episode8 sect10 ”ブレインイーターの調査報告”
ジョンは休日の時間を使ってロンドン市内にあるIAMOの病院に顔を出していた。ヘマをしたという同僚が入院しているというので皮肉を利かせた花束片手に笑いに来たのだ。
「ようエミリア、聞いたぜ?奴さんにボコられたらしいじゃないか。さんざん人に気構えがどうのと講釈垂れといてザマあないなオイ」
だが、憎まれ口にいつものような返しはない。
入院中の同僚というのは、ジョンが呼んだ通りエミリアのことだ。『ブレインイーター』と名付けられた謎のモンスターの捜索任務に当たっていた彼女の班は、それと遭遇したあの夜に壊滅した。彼女の他に3人いたパーティーメンバーのうち2人が呼称通りの『ブレインイーター』の餌食となり、もう一人も『黒閃』に巻き込まれて半身を吹き飛ばされ生死の境を彷徨っている。班長であるエミリアも、なんとか瀕死の仲間を担いで帰って来たっきり、こうして眠ったままだ。
ジョンは鼻で嘆息し、しばらくエミリアのあまり穏やかではない寝顔を観察してから、花瓶の花を自分が持ってきたものと取り替えてやった。エミリアをバカにする意味合いの花言葉を考えてチョイスしたものだが、花そのものに罪はない。せっかく咲いたのだから、せめて病室を彩らせてやるのが道理だ。・・・と、エミリアなら言うだろう。
「まったく、やるせないもんだ。お前の班が遭遇して以降は捜索チームによる『ブレインイーター』の発見報告はサッパリなし。なのに民間の被害は絶賛継続中ときてる。お前があの時に仕留められてれば解決だったかもしれないのにな」
当然、エミリアが『ブレインイーター』と遭遇したダンジョンは特に重点的に捜索が行われたが、ついぞ再会は果たせずに1週間が経過した。残念な結果だったが、そこから予想出来ることもある。当初からあった疑問のうちのひとつ、生息地についてだ。
『ブレインイーター』はあの日、間違いなくエミリアたちの前に現れた。だが、今はもうダンジョン中どこを探しても、エミリアの持ち帰った『ブレインイーター』の魔力特性と合致する反応はない。
つまり、『ブレインイーター』は位相を超えてあるダンジョンから別のダンジョンへと移動しているという説が有力なものとなってきた。
だが、過去にそんな生物が報告されたことは一部の特殊な事例を除いてほとんどない。だから、あるいはリリトゥバス王国の生物兵器というのが『ブレインイーター』の正体であり、人為的にダンジョンをまたがせて人間を襲っているという可能性も示唆された―――のだが、これは早々に否定された。現在、IAMOが身柄を確保している元リリトゥバス王国騎士団の男があり得ないと断じたためだ。かの王国が量産している生物兵器は、いずれも元を正せば国内に生息する原生生物を品種改良と調教によって兵器化したものであるということは確かな事実であり、その中に『ブレインイーター』と特徴の似た種は存在しないという話だ。
だが、この証言もあくまで信憑性の高い参考情報に留まる。いま最も重要なのは、直接『ブレインイーター』と対峙したエミリアの記憶なのである。あれから逃げ切って帰って来たという一般の魔法士の証言もあるにはあるが、どれも恐怖体験が主軸になっていて要領を得ない。だから、誰もが一刻も早くエミリアが目を覚ますことを願っている状況だった。もちろん、だからといって彼女が起きるまで指を咥えて被害が拡大していく様子を見ているわけではないが。エミリアが記録した『ブレインイーター』の魔力特性解析も急ピッチで進められている。
ジョンは帰る前にもう一度エミリアの青い顔を見た。
「エミリアがここまでやられた相手だ。・・・もう一段、気を引き締めろよ、ジョン。この女に堂々勝利宣言するまで死ねないんだから」
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一方その頃、ギルバート・グリーンは『ブレインイーター』の魔力特性解析作業の経過報告を詳しく聞くために、マンチェスターにある国際魔力応用技術研究開発センターを訪れていた。ここもIAMOの魔法科学研究部に所属する施設であり、現状、人間界でも3ヶ所しかない魔法学関連のシミュレーションに特化したスーパーコンピュータを所有する施設でもある。
因みに残り2ヶ所は、片方がまたもIAMOの設備として海上学術研究都市ノアで、もう片方は米国が独自開発したものがカリフォルニア州で稼働中だ。それから、未完成のものにも目を向ければ中国が国を挙げて開発しているようだ。
さて、『ブレインイーター』の案件を預かるギルバートのところへは国際魔力応用技術研究開発センター―――長いので英名の略称『IRCM』で呼ぶことにする―――から定期的に調査報告書の電子ファイルが送られてくる。今回は完全に新種の生物の特性解析だったので作業が難航しているようだが、送られてきた報告資料の中に非常に興味深い内容があった。ギルバートがマンチェスターまで足を運んだのは、そのことについて深掘りした話をするためだ。
IRCMに着いたギルバートは、3階にある所長の執務室に案内された。そこでは、所長の他、実際に解析作業を担当していた研究員2名がギルバートを待っていた。
「こんにちは。お忙しいところ時間を割いてくださってありがとうございます」
「いえ、こちらこそ研究所までご足労頂いて。ああ、ただいまお茶をお淹れしますので、お掛けください」
紅茶を用意したのは、所長の秘書ではなく研究員のうちの下っ端の方だ。話の内容を考慮して、秘書でさえも人払いの対象に含めたということだろう。判断としては妥当だ。
適度な世間話を済ませ、ギルバートはさっそく本題を持ち出した。机の上に置いたタブレット端末に表示されているのは、2日前の定期報告資料だ。その中の一部にマーカーが引かれている。
○
現在IAMOのデータベース上に魔力特性のデータが存在する生物において、『ブレインイーター』の魔力特性と最も高い特性一致率を示した場合でも、その一致率は約12.3%に留まった。これは人間とハエの魔力特性一致率と同程度であり、従って現時点までに確認されている生物には『ブレインイーター』またはその近縁種が存在していないことが分かった。
一方、『ブレインイーター』の魔力特性解析結果には極めて異質な特徴が見られた。その特徴が特に顕著だった時刻の波形を図9(a)に示す。同図(b)はチンパンジー、(c)はイルカの補食行動時の魔力特性である。
(中略)
これらの比較により、『ブレインイーター』は捕食行動時に食欲以上に害意が顕著であり、かつ同時により複雑な精神的活動を行っていたことが分かる。すなわち、『ブレインイーター』は極めて高い知能を持ち、高次の精神活動を行う生物であることが推測される。
○
ギルバートがピックアップした内容は以上だ。
「まず、この捕食行動時の魔力特性波形というのは実際どんなものなんです?」
「ええ、時間変化の様子を映像で用意しました」
そう言って、研究者の2人がタブレットでいくつかの、波が動く様子の動画を再生した。オシロスコープと言われてパッとイメージの湧く人なら想像しやすいだろう。あるいは、分からない人も心電図の信号みたいなグラフだと思ってくれれば大体はオーケーだ。なんらかの信号波形が、時間経過で変化する様子を視覚化したものである。もっとも、いまギルバートが見せられているのはもっと高度な処理をして抽出されたデータだが。
魔力特性で見る主な要素は、
①魔力の属性、つまり赤色魔力や黄色魔力などの属性の区別。
②属性ごとの魔力信号の時間的な変化、周波数的な変化。
以上の2つである。
人間であれば、大抵は赤・青・緑・黄・紫のいずれか1、2属性に偏った白色魔力と微量の黒色魔力を持っていて、なにかを考えたりするとそれぞれの属性の魔力がその思考に対応する波形を生じる。それを特殊な機械で読み取ると、動くグラフとして表示出来る。これくらいの理解で大丈夫だ。
そして、この”思考に対応する波形”というのは人間に限らず、生物全体で共通している。異なるのは、人間のように知性が高度化するにつれて、信号の強度が上昇したりパターンが複雑化するという点だ。酷い言い方をするなら、人間同士であっても同じ失敗を延々と繰り返す阿呆と、なんでも一発で成功する天才を想像しても良い。この場合、後者の方がいろいろなことを同時に考えて行動している感じがするだろう。信号パターンが複雑化するというのは、こういう意味だ。そして、意識的・無意識的を問わず、行動に際してそういう思考がハッキリと行われているほど信号の強度も増すのである。デコピンとグーパンチで痛みへの反応の程度が違うように。
以上の前提を踏まえ、改めて『ブレインイーター』の魔力特性を見てみる。比較対象は引き続きチンパンジーとイルカだ。どちらも人間界では知能の高い動物の代表例だ。
彼らが餌を獲るときの波形は、前提通りほぼ共通だ。食欲が主要な思考だからだ。ここに、肉食行動時は獲物への害意が、狩りのための戦術思考が混ざって複雑化する。信号波形のギザギザが激しくなるのだ。
『ブレインイーター』の魔力特性にも、この捕食行動と思しき波形があった。恐らく、エミリア班の魔法士を喰ったときのものだろう。しかし、『ブレインイーター』の波形はチンパンジーやイルカなどとは比較にならないほど複雑な様相を呈していた。
続けて、研究員は人間の魔力特性を表示した。プライバシー保護の都合で、これは研究員の2人が自分たちを実験台に計測したものだ。
人間が人間に噛みつこうとしたときの魔力特性と、『ブレインイーター』の特性はよく似ていた。当然ながら人間の思考の方が複雑だし、そう簡単に同僚へ本気の害意など向けられないので波形のバランスも全然違う。だが、とりあえず『ブレインイーター』の脳が霊長類であるチンパンジーよりも人間に近いということが分かった。
ギルバートは紅茶を含んで、ほうと息を整えた。
「ありがとうございます。ここまでは理解しました。それで、お願いしていた件についてはどうでしたか?」
「はい、あの後さっそく調べてみまして。・・・1件だけ、ありました。こちらです」
タブレットに、また別の魔力特性が表示された。
さっきの報告を受けたギルバートは、自身の直感を確かめたいがために、解析班にある依頼を追加で出していた。新しく表示された魔力特性は、その調査の結果、IAMOのデータベースの別の領域からピックアップしてきたものだ。
しかし、見せてもらった魔力特性と『ブレインイーター』の特性を見比べて、ギルバートは首を傾げた。
「ふむ・・・ぱっと見ではそれほど一致しないようですが?」
「ええ。これも精々、一致率4割弱ってところです。ほとんど別人みたいなものですよ」
「されど4割弱、ですね。それに色も」
「ええ、こちらはよく一致します」
人間とハエの一致率は12.3%だった。ギルバートの考えを裏付ける材料としては確度不足だが、可能性としては高まった。
だが、仮にそうだったとして、ではなぜこんなことになっているのか?
「やれやれ・・・分からないことばかりだ」
「まったくです。まあ、どのみち『ブレインイーター』は厄介な相手ですよ。人間に迫る知能を持つ5m級の怪物なんですから」
「そうですね。ひとまずは、いま一度警戒を強め直すとしましょう。それくらいしか出来ないという意味でもありますがね。ともあれ、迅速に対応してもらえて助かっています。引き続き頼みますね」
「ええ、お任せ下さい。我々だってIAMOの一員、仕事は違えども目的はあなた方と同じなんですから」
依頼していた内容はまだ外に持ち出すべきではないとして、ギルバートは特に荷物を増やすことなくIRCMを後にした。
「怪物の正体―――さて、これからどうしたものかな」
考察を進めるためにあの少女の意見も併せて聞いてみたいものだ。もっとも、彼女はいま別件で中国だ。気ままな諜報員生活を邪魔するのも忍びない。というかぶっちゃけ、ギルバートは彼女に私事の相談なんて絶対にしたくない。なんというか、存在そのものが嫌いなので。
あ、ちなみにその”彼女”とは伝楽のことです。勿体ぶるつもりは特にないです。
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「へくちっ」
「どうしたの、探偵の姉ちゃん?風邪?そんなはだけた格好ばっかしてるから」
「ずびー。うるさいな、風邪なぞ引くものか。大方”例の組織”の幹部がわちきのことを警戒でもしとるんらろうよ。まったく、モテる女はツラいな」
「”例の組織”・・・!?戦いの予感ッ!!」
探偵の姉ちゃんこと、おでんこと、伝楽は安楽椅子を揺らしてアイマスク代わりにお気に入りの狐の面を被った。そして、面の下でそっとほくそ笑む。
(さぁて、精々いつも通り”正しく”事を進めようか、ギルバート・グリーン)