episode8 sect19 ”今日の日はさようなら”
「とっしー無事!?生きてるね!!」
気が付けば、『ブレインイーター』の腕に千影が乗っていて、迅雷の頬に軽くキスをしていた。
「いま助けるね!」
フッ、と体を縛る握力が消失する。千影の使う特殊な魔法、『トラスト』による位置交換が行われたのだ。理解した迅雷は即座に『ブレインイーター』の腕から飛び降りた。
千影も、迅雷の体のサイズで固まった『ブレインイーター』の手からスルリと抜け落ちて着地する。そして、2人は一旦後退した。
「とっしー、もしかして『ブレインイーター』?」
「・・・多分、そのはずだと思う」
「じゃあなに・・・コレ?どういうことなの?」
「・・・え?千影も?」
「え?」
迅雷の返しが奇妙だったので、千影が迅雷の顔を見ようとしたところで、『ブレインイーター』が触手で反撃してきた。間一髪で2人は回避する。
「千影、しーちゃんは?」
「すぐ来るよ。真ちゃんとムラコシは?」
「焔先輩の怪我が酷い」
「・・・みたいだね」
後方で真牙に担がれた煌熾を見つけて、千影は歯噛みした。
大体、千影が思い切りスピードを乗せて頭部に膝を叩き込んだにも関わらず、『ブレインイーター』はほとんど怯まずに反撃してきた。むしろ蹴った千影の方がダメージを受けたんじゃないかと思うほどである。いや、蹴りを受けた部位は大きく凹んでおり、効いているのは間違いないはずだが、蹴っても焼いても怯まないとなると、かなり厄介な相手だ。
「うひゃあああ!?な、なにこのモンスター!?」
「慈音ちゃんこっち!!迅雷と千影ちゃんも早く!!揃ったんだからさっさと逃げるぞ!!」
真牙の行動の切り替えは早いし適切だった。千影が到着して迅雷を助けるのを見たら、すぐに煌熾を担ぎ直して、転移ステーションの方角を確認していた。
だが、意識のない煌熾を抱えて『ブレインイーター』を振り切れるだろうか。千影の足であれば造作もないはずだが、得体の知れない不安もある。第一、千影の体格では抱えて走れるとして2人が精一杯、大柄な煌熾では彼ひとりが限界だろう。
千影はそっと腰の後ろに佩いた刀に手を掛ける。
「・・・とっしー」
「ま、待って千影!・・・頼む」
「まったく・・・ホント厄介なんだから!!」
ズドン、と地面が抉れて吹き飛び、千影が消える。
「千影ッ!!」
「分かったからとっしーも手伝って!!どのみち足止めはしなきゃでしょ!!真ちゃんたちは先行って!!3分以内に追いつくから!!」
千影の指示で、まず真牙が慈音の手を取り走り出した。
「元来たステーション!!川下り!!3分厳守!!」
「了解!!」
なるほど、慈音の結界魔法を応用すれば、温泉水が山の斜面を流れ落ちる急流も低いリスクで下れるだろう。うまくいけば一気に『ブレインイーター』を引き離せるに違いない。千影と迅雷も、彼らがせいぜい数百メートル先の川まで逃げ切る時間さえ稼げれば良いわけだ。相変わらず真牙は咄嗟の機転が利く。
迅雷も、すぐに千影に加勢した。まだ効果が続いている『トラスト』を戦術に入れ込むことによって、迅雷だけでは回避出来ない触手攻撃をすり抜け、そして千影だけでは足りない威力を迅雷の大火力で補うことが出来る。
疾風の特訓の成果は、早くも如実に表れていた。これまではほとんど千影の判断任せでアドリブばかりだった『トラスト』戦術は、互いの役割を明確化したことによって極めて高度で実践的な連携へと変化しつつあった。周囲の明るさや交戦開始の経緯など状況に差はあれど、IAMOの精鋭魔法士チームさえ壊走させられた正真正銘の化物相手に、迅雷と千影は互角の攻防を繰り広げていた。
だが、何度攻撃を受けても『ブレインイーター』は倒れないどころか、次第に纏う空気を変質させていった。
なにを考えているのか分からない不気味さは薄れていた。
明確な変化があった。
大きく広げた触手を激しく振り回して2人を振り払った『ブレインイーター』は二本足で立ち上がり、筒のような口を裂けるほど開いて大気を震わせた。
『いいぃぃぃぃぃぃぃ、あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"ッッッッッ!!』
激昂。
憤怒。
明確な殺意の矛先は―――。
「千影代われ!!」
「え、あ」
『ブレインイーター』の十ある触手の先端全てから、それひとつだけで見ても皇国の七十二帝騎に見劣りしないほどの『黒閃』が解き放たれた。
怒気にあてられて僅かに判断の鈍った千影を庇って、迅雷はその射線上に割り込んだ。『雷神』の魔力貯蓄器にストックしておいた魔力も全解放した『駆雷』で『黒閃』の相殺を試みたが、すぐに威力不足だと察して全力で後ろに跳んだ。直後に、『黒閃』を受けた地面が真っ黒に爆発し、合わせてたかだか100キロ未満の2人はまとめて吹っ飛ばされ、木に激突した。
「ぐぁ・・・くそ」
「と、とっしー大丈夫!?」
「大丈夫だから前見ろ!!」
畳み掛けるように、『ブレインイーター』が高圧水流のブレスを吐き出してきた。その威力は一周回って木を折ったりはせず、綺麗に貫通した。人間の体で耐えられる威力ではない。
「ブチ切れじゃねぇか!?」
「どう考えてもボク狙いだよね!?」
二手に分かれて高圧水流ブレスを回避した迅雷と千影だったが、『ブレインイーター』は迷わず千影に向けて何度もブレスや触手による攻撃を続けた。あまりの執拗さに手数も加わって、さすがの千影も反撃のチャンスを見出せない。
だが、『ブレインイーター』が千影ばかり狙うというのなら、それはそれでやりようはある。
迅雷は、ガラ空きとなった『ブレインイーター』の背中側から一気に接近して触手の付け根を狙った。触手と言えば斬ってもすぐに再生されがちなイメージがあるが、千影であれば再生するまでの隙を十分活用出来るはずだ。
『う"う"う"う"う"う"!!』
迅雷が近付くと『ブレインイーター』は反応して裏拳を飛ばしてきたが、拳と地面の微妙な隙間に飛び込み転がり抜けて、跳ね起きる勢いで跳躍。
二刀を高く振りかざし、落ちる勢いも乗せて力任せに叩き下ろす。
十字の斬撃で、『ブレインイーター』の腰あたりの肉ごと触手の一部を削ぎ落とした。
さすがにこれ以上迅雷を無視出来なくなったのか、即座に『ブレインイーター』は残った触手でまだ着地していない迅雷を狙うが、剣を使って初撃をいなした迅雷は『多重雷撃』を使って空中でさらに跳躍しながら回転斬りを繰り出す。
2段ジャンプの最頂部で、地上にいた千影が『トラスト』を間に合わせる。ノータイムで着地出来た迅雷はそのまま数歩下がって間合いを計り直し、千影もすぐ迅雷に合流した。
「ハァ、い、いまどんくらい経った・・・」
「分かんないけどまだ1分ちょい?」
「マジかよ・・・」
「とっしー、顔色悪いけど」
「触手に触るたびにガンガン魔力が吸われる感じするんだ」
「なるほどね」
「なるほどじゃなくてさぁ・・・」
千影のスピード感で戦っていると、時間感覚がおかしくなる。真牙たちはどこまで逃げただろうか。そろそろ迅雷たちも離脱するチャンスを見つけたいところだが―――。
一瞬標的を見失っていた『ブレインイーター』だったが、ほとんど間を置かずに2人の位置に気付いて睨み付けてきた。
『おおおっ』
「霧が来るッ!!」
千影は初見だが、迅雷は既に見切ったモーションだ。
すぐに迅雷は風を起こす。
しかし、まただ。
霧が晴れるまでのわずか1秒で『ブレインイーター』を見失ってしまう。
「とっしー後ろ!!」
「『駆雷』!!」
迎撃に成功した―――かと思えば、『ブレインイーター』はまた霧を吐き出す。
次は千影が風を起こす番だった。ただ、迅雷と比べると風魔法の威力が伸びない千影では、膨大な霧を完全に吹き晴らすことは出来ず、せいぜい数メートルの視界を確保するくらいだ。
しかし、その微妙な霧の晴らし方のおかげで『ブレインイーター』が妙に高速で移動していた理由が分かった。
奥行きを見失うほど白い霧の中を凄まじい速度で突き進む灰色の影。
「霧の中を泳いでたってか・・・!」
「割と速いね!!」
地球上の水生生物と泳ぐ速さで比較するのがバカらしいほどの速度。影だけ見ればまるで人魚のように幻想的だが、そんな感想を抱けるほどの余裕はない。
一瞬にして千影の死角まで回り込んだ『ブレインイーター』は霧から飛び出して、大口を開く・・・が、速さで千影が負けることだけはあり得ない。死角に回ろうとしていても、千影が『ブレインイーター』を見失うことはない。
回避された『ブレインイーター』は、再び霧の中へと消えていく。泳ぎながら継続的に霧を吐き続けているのか、いよいよ迅雷でも霧を晴らしきれなくなってきた。
そして、霧をバラ撒くだけで終わるような『ブレインイーター』ではない。風魔法に掛かりきりになりつつあった迅雷を、千影がいきなり突き飛ばした。
次の瞬間、迅雷のいた位置を『黒閃』が貫いた。
「なっ」
「マズいかも・・・!!」
霧は全方位を囲っている。つまり、『ブレインイーター』はありとあらゆる方向から一方的に『黒閃』で狙い撃ちしてくる、ということになる。
躱すことに集中すれば霧がさらに濃くなり、霧を晴らそうとすれば『黒閃』への注意が散漫になる。
前後不覚、真っ白な視界。息苦しいほどの湿度。『黒閃』を受け、メキメキと倒れる木々の音。いまにも気が狂いそうだ。
迅雷と千影は、なにも示し合わせることなく、背中合わせになった。もう、『黒閃』を躱すことを止めたのだ。互いの存在を背中を通じて確かめ合うことで、不安を和らげるために。
迅雷は『駆雷』で、千影は『黒閃』で、『ブレインイーター』の狙撃を真正面から相殺していく。
だが、いつまでもこんな状況にまともに付き合ってはいられない。
「千影、もう十分稼いだだろ!」
「うん!でも最後に1発・・・とっしー!あのウンコ出して!!」
「あいよ!!・・・あいよ?」
戦闘中は互いの判断を信じるのが鉄則だ。迅雷は条件反射で生き物除けを入れたクーラーボックスを『召喚』すると、千影はそれを引ったくった。
「こんなもんどうすんだ!?」
「こーすん、のさっ!!」
千影がクーラーボックスの蓋のロックを外すと同時に、霧が大きく盛り上がる。
そして千影は、迅雷そっちのけで自分を喰おうと突っ込んでくる『ブレインイーター』の口内に蓋が全開になったクーラーボックスを放り込んだ。
『お"ッッッッ!?$%&※#%☆&$”▽$&”☆$◎%”&#~~~~~!?!?!?!?』
少量でも周辺一帯の生物が一目散に逃げ出し、月単位の期間で寄りつかなくなるほどの悪臭を放つ生き物除けをケースごと咀嚼してしまった『ブレインイーター』が悲鳴を上げてもんどり打った。
『おぇっ、げっ、げっ、んげっ』
あまりの異臭に耐えきれず、『ブレインイーター』が嘔吐いた。びちゃびちゃと胃の中身らしきものを垂れ流すあの様子では、しばらくはまともに動けないだろう。
「へーん、とっしーを食べようとしたからだよ!ざまーみろ!!バーカバーカ!!」
千影はベロベロバアで『ブレインイーター』を煽りまくってから、迅雷の手を掴んだ。逃げるならこれ以上のチャンスはない。
しかし迅雷は、走り出そうとする千影を引き留めた。
「ひとつ、やっとくことがある」
「やっとくこと?」
○
真牙と慈音、そして真牙に背負われた煌熾は、プラン通りに温泉地帯から山の麓まで一気に流れ落ちる急流を駆け下りていた。
恐らくもう十分に『ブレインイーター』から逃げたはずだが、あの恐ろしい鳴き声は未だに聞こえてきて、まるですぐそこにいるかのように錯覚するほど恐ろしい。振り返れば、数秒おきに夜空の星の輝きをどす黒い『黒閃』が塗り潰す悪夢のような光景があった。
「2人とも、大丈夫かな・・・」
「大丈夫だよ。だから慈音ちゃんは自分の魔法に集中してちょーだい」
「う、うん!そうだよね!」
急流下りは慈音の強力な結界魔法で作った船で行っている。慈音が気を緩めて船が壊れたり転覆したりすれば、最悪命に関わることになる。慈音がビビってはいけないので真牙も脅すような言い方はしないが、『ブレインイーター』の足止めをしてくれている迅雷と千影の心配をしている余裕はなかった。
それに、2人揃った迅雷と千影のコンビネーションは強い。真牙にとっては少し複雑な気持ちにならざるを得ないことだが、間違いなく、あのタッグはランク6級のプロ魔法士にだって通用するだろうと感じていた。魔力量チートと速度チート、2人のチート持ちがその上でランク7の《剣聖》直々の指導を受けて能力を伸ばしているのだ。この短期間で見たってその成長は明らかだった。
だから、心配は、するだけ損だ。迅雷と千影なら絶対になんとかして、生きて追いついてくるとさえ信じていれば良い。
そうすれば―――。
「ほらな」
森の中から飛んで出て来た2人に、真牙は手を振った。カップのうどんが食える程度には遅刻だが、2人とも無事のようだから不問にしてやった。




