episode8 sect4 ”親の心”
神代疾風は先日の戦闘で受けた傷を癒やすために、治療の後もしばらくの自宅療養を許された。外見的には左腕の骨折程度だが、熱傷やら打撲やら、あるいは単なる疲労などが重なって、内側へのダメージが深刻だった。
まぁしかし、深刻とは言っても致命的なものではない。しっかり養生すれば治る範疇の傷だ。このタイミングで、しばし家族とゆっくり過ごす時間がもらえたと思えば良いだろう。
皇国の皇女アスモの摂政、ルシフェル・ウェネジア。疾風もルシフェルが主人から将軍の役職を与えられていることは知っていたが、まさか実戦場に出て来た彼と刃を交えることになろうとは夢にも思わなかった。今になって考えれば、なるほど、最高主権者の摂政という地位を得た者が戦場へ出向くためには、大袈裟でも将軍などと呼ばせるのが一番都合が良かったのだろう。
とにかく、恐ろしい相手だった。屍赤龍―――交流式典の最終盤に出現した首を持たないドラゴンを同時に相手取っていたためハッキリとは言えないが、多分、ルシフェル個人の戦闘能力は既に疾風と互角はあるだろう。怪我して療養なんてプロ魔法士なら珍しいことではないが、疾風に限って言えばかなり久々だ。
さて、そういった経緯があって、疾風は現在、自宅で休んでいるわけである。
妻は仕事、子供たちは学校。それから自宅が全壊してしまったため一時的に部屋を貸している東雲さん家も同じ具合でみんな出掛けている。よって、いま家にいるのは疾風と千影の2人だけだ。
その千影は、さっきから座敷で取り込んだ洗濯物と格闘している。
「おーい、千影」
「んー?」
「お前、急に家事の手伝いなんて始めてどうしたんだ?」
「えっとねー。まぁいろいろ出来るようにならないとなーって思ったの、最近」
「慈音ちゃんにでも触発されたか?」
「んー、そうとも言えるし、そうでもないとも言えるしぃ」
にへらにへらと千影は座ったままメトロノームになっている。千影もだんだん女の子らしくなってきたものだ。そういえばもう11歳になったと言っていたか。まだ子供といえば子供だが、そういう年頃なのだろう。
「『鬼子』、か・・・」
数奇な巡り合わせか、必然か。昔は随分と毛嫌いしていた記憶があるが、いやはや。いまの千影のあの幸せそうな顔を見ていると、なんというか、ほっこりする。不思議な気分だ。
と、そこで疾風のスマホが鳴った。仕事用の方だ。さすがに休めと言っておいて仕事の呼び出しなんてことはないはずだが、なんの連絡かは予想出来た。あまり家で仕事の話をするのが好きではない疾風は、出来るだけ家の外に近い縁側まで移動してから電話に出た。
「はい、神代です」
『私だ。静養中にすまないな』
「いえ、大丈夫です」
電話の相手は警視総監だった。要するに、職場のトップである。疾風は縁側に腰掛けたまま居佇まいを直した。
『まずは、交流式典の警護任務、ご苦労だった。結果はああなったが、よくやってくれたと思っている』
「・・・そう、言っていただけると助かります」
『あまり自分を責めるなよ。さて、多忙な《剣聖》がせっかく家で過ごせる時間を奪うのも忍びないから、本題に移ろうか。A1班の今後についてだ』
「・・・・・・はい」
日本全国の魔法事件を受け持つ警視庁魔法事件対策課の、その最高峰にして切り札がA1班だ。全員が国内でも指折りの才能を持つ魔法士で構成されていることで知られており、しばしばドラマなどでも題材にされるなど日本国民にとって憧れの的にもなっている。
だが、今やそのA1班はほぼ壊滅状態だ。
副班長でありIAMOからは《白怪》という二つ名をも与えられていた小西李が行方不明。最後に彼女と行動を共にしていたという人物らの証言では、彼女は『門』の中の異空間に幽閉されてしまったそうだ。もはや生存は絶望的だろう。
そして、李以前の副班長であり、李同様に二つ名《水陣》を持つ冴木空奈は全身に極めて重篤な火傷を負った。治療は済んだらしいが、現在も絶対安静の重体だという。
また、A1班随一のベテランである塚田譲太郞と、李とは同期で期待の若手だった松田昇は、2人とも両手を失ってしまった。遭遇した皇国の騎士の1人が、そういう特異魔術を持っていたのだ。手を奪われた後の戦闘で彼らも深手を負い、入院中である。救いがあるとすれば、医師から2人の命に別状はないと言ってもらえたことくらいか。
疾風もルシフェル戦で深手は受けたが、致命傷は全て回避していたので、A1班の現状で言えば一番マシだ。ただ、それをランク7の面目が保たれたと言うべきかは―――いや。警視総監も言っていた。疾風は今回の結果で自分を責める必要はないのだ。そもそもが想定外の夜襲であり、送られてきた戦力も目的に対して過剰と言わざるを得ないものだった。
魔法士はヒーローなんかじゃない。
子供たちに何度も言って聞かせた言葉だ。疾風がこの現実を忘れるはずがない。
あのとき、A1班は最善を尽くした。文字通りに死力を尽くし、尽くして、尽き果てて、なお皇国が一枚上手だった。これは、そういう話だ。
警視総監は、淡々と話を続ける。
『まず新しい副班長だが、これには冴木に、復帰し次第任せるつもりだ。そして、松田も義手を付けて復帰する意思を示しているそうだ。彼にも引き続きA1班で働いてもらおうと思っている』
「・・・その話の流れだと、塚田さんは―――」
『ああ。ここらが潮時だろう、と。魔法士にとって手は命だからな。・・・ここまで、あいつはよくやってきたよ。神代からも班長として労ってやってくれ』
「ええ、もちろんですよ。本当にお世話になりましたから。・・・出来れば無事に定年迎えてもらって、みんなでお祝いしたかったんですがね」
『そうだな。・・・さて。・・・ひとまず、今日の話はこれくらいだ。A1班の補充については人事部に任せているが、神代の方でも使えそうな人材があったらピックアップしておいてくれ。お前が見込んだヤツなら誰も文句は言わないだろう』
「はい、承知しました。では失礼します」
通話を終えると、後ろの畳から様子を見ていた千影が、洗濯物を畳む手を止めた。
「仕事、大丈夫そう?」
「大丈夫ではないなぁ・・・。本当、参ったよ」
「ボクに出来ることがあったら、言ってね」
「ありがとう。・・・それで、そうだ。千影に後で大事な話があるんだった」
「え、なに、なんか恐いんだけど」
千影の頭にフラッシュバックするのは『一央市迎撃戦』のときのギルバートの発言だ。彼も、いまの疾風みたいなことを言って、後日呼ばれて出向いたら思いっきり殺されかけたのだ。もし疾風が敵に回ったら今度こそ秒であの世行きだろう。
そんな千影の不安を察した疾風はすぐに手を振って否定した。
「ちがうちがう、そんなに警戒するなよ。俺が千影をどうこうするわけがないじゃないか。迅雷にも同じ話をするつもりだから、あいつ帰って来たらな」
○
その日、迅雷と慈音が学校から帰ってきたのは夕方の6時過ぎだった。ダンジョン実習の初回が、結局時間的に大幅に押してしまったからだ。慣れない家事に精を出してくったりした千影は、その頃にはもうソファで寝てしまっていた。
「あ。お帰り、お兄ちゃん、慈音さん。お風呂沸いてるからどうぞ~」
一足先に帰宅していた直華が玄関でお出迎え。ちょうど部活でかいた汗を流してきたところらしい。
「ただいま、ナオ。さて、風呂かぁ・・・よし、しーちゃん。どっちが先に入るかジャンケンだ」
「いいよ。じゃあ、じゃーんけーん・・・」
「お前はあとだ」
疾風の横槍でジャンケンは中断された。なにか話があるなどともったいぶる父に引っ張られ、迅雷は座敷に座らされた。
「ごめんねとしくん、おさきー」
「良いよ、後でナオとしーちゃんの合わせ出汁をじっくり堪能しますんで」
「しのは煮干しじゃないよ!?」
東雲家の味噌汁は煮干し出汁らしい。ちなみに神代家は昆布派だ。
いや、ツッコむところ違くない?と直華は思ったのだが、恥ずかしさが勝って言いそびれてしまった。
それはさておき。
疾風から話があるのは千影もだ。疾風はソファで寝息を立てる千影の頬をつついて起こそうとした。
「・・・すげぇ。マシュマロじゃん」
「いや遊んでないでちゃんと起こせよ」
そのぷにぷには俺のもんじゃあ!!と若干ジェラった迅雷に急かされ、疾風は仕方なくデコピンで千影を叩き起こした。千影は座敷までよろよろと歩いた後、座った途端にまたうつらうつらと体を揺らして、迅雷にもたれかかった。
「おかえり、とっしー・・・むにゃ」
「ただいま」
迅雷が千影の頭を撫でていると、疾風が咳払いをした。ハッとして、迅雷は千影を揺り起こしてちゃんと座らせた。
「迅雷、千影。大事な話だからしゃんとして聞け」
「うす」
「うっす」
迅雷と千影は、正座で改まった。
「あまり思い出したくはないと思うが、この前の民連での交流式典は酷い結末を迎えたな。最後には民連という国そのものが滅んでしまった。恐ろしい出来事だ」
「・・・・・・」
「アーニア姫は皇国がオドノイドを欲しがっているのではないかなんて推察していたが、皇国は依然としてオドノイドは排除する方針を続けている。一方でIAMOの上層部のオドノイドを保護したい考えも固い。こだわる理由はいくつかあるだろうが、1つはやっぱりオドノイドの利用価値だろうな。それと、既に一度方針を180度転換した以上は、組織としてのメンツを保つためにも『やっぱり魔族の要求通りに殺しましょう』とは言い出せないはずだ」
「そうなのかな・・・。ギルさんなんて超反対派じゃん」
「千影は知らないかもしれないが、本来、IAMOのお偉いさん方のほとんどは初めからオドノイドを手放すつもりはなかったはずだぞ。それを上手くオドノイド全個体の処分まで誘導したのは、ギルバート自身だ」
「え、なにそれ。初耳なんだけど」
サラリと明かされたが、ゾッとしない話だ。そんな真実を聞かされると、再びギルバートへの不信感が強まってしまう。
だが、過ぎたことはさておき、なぜIAMOの上層部の半数以上がオドノイド保護を標榜したのか?魔族との戦争リスクに勝るなにかがあったのか、あるいは真実など呆気ない感情論に過ぎないのか。ここまでのことは、いくら疾風でも分からなかった。ランク7とはいえ、疾風は所詮一介の魔法士であり、現場を駆け回ることが仕事の立場だ。知ることの出来る情報にも限りがある。
「・・・話が脱線したな。要するに、人間界と魔界の摩擦はまだしばらく続くと思う。次の衝突はこの前よりもさらに規模が大きくなるかもしれない。それに、同じ人間界の中にだってオドノイドの排斥を訴えている連中がわんさかいる。隣の中国なんて国としてIAMOに反発しているくらいだ。マンティオ学園のマネじゃないが、なにが起こるか分からない。いずれにせよオドノイドを狙った襲撃が起きるリスクはかなり高い」
「特に、面の割れてるボクが狙われる可能性は高いってことだよね」
「その通りだ。そこいらの過激派ならいざ知らず、千影も七十二帝騎とはやり合っただろう?」
「うん。・・・すごく強かった」
「千影はこれからあんな化物どもに狙われることになる。だから、お前はそれを切り抜けられるようにならなくちゃいけない。そして迅雷。それはお前も一緒だ」
七十二帝騎第八座のロビルバ・ドストロスと第七座のアモンズ。迅雷が戦った七十二帝騎はこの2人だけだが、それでも疾風の言葉の重みは理解出来た。ロビルバはなんとか退けられたが、アモンズに至っては千影と2人がかりだったにも関わらず終始翻弄された感覚だ。ルニアとテムが駆け付けていなければ、無事に切り抜けることは出来なかったはずだ。
「迅雷、いいか、迅雷。お前はジャルダ・バオース侯爵を殺してる」
「・・・ああ」
「奴は皇国の貴族の中でもかなり影響力の強い存在だった。正当防衛だったって主張は連中には通用しない。千影とは関係なく、お前自身が報復対象にされる可能性もある。つまり、迅雷と千影は2人とも皇国から狙われる理由が出来ちまったんだ」
「俺も、千影も・・・」
つまり、迅雷と千影が一緒にいるということに、互いが互いを狙った襲撃に巻き込まれる危険性がついて回るということだ。16歳の高校1年生と11歳の少女が負うものとは思えない。笑えない冗談だ。でも、これが紛れもない現実だ。
「・・・それでも、俺の気持ちは変わんないよ。これは俺が選んだ”選択”なんだ。出来る努力は全部して、俺はこの道の先を目指す。それが俺のやりたいことであり、責任でもあると思ってる」
「ボクも、もう絶対にとっしーと離ればなれにならないって決めたもん。逃げたりしない」
2人の意思を確認した疾風は、それで良いとばかりに大仰な相槌を打った。
「そんな当然のことを言ったくらいで格好付けるなよ。お前たちの進む道は口で言うほど簡単なことじゃあないだろう。力なき意志はどこへも行けやしない。2人はもっと強くならなくちゃいけない。俺でも勝てるか分からないような化物とぶつかっても自分たちの力で切り抜けられるくらいにな」
例えば、ルシフェル・ウェネジアのような。怪我をして帰って来たためしのない疾風が、ギプスで固めた腕を吊って帰って来た。そんな天災を人の形に押し込めたような敵に迅雷や千影が勝つなど到底現実的ではない。拮抗することさえ、今の2人には不可能だろう。しかも、疾風が自分で言った通り、なにがあるか分からない。悠長に構えていられる話ではないと考えるべきだろう。
だが、疾風とて考えなしではない。というよりも、むしろ今ほど都合の良い状況があるだろうか?断言しよう。答えは「ない」だ。途方もない話に顔色を悪くしつつも、努めて毅然とした面持ちをする子供たちに向けて、疾風はこの話を始めてから、初めて、笑顔を見せた。
「・・・と、まぁここまででだいぶ脅したが、安心しろ。これから俺の休みが終わるまでの間で、俺がお前たちを鍛え直してやる」
「「・・・え?」」
「なに呆けてんだ?俺を誰だと思ってる?」
「い、いや、分かってるからこそビックリしたっていうか・・・。父さん、今まで俺の稽古とか付き合ってくれなかったし」
「ああ、そのことか」
疾風は小さな嘆息を話の合間に挟んだ。
「・・・俺は、子供たちにはもっと普通で平和な人生を送って欲しいと思ってたんだ。魔法士なんて仕事は、そういう俺の願いとは真逆だった。なにも特別な経験をしてくれなくたって良い。抜きんでた才能なんてなくたって良い。そんなにたくさんの人の役に立ってくれなくたって良い。お前たちはなぁ、俺にとって、生きててくれるだけでもうこの上なく特別なんだ」
「・・・ん」
既に多くの消えない傷を負ってしまった迅雷には、胃の痛くなる吐露だった。なにより、迅雷はこの手で人を殺めてすらいる。普通からはとっくに乖離してしまった。
「でもな。迅雷。そんなのは父さんが勝手に思ってることだ。父さんにとっても、一番大切なのは、迅雷がどうしたいと思ってるかなんだ。碌に家にも帰って来れないような父親だから、父親らしいこともほとんどしてあげられてないから、せめて父さんの願いで迅雷の邪魔はしたくないと思ってここまで見守ってきた。今日のこの話も、せめて父さんがいまの迅雷のためにしてやれることがなにかを父さんなりに考えて見た結果だ」
「父さんは、十分いろんなものを俺にくれてるよ。だから、そんな風に言うのはナシだよ」
「ありがとな。でも、父さんとしちゃあ、まだまだあげ足りないんだぜ?」
「もちろん、くれるって言うなら全部もらっていくよ」
「その意気だ。千影も良いな?特訓はさっそく、明日からスタートだ。よく休んでおくように」
○
床に就いてからも迅雷はニヤニヤとしっぱなしだった。
「ねぇとっし-、はやチンと話してからなんかキモいよ」
「き、きも・・・?」
同じベッドでくつろぐ千影に指摘された迅雷は露骨にショックを受けた。そりゃ好きな子にストレートにキモいとか言われたら、ねぇ。
「明日、どんなことすんのかな~って考えてたんだ。なにせ先生があの父さんなんだぜ」
「きっとねえ、『ゲゲイ・ゼラ』みたいなの狩りに行って、実戦で覚えろ!!体に叩き込め!!とか言うんだよ」
「なにそれこわっ。レッスン1から命懸けじゃん。目標は高くても物事には順序ってものがあるんだぞ・・・」
「大丈夫、なにがあってもボクが君を守るよ」
「俺だって・・・・・・なにこのノリ」
「そういうフインキかなーって」
「ごめんね全然気付かなくて。あとどさくさに紛れて股間に手を伸ばすな」
この頃、千影が以前にも増して積極的で、迅雷は煩悶とした夜を過ごしている。手を押し返された千影は唇を尖らせた。
「むう。結局とっしー、あれ以来全然構ってくれないじゃん。とっしーはエッチな気分になんないの?」
「いやなるけども」
「もうお風呂で1人コソコソと処理しなくても良いんだよ?」
「貴様なぜそれをッ!?」
「あ、図星だったんだ・・・」
千影は、たまに迅雷が長湯をする日があるな、くらいに思ってカマを掛けただけだったのだが。
しかし、さて。ではそのとき迅雷はナニを想像していたのだろう・・・と考えて、千影はイジるつもりがちょっぴり恥ずかしくなってきた。
「とっしーのエッチ・・・」
「なんで!?」
こうなってくると、初めて千影が家に来た頃を思い出す。ドキドキして眠れねぇ。しかし、半年間千影とベッドの上で健全に夜を過ごしてきて学んだこともある。
「千影、ぎゅー・・・」
「あう」
こういうときは千影が抱き枕だと思えば良いのだ。超健全。もふもふ。やましいところなどひとつとしてない。どうだうらやましいだろう。柔らかい金髪に顔を埋めると、少し気分が落ち着いてきた。
「千影、今日はもう寝よ。おやすみ」
「うん、おやすみ、とっしー」