episode8 sect17 ”日帰り温泉は一日にして成らず③”
真牙が香水を自作してからの作業は、思った以上に好調に進んだ。ストレスの原因がひとつ改善されただけでも人間の集中力は違ってくるものらしい。おかげで少し日が傾いてきた頃には総延長5kmの道程の、実に7割近くに生き物除けを並べ終えていた。この調子なら、もしかすると月曜日までに作業の全行程を完了してクエスト達成報告が出来てしまうかもしれない。
もっとも、だからといって焦りは禁物だ。83番ダンジョンの空模様は夕方でも、人間界の時刻で言えば既に23時だ。地球時間に基づく行動管理はダンジョン探索の基本中の基本である。
「くぁーっ!!疲れたぁぁぁ!!」
迅雷は大きな背伸びをして地面に寝転んだ。湯元に近付くにつれて岩肌が露出した地形が増えてきて、いま休憩している場所もそんな感じだ。
「気付いたら半日近くも働いてたみたいだな。みんなお疲れ、今日はここらで切り上げるとしようか」
ちょうど陣取った空き地は視界も開けていて、近くにはテントのペグが刺さりそうな土の地面もあった。今夜のキャンプはここに設営すれば良いだろう。寝床の準備を手早く済ませたら、真牙が中心になって夕飯の支度が始まる。
これといって仕事のない迅雷は魔剣の手入れを始めた。転移ステーションの建設予定地と比べると現在地は標高が高くなっていて、だからかは分からないが気性の荒い生き物が増えていた。その関係で3、4頭は猛獣に襲われて返り討ちにしたので、そのケアだ。『風神・雷神』はどちらも錆や刃こぼれとは無縁と言われるオリハルコン合金製なのでそれほど念入りな手入れは不要なのだが、迅雷は一応、剣を扱う人間の心得として抜いた後のメンテナンスはするように心掛けている。
「・・・これでよし、と」
「よ、神代。時間あったら水場を探しにいかないか?」
「良いですよ、行きましょうか」
真牙が道中で倒した獣の肉を食材に使うつもりらしく手間を掛けているので、食事まではまだしばらく時間がありそうだ。煌熾に誘われて、迅雷はキャンプを離れた。
「手入れの途中だったか?」
「いや、終わったトコだったんで。先輩の方は今日なんかモンスター出ました?」
「ああ、恐竜サイズのクワガタムシみたいなのが出たときはビックリした」
「巨大昆虫ですかぁ。太古の地球感あって面白そうっすね。・・・あ、でも斬ったらヘンな汁とか出てくるから虫系のモンスターは正直しんどいんですよねぇ」
「はは。その点、俺は燃やすだけだからマシかもしれないな」
もっとも、炎に包まれて踠き苦しむ虫の姿も、苦手な人にとっては直視できないものかもしれない。
今日のモンスター談義をしながら森の中を歩き続けていると、やがて川の音が聞こえてきた。
煌熾はキャンプにいる仲間たちに現在地を知らせる定期連絡で、空に火の玉を1発打ち上げた。
「ここまで20分くらいか。キャンプからはちょっと遠いかもな」
「ないよかマシですよ。位置的に、昨日のキャンプ近くの湖に注ぐ川の上流部分ですかね?」
「かもな。急流じゃなければ良いんだが」
水音を辿って森を進むと、急に視界が開けて、砂利と言うには少しばかり大きな石ころが積もった河原に出た。流れは速めだったが、物を洗うのに危ないほどではない。
「ん・・・焔先輩、なんか不思議な匂いしません?」
「え、そうか?」
「んー、気のせいかな。ほんのり良い匂いするような気がしたんですけど」
「そりゃ花季だからな」
「ああ、いや。花とはちょっと違うんすけどね」
迅雷は首を傾げつつ、なんとなく川の水に手を突っ込んだ瞬間「あっ」と大声を出した。
「ど、どうした神代?」
「焔先輩、ちょい付き合ってください!」
○
甘辛い醤油だれの匂いにつられて、テントで休憩していた千影は外に顔を出した。
「くんくん。なにやら野性的な匂いがする。今日のごはんはなに?」
「おそよう、千影たん。今夜はワイルドにモンスター肉の山賊焼きでごぜーます」
「おおー」
火に炙られこんがりと照り返す脂の煌めきに、千影は溢れる涎を拭った。
「あれ?ところで真ちゃん、とっしーとムラコシは?」
「水場探しに行ったぜ」
「そうだけど、それ結構前じゃなかった?」
「一応、10分おきに現在地報告してるし、無事だろうよ。ホラ」
だいぶ遠くの森の中から花火が1発上がった。煌熾の魔法によるサインで間違いないだろう。それを見た慈音が返事としてよく光る雷魔法で作った結界を上空に放り飛ばしていた。さっきから妙に慈音の間の抜けた掛け声が続いていると思ったら、なるほど、そりゃ本来飛び道具でもない結界を空高くまで上げるのは大変だろう。次の返事からは千影が代わってあげることにした。
「にしても、なんかずいぶん遠くまでいってるね。魔法で水用意しちゃった方が良いんじゃないの?」
「さっきよりは近付いてるし、もう見つけて帰って来てるところじゃねぇのかな」
「どのみちあれより遠いじゃん」
「オウ、確かにそうだ。ちょっと歩けば川でもあるんじゃねーかと思ってたんだけどなぁ。伏流にでもなってたのかね」
それからまた少しして、花火の上がる位置が近付いてきて、千影が3回ほど返事をしたら2人がキャンプに戻って来た。
「お帰りなさい、としくん、煌熾先輩。水場はあった?」
「あったよ。こっから、まぁ500mちょっと歩けば着くかな。少し流れが速かったけど気を付けてれば大丈夫そう」
迅雷の報告に合わせて、煌熾が地図で大まかに捕捉をした。最初に見つけたルートより、帰りに辿った道がだいぶ近くなっていた。しかし、ここで千影のアホ毛がハテナになる。
「500m?さっきもっと遠くまで行ってなかった?道が途切れてたりしたの?」
「フッフッフ」
「いやとっしー、笑うところじゃなくて」
「知りたいかね?知りたいよな?良かろう、では焔先輩。地図の例の箇所を」
「悪いな、みんな。神代さっきからテンション上がってて。で、見てもらいたいのはココだ」
迅雷のテンションをさらりと流した煌熾が指で示した位置には、みんな見覚えのあるマークが描き加えられていた。具体的には、毛が3本、円の中からはみ出たみたいなマークである。
それを見て特に反応したのは女子2人だった。
「「ま、まさかコレは―――!?」」
「そうよ、そのまさかよ。喜べ、遂に我々は天然温泉を発見したぞ!!しかも川との合流部分だから温度もベストコンディ―――」
「なにしてんのとっしー早く行くよ!!」
瞬きの内に千影が入浴セットを準備していた。多分、能力まで使って文字通り一瞬でテントの中の自分の荷物を漁ってきたのだろう。沸き立つ砂埃がすごい。
だが、温泉発見はまさに朗報だ。一日以上クソの臭いにまみれながら蒸し暑い森の中を歩き続けた彼らがいま一番に求めているのは、入浴、すなわち温泉だったのである。本当は温泉に入るチャンスなどないだろうとさえ思っていた男子勢も、これにはテンション急上昇だ。
とはいえ、もう夕飯が出来上がったところなので、温泉に入りに行くのはその後ということになった。
○
満足ボリュームの山賊焼きを楽しんだ一行は、ちょっとの間だけ休んでから、さっそく迅雷が発見した温泉目指して出発した。キャンプに誰か残るべきかとも考えたが、もう暗くなり始めたのでみんな一緒の方が安心だという結論に至った。
「おっんせん♪おっんせん♪」
慈音もちゃっかり入浴セットを準備して期分は上々のようだ。煌熾と迅雷のガイドで着々と森の中を進んでいく。
「なあ迅雷、ちなみに温泉ってどんな感じ?狭かった?あんまり岩場になってなかった?」
「混浴はナシだぞ」
「オレまだそこまで言ってなぁい」
「どうせ広かろうが岩場だろうがテキトーつけて混浴するしかありませんって提唱するパターンだろうが」
「ちぇ・・・。仕方ねぇな、覗くぐらいで我慢するぜ」
「真ちゃんの目つぶし賛成のひとー」
千影の募った多数決で真牙から光が未来永劫失われた。ウソだ。でも本当に覗いたりしたら反射的にやっちまうかもしれない。千影はやるときはやる女なのだ。
「あ、でもとっしーなら一緒に入っても良いよ♡」
「それもしのが困るからダメだけどね!?」
「ふむ、迅雷の皮を剥いで着ようかな」
「物騒なことボソボソ言うんじゃねぇよ」
「ボクはとっしーが筋肉丸出しの人体模型人間になっても変わらず愛し続けるよ・・・」
「重い!怖い!そうなる前に助けてよ!?」
森を抜け、川の畔を上流へ遡り、また木立の間を縫えば漂う濃密な湯の香り。白む視界の悪さに心が躍る。
「着いたぞ、ここが天然温泉だ!」
まず一番に目に入ってくるのは、屹立する山々の上から轟々と続いている巨大な滝の数々だった。その滝の浸食によってかなりの広範囲に渡り細かな段丘地形が形成され、窪みという窪み全てに湯が溜まっていた。その湯もまた、山を下ってどこかへ流れ落ちていく。絶えぬ流れのおかげか水は清らかだ。
想像を超えて現れた壮大な湯の景色に、初見の3人はしばし呆気にとられていた。ちなみに、この場所はクエストで言われていた開発予定地ではない。依頼主の温泉協会も、さすがにこの規模のものをレジャー施設に組み込むことは出来ないだろう。まさに、クエストを受けた『DiS』だけの特権だ。
「す、すごい・・・段々になってるとこ落ちてくるの全部温泉なんだよね?」
「多分な。上の方はかなり熱そうだけど、このあたりの高さなら適温になってたぜ」
地形の関係で岩陰も多いので、脱衣所代わりになるだろう。みんなクエストが始まってから汚れっぱなしだったので一刻も早くお湯に浸かりたいところだったが、一応、生き物除けの効果圏からは完全に飛び出しているので警戒役が必要だ。もしかすると森に潜む巨大な猛獣が温泉で水浴びをしに来るかも知れないわけだし。迅雷と煌熾による風紀絶対遵守精神によって男女別での入浴が決まっていたので、入ってない方が付近の見回りをすることになった。
『ぶ~。とっしーと一緒が良かったのにぃ』
『だからそれはしのがヤだからぁ』
目と鼻の先で女の子が肌を露わにして語らっている。大きな岩を挟んで向こうのこととはいえ、裏を返せばたかだか岩一つ。忍び足で10歩も歩けば簡単に欲望を満たせてしまう程度の弱い境界だ。
岩に背を預けて、男子3人はボーッと暮れの空を見上げていた。
(はー。慈音ちゃんのプリめのおしりと千影たんのナチュラルにすとーん・・・なシルエットが目に浮かぶようだぜ。・・・くッ、けどやっぱ湯気越しでも良いから生で見たいッ!!)
(思えば『DiS』っておっぱい枠いないな―――。焔先輩もランクアップして人数枠増えたことだし、今度矢生でも誘ってみようかなぁ)
「な、なぁ2人とも。少し周囲の見回りに行かないか?ここでボーッとしてても仕方ないだろ?」
そう切り出したのは、さっきから妙にそわそわしていた煌熾だった。
「ほう、焔パイセンが進んで覗きを提案するとは。良いでしょう、お供しますぜグヘヘ」
「違うからね!?い、一応見張りなんだからちゃんとしようという話であってむしろもう少し遠くの方を見に行こうって話なのよ!?」
「ハァ・・・。ま、デスヨネ。パイセンはマジメだけがウリっしたもんねぇ~」
露骨にガッカリした真牙の首根っこを引っ捕らえて、煌熾は足早に岩陰から離れた。迅雷も仕方なくそれについていく。
「先輩さっきからムズムズしてたのって、ひょっとして気まずかったからですか?」
「う、うるさいな、神代まで。仕方ないだろ、俺だって異性は意識するんだ」
「なんか意外ですね」
「逆に神代は俺のことなんだと思ってたんだ」
「・・・で、特にどっちが気になるんですか?」
迅雷がニタァと笑ってそっぽを向く煌熾の顔を追いかけると、なぜか真牙に殴られた。
「テメェなんだその余裕ぶった顔はよォ!!これで勝ったつもりか!?2人はテメェのもんじゃねェんだよ!!くたばれロリコン野郎!!」
「そんなつもりねぇわクソが!!口の中切っちゃっただろうがこの野郎!!テメェも右のツラ差し出せオラァ!!」
湯治するための傷をせっせと準備するバカ2人だったが、遠くから慈音がなにやらぶっ壊れたテンションではしゃぐ声が聞こえてきて争いはほっこりと収まった。きっとそろそろ千影が慈音を襲ってふにふにと組んず解れつし始めるのだろう。
「「良いでしょう、焔先輩。これは桃源郷を守るための聖戦ってワケですね」」
「もうそれで良いよ」
●
見回りのために離れていく男子3人の声を聞きながら、千影と慈音はお湯の中でとろけていた。家で沸かすよりやや熱めだが、疲れた体にはむしろよく沁みる。大衆浴場なんて目じゃないとにかく大きな窪みひとつが丸ごと湯船だ。両足を投げ出して肩までお湯に浸かるなんて当たり前。それどころか大の字になって浮かぶも自由だ。無論、泳ごうがお湯の掛け合いっこをしようが怒る者もいない。
「疲れがふっとんでくぅ~。酒だー、酒もってこーい!」
汗も垢もサッパリ流して気分のノってきた慈音は居もしない誰かに謎の注文を飛ばしてみた。いや、なんか慈音的には温泉と言えばお酒を載っけたお盆がお湯にぷかぷか浮かんでいるイメージがあるのだ。
ただ、慈音の魂の叫びは妙に寂しく山に木霊して、陽気に振り上げた手のやり場がない。
「・・・な、なんちゃってー。しのまだ未成年だからオレンジジュースでお願いしまーす・・・。・・・おーい、あれ?ち、千影ちゃーん・・・?」
湯気が濃く、湯船も広すぎるので、千影の姿も見当たらない。お湯に飛び込むなり泳ぎ回っていたので、はしゃぐ勢いで遠くまで行ってしまったのだろうか。
「さ、さびしいっ・・・!そしてちょっと恥ずかしいよ千影ちゃん!しのがまるでひとりぼっちで盛り上がってるみたいだよ!?いえぇーい!!」
合いの手を求めて慈音がさらに声を張ってバンザイしていると、湯煙の向こうから迫り来るなにかが見えてきた。だが、その勢いはまるで鮫のようで、見えた影はただの巻き上げられた湯飛沫だった。
「なっ、なにですかぁ!?もももももしかして温泉のヌシ的な!?」
結界魔法を使う間もなく飛沫の主は慈音の懐に飛び込んできて。
「ぎゃおー!!」
「ぎゃあああああああッ!!食べないでぇぇ―――にゃっ!?」
温泉のヌシに曝け出した両脇を触られ、慈音の悲鳴は一転して大笑いに変わった。
「いえーい、こちょこちょー」
「あっ、あはぁっ!?ちょ、千か、はひっ!待、ひひへへっ!?」
ヌシの正体は爆速で温泉を遊泳して元の場所に帰ってきた千影だった。隙だらけだった慈音をくすぐり地獄で湯中に沈めた千影は、満足そうに底に腰を落ち着けた。体の小さい千影は、お湯の中で座ると自然と口元くらいまで沈んでしまった。
「ブクブク。温泉サイコーだね、しーちゃん!」
「はぁ、はぁ・・・ひ、ひどいよ千影ちゃん、不意打ちなんて・・・」
「不意打ちというか強襲だったね」
その後しばらくは移動せずゆっくり浸かっていた2人だったが、千影の提案で別の窪みのお湯にも入ってみることにした。
「わっ、なんかいま足に当たった」
「見て千影ちゃん。ちっちゃいお魚がいっぱいいるみたい」
「ホントだ―――って、いっぱいすぎない!?」
最初は可愛いくらいの集まり方だったのが、どこからともなく小魚の大群が集まってきて、千影と慈音の足元に群がってきた。小魚はドクターフィッシュに似た習性でもあるのか、口で足をつついてくる。だが、あれと違って少し痛い上に、ビチビチと跳ねて温泉から飛び出し、あろうことか太腿や腰あたりまで食いついてきたので、2人は慌てて逃げ出した。水面を埋め尽くす数の魚群にたかられるのは少しゾッとする光景だった。
逃げた先の窪みにさっきの魚がいないことを確かめ、2人は腰を下ろす。今度は少しシュワシュワする。天然の炭酸風呂だ。もっとも、ガスの正体が炭酸とは限らないのだが、暢気な彼女たちはそんなことなど考えない。幸いというべきか、少なくとも人体に有毒な物質ではなかったようである。
「しーちゃん見てて」
「どうしたの?」
ぽこぽこ、と大きい気泡が浮かんできた。
「おならー」
「えー、ちょっとやめてよぅ」
「なんちゃって」
千影は手でガスの細かい気泡を堰き止めては大きな塊にして遊んだ。家の風呂じゃ入浴剤1個で遊べる時間に限りがあるが、ここなら無限に遊べる。
ガスはどうやら足元の岩盤から漏れ出ているらしい。他の窪みでもガスは出ているようだが、入った中ではここが一番たくさん出て来ているみたいだ。初めに入った窪みよりも少し崖側、つまり滝壺に近いので、その分だけ岩盤が深く削られて地下のガスが噴出しやすくなっているのかもしれない。
ともあれ、天然のシュワシュワ風呂は風情もそうだが、なにより疲れた筋肉によく聞く感じがした。2人はまったりとお湯に体を浮かべた。背中で気泡を受け止めていると、空に浮かんでいるような解放感がある。
あまりの気持ちよさに千影が想わずあくびをしたときだった。
チカ、チカ、チカ、と。
橙と濃紺の間に染まった空に、青白い雷光が3度続けて瞬いた。
●
「迅雷!焔先輩の具合見せろ!!」
「走りながら見て!!」
「ッ、だいぶ酷い!!すぐ処置しないと失血死するぞ!!」
煌熾が喰われかけた。
頭を喰われかけた。
木々を薙ぎ倒す轟音は容赦なく追ってくる。
episode8 sect17 ”A Checkered (Re:)encounter ”