episode8 sect11 ”約束はやはり楽じゃない”
皇国のプリンセスの朝は早い。
「アスモ様。アスモ様!アスモ様、もうお目覚めの時間はとっくに過ぎてございますよ!」
「うー」
皇国のプリンセスの朝は早い(本人比)。
知性の抜けた拙い唸り声を上げて、アスモは左右に4、5回は寝返りを打てそうなベッドから起き出た。
「今日は特に込み入った仕事はなかったはずじゃあ・・・」
「そのようなことは瑣末事にございます。アスモ様もそろそろ皇女としての自覚をお持ちになって下さい。さあ、まずは規則正しい生活を―――」
「あーあー、突然耳が聞こえなくなってしまったわー」
これでもやるべきことがある日はちゃんと早起きをしているのに、こうしてたまに惰眠を貪ろうとすれば、この侍従長、毎度すかさず飛んできてはこうして小言をこぼすのだ。こういうとき「お前は私のオカンか」とツッコめば良いらしい。ビスディア民主連合の―――おっと、今は皇国領ビスディア技術開発特区だったか。特区にあるマンガ図書館の蔵書が出典だ。
急かす侍従長に着替えを手伝われ、寝ぼけ眼でブランチを済ませる。腹が満たされたら、日課であるペットの散歩だ。
アスモが食堂を出ると、エメラルドグリーンの髪をハーフアップにした清楚系美少女が扉の先で待ち構えていた。ウソだ。美少年の間違いだ。彼はザリック・サレン・スリエラ。七十二帝騎の一人だ。本来のアスモの側付きであるルシフェルがまだ神代疾風との戦いで受けた傷でリハビリ中のため、引き続きザリックがアスモの身辺警護を任されている。
ほぼ毎日アスモに指定された衣装を着させられているザリックだが、今日は久々にヒラヒラのミニスカートから解放されたからか少し気分が良さそうだ。もっとも、スカートではないにしろ太腿の露出度合いはほとんど変わっていないのだが。明らかに城内を歩く服装からはかけ離れているのだが、アスモの特権というか、もう誰もツッコまなくなってきていた。身分はさておき、どちらもまだ年齢的には子供なので微笑ましく見られているのかもしれない。
「うむ、今日もザリックは可愛いな!」
「アスモ様こそ今日もお美しいですよ」
キャッキャウフフと2人は会話を弾ませつつ、城の裏庭へと出た。
すると。
『ギョアアアア!』
なにか黒い影が恐ろしい速さで2人の前に飛び出して、耳を劈く咆哮を上げた。
真っ黒な甲殻と灰色の剛毛に覆われた8m級の巨体、ギョロリと動く真っ黒な目玉、不気味に蠢く背中から生えた一対の鋏、長くて太い一本爪。常人であれば目が合っただけで生を諦めてしまうであろう怪物の中の怪物。人間界では『特定指定危険種』に認定されている凶悪モンスター『ゲゲイ・ゼラ・ロドス』そのものだ。
しかし、アスモはおろか警護役のザリックさえ、『ゲゲイ・ゼラ』を恐れる様子はない。むしろニコニコしているくらいだ。
それもそのはず。というのも、アスモのペットというのは、これのことなのだから。アスモが手を上に伸ばすと『ゲゲイ・ゼラ』は頭を垂れて、その頭殻の角を撫でさせた。
「よーしよし、良い子だねチャッピー。今日もお城のお庭を散歩しようねー」
この『ゲゲイ・ゼラ』の名前は”アルチャプカドラ”、愛称は”チャッピー”だ。3年前、アスモの聖誕祭でマム・モーン侯爵がプレゼントしてくれた『ロドス』の初期生産個体だ。外敵には苛烈な排除行動を取ることで知られる『ロドス』だが、ちゃんと躾をすれば可愛いものだ。見た目が可愛いかどうかは意見が分かれるが。
今では城の害獣駆除だったり侵入者対策だったりと、まるで番犬のように活躍して城勤めの者たちからも愛されている看板ペットだ。
アスモはフラフープほどもあるチャッピーの首輪にリードをつけて、さっそく散歩に繰り出した。チャッピーは標準的な『ゲゲイ・ゼラ』と比べてもさらに一回り体が大きいので、城内のような狭い場所は通れない。散歩の初めはいつだって城の周りをぐるりと半周するところからだ。今日は右回りにしようか、左回りにしようか。
皇城は一般開放している区画があるので往来は活発だ。多くの訪問者で賑わう城門まで回ってきたアスモは、ビスディア特区から特産の食材を運んできたトラックを見てポンと手を叩いた。
「そういえば、この時間ならアレもまだ城に居たな。ちょうど良い、散歩に誘って親睦を深めるとしよう!」
アスモはチャッピーのリードをザリックに預け、小走りで城内に戻った。
皇城には重要な客人が宿泊するための部屋がいくつもある。そのうちの、特に身分が高い客用の部屋のひとつに、アスモはノックなしで飛び込んだ。
「おはよう!!突然だが妾と散歩しよう!!」
広い客室の、アスモのものほどではないが大きなベッドの上で膝を抱えていた少女は、おもむろに顔を上げた後、アスモの顔を見てニコリと笑った。
●
月曜日が来れば、迅雷はいつも通り学校へ行く。しかし、今日の気分はいつもと少し違う。
迅雷は、とある人物から、とあるミッションを任せられているからだ。
そのミッション名はズバリ。
”雪姫ちゃんお友達になりましょ大作戦!!”
エクスクラメーションマークまで含めて正式名称である。気合いが入っているということだ。今まで散々にスルーされてきたが、今回はひと味違う。なんといっても、雪姫の唯一の肉親にして可愛い可愛い夏姫ちゃんからの正式なお願いなのだ。家族公認なのだ。雪姫も夏姫には甘々だという話なので、チャンスは間違いなくある。
教室に着いた迅雷は、雪姫が既にいることを確認し、まずは慈音を伴って廊下に出た。
「よし、しーちゃん。プランAの手順を確認しよう」
「イエッサー」
まず、急に「友達になろう」では通用しない。アソパソマソの世界ではないのだから、相手が雪姫じゃなくても困惑させてしまう。
大切なのは、相手のことを気に掛けているということを理解してもらうことだ。というより、恐らく夏姫が言いたかったのも「独りに拘って突っ走る姉のことを気に掛けてやってくれ」程度のことだったのではなかろうか。友達というのは、少し希望が強く出てしまっただけで。
だから、大前提として、迅雷たちは雪姫に好意的に接しつつ、関心があることを示すため積極的に会話のチャンスを作っていくことを作戦の脊柱とする。そして肉付けとして会話をするシチュエーションの設定をしていく。
プランAの手順はこうだ。
① 今日の2限は英語の授業だが、その授業では毎回、問題集の予習をしておかなければならない。しかし、迅雷も慈音もうっかり予習してくるのを忘れてしまう。
② 仕方なく真牙あたりに問題集を写させてもらおうとしたが、肝心の真牙がまだ登校していない。(していた場合は事情を伝えた上で合わせてもらう予定だった)
③ そこで、クラスでトップクラスの成績を持つ雪姫を頼る。
これで晴れて話のきっかけを作ることが出来るというわけだ。そして、あわよくば昼食にも誘えるかもしれない。そのためだけに迅雷と慈音は今日、弁当派の雪姫に合わせて弁当を持参している。
だが、ステップ③の成功率は低い。なぜなら、別に雪姫が見せなくても迅雷と慈音を助けてくれる友達は他にいるからだ。問題の難しさだって、わざわざ成績上位者に頼らなくてはならないほどではない。
よって、ここを拒否された場合の派生ルートとしてプランCが構えている。プランCでは、明日のダンジョン演習を利用する。最初の2、3回の演習以降は生徒たちもダンジョンでの勝手が分かってきたので、ライセンサー同士が班を作ってもOKになった。そこで、早いうちに雪姫に声を掛けておく作戦だ。毎度、雪姫はグループのメンバーを選ぶ様子はないため、ゴリ押しでいけば組めるはずである。
なお、一見単体でも機能しそうなプランCを実行に移す際にわざわざプランAを経由するのは、実は非常に重要なプロセスである。予習の答えを見せてもらえなかったことを残念がりつつ、じゃあその代わり明日はよろしくね、という風に話を取り付けることに意味があるのだ。
まず、残念がりつつ”代わりに”という点を強調することで、相手の罪悪感に訴えかけて望んだ回答を引き出しやすく出来る。
そして”明日はよろしく”と実際は返事をもらっていないにも関わらず約束が成立したかのように話を終わらせ立ち去ることで、相手の認識を誤魔化す。気乗りするかは問わず、ただ仕方なくそうした方が良いのかな?と思わせれば迅雷たちの勝ちだ。
ここまでの流れは、かつて荘楽組の一員として組織同士の交渉の場面にも立ち会ったことがある千影の助言も受けて練ったものだ。死角などない。罪悪感と押しの強さにめっぽう弱い日本人の本質をガンガン突いていくえげつない作戦である。
プランの流れをおさらいした迅雷と慈音は、2人で円陣を組んで気合いを入れた。
「やるぞ!」
「おー!」
教室に戻った迅雷は、さっそく演技をスタートした。まずはステップ①、英語の予習を忘れたことに気付く。教室の後ろのホワイトボードにはその日の時間割があるので、迅雷はそちらを見た。
「あ、やべっ。今日の2限って英表になってたんだったっけ!?予習やってないわ・・・」
ここで迅雷は慈音にチラッと目配せをする。
「え、えーっ。そうだっけー?じゃあしのも予習してないよー」
(棒読みじゃん!!演技力!!)
どうやら慈音は若干緊張してしまっているようだ。気合いを入れすぎたことが裏目に出てしまったのだろう。しかし、始めてしまった以上は止まれない。他のクラスメートが反応する前にガンガン進める。
ステップ②、真牙を頼ろうとしたが、いないので困り果てる。
「ど、どうしよう、としくん?」
「真牙もまだ来てねぇし・・・うーん。あ、そうだ!」
迅雷はいかにも自然に思いついたように表情筋を制御して、雪姫の席の方を向く。問題集をチラつかせてキメ顔をする茂武夫がいた。お呼びじゃないので笑顔のまま押し退けた。
「天田さ・・・」
まだなにも言っていないのに、なぜか迅雷は雪姫と目が合った。
「(としくん?)」
「(なんかいま天田さんこっち見てなかった?)」
「(え?気のせいじゃないの?)」
迅雷と慈音がテレパシーする頃には、もう雪姫は迅雷のことを見ていなかった。怪しまれたのだろうか。だとしたら大根役者の慈音のせいだ。
ええいままよ。迅雷は構わず演技を続けることにした。
「天田さん、あのさ、俺たち実は英表の予習忘れちゃってさ。良かったら見せてくれないかなーって」
「なんで?」
「そ、そこをなんとか―――」
「・・・・・・」
一言キッパリ拒否したらあとはだんまり。いつものことながら冷たい態度だ。
だが、ここまでは想定内。迅雷は一度慈音とアイコンタクトを取ってから、すぐさまプランCへと移行した。
「はー、そっか。残ね
「あのさあ」
ここで予想外が発生した。迅雷の台詞を遮るように話し掛けてきた雪姫に、迅雷は順番を譲った。
「どうせ夏姫になんか言われたんだろうけど、鬱陶しいだけだから」
「バレテーラ」
恐ろしく勘が良い。差し詰め土日で夏姫が迅雷と遊んだときの話を雪姫に報告したのだろう。頭の回転が良い雪姫なら、夏姫の様子から様々な推測が出来るということか。
「あれ?これどうしよう、としくん」
「どうしようねぇ」
そう言って迅雷が雪姫の方を見ると、雪姫はつーんとそっぽを向いてしまった。これ以上なにか言っても聞いてはくれないパターンだ。プランCもこれでは効果を発揮しないだろう。
しかし、ここで空気を読まないのが慈音の強みだ。
「バレちゃったらもう良いよね。実はね、としくんこないだ夏姫ちゃんって天田さんがそのままちっちゃくなった感じですっごく可愛いって言っててね、しのも会ってみたいなあって思ってるんだぁ。気になる!」
「ちょっとー、慈音さーん?なんかいま俺が天田さんに睨まれたんですけど?いや、ホント待って、違うの。そういう意味じゃないの。お姉ちゃん、ステイ、ステイ」
「チッ」
まだ「誰がアンタのお姉ちゃんになったんだコラ」とか「妹に手を出したらぶっ殺すよロリコン野郎」とかキレられる方がいくらかマシだった。心に深い傷を負った迅雷は、慈音がこれ以上迅雷の墓穴を掘る前にその手を引いて退散した。迅雷の席では、茂武夫がまだ問題集を持って待ち構えていた。
○
この日の実技魔法学の時間に、迅雷は真牙と軽く打ち合いをしながら雪姫との会話の切り口について相談をしていた。
「フツーに幼稚園一緒だったんだね、とかで良いんじゃねぇの?」
「待て真牙、相手はあの雪姫ちゃんだぞ。キモいとか言われてみろ、俺は死ぬぞ」
「千影たんと付き合っといてよく言うぜ」
「待って、なんで知ってんの?」
「なんで気付いてないと思ったの?」
迅雷の脳天と練習用木刀がスコーンと良い音を鳴らした。
「だ、大丈夫です?すごい痛そうな音しましたですけど・・・」
隣で打ち合っていた凸凹コンビの凹担当、小動物系少女の西野真白が、頭頂部を押さえて呻く迅雷を心配してくれた。
「だ、大丈夫。大丈夫だから」
「そうですか、良かったです。で、神代君?いまの話くわしく話せです」
「はい?」
「誰が誰と付き合ってるんです・・・?」
迅雷が真白の瞳孔が開ききった目に怯えた直後、真牙の理不尽な追い打ちによって迅雷はノックアウトされた。
○
近々、実技魔法学の授業の一環として、通常魔法コースや剣技魔法コース等の全コース合同で交流試合がある。そこで試合に出る生徒を決めるために、9月に入ってからの授業では予選代わりのスパーリングを行っていた。
そして今日、再び因縁の2人がフィールドで向かい合った。
神代迅雷と阿本真牙。1年生の剣技魔法コース履修者の中では入学当初から不動の双璧を成す2人が巡るは、1on1の出場権だ。
チーム戦の出場枠もあるが、それに甘んじるつもりはさらさらない。タイマンの試合でカッコ良く勝った方が、絶対キャーキャー言われそうだからだ。
「思えば魔力全開状態の迅雷とやんのはこれが初めてだったな」
「そうだったな。なんだよ、ビビってんのか?」
「バカ言え。柔よく剛を制す、だぜ。火力バカに負ける道理なんざねーよ」
「誰が火力バカだ。こちとら負けるわけにはいかねぇんだよ。あと、さっきの追い打ちの借りはぜってー返させてもらうからな」
審判をするのはコース担当教師の桐﨑だ。桐﨑の合図で迅雷と真牙は剣を抜いた。
真牙は鍔に八輪の水仙が彫られた日本刀『八重水仙』を。迅雷は淡い翡翠と黄金の二刀『風神・雷神』を。
「見ろよ、神代が二刀流やるっぽいぞ」
「え、マジ?また魔力切れしないの?」
「なんか剣も新しいやつじゃね?」
試合を見に来た同級生たちがザワザワしている。彼らはまだ、迅雷の魔力量の事情のことを詳しく知らないのだ。そんな彼らを桐﨑がさらに5mほど下がらせた。
「良いか2人とも。授業だから、頼むから、無茶はするなよ・・・?」
「「はーい」」
「試合開始!」
号令と同時に、迅雷の体が前に伸びた・・・ように見えるほどの豪速の踏み込み。
「『一閃』!!」
「やっぱ速ェな・・・ッ!!」
そう言いつつ、真牙も負けず劣らずの反応速度を見せる。迅雷の呼吸を読み、瞬時に予測を行い、その太刀筋の未来位置へと己の刃先を滑り込ませて、ほんの少し力を加える。それだけで、迅雷の砲弾のような突進斬りは明後日の方向へ流れていく。
しかし、迅雷は二刀流だ。体勢を崩しにくる力を遠心力として吸収し、左腕をグンと背面に回す。
足が地面から浮くが、その隙を突かせない。
地面に垂直な、旋風の如き回転斬り。
エメラルドの閃光が砂埃をも瞬きの内に吹き晴らした。
真牙は半歩だけ下がってそれを躱す。
実に迷いのない最適化された回避行動。
維持された間合いを走り戻る銀の彗星。
鋒は三つの筋へと分化していく。
その挙動を迅雷は見逃さない。
この技は、今の迅雷の力を以てしてもなお防御すべきではない。
「斬、玖乃型―――『穿』!!」
以前にも増して正確かつ高速になった、目にも止まらぬ三連刺突が眉間に迫る。
迅雷は地面に刺さった『風神』の刃先に中型風魔法を発生させ、ロケットのように突きの間合いから飛び出す。
ついでに土煙で目眩ましも出来て一石二鳥だ。
着地した迅雷は、一歩で体勢を整え、二歩目で再び『雷神』を振りかぶる。
本来なら剣の間合いとはかけ離れた距離感での攻撃モーション。
しかし、もはや迅雷の間合いに”外”という概念などない。
昼間に太陽を見失うほどの極輝度が迅雷の剣から撃ち出される。
真牙はまだ土煙の中。
光に気付いたときにはもう―――。
「―――とでも思ってんのか?」
土が入った目を瞑ったままでありながら、真牙は不敵に笑う。
「なっ」
迅雷には『駆雷』を放った次の瞬間、真牙が目の前に現れたかのように見えた。
『駆雷』は、真牙の背後で真っ二つに割られて地面にV字を刻んでいた。
(コイツ、あの魔力密度を斬りやがった!?)
刀を振り終えた直後の真牙の姿勢は、狭い筒の中でも通るかの如く腰を低くした半身だ。
その瞬発力を裏付けるように限界まで伸ばされた蹴り足と、鋒が地面につっかえて躓きかねないほど低い位置で止められた刀。
迅雷が知らない技だ。
しかし、真牙の刀から出た微かな金属の擦れる音で迅雷は考えることを止める。
困惑したら負ける。
ただ、対応するだけ。
真牙は『駆雷』を斬った返す刀で軽く素早い突きを連打する。
お茶を濁すような行動だが、迅雷の反撃を牽制しつつ、いまの大振りで晒すはずだった隙はこれでキャンセル出来る。
そして、締めの一撃にこっそりと『穿』を混ぜ込む。
迅雷はそうと気付かず『雷神』の腹でその重撃を受けてしまう。
手首の繊細な骨では到底耐えられない衝撃が走り、迅雷は『雷神』を取り落とす。
さらに一歩、まるで流水の如き滑らかな摺足で真牙が間合いを詰める。
このまま斬り上げで勝負を着けるつもりだ。
「さっ、『サイクロン』!!」
堪らず迅雷は魔法を絶叫する。
迅雷の足下から直上へ突風が巻き起こされ、迅雷の体は竜巻に吹き上げられるように浮かび上がる。
バランスの取りにくい浮上手段のため、迅雷の視界は天地反転しつつ地上から離れていく。
顔面に追いつこうとする白刃を、迅雷は背筋に渾身の力を込めて上体を反らし、紙一重で回避する。
だが、つまり迅雷はいま空中で地面を見たまま海老反りという無茶苦茶な格好にある。
高度を考えれば体操選手だって腹から地面に激突する危険な状況だ。
真牙が振り上げた刃を翻す。
跳んだ迅雷を袈裟斬りに叩き斬る構え―――恐ろしいほどに計算高い連携攻撃である。
迅雷が風魔法で真牙の視界を奪いつつ距離を取ったその時点から、迅雷は真牙の術中だったのだ。
これが対迅雷専用の型の最終段。
『八重水仙』の刀身が淡く紫を帯びて共振する。
半端な防御ならば貫通する必殺の太刀を振り下ろす。
誰もがここで決着を確信した。
審判をする桐﨑もジャッジの動きを見せた。
事実、そのコンマ5秒後に勝敗は決されることとなった。
一言で言えば、奇妙な動きだった。
真牙は既に剣を振り下ろし始めていた。
故に、どうすることも出来なかった。
迅雷が、頭を逆さまにしたまま、足元に魔法陣を展開したのだ。
緑の光を発する中型の魔法陣はすなわち風魔法。
見慣れた『サイクロン』と同質のものだった。
だが、迅雷はそれを剣を落として空いていた右手で掴んで、両足で確実に踏みしめた。
そして、足のバネが最も大きな力を蓄えた瞬間に風を起動したのだ。
魔法と共に解き放ったバネに、魔法による突風、そして重力が絡み合って、迅雷の体は真牙の斬撃を置き去りにするほどの速力を生んだ。
まるで投げたボールが空中の見えない壁で跳ね返ってくるかのような、物理現象の常識の隙を突く不自然な挙動。
その様は、あるいは地上から空へ上がる雷撃の後にその導電路をなぞって繰り返される正真正銘の雷現象のようでもあった。
故に付いた名は―――。
「『多重雷撃』!!」
落雷を見て躱せる人間などいない。
雷切伝説は実現しない。
雷鳴を思わせる轟音、離れて見ていたギャラリーが腰を抜かすほどの衝撃。
土煙が晴れ、迅雷と真牙の姿が現れる。
桐﨑のジャッジより先に歓声が上がった。
「ちくしょう、キモい動きしやがって・・・」
「新技があるのは真牙だけじゃないんだぜ」
コンマ5秒後に、迅雷は肘で押し倒した真牙の首筋に『風神』を突き付けていた。