ボク、②なら心当たりがあるんだ」
「マジで?」
「マジ。とりあえず明日には話をしとこうと思ってる。大丈夫、任せといて!」
明けましておめでとうございます。今年もどうかよしなに。遂に社畜生活が始まるぜ。在学中に完結できなかったぜ。でも今年もガンガン書いてくぜ。よろしくだぜ。




